■日記、あるいは雑記■




《過去ログ》
1999年後半
  7月8月9月10月11月12月
2000年前半     1月2月3月4月5月6月
2000年後半  7月/8月/9月/10月/11月/12月

文責 しのぶsersui@bay.wind.ne.jp


2000/7/31 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#31

 講師がテキストを朗読するだけ、なんて講習に意味はあるんでしょうか?

 いや、自宅学習がメインなのは判ってるんですが。
 しかし幾らなんでも、朗読するだけ&静かな教室にも関わらず耳を澄まさないと講師の声が聞こえない、てのは酷くないですか?唯一の救いは居眠りしてても何も言われないことぐらいか。

■アルカディア【9】

 でじ子萌えな人は今月のアルカディアは必見かも。(謎)
 …ま、そんなことは置いといて、シューティング浪費家チェック(P.137)のこと。

1)筐体に座ったとき、100円玉が7枚以上ないと落ちつかない
…大抵10枚はキープしてます。

2)早く死ねるパターンを研究したことがある

…???

3)あの勲章逃したら俺の負けだ
…蜂アイテムを1個でも逃すと鬱入ります。

4)対戦では勝つまで止めない性質だ
…対戦やらないし。ただし、(シューティングで)調子悪いとムキになって連コインすることはあります。

5)いつかあのザコ撃ってやる
…シューターとして当然!(爆)

6)理論値は誰よりも高い
…いや、俺ヘタレだし。

7)1面さえ抜ければ
…低次面でのパターンミスはかなり鬱です。

8)死にたい
…???

今のアルカディアで一番面白い記事は、『初心者ステップアップ☆列伝』かもしれない。(笑)

■アリスソフト

 アトラク=ナクアの再販は会誌で知ってたが、本家のホームページに行ってみるとどうやらデアボリカも再販するらしい。ONEとデアボをエロゲーの双璧とみなしている私としては当然買うべきなんだろうが、ただパッケージを見ても購入意欲がイマイチ湧かないのがなんとも。折角の再販なんだし、おまけCGの1枚も付けてくれれば購入は100%決定なんだけど…。

 そういえばデアボリカの感想を書くと言ったまま気が付くと…あれどのくらい経ったっけ?(ォ
 毎週々々、今週末こそデアボやらなきゃーとか思いつつ、どうしても手が動かない。そもそもやらなきゃなんて義務感めいたことを考えている時点でダメダメかもという気もしないでもないのだが。実のところ、簡単なレビュー程度のものだったら、多分、今すぐにでも書けるとは思う。ただ、私たちはえてして、ゲームをやってから文章を書くまでの期間が長くなればなるほど、ゲーム自体から離れたところで理屈をこねるようになりがちなので、それを避けるためにも、レビューを書く前には一度はゲーム本編をプレイしておいた方が良いのではないだろうか。感動は忘れなくても、ゲーム世界の「空気」の匂いは忘れやすい。しかし私見では、良いレビューを書くひとつのツボはそこにこそあるような気がする。私は少なくとも、今までレビューを書くときにはいつも、ゲームをプレイし直してゲーム世界の空気が肌にまとわりついている内に書き上げてしまうように心掛けていた。こんなことは結局メンタルな問題に過ぎないのかもしれないが、元々文章力がないのだからそのくらいのことはどうしてもしなければ、最低限、自分を納得させられる文章は書けないような気が、どうしてもするのである。

■ちょっとメモ

 自分がその時に一番して欲しいこと(これはしばしば無意識のものである)をしてもらえる瞬間というのは滅多にあるものではないが、それは人生における至福の瞬間のひとつだと言えるだろう。
 モーツァルト音楽の魅力はまさにその点にこそある。彼の音楽は、私たちがこうなって欲しいと願うそのままに流れていく。変な言い方だが、モーツァルト音楽は、心の性感帯を完璧に捉えて愛撫し、私たちをエクスタシーに導く。

