棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]


−日記・過去ログ−

  1999年   7月 8月 9月 10月 11月 12月
  2000年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
  2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

2003/11/30 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#30


 例によってルパン122へ。

 今日は一日中頭がぼーっとしててローテンションというか微鬱だった。
 ちょっと申し訳なかったかなとか思うのはたぶん気の回しすぎだけど。

 円盤皇女ワルキューレの変身シーンでわるたんの胸が大きくなってあまつさえ揺れるのが許せん!!
 ………という点でARCさんと意見が一致。

 「微乳」という表現は儚さ/奥ゆかしさに魅力を見出すということでつまり前向きな肯定だが、「貧乳」は本人のコンプレックスこそが魅力のポイントであるので、同じ肯定であるにしても後者のそれはやや後ろ向きである………という話をARCさんにしたらなんか感心された。

 大往生捨てゲー祭りは昨日に引き続き絶賛開催中。

 今日は4ボス前4億超えのプレイが2回あったにも関わらず2回ともボスでヘマして終了。特に2回目が最悪で、二次形態でビット9個パターンが来るまで延々と撃たないで避け続けていたら5〜6セット避けきった辺りでボスが自爆してしまった。この時点で推定5〜6000千万落ちが確定。捨てようと思って席を立ったがよく考えてみたらノーミスノーボムだったので仕方なくプレイ続行。こういう時に限って1周7.4億で2-3ボスまでノーミスノーボム。残0クリアで16.9億ぐらい。もう泣くしかない。

 最近1周前半面で捨てゲーしまくっているせいか、1周目5面のコンボパターンが微妙に崩れてきていて全然安定しない。きちっと再構築しないと。4面1up前後の繋ぎは今日は失敗は1回のみ。苦労した甲斐あってだいぶ安定してきた。

 INDさんのプレイでボーダーダウン6D面を見る。
 6D開幕の演出(背景の雷雨、味方の突然の全滅から同型機の出現)がめちゃくちゃ格好良い。

 ***

 INDさんにお借りしたゼビウスアレンジメントの攻略ビデオを観る。
 ………無理(1秒)。
 白緋蜂を倒すのとゼビウスアレンジExtra3をクリアするのはどっちが難しいかなーいやマジで。

 ***

 ARCさんにお借りした「住めば都のコスモス荘」ビデオを鑑賞。
 例の Thirteen Princess をようやく生で観ることができた。
 ………あほだ(笑)。

 ***

 ああもうダメ。
 アニメを観たりしつつ鬱を誤魔化していたがもう限界。

 ***

 百合姉妹vol.2を読んだりD.Cアニメを観たりするがほとんど頭に入らず。

 Clover Heart's 進行中。
 シンクロできない主人公の言動を私が決めるというのはなんかすごい違和感が。
 別に批判しているワケではありません、念のため。

 ***

 実のところ、とらハ3とかSNOWとか終末の過ごし方とかAIRとか銀色とか家族計画とかに心を奪われるというのは、美しいものに心を揺り動かされるなんていうものでは全然なくて、どちらかというと、虫歯に冷たい水が凍みる、というようなものなのだろうと思う。私はこういう作品を誰かに薦めたいとは今はまったく思わない。こういう作品をもし誰かに薦めたとして、その相手が素っ気ない感想しか抱かなかった場合、私はその人を許せるかどうか分からないからだ。もちろん許すなどという言葉を使う事自体が傲岸不遜であるのは言うまでもないのだが、ただ、もしその相手がこれらの作品に何も感じなかったとしたら、言葉に出さないとしても、私はきっと自分という人間を全然理解してもらえない寂しさを抱かずには済まないだろうと思うのだ。もし私が誰かにこれらの作品を薦めることがあるとすれば、それは例え私自身が自覚していなかったとしても、薦める相手の中に私が抱えているのと同じ欠損の存在を認めることを意味する。私は私以外の者になりたいとはまったく思わないが、しかしそれとは別のこととして、AIRや銀色を美しい娯楽物として愛でることのできる健康さというものにどうしても憧れないではいられない。神尾観鈴という少女は私の人生になくてはならない存在だ。しかしそんな風に語る必要を感じないような人生というものの方がたぶん健康であり正しいのだという考えをどうしても捨てきれない。私は今まで審美眼を磨き上げてきたつもりでいたが、本当はそれは違うのだ。私の目は美しいものを見抜く能力などない。ただ自分に必要なものを嗅ぎ分ける能力があるだけのことだ。そしてそれは他人に比べて少しも特殊なものではない。私がある種の美しさに敏感に反応する時、それを萌えと呼ぶにせよ他の名前で呼ぶにせよ、私の内部に生じた何かは私の今までの人生と密接に結びついている。ある種の作品に触れる時の幸福感は、それまでの私の人生の辛さや寂しさや悲しみといった記憶の方とおそらくはより密接に結びついている。観鈴の生と死に心を揺さぶられる原因を私の内部に求めることが仮に正しいとして、そういう原因となる記憶は一般的には不幸と呼ばれるものであるはずだ。上辺を真似されて萌えを語られるのが不快であるのは、そういう言動が恰も私の苦しみを無視して楽しい部分だけを器用に掬い取っているように思えるからだ。

 で、どうして人は他人から不幸であると思われたがるのでしょうね?
 私に限らず、鬱日記を書く動機というものは、なるべく単純化して言えば「笑っている人間が幸せだなんて思うなよコノヤロウ」というものだ。鬱日記がインパクトを持つのは、文章力のせいなどではない。鬱日記というのは要するに他人に問答無用で殴りかかるような暴力行為にすぎない。それは理性ある大人のすることではない。しかし時には、例え殴るという基地外行為を持ってしてでも他人の身体に自分という存在を刻み付けたいと考えてしまう、そういう考えに支配されてしまうような夜というものがある。別に正当化するつもりではなく。

 ところで私は18世紀のことをよく知らないので見当違いなことを書くかもしれないけど。魔笛の物語は基本的には、感情を司るもの(夜の女王)と理性を司るもの(ザラストロ)に分かれ、あの物語の中ではザラストロの側が正しいものとして描かれるのだけれども、しかしよくよく思い出してみれば、もし謎の三人の少年がいなかったら、パミーナもパパゲーノも自殺していたはずなのだ。もしパミーナやパパゲーノが自殺していたとしたら、その原因は紛れもなくザラストロの企てに求められる。ザラストロはタミーノとパパゲーノに試練を与えるが――変な言い方かもしれないが――アフターフォローは一切しない。タミーノはザラストロの課した沈黙の試練に従ってパミーナを無視する。その結果パミーナはタミーノの愛を失ったと勘違いして自殺を企てる。もしパミーナが自殺したとしたらタミーノは果たしてどうしただろうか。なおザラストロに忠実でいられただろうか。ふたりの兵士とタミーノの三重唱を聴くと私はヘッセの「黒い騎士」という詩のことを思い出す。この詩は、彼は騎士という立場において考えられる限りの栄誉を持っていたけれどもしかし彼の人生には愛の甘美がまったく欠けていた、という寂しい内容のものだ。あの時のタミーノは驚くべきことにまったくパミーナを必要としていないように思える。もちろん、それだからこそあの歌を遮るように遠くから響いてくるパミーナの台詞はモノクロームの世界に突然彩りが蘇ったような効果を醸しだし、鮮やかな対照の効果でもって我々の心を強烈に打たずにおかないのだが、しかしいずれにしてもザラストロの試練というものがそれ自体で人を幸せにするものなのかどうかはどうも疑わしく思える。魔笛というオペラはザラストロが神に祝福を捧げる歌を持って幕を閉じるのだが、しかしザラストロや夜の女王との関連が作中でははっきりとは明かされないあの不思議な三人の少年がいなければ、この物語は悲劇で終わっていたかもしれないのである。ザラストロは理を教える。しかし理はそれだけでは人を幸せにしない。人を幸せにするためには理と愛とが結びつく必要がある。魔笛の三人の少年(個人的にはあれは神の御使いなのだと思っているが)はそういう役割を担う。


2003/11/29 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#29


 エスプガルーダ、ようやくタテハ(妹)で1コインクリア達成。

 プレイ内容を覚えていられるほどは未だやり込んでいないので詳細は不明。確か2面クリア前後で最初のエクステンド(400万)、復活セセリ前で2回目のエクステンド(1400万)、ジャコウ到達時点で残4・バリア50%ぐらいだったような気がする。

 一応、先に進むためのコツらしきものを書いておくと、まず覚聖は緊急回避に使おうなどと考えてはいけない。通常状態から覚聖状態に変わるまでのタイムラグは意外と長いので超反応ボムのつもりで覚聖するとまず死ぬ。覚聖は危険を感じたら使う、のではなく、危険になりそうだと思ったら使う。要するに追い込まれる前に覚聖するのが肝要。それからガードバリアは惜しまずに使うこと。2ボスや4ボスの発狂攻撃などは、慣れないうちはガードバリアで吸いまくってトドメを刺す(弾避けは一切しない)のでも良いと思う。

 ルパン122内でスコアトライアルをやっているようなのでとりあえず申請しておいた。スコアネーム“お兄ちゃま”で。店内のスコア掲示を見るとキャラ別集計のようなので(だよね?)、私程度のヘタレでもなんとか最下位の景品ぐらいはもらえそうだ。

