■日記、あるいは雑記■


過去
【1999年】
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【2000年】 1月2月3月/4月/5月/6月

文責 しのぶdie_zauberflote@lycos.ne.jp


2000/4/27 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#27

 会社帰り、空を見たら、今まで見たこともないような大きな虹(副虹つき)が出ていた。多分、雨が降っているにも関わらず太陽も出ているという珍しい状況だったからだろう。帰りはずっと、空を見ながら歩いた。

■ぴたテン【1】(コゲとんぼ/メディアワークス)

 表紙の絵を見れば一目瞭然、あのデ・ジ・キャラットのキャラクターデザインをした方のオリジナル作品。ヒネクレ者の私は、絵の可愛い漫画、というかいかにも中高生受けしそうな絵の漫画には警戒してしまう性質で、本を見た瞬間、買ったら負けだ、なんて思ったのだけど、結局誘惑に負けて購入。(弱)

 感想。とりあえず値段分は十ニ分に取れた。ていうか、素直に買って良かったと思える。
 絵の可愛さに目が行きがちだけど、それよりも物語全体の雰囲気がなんか優しくて、読んでいてとっても心地良い。話の作り方は随分違うけど、要所々々の優しい雰囲気は都築作品をすら思わせる。内容は、いわゆる「おしかけ女房パターン」なんだけど、某星アニメとか某女神漫画とかと違って、主人公の男の子はクールで格好良くてちょっと影があるようなタイプ、ヒロインは一見無邪気なガキタイプなんだけど実は健気で優しい子。この辺りも新鮮。主観評価で80点。

 …この作者さんって男性だろうか、女性だろうか? 仮に女性だったとしても頷ける気がする。

■っポイ! (LaLa 6月号(白泉社))〜ネタバレ〜

 正さん(お父さん)のベッドの中になつめ君が忍び込んでくるシーンでの正さんの対応は、なんかとっても微笑ましい。女性にとっての、「理想の男性像」が垣間見える気がして。
 この種のシチュエーションというのは、私の知っているだけでも、例えば、、、

 「レティシアじゃないとダメなんだ…」(デアボリカ)
 「響じゃないとダメなんだ…」(瞳・元気)
 「鈴鹿じゃないとダメなんだ…」(忍法乱れからくり)

 とかがある(えっちシーンばかりなのがアレだが)のだけど、ちょっと思い出してみると、これらを書いているのはすべて女性作家なのである。男性作家の作品で、男キャラにこういう台詞を言わせているものを私は見た記憶がない。というか自分自身について考えてみても、こういう台詞が男の口からは出てこないだろうことは容易に想像できる。逆に言えば、こういう台詞は女性でなければ出てこないのだ。これっぽっちの例で「女性の理想」なん言うのも早計といえば早計だが、ただ、的外れという訳でもないのではないかという気は、やっぱりする。

 余談だけど、『Kanon』の秋子さんのモデルが実は『っポイ』の昭さんだったりしたら、なんとなく嬉しい気がする。昭さんは、母親の究極の理想像だし。


2000/4/25 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#25

■2ch  

 匿名を盾にした中傷だらけのBBSなのに、気がつくと読みふけってたりする自分がちょっと嫌。
 それはともかく、2chのleaf/key_BBSを読んでたら、私が4/13の日記を書く切っ掛けになった人のことが載ってて驚いた。意外に有名だったのね。まぁあれだけ暴言を吐いていれば注目されてても不思議はないのだろうけど…。

 余談だが、2chといえども、とらハやメモルのスレッドは割と雰囲気が良かったりして、微笑ましいやらホッとするやら。特にメモルは、星の王子さま(小説)と並んで私の聖書なので、スレッドが上がったのを知った時は正直ビビッたのだけど。

 上記の某氏の日記に関連したことで。
 余所のBBSへムービーの感想を書き込むと、かなりの確率で「それほどたいしたものじゃないです」みたいなことを言われるのだけど、私はこれがどうも馴染めない。謙遜で言っているのは判るが、「たいしたものじゃない」と作者自らに言われてしまったら、そのムービーを見て感動してしまった私の気持ちはどこへ行けば良いんだろう、と思う。

■破綻の上に破綻を積み重ねたメイドさん考察(爆)

 Striderさん家のBBSで「メイドさんの理想は、家事全般そつなくこなせて尚且つ天然ボケ」と書いたら、「破綻してる」とつっこまれる(笑)。私的には、破綻してるのを承知しつつも追い求めずにいられない、というところなのだけど。

 18禁漫画におけるメイドさんといえば大抵ドジと相場が決まっているが、しかしメイドさんという職業にとってドジであるというのは本来は致命的であるはずというか、「どんくさいメイドさん」という言葉自体がすでに矛盾しているように思えてならない。まぁ、ドジ→失敗→お仕置き、という図式はその手の漫画の基本だろうし、お仕置きに異を唱える気は毛頭ないが、ただ、もしメイドさんが身近にいた場合を想像してみた場合、最初のうちはお仕置きのバリエーションを色々試すのが楽しいだろうとしても、いずれは飽きる気がする。お仕置きが楽しい間は、失敗するのをみるたびに内心でほくそ笑むだろうけど、飽きた後では失敗するのを見るたびにゲンナリさせられるだろう。私たちはメイドさんの実物を知らないから浪漫だなんて言っていられるのだけど、実際にメイドさんがいたら、いつかはメイドさんがいる日常に慣れてしまうであろうことは想像に難くない。その時のことまで考えると、やっぱりメイドさんは有能な方が良いと思うのだ。

