■日記、あるいは雑記■


過去
【1999年】
 7月8月9月10月11月12月
【2000年】 1月2月3月4月5月/6月

文責 しのぶsersui@bay.wind.ne.jp


2000/6/23 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#23

 200HIT/dayで計算した場合、60,000HIT予定日は6月27日だったのだけど、だいぶ早まった様子。アクセス解析を見る限り、某ムービー系サイトリンク集からのビジターが最近急激に増えているようだ。

 DMH17さんがBBSで発表したみたいなので、こちらでも書いておきましょう。60,000HIT記念はなんにもありませんが、魔法の笛と銀のすずは7月6日で開設1周年を迎えますので、それに合わせてKanonの真琴onlyムービーを公開する予定です。お楽しみに。


2000/6/22 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#22

 自分の文章の稚拙さに頭が痛い今日この頃。
 ま、何を今更って感じもあるけど…、こんな支離滅裂な文章をwebで書いてる私はもしかしてとんでもなく厚かましいのではないだろうか、なんて自虐的な思考をしたくなったり。今モーレツに眠いっていうのも計算にいれないとダメなんだろうけれども。

■妄想

 小春亭の土方さんの日記の中のどこだっかで、名雪が傍にいるという想像をして幸せな気分に浸ったはいいがその後手首を切りたくなった、なんていう文章を読んだ記憶があるのですが、私は昔、病院(産婦人科)のベッドで微笑む名雪、というのを想像して思いっきり幸せな気分に浸った後思いっきり鬱入ったことがあります。いや、それだけ。

 いずれにしても、これほど色々な意味で危険度の高いシチュエーションを私は他に知りません。(笑)


2000/6/21 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#21

 古い日記への引用リンクを発見したので、4月以前のURLを急遽修正。(俺ってやつは…)
 あ、それと。スラッシュが1個多いみたいなんでお暇があれば修正して頂ければと思います。(^^ゞ >雪駄さん

■サンクリ、その2

 なんか2chとか見てると、コルクボード(久弥氏)が出店してたA1ホールは地獄だった模様。A2/3ホールの列に並んでストライカーズビデオだけ買ってさっさと撤退した私は全然知らなかった。あはははーっ。(殴)

■ツールとアート

 ここらへんの文章とかを読んでたら、なんとなく自分のゲーム観について考えてみたくなったので戯言を少々。

 先日、久方ぶりにとらハ2をインストールして薫さんのシナリオを進めてみた。あの「なにも事件が起きなくても皆の笑顔があるだけで幸せ」的な世界に浸るのはなんとも言えず心地好かったのだが、いつのまにか薫さんの攻略ルートを外れてしまっているのに気がついたとき、幸せな気持ちは一気に醒めた。あとに残ったのは、正直に書けば「ちくしょーこっちは少ない時間を遣り繰りしてゲームやってんだ、時間返せ!コノヤロウ」という感情だけだった。
 ところで私はギャルゲーと同じくらいシューティングが好きなのだが、例えば怒首領蜂をやっていて、こういう「時間かえせ!」みたいなことを考えたことは一度もない。現役時代は1日6時間とかゲーセンに入り浸って練習してたこともあるが、それでも時間が惜しいとは少しも思わなかった。上達するにはひたすら練習するしかないことを知っていたし、どうやったらこの弾幕を安全に抜けられるのだろうと試行錯誤しながら繰り返し練習するのは楽しかった。

 アクションゲームは、基本的に繰り返し遊ぶように作られている。この手のゲームの面白さのひとつの条件は、繰り返しに耐えられるかどうか、に掛かってくるといっても過言ではない。遊んでいるとすぐに底が見えてきてしまうようなゲームはすぐに飽きられてしまう。本当に面白いゲームは、遊べば遊ぶほど奥の深さが判ってきていよいよのめり込むように作られている。
 アクションゲームにおいて試行錯誤が楽しいのは、その先にスキルの上達があるからだ。シューターは、ある場所で敵弾に囲まれて死んだら、ではどう動けば死なないか、どの順番で敵を倒せばより安定するか、等々を考えて次のプレイに臨む。シューティングを遊ぶ、というのは詰まるところこの作業の無限の繰り返しである。シューターのやっていることは、企業におけるQC活動(現状把握→要因解析→改善→効果確認→歯止め)と実によく似ている。

 しかし同じゲームといっても、アクションゲームとギャルゲー(ここでは敢えてノベルゲームに限定)とではもう全然違う。小説の好きな人、あるいは映画の好きな人なら皆、最初の1回、初めてその作品に触れる時というのが特別重いものであることを知っているはずである。小説を読む、というのは理想的には一回々々が一期一会の体験であるべきなのであって、行ったり来たりだとか中断なんかは極力ない方が良い。