 大往生は今日は捨てゲー祭りで半ぶち切れ。

 結局2周目には1回しか行けなかった。特に4面ボス戦が最悪で、今日はすべてのプレイで二次形態の歯車到達前にミスするという体たらく。辛うじての成果は、1面道中595HITボス前3600万が出たこと。それからやっと1〜4面ボス前までが理想通りに繋がったこと。今日の最後のプレイは4面全繋ぎが成功してボス前4億突破。ボスで1ミスして面終了時4.2億ぐらい。ということは5面できっちり3200HIT以上出せれば私程度の腕でも理論上は1周8.4億ぐらいは出るということになる。2周目は4面が開幕からレール5列目ぐらいまで繋がった。1up前後の繋ぎ自体は難しくないが、レール砲地帯で生き残るのが至難、というかハイパーなしでは9割死ねる。今日は嘘避けが発動したおかげでたまたま最後まで生き残ったが、レール5列目辺りでコンボが途切れてしまった。

 夕方すぎから怒首領蜂IIの筐体前で、古式ちさん、ゆいさん、RYUさんとちょっとだけダベって私は少し早めに離脱。

 ***

 さて、予定より3時間ぐらい遅れてますが、これから Clover Heart's を始めます。
 明日は例によってARCさんとデートなのであまり遅くまではできないけど。

 ***

 シャーリー[森薫]とか観用少女[川原由美子]について「しのぶさんが今までチェックしていなかったなんて意外」みたいなことを言われるのってすごい光栄だなあなんて思って一人で苦笑していたり。もし何かの間違いで「しのぶさんがらぶひなをチェックしていないなんて意外」なんて言われたらショックで寝込んじまうかもしれないけど。まあね、なんというか、こういう風に見て欲しいというイメージで他人がちゃんと私のことを見てくれているというのはね、ありがたいものなのです。そういえば、ネット上で私のシスプリ語りを認めてくれている唯一の人が、シスプリ語りの領域においての宿敵(と書いて友と読む)であるあんよさんであるというのは面白いことだ。


2003/11/27 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#27


 ルパン122で大往生(黒)。

 いまいち調子がよろしくないので今日は実験プレイに徹することに。

・3面終盤をハイパーなしで繋いで4面にハイパー2個持っていくパターン。
→成功。開幕2ハイパー発動でゲージぴったり。いつも通りに全繋ぎを決めて1600HITぐらい。

・5面のハイパーの使い所の研究
→いまいち。一度だけ3260HIT(自己ベ)が出たけど、ゲージが足りなくて最後のハイパーを狙い通りに使えなかった。要研究。

・4面ボスのビットでのゲージ稼ぎ研究。
→たぶん成功。今まで5本溜まらなかったのは、第二形態で歯車が中央に集まって散る時、散り際に歯車でなく本体に撃ち込んでいたのが原因だと思われる。

・2-2中ボスでハイパーを使わずに後半3ハイパー発動パターン。
→成功。ただしゲージ調整まで考えるとまだ工夫の必要あり。

・2-3前半でハイパーを1回使って中ボスまでにもう1個降らせることは可能か。
→成功。ただしゲージ次第なので今後研究を要す。

・2-4後半1up砲前後の繋ぎ。
→半分成功半分失敗。1up砲からシャッターへの繋ぎ自体は成功。ただしレール砲地帯をハイパーなしで抜けるのは至難なのでゲージ調整してハイパーが切れると同時にもう1個降ってくるパターンを構築する必要がある。ゲージ調整が上手くいけば全繋ぎは可能。

・2-5コンボ。
→成功。単なるお遊びプレイ。開幕4ハイパーで全繋ぎを決めて2600HITちょい。

 今後、自己ベが出そうにない時は2-4全繋ぎを狙っていく(=研究する)ことにしようと思う。


2003/11/26 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#26


 さて、早瀬ちゃんにもらった生八つ橋を食べながらまったりとネットサーフをしておる訳ですが、ネタがありません。ないことはないけど疲れてて書ける気がしない。とりあえず、「もえたん」「エマ(1)」「エマ ヴィクトリアンガイド」を買ってきましたとだけ。ちなみに「もえたん」は二冊購入。一冊はARCさんの分。もえたんは軽く目を通してみたけど、なるほど、噂通りかなり逝っちゃってる例文が面白い。でも真面目な話、これはこれで勉強の仕方としてはアリかも。例文が面白いのでとりあえず暗記しやすそうだし。あとひとつ。綺麗な声を聞くというのはこの世でもっとも幸せな体験のひとつではないかという気がします。昔、ピアニストの仲道郁代さんの声をラジオで偶然聞いた時は本当に驚いたもので。いったいどんな育ち方をしたらこんな喋り方ができるのだろうと言いたくなるような、生活の苦労などというものをまったく知らないのではないかと思うような、あまりに柔和な声。あの時の衝撃と快感はは未だに忘れられません。声優の声の可愛さとかとはあれはまったく異質のものだと思う。前にも書いたけど、「声の魅力の表現」は、ギャルゲーエロゲーというジャンルにおいて未だ十分に開拓されていない未踏の領域だと思う。女の子に話しかけられる時、その最初の心地よさは台詞の内容ではなく、もっと単純に声音(こわね)によってもたらされるのだけれども、こういう雰囲気が表現されているものに、私は未だにほとんど会ったことがない。いつかこの領域が開拓される日が来るのだろうか。


2003/11/25 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#25


 レビューインデックス更新。

 ***

 日曜日にレンタルショップで借りてきた「陰陽師」を見る。
 なるほど、晴明×博雅ですか。土方さんはわざわざ借りてみるほどの代物じゃないと仰ってたけど、まあ普通程度には面白かったな。私的には蝶の巫女さんよりも晴明×博雅の関係の方が甘美で好きかも。お前(博雅)のために都を救う、とか晴明が言う場面なんてもう最高。つうか、お前はいい男だ、なんて台詞、もろ告白じゃないですか。男同士の友情というものは得てしてステレオタイプに“腐れ縁”的なものとして描かれがちなのだけど、それだけにこういあ色っぽい友人関係というのはとても新鮮だ。

 ***

 試しに検索を掛けて晴明×博雅SSを2〜3本適当にチョイスして読んでみたが、どれも愛に溢れていて面白い。ていうか博雅可愛いすぎ。まるで晴明に弄ばれるためにうまれてきたようなキャラじゃないか。刹那的な耽美さの追求は女性のお家芸みたいなものなのだが、こういう、ふたりの関係以外の邪魔なものが一切描かれないお話というのは実に私好みだ。


2003/11/24 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#24


 勤労感謝の日だからか、仕事が早めに終わったので、部屋で少し休んだ後ルパン122へ。

 ガルーダを立て続けに2回プレイ。2回ともラスボス発狂攻撃で撃沈。はっきり言って現時点ではあの攻撃は絶望的。黄流(大往生5ボス)発狂の密度を高くしてそれに針弾を加えた感じの攻撃なのだが、上下左右を敵弾に囲まれているといまいち冷静になり切れなくて、弾を避けるべきコースが全然見えない。

 今日は大往生は3回プレイ。うち4面1up前後が繋がったのは2回。まずまずの出来だ。今のところ1面は957HITでクリア時4130万まで確認。2面は後半のレーザー撃ち込みパターンをちょっと変えて点効率がアップ、2150HIT前後でボス前14200万ぐらい、ボスHITが3700〜4000HITぐらいでクリア時15100万前後。3面終了時22800万前後。4面はまだ完璧に繋がったことがないので分からないが、今日は4面マキシマムなしでクリア時39700万が出たのでこれにマキシマムを加えた点数がほぼマイ理論値ということになる。

 ところで4面ラストの蜂回収パターンについて。
 黒版の場合、ゲージの伸び率が高いので普通にプレイしていると10個目の蜂に倍率を掛けられないのだが、これはハイパーを発動するタイミングを遅らせることで対処できる。私のパターンだとレール砲台3列目出現辺りでゲージが100%になってハイパーが降ってくるのだが、これを回収して即発動 * せずに * 4列目まで粘ってから発動する。こうすると神顎破壊後までハイパーの効果が持続しているので、ハイパー中に敢えて7個目の蜂を取ることでゲージの増加を抑えることができる。ハイパーが切れたら即座に8個目の蜂を回収。この瞬間にゲージが満タンになってハイパーが降ってくる。後は普通に9個目と10個目を取れば良い。なお、欲を言えば、8個目の蜂はハイパーが切れたら即座に回収するのが良い。100%を超えてゲージが0%に戻った後にザコがたくさん残っていれば、うまくすれば5%程度はゲージを稼ぐことができ、その分4ボスビットでのゲージ5本溜めの成功率がアップする。