 天然ボケは、私的には「なごみ要素」的に基本だと思う。なんというか、ただ家事をそつなくこなすだけの家政婦さんとは絶対に違う要素というか、メイドさんのアイデンティティーはやはり「一緒にいて安らぐ」というところにある(異論は却下)ので、その意味で天然ボケは必須だと思うのである。

 うーん。書いてて思ったのだけど、私はマルチを擁護していることになるんだろうか。ただ、マルチは多分人間に絶対逆らわないゆえに、いつかはマルチの従順さが癇に障る日が来るような気がしていて、それゆえ私はマルチより、より自己主張の強いななこ(RISE)の方が好きなんだけども。


2000/4/24 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#24

■アトラク=ナクア、ていうか愛しの燐せんぱい 〜ちょいネタバレ〜

 検索【goo】で『八神燐』と入れたら出てきたページ

 終盤にしか出てこない分、死ぬほど活躍するし、しかも救われる、おいしい役。

 うーむ、そういう解釈もあるのかー。私としては、出番が多いといってもあれは燐せんぱいの意志ではないんでむしろ痛々しいんだけどな。アトラクは名作だけど、唯一納得できないのは燐せんぱいの扱いが良くないってことなんだよね。いや、感情論なのは判ってるんだけど。しかし燐せんぱいって、初音に命を狙われ銀に操られてしまう救われなさ、悲劇性を際立たせるために、ああいう性格に設定されてるんだろうな…。その意味では誰かが言ってた『狙ったキャラ』という意見も当っていると言えなくもない。少なくとも私はクリティカルヒットを食らったし。

 余談だが、この神聖はるさめ王国のゲームレビューは面白い。特にとらハシリーズのキャラ別レビューは共感することしばしばで、読んでいて嬉しくなってしまう。例えば、、、

 知れば知るほどかわいくなってくるスルメのようなキャラ。(唯子)

 なんて、まさしく!という感じ。

■うちのホームページデザインのコンセプト

 前述のサイト内にこんなようなコンテンツがあったので、便乗して私も試しに書いてみたり。

・軽いこと(アナログ回線でも快適に閲覧できること)
・視覚的に極力シンプルであり、背景は(好み的に)白が望ましい
・各コンテンツの入り口が一目で判ること(変に凝った名前をつけない/入り口が見つけづらいのは却下)
・階層をやたらに増やさず、メインコンテンツでも1〜2クリックで到達できること
・BBSへはブラウザをスクロールさせなくても入れること
・BBSへは1クリックで入れること(直リンク防止)
・BBS_infomationは置かない(どうせマナー違反するような人は読まないし、判ってる人なら必要なし)
・BBSは話題を限定しない(ネタバレも可、ていうかうちではむしろ推奨)
・上記に関連したことで、BBSは1個しか置かない(BBSは、話題対話題より人対人が望ましいので)
・リンクページも軽さ優先のため、バナーを置かない(バナーが表示されるのをじっと待つのは嫌なので)
・リンクページはジャンル分けしない(『お薦め』ジャンル以外はお薦めでないなんてことはないので)
・フレームは画面が狭く見えるので使わない(うちは15inchモニター/800×600なので尚更)
・いわゆる『自己紹介』は置かない(私のことは日記やBBSを読んでいれば自ずと判るはずなので)
・いわゆる『メモリアルヒットコーナー』は置かない(いまいち意図が不明なので)

注、
これは自分に対するこだわりなので、この基準を持って余所様のサイトを判断したりはしません。
当たり前だけど、一応念のため。

■小さな花物語(立原えりか/講談社)

 季節の花々をテーマにした短編集。立原えりかさんほどの人であっても、沢山の物語を書く中では、時には教訓めいた話を書いてしまうことがあるのだな、なんて思った。物語は純粋にひとつの世界を描写している場合にのみ、面白い。そこに作者の意見や主張が見えてしまうと、物語世界は途端に精彩を失う。前者では、本から物語世界の空気の暖かさや冷たさを感じられるが、後者では黒い活字によって作られた無味乾燥な世界があるばかり。まぁ立原さんのは寓話的な話であってもそこまで酷くはないけど。


2000/4/23 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#23

 昨日のHN問題に関するリンクが間違っていたので修正。私の日記ってケアレスミスが多すぎる。今後は、リンクを貼ったらすべて自分で確認を取るようにしないとダメだ。

■怒首領蜂

 1回目、1−2で494HIT(現役時代通じての自己ベスト)達成&1−4の全繋ぎ(688HIT)が決まり、4クリ時7100万を出すが、その後ボロボロで2.3億。その後3回ほど捨てゲーをやって、5回目。1−2、1−3でタコミスをかまして、捨てゲー確定だなと思いつつプレイ続行したら、1−5で837HIT(現役時代通じての自己ベスト、冒頭15HITをミスってるので理論上は852HITが可能か)1−6で660HITと繋がり、ノーミスノーボムのまま、2−2ボス手前まで到達。この時点で約1.7億。2−2ボスをノーボムで葬った後、2−3道中ボス共にノーミスノーボム、2−4道中も全繋ぎが決まる。最終的に2−6ボス残りゲージ1mmで死亡。2.95億。1−2、1−3、2−2でタコミスしなければ、ノーボムマキシマム×12で3.4〜5億ぐらい行ってたはず。理論上は、完璧に繋がれば4億前後まで伸びるだろうか。

■とらいあんぐるハート

 久々にインストールして、さくらシナリオプレイ。こう言ってはなんだが、終盤の真一郎と唯子のやり取りが一番泣けた。いや、元々さくらシナリオを選んだ理由の半分は、この場面を見ることにあったのだけど。唯子って可愛いよねぇ。