 つまり、一定のルールのもとに繰り返し体験することが可能な「ゲーム」というシステムと、常に一回限りの体験を提示する「小説」というシステムは本来は相容れない物なのである。しかし残念ながら、どうも、いわゆるノベルゲームと呼ばれるゲームを作っている方々は、このあたりを混同しているように思えてならない。

 物語を読ませたいのであればゲームである必要はないのだし、ゲームであるのなら、一回々々のプレイがプレイヤーにとってきちんとした意味のあるものであるべきだ。
 例えばアリスソフトはデアボリカやアトラク=ナクアを作るに当たって、物語を読ませる(擬似体験させる)ことをなによりも重要視して、ゲーム性をすっぱりと切り捨てた。逆に例えばタクティクスのONEは、物語をプレイヤーの手で完成させるように作られた。ONEの幾つかのバッドエンドは単なるゲーム攻略の失敗ではなく、バッドエンドの存在すらもONEというゲームをコンプリート(当然ながらCG回収だとかの低次元な話ではない)するための素材として用意した。雪駄氏の言う「アトラクはアートであり、ONEはツールだ」という意見はまったく正しいと思う。ただし私からそれに付け加えるなら、ONEという作品においては、個々のシナリオはツールであると同時にアートでもあって、個々のシナリオ(バッドエンド含む)を体験していくごとに、ONE世界はプレイヤーの内でより完成されていき、遂には更に一段高いレベルのアートが完成される、のではないかと思う。ONEは、「ゲーム」であることと「小説」であることとのふたつを見事に両立させたという点でも非常に興味深い存在である。

#両立といえばバッドエンドが存在しないフォークソングもこれに加えて良いかもしれない。Kanonはちと保留。
#うーん、思い出してみると痕もそうだろうなー。(ぉぃぉぃ

 …なんか話題が逸れたような。
 ただ最近思うのは、私はシューティングをやっている時はゲーマーだが、ギャルゲーをやっている時はゲーマーではないような気がする、ということ。私は以前、Lienを買うかどうか迷ったとき、最終的に決断したポイントは「攻略が簡単」という部分だった。攻略が簡単であるということは、それだけ物語世界を純粋に味わえる可能性が高くなるということで、それは私には非常に好ましく思えた。選択肢が物語世界への没入を妨げるのなら、選択肢なんて無い方が全然良いのである。

 と、ここまで書いてみて気がついたのだが、実はギャルゲーがゲームとして成立するために一番重要なのはバッドエンドの書き方なのではないだろうか。少なくともバッドエンドがプレイヤーにとって納得いくものなら、あるいはハッピーエンドとの見事な対比を成しているのだったら、プレイヤーはバッドエンドを見たことを時間の無駄だったとは思わないであろうから。


2000/6/20 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#20

■Rumble〜バンカラ夜叉姫(ペンギンワークス

 ここ1〜2週間でちまちまと進めていたのだが、やっとコンプリート。
 楽しかった。たっぷり笑わせて貰った。莫迦ゲーの傑作と言って良い出来。

 レビューとかはこちらに簡潔明瞭なのがあるから譲るとして、それ以外にいくつか。

 まず、印象として、キャラクターの書き方がアリスソフトに非常に近いという気がした。特に金剛兄妹なんかはその最たる例で、アリス以外のゲームで、玄五郎みたいに男臭さが魅力になっているようなタイプのキャラを見るのは珍しいように思う。東鳩の浩之みたいなタイプと違って、こういう、ともするとダサくなってしまうキャラクターを格好良く書くというのはおそらく大変に難しいことだと思うのだが、このライターさんは脇目も振らぬテンションの高さでその課題を完璧に書ききっている。

