■日記、あるいは雑記■


過去
【1999年】
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【2000年】 1月2月3月4月/5月/6月

文責 しのぶdie_zauberflote@lycos.ne.jp


2000/5/23 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-05.htm#23

■ムービー

 さる切っ掛けがあって、MAD PROJECTさん(残念ながら現在は閉鎖されているらしい)のこみパムービーを観たら、無性にこみパがやりたくなってしまった。雑誌の紹介記事やらを読んでも遂に心を動かされることのなかったこみパが、このムービーを観ると凄く面白いゲームに思われてくる。原作を知らない人にさえ魅力を感じさせてしまうとしたら、それは2次創作として最高の仕事だと言えるのではないだろうか。

■web

 最近、私がベタ惚れなサイト
 文章の書き方から考え方まで、私の好みのツボにハマリまくり。こういうサイトに出逢うと、なんかもう無性に嬉しくて、幸せな気持ちになってしまう。お薦めです。
 

■日記

 読んでくれてる方がどれだけいるか判らないけど。
 最近更新が滞っているのは、「欲」が湧かないからです。「欲」っていうのは、食欲とか睡眠欲とかの「欲」です。好きとか嫌いとかとはまったく別の、そうせずにはいられない欲求のこと。食欲がない時にはご飯は食べられないし、眠くない時に寝ることはできない。それと同じこと。私は多分、文章を書くのが好きだから書いてるんじゃないと思う。ただ、書きたいという欲求があって書かずにはいられないから書いている。お腹が空いたらなにか食べたくなるのと同じこと。自分なりに文章の内容に拘るのは、いってみれば、どうせなら美味しいものを食べたい、という発想と同じ。まぁそんな訳で、今は食欲ならぬ「書きもの欲」が湧かない時期なんです。

■ブラウザ

 なんとなく、IE5(デフォルト設定)で自分のサイトを見てみたら、デザインのあまりの違いに泣きたくなる。私が普段使っているネスケはフォント設定を「MS P明朝」の「11」にしてあって、その環境で見ると良い感じに字間が詰まっててそれなりにカッコイイ(と思う)のだけど、IE5で見ると字間がスカスカでどことなく間抜け。しかも恐ろしいことに、アクセス解析のデータではIE使用率は9割弱なので、うちに来ている人の9割は本来のデザインを見ていないということになる。こうなるともはやネスケを基準にページを作ること自体無謀なのではないかと言う気もしてくるが…。

■ニュートロン

 CPUのクロック(謎)を目一杯遅くして、なんとか20面クリア…と思ったらまだ続きがあることが判明。20面以降は敵キャラ&フルーツ共に11〜20面と同じで、10面毎にフルーツのノルマが1つ増えるようだ。一応、41面まで試してみたが、41面ではフルーツのノルマは各面10個だった。一応、参考画面
 とりあえず、中学生の頃「20面なんて1日でクリアしちゃったぜ」とか言ってた奴の言葉が嘘であることは確定か。(わらい)

■最近の蜂状況

 ここ1週間ぐらいなんか異常に調子が良い。先週日曜日にようやく1周1.7億を出した(しかもまだ900万落ち)と思ったら3日後の水曜日には2-4ボスまでの完全ノーミスノーボムを達成。2-4終了時点で3.35億というのは初めて。ただこのプレイは内容的に結構不満がある。まず1-5の繋ぎをミスって400HIT×2になってしまったこと。2-4ボスハメに失敗したこと。このプレイでは2-5の2個目の要塞までノーミスだったので、この2箇所のパターン狂いで推定4000万点以上は落ちている。

 ともあれ、リハビリを始めて約1ヶ月半でようやく現役時代の勘が戻った。今後の課題は、2-6に対する苦手意識の克服。課題のひとつだった2-4ボスハメはほぼ安定。今まではダメージ調整がどうしても巧く行かなかったのだが、急所が判ってみると拍子抜けするほど簡単だった。2-4ボスハメが安定すると、念願の4億点オーバーの可能性は俄然高くなってくる。このまま続ける限りはもはや時間の問題だろう。