2000/4/22 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#22

 IMEに莫迦な変換をされると無性に腹が立つのだけど、なんとかならないものなんだろうか。幾らなんでもさっき変換したばかりの言葉を次は別の漢字に変換するってのは頭が悪すぎというか、嫌がらせとしか思えない。

 起き抜けに、訳も判らず強い孤独感を感じる時がたまにあるのだけど、今日はそんな日だった。起きてからしばらく何も手につかず、3時間ぐらいぼけーっと過ごした。

■蜂

 2時間ほどプレイ。3回やって3回とも、1−3でタコ死に。針弾で稼ぐの止めたほうがいいだろうか。部分的には1−5で831HITとか、2−5道中をノーミスノーボム突破とかできてるんだけど、つまらない場所でミス連発して全然ダメ。今日は集中力低下が著しい。

■ハンドルネーム

 いくつかのweb日記で話題になってるこれ
 私はなにかのコメントをできるような専門知識は持ち合わせていないのだけど、なんとなく納得いかない。

 私のHNの由来は、某女優の大竹さんでも、某うる☆の三宅さんでも、某らぶひなの前原さんでもなくて、幽遊白書の七重人格者なんだけど、それにしても“しのぶ”なんてHNは珍しいものではない。私はだから、余所の掲示板に書き込む時には、よっぽどのことがない限り、メールアドレスを記入することにしている。“しのぶ”なんてHNはネット上に幾らでもあるだろうが、“yukio-m@sunfield.ne.jp”というメールアドレスは世界にひとつしかないのだから、それによって他の“しのぶさん”と区別ができるだろうと考えるからだ。(メアドまで悪用されたらアウトだけど)

 それにしても、今回のはHN重複の問題とは違うのだし、『私は、ネット上の活動において、○○○以外のHNは使いません』みたいに自分のサイト内に明記するとかじゃダメなんかなーと思わないでもない。そもそも作品名をHNに使ったぐらいで、その書き込みが作者本人だなんて呑気なことを思う人がいるのかどうかも疑問だし。

■愛姉妹

 ちまちまと進行中。新たに、1d、2、3の3つのエンディングを見る。こう言って良いものかどうかと思うけど、本当に面白い。やってることは脅迫して陵辱、なんだけど、嫌がりつつも体は…という人生舐めてるような展開なので、却って一時の娯楽として気軽に楽しめるのである。最近のゲームだと『姉妹いじり』がこれに近いだろうか。

■魁!! 男塾(文庫版)5巻、6巻

 中学生の頃は気がつかなかったけど、今読むとなんか無茶苦茶。
 三人以上乗ると崩れ落ちる梯子って上でジャンプしたり棒に掴まってぐるぐるしたりすればかなりの力が加わると思うんだけどとか、一面炎の海を泳ぐ虎丸って何物?とか、血の霧を使ってブーメランを見切る月光って元々盲目なんでしょうがとか、桃ってばハチマキを解く暇があったら手刀ぐらい普通に避けられるでしょうがとか、まーツッコミ甲斐があること。(笑)


2000/4/20 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#20

■ガク…

 またまた日記のリンク切れが発見されたのでサクッと修正。俺って………。

■とらハ

 雪駄さんに紹介して頂いた(貴重な情報、ありがとうございます)エンサイクロペディア・とらいあんぐるハートを読んでから、私内部でとらハブームが再来しつつある今日この頃。これだからネットはあなどれない。(笑)
 
・最高の刑罰<丸一日、何をするにも仲間はずれ>

とかの項目を読んでいると、唯子の「あぅぅ〜」が無意識に頭の中に響いてきて、すげー懐かしい。シリアスな場面なのにシリアスになりきれない、というのは都築作品の魅力のひとつだと思うのだけど、こういうちょっとした場面を思い出すだけでも、とらハって本当に良いゲームだったんだなーとしみじみ思ってしまう。
 都築キャラの魅力って、『好きな人の前では徹底的に無防備』っていうところにあるんじゃないだろうか。

 平日は仕事が忙しいのでアレだが、とりあえず週末はさくらといちゃいちゃすることに大決定。(爆)


2000/4/17 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#17

■お留守番とか

 今日は有給休暇だったのだけど、ちょっと訳があって人を待たなくてはならなかったので、午前10時に起きてから夕方まで、ひたすら部屋の中でごろごろしていた。もっとも時間潰しなんていう勿体無いことは当然しない。『サンテクジュペリの言葉』(弥生書房)と『しあわせな森へ』(立原えりか/講談社)の2冊を読み、途中ちょっとだけ昼寝をしてから、金子みすず全集・2巻を少しだけ読み、その後、ONE/Kanon考察系リンクを起点にネット上をぐるぐるして、雫・痕/用語辞典を読んだり、ここのエッセイに爆笑したりと、活字三昧で過ごす。