 ONE〜輝く季節へ〜OVA18禁Ver.のこと。

 まず、瑞佳のイメージが原作とは微妙に違うのが気に掛かる。声が皆口裕子でないというのは個人的な不満にすぎないので今は語らないが、それにしても私の知っている瑞佳はあんなにつっけんどんな子ではない。いや、つっけんどんという言い方は語弊があるが、ただ、原作の長森瑞佳という子は例え浩平に対してぞんざいな口の利き方をする場合ですら、そこには彼女独特の愛情が底流していたはずなのだ。表面的には、瑞佳は浩平の気まぐれに翻弄されまくっているようにしか見えないのだが、しかし彼女自身すらも意識していない部分で、瑞佳はそんな浩平を、恰も子猫の悪戯を眺めるようなおおらかさで受け容れているのである。瑞佳という子は浩平の悪戯に眉を顰めたりは決してしない。瑞佳にとって、浩平の悪戯は心を乱すものであるよりは、むしろ心を落ち着けるものであるとすら言って良いと思う。なぜなら浩平の悪戯を前にして、瑞佳は、目の前にいる少年が自分がよく知っている幼馴染みの折原浩平であることを繰り返し確認するのに違いないのだから。もちろんそういうことは彼女に意識には上らないが。瑞佳は浩平の気まぐれに振り回されてはいるが、でも彼女はそういう関係を心から愛おしむ。浩平が悪戯をする、瑞佳がそれに振り回される。そういう関係が、少なくとも瑞佳にとっては当たり前なのであり、そしてそういう当たり前さを瑞佳は何よりも大切に思っている。瑞佳シナリオ中盤でふたりの関係が偽の告白から始まる恋人ごっこによっていびつな形になっていってしまうのは、つまりふたりの間にあった当たり前さが失われてしまったことを意味するに他ならない。このOVAには、残念ながらそういう距離感があまり感じられないように思う。

 それから茜のこと。
 茜が幼馴染みを待っている空き地はあのように限定された空間、もっと言えばどこか生活臭のする空間であって良いものだろうか? ONEのゲーム版では、茜が佇むあの空き地は、茫漠とした広がりをイメージさすように描かれていた。そういう風な奥行きの不透明感の演出は、あの空き地が単に茜にとっての思い出の場所であるということを超えて、あそこが彼女を縛り付ける深淵(永遠の世界)だったことを示唆していたのではなかったろうか?


2003/11/23 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#23


 ARCさんとルパン122へ。
 
 とりあえず大往生(黒)1回。2-3ボスまでノーミスノーボムで16億ちょい。自己ベを更新できるチャンスだったのだが、残念。
 ARCさんがガルーダ数回目のプレイで早くもラスボスまで行っていた。それに触発されて続けて私もプレイ。なんとかラスボス最終形態まで到達。が、あの発狂攻撃は避けられる気がしない。

 夕方すぎより、INDさんとARCさんと三人で馬車道へ。それから隣の本屋さんで二時間ほどダベる。
 もはやお決まりコース。

 ***

 二日続けて、遊び疲れて日記を書く気力が残っていない、というのはたぶんたいへんに贅沢な(幸福な)ことなのだろうなと思う。なんとなく、神様というものの存在に思いを馳せたくなる。人生というのは実にバランス良くできているものらしい。


 東福寺は紅葉のシーズンにはものすごく込むらしい、というのは話には聞いたことがあるのですが、まあなんというかタイミングが悪かったようで。私が去年の五月に行った時は私以外の観光客はほとんどいなくて、通天台とかほぼ貸し切り状態で、あの舞台の上で思う存分自分の世界に浸ることができました。自分一人しかいない東福寺の通天台というのは一度は体験してみる価値がありますので、もし次の機会がありましたら、これに懲りないでまた行ってみて欲しいなあなんて思います。


 切っ掛け、だと私は思うんですよね。会うことを目的として会う、というのは現実の人間付き合いでは基本的にはまず起こり得ないことで、これはネットの特殊さのひとつだと思うのです。仮に「会う」ことが目的なのだとしても、同性であれ異性に対してであれ、他人を誘うためには例えばどこかに一緒に行こうとか何かを一緒にやろうとかの形式を用意する必要が、普通はある訳で。

 余計なお世話かもしれませんが、会うという体験をすることを目的として例えば個人サイト主催のオフ会に参加する、というのは私としてはお薦めしません。我々のような臆病な人間にとっては特に。オフ会という場では、人数が多くなればなるほど自分の居場所を確保するのは難しくなります。人数の多いオフでは、主催者を中心とした顔見知り同士のグループとその周辺のお互いによく知らない人間同士のグループ(それをグループと呼べればですが)に分離してしまいがちなのです。オフ会という場では積極性が何より求められる、というのは主催者サイドの傲慢にすぎません。その場では雰囲気というものがあるので楽しいように感じられても、うまく馴染めなかったとしたら後で必ず反動が来ます。私は残念ながらそういう体験を幾度かしているので、できれば他の人にはそういう寂しさを知らないでいて欲しいのです。

 わたしにとって相手は主賓であり、相手にとってわたしは主賓である、というようなところから出発することこそ、おそらくは理想です。そういう関係こそもっとも実り多いものだと私は信じて疑いません。

 いずれにしても、焦る必要はないと思います、とだけ。


 無事に帰宅できたようで何よりです。
 こちらこそ、お世話になりました。


2003/11/22 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#22


 陰陽師の人が群馬に遊びにきたので迎撃。

 土方さんが道に迷ったためなぜかルパン122で待ち合わせに。馬車道で昼食。男女の萌え方の相違(女性は始めにカップリングありきである、とか)なんかの話題中心に色々と。それから今回の旅行のメインである雷電神社へ。土方さんは「この神社の造りは変わってる」としきりに言っていたが残念ながら私にはよく分からなかった。それから次の目的地である館林城址へ。こちらは両者とも事前調査不足のため発見できず。つつじヶ丘公園の散策のみで終了。

 焼きまんじゅうを買ってから私の部屋へ。土方さんが持ってきてくださった馬車道服と巫女服の試着など。帯の巻き方等は知らないとどうにもならないので土方さんに着付けをしてもらう。自分で実際に着てみるとどちらも想像以上に着心地が良くて感動。途中うっかり「巫女さんは毎日こんな服を着られるなんてズルイー!!」とか口走って土方さんを引かせてしまったが、いやでも本当に感動したんですよ。袴を着てみると良く分かるのだけど、こういう女性のための和服っていうのはあまり大きな動作をすることを想定していないというか、慎ましやかな物腰であることが美しさに繋がるようにデザインされていると思う。なんか本気で一着欲しくなった。

 変な言い方だけど、こういう服を着ることが少なくとも社会的に間違っていない女性というのはやっぱり羨ましい。なんといっても男がネタ(罰ゲームとか)以外でこういう服を自主的に着るのは世間ではやはり変態的行為なのであろうから。 


2003/11/21 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#21


 ルパン122へ。

 今日はRYUさんが覚醒していたようで変なことをやっていた。
 この後2-4ロシア終盤でメダル回収ミス。でもチェーンは150オーバー。ありえねえ。

 それはともかく大往生(黒)スコア更新。

 1,793,175,590 pts.

 (※写真とスコアが違うのは残機2機分のスコア(1億点)を差し引いているからです、店の台では残3だけど通常設定と仮定すれば残1なので)

 内容は1周7.6億で2-3ボスまでノーミスノーボムで残1クリア。
 やはりマキシマムがフルに回っていると面白いように点が入る。1周終了7.6億、2-1終了8.6億、2-2終了10.7億、2-3終了12.5億という伸びっぷり。2-3ボスでハイパー2個抱えたまま死んだのと2-4レール6列目で事故死が起きたのが痛かった。あと4面1upの薬莢運が悪かったのも痛い。

 ………1周8億&2-4ボスまでノーミスノーボムなら20億行くのかなもしかして。
 そこまでやり込める気は全然しませんが。

 というか最近1-4ボスでハイパーゲージが5本溜まらない病が深刻になってきていてヤバイ。ちゃんと撃ち込んでいるつもりなのに4本と9割ぐらいしかいかない。今日はたまたま上手く行ったが、5本ちゃんと溜まったのはたぶん2週間ぐらいぶりだと思う。


2003/11/20 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#20


 みんくりさん家(11月の日記のアンカーが間違ってますが…)から飛んでご当地の踏み絵
 面白そうなのでやってみる。

● 上毛カルタをすべて暗記している。
→たぶんある年齢以下の群馬県人の9割は暗記してるはず。

● しかし「天下の義人茂左衛門」を「天下の義人 ドラエもん」といったように、裏上毛カルタを作ったことがある。
→いやそれ群馬の小学生の基本だから。

●標準語を話していると 信じて疑わない。
→群馬は標準語ですが何か?

●群馬のブランド米「ゴロピカリ」というネーミングは、カッコ悪いと思っている。
→あのネーミングセンスは悲惨ですわね。

●好きな言葉は「鶴舞う形の群馬県」。
→好きな言葉っていうかまあ上毛カルタの切り札だからね。

●歩いて5分のところでも、必ずクルマを利用する。
→まあね、群馬は車大国だから。

●「ベイシア」は「いせや」と呼ぶほうがしっくりくる。
→ぎくっ! つい、いせやと呼びたくなることは確かにありますが。

●焼き饅頭を愛している。
→焼きまんじゅう(普通はこう表記します)は群馬大帝国が誇る至高の食べ物です。ただし群馬国民はお祭り等で食べ飽きているので焼きまんじゅう屋さんは大抵すぐに店閉まいと相成ります。

●峠は「攻め」に行く所だと思っている。
→私はやりませんがそう思っている人は多いですね。峠を攻めたあげくカーブを曲がりきれずにガードレールに激突して修理費で冬のボーナスが丸々吹っ飛んだりなんて経験は私はありませんよ? ホントですよ?