■RainyBlue

 前述のサイトと並んで、私的ベタ惚れサイトであるところのこちらのレビュー。主人公に共感できない云々に関する部分はまったく同感。


2000/5/7 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-05.htm#07

■RainyBlue(R.A.N_Software

 ファーストプレイ、真黄シナリオ。
 テキストがプレイヤーを置いてきぼりにしてるというかなんというか。会話とかもライターの方はきっと“頭で考えて”書いてるんだろうというのがミエミエでちと痛い。なんといっても主人公が、個性が感じられないとかいう以前に人格的にダメ人間すぎ。主人公に全然共感できないのは、あながち私のせいばかりでもあるまい。物語全体としてみて、感動するお話を作ろうとして失敗したという印象がある。いや、失敗というのは言いすぎかもしれないとしても、なんか感動を狙っているのがミエミエなので、プレイヤーサイドから見ると却って醒めてしまうのだ。…ボクには付いていけません。このまま封印の可能性大。

 加奈もやっばり泣かせようという意図がミエミエの作品だったけど、それでもあの作品は、判っていても強引に押し切られてしまうというか、泣かさずにはおかないパワーがあった。それに比べると、RainyBlueの場合はもうライターさんの力量不足が致命的という気がする。

 良いピアニスト(例えば内田光子やブルーノ・レオナルド・ゲルバー)の演奏のひとつの特徴は、ピアニストの存在を微塵も感じさせないというところにある。そういう演奏では、ただ音楽だけがどこかから(人の手を経ないで)ひとりでに生れてくるような錯覚を、私たちに与える。あるいは、音それ自体が意志を持って自律的に旋律を生み出していくように感じられる。これはもちろん、モーツァルトやベートーヴェンの作曲の素晴らしさのせいでもあるのだが、だからと言って誰でも、そのような、音楽それ自体の自発性を表現できる訳ではないのが、演奏という表現の難しいところだ。

 芸術はそれ自体で完結したひとつの世界であるべきだ、という主張はリルケのロダン論の中で詳しく述べられている。私は彫刻を見る訓練をまったくしていないので、ロダンの手になる像(もちろん実物を、である)を見ても残念ながら何も感じ取れないのだが、例えば内田光子の弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴くと、リルケの言う“芸術の完結性”というものが多少はわかる、と思える。作品は、ひとたび完成したら作者の手を離れなくてはいけない。人の手によって作られたのが見えてしまうと、作品は面白くない。

 これはゲームの世界においても同じことが言える。ONEにしてもLienにしてもフォークソングにしても、良いゲームの登場人物たちは、皆、まるで自ら意志を持っているかのように考え、喋る。物理的には存在しない、人の手によって作られた架空の人物にすぎないのに、彼らの言動はそれをまったく感じさせない。作者の手を離れた“生きた世界”がそこにはあるからだ。良いゲームとそうでないものとのひとつの境界線はこのあたりにある。

■テニスの王子様(W/J)

 リョーマ君が勝った。あー良かった。

■今日の蜂

 1−5まで繋ぎはすべて決まって、1−5終了時12500万(自己ベスト)。しかしそこから崩れて1−6中盤で痛恨のミス。繋がっていれば1.7億は軽くオーバーしてたはずなんだけど、結局1−6ボス発狂でも1ミスで1周クリア時1.5億弱。最終的に、2−6途中までで2.8億。ただ、とりあえず2−3ボスはノーボムで葬ったし(蜂2匹も回収)、2−5道中も820HITノーミス突破(ボスで2発決め打ち)したりしたので、私の腕からいえば内容は悪くない。1−2のコンボは498HITまで伸びたがまだまだ不安定。それに2−4、2−6の弾避けの安定化など、まだまだ課題は多い。