アトラク=ナクア(Alicesoft

 ネット上で高い評価を受けていることに興味を持ってアリスユーザークラブの通販で購入したにも関わらず、なんとなく食指が動かなくて1年以上も放ったらかしにしてきたのだが、今日、ようやくプレイ。
 ファーストプレイは、4章〜カナコ〜までで終わってしまって、正直、こんな程度か?とやや失望ぎみだったのだが、セカンドプレイで更に先の章があることを知り、終盤はもう恐ろしい程引き込まれた。なるほど、確かに名作として語り称されるだけのことはある。これほどの作品をやらずに眠らせてたなんて我ながら阿呆な話だと思う。
 この物語の人物たちの立場には、善も悪も、正も誤もない。ただ、愚かな人間〜その愚かさゆえに愛すべき人間〜をひたすら赤裸々に描写して、それが結果として美しい光を放つようになった作品。
 初音や銀は、人間の到底及ばない生命力と強さを持っている存在であるにも関わらず、この物語においては自分の生をどう扱ってよいか知らない“途方に暮れた者”である。奏子は無力な高校生に過ぎないが、彼女の一途な想いは、この途方に暮れた孤独な者たちに弄ばれる世界の中でひきとわ美しく輝く。初音は、奏子の腕の中で死んでいく。自分より遥かにちっぽけな存在であるはずの奏子に、初音は最後に救われることになる。この光と闇との対照の妙。
 多分こういう作品に出会いたくて、私はゲーム遍歴をやっているのだ、なんてことを思う。

追記、
あと、このゲームではセックスシーンの絵に、明らかな書き分けが見られるのも興味深い。セックスシーンのCGの美しさに見惚れてしまったことなんて今までにあっただろうか、私にはちょっと記憶にない。

■怒首領蜂

 2−6ボスまでで2.5億。3億点はもはや夢ではなく、単に道の向こうにある現実。


2000/4/15 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#15

■綿棒

 綿棒プレイなんてゆー脳みそ腐ったことを考えてるのは私ぐらいかと思ってたら…。いやはや、ネットの世界ってホント、広いのねー。(苦笑)
 もっともこのネタって昔、どっかのえっち系漫画であったので知ってる人は知ってるんだろうけど。

■床屋

 床屋に行って順番待ちをしていると突然子供の泣き声。不快指数増大。一瞬、このまま店を出ようかと思ったけど、なんとか踏みとどまる。もちろん、彼にしたところ、私たち大人には判らない地獄があって泣き叫んでるんだろうけど迷惑この上ないことには変わりない。ただ、ひとつだけ良かったのは、母親(多分)が子供を叱らなかったこと。たまに、子供に対してヒステリーじみた叱り方をする親を見ることがあるが、あれは子供の迷惑以上に、傍で見ていて見苦しいものだ。

■ロ...

 ちょっと機会があって『ロリータ・シンドローム』(※)をプレイ。1部屋目、いきなり女の子死亡でバッドエンド。今だったら間違いなく発禁だよなーなんて思いつつ、何回か繰り返しプレイ。2部屋目であっさり詰まったので、BASICで書かれているのをいいことにプログラムを強制中断して、run命令を使って行番号3500から実行してオールクリア。
 それにしても。天使たちの午後をやった時もそうだったが、ガキの頃は綺麗だと思っていたCGも、今見るとはっきり言って悲惨である。昔のゲームをやるにつけ、思い出はそっとしておいた方が良いのかもしれない、と思わずにいられない。

※15年ぐらい前、まだ記録メディアがカセットテープだった頃のエロゲ

■怒首領蜂

 早売りジャンプを買いに行くついでにゲーセンへ。3時間ほど粘ってようやく、残0ボム2で火蜂到達。スコアは2.35億。


2000/4/13 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#13

■溜息

 ちょっと気になって調べてみたら、日記の日付につけられたURLが間違っていることが判明。
 htmlファイル名は『diary-2000-04.htm』なのに、日付の下のURLは『diary-2000-4.htm』になっている。我ながらあまりの間抜け振りに落ち込みたくなるが、落ち込んでも埒があかないのでさっさと修正。

 ちょっと思い出したことがあるので、落ち込みとかに関してついでに少し。web日記とかで自分の無力さを延々と書いてたりするような人をたまに見るのだけど、こういうのを見るたびに私は、なんだかなーと思ってしまう。自分の能力に落ち込むなんてことは、多少とも真面目に生きている人だったら誰だって経験することだし、それを文章にすることが悪いとも別段思わない。私も、10代〜20代頭ぐらいの頃までは日記に自分の不甲斐なさを呪うようなことばっかり書いていたものだ。しかし今だから言えることだが、落ち込むのは良いとしても、落ち込むことに安住してはいけないと思う。私が「エヴァンゲリオン」を一級の娯楽だと考えつつもやっぱり受け入れられないのは、庵野氏が、自分を無力だと言って自分自身を傷つけることに快感を見出しているように思えてならないからだ。
 “苦悩と自己憐憫は違う”これは滝廉太郎の半生を描いた映画、『わが愛の詩』のなかに出てくる台詞だが、私はこの台詞がいまだに忘れられない。当時の私は、こう言われてみるまで、苦悩と自己憐憫との違いなんて考えたこともなかった。悩むのは苦しいものだ。しかし人間の順応性は悩みさえ慣れさせる。悩んでばかりいる人間はいつかは悩むことに慣れ、悩みの中に救いを見出すようになり、挙句の果て、悩むことにプライドを見出すようにさえなる。これは、かつて私もそういう段階にあったことがあるから、言えることだ。
 いつ気がついたのだったか忘れてしまったが、結局、悩みが何を生み出すだろう、と今は思う。自分の無力に落ち込む暇があったら、1歩でも前に進む努力をするべきなんじゃないだろうか、とも思う。ピアノが弾けるようになりたかったら1時間でも多く練習すること、小説が書けるようになりたかったら日記なんて書くのを止めて、小説を実際に書くこと、人間関係が巧くいかないのだったら、より積極的に人間の輪の中に飛び込むこと。それは悩むよりもずっとずっとエネルギーが要ることだ。ピアノの練習をするよりピアノの弾き方の本を読む方が、小説を書くよりも文章の書き方について書かれた本を読む方が、人付き合いをするよりも人付き合いの仕方について書かれた本を読む方が、ずっと楽だし、何もせずに悩むのはもっと楽だ。少なくとも前に進む努力に比べたら。
 私は、今は昔ほどは悩まない。悩みの質量が昔に比べて減ったなんてことはないが、悩んでる暇なんてない、と思っているから悩みの中にどっぷりと浸かったりなんてことはしない。悩みに身を委ねる快感を知っているから、というのもあるし。