■単なるメモ

 車の中で、ハイドンの弦楽四重奏の何番だったかを聴いていたら、シューベルトの連作歌曲集『美しい水車小屋の娘』の中の一曲のある部分とそっくりな節が出てきてちょっと驚いた。
 似ているというのは、第9曲『DES MULLERS BLUMEN』の中の次の一節の太字部分。

 An bach viel kleine Blumen stehn,aus hellen blauen Augen sehn;


2000/7/30 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#30

■怒首領蜂

 ノーミスノーボムで迎えた2-1ボス戦でレバーが暴走、弾に突っ込んでミス。
 …鬱だ寝よう。(爆)


2000/7/28 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#28

 ここ1ヶ月ほど仕事関係が急に忙しくなって(拘束時間13〜14時間&毎週土曜出勤)精神的に不安定だったのだけど、ようやく慣れてきた感じがする。「ああ、いつもならこの時間は○○をやってるのに…」などと考えないで、目前の課題に集中した方が、却ってストレスは溜まらないようだ。
 ま、どっちにしても更新は週1〜2程度にならざるをえないのだけど。

■激しく莫迦な記号のお話

 メイドさん系ゲームのえっちシーンではメイド服を脱がしてはならない、なぜならあの服こそがメイドさんの象徴だからだ、などと頭の悪い会話を友達とやってその場はそれで双方合意したのだが、今になって考えてみると、メイドさんにとってメイド服は必須アイテムという訳ではなくて、要は服を着ていなくてもメイドさんの記号を備えてさえいれば、メイドさんとしての対象に萌えることは可能なのではないだろうか?
 …とここまで考えてみて、以前どこかのweb日記で話題が出てた『心の眼鏡』なるものも、要は眼鏡を掛けていなくても眼鏡ッ娘の記号を持っていれば、それは眼鏡ッ娘といえるのではないか?という論だったのだろうかということに思い至る。『心の眼鏡』の話題は当時の私にはちんぷんかんぷんだったのだが、今更ながら謎がひとつ解けた気がする。
#誤解だったらどうしましょ。(^^ゞ

■シューティング

 先日久しぶりにゼビウスをやってみたら、ガルザカート(破裂して5way弾になるやつ)の弾は自機狙いではないことが判明。奇数way弾の中央の弾は自機狙い、は今のシューティングでは半ば常識なのだが。以前からガルザカートの弾は避けづらいとは思っていたのだが、やっと仕組みが判った。もっとも判ったからといってなんの解決にもならないのが悲しいが。

■レビューの意味

 土方氏(小春亭)の7/22の日記「ゲームレビューのヒミツ」を読む。
 私が今までどうしても巧く言えなかったこと〜ある種のレビューに対する不満とレビューの理想形〜をこの上なく上手に書いていてショックを受ける。この文章、私の考えをほとんどそのまま代弁してくださっているようなものです。
 私、しのぶがどういう種類のゲームレビューに価値を置くか(また、どういうものを書きたいのか)、ひとつの解答がここにあります。


2000/7/25 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#25

■怒首領蜂

 C−Sで初めて、1−2全繋ぎ&蜂パーフェクト成功。ここが決まると1周目だけでも200万点の差が出るのでなんとか安定させたいものだが、はてさて可能かどうか。

ショパン

 クラシックの入門用にはなにを聴くのが良いかと問われた時、私はいつもショパンを薦めているのだが、もちろんこれにはちゃんと理由がある。結論から言ってしまえば、ショパンの音楽は、他の作曲家のものと比べて(比較的)予備知識を必要としなくても楽しむことが可能だと考えるからだ。

 本来、芸術と名のつくものはどんなものであれ、鑑賞するためには訓練が要る。こういうことを言うと選民意識だなんだのと反発する人もいるかもしれないが、これは別に特別なことではなくて、要するに野球のルールを知らない人がプロ野球中継を見て楽しいと感じるかどうか?という問題と少しも変わらない。野球のルールを知っていれば少なくとも彼らがなにをやっているのか判るし、更に各チーム各選手の知識まで持っていれば、いよいよ野球は面白くなる。クラシック音楽を聴くのだって同じことだ。