 二番目に、このゲームの最大の魅力はやっぱり「キャラクターが立っている」という点に尽きるのだが、このことはあちこちのレビューでも言われていることなので今は繰り返さない。あと、私がこのゲームの特徴としてそれに付け加えるとすれば、このゲームの面白さは「病み付きになる恥ずかしさ」だと思う。これはSSのサクラ対戦を思い浮かべて貰うとよくわかるのだが、ちょうどあのゲームの勝利のポーズやら合体必殺技やらが、初めのうちは目が点になり開いた口が塞がらないのにも関わらず、ゲームが進行するにつれてそれらの場面(演出)を見ることが快感になっていく、というアレである。このゲームの登場人物たちには、皆「鋼鉄番長」だの「神鬼軍師」だの「豪腕大聖」だの「妖艶夜叉」だの「護法巫女」だのといった、まともに見れば恥ずかしい通り名?が付けられているのだが、登場人物たちは皆、彼らなりに学校の存亡を掛けて大真面目に戦っているため、ゲームをプレイしている私たちはいつしかその世界観に違和感を抱かなくなり、その世界に引き込まれてしまう。頭の片隅では世界観に対して「ォィォィ」と突っ込むもうひとりの自分がいたりするのだが、そのギャップがまた快感なのである。(笑)
 あるいは別の例でいえば「イリュージョン・リリス」だの「ファントム・バルカン」だのが出てくるアレが、開いた口が塞がらないにも関わらず、なぜかその言葉の響きの良さに魅せられてしまう、というのと似ている…かな。

 莫迦ゲーが好きな人なら一度はやっておくべきゲームでしょう。
 一度で止められるかどうかは知りませんが。(笑)


2000/6/19 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#19

■Kanonビジュアルファンブック〜ネタバレ

 ラフ画の名雪がむちゃ可愛い。いやそもそも全体的にラフ画の方が可愛いような…。あゆとか栞とかもそうだし。

 麻枝氏のインタビューでの、『真琴の「あぅーっ」は、人間の姿でのキツネの鳴き声』というコメントはちょっと泣けた。舞シナリオについては解答が与えられているが、嬉しさ半分残念さ半分というところ。(理由は17日の日記を参照)
 ただいずれにしても、、、
 “ひとつの嘘のために十年分の笑顔を代償に失った少女”
 というのが、実はすべて祐一の想像に過ぎず真実ではなかったというコメントは衝撃的だった。久弥氏のインタビューでも、『栞と祐一の最後の一週間は“死ぬまでの期間”ではなくて彼らの交わした約束の期間だった』というのがあったが、この、おそらく現在最も注目されているであろうふたりのライターさんのスタイルには、私は非常に興味深いものを感じる。ONEの澪と浩平、Kanonの舞と佐祐理、舞と祐一、彼らはいずれも、お互いのことを正確に理解しているわけではない。それにも関わらず、彼らの間には、確固たる美しい信頼がある。(こういう関係を言い表すのに、私は“友情”だの“恋愛”だのといった言葉を使いたくない)EVAのどこだったかで、人類補完計画をミサトさんは「そんなのは馴れ合いだ」と一蹴するが、私はこの時のミサトさんの言葉を完全に正しいと思う。どんな人間同士であっても、大前提として、別の人生別の考え方別の好みを持つ「他人」なのであって、お互いを完全に理解し合い、考えを共有しているなんてことはあり得ない。私は別に悲観論を書いているのではない。単なる事実である。そもそも他人は自分と違う人間だからこそ面白いのである。
 祐一が舞を救ったのは、彼が舞の過去や舞の傷を理解していたからではない。祐一が舞を必要とし、その意志を舞が受け取ったからだ。また、佐祐理さんと舞の関係を「傷の舐め合い」と呼ぶには、彼女たちの信頼関係は美しすぎる。事実は不動のものとして存在するのもしれないが、個々人にとって、事実は必ずしも最重要なものではないのである。栞と祐一についても同じ事が言える。いずれ別れが来るということを彼らは知っている。しかし別れが避けられないものであっても、彼らの関係は少しも損なわれることがない。重要なのは『わたしが、誰と、何をしたのか』(byいろは/終末の過ごし方)なのだということを、栞も祐一もすごく良く判っている。舞シナリオや栞シナリオに共通して見られる考えは、現実を受け入れはしても現実に飲まれたりはしない、という意志である。これはまた、MOON.、ONE、Kanonという3作品において一貫して流れている思想でもある。
 ここに、私は惹かれてやまない。


2000/6/18 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#18

■サイシャインクリエイション8(in池袋)

 私は基本的に行列とか人込みが大嫌いなので即売会は極力敬遠してきたのだが、今回は『STRIKERS1999』2周ALLのビデオが販売されるというのでBS以来1年半ぶりに出かけることにした。久弥氏やSJV-SCさんとは違う会場だったこともあってか、入場は比較的楽だったように思う。
 帰りにロシナンテに寄ろうかなどと友人と話していたのだが、サンクリやレボの日は同業者(謎)だらけで入れないだろうとの結論をみて、あっさり撤退することにした。

