■日記、あるいは雑記■


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【2000年】 1月2月/3月/4月/5月/6月

文責 しのぶdie_zauberflote@lycos.ne.jp


2000/2/27 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#27

■お星様にお願いっ!2巻 (藤崎真緒/花とゆめ/白泉社)

 はじまって4ページ目にして、既にいちゃいちゃいちゃいちゃ。(笑)
 これだよ、これこそ藤崎先生だよぉっ!と感動。(ォ
 他にも車の中(P.88)とかホテルでの描写とか、身悶えしたくなる恥ずかしさ。

  『やっぱこういうのはじらしてこそ少女漫画の王道というものよっ』

 巻末おまけ漫画のちまの発言より。(笑)
 普通の少女漫画は確かにそうなんだけど、それと比べると藤崎作品って“かゆい所に手が届く”(謎笑)漫画じゃないかなーなんて思う。私的には、だけど。

■ローズガーデン(わかつきめぐみ/KCDX/講談社)

 わかつきめぐみさんの作品には傾向的に「素直」と「いじっぱり」との対照が見られるのだけど、今回はそれが特に極端だなーという印象。というか、今回はバランスがなんかおかしいような気がする。宥和が、緊張を打ち消すほどの効果を出していないというか。
 どちらかというと、ヨツジロさんの方が私好み。無邪気な世界だが、そこには子供特有の残酷さは一切ない。子供には持ち得ない、人間性への信頼を前提にした無邪気さ。

■TEMPEST

 ここからここへ。舞シナリオとの関連とかでなんとなく気になったので、シェイクスピアの“あらし”を再読。結果、討ち死に。(爆)うにゅ〜やっぱりシェイクスピアは難しい…。“十二夜”なんかの場合だと、ストーリー云々以前に、文章を読むこと自体が単純に快感なんだけど、“あらし”は訳判らない。これでもう3回目ぐらいだが、まだまだ“あらし”を味わうレベルには達していないということか。

 “あらし”ついでに色々。“あらし”の原題は“TEMPEST”。テンペストといえば、ベートーヴェンのピアノソナタ作品31-2 のあだ名。この曲は、通称「悲劇の調性」のニ短調。
 このピアノソナタがテンペストという俗称を得たのは、弟子のシントラーにこの曲の性格を質問されたベートーヴェンが「シェイクスピアのテンペストを読め」と答えた、というエピソードが由来になっている。私が“あらし”を読んだのも、元々はそういうことが切っ掛けだった。しかし実のところ、作品31-2のソナタと“あらし”との関係ということなるとどうも私にはよく判らない。“あらし”は喜劇であり、許しの劇であるが、テンペストソナタはむしろ悲劇的な性格の曲である。第一楽章の第一主題の音型はいわゆる「嘆きのモチーフ」と呼ばれるものだし、第三楽章全体を覆う雰囲気も、なにか取り返しのつかないような悲劇、とでも呼びたいようなものだ。
 もし舞シナリオとの関連を考えるなら、私としてはベートーヴェンのテンペストソナタの第三楽章の方が、感覚的にはずっと近いような気がする。偽りの約束に縛られて身動きがとれなくなった人間の悲劇、という性格において、舞シナリオとテンペストソナタは良く似ている。まぁそもそも音楽をそんな風に聴くことが正しいのかどうかという疑問もなくはないのだけど。

 更についでに。ONEのBGMの中に「偽りのテンペスト」という曲があるが、これのカデンツ(終止部)とテンペストソナタの第三楽章のカデンツはそっくりだったりする。ここまで似ていると、まさか偶然ということはないだろう。多分、パロディーだと思われる。

■keyの新作

 前回がKanon(=canon・対位法の一形式)だったことを考えると、「AIR」はやっぱり「G線上のアリア」かしらん? とか思ってしまうが、考えることは皆同じかにゃ〜。(笑)
 さてさて、「G線上のアリア」といえば鎮魂歌(requiem)の性格を持った曲な訳だけど、そうだとすると今回は死の匂いがより濃厚な作品になるのだろうか? んで、人形といえば私的には橘裕の「人形師の夜」。これも「死」と切り離せない作品(ついでに書いておけば名作)である。う〜む、我ながら多数ネタっぽいにゅ〜。(苦笑)


2000/2/21 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#21

 終末の過ごし方レビューを書こうと思ったものの、いまいち頭が活性化しないので、ちと現実逃避(ぉ)に日記書きとか。ま、ONEレビュー約50000bytesを書くのに1ヶ月も掛かってる人なんで、気長に待っててください。>期待してくれてる方

七瀬と茜

 なんとなく『イノックアーデン』(テニスン/入江直祐訳/岩波文庫)を再読。以前、20歳頃だかに読んだ時はそれほどとも思わなかったのだが、今改めて読んでみるとまぁ痛いこと。当時の私は余程ボンクラだったに違いない…。