●県内で見かける外国人といえば、ブラジル人しかいないのが少し悔しい。
→ゲーセンでブラジル人に話しかけられて「おいおい外国語なんてわかんねーよ」と思っていたがよく聞いてみたら相手が喋っているのは日本語だった…なんてことが。いや別に悔しくはありませんが。

●中学時代は、いつもジャージ姿で制服を着たことがなかった。
→ぎくぎくぎくっ! 当時の俺は何を考えていたのでしょう。

●旅先で群馬発祥のヤマダ電気とセキチューを見ると、妙に感慨深い
→福山(広島県)に行った時にヤマダ電気を見つけて密かに嬉しくなったのは内緒です。

●声が大きい。
→個々人で声が大きいのはどうでも良いけど、大声で喋ることを強要しないでください。

●ギャンブルが大好きだ。高崎競馬、前橋競輪、伊勢崎オート、桐生ボートのどれかに行ったことがある。
→おそらく群馬県人はギャンブル好きだと思います。上記の施設もそうだし、桐生だけで平和/三共/ソフィアと大きなパチンコ会社が三つもあって、パチンコ店もそこいら中にあります。

●1人に1台、自動車があってあたりまえだと思っている。
→当たり前だとは思わないけど、車のない生活は考えられないな。

●風に負けて自転車がこげなくなり、立ち往生した経験がある。
→風に負けない〜ハートの形〜♪ 高校生の頃は自転車通学でしたので冬場の「からっかぜ」は宿敵でしたね。

●カップ焼きそばは、ペヤングに決めている。
→確かにそうですが、これって群馬帝国と関係あるん?

 以上で。よく分からない項目は飛ばしました。
 おやすみなさい。


2003/11/19 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#19


 キノの旅については何かを語るのは難しい。というか、できれば私は語りたくない。例えば「平和な国」の副題が「Mother's love」であるのはあまりに辛辣な皮肉ではないだろうか。この作品の背後にルサンチマンがあるとは私は思わない。しかしこの作品は私の中のルサンチマンを刺激せずにおかない。私はキノとは違いすぎる。キノの視点を私はほんの僅かも共有できないし、またキノの視点で世界を見ることに価値を見出せない。娯楽作品として秀逸であるのは間違いないにしても、ここには私の心と何か決定的に相容れないものがある。私は銀色の方がずっと好きだ。銀色はキノの旅とは対極に位置する。銀色はつまり、当事者であらざるを得ない人間の悲哀を描いた物語だからだ。狭霧は踏鞴の村以外の世界があることを知らない。三章で朝奈は遂に命の危険を覚えるまでに姉に追い詰められるのだが、それでも彼女の頭の中には家を捨てて逃げ出すという発想はまったく存在していなかった。彼女たちには「外界」というものが存在しない。世界はただひとつあるきりで、彼女たちは愚直にただその狭い世界で生きるしかなかった。世界は美しい、という発想は外部の視点からしか生まれない。彼女たちにとって、世界は美しくも醜くもなく、ただ否応なくそこにあってどうにもならない何物かだった。詰まるところ私はそういうものにしか親しみを感じられないのだ。


2003/11/18 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#18


 その画像はまさしく何日か前の日記に書いた苺ましまろの初期バージョンですね。あの時は敢えて書かなかったんですが、もし2ちゃんねるがお嫌いでなければ苺ましまろスレッドをチェキしてみると良いことがあるかもしれません。


 ネットを介して知り合った人と実際に会う、というのはかなり勇気の要ることだと思います。私やshelarcyさんのようなタイプにとっては殊に。私がリアルで初めて人と会ったのは確か二年ぐらい前だったと思いますが、その時は怒首領蜂のプレイをお見せする、というのを自分の背中を押す口実にしました。その時の相手はちょうど怒首領蜂に興味を示しておりましたので、怒首領蜂が得意だった私は、自分の持つ少なくともひとつのものが相手の興味を引くことができるのだという自信を持つことができたのです。そういう口実がなかったらたぶん誰かと会おうなんて考えつかなかったでしょう。今思い出すと可笑しいのですが、その時は午前中にわざわざ床屋に行って散髪&洗髪してから待ち合わせに臨みました。当時の私にはそのくらいの気合いを入れる必要があったのですね。

 リアルとの境界の話を書いた時は――たぶんご本人は読んでいないはずなので書いてしまいますと――ずっと心の片隅に引っ掛かっていたひとつの事件、昔は仲が良かったのにも関わらず今は疎遠になってしまったさる人のことを思い出しておりました。その人はある時期まではネットを介して知り合った私の一番の友人だったのですが、ちょっとしたすれ違いがあって袂を分かつことになってしまったのです。今にして思えば、そのすれ違いの原因はおそらくは私の方の一方的な誤解でした。でも、もしその相手とそれ以前に実際に会っていたなら、きっとこういうすれ違いは起こらなかったと今にして私は思うのです。袂を分かつ数ヶ月前、私は彼から個人的にメールで携帯のメールアドレスを教わりました。しかし当時の私は携帯電話を持っておりませんでしたし、携帯電話のマナーとかそういうものがまったく分からなかったのでその話題をスルーしてしまいました。しかし今にして思えば、私は、メールアドレスを教わったことへの感謝と親愛の印を込めて、例え用がなくてもメールを送信しておくべきだったのです。そしてもっと言えば、おそらく私はもっと早く彼に会って実際に顔を合わせておくべきだったのです。そうしていたら、つまり相手をブラウザに映る文字の向こうの抽象的な存在としてではなく、具体的な生きている人間としてちゃんと認識することができていたら、私はきっと彼の言葉を悪く誤解することもなかったろうと思うのです。ただし、私が彼と会うことを躊躇ったのは、ひとつには私の中に彼の興味を引くものが何かひとつでもあるのだろうかという漠然とした不安があった、ということはあります。

 それから、マッドムービーコンテンツを閉鎖するに当たって、その理由を正直に述べなかったことへの引け目とかも。私がマッドムービーページの閉鎖を決めた本当の理由は、当時勤めていた会社で社員教育の一環としてコンプライアンス(遵法)教育をやっていて、法に触れるようなことをした従業員は解雇もあり得る、という記述をテキストの中に見つけて恐くなったからだったのですが、我が身可愛さのために共同コンテンツであるムービーページを閉鎖するというのが何かひどく自分勝手なことに思われて、それでいかにも尤もらしい嘘の理由を作り上げて、メールでムービーページの閉鎖をお知らせしました。でも今にして思えば、私は本当のことを言うべきだったのです。もし本当の理由を述べてその上で閉鎖すると言ったとしても、彼は私のことを少しも悪くは思わなかったに違いないのです。ところが私は嘘を付いてしまった。そのために、ふたりの間には微妙な不信感が生まれました。私はエゴイストであって良かったのです。彼はそれを受け容れてくれたはずなのです。でも私は彼を信じられなかった。もし彼ともっと早くにリアルで会っていたら、こういうことはすべて回避できたのではないか………というのはもちろん今更ながらの空想にすぎません。それに、あれからもうずいぶん長い時間が経ちました。過去の失敗というのは得てして容易に思えるものです。実際に同じような状況があれば同じような失敗をするに決まっているのに、過去の失敗というものは、想像の上では、簡単に回避できるように感じられるものです。

 これはもちろんひとつのケースにすぎません、ということは念のため申し添えておきます。つまるところ、あの文章の背後にあったものを、ちょっと書いてみたくなったというだけのことなのです。そもそも私は、星のように遠くからお互いに一方的に輝きあうだけの関係(パパトールドミー)というものへの憧れも未だに持ち続けています。そういう特殊な関係も、インターネットならあるいは可能なのではないかという幻想を、私はどうしても捨て切れません。インターネットは本来は理性のある大人のための娯楽であるのが望ましいはずで、そういう人間であれるのなら、つまりネットというものが基本的には一方的に情報を垂れ流すだけの存在であるということを理解できているのなら、やや特殊な形態ではあるにしてもネットの関係というものもあり得るのかもしれません。


2003/11/17 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#17


 私がホームにしているゲーセンは実は邑楽郡邑楽町だったりする訳ですが、それはともかく、週末に群馬にお出でになるのでしたら地元のガイドを雇うことを控えめにお薦めしてみます。道案内と退屈凌ぎの相手の基本サービス+付加サービスとして上州名物“焼きまんじゅう”一串付き。なお、現在サービス期間中につき、お値段の方も「馬車道服一時間レンタル権」のみと、大変お求めやすくなっております。この機会にぜひご購入を検討くださいますよう。一部厚かましい表現が御座いますが、たぶん気のせいです。

 冗談はともかく、雷電神社と日光東照宮を日帰りではしごするのはなかなかにハードなのではいかと。私の分かる範囲でも雷電神社から中禅寺湖まで車で順調に行って大体三時間ぐらい掛かりますので、本気で両方とも行くつもりでしたら館林ICに朝方に到着するようなスケジュールで行くのがよろしいと思われます。金曜日の夜に私の部屋で一泊した後土曜日をフルに使うという選択肢も御座いますが。


 ARCさんにお借りした君が望む永遠アニメ版を鑑賞中。

 2話のラストで Rumbling heart が流れるのは原作好きには感涙もの。

 1〜2話辺りの孝之はヘタレと言えばヘタレだが、遙の突然の告白を受けて自分の気持ちの置き場所が分からないままに恋人付き合いを演じる一高校生という風に見てみればあれはあれで普通にリアルだ。

 3話〜4話の孝之は普通に格好良いし、水月は普通に可愛らし…天川さんキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
 でもあの歩く時のぴこぴこ音がないのはなぜですかと小一時間ほど問いつめたい。