2000/5/5 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-05.htm#05

■今日の似非シューター日記

・STRIKERS1999

 ようやく1−7到達。スコアは60万ちょい。1−7に届いたのは今日が初めてなのだけど、レーザー中型機に弄ばれてボムを連打させられボムの切れ目が命の切れ目であえなく死亡。アドリブでも1−7まで行けるんだったら、今後パターンを練っていけば1周クリアぐらいはできるかもしれない。

・怒首領蜂

 しばらくサイテーな日々が続いたが、ようやく3億を突破した。(3.17億/2−7)
 内容は、、、

1−1 190HIT、61HIT、ボス90HIT
1−2 約350HIT、ボス232HIT
1−3 約80HIT、ボス311HIT(冒頭で1ミス)
1−4 約400HIT、ボス120HIT
1−5 833HIT、ボス110HIT
1−6 約300HIT×2、ボス???HIT、クリア時1.3億(ノーボムマキシマム×7)
2−1 191HIT、61HIT
2−2 486HIT
2−3 108HIT、中ボスで1ミス、ボスでボム2発使用
2−4 道中ボム2発使用(大型機2機目、大型戦車3台目)、ボスでボム2発使用。
2−5 約820HIT、ボスでボム2発使用
2−6 約620HIT、終盤の砲台+ザコ戦車ラッシュで1ミス、ボス到達時残3ボム5発
2−7 鬼畜蜂戦スタート時残3ボム0、火蜂戦スタート時残2ボム1、発狂まで粘るがボムが尽きて死亡。

 私の今の腕を考えれば、火蜂までに2機残せたのは奇跡に近い。


2000/5/3 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-05.htm#03

 個人用巡回リンク集を更新する。幾つか削ったけど結果的には2つ増えて27箇所になってしまった。元々ネットに繋ぐこと自体余暇活動なんだから、ネットがらみの行動が負担になるようなことがあったら本末転倒なのだけど、面白い文章(“笑える”の意ではない)に常時飢えているのも確かなので、多少の負担は仕方がない。

 なんとなくニュートロンをプレイ。何回やっても、10〜13面で全滅。やはりというか、セミ面(stage10)が最大の壁で、毎回ここで残機を大量に奪われる。

 ネットサーフレスキュー[web裏技]さんが公開している各種スクリプトは私のスキルでは手に負えなくて、アクセス解析の設置はほとんど諦めていたのだが、最近知ったKENT WEBさんが公開しているcgiスクリプトを試しにダウンロードして使ってみたらなんとか動かすことに成功する。ついでにカウンターも新しいものに変えて、念願の引越しを決行。カウンター用の画像探しの時間を含めて約4時間ぐらい掛かったが、夕方までに無事終了した。(サンフィールドネットはcgiが自由に置けないので、以前から引越ししたかったのである)


2000/5/1 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-05.htm#01

 朝、車のオイル交換をやって、ついでにフロントガラスにスーパーレインXを塗ってみたりする。所要時間約30分。自分でやってもこの程度なら、カーショップで毎回約1時間待たされるのとどちらが効率的か、ちょっと考えどころ。ちなみにオイルは以前交換した時の余りが4缶ほどあるので、実質掛かった費用は廃油処理専用箱の380円+消費税のみ。
 あと。今回久しぶりに自分でオイル交換をやってみたら、オイルパンのドレンプラグが簡単に回ってしまってちょっと焦った。いつもなら気合を込めて腕に力を入れなきゃ回らないのに。走行中に振動で緩んだりしたらと思うと恐い。

 近所に大きめの古本屋がオープンしたので、掘り出し物を物色に行く。特に掘り出し物はなかったが、せっかくだからと昔好きだった漫画を色々買い漁る。(今は実家で眠っているか捨てられてしまったか…というような本)
以下、入手したもの。