 さて、村上春樹の『ノルウェイの森』の中にこんな一節がある。

 死は生の対極としてでなく、その一部として存在している

 私はこの言葉の正確な意味を理解できるような経験を持っていないのだけれども、ただ、死は時として生者をも手中に捕らえる、という意味に限定して考えれば、頷ける気はする。ところで、「死」という言葉を「永遠」に置き換えてみたらどうだろう。やはり意味は通じるはずである。
 茜の幼なじみを捕らえた永遠は、同時に茜をも捕らえてしまった。茜シナリオにおいて、あの空き地は永遠の象徴を意味する訳だが、茜は幼なじみの消失をきっかけにして、自らを空き地に縛り付ける。変化(可能性)の拒否、止まった時間の中にいる少女。それが里村茜である。このシナリオでは、浩平は永遠の世界から茜を助け出すのである。
 ところで、実は「永遠に縛られた少女」という言葉から起想されるヒロインはもうひとりいる。七瀬がそうだ。誰でも知っている通り、七瀬は浩平が永遠の世界にいる間?1年に渡って自分の時間を止めてしまう。テキスト中でも「私が一番輝いていたあの頃」というくだりでそれは明示されている。
 さて、ここでちょっとした仮定というか実験を試みてみることにする。もし、浩平を待つ七瀬の前に、別の少年が現れたら。七瀬はどうするだろう。七瀬は浩平が永遠の世界に行ってしまった事を知っているかどうか…それを明示する文章はゲーム中にはないのだけれど、解釈次第では「…あれ?」というあの意味深な台詞は、記憶が薄れ掛けていることを暗示するものかもしれないし、そうだとすれば、ゲーム中では語られていないけれども、七瀬のうちにも、茜と同じような、記憶を繋ぎとめるための戦いがあったのではないかと想像できる。まぁいずれにしても、意識しているといないとに関わらず、七瀬は少年のアプローチを拒否するだろう。しかしもし少年の言動が、奇跡的にも七瀬の心の琴線に触れるようなものであった場合、七瀬のうちでは葛藤が生じるはずである。茜がそうだったように。その結果、少年が勝ったらどうなるか。答えはひとつ、浩平が帰ってくる可能性が失われてしまう、のである。ということは、ひとつの仮定としては、茜の幼なじみは、もしかしたら浩平が存在したことによって、帰還の可能性を失ってしまったのかもしれないのだ。
 こう考えていくと、七瀬シナリオと茜シナリオには関連性を指摘することができる。七瀬シナリオの別の可能性を描いたのが茜シナリオだと見ることもできる訳である。もちろん、このふたつのシナリオはそれぞれ書いた人が違うのだし、この対照は意図的なものではないのだろうが、例え結果的にであっても、永遠というなにか不思議な力に翻弄される少年少女達、の色々なケースを描いたものがONEなのだと捉えてみれば、なかなかに面白いのではないかと思う。

追記。
 ついでに書いておけば、里村茜という少女は、浩平を、ただ孤独に待つことしか出来ないヒロインたちの唯一の理解者になる可能性を持っているという点で、非常に興味深い存在である。

追記2。
 以前、茜の『どこにもいかないですよね…?』は、響子さん(めぞん一刻)の『私より長生きしてください…』と妙に重なるという点で葉月さんと意見が一致したが、考えてみると、茜シナリオとめぞん一刻とは、全編を通じて、呪縛からの解放そして輝く季節へ、というテーマを共有していると見ることもできるのかもしれない。
 ま、個人的には、高橋留美子作品は正直言って好きではないんだけども。


2000/2/20 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#20

■『忘れてしまいたい…』高画質版入手にあやかってということで、

 今まで書かずにいたムービーの感想を、公開メールという形で書かせて頂きます。>DMH17さん
 
 最初に。私はムービーを“集める”性向を持っていないので、最近のムービー界の状況について必ずしも正確な判断はできないのですが、私の知っている限り、現在のところ、ねこみっく氏やEYES氏、それにDMH17さんは、ムービーを作る姿勢とでもいうか、流行に流されることなくオリジナリティーを求めているという点において非常に興味深い存在であると考えています。

 ここまで前置きをした上で、今回のムービーですが、まず“別れ”をテーマに持ってくるという発想が面白いですね。しかも、そのテーマにそって全体が演出されているので、意図も掴みやすい。例えば、浩平の台詞の使い方、モノクロで流れるCG、各ヒロインたちの台詞、どれもが、単なる画面効果としてではなく、物悲しい別れを表現するために適切に用いられていたと思います。
 各パート毎に見た場合、個人的に、一番良く出来ていると感じたのは、2分45秒〜3分02秒の澪パートでした。ここでは浩平の台詞と澪の台詞がしっかり対照してると共に、画面効果が本当に素晴らしくて、初めて見た時から今に至るまで、私のお気に入りのシーンです。特に、澪の正面顔に一瞬キスシーンを重ねて、その後、台詞を出しつつ、カメラを右にずらしていくやり方。ここは(大袈裟ですが)突然霊感を受けたのではないかと思う完璧さです。