 茜から電話。
 ………修羅場ってまいりました。
 まあ選択肢を選ぶ責任から解放されている分、アニメの方が気が楽ですが。
 なんかゲームやり直したくなってきたなあ。既に売っちゃったのでできないのだけど。

 「寝てるだけでヒロインなんて甘やかすにも程が…」
 あゆまゆ劇場最高!!(笑)。

 慎二が乗ってる車ってレガシィツーリングワゴンですな。
 デッサン狂いまくりだけど。

 茜がファミレスで水月に泣きつくシーンは原作にあったろうか。
 ちょっと覚えていないが、もしオリジナル要素だったのだとしたら感嘆ものだ。原作に添っているのだとしても、ああいう場面にきっちり時間を割く選択は素晴らしい。

 5話終盤に最大の修羅場。
 これは原作にはなかったはずだが、前半との対比の効果が絶妙。

 予想に反してなんかめちゃくちゃ面白いんですけど。あの長大な原作ゲームを1話辺り約20分という限られた時間枠でどう表現するか。どこを描写してどこを省くか。その選択が非常に的確。脚本家が原作をきちんと読み込んで消化している証拠だろう。このクオリティーですべてのシナリオをアニメ化してくださいぜひ。 


2003/11/16 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#16


 疲れたので手短に。

 お昼から、INDさんとARCさんと三人で遊ぶ。
 ルパン122でガルーダやら大往生やら。
 大往生は1-4全繋ぎが一回だけ成功。タイミング良くお二人とLAIさんにお見せすることができたので個人的には満足。
 夕方すぎ、馬車道で夕食。
 秋葉原の話になった時、この路地を入ってちょっと行くと中古同人誌屋があって〜なんて話が普通に通じてしまうことが密かに嬉しかったり。
 馬車道を出て隣の本屋へ。適当にダベりつつARCさんに苺ましまろを買わせたりお薦めしてみたり。
 話題がエロ漫画談義になって、ARCさんがMITAONSYAを知らないというので、それは勿体ない!!(←余計なお世話)ということで私の部屋へお招きすることに。
 私の部屋へ。シスプリ教育シスプリのDVDを流しつつお薦めエロ漫画を適当にチョイスして積んで適当にお喋り。
 ARCさんはシスプリ(オリジナルアニメ)は本放送を5話まで観て止めてしまったそうなので、それでは勿体ないということで6話をチョイス。
 自分では面白いと思っている作品でも、誰かに見せるとなるとなんか妙に気恥ずかしいのはなんでだろう。
 あずまゆきの漫画をARCさんに試しに見せてみたら「キスシーンを上手く描ける人っていいよね」とのお言葉。
 作品のツボを的確に押さえた反応というやつは嬉しいもので。
 GirlFriend はあまり気に入ってはもらえなかったようでチッ残念。

 ガルーダの1面/5面中ボスのセリリたんはアルカディアによると12歳の少女なのだそうで。
 狙ってるんだろうけど、罠と分かっていても萌える。
 3面1upの取り方は分かった。


2003/11/15 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#15


 ネット上で知り合った人のうち半分ぐらいは今は挨拶すらもしない間柄になってしまったけど、例えばもしこれが現実世界での普通の友人付き合いだったとしたら、単純に忙しくて疎遠になるとかいうことはあっても、仲違いをするようなことは、誰が相手であってもまずなかったろうな、と思う。以前に書いたことの繰り返しになるが、人付き合いとは結局何かを共有する中から生まれてくるものなのであって、そういう意味ではネットの掲示板やweb日記やメールで人間関係を作るなどというのはきっと幻想でしかないのだ。もちろん切っ掛けとしてのそれは無視できないものではあるのだが、切っ掛けは切っ掛けにすぎず、ネットというのはどこまで行っても付き合いの「場」にはなれない。関係が欲しいと思ったらその最良の方法は、リアルで会うこと、だ。私は自分の肉体的なコンプレックス(会ったことのある人なら誰でも気づくであろうアレ/冗談でも口にはできないので言えない)のゆえにネット環境を得てから最初の二年ぐらいはリアルでの付き合いを回避してきたのだけど、それによって失われた可能性はずいぶん大きなものであったような気がする。ある作品の魅力がどこにあるのか?なんてことを蕩々と語るなんてことはネットでなければできないことで、その点において、何かを喋らずにいられない私のような人間にとってネットの持つ意味はやはり大きいのだが、ただ人付き合いはやっぱり、反応が確実に返ってくる「場」がなければ成立しないのではないか、と思う。人付き合いはネットよりも現実の方が全然楽だし楽しい、と今更ながらに本気で思うようになってきているのです。


 今週買った何冊かの漫画の中では、シャーリー[森薫/eb!]が抜群に面白かった。

 今回は詰まらなかったものについては触れないことにする。批判というのは難しいものだ。よく、欠点を指摘することよりも褒めることの方が難しいと言われるが、読み手に自分の心情が伝わり易いという意味では、褒めることの方がずっと簡単だと私は思う。もちろん、褒めるのであれ批判するのであれ作品について的確に物を言うのが難しい、と言うのが一番正しいのだが、そんな意見は優等生すぎて面白みに欠ける。いわゆるクレバーな正しさというやつだ。批判は難しい。感情の赴くままにただ貶すのなら簡単だ。しかし、ある作品について、なぜ詰まらなかったのかを説明するのは難しい。こればかりは技術と気持ちと、双方がなければできないことだ。あまり言われないことだが、批判で人を納得させるには、気持ちの表出が絶対に必要だと私は思う。淡々と行われる批判ほど、読んでいて詰まらないものはない。批判に説得力を与えるのは、ひとつは批判せずにいられない何かの存在なのだ。ある作品が詰まらなかったら、その詰まらないことが書き手にとって悩みの種になっているかどうか。その作品が与える不可解な印象が書き手を悩ましているかどうか。技術はもちろんだが、説得力を与えるひとつのツボはここにある。ただ、詰まらなかったです、口に合いませんでした、というだけで終わるのならそれは毒にも薬にもならない言葉遊びにすぎない。必要なのは心の動きだ。面白かった、という意の文章を書く時の方が、心の動きは分かりやすい。そして無論、分かりやすい、というのはいつでも最上の美点だ。面白かった時は、その面白さを文章化したい、誰かに言いたいという気持ちが湧きやすい。しかし詰まらなかった時はいつもそうなるとは限らない。批判に説得力を与えるのは、批判せずにいられない気持ち、であるのに。


 シャーリー[森薫/eb!]

 この作者って女性だよな。たぶん。もし男性だったら本気でびっくりだ。あまり大雑把に言うのも危険だけど、男性は概して人物の言動に意味を持たせすぎる。役割を負わせないと人物を動かせないというか。この作品にはそんなものは出てこない。ジャンルは違うが、ガールフレンド[MITAONSYA]と同じく、ここでは主役のふたりの人物の関係だけが丹念に描かれる。そしてそれ以外のものはほとんど出てこない。あなたがいて、わたしがいれば、ほかになにもいらない、という思考は典型的に女性的なものだ。ふたりの人間がいれば、外部に何も置かなくても、何一つ事件を起こさなくてもお話を作ることができる、というのは女性の尊敬すべき特権というやつで、こういう話の作り方は男性にはまずできない。ばらスィー氏のような例外もたまにはいるが。この作品に関して言えば、シャーリーがメイドとして働くことになった背景なんかは最小限にしか描かれない。あるいは、男性的な意味ではまったく描かれないと言っても良い。ここでは、どうしてシャーリーという13歳の少女がメイドとして働かねばならないかは語られない。面接の場面にしても、女主人はシャーリーの背景については何も聞かず、ちょっと迷った末に、美味しいケーキが作れるかどうかを訊ねた後でシャーリーの採用を簡単に決めてしまう。実に私好みなのだが、つまりベネット女史はシャーリーのメイドとしての資質を問うのではなく、同居人として上手くやっていけるかどうかを問うているのである。それ以降、お話の展開はほとんどふたりの日常を描いていくことだけで進んでいる。いや、お話が進む、というのは正しくなかろう。ここには変化というものは最小限にしか起こらないのであるから。作者は、漫画のほとんどのページをふたりの緩やかな無意味な無目的な日常を描くことに費やす、と言った方がまだしも適切だろう。女主人とメイドとの生活は外部の観察と干渉と影響を受けることがない。仲の良いふたりを煩わすものは、ふたりの気持ち以外には何もない。シスプリ原作と同じくらい、このお話の世界は閉じている。これを楽園と呼ばずしてなんと言ったら良いのだろう。


 夜、ルパン122へ。

 いつものようにRYUさんやゆいさんとダベりつつ大往生三昧。何回目かのプレイで4面が綺麗に繋がり、1周7.8億が出た。そのままノーミスノーボムで2周目突入。2-1ボスで死んでマキシマムは消えてしまったが、各面のコンボはほとんど繋がって置物前で15億オーバー。残念ながらクリアはできなかったが、これだけできればひとまずは満足。それはそうと4面コンボ(1up前後)は全然安定しない。今日は成功率1割ぐらいだった。自宅での練習では6割ぐらいは繋がっているのだが、ゲーセンだと緊張してしまうのだろうか、全然繋がらない。今のところ4面終了時3.8億まで確認。3面までで2000万落ちなので4クリ4億は十分可能。5面も開幕4ハイパーだったので推定1000万落ち。1周8億はそのうち出るだろう。今後ある程度4面が繋がるようになれば、3面ラストをハイパーなしで繋いで4面に2ハイパー持ち越して稼ぐ可能性も考えられる。まだまだ楽しめそうだ。息抜きに遊んでいるガルーダはどうも事故死が多くて上手くゆかない。弾避けの基礎能力の低さが痛いところ。あと3面の1UPが出ない。場所は分かっているはずなのだが、私がプレイすると壊すべき宝石(?)が見当たらない。明日ゆいさんに聞いてみよう。そういえばゆいさんはガルーダを早くもクリアしたそうで。おめでとうございます。


