日記、あるいは雑記

『過去』7月8月


99/9/20(月)

 昨夜は「おやすみなさい」などと書きつつその後友人宅へ電話。馬車道(桐生店)で遅い夕食。が、今回はなんかツイてなかった。メニューを持ってくるのも料理を運んでくるのもすべて野郎。一応にこやかに食事を済ませるが、帰りの車の中で友人に色々愚痴る。それにしても、、、
 「もう桐生店なんか二度と行かねぇ!」
 と言った後すぐに
 「そう言うと思った(笑)」
 と返されてしまう辺り、あまりに気心知れすぎている友人の存在に苦笑してしまったりもする。その後小1時間ほどドライブを続け、なこるるの胸のサイズだとか、なこるるが現代にタイムスリップしたら、などの話題で延々と熱い議論が交わされる。
 帰宅後、そういえばなこるるの誕生日って9月か10月じゃなかったっけか?と突然思い出し、ネット上を探索。30分ほど捜して、見つかる。10月11日生まれらしい。とりあえず過ぎてなくて良かった。


99/9/19(土)

 夕方頃、うちのBBSをチェックしてみたら、真っ白な画面に「サービス停止中」の文字。直後にメールチェックしたら、T-CUP(うちのBBSのレンタル元)からメールが届いていた。どうやら「利用規約違反」があったためらしい。当初は書き込みにマズイことがあったのだろうかと思ったが、他のマッド系サイトを見てみると、T-CUPをレンタルしてるところの内、約半分ぐらいは消されてた。おそらくは著作権関係のチェックが入ったのだろう。まさかいちいちコンテンツまでチェックするとは思ってなかったのだが甘かったか…。
 今後はCGIの勉強をして、自分でBBSを置けるようにならないとダメかもしれない。一応、レンタルBBSは急遽設置したが、これとて明日の保証はないのだし。
 ともあれ、3日分、推定約20件程度のログが消えたのは痛い…。

 レンタル屋で借りてきた、東鳩ビデオの4巻を見る。理緒はゲームより確実に可愛くなっている。印象としては、東鳩だと思わないで無名のOVAだと思えば、質はかなり高いと言えるのではないだろうか。逆に東鳩だと思ってみると、色々と問題点(著しく主観的なものだが)が目に付く。3巻で葵ちゃんが試合に負けてしまうのもそうだし、4巻の1話での浩之の描かれ方もそう。理緒とのデート中にふっと熊のキーホルダーに目がいってしまう辺りは「おお、浩之いい奴じゃん」とか思うのだが、その後の会話で何食わぬ顔でキーホルダーのことを喋ってしまう辺りは「をいをい」な感じ。(苦笑)
 もっとも、東鳩本編では有り得なかった同時攻略というやつを仮に描いてみるとしたら、やっぱりこんな感じになるのかもしれない。ゲーム中の浩之はもろ「いい男」だが(高橋氏も狙って書いたと言ってたし)、それは東鳩に同時攻略が無かったから見えない部分もあった、と見ることもできるのかもしれない。
 …なんとなくだが、このOVAシリーズ、あかり萌え以外には不評なのではないだろうか?(^^;

 最近、暇を見つけては佐祐理さん(&秋子さん)のSSを読んでいる。ONEやKanonのような完成度を持つ作品にサイドストーリーを付ける事の意味について、私はどうも釈然としないものを感じていて、それゆえSSは滅多に読まないのだが、SEAMA氏やSHIGE氏のものを読んでいると、SSも悪くないな、と思ったりする。(苦笑)

 昼間、ちょっとプリンターのインクを買いに近所のPCショップへ。(私はweb上で見つけたお気に入り文章〜SSであれ、考察であれ〜は片っ端からプリントアウトしてるので、インクと紙を結構消費する。紙は既に500×3以上使ってる)インクを買ってふとレジの奥の棚を見ると、予約済みのゲームが置いてある。「絶望」が8本、「WithYou.ToyBox」が5本。やはり「絶望」強し。…嫌な時代だ。(^^;