 ただ、画面効果に関しては、今回のムービーでは色々と問題もあります。例えば、冒頭の七瀬パートですが、ここはどうも違和感があるというか、忌憚なく言えば、私のゆうひムービーの悪い影響を受けているのかな?という気がして、なにか居心地の悪さを覚えます。また、2分09秒からの繭の表情の切り替えは少々クドイかな、という気がしました。この2箇所は、全体の統一感を損ねているとでもいうか…観る人の没入の妨げになっているのではないかという気がして、残念でした。おそらくこの辺りは、製作段階で迷いがあったのではないかな、と想像されますが、如何でしょう? 更に言えば、迷いがなくなってきた=エンジンが掛かり出したのは、みさきパートの辺りからではないでしょうか?(みさき先輩が振り向くCGに良質ブラーを掛ける場所(1分52秒)は、すごく美しいと思いました)

 しかしいずれにしても全体としては、明確なテーマに沿って演出されていることがあるので、DMH17さんの意図が伝わってくる、切ないムービーとしてはまず成功していると言えると思います。個人的にはかなり痛かったですし。(苦笑)
 以上、簡単ではありますが、インプレッションでした〜。


2000/2/18 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#18

■でじこ

 なんとなく、でじこアニメをまとめて観る。可愛い外見〜私としては萌えるってほどじゃないけど〜とは大違いで性格激悪。あのアニメのせいででじこのファンって減ったんじゃないだろうか?とか思うのだがどうなんだろう。
 どうせなら、アニメでバリバリに(死語)媚び売りまくってグッズで儲ける、ぐらいのことは考えれば良かったのに、なんて思うのは私だけ?

■NHKとか

 NHK受信料の集金が来る。私の部屋はテレビはあるけどアンテナ線を繋いでいない(ほぼゲーム専用だから)ので、見る見ない以前の問題なのだが、口で説明するのも面倒なので、集金の方に部屋に入ってもらって壁の端子?を指差して「こういう訳で見られる環境がそもそもないです」と説明。(笑)一応納得して帰ってくれたが、本当に信じてるかどうかは謎。まぁ実際「テレビ=時間の無駄」な認識の私の部屋の中を捜したってアンテナ線なんか出てこないのだけど。


2000/2/17 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#17

■怒首領蜂

 例によってサターン版で遊んでいたら、B-Lで1-2、502HITを達成。現役当時はC-Sでどう頑張っても491HIT以上いかなくて、撃ち洩らしはないはずなのにどうしてHIT数が上がらないのだろうと思っていたのだが、実はレーザーHITをマメに稼ぐだけでも10HIT程度の差が出てしまうことがようやく判った。アーケード版ですぐに応用する訳には全然いかないが、長年の謎が解けただけでもまずは良し。

#もっとも現状では502HIT以上の稼ぎは判らない。現在現役な方は508HITを出しているらしいのだが…。

■変わりモノ

 ここのゲームレビューを読んでたら、こんなのを発見。ホントにネット上って色々なものがあるよなーとしみじみ。もっとも今までなかったのが不思議なくらいではあるが。
 はてさて果たして、Libidoの開発スタッフは文章高速化ツールというものが出まわっていることを知っているのだろうか、とかもちょっと気になったり。まぁ知ってててもあれは確信犯なのだろうから直す気はないのだろうけど。(笑)

■ときメモ2

 ゲームラボを立ち読みしていたら、ときメモ2のNGワードプロテクトを解除する方法が紹介されていた。NGワードを探す、というレベルなら私も予想はしていたが、ここまでは流石に予想外。私もまだまだ認識が甘いようである。(苦笑)


2000/2/12 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#12

■午後4時起床。

 とりあえず風呂に入って汗を流し、その後食事ついでにお買い物。

■コンプティーク3月号

 今まではセールスのことも考えて“ギャルゲーの皮を被った”ものを作っていたのですが、次は思いっきりやりたい。(麻枝氏)