 さてさて、自宅で観たSTRIKERSビデオは、まさに凄いの一言。ノーミスALLに加えてボムを使ったのが2-1ロシア面道中での1発と、2-7道中での2発のみ、というのも凄まじいが、1周目はもちろん、2周目でもメダルは極力2000点を狙っていき、道中通じてランクを下げるための体当たりパワーダウンを1回もしないというのも驚きだった。このビデオをプレイしているHDKという方はハリアーでの現在の全一保持者らしいが、全一を取るというのがいかに異常なことか、よくわかる内容だった。
 追記、2周目クモのテクニカルパターンは芸術である。


2000/6/17 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#17

 ピアノ協奏曲には、『カデンツァ』と呼ばれる部分がある。ピアノ協奏曲のカデンツァというのが正確にはどういう風に定義されているのかは不勉強ゆえ判らないのだが、特にモーツァルトの時代に限って(※)言えば、慣習上の問題?で、楽譜になにも書かれていなくてもカデンツァを奏するべき場所というのがあって、そういう場所ではピアニストはオーケストラとの競演をやめてソロで即興演奏をするのである。
(当然ながら、即興演奏といってもその曲の内容に即したものであることが望まれる)

(※)
モーツァルト以降の作曲家たちは、ほとんどの場合、カデンツァを最初から楽譜に書き入れて、即興演奏の余地がないようにした。

 ところで、モーツァルトのものに関して言えば、彼自身がカデンツァを書き残している曲とそうでない曲がある。例えば後期のものでいえば、23番イ長調や27番変ロ長調はモーツァルト自身がカデンツァを書いているが、21番ハ長調や25番ハ長調ではカデンツァは残されていない。従ってというか、前者の場合は、モーツァルトの書いたものが演奏されるが、後者の場合ではピアニストは自分でカデンツァ部分を作曲するか、後世のピアニスト等が書き残したカデンツァを借りて演奏することになる。借りて演奏されるという例で有名なのは、例えばベートーヴェンのものがある。ベートーヴェンはモーツァルトのピアノコンチェルト20番ニ短調がいたく気に入って、この曲のためのカデンツァを作曲していた。モーツァルトのピアノ協奏曲は、カデンツァがほぼ固定されているものとそうでないものとに分類することもできる。後期のもので言えば、20、23、27の3曲が全者で、21、22、24、25、26が後者、ということになるだろう。

 こんなウンチクを書いたのには訳がある。
 モーツァルトは神憑り的な作曲家だし、モーツァルトがカデンツァを書いている曲というのは当然ながら本当に100%純粋なモーツァルトの音楽なのであるが、私はどういう訳か、モーツァルトがカデンツァを残さなかった曲を聴くのが非常に好きなのである。美しい曲ということでいえば、少なくとも13番以降の15曲はどれにしたって代替の許されない素晴らしい音楽だろう。しかし私は、新しく買ったCDが21番や25番協奏曲だった場合、このピアニストはどんなカデンツァを聴かせてくれるんだろうとわくわくする。これは、暴言と取られる可能性があることを承知の上でいえば、モーツァルトがカデンツァを書き残さなかったからこそ、色々なピアニストの解釈を聴く楽しみが生れたと言うこともできる。少なくとも作曲家自身がカデンツァを書いているのならそれに従うべきだという考えは判るし、モーツアルトが書いたカデンツァの美しさにも異論はない。しかし誤解を恐れずに言えば、モーツァルトが正解を提示してしまったことで、別のカデンツァの可能性がまったく失われてしまった、とも言えるのではないだろうか。

 これと同様の問題はwebにおいても存在する。例えば、『ONE〜輝く季節へ〜』という作品。この美しいゲームに関しては色々な人がそれぞれのスタンスからの意見をweb上に発表している。ある程度の読解力を必要とするゲームだけに、解釈をして発表してみたいという誘惑を感じさせるゲームだからなのかもしれない。しかし、ONEに関してこれだけ色々な意見がweb上で交わされたについては、実はひとつの前提があった。作り手がONEに関してほとんどなにも語らなかった、ということである。もし議論の最中に例えば麻枝氏が現れて意見を述べたら、私たちはどうするだろう。一切の議論はそこで打ち切られるはずである。プロであるという事実は、素人にとって常にひとつの「権威」なのであるから。

 私は以前、「インターネットは素人の楽園だ」と書いたが、この言葉には実は「インターネットは素人の楽園であって欲しい」という願いも込められている。インターネットには雑誌と違ってボツがないし、同人誌のように多額のお金が掛かる訳でもない。素人が簡単に自分の意見を発表できる場所である。色々な意見が並列して存在し得るからこそ、インターネットは面白い。これが私の第一義である。


2000/6/16 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#16

■セーラー服物語【2】(白倉由美/チャンピョンコミックス/秋田書店)