 もっとも私にしてみたところで、そういう経験をくぐり抜けて今に至っているのだから、そういう時期にあることが悪いとは全然思わないけど。ただ、そういう段階にいる人とはあまりお近づきになりたくないよなーとは思う。自分の20歳頃のことを思い出してみても、そういう段階の人は自分の悩みを世界の中心に置いて、他人を傷つけることなんてなんとも思わない残酷さを持っているから…。

■読書

 なんとなくゲームもネットサーフもする気が起きなかったので読書をしてみたり。

 …今書いてて思ったけど、『読書をする』なんて表現をする辺りが、自分の本離れを露骨に表わしているようでなんか嫌。『昨日○○(←番組名)観た?』という質問が出ることがあっても『昨日テレビ観た?』という質問が出ることがありえないのと同じく、読書が日常化している人の日記なら『読書』なんて言葉は使わず、『○○(←タイトル)読了』等の書き方をされるはずなのに。

 まぁともかく、久しぶりに読書。
 『木馬がのった白い船』(立原えりか)
 私の好きな作家を5人しか挙げないとしてもまず外せない人のひとり。もっとも私の好きな5人というのは不動メンバーなので本来こんな書き方では意味がないのだけど。(苦笑)

 んで。久しぶりに、心が洗われる心地がした。それと共に、まだ立原えりかさんの童話を読む資格が残っていたことにホッとした。立原えりかさんの童話を読んで泣けなくなったら私も終わりだな、なんて思うので。


2000/4/12 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#12

■睡眠

 最近寝つきが悪い。
 日曜日2時間、月曜日5時間、火曜日3時間で3日間での睡眠時間はトータル10時間。さすがに今日の昼間はへろへろだったが、会社から帰って歯だけ磨いてすぐに布団に入ったものの、結局7時間弱ぐらいで目が醒めてしまった。特にストレスとかがある訳でもない(つもり)のだけど。

■テレテレ(by安奈)

 共感ですかー。(*^-^*
 う〜みゅ、共感される程のことを書いた記憶が…(苦笑)
 昨日のフォークソングに関する記述でしょうか?

■フォークソング(リューノス

 美夏&陽太シナリオをぐるぐるした後、未見CGの確認のため、オフィシャルアートワークスを開封。
 メインキャラのCGはほぼすべて埋まっていたが、俺的最重要ポイントであるところの“三人の体操服CG”を取りこぼしていたことが判明。即回収。歩のブルマがカットされてるのが残念でならないが………。
 それと、ムックを見るまで存在すら知らなかった律子さん関係のイベントも再プレイにて確認。私は歩萌えだったはずなのだが、律子さんにクラクラ来ててちょっとヤバメ。(爆)

 ひととおりプレイしてみて、私が一番惹かれたのは、お花見で美夏が陽太に後ろから抱きつくCG。終末の過ごし方も含めて、小池さんの絵はどれも構図のセンスが絶妙なのだが、その中でもこのCGは、構図のセンスに加えて、美夏の体のラインが妙にリアル(変な意味ではなく)なのがすごく良い。次点で、桜の下で振り返る美夏、三人でお布団、転ぶ歩、多枝と藤矢のキスシーン、といった辺りか。

■Lien〜おわらないきみのうた〜(purple

 最近は車の中でLienのおまけCDをエンドレスで流しているのだけど、何十回聴いてもトラック4以降が馴染めない。青葉が熱唱していると思えば聴けないこともないが、いずれにしても(以下略)。


2000/4/11 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#11

■フォークソング(リューノス

 それは遠い日の記憶。でも、あの午後の陽射しは、今もわたしを暖めてくれる...(『Papa told me』 より)

 眠気と戦いつつ、夏美&陽太シナリオ1回だけプレイ。桜の下でふりかえる夏美のCGの余りの美しさに、我を忘れて泣きそうになってしまった。別に悲しいシーンではないのだけど、なにかこう無性に懐かしい心地がするのである。小池さんの絵は、いやおうなく郷愁を誘う。この絵の色使い、この絵の色は現実(=私たちの目に見える世界)に存在する色ではない。しかしそれにも関わらず、私たちは、こういう色が確かに存在することを知っている。私たちが持っている“思い出の風景”の中に存在することを知っている。

 フォークソングという作品は、すべてが夢の中の出来事のように語られる。現実的でないというのとは違うが、なにか輪郭がぼやけた世界、という感じがする。この物語の中で語られているのは、ちっぽけな田舎での、ちっぽけな恋物語に過ぎない。しかし、輪郭のはっきりしないちっぽけな物語であるがゆえに、私はこの物語から、目の眩むような普遍性を感じない訳にはいかない。『どこにでもあるような物語』だからこそ、フォークソングの世界は私たちの“思い出”の風景と奇妙にオーバーラップし、私たちに、郷愁の念を、強烈に感じさすのである。