 うーむ。久弥氏の発言の中にも「シナリオに納得いっていない」とあったけど、言葉通りにとるとすればKanonは色々な意味で妥協の産物だったのかしらん…? とか邪推したくなるのだけど。作品っていうのはつまるところ“受け入れてもらえるかどうか”がすべてなんだから、あんまりそういう信じてる人を裏切るかのような発言はしないで欲しいなーとかちょっと思う。感動には信用が前提としてあるんだから、作り手がその作品に納得いってないってことが暴露されたら、信じてた人の感動は行き場を失って宙ぶらりんになってしまう。それはエンターティナーとしてはどうあっても誉められたことではないのではないかしら。妥協をせず常に前進を望む作り手の姿勢としては正しいとしても。
「作者が作品について語るのはなるべく避けるべき」なゆえんである。

 それにつけても書き下ろし(?)の佐祐理さんは可愛い。あの絵一枚だけでも今月号は“買い”だろう。750円分の価値は十分にある。少なくとも佐祐理さん萌えにとっては。

■ひとりじゃできないHOMEWORK(まつおゆりこ/GUMコミックス)

 兄妹漫画があるということで(確か)薦められたのだが、実際に読んでみると、後半のねこ漫画が非常に私好み。予定とはだいぶんズレたが、結果的には大当たりだった。(keyさん感謝!)
 自分に甘えてくる小動物っていいよなー。初音ちゃんとか澪とか。(ォィ
 そういえば今にして思えばとらはシリーズの女の子達ってみんな小動物系かも。さすがは都築氏、「練れておられる」(謎)というべきか。
 あと。ちょっと話はズレるけど、猫の喜ぶ顔を見たくてケーキを買ってしまって我に帰って慌てる主人公の描写。こういう「いつのまにか馴染んでる」みたいな描写ってすごく良いと思う。
#こういうの好きなんです、私。

 ところで。小動物といえば、高校時代からなんとなく考えていたのだけれど、いわゆる「ロリ系」が好きな人がすべてロリコン(幼女趣味)なのかっていうと、それは違うんじゃないかなって気がする。少なくともロリ系キャラに萌える人の半分以上は、幼女趣味とかではなくて単に小動物が好きな〜あるいは可愛いものに目がない〜だけなんじゃないだろうか。別に自己正当化とかではなくって、自分のことを色々と考えてみた時、どうしてもそう思うのである。私はアパート暮らしをしていた頃はすなねずみを飼ってたりしたのだが、すなねずみの食事風景〜彼らはヒマワリのタネを食べる時、小さな手でタネを持ち、外皮を歯で器用に剥いて中身だけを食べるのである〜は最高の安らぎだった。(笑)
 いわゆる“キャラ萌え”の心理は、小動物の仕草にドキドキしてしまうものに近い、というより同じ種類のものなのではないだろうか。少なくとも私にとっては、両者は同じものである。
 
 ちなみに経験上、猫に甘えられてちゅ〜されるとなんとも言えず幸せな気持ちになれます。(爆)

■わかつきめぐみ

 なんかわかつきめぐみさんの新刊が出てるらしいのだが、近所の本屋さんでは発見できず。うぐぅ、これだから田舎は…。(涙)
 まぁ、新刊は明日改めて探すとして、わかつきめぐみ作品に関するこの見解はすごく納得かつ共感。「時代に左右されない」「本当の自然体がもつ、動かしがたい強さ」まさにわかつきめぐみ作品の魅力ってそれだなーと思う。あの人の作品って、妙に穏やかであるというか優しい空気が流れていて、私にとっては最高の精神安定剤なんだけど、それは多分、キャラクターたちがみんな強迫観念とかとは無縁で、自分は自分、という余裕を持って生きているからなんだろうと思う。
 …そういえば、わかつきめぐみ作品ほど、「素敵」って形容が相応しい漫画ってないかも。


2000/2/9 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#09

■またまた、

 佐祐理さんが出てくる夢をみた。多分、数日前に PhotoShop で壁紙を作った時、1時間以上も佐祐理さんとにらめっこしていたからだろう。(笑)
 とりあえず、今回はちゃんと目の前に佐祐理さんがいた。残念ながらどんなお話をしたのかまでは憶えてないのだが…。
 今まで、好きなキャラの夢をみることなんて年に1〜2回あれば良い方だったのだが、今年は運が良いのかもしれない。

■簡潔明瞭

 ちょっと前、吉田秀和の随筆を読んでいたら、「日本人は手紙においては簡潔明瞭な文章を尊ぶ」だかそんな趣旨の文章にぶつかった。私には、日本人と外国人の考え方の違いを云々できるような知識も経験も持ち合わせていないけれども、ただ、ネット上での、特に掲示板における暗黙のマナーみたいなものを思い出してみると、なんとなく頷ける気はする。