2003/11/14 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#14


 エスプガルーダ[CAVE]

 ルパン122に入荷していたのでとりあえず試しに一回だけプレイ。
 5面の前半ボス(?)まで。シューティングにそこそこ慣れている人にとってなら、クリアだけなら難易度はそれほど高くないと思う。ショットとレイピアで敵を撃つという基本以外に今作で導入されたシステムに「覚聖」というのがあるのだが、覚聖カウンタが残っている時にBボタンを押してこれを発動すると画面内の敵弾がすべてスローになる。発動時に無敵があるのではという噂もちらほらあるのだが、要するにちょっとでも危険を感じたらとりあえずBボタンを押してスローにしてやれば、大抵の弾幕は楽々避けられてしまう。覚聖カウンターは敵が吐き出す宝石を取ることで増えていく。この宝石はすべての(?)敵が吐き出す上、自動回収なので、敵を撃ちながら道中を進んでいけば勝手に溜まっていく。今のところの大雑把なプレイ方針としては、安全に行くなら道中でカウンターをため込んでボスの危険な攻撃で覚聖して楽々突破、稼ぐなら敵の出現パターンを覚えて道中で覚聖してx100を取りまくる、ということになる…らしい。

 ルパン122の常連さんのひとりが早くも1cALLを出していて、それでラスボスも拝むことができたのだが、ラスボスの攻撃は避けて楽しいというよりは胃が痛くなりそう。今作はエスプレイドの後継作でありながらも弾幕の傾向はケツイ寄り(後半になると変則弾が増えるのと、場所によっては360°の弾避けを強いられる)なので、私はちょっと苦手かもしれない。


2003/11/13 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#13


 しんどー。

 ***

 ルパン122にて大往生(黒)。
 1-4全繋ぎがようやく成功、1600HITぐらい。マキシマムなしで1.3億ぐらい入ってた。完璧に繋がれば4面クリア時点で4億ぐらい出そうな予感。
 1up砲台の繋ぎ自体は今日は5プレイ中2回成功。ここ数日自宅で研究した甲斐があってだいぶコツが分かってきた。

 詳細は内緒です。

 それから、もず部屋の常連さん方に(勝手に)感謝を。
 複数の方の「1upは9割繋がる」発言がなければ、パターンの見直しをしようとはたぶん思わなかったので。

 ***

 明日はエスプガルーダの稼働日なので会社が終わったら速攻でゲーセンに向かう予定。
 何事もなく一日が終われば、だけど。

 ***

 苺ましまろのプロトタイプには伸恵ちゃんの上のお兄ちゃんが登場するようだが、連載Ver.で伊藤兄の存在をすっぱりと省いたのは正解だろう。あの世界は女の子だけのものであるべきだ。というか、プロトタイプの作中で兄が伸恵ちゃんを始めとする女の子たちに邪魔者として扱われているというのは実に興味深いことだ。これは裏を返せば、“邪魔者”という役柄でしか兄という男性をあの世界に登場させることができなかった、ということを意味しないだろうか。


2003/11/12 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#12


 犯罪者の心理を理解しあるいは共感することと、その犯罪を是をすることはまったくの別物です。
 (当たり前だけど、前振りとして一応書いておかないと)

 強制女装という言葉は初めて耳にしますが、こういうシチュに萌える心情というのは割と普通に分かっちゃったりするんですが。ていうか女の子になりたいとか一度でも考えたことのある人なら大抵は分かるんじゃないかと思いますが、まずひとつは女性化願望の変形ですね。何か可愛いもの、例えばテディベアになって女の子に可愛がられたい、女の子のおもちゃになりたい、という願望。これは男性として女性に愛されたいというのとはもちろん全然別のものだし、無償の愛が欲しいというのともまた違います。うまく説明するのが難しいんですが、女の子のおもちゃになりたい願望っていうのは、究極的にはおもちゃとして壊され捨て去られるというシチュエーションまで含めてそこに恍惚あるいは欲情を覚えるものだと思うんですよ。まあ簡単に言っちゃえば“いぢめられたい”ということなんですが、いずれにせよここにあるのは徹底的な受け身の姿勢ですね。こういう人たち(私含む)は、「愛されたい」のだけど、でも「それに付き纏う諸々の義務を果たすのは嫌」な訳です。だから、愛されたいという感情が一方的に弄ばれたいという感情に繋がっていく。それからもうひとつは、男性が女装するのは異常なことだという一般常識を回避すること。これは簡単なことで、要するに男性が女装したいと願いそれを実行することは世間的には異常なこととされているのですが、それが他者からの強制によって行われるのであれば、心理的な負担はずっと少なくて済む訳です。罪の意識は快楽を損ねますが、強制的に女装させられたということにしておけば、私は変態なんじゃないかと思わずに済みますし、そうなればいよいよ当人が望む悦楽を存分に享受できるという訳で。そしてもちろん、この「強制的に」というのが女の子のおもちゃになって可愛がられたい、あるいは弄ばれたいという願望と結びついているのは言うまでもありません。

 実にタイムリーですが、日曜日に書いた腐れ妄想もこれと同じ原理を念頭に置いて書いてました。
 つまり、部屋には誰も入れたくない、しかし誰かに掃除して欲しい、というこの二律背反を満たすのが「合い鍵を持って乱入するすずねえ」なんです。この役割は、数多いるエロゲキャラの中でもすずねえにしかできません。なぜなら、すずねえこそ唯一無二の“強制甘やかし系キャラ”だからです。

 ところで俺的にはさやか先輩に女装させられて恥ずかしくてもじもじしているところ、スカートの中にさやか先輩の手が入ってきて、あれ〜しのぶくんてば綺麗な服着せられてこここんなにしちゃってる〜さわさわああっやめ(←テメエの面と年齢を考えて喋りましょう

 明日辺り鬱になりそうな気がしてきました。
 下手するとこの日記自体が消滅するかもしれません。
 弄ばれたいキャラとしてはさやか先輩は最強だと思うのですが(まだ言うか


2003/11/11 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#11


 From dusk till dawn[11/7] から飛んでレベル kEy 〜おもしろ葉鍵大改造計画〜

 元ネタが分からないとどこが面白いのか全然分からなそうだけど、冨樫ファン的には名スレ。
 個人的に気に入ったのは名場面方向で111、ネタ方向では205-206辺り。

 ***

 「ほくろのこと覚えていてくれたと知った時/嬉しさのあまり本当に頭おかしくなりかけました」
 「変な女ですがこれからもよろしくお願いします」

 サキ王女が王子にぴょこんと頭を下げるあの一連の場面は本当に美しい。少女漫画のような装飾は一切ないが、ここにはどんな少女漫画にも劣らないほどのロマンチックな空気がある。本物の王子を前にした時、謀略の達人としてのサキ王女はどこかへ消え失せ、後には王子への想い以外に何も持たないひとりの少女だけが残る。そうして少女は未来への誓いの言葉を全身で表明するのである。あの場面が簡素に描かれているのは、まさにひとりの少女の無防備さの表現だからに他ならない。冨樫氏の全作品を思い出してみても、女の子の可愛らしさがあれほど上手く表現された例を私は他に知らない。

 ***

 全然関係ないが、レティシアはやっぱり一章が最高だ。
 五章の彼女は完全無欠に美しくて付け入る隙がない。一章の彼女は無防備で隙だらけだ。そこが愛おしい。

 ***

 ところでまだ体調が思わしくないため、明日は某所へは遊びに行けません(私信)。
 ARCさんにもよろしくお伝えください。

 次にお会いできるのは金曜日辺りになりそうです。
 もちろんそちらの都合が悪くなければ、ということですが。


2003/11/10 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#10


 世界は美しい。
 キノの旅にはそう書いてある。

 しかしその美しさは、誰にとっての美しさなのか?
 ところで、キノの旅で私が気に入っていることのひとつは、キノが容赦なく人を殺すことだ。大ヒットした漫画、ドラゴンボールで私が非常に不快だったのは悟空の無神経っぷりで、フリーザとの死鐙の最後に悟空は、力の差が明らかになった以上お前と闘うのは無意味だ/どっかに逃げてひっそりと生きるがいい、と言うのだが、この言葉がフリーザのプライドをどのくらい深く傷つけたか、悟空は少しも知らない。漫画の中では、その挑発的台詞に逆上したフリーザは悟空に更に襲いかかり、悟空は * やむを得ず * フリーザにトドメを刺すのだが、ここには恐ろしい偽善があるような気がしてならない。少年漫画の主人公としての悟空には殺しはさせたくないがしかしフリーザにはトドメを刺すべきだという妙な思惑が、トドメを刺さざるを得ない状況を作り出す、という方向に働いたのであろうが、これが、私にはすごく気持ち悪い。悟空はフリーザを殺したかったのではなく殺さざるを得なかったのだ、と漫画は語る。しかしあそこで行われているものが殺し合いであった以上、人に害をなそうとする者は自身も相応のリスクを負わねばならないという見地からすれば、悟空はフリーザを殺す権利を持っていたのである。しかし作者は、フリーザの命を悟空に背負わせることを巧妙に回避する。キノは、必ずしも殺さなくても良いような場面ですらしばしば人を殺すのだが、しかしここには、生きる意志というものが常に働いている。わたしは生きたい、という意志があって、その意志を何よりも優先させるために、時としてキノは人を殺す。他者の生と自分の生が対立するのなら、他者の命を摘み取ることすらキノは躊躇わない。ここで重要なのは、キノが、自分が人を殺すのは生きるためだ、とちゃんと自覚しているという点だ。ここには善悪の判断もなければ感傷もない。キノは他者を殺す自分を正当化したりしない。ただ黙って他者の命を背負うだけだ。そこに私は健康さを見出す。そして健康なものはいつも好ましい。