 ちょっと気になったこと。「リンク」というのはれっきとしたコンテンツであって、その内容に関しては、個々のwebmasterにすべての権利と責任があります。この辺りは掲示板でのレスとかと一緒で、基本的に「貰えたらラッキー」な程度のものと考えた方が良いです。掲示板でレス(カキコ)をするかどうかが本人に一任されているのと同様、リンクについても本人に一任されているのですから。リンク報告というのは、「貼りました」という言葉以上の意味はあってはならないと思います。リンクを貼り返してくれるかどうか?は、ひとえに相手の気持ち次第です。相手が自分のページを見て何かしら好意を持ってくれたとしたら、結果としてリンクを張ってくれることがあるかもしれない。いずれにしてもそれは相手が決めることであって、こちらはなにもできませんし、その権利もないと思います。勿論、結果として相互リンクになったらそれはもうむっちゃ嬉しいですが。いずれにしても、リンクは好意でするもの、が基本だと思います。言うなれば報告というのは一種のラブレターみたいなもの、と言えましょうか。(私にとっては)

5000HIT、Honeyさん。ありがどうございます。


99/9/14(火)

 「魔笛」というオペラがある。いうまでもなく、モーツァルトの晩年に書かれた、彼の最高傑作のひとつ〜ということは西洋音楽中の白眉であることと同義だと言って良いだろう〜である。作曲者の死後200年を過ぎた今となっても、この曲を愛する人はおそらく世界中にいる。国内に限っても、何年か前、日本にベルリンフィルが来た時にこのオペラの公演があったのだが、その時はチケット予約の電話が混雑して、私はついにチケットを入手できなかった。S席の値段は5万円だったが、別に高いとは思わなかった。この曲は単に好きであるということだけではなくて、この曲を聴けない人生などもはや想像できないと言っても過言ではないような存在だったからだ。

 ところで、オペラというのは「歌劇」と和訳されるように、「歌のついた芝居」のことである。このオペラでいえば、まずエマニュエル・シカネーダという俳優が脚本を書いて、その脚本にモーツァルトが作曲した。ところが、というべきだろうか、西洋音楽の白眉とも言うべきこのオペラは、実は、こと脚本だけ見ると、どう控えめに言っても稚拙としか言いようが無いような代物なのである。もしかすると、稚拙という言葉でも足りないかもしれない。この物語には筋に一貫性すらないのだから。それにも関わらず、このオペラは当時から成功を収めていて、今も尚多くの人に愛され続けてきている。物語の矛盾点が指摘されることがあっても、それによってこのオペラの価値に疑いを差し挟む者は(私の知る限り)いない。音楽それ自体が、この世のものとも思われないほどに美しいからである。

 試練に耐えた王子タミーノがパミーナ姫を手に入れるのは良いとしても、なぜ、試練に耐えられなかったパパゲーノまでもが、パパゲーナと結ばれるのか?
 しかしそれでも、パパゲーノの嘆きのアリアの悲痛さは私たちの胸を打つし、自殺しようとするパパゲーノの元に3人の天使(もっとも楽譜では単に「drei Knaben(3人の少年)」 となっている)が降りてくるシーン「O Papageno und sei klug 〜」などは、どんな鈍い人をも感動させずにはおかない問答無用の美しさがある。この響きに身を浸していると、パパゲーノがなぜ救われたのかなど、もはやどうでもよくなってしまう。「音楽はなによりもまず美しくなければならない」と若い頃の手紙の中で告白したモーツァルトは、美しさはそれ自体が説得力を持つということを知っていた。それは、幼少の頃からヨーロッパ中で演奏旅行をして、聴衆の反応(求めるもの)に対する非常な鋭敏さを身につけたからかもしれないし、あるいはもっと個人的なこと、幼少の頃より「ぼくのこと好き?」と色々な人に尋ねずにはいられなかった少年、の内的必然性〜いつも他人から愛されたいと願い、また愛される秘訣を知っていた〜から来るものだったのかもしれない。ともかく、モーツァルトはそういう作曲家であり、魔笛を始めとする名作たちは、皆、美しさそれ自体が説得力を持つような音楽だった。

