鬱と電波と萌えな日記
はじめに.
書いてる人(しのぶ)は基本的に情緒不安定な人ですので、日によって鬱な内容だったり毒電波が混入してたり下品な文章になったりすることがあります。合わないと感じましたら、読むのをお止めになることをお薦めします。
日記内では、ゲームや漫画等のネタバレがしばしば含まれています。ネタバレ時は赤字にてその都度注意書きを加えますが、忘れることもあります。その旨予めご了承ください。
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2001/4/29 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#29
◆
Arioso dolente の後には Fuga が来る…はずだ。が、本当にそうなのかどうか? 私にも?
◆
とらいあんぐるハート2 〜さざなみ女子寮〜 (JANIS/IVORY)
ゆうひ 『喜んでくれなきゃ、