 ***

 さて、プリンセスブライドを始めようと思います。
 女の子コミュニティーの中のひとりの男の子、という楽園が今度こそ堪能できるものと信じて。

 ***

 プリンセスブライド(以下プリブラ)、最初のえっちシーン手前まで。

 思わず正座したくなるような雰囲気。
 こういうのはかなり嫌いじゃない。

 ときメモを初めてプレイした日から約7年ぐらい。変わったものだ。もはや女の子のご機嫌を取らなければならない時代は終わったのか。

 脱線ながら、ときメモが私に与えた影響というものは果てしなく大きい、ということをこの際なので告白しておきたい。ギャルゲーなりエロゲーなりの女の子は「優しい」と私が言う時、そこにはいつも「ときメモの女の子たちと違って」という言葉が多かれ少なかれ省略されている。初めてプレイしたギャルゲーがときメモ(とエタメロ)だったがゆえに、ギャルゲーではいつも女の子のご機嫌を伺い女の子に尽くし時には自分を押し殺してでも女の子に気に入られるように行動しなければならない、という暗黙の規範が私の中ではできあがっていた。そういうことがあったからこそ、TLS を初めてプレイした時、ときメモキャラとはあまりに違う女の子たちの気遣いに私は感激したのだった。他キャラを攻略中に弥生ちゃんの誘いを断った時の彼女のなんともいえない寂しそうな表情を、私はずっと忘れることはないだろう。ときメモの女の子は下校の誘いを断ると問答無用で睨んでくるのに、弥生ちゃんはこちらの都合を考慮しなかった非礼を詫びて申し訳なさそうに佇む。なんという違いだろう。余談ながら、そういう意味では睨み顔の存在しない館林さんはその出番のなさにも関わらずときメモキャラの中ではずいぶんと得をしていると言うこともできると思う。

 プリブラはときメモとはもう全然違う。しかしもしかするとこれは、偉大な中庸ではなく、極端から極端に走っただけなのではないかという気もしないではない。ときメモは女の子本位にすぎてそれがある種の居心地の悪さを生み出していたのだが、プリブラは今のところの印象だと少々男の子本位にすぎる。もちろん私自身は男性なので、男の子本位のお話の方が、逆のものよりも許容量が大きいということはあるのだが、こうなってくると私としては、このプリブラという作品では今後、その男の子に都合が良すぎる世界をどこまで尤もらしく描くことができるのかということに興味を覚えずにいられない。受け容れられやすいような嘘(フィクションというのはひとつの嘘だ、という意味においての嘘)を付く、というのはおそらく作家の大事な仕事のひとつだと思うのだが、果たしてこの作品の脚本担当(誰だか知らないが)はこの点でどんな仕事をしてみせるのか。


2003/11/9 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#09


 特にネタもなく。

 ルパン122の常連さんのひとりにまたしてもうちのサイトがバレたりとか、風邪がぶり返して週末はずっと寝てましたとか、薬局で睡眠導入剤(?)を買ってみたらめちゃ高くてびっくりしたとか、風邪ひいたのをいいことに妄想を垂れ流そうかと思ったもののネタが何も思いつかなくて却ってがっくりしてしまったとか、エスプレイドの弾幕で一番萌えるのはガラ婦人の最終形態よりも無敵の軍神アレス(石像の首だけの奴)だと思うよ(私信)とか、ここ一週間ぐらい「ネフェルピトー」で検索してうちにアクセスして来ている人が急増。概算で100HIT以上。すいませんうちは別にネフェル萌えサイトではないんです。「杉原真奈美/エロ」で検索してきた人とはお友達になれそうな気がしますが。杉原さんはエロいです。シスプリの可憐と同じような意味合いにおいて。………その程度しかネタがない。

 というか差し当たり問題なのは風邪をひいて何もやる気が起きないため、部屋の中が未処理のゴミ等含めてすごいことになっていることなんですが。もし今仮に、偶然出逢ったメイドさん(14歳)に、ご奉仕させてください(注:部屋掃除)と頼まれたって1秒で断ります。誰だろうと他人のこの部屋の惨状は見られたくない。つまりこの問題を解決するためにはすずねえが絶対に必要で、具体的には、すずねえが訊ねてきて、でも俺は部屋に入られたくないから居留守を使うんだけど、すずねえはとっくにそんなことはお見通しで、合い鍵を使って部屋に入ってきて、それに気づいた俺はなんとかすずねえを部屋に入れるまいとドアのノブを掴んで踏ん張るんだけど結局根負けしてすずねえに入られてしまって、で僕は恥ずかしさのあまり泣き出してしまって、んですずねえはそんな僕の頭を優しく撫でながらよしよし大丈夫だからねー今お姉ちゃんが綺麗に片づけてあげるぞーそうだしのぶくんお腹空いてない?お姉ちゃんが何でも好きなものを作ってあげるぞっっっっっ!ほらほら鼻かんではいチーンよしよしいーこいーこ、と以下略。

 要するにネタがないのです。

 メモ。

 すとろべりーてぃ〜んず。
 苺ましまろ中心ばらスィーONLY同人誌即売会。2004年5月3日都産貿にて。

 ***

 ところで私に新しい肩書きができました。
 茉莉たんが靴下を脱ぐ時後ろから支えてあげる係、です。これも案外スキルが必要でしてね。何しろ茉莉たんの二の腕はふにふにすべすべなので、最初のうちはその感触についついこちらの腕の力が緩んでしまって気がつくと茉莉たんが私の腕を抜けて転んでしまったりする訳です。そんな時に上目遣いで、もうーちゃんと支えてくれなくちゃダメだようーと訴えてくる茉莉たんはそれはもう萌えるのですが、いずれにしてもそれでは支え役の意味がない訳で、ある程度は茉莉たんの腕の柔らかさに慣れておく必要があるのですね。つまりこの仕事をきっちりこなすためには日頃からの密接なコミュニケーションが必要不可欠な訳で御座いまして。

 誤解のないように言っておきますが、僕は硬派なシューターですよ?


2003/11/2 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-11.htm#02


 水曜日。
 太田COOMで、INDさん、ARCさんとダベり。
 ARCさんは君望をほぼコンプしたようだがマナマナシナリオにはそれほどショックを受けていない模様。残念。会話の中で某メイドさんデリバリーサービスの話題を振ってみたが意外と受けが良かった気がする。あのサービスで疑問なことのひとつは、知らない人の部屋の掃除なんていきなりできるのだろうか?ということで。自分で部屋の掃除をする時でさえ、現実には散らばったCDや本やらを重要度で区分けして収納することに少なからず頭を使わねばならないというのに、ましてや価値基準が分からない他人が、散らかった色々なものをどう分類整理すれば良いというのか。それから、洗濯にしても、例えそういう仕事であるにしても見ず知らずの他人に自分の下着やらを洗濯されるというのは私としては気分的に嫌だ。そうなると結局、あのメイドさんを呼んでできることといえばせいぜいが紅茶を淹れてもらうとかそんな程度なんじゃないだろうか。

 ***

 最近の ONE PIECE の展開が AIR に似ている、という意見は言われてみるとなるほどと思う。

 ***

 先週のHxHラストページのネフェルピトーはちょっと萌える。
 某咲耶にしてもそうなのだけど、台詞の合間に「うんっ」っていうアクセントを付けて喋る女の子は萌えだ。

 麻枝准氏の最大の功績のひとつは、「だよ/もん」を語尾に付けて喋る女の子は可愛い、ということを発見したことにあると思う。なぜ語尾に「だよ」とか「もん」を付けて喋ると可愛くなるのかというと、こういう喋り方が親密さの表現になっているからだ。具体的な愛や信頼の言葉などなくとも、ああいう風な喋り方をすれば、瑞佳にとって浩平が如何に気の置けない存在であるかがよく分かるのである。

 喋り言葉のアクセントの「うんっ」というのは、自分の考えを反芻してそれに納得しているといったイメージがあるが、こういう喋り方が萌えであるのも、これが親密さを明示しているからに他ならない。ここには、何か人をすごく安心させるようなある明け透けさがある。どうも上手い言い方が思いつかないのだが、これはちょうど、何かを隠しているように見える人は信用しにくい、というのとまったく反対の現象だ。何を考えているのか分からない、という状態は人を不安にする。理解の範疇にあるものは人を安心させる。萌える、というのはつまり、「分かりやすい」ということに等しい。HxHのラストページは冷静に見ればグロテスクな場面なのであるが、それでもあそこに描かれたネフェルピトーはおそろしく無防備に見えるがゆえに、あの絵から私は不安や緊張よりもむしろ落ち着きや萌えといったものをより多く見出す。