 私はたまに、『自分の生は、忘れられた無数の恋物語の上に存在するのだ』なんて考えることがある。フォークソングは、多分、そういった忘れられる運命にある恋物語のひとつなのだと思う。フォークソングの小さな恋物語の向こうには、膨大な数の、忘れられた恋物語が見える気がする。個人的に、大袈裟な言い回しは常々警戒しているつもりなのだが、それでも、『フォークソングは、忘れられた恋物語の代表として存在しているのだ』という考えに身を委ねたいという誘惑に、私は抗し切れない。


2000/4/9 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#9

■怒首領蜂

 順調にリハビリ中。2時間ほど粘って、ようやく2億突破。(約23200万/2−5)
 内容的にも、

 1−2 491HIT
 1−4 591HIT
 1−5 830HIT
 1−6 674HIT
 2−2 481HIT
 2−4 681HIT

 と、まずまずのプレイ。1周クリア時14500万だったが、1−3ボスでタコミスしなければあと1000万以上は伸びていたはず。目下のところ、課題は1−4の前半約90HITの部分の繋ぎ方。現役時代はなんなく繋いでいたのだが、今は完全に忘れてしまって繋がる気がしない。ここをきっちり決めてノーミスノーボムなら1周1.7億オーバーは固いのだが。

■フォークソング

 この週末2日間で、透&志帆シナリオをひたすらぐるぐる。相変わらず小池さんの絵は素晴らしい。魔法使いなんじゃないかとか言いたくなってしまう。

 このシナリオって透と志帆のえっちシーンがなんだか唐突というか…いつのまにそんな関係になったんですか?と言いたい気が。私の読みが甘いのかしらん?

 久志が志帆を襲ってしまうシーンは、なんだか妙にリアルだった。肯定であれ否定であれ、はっきりした意志表示をして欲しくて強行手段を取ってしまう彼の気持ちは共感…というのはちょっと違うかもしれないが、よく判る。


2000/4/8 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#8

■そういえば、、、

 今日(4月8日)で、インターネット環境を手に入れてちょうど2年。そんなに経ったっけかなーという感じはするが…。
 2年前、ネット環境を手に入れて最初の数日は、まだ勝手が判らなかったので〜検索なんて言葉すら知らなかった〜面白いサイトとかを見つけられず、「インターネットってハマルほど面白い代物じゃないよなー」なんて、いくらか落胆気味に思っていたものだった。
 しかしハマルのは早かった。たまたま持っていたごとP氏の同人CDに記載してあったURLを打ち込み、そこで『浴衣なこるる(&りむるる)』を見て、一瞬で堕ちた。「インターネットって素晴らしい…」と本気で思った。(笑)
 その日は徹夜で、同サイトのリンクをひたすら辿って、色々なCGを集めまくったのは言うまでもない…。

 ついでに書いておけば、この当時はまだBBSとかには全然興味を示さなかった。

■怒首領蜂

 今日もリハビリ。ようやく目が慣れてきたようで、2−5で770HIT(後半の青い中型戦車地帯でミス)まで粘れるようになった。ただし、スコアはヘボヘボ。繋がれば3億ぐらい行きそうだが、タコミスを減らすレベルまで持っていくとなると、まだまだかなりのやり込みが必要だろう。

■愛姉妹

 試しに1回プレイ。内容的には“愛姉妹”というより“哀姉妹”というタイトルの方が相応しいような気もする。割と簡単に堕ちてしまう(従順になってしまう)のはなんか肩透かしという気がしたが、えっちシーンが俺好みなので○。
 ただ、コマンド総当り?系のシステムは今やると、はっきり言って面倒くさい。昔はアリスソフトのDPSシリーズなんて大好きだったのだけど、今だったら多分面倒という気持ちが先に立ってできないだろうなーなんて思う…なんて書いてたら、加藤舞子(DPS_1)のシナリオをまだプレイしていなかったことに気がついた。あとでやらねば。(ォ


2000/4/7 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#7

 仕事が充実している気がする今日この頃。ただしプライベートは…。(涙)

■メモ帳

 メモ帳の切れ端〜毎日、会社で思いついたネタなどをメモしてるのだ〜に一言『ブラッシング』とだけ書いてあるのだが、なんのことだか判らない。なにをブラッシングするつもりだったのだろう?(苦笑)
 この手のネタはエロゲから人生問題まで多岐に渡るので、万一落として他人に拾われても、私以外には意味不明になるように、メモはキーワード以上のものは書かないようにしていたのだが、それゆえ、偶にこういうことがあったりする。
 まさか『ブラッシング』のキーワードが哲学の発端になるとも思えないが気にはなる…。

■ログ取り

 水瀬家の食卓のログ取り(3月後半)をする。編集して1つのhtmlファイルにまとめて、109KB。とりあえず100KBは超えたので良かった。あまり多すぎるのも考え物だが、100KBを割ってしまうとそれはそれで悲しいし。

■アルカディア(vol.3 P.198)を読んで

 3年前、怒首領蜂にハマりだした頃に私が通っていたゲーセンは、いわゆるメーカー直営店だったのだが、この手のゲーセンの多くがそうであるように、この店もメンテナンスとかいう単語とは無縁の店だった。その店の筐体はレバーが異常に柔らかかったし、ボタンも連射が付いていないという始末だった。しかし、当時の私はまだ無知だったので、そのことに特に疑問を感じるでもなく、毎日練習に励んでいた。