 一般的に言って、掲示板で長い文章を投稿することを嫌う人は意外と多いし、そのため「自分の言いたいことを簡潔明瞭に書きましょう」みたいな発言が出てくることも稀ではない。しかし、私はこの考えにどうしても馴染めない。簡潔明瞭であるのがいけないというのではない。いや、むしろそうするのはは望ましいことだろう。しかし、「簡潔明瞭」なる言葉に縛られて、自分の文章を無理に切り詰めたりしたら、それは本末転倒ではないかと思うのだ。厳しいようだが、ネット上の色々な文章を読んでいると、「簡潔」ではあるが全然「明瞭」でない、という種類の文章にしばしばぶつかる。短くて、短いだけというか、要はなにが言いたいのか全然伝わってこないのだ。ここには大きな誤解があるような気がしてならない。

 例えとして適切かどうか、会社で若い人たち〜というのは20代前半ぐらいの人たちという意味だが〜を見ていると、彼らには、仕事に対する姿勢にある特徴があることが判ってくる。つまり、与えられた仕事をいかに迅速にこなすかが第一義であり、そのために正確さは多少犠牲になっても仕方がない、という考えである。
 この考えが間違っていることは誰の目にもおそらく明らかだろう。仕事というのは、まず正確であることが第一であって、速さというのは、正確であるという前提のうえに、「速ければそれにこしたことはない」ものだからである。

 また、別の例。
 「人は考える葦である」という有名な一文がある。これはパスカルの「パンセ」の一節を簡潔化して述べたものなのだろうが、しかしこの一文があの10行ぐらいからなる一節の意味を明瞭に伝えているかどうかは甚だ怪しい。「パンセ」を読んだ人なら知っているだろうが、この一節は、

 人は自然界のなかにおいて、1本の弱い葦にすぎない
 しかしそれは考える葦である


 という風に始まる。(本当は冒頭にもう1行あるが、それは今は省く)
 短く切り詰めた前者のものよりも、後者の方がより明瞭に、直接的に、意味が伝わってこないだろうか。私はパンセを読むまで、この一文の意味がどうしても判らなかった。「人は考える葦である」と言われても、なんというか、言葉がなにかしらのイメージを全く喚起しないのだ。パンセのこの一節を読んだ時は、だから驚いた。
 そして更に言えば、この一節は、

 だから正しく考えるように努めよう
 そこに道徳の原理がある

 で締めくくられるのだが、つまり、パスカルはここで、自然界と人間とを対照させ、その上で人間の偉大さは考えることができる点にある、と言っているのだ。
 ここまで読んでしまうと、「人は考える葦である」なんていう風にこの文章を紹介した人は一体なにを考えていたんだろう、と思われてくる。短いだけで意味が正確に伝わらなかったら、それは本末転倒としか呼びようがない。

 ネット上の掲示板においても同じ事が言える。掲示板というのはリアルタイムのコミュニケーションではないし、普通の会話と違って、相手の表情も判らない。情報はもっぱら文章から読み取れるものだけに限られてしまうので、その結果、誤解を生むことも少なくない。そのために顔文字や「(笑)」といった記号がやたらと乱発される向きもある〜顔文字を免罪符として使う如きは論外である〜訳だが、しかしそれは子供の知恵だろう。
 行数を稼いで偉く見せようなんて姿勢は論外としても、少なくとも、自分の言いたいことを相手に伝えたいと思ったら、言葉を使うことを躊躇してはならない、と思う。まず明瞭さが第一にあるべきであって、簡潔さは二の次であることを知っていなければならない。

 言葉を削って、あるいは惜しんで、意味が正しく相手に伝わらずに誤解を招くことになったら、その誤解を解くためには、多大な時間と労力を必要とする。それは、「安物買いの銭失い」に似た向きもあるが、しかし掲示板では相手がいるだけに一層性質が悪いだろう。安物を買って損をするのは自分だけだが、ネット上での誤解は相手、もしくは不特定多数の人にも迷惑となるからだ。

 ついでに書いておくと、掲示板上では「私はこう思う」という文章は沢山あっても、「私はなぜこう思ったか?」その理由にまで触れている文章には滅多にお目に掛かれないのはどういう訳だろう。また、「○○的」とか言われる時、その言葉の定義「○○的、とはなにか?」について語られることが非常に少ないのはどういう訳だろう。いや、私は例外だ、なんて言うつもりは全然ないけれども。


2000/2/7 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#07


■うぐぅ

 1年振りぐらいにヘルスメーターに乗ってみたら、61kg だった。平均体重に対して5kg オーバー。うぐぅ。間食しまくっても太らないのが私の取り柄のひとつだったのに…。まぁ私の身長(171cm)に対してだと、61〜63kg ぐらいでやっと平均値ぐらいなのだけど、それにしてもスラックス(W76)がキツイのは嫌…。

■ここ2〜3日でやったゲームとか
■すぃ〜とじぇみに

 なんだかんだ言いつつ、真帆&華穂END/華穂&真帆ENDだけ(爆)はしっかりとクリア。買う前は華穂萌えだったのだが、実際にふたを開けてみれば華穂の「おにぃちゃん!」より真帆の「おにいさま…」の方が断然萌える。(ォ
 ああ、そういえば桐子の「にいさま…」も甘美だったなー。(爆)