 発想がやや腐女子的かもしれないが、カイトとネフェルのカップリングは意外と面白いかもしれない。夫婦とかの設定で。

 ***

 私は薄氷の上に立っている。氷はいつ割れるか分からない。というよりもいつ割れてもおかしくない。毎日私は氷の軋む音に怯えている。その怯えが私から力を奪っている。少なくとも何かを表現しようと思う人間には、ある種の傲慢さが絶対に必要だと思う。傲慢であるとは他人を見下すとかそういうことではなく、怯懦と正反対の何か、というようなことだ。ここ数ヶ月、私は文章を書くことに今まで以上にエネルギーを費やさねばならなくなってしまった。私の精神が萎縮してしまっているせいで。そんな生に一体何の意味があるか。そんな生は屈辱でしかない。

 ***

 大往生(黒)。
 ちょっと気分転換に関東スポーツセンターまで行って蜂ってみたら、初めて1-4怒顎前後が繋がった。繋がって安心した直後にシャッターが開いてレーザーが突き抜けてコンボは途切れてしまったが。このプレイは1周7.1億、黄流前14億、緋蜂2ミスの残0ボム0でクリア。完全ノーマル設定台での2周ALLはこれで二度目。

 ***

 プリンセスブライド[130cm]購入。
 買おうか買うまいかずいぶん迷ったのだけど、よくよく考えてみると私は別にこの脚本家に対して特別にマイナスイメージを持っているワケではないのだった。この脚本家は信用できない、とずっと思っていたのだけど、別にフロレアールの内容が不愉快だったとかそういうことはなかったのだし。それではなぜマイナスイメージであの脚本家を見ていたのかといえば、それはたぶん、この人の一連の作品が私の苦手とするタイプのweb日記書きさんたちに支持されていたから、という程度の理由だったのだろうと思う。苦手とする、というのは別に嫌いとかそういうんじゃなくて、なんていうか、この人の前に出たら私は何を話せば良いのか分からず途方に暮れてしまう、というようなタイプということです念のため。興味の範囲が違いすぎてどんな話題を振っても相手の興味を引けないんじゃないかと思うと話し掛けられなくなる、とかそういう。

 でもまあ、私はあくまでもエロゲーを遊ぶために買ったのだということは宣言しておきます。こういう宣言自体、くだらないといえばくだらないけど。でも私は知的好奇心を満たす手段としてエロゲーをやるつもりはありませんということは言っておかないと気が済まない。娯楽として良質であるかどうかが私にとってはすべてなので、例えどれほど技術的に優れていたとしても、私は私を不安にするようなものを受け容れるつもりはありません。いやというかこのゲームのシナリオを誰が書いているのか私はまったく知らないのですが。

 今年はあと二ヶ月ある。
 11月いっぱいはプリンセスブライドを。12月はできればクロスチャンネルをやりたい。今年はそれだけで十分。

 ***

 暴力的自分語りにほとほと嫌気が差して以来、呪詛の言葉を吐きたいような精神状態になった時は自主的に日記を書かないようにしてきたのだけど。ここ一年ぐらい。でも気がつくと漏れてしまっていることもあって、なかなか上手くはいかない。

 ***

 Div_X_Codec が使えないので幾つかの動画が観られない、という話を INDさんにしてみたら、ffdshow という物の存在を教えてもらった。どうやら Div_X の互換Codec であるらしい。部屋に帰って早速検索して DL. ようやく今までHDD内に眠っていた動画を観ることができた。博識な友人の存在はありがたいものだ。

 ***

 LaLa DX 11月号より。
 7時間目のラプソディー[田中メカ]。少女漫画に出てくる男性キャラは同性視点からだと割とはっきりと好き嫌いが分かれがちなのだが、この作品のヒロインの相手役は実に爽やかで好感が持てる。
 お兄ちゃんと一緒[時計野はり]。これって加賀美ふみをの絵にそっくりなんだが、もしかして同一人物の別HNなんだろうか。それとも偶然の一致なのか。これはLaLa本誌2月号から連載されるとのこと。久しぶりにLaLaを買う必要が出てきそう。
 ………いや、今読み直してみたが、やっぱり別人かも。独特の絵柄とヒロインの鈍くささは加賀美氏を彷彿とさせるのだが、絵の仕上げが丁寧すぎるのが気に掛かる。加賀美氏はエロ漫画家の中ではかなり少女漫画寄りな作風の人ではあるが、ここまで少女漫画の作法に精通していた人なのかどうかはちょっと分からない。

 まんがタイムきららCarat vol.3
 男性向け萌え漫画に食傷気味な人向けの萌え漫画雑誌、という印象。普通に面白い。

 電撃大王 12月号。
 苺ましまろの新しい話が読みたくなったので魔が差して購入してみた。単なる萌え漫画雑誌だと思っていたのだが、苺ましまろ、よつばと、月姫、こみっくパーティー辺りは萌え云々ではなく漫画作品として真面目に読むに足るクオリティーになっている。特にこみパは原作(やったことないのだが)を莫迦ゲーだと思っていただけにこの真面目な展開は新鮮な驚きだった。ゲーム本編もこういう展開なのであればやってみたい気がする。
 苺ましまろ。単行本2巻から今回までに私の知らない話が幾つあるのか知らないが、この間、あの五人の間には何かしらの変化があったのだろうか。美羽がアナちゃんのことを普通に「アナちゃん」と呼んでいたのが驚きだった。アナちゃんと言えば、彼女の英国人でありたいという願いは、実質的には、よくある「お嫁さんになりたい」というのとほとんど同じ程度の子供の空想めいたものに過ぎない。そういった彼女の空想は、単行本2巻の中でさえ既に二度も美羽によって粉砕されているのだが、しかしよく考えてみれば、美羽によって躓かされたことはアナちゃんにとって不本意であるには違いないとしても、それによってアナちゃんを取り巻く環境はずっと魅力的になっている、というのは見逃せないことだ。美羽に対して日本語で挨拶を返してしまったことも、茉莉ちゃんに思わず声を掛けてしまったことも自身の不注意が引き起こした事故なのであるが、それによって生じたのは秘密を共有する仲間という関係の成立だった。単行本の後半だかで、今度は美羽のせいでアナちゃんは自身がコンプレックスにしている苗字までもクラスメイトにバラされてしまう。この事件が何を生むのか、単行本2巻までの時点では未だ明かされていないのだが、でも最終的には美羽の暴走はいつかアナちゃんが日本語を喋れることをもバラしてしまうのではないかという気がする。もちろんそうなったらアナちゃんは怒り、美羽を思いっきり恨むだろう。しかしアナちゃんにとって不本意なその事件は、きっと結果的にはアナちゃんをクラスメイトに馴染ませる方向に向かうだろう。日本語を喋らないと周囲とコミュニケートできない、ということをアナちゃんは知っている。でも格好に拘るアナちゃんは日本語を喋れることを周囲にうち明けることができない。そういう壁を、恐いもの知らずの美羽がうち破る。アナちゃんはもちろん、自分の世界が広がる原因が美羽の暴走のせいだなどとは気づきもしないだろう。しかしそれで良いのだ。子供というものは傲慢なくらいでちょうど良いのだから。苺ましまろの世界は友達を大事に思わない。しかし大事に思わないことと仲がよいこととは矛盾しない。どちらかと言えば、好意の言葉などというものが比較的簡単に表に出てしまうインターネットワールドや小説の方がよほど特殊なのだ、ということは一度くらいは考えてみても良いことだ。

 ***

 可憐はすごく甘え上手な子だと思う。

 ***

 そういえば二週間前の木曜日だったか、言葉の暴力としか呼びようのない内容のメールを貰って、当然私としてはそんなのに返信する気はないのですが、少しだけ。私は、私に対して友人知人としての最低限の礼儀すら持って接してくれないような方に向ける好意は持ち合わせておりません。あーなんか分かりにくいか。私は、私を大切に思ってくれる人にしか好意を抱けません。だから貴方には返信する気持ちになれません。だいたい私は「ダメ人間自慢」というやつが大嫌いで、そういう意味でもまあその。要するに貴方は佐祐理さんが好きなんじゃなくて佐祐理さんが好きな自分をネットでアピールしたいだけなんじゃないかと、私の目には映るのです。人の手になる作品を愛するということがどういうことなのか、貴方はご存じではない。作品をコミュニケーションの手段としてしか捉えないという時点で、もう私と貴方は決定的に別の世界の人なのです。作品を愛するということがどんなに苦しいものであるか、貴方は知らない。作品を愛することと人間関係を保つこととを両立させることは難しい。例え人間関係を切り捨ててでも作品との蜜月を守りたいという思いがあって、でもそんな思いを抱く自分を汚く感じ、受け容れられないで苦しむ。作品を愛するということはそういう地獄に生きるということです。そういうことを知らずに上辺だけ私の真似をしようとするからこそ、私は貴方を信用できず、そうして貴方から離れなければと思ったのです。

 ***

 今週(11月第一週)は更新はありません。
 特定の単語(だんだん増えてきてる)を入力するとテキストエディタの類が落ちる現象が好い加減ウザくなってきたのでCドライブのフォーマットを決行します。
 月曜日〜水曜日にバックアップ。木曜日〜土曜日ぐらいまでで再セットアップとかそんな感じで。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



トップページへ戻る