 クラシック音楽を聴いていると眠くなってしまうのは、要するに音楽がなにをやっているかが判らなくなってしまうというか、音楽の流れの中で迷子になってしまうのが原因なので、退屈するのは別にクラシック音楽のせいという訳では本来ない。例えば『エリーゼのために』といった短い曲だって、予備知識がなければ退屈してしまうだろうが、もしある程度の知識があって、この曲が単純なロンド形式(A・B・A・C・A)で出来ていることが判れば、自分が今聴いているフレーズが曲全体の中でどの位置にあるか判るし、一旦そこに気がついてしまえばもう眠くなるなんてことはなくなる。

 しかし、こういったことは一朝一夕でできるものではもちろんない。『エリーゼのために』といった短い曲ならまだしも、例えば熱情ソナタの第2楽章が変奏曲であることに気がつくまでには、多分何十回も聴かなければならないだろうし、第九交響曲の終楽章(前半部)で、それまでの3楽章が回想され否定され、静寂の中からあの“歓喜”の旋律が生れてくるという構成に気がつくまでには、より以上の忍耐が必要になってくるだろう。ベートーヴェンの音楽はいつも、聴き手に極度の集中を要求する。これはもう典型的な一見さんお断り的音楽であろう。ただし、一度その魅力に触れたら「私は今までなにを聴いていたんだろう?」と自問したくなるぐらい、彼の音楽は圧倒的に私たちを包み込む…。

 それに比べるとショパンの音楽は、もっと初心者に優しい音楽だと言いたい気がする。ショパンの場合は、構成などが判らなくてもとりあえずその美しい旋律に身を浸していれば幸せになれるようなところがある。もちろんそれは、ショパンの作曲したもののほとんどがピアノ曲であり、ソナタや幻想曲、それに舟歌といった、比較的規模の大きな曲を除けば、大多数が演奏時間10分以下の短い曲だということとも無関係ではない。ベートーヴェンが、作曲し続けることによって何かから解放されなくては生きられない人だったのと比べると、ショパンは、音楽が何物をも表現せずただ美しいものとして存在することを望んだ。ショパンのピアノ曲には多かれ少なかれ故郷への憧れを歌っているような雰囲気があるが、これはむしろ無意識の作用ではなかったかと私は思う。いずれにしても、こういう姿勢で作曲したゆえに、ショパンの音楽は、結果として誰が聴いても耳に心地好く響くようなものになった。

 音楽は聴かなければなにも始まらない。いくらある音楽に関する知識を収集してみたところでそんなものに意味はない。だからこそ、ショパンが良い。ベートーヴェンやモーツァルトと違って、ショパンなら、全体の流れを把握していなくてもその場その場の美しいメロディーに酔うことができる。とにかく初心者の段階で重要なのはたくさん聴くことなので、その意味でもショパンの聴き易さはプラスに働くだろう。クラシックを聴く、というのは結局「気持ち良いから」聴くのであって、その点、他のジャンルの音楽を聴くのと少しも変わらない。これは音楽評論家だろうが(多分)素人だろうが同じことだ。クラシックをたくさん聴くことで、段々と「クラシックは難しい」と感じなくなってくればしめたもので、そうすればクラシック音楽を聴くのはいよいよ楽しくなる。もしクラシック音楽が普及しないのだとすれば、それは「取っ掛かり」がないせいなのではないだろうか、と私は常々考えている。出逢いの仕方を間違えなければ、誰でも魅力を味わうことができるはずなのだ、本当は。


2000/7/21 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#21

萌えなお話(とらハのネタバレ注意

 仕事中、なんとなく『瞳・元気』のことが頭に浮かんで、ついでに考えたのだが、眼鏡っ娘萌えとか巫女さん萌えとか妹萌えとかはあっても男性恐怖症萌えというのがないのはどうしてなんだろう? やっぱり男性恐怖症というのがトラウマを前提にしているから良心の問題として萌えなどと言っては不味いからなのだろうか? 少なくとも私にとって、『瞳・元気』は、好きだけど好きだと公言しづらい漫画のひとつに数えられるのも確かなのだが。