・つま先で恋をしよう(森生まさみ)
・感嘆符なしでは語れない(森生まさみ)
・海育ちの風(岡野史佳)
・少年宇宙(岡野史佳)
・太陽の下でまってる全4巻(岡野史佳)
・今日はアラシ(やまざき貴子)
・晴れてカラカラ(やまざき貴子)
・アカデメイアの冒険者(やまざき貴子)
・アカデメイアの冒険者2(やまざき貴子)


 『つま先で恋をしよう』は森生まさみの最高傑作。橘裕の『贖いの扉』と同じく、番外編が本編を乗り越えてしまった例。『アカデメイアの冒険者1』は、最初の10数ページを読んでいるうちに、思い出し泣きしてしまった。どうして、時間をテーマ…もといモチーフにした話というのは私たちの琴線に触れるのだろうか。『太陽の下でまってる』は、私内部で岡野史佳の最高傑作。これ以降の作品はどうも肌に合わないのだ。『君の海へいこう』は例外だけど。

■怒首領蜂

 ここ数日、スコアも内容も良いとこ無しでちょっとブルー。1−2のコンボは495HITまで上がったのだけど、ゲーメストビデオで調べてみると、ZBL-NAI氏は492HITに関わらず私のスコアより約10万点高くなっている。やっぱり前半で右の中型戦車を2台撃てるかどうかが鍵なのかもしれない。
 1−6は前半の繋ぎが相変わらずダメだが、昨日はたまたま1台目の丸型戦車から星戦車まで繋がった。終盤もレーザーザコから赤い大型機までは繋がったが、こちらは完全にまぐれ。ただ、パターンを練っていけば繋がる気は、する。要はそこまで頑張れるかどうか、なんだけど…。
 目下の課題は2−5前半の弾避け。中盤から後半はパターンでほぼ安定しているが、前半のパターンが狂ってしまって、ここ数日はノーミスノーボム率0%という酷さ。

 それにしても、部分的には現役時代を凌ぐファインプレイをしていても、安定度の問題においてはやっぱり現役時代には遠く及んでいないのだなとしみじみ思う。現役時代は1周ノーミスノーボムなど当たり前だったのに、リハビリを初めて約1ヶ月、今だノーミスノーボムはできていない。

■STRIKERS1999

 先日、遊びでSTRIKERS1999をやったら、初めて、テクニカルボーナスを取ることに成功する。ハマリそうでちと恐い。彩京シューは相変わらず麻薬性が高いな、と思う。彩京シューの素晴らしさは、弾避けの快感、敵を破壊する快感を特にこだわって追求している点にあると思う。初心者には敷居が高いのも確かなんだけど、例えば一見無茶に見える弾幕でも、パターン化すれば絶対に死なないように調整されていたりするからだ。もちろん“絶対”なんてことはあり得ないのだけど、パターン化すれば、“絶対”だと錯覚できるレベルに持っていくことはできる。傍から見ると異常としか呼びようのない速さと量の弾幕を、完全パターンできちっと避けていく快感は、他のどんなゲームでも味わうことの出来ない魅力〜魔力と言っても良いかもしれない〜がある。

 怒蜂にしてもそうだが、良いゲームというのは、『プレイヤーの楽しみ』を最重要コンセプトとして開発されることが多いように思う。怒蜂や彩京シューに根強いファンがいるのは、これらが名作であることのひとつの証左だが、これらのゲームがなにゆえに名作なのかといえば、それはエンターティメント性の高さのせいだ。敵は、プレイヤーに破壊されるためにいるのであって、自機を破壊するためにいるのではない。弾幕は避けるためにあるのであって、プレイヤーを苦しめるためにあるのではない。彩京シューティングをやっていると、開発者の、そういったこだわりが垣間見えることが実にしばしばある。ただ弾幕を避けるのではなく、どうやって避けたらプレイヤーはより気持ち良いか、ただ敵を破壊するのではなく、どうやって破壊したらプレイヤーはより気持ち良いか。彩京はシューティングの面デザインをする時、いつもそのことを念頭に置いている。彼らは多分、「ゲームは第一に楽しくなければならない」ということを、よく知っているのだ。


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