■Fifth

 なんだかんだ言いつつ以下略。攻略サイトを参照しつつ、天使END/悪魔END/天魔END、と主要な3種類のENDINGは終了。ま、いずれにしても「父×娘」という美味しい設定をほとんど生かしていないのでダメダメ。娘に風邪をひかせるだけだって、風邪薬を塗る(爆死)とか、汗をかいたらパジャマ&下着を着替えさせるとか、汗を丁寧に拭いてあげるとか、お粥を作って食べさせてあげるとか、レベル(謎)次第では口移しとか(マテ、熱のせいでうなされてたりする娘の手を握っててあげるとか、娘が直ったら父が風邪をひいて逆に看病されるとか、かなり色々なイベントを作ることが可能だと思うのだが、このゲームを作ったスタッフには「父×娘ならでは」の発想に無頓着だったような気がする。
 惜しいゲームだ、と思う。

■WhiteAngel

 とりあえず澪…もといカレンシナリオだけクリア。
 「…真琴シナリオ?」(←感想)
 
 そういえばこのゲームの冒頭は「朝、幼馴染が主人公を起こしに来る」(笑)というパターンなのだが、こういうのをやってみると、東鳩やONEのプロローグがどんなに美しかったかなんてことをしみじみと思ってしまう。一見似たようなことをやっていながらも、表現は全然違う。リーフの下川氏はかつてメガストアのインタビューで「開始20分以内にプレイヤーの心を掴むような話を作らなければならない」だったか、そんな内容のことを言っていたが、東鳩は、まさしくその課題を完璧に実行してのけていた。あかりや志保との軽妙な会話。穏やかなBGM 。春の光の輝きとその暖かさが空気の中に溶け込んでいるかのような、美しい背景CG。これらを初めて体験した時の感動は今でも忘れられない。
 …あるいはここまで完璧だと、もはや比較することが酷なのだろうか?

■Kanon.R 〜栞シナリオネタバレ有り
 
 栞シナリオ読了。これでとりあえずは Kanon 3周目は終了。CGモードは、まだ、真琴入浴×2とかねこーねこーなゆなゆとかが埋まってないのだけれど、再プレイしてCG回収する気にもなれないのでまずは良し。
 栞シナリオの追加CGは良い、と聞いていたのだけれど、実際に見たら本当に良かった。ことに終盤の、「仲の良い姉妹の、悲しい夢」の場面での一枚絵の挿入は絶妙である。また、栞を部屋にあげて、押し倒す場面に追加された栞のアップの可愛いこと! このCGを見るためだけだって、Kanon 全年齢版を買う価値がある、と言っても過言ではない…だろう。(大袈裟かも)

 話は変わって。
 最近気がついたのだけれど、祐一の部屋の机には電気スタンドがついているけど、これってよく見ると実はおかしいんだよね。机の上に電気スタンドを置く時どうするかを考えてみれば判るのだけど、普通、右利きの人はスタンドを机の左側に置くはず。というのはもし右側に置いたら、自分の腕でノートの上に影が出来てしまって書きづらいからです。ということは祐一は左利き?という疑問も沸くのだけど、それも多分違う。なんでかって言えば、「箸を持つ方に避けろ!」(笑)→どし〜ん→「うぐぅ、…左利き」っていう場面があるから。
 ま、揚げ足取り以上の意味はないし、どうでも良いことなんですけどね。(^^ゞ


2000/2/6 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#06

■日記

 参照元にリンクを貼るのはもはやweb日記の世界ではほとんどマナーに近いといった観があるし、自分でも参照元リンクを今後おそらくは貼る以上、こちらからは貼れて相手側からは貼れない、なんてのじゃ「人として不出来」(by美汐)だよなぁ。需要のあるなしは別にしても。
 という訳で、日付にリンクを貼れるスタイルにしてみました。…でも、私のスキルでは逆探知なんて高度な技は使えないので、貼って頂いても気がつかない可能性が多分にあります。ご了承ください。(ォ


2000/2/4 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#04

■Kanon.R

 名雪シナリオ読了。…名雪シナリオってこんなに美しかっただろうか? とすれば、私は今までなにを見ていたんだろう?