 ところが。ある日たまたま別のゲーセンに遊びに行く機会があって、初めて別の店で怒首領蜂をやったのだが、ワンプレイしてみて、私はすごく驚いた。C(連射)ボタンが付いていると右手のムダな動きがなくなるので、その分集中して弾避けに専念できるし、なによりレバーがものすごく扱いやすかった。当時、私は友人に向かって『このレバーでやるとシンクロ率が高い』と表現したものだが、これは比喩ではなくて事実だった。先のふにゃふにゃレバーの店では、軽くコツンと動かしただけでも半キャラぐらい平気で動いてしまい、微調整がほとんど不可能だったのだが、別の店ではそんなことはなくて、軽く動かせば動かしただけ「しか」動かないように、レバーが〜多分ハードウェアレベルで〜調整されていた。

 この差は大きい。微調整が効くということは自分の思うままに自機を動かせるということで、特に間隔の狭い弾幕が襲ってきた時の精神的な余裕が全然違う。微調整ができればこそ、どんな弾幕が来ても自信を持って位置合わせができる。そしてその余裕は、パターン構築をより早くもする。

 シューティングは敵弾を避けるゲームだと思われているが、それは実は完全には正しくない。ゲームに限らずどんなジャンルにおいても、やり込んだ人にしか判らない楽しみというものがあるが、シューティングをやり込んだ末にあるのは、むしろ『弾幕を征服する快感』である。しかしこれは、どんな弾幕に対しても自機の移動を正確に行えるということが大前提である。避けられる弾幕なのに位置合わせがピタッと決まらずに死ぬのは悔しいものだ。

 少なくとも本気で巧くなりたかったら、良い筐体のある店を探すことは必須であると言って良い。ついでに言えば、筐体のメンテナンスがしっかりしている店は必ず客が集まってくる。私が1年以上も足繁く通っていたゲーセンは、プレイヤーの質の高さにおいてもそれなりのものだった。(私は自宅から半径30km圏内のゲーセンはほぼすべて把握しているが、その中ではまずトップだろう)良い筐体がある店に、なぜ人が集まるか。これは簡単で、そういう店でゲームをやるのは楽しいからだ。レバーがしっかりしていれば操作がしやすいし、理不尽な死に方をすることもぐっと少なくなる。楽しいから再度プレイしようという気になる。そうして、プレイしているうちにますますハマっていく。

 最初の数回、ゲームをプレイしてみて難しいと感じるか楽しいと感じるか。この差はゲーム自体の質による部分の方が大きいのは言うまでもないが、しかしそのゲームを遊ぶために筐体が最適化されているかどうか、も決してないがしろにはできない。良いゲームであっても、プレイ環境が悪ければ誰も楽しめないのだ。弘法筆を選ばず、という諺は、自分の未熟さを道具のせいと決め付ける輩に対する警句である限りにおいて正しい。しかし弘法といえども、筆が筆として最低限の機能すら満たしていなかったら字は書けない。もし大型のメーカー直営店の筐体状況をゲーム開発者が見たら、きっと嘆くだろう。こんな筐体ではゲームの楽しさが100%発揮されない、と言って。


2000/4/3 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#3

 ブラウザのホームページに設定してある、巡回ルート・リンク集を更新。
 日記系サイトを10箇所追加。現在、少なくとも3日に1度以上の割合で閲覧しているサイトは、自分のところを除いて25箇所。ちなみに全て文章系。興味のない記述は飛ばすので、閲覧に必要な時間は最短で15分ぐらい。もちろん、読みふけってしまう時は1時間ぐらい掛かることもあるけれども。

 ネットって『素人の楽園』だよなーなんてことを偶に考える。インターネット普及以前には、文章なり絵なりを発表する場所なんてごくごく限られていた。雑誌に掲載されるかどうかは編集者の判断ひとつだし、コミケ等において同人誌という形式で発表するにしても、本を作るには何万円というお金が掛かるし、そもそも手にとって貰えなければなにも始まらない。それに比べると、ネット上に絵なり文章なりを発表することは、リスクの度合いが全然違う。ネットでの発表は同人誌と比べれば明らかにローリスクハイリターンである。webスペースは、無料サービスがあるし、テキスト主体のwebページならWindows付属のメモ帳にhtml記述するだけでも十分に立派なサイトができる。ネット環境さえあれば、電話代以外1銭も掛からない手軽さ。もちろん、よく初心者向けのコピーにあるような『世界に向けてあなたの情報を発信できる』というのは単に『可能性』を示唆しているに過ぎないので、自分の書いたものが世界規模で展開されるなんていうのは錯覚にすぎない訳だが。(笑)


2000/4/2 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-04.htm#2

ここ1週間のこと色々。

■価値というもの

 『QOH’99』のマニュアルでは、コピーに関する注意書きで著作権のこととかが書いてなくて、ただ、、、

 ゲームのコピーに関しては各自の価値観(モラルとは違います)に任せます。
 
 とだけ書いてある。モラルや法律ではなく“価値観”。皮肉ではなく、これって巧いなーと思う。つまり、QOHの作者さんはここで、『コピーするということはその作品が貴方にとってその程度のものだと表明することになるのです』と言っているのである。これは抑止力としてこの上なく有効な手段ではないだろうか。こんな風に言われて平気でコピーできる人がいるとは私には考えられない。

 以前、会社での休み時間、同僚の間で『ピアノのある部屋はカッコイイ』なんて話題が出たことがあったのだが、それを聞いていて、私はなんとなく気分が悪くなったものだった。彼らは、ピアノを弾くものではなくてインテリアと考えていて、それが気に入らなかったのである。