 しかしそれにしても男性恐怖症というのが萌えパターンとしてかなりの破壊力を有するであろうことは容易に想像されるし、その辺りの描写に拘ったエロゲがあっても良いと思うのだが…私は寡聞にしてそういうエロゲを知らない。いや、男性恐怖症という設定のヒロインが出てくるゲームなら、私の乏しい知識内でいえば例えば『RISE』のあやめさんなどがそうなのだが、彼女のストーリーは基本的に主人公以外の男が出てこないので、その点、私が望むようなものではなかった。男性恐怖症という設定の何が美味しいといって、それはやはり『普段は男性恐怖症なんだけど、主人公にだけは懐いてくれる』というところが良いのであって、この手の設定があるキャラを出す場合は主人公と他の男との対比、という構図をどうしても出さなくてはいけないのではないかと思うのである。

 そんなことをつらつらと考えつつ、ではそういう条件に合致するゲームはあったろうか?と思い出してみると…強いて言えば『とらハ(1)』はそれに近い(効果の点で)描写をやっていたような気がする。

 例えば、ユンファと別れた後に真一郎の胸で泣き出す小鳥、試合で瞳先輩に負けて同じく真一郎の胸で泣く唯子、などは『ふたりのひみつ=彼女の素顔(爆)』的な雰囲気が実に良い感じに漂っているし、もっと言えば、喫茶店での厳しい表情のさくらとその後の甘々なさくらとの対比などは反則的ですらある。
 とらハというゲームの、ほかのゲームとは明らかに異なる特長のひとつは、キャラクター同士の横の繋がりを適度に描写し、キャラクターたちをまとめて仲良しグループ的に演出している点にある(カラオケのシーンなどはこの種のゲームとしては画期的であろう)のだが、今にして思えばこの描写すら、実は恋人とふたりっきりになった時の甘さを一層引きたてるための計算だったのではないだろうか、などと邪推してみたくなる。小鳥もさくらも唯子も、友達としての顔と恋人として真一郎だけに見せる顔との二通りの顔を持っている。私(たち)はおそらく、そこのギャップにこそ萌えるのではないだろうか。

 …なぜか、都築先生万歳!的な結論になってしまった。(汗)
 …まぁいいか。

■ついでにとらハ3のこと

 新キャラクターがすでに発表されているようだが、さすがに3作目ともなるとコンパチキャラっぽのがちらほらと。(爆)
 第一印象が当てにならないのはとらハ1、2で実証済みなのだが、現時点では、野々村小鳥鳳 蓮飛と神咲 那美のふたりが私の好み的に良さげ。


2000/7/9 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#9

■おや、、、

 兄弟だったとは知りませんでした。>ヴィトゲンシュタイン
 ご指摘どうもです。ちなみに、読んだ時に最初に頭の中に浮かんだのは、「うーん、世界って狭いなー(笑)」ということでした。有名人同士の意外な人間関係を知ると思わずニヤリとしてしまうことがありますが(俺だけ?)、ちょうどそんな気持ちですね。

■似非シューター記

 STRIKERS1999、ようやく1周クリア。(X-36/1周101万/残1)
 「こんなゲームやってられるかー!」と幾度となく心の中で叫んだりしていたのだけど、いやはやなんとかなるものだなーと我ながら感心。
 とりあえずあとは、私の好み的にNo.1機体であるF-117ステルスで1周クリアできれば言うことはないのだが、この機体、難しすぎ。(汗)STRIKERS1945IIでは最弱機体であるP-38ライトニングでもなんとかノーミス1周クリアぐらいはできたのだが、ステルスでは現在のところクリアは絶望的。サブウェポン&溜め撃ち共に近距離攻撃において絶大な威力を発揮する機体…と言えば聞こえは良いのだが、逆に言えば『接近しなければ最弱』な機体であることも確かなわけで、他の機体とはまったく違ったパターンを作らないといけないのが辛いところ。
 でも接近してバリバリ撃ち込むのって気持ち良いんだよね。