 『すぐ横に、好きな人の照れたような表情があった』

 『祐一、おかしなこと聞くね。恥ずかしいに決まってるよ』

 『俺はただ、名雪と同じことがしたかったんだ』


 この素朴な、何気ない台詞たちの中に込められた、溢れんばかりの想い。モーツァルトの音楽がそうであるように、言葉の中に収まりきれない想いが溢れ出して、その想いたちが、まるで木洩れ陽のようにキラキラと輝く。もはや美しいかどうかなど問題ではないような優しさが、ここにはある。

 私はKanonという料理を食べた。
 涙が出るほど美味しかった。
 このこと以上に重要なことはなにもない。


2000/2/3 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#03

■ぐぁ…。(by七瀬)

 ムービーが完成して肩の荷がおりたのでネット上をあちらこちら探索してたら、またまた“いつのまにか相互リンク”発見。(笑)
 ありがとうございます〜。畏れ多いという気もしますが、やっぱり同業者(というのは差し当たり、書き物が好きで自分の文章をネット上に発表している方という意味です)からリンクを貼って頂けるのが一番嬉しいです。
 リンクのコメント読みましたが、うちの日記、仮にもweb上に発表されている文章に署名がないというのは問題アリ過ぎですね。迂闊でした。(^^ゞ
 はい、この日記はすべてしのぶが書いてます。


■マッドムービーあれこれ

 きじゅあとのBBSで1月中旬から下旬にかけて行われていた、マッドムービーに関する議論を読んでいて感じたこと。

 「今のムービー作家諸氏はムービーを作りたいから作っているというだけで、そこにはなんらの自己表現もない」という意見。私はこの意見に大筋で賛成する。ムービーを色々と見ていると、どうしても『めびONE』や『Love&Live』の真似だとしか思われないようなものにぶつかることがあるのだが、こういうのを見ていると、他人の語法でこの人はなにを表現しようとしているのだろう? と思う。フィルターの乱用、必然性のない派手なだけの動き etc.これらはいずれも、ムービーをなんとなく作りたいから作る、という姿勢から生れたものに他ならない。
 しかし、その姿勢に疑問を抱くのは当然だとしても、それを非難するがごときの発言はなにか違うな、という気もする。段階の差とでもいうか、マッドムービー界が日進月歩の勢いで進歩しているとしても、結局、誰でも初めは初心者なのだし、少なくとも初心者のうちは、とにかくムービーを作りたいという気持ちが先に立つのはある意味当然だからだ。表現のないムービーが多いのは、初心者ゆえにまだ表現について考える段階に達していないから、と見るのが妥当ではあるまいかという気が、私はする。初心者が作るムービーが似たり寄ったりになるのは、皆、Premiere の機能に頼りきって画面を作るからであるが、しかし〜あのBBSでも指摘がある通り〜そんな製作態度では遠からず演出のネタを使いきってしまうのは目に見えている。機能に頼る限り、機能の範囲内でしか想像力が働かないのだから限界が来るのは当然なのである。その時どうするか。
 そこで Premiere の機能に限界を感じて(!)ムービー製作をやめる者も勿論多数あるだろうが、ムービーについて真面目に考える人なら、悩み、自分の今までの製作態度に疑問を抱くはずだ。すると、Premiere に対する考え方も自ずと変わってくる。本来は自分のイメージした画面を演出するために Premiere の機能を使うのだということに気がつけば、このソフトが、実はかなり広い表現能力を持ったツールであることが判ってくる。表現は、そこから始まる。
 繰り返すが、初心者の多くがそういう風に考えられないのは、必ずしも彼らのせいではない。結局、まだそういうことを考える必要に迫られていない〜その段階に達していない〜というだけのことだからだ。
(ま、それでもああいうことを言わずにはいられなかった気持ちというのも判らなくはないのだが…)

 補足。一応誤解のないように書いておけば、この問題は俗に「クリップ系」と呼ばれている、音楽とのシンクロを重視したようなスタイルのムービーにだけあるのではない。俗に「イメージ系」と呼ばれている、元作品の雰囲気重視のムービーにおいても同じ危険を孕んでいる。というのは、イメージ系ムービーで、元の作品のある場面なりを再現しようとしても、そのゲームをやる時以上の感銘を与えることは不可能だからだ。…少し判り難いかもしれない。つまり、私は去年の12月頃だかにKanonの栞シナリオをやって、エピローグを見ながらこんなことを思ったのだ。「この美しさはどんなムービーでも表現しきれていないし、ムービーがゲームの素の美しさを超えることはあり得ないだろう」と。すでに美しいものをどう加工してみたところで、元の美しさには及ばない。せいぜい歪めてしまうのが関の山だ。しかしそれでもある種のムービーが依然として説得力を持った美しさを備えているのは、そこに作リ手の意思や想いとでもいったものが込められているからではないだろうか? そうでなかったら、いくら雰囲気重視のイメージ系だからって、面白い作品にはなり得ないはずだ。