 急に読みたくなったので古本屋に買いに行く。8件ほどハシゴしてようやく3冊ともそろった。最近、昔好きだった本を買いなおすことが多い。ちょっと前は原秀則の『部屋においでよ』とか新井理恵の『X〜ペケ』とかも買ってたりする。

 白倉由美は特に好きな漫画家には属さないのだけど、セーラー服物語の2巻だけは昔から好きだった。私は、コミケで創作少女系同人誌ばっかり買ってた時期がある。あの砂糖菓子だけで出来ているような雰囲気がとっても新鮮で、内容なんかなくても(ォ)読んでいて楽しかった。白倉由美という漫画家は、なんとなく、あの創作少女系同人誌の雰囲気を持ち続けたままプロになった人、という感じがする。この人とか、あと例えば作家の長野まゆみとかが書く世界は、良くも悪くも綺麗すぎてリアリティーを欠くところがあるのだけど、それゆえにというか、こういう綺麗な世界に憧れる自分がいたりする。この本の中の長編「バナナムーンで逢いましょう」は19歳〜20歳の頃に書いたとあったが、なんか納得。こういう話は、未来になんの憂いをも持たない年頃でなければ書けないだろう。


2000/6/15 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#15

■STRIKERS1945II−STRIKERS1999

 1999は4機設定の店で1周クリア。(←かなりダメ)
 とりあえずしばらく付き合ってみた感じ、トータルとしての難易度はそれほど変わらないのだが、内容的には1945IIの方は道中&ボス戦ともに難易度が平均しているのと比べると、1999の方は道中が簡単でボス戦が難しい、という構成になっているようだ。1945IIでは例えば、6面の深山地帯とか、8面のマウスUFO×2地帯(前半と後半で2回ある)みたいにパターンがないと死ねる場所が結構あるのだけど、1999では最低限の知識さえあればきっちりとパターン化しなくても道中はなんとか抜けられる程度の難易度になっている。(当然、1周目限定)
 その代わり、1999ではボスが異常に強い。5面以降は、パターンがないとボム残機ともいくつあっても足りない。特に6面ボスの凶悪さときたら。(涙)


2000/6/14 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#14

■ONE〜輝く季節へ〜ドラマCD【1】

 ようやく重い腰をあげて、CDを買ってみる。
 皆口裕子さんの声が個人的に萌えなこともあって、トラック14の瑞佳の回想?は感涙。あと、どうしても書いておかなければならないこと。このCDのどこだったかに書いてあったフレーズ「浩平の心はわたしのなかにあるんだから。もうどこへも行けないんだから」が“みずか”ではなくて“瑞佳”の台詞だったのは本当に驚いた。ここの他にもかつての永遠の盟約を断ち切った浩平に対して「泣いたらダメだよ」という瑞佳の台詞があったりするのだけど、このドラマCDではもしかしてみずかと瑞佳の対立を書こうとしているのだろうか。いや、そういう視点も面白いと思うけど。ただ、終盤の瑞佳は、情念が感じられてちと恐い。

 そういえば、『永遠の盟約の破棄と新しい盟約』という図式はどこかのサイトで語られてたような憶えがあるんだけど、どこだったろうか…?


2000/6/13 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#13

 脳天氏がwebについて書いたこれ。発表当時から、面白いなーとは思っていたけど、webサイトの管理人を1年近く続けてから改めて読んでみると、なかなかにシャレになっていないことに気づいてなんとも苦笑するしかない。


2000/6/1 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-06.htm#01

■怒首領蜂

 昨夜9時、近所のゲーセンにてついに1コイン2周ALLを達成。長かったが、ひとまず山は越えた、というところか。以下、プレイデータ。

1-1 190、61
1-2 494
1-3 107、62
1-4 440(ヘボ)
1-5 300、100、350、50(ダメ過ぎ)
1-6 679

1周END時、ノーミスノーボム、約14000万ちょい

2-1 191、61
2-2 487
2-3 中ボスで1ミス。ボスで4ボム使用。(残5ボム0)
2-4 684(残5ボム2)
2-5 817(残5ボム0)
2-6 中盤大型戦車でミス、直後のザコ戦車&回転砲台ラッシュでミス。

2-6END時、残3ボム1

2-7 
鬼畜蜂でボム5発使用、火蜂戦スタート時残2ボム2
最初と2番目の攻撃をボム各1発で凌いだ後、3番目→4番目→1番目とノーボム突破、2ループ目の2番目でミス。
3番目4番目でボム4発使用、発狂(放射状弾)突入時、残1ボム2。
残0ボム0でALL!

スコア 353,084,900 pts.


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