 私はなぜこんなことを書いたか?
「Kanon」もまた、美しさそれ自体が説得力を持つような作品だからだ。
芸術に対するアプローチは色々な仕方があるのだろう。しかし、テーマやメッセージ性がなんであれ、美しいということはそれだけでも作品を肯定する理由になる、と言ったらいけないだろうか。


99/9/12(日)

 何気に「RISE」再開。ともみシナリオクリア。シナリオ的な面白さは他の3人には劣るかもしれないが、それでもこのゲーム独特の優しい雰囲気は十二分に味わえる。とりあえず、「RISE」はこれでやっとコンプリ。本当に、良いゲームだった。

 「RISE」に関して。以前、RISE.Official.BBSに私が投稿した文章からの(一部)引用。

(略)
 興味深く読ませて頂きました。ロボットに心(と思われるもの)があるなら人権を認めるべき、これは私もそう思います。
 ただ、難しいもので、人権を認めるということはロボットが人間と対等の立場になるということで、それは同時にロボットが人間の道具であってはならなくなるということですよね。ここで、心を持ったメイドロボという存在は矛盾を生むことになるのではないかという気がしてきます。
 
 マルチの純粋さは「美しい」と形容しても良いくらいのものだと思いますが、それが本当に人間らしいかどうかについては疑問の余地があります。少し穿った見方をすれば、マルチのあの正確はメイドロボとして非常に目的的であるというか、人間にとってあまりにも都合が良すぎないだろうか、とも思えてしまいます。

 この点でななこは本当に人間らしいんですよね。
 ななこは悲しいと拗ねちゃうし、買い物はサボるし、要らんものを勝手に買ってくるし、嫉妬はするし、納得いかなければ怒るし、時にはじぶん のアイデンティティーについて考えたりもします。こういう言動はマルチではちょっと考えられないけれど、でも本来人間というのはこういうものだと思います。
 マルチを愛すべきものにしているのが(超人間的な)純粋さや健気さだとすれば、ななこを愛すべきものにしているのはむしろ人間的(?)欠点のような気がします。
 私は、この辺りを描いた点で「RISE」に強く魅かれます。

(以下略)


99/9/11(土)

読者無視日記。(爆)

怒首領蜂SS版、理論値。
(条件:SaturnMode、veryeasy、round-1、GPSTIME2.0秒、Bタイプレーザー強化 )

0面:67HIT、50HIT、ボス1200HIT over/蜂パーフェクト
1面:194HIT、60HIT、ボス180HIT over/蜂パーフェクト
2面:497HIT(12335680pts)、ボス208HIT/蜂パーフェクト
3面:114HIT、218HIT(5445640pts)、ボス320HIT over/蜂パーフェクト
4面:768HIT(29240900pts)、ボス130HIT over/蜂1個目のみ取れず
5面:865HIT(41147920pts)、30HIT over、ボス140HIT over/蜂パーフェクト
6面:761HIT(46639840pts)、ボス320HIT over(レーザーボム使用)/蜂パーフェクト

6面クリア時、2億over。(現在自己ベスト1.93億)
3面後半は中ボスオーラ撃ちによる早回しで、+2HITが可能。
6面はまだ2HIT以上伸びる…かも。
5面はC-S時、870HIT(41639240pts)。理論上+2HIT。


99/9/5(日)

 とらはつ再開。
 「ゆうひとイチャイチャイチャイチャしてえぇぇぇぇぇぇっ!」などと考えつつみなみちゃんクリア。(←死刑)とらはシリーズのアットホームな雰囲気は相変わらず楽しいけど、シナリオとしてはなんか盛り上がりに欠けたような印象。このシナリオはそういえばひとりえっちシーンがあるらしいけど、なんか何時の間にか見ないで終わってた。一応見方は知ってるんだけど、適当にやったから駄目だったみたい。
 ともあれ、絵的には、えっち後ベットにちょこんと座ってマグカップを持ってるCGがグッド。とりあえずはこのCGが来られただけでもプレイした価値はあったと思う。とらはシリーズの良いところのひとつは、こういう描写、えっちシーン後のヒトコマみたいなものを描くところにあると思う。えっちシーン自体はともかく、こういう「その後の満ち足りた雰囲気」みたいなものを描いているゲームは少ないが、この点、とらはは本当に素晴らしい。
 あとは、みなみちゃんは真剣な表情してる時が本当に格好良い。特に、ドリブルしてる時のCGは惚れ惚れする。また、彼女の流す悔し涙の切実さ。目が離せなかった…。ここまでなんとなく書いてみて、やっぱり、盛り上がりに欠けるという意見はあるいは不当だったかも。そもそもそんなこと言うのはみなみちゃんに失礼ではないか。