2000/2/2 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#02

■夢

 …のなかに佐祐理さんが出てきたのだが、目の前にいる女性が“佐祐理さん”だと認識できただけ。残念ながらそれ以外なにも憶えてない………。
 うぐぅ×100 … 残念にゅ。
 せめて裸えぷろん…とは言わないまでも膝枕くらいして欲しかったにゅ〜。(ォ

 膝枕といえば、してもらうのも良いけどこちらでしてあげるのも浪漫指数(謎)高いんじゃないかな〜とか最近思う。(笑)
 自分のひざの上ですやすやと眠る少女〜ONE なら澪とか、Kanon なら栞とかあゆとか…かなり浪漫だと思うのですが如何?(誰に言っとる!)
#こんなことを考えるのは私が寝顔フェチだからだろうか…。

と、莫迦な話は置いといて。

■Kanon.R

 あゆシナリオクリア。舞も真琴もリニューアル版では追加CGがかなり痛かった〜そういう場所に配置されてた〜ので結構期待してたのだけど、あゆシナリオに関してはなんか肩透かし。それにしてもこのシナリオ。なにを今更って気もするけど、エピローグがやっぱり違和感。接ぎ木、というのは厳しすぎるかもしれないとしても、本編とエピローグとの関係が希薄、という印象があるのは否めない。ただ、あゆ、栞、舞、名雪、各シナリオからエピローグを外して、結果、仮に破綻がなくなったとしてもそれで物語が一層面白くなるかどうかはまた別の問題だろう。Kanon が“5つの悲劇”だったら、少なくとも私はそんなのやりたくない。なんというか、例え奇跡になんの必然性がないにしても、それを持って Kanonを失敗作と断じるとすれば、私はそちらの方にこそ「より」違和感を憶える。真琴シナリオを除く各シナリオいずれもがなんらかの点で破綻なりなんなり欠点を抱えているとしても、私が Kanon の5つのシナリオすべてに感動して泣いたのは事実であり、それを否定してまで客観的評価に拘るいわれはないのだから。


2000/2/1 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-02.htm#01

■あやややや〜。(by小鳥)

 夏頃?だかにKanonレビューを読んで共感して以来、無断リンクしてた『S.MA.P』様のところ、いつのまにか無断相互リンク(笑)になってる…。雑記に直でブックマークしてたので(ォィ)全然知りませんでした。(^^ゞ
 うちごときのサイトにリンクを貼って頂いてありがとうございます。雑記はいつも楽しく読ませて貰ってます。雪駄氏の文章を読んでいると、指先だけで理屈をこね回すのでなく、ゲームの魅力を味わい尽くしたいという気持ちが先ずあって、考えるのも文章を書くのも結局そのための手段なのだろうな、と感じられて、そういうところがとっても気に入ってます。


話は変わって。

■恋に落ちたシェイクスピア

 レンタルビデオ屋に『鋼鉄戦士くるみ』を借りに行ったら相変わらず貸し出し中(既に2週間以上!)だったので代理。(ォ
 この映画のヒロインのヴァイオラって『十二夜』のヒロイン?と同じ名前…と思ったら、ああなるほど、な展開。『十二夜』のヴァイオラも男装の麗人だったけど、男装したヴァイオラとの恋の思い出が、あの名作『十二夜』を生み出すというストーリー作りは非常に面白い。

■Kanon

 しばらく疎遠になっていた友人と久しぶりに会って色々話をしていたら、最近PCを組んだ(初心者なのにいきなり“組む”辺り良い度胸だ)とのこと。更に色々話していたら、最近、Kanonをプレイしたことが判明。私の知る限り、彼のゲーマーライフはギャルゲーの類と無縁だったはずなのだか、時間とは恐ろしいというべきか。
 それにしても傾向的に彼は無関心無感動なタイプだったが、その彼が「Kanonをプレイした後は現実とのギャップがキツイ」と漏らしていたのは非常に興味深かった。ともかく初めてプレイしたギャルゲー?がKanonだったせいで、ギャルゲーに対してかなり好印象を持ったようで、先日、CR-RWとTAを買いに秋葉原に付き合わされた時には、私が薦める前にONEを購入。(笑)更にデアボリカを買わせることにも成功。(笑)
#でも、ひとりで部屋に帰ってから気がついたのだが、『Kanon』→『ONE』→『デアボリカ』の3連コンボはいくらなんでもキツイよなぁ…。(^^ゞ

■袴

 馬車道大田店。先日初めて行ったのだが、なんとなく、ここのウェイトレスのレベルは他の店と比べても特に高いような気がする。単に可愛い娘がいるということでなら例えば桶川店だって良いのだが、大田店の場合はそれに加えて態度が丁寧なのが非常に好印象。例え忙しくても、客の前では忙しそうに見せない姿勢、みたいなものまで気を遣ってくれる店というのは珍しいと思う。
 俺的に、ここ一件あれば当分はおっけー。(爆)


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