 ネット上にも、種類こそ違えどこういうタイプの人は沢山いる。ムービーサイトの掲示板上では「ムービーファイルの容量が○GBいっちゃった」なんて自慢げに言う人(こういうのは無自覚だから性質が悪い)があとを断たないし、ムービーの“コレクション”をしていると公言する人の数もかなりいる。うちのサイトがムービーの一般公開を控えてメールのみで対応していた頃にも、「コレクションしている者です」とか「コレクションに加えさせてください」なんてメールが来たものだが、私はそういうメールは一切無視していた。
 “所有している”ことはなんの自慢にもならない、と私は思う。いや、世間はどうだか知らないが、私はそんなものには価値を置かない。1本のゲームをやり込んだ人を私は尊敬するが、1000本のゲームを持っている人は尊敬できない。前者にとって、その1本のゲームは絶対に代替の許されない自分だけの1本だが、後者にとってゲームは1000本という数を構成する一要素に過ぎず、そこには「個々」という認識がないからだ。あるゲームをやり込んだ人にとって、そのゲームは世界でたったひとつしかないゲームになる。そのゲームを信じて徹底的に付き合った人は、そのゲームとの体験を重ねるほどに、いよいよ抜き差しならない関係を築いていく。人間関係であれ、人と物との関係であれ、このことは変わらない。

 昔、会社の同僚で、30何歳だかでガンで死んだ人がいた。生前、その人はとっても人当たりの良い人で、社内ではびっくりするぐらい顔が広かった。しかしその人が亡くなった後、葬式に行ってみたら意外なほど寂しい葬式だった。彼は、多分、誰とでも上手に付き合うことができたけれども、だからこそ付き合いはいつも浅かったのだろうと思う。(余談だが、ONEのファーストプレイ時、病室でのみさおの描写を読みながら、私はこの人のことを思い出して寒くなったものだった。強すぎる薬のせいでこの人も頭髪が抜け落ちてしまっていて、「直ったらまた生えてくるんだって医者が言ってたよ」と語る彼の笑顔は、目を背けたくなるほど痛々しかった)

 1000本のゲームを持っていても、1000人の知り合いがいても、個々を尊重した関係がないのだったらそれは所有と呼べるのかどうか、私には判りかねる。少なくとも、ゲームは遊ぶためにあるのであって、コレクションするためにあるのではない。

■Lien〜おわらないきみのうた〜

 ジャストのゲームをプレイするのは、そういえば『天使達の午後(初代)』以来13年振りぐらいだなーとか、ふと思う。それはともかく、とりあえずCGは攻略サイトを参照しつつ、おまけ2枚(恭子さん)以外はすべて回収。その他、晶シナリオのノーマルエンディングとかも見てみるが、トゥルーエンドを見た後だと、気持ち的に結構痛い。

■かすみ遊戯

 絵に惹かれつつも地雷の危険を感じて今まで見送っていたのだが、 『Lien〜おわらないきみのうた〜』が個人的メガヒットだったので、同社(purple)のソフトということで購入。
 とりあえず1回通しプレイ。なんていうか、ゲーム性皆無。電脳紙芝居をやってる感覚。はっきり言ってこの内容で定価8800円はコストパフォーマンスが悪いかなという気がする。
 内容的には娼館を舞台にしたAVGで、ヒロインであるかすみとひたすらえっち三昧。それ以外の要素はほぼ皆無。その日のえっちの始めにシチュエーションを選択して、色々なパターンのえっちが楽しめるようにはなっているが、いずれにしてもゲームというよりは電脳紙芝居をやっているようにしか思えない。
 …と書くと否定的に思えるが、実は、個人的には結構当りだったりする。ゲーム開始から最初のえっちシーンまで5分と掛からず、えっちシーンを見るのに手間が一切掛からないというお手軽さは、エロゲとしては合格と言いたい。舞台が娼館なので始終らぶらぶイチャイチャなノリなのもポイント高し。なにより、かすみが可愛い。反則的に可愛い。俺的にこの一点だけでおおるおっけー。こういうお気楽なゲームもたまには良いものです。

■放蕩仙女

 学園ラブコメかと思ってプレイしてみたら、仙人同士の戦いとか話がエスカレートしてきて(以下略)。
 それと、主人公の性格が嫌過ぎ。…ボクには付いていけません。汁ゲーとしてなら、『Fifth』の方が全然良いと思う。多分、意外と知られていないのではないかと思うが、『Fifth』は父×娘ゲーとしてはダメダメでも、汁ゲーとしてはなかなかにハイクオリティ(爆)なのである。

■Aries(サーカス)

 最近発見して密かにお気に入りのここの日記【3/8】を読んでたら、、、

 RISEを作ったクリエイタさんたちが移籍してサーカスってゆーソフトハウス作って、そこから今度アリエスってゆーゲームが出るんですけど、

 …という衝撃の事実が発覚。
#知らなかったの私だけだったら間抜けだなー。

 もしかしてRISE公式サイトの更新が去年の夏頃からストップしてるのは、某T社みたく(ォ)人材がごっそり抜けてしまったからなのだろうか。とりあえずサーカスの公式サイトを覗いてみる。スタッフ紹介とか見るとなるほど、知ってる名前ばかり。(笑)
 あの隠れ名作ゲー、RISEのスタッフが作るゲームならまぁ期待しても大丈夫だろう。ついでに言えば今度こそ実力に見合った評価を受けて欲しいものである。

 …と、ここまで書いた時点でE-LOGIN5月号の付録CDに体験版が入っていたことを思い出したので、試しプレイ。

 うーむ、ゲームの舞台はRISEと同じ綾月市なのかーなんてことはともかく、私内部期待度100%→200%に修正。立ち絵の境界線のギザギザが気になるが、多分製品版では直ってるだろうし、それ以外は文句無し。とらハ的アットホームな雰囲気〜通称 “ほえほえ”(笑)〜がかなり私好み。


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