 昨日、会社の上司(40代後半)にReGetの使い方を説明する。正確には紙に書いて渡したのだが、しばらくして「書いてあることの意味が判らない」という返事が。そんなに難しいことは書いてないはずなのだか、と思いつつ詳細を聞いてみると、説明文の中の「リンク」というのがなんだか判らないとのこと。どうやら、初心者を舐めていたらしい。さて、「リンク」をどう説明したら良いものか。
「文章等のなかで色が違う(大抵青い)場所、そこにマウスカーソルを持っていくとカーソルが手の形に変わる場所」とでも言えば良いのだろうか。面倒くさいが約束してしまった以上は、書きなおすしかないが…。憂鬱でもある。
 もっとも私も1年前は「適当なディレクトリにファイルをコピーして云々」という文章を読んで「ディレクトリってなに?」「ファイルのコピーってどうやるんだ?」とか思いつつ一生懸命調べたり、同人ソフトに「JPEGローダーが必要」と書いてあるのを見て「じぇーぴーいーじーローダーってなに?うちのPCで大丈夫なのかな?(ドキドキ)」などということをやっていた訳だし、笑ってはいけないのだろうが…。

2000HIT gigaさん。申告ありがとうございます。


99/9/2(木)

 エンターティメントに関する個人的見解〜さる方へのレス

 もともと特殊な意味(一般的な意味とは少しずれてる)で使ってるので説明が大変。(^-^;
 私の言う「エンターティメント」っていうのは教育的(説教)意図で作られた創作作品の反対語、という意味合いもあります。この辺りは完全に私見ですけど、創作物は美しくあること(受け手にとって快いこと)が第一条件であるべきというのが私の持論で、教育的目的だとかで創作をするべきではないと思っています。この理論ゆえ、私は庵野秀明氏や田中芳樹氏のクリエイターとしての能力を非常に高く評価する一方で、彼らの創作の在り方には反対です。
 ゲームに関して言えば、ゲームはプレイヤーを楽しませるためにあるべきだと考えます。だから、不必要と思われるまでに難しいミニゲームがついたRPGや理不尽な選択肢を持つAVGなんかもゲームの存在目的には反するのではないかと思います。

 ここまで書いた上で話を戻せば、つまり、ゲームというメディアがプレイヤーに娯楽を提供するものである以上、プレイヤーとしては作り手を信頼して、作り手が与えてくれるものを素直に受け取ろうとするのが礼儀なんじゃないかな、と思うんです。知恵比べをすることを、(少なくとも良心的な)手品師は望んではいないはずで、だとしたら、タネを暴こうとする姿勢は私にはやっぱり受け入れられないのです。

 暴くことに充実を見出す人もいるかもしれませんが、(実際、ネット上には、作品の欠点を指摘することが洞察力の証だと思ってるような人がいますし)いずれにしても私とは違う人種らしいですし、不毛な議論なんかしたくないので、まぁ、お互いの領分で、近づかずにそれぞれ楽しくやってればそれでいいかな、と。

 「MOON.談義」の悪例を持つ私が言っても説得力を欠くかもですが…。(^-^ゞ
 ただ、源内語録には「語らずにはいられなかった」意志のようなものは感じられませんでした。だとすれば、それは知的な遊びとでもいうべきもので、その遊びのネタにKanonが用いられるのが、私には納得できなかったんです。少々辛辣に「解剖」という言葉を用いたのは、だからです。

 最後に、特にこの意見に納得して貰う必要はないと思っています。それぞれが自分の意見を大切にしてくれれば、それで良いので。

1800HIT & 1900HIT 葉月さん。いつも書きこみありがとうございます。


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