■AIR(key/visualarts)

 keyからメールが。9月8日に発売延期ですか…。
 私、9月から1ヶ月ほど某国家試験対策で受験勉強モードに入る予定なんスけど。(泣)
 いや元々資格自体は取っても取らなくてもよいんだけど、学生時代と違って社会人には生活の節目(例えば新学期みたいなもの)がなくて、生活がのんべんだらりとしたものになりがち(平和といえば聞こえは良いけど平和は得てして停滞に繋がるものだ/ただしもちろん、それによって戦争を肯定するなんてことは許されないが)なので、まぁちょっと喝を入れてみようかな、と思った次第。ちなみに今日は出社して講習を受けてました。

 ようやくカラフルピュアガールを購入。P天やエログと違ってまだ比較的新しい雑誌だからか、どこの本屋にでもある訳ではないのが辛いところ。本屋を3軒ほどはしごしてしまった。
 …いたるさんは4コマは描かない方が良いんじゃ………とか言ったらふくろですか?(爆)

 で、AIRのデモのこと。
 うーん。デモの存在目的というのが仮にゲームの世界観やキャラクターを紹介するものであるとすれば、特に可もなく不可もなく、といったところ。keyに対するブランドイメージがなかったとして、これを見てゲームを買いたくなるだろうかといえば、正直、それほど購買意欲はそそられないのではないだろうか、と思った。
 この製作チームのシリーズのデモとしては、私はONEのデモを最も高く評価している(次点でMOON.)のだが、しかしこれはあくまで、ゲーム本編プレイ後に見た時に「ああ、ONE(あるいはMOON.)の特徴を上手く表現しているな」と思ったのであって、ゲームプレイ前に見て同じことを考えたろうか?というと、それは少々心許ない。
 まぁなんにせよ、現時点では考察とかするには情報が少なすぎるでしょう。

 あと追記。
 デモの主役は空&カメラワーク反則というのはまったくもって同感です。


2000/7/8 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#8

 小春亭さまからリンクを貼って貰ってかなり浮かれ気味な今日この頃。

■最近発見したこと

 ここ数ヶ月、PC使用時にマウスがキーボードにぶつかることが多くて辟易していたのだが、最近ようやく理由が判った。マウスを光学式のものに替えてマウスパッドを使わなくなったため、マウスの移動範囲がなくなってしまったからだ。トラックボールタイプのマウスを使っていた頃は、マウスパッド上で操作する癖がついていたのでぶつからなかった。移動範囲が限定されているからだ。してみると、マウスパッドというのはあれでなかなか合理的なのかもしれない。(なにか違う気が…)


2000/7/6 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#6

■落ち込んだりもしたけど私は元気です。(謎)

 祝、ホームページ開設1周年!
 ちょっと自分を誉めてあげたい気が。(つーか、もっと他に言うことがあるだろう>俺

 掲示板でおしゃべりしていってくださる方、ムービーを観てくださる方、私の文章を読んでくださる方、その他すべての来訪者さまに、改めて厚くお礼を申し上げます。(ぺこりん)

■web日記

 ふたばてい氏のアシュタサポテの日記、過去ログ読了。web日記を公開しているサイトは数あれど、過去のものまですべて読み尽くしたいと思わせるほどの日記というのにはなかなかお目に懸かれないものだが、この方の日記は実に読み応えがあった。

 ゲームについて語るにしても、単純にゲームの視点からのみ語るのとゲーム以外の視点を持っていて多角的に語るのとではやっぱり後者の方が面白い読み物になるのではないかという気がしている。私が自分の文章力にコンプレックスを抱きながらもweb上に文章を発表することができるのは、実は自分のPC歴が浅いことと密接に関係している。
 つまり、私は10代後半から20代半ばまで、ほぼPCとは無縁の生活をしてきていて、その間、仕事をし友達と遊ぶ傍ら、ピアノを弾いたり、クラシック音楽を聴き漁ったり、本を読みまくったりして過ごした。私のゲームの知識などたかが知れたものだが、私はPCと無縁の生活を長く送っていたがゆえに、その時の経験をいかしてゲームをゲームとは違った視点から眺めて語ることができる(質的にはまだまだ稚拙であるかもしれないが)。だからこそ、膨大な知識を所有している方たちを前にしても特別に引け目を感じなくて済んでいるのだ。

 ところで、私が巡回しているweb日記系サイトの中には、漫画やゲームなどの話題がまったく出てこないようなものもいくつかあります。こういう日記を読んでいると、自分が普段いかに狭い世界しか見ていないか嫌というほど思い知らされるので、非常に有用です。

■PCは所詮、、、

 会社では私がPCを持っていることは既に周知の事実らしくて、時たま『○○(私の名前)〜パソコン教えてくれ〜』などと言われることがある。先日も40代だかの同僚の自宅にお邪魔して、2〜3時間ほど、PCのレクチャーをやった。しかし正直なところ、こういう人たちにPCの操作を教えるのはなかなかに難しい。なぜかというと、彼らはPCの存在意義について根本的な思い違いをしていることがほとんどだからだ。PCを買った中高年の方たちと話していると判ってくるのだが、彼らはPCが道具に過ぎないことをまったくと言って良いほど知らない。彼らは、PCがあればとりあえずなにか楽しいことができるんじゃないか、ぐらいの気持ちで何十万円も出してPCを買う。PCを買うに際して、PCを使う目的がないのである。だから、PCを何に使ったら良いのか判らない。だから、『PC教えてくれ』などという漠然としすぎた言葉が出てくる。

 先日、知り合って日が浅い同僚から『○○君は、インターネット以外にどんな趣味があるの?』と聞かれた。ちょっと考えたあと『いや、インターネットっていうのは趣味(目的)ではなくて、趣味を形にして発表したり、趣味を通じてコミュニケーションを取るための《場》に過ぎないんですよ』という意味合いのことをできるだけ丁寧に返答しておいた。

 ちょっと考えてみると(いや、考えるまでもなく)この人の質問は、パソコンやインターネットというものに対する世間の誤解を端的に表わしているように思う。以前、別の人の自宅にPCを教えに行ったときには、(発売当時)かなりハイグレードなPCが埃を被っていて、HDDの中身は購入当時と同じくまっさらなまま、なんてのに出くわしたこともある。

 一体、こういう人たちが『PCを教えてくれ』と言う時、私に期待しているものはなんなのだろうか? 私にはそのイメージが(あるとすればだが)さっぱり判らない。


2000/7/5 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#5

 ムービーのアップロード(1回目)に失敗してかなり不貞腐れていたのだが、ようやく気持ちが落ち着いたので日記書き。そうそう、今回の真琴ムービーは、私の好み的にはかなり良いです。好みにハマるムービーということでは去年の『Woth』以来のヒット。派手なテクニックはないけど、しっとりとした美しさがあります。

■怒首領蜂

 ついに悲願の4億点を突破。452,709,120 pts/MAXHIT 842
 以下、プレイ内容。(2周目のみ)

2−1 191、41    18600万
2−2 470       22000万
2−3 108、64、70  28000万
2−4 483       35000万(ボスまでノーミスノーボム)
2−5 830       40000万
2−6 664       45000万

 2−6終盤の大型戦車×2手前までノーミス。最終的に火蜂ラスト1cmで全滅。(弱)
 1−6コンボミスと2−4ボスハメ失敗で5000万以上の落ちか。ともあれやっと5億点が射程内に入ってきた。現時点で蜂到達までに必要な理論上のボム数は1発(2-6ボス)のみ。更にやり込んでパターンを安定させていけば最終的には5億6000万ぐらいまで伸びるはず。

■AIR(key/visualarts)

 本日3時、送金完了。あとは発売日を待つのみ。帰りに本屋に寄ってE-LOG【8】を購入。付録はAIRのミニガイドブック。これがまた、3ページ目の観鈴@床屋さんバージョンがむっちゃ可愛いーっ!とか、9ページ目右下の美凪は佐祐理さんにしか見えないぢゃん!とか、11ページ目の聖さんってもしかして鬼の血を引いてませんか?とか、裏表紙のあの絵はWAの美咲さん?だとかツッコミ甲斐があって実に楽しい。(邪)

 それはともかくこの冊子を読んで、AIRでは霧島佳乃に萌えることに俺内部では大決定。

 余談だけど、ヴィトゲンシュタインと言われると私は哲学者よりも先にピアニストを思い浮かべてしまう。いやそもそもこの哲学者の本って読んだことないんだけど。ちなみにピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインというのは戦争で右手を失った人で、有名なラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』はこの人のために書かれたものです。


2000/7/4 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-07.htm#4

■読み人知らず

 leaf,key@2ch掲示板で俳句スレッドみたいなのがあるのだけど、この中に幾つか傑作があって、このまま埋もれさせるのはあまりに惜しいと思うので、ここに、引用という名目で保存しておきたいと思う。


□□□□□

145 名前: 名無し(逆)@無理矢理でごめんなさいだよ 投稿日: 2000/07/02(日) 08:26

傷ついた
雪の兎が
泣きやめば
せめて
涙も
水と流れて
146 名前: 名無し(逆)@無理矢理でごめんなさいです 投稿日: 2000/07/02(日) 08:27
離苦隠し
思い惑える
姉妹花
哀しい
定めに
身を切られても
147 名前: 名無し(逆)@あうーっ、無理矢理でごめんなさい 投稿日: 2000/07/02(日) 08:27
遠き日の
声に誘われ
迷い子は
離恨を抱いて
立ち尽くす
忘れて消えぬ
寂しさの中
148 名前: 名無し(逆)@…相当無理矢理でごめんなさい 投稿日: 2000/07/02(日) 08:28
何時までも
待つと誓って
自らを
捨てて
忘れた
哀しみの檻
149 名前: 名無し(逆)@うぐぅ、無理矢理でごめんなさい 投稿日: 2000/07/02(日) 08:29
夢の中
朝をまだ見ぬ
約束は
満ちて
奇跡を
告げる鐘の音
□□□□□


 もし読んでいらっしゃいましたら、作者さまへ。

 Kanonに関しての、こういう表現形式自体がかなり新鮮だということもあるのでしょうが、それにしてもこの中の幾つかのものはKanonのヒロインを素晴らしく上手く描写していると思えます。私は特に、あゆ、舞、真琴のものが気に入りました。ただ、名雪と栞に関してはイマイチかな、という気がします。ストレートに伝わってこないというか…。

 個々に見ていくと、三番目のものでは、目的もなにもなくただ『祐一に会いたい』と願う真琴の愚直さ(=一途さ)が、四番目のものでは、自分の力を愛することができずにいた舞の悲劇が、上手に表現されていると感じます。
 また、五番目のあゆのやつで、作者さんは『約束は』『満ちて』と表現していますが、これはあゆの願い(想い)と祐一の願い(想い)がひとつに重なった様をすぐに起想させますし、そのことによって起こった奇跡を『鐘の音』と表現するのも巧みです。ここでの『鐘の音』は、言うまでもなく、幸せを告げる鐘の音、ですよね。祐一とあゆの気持ちがひとつに重なった時、奇跡(鐘の音)はあゆを夢から覚ます、という感じでしょうか。本当に、美しいです。言いにくい話ですが、正直、私はこの作品を読みながら、思い出し泣きしそうになりました。

追記、
当方のweb日記上に引用したことについて、もし御不快等お感じになられましたらご連絡くださいませ。すぐに削除したいと思います。


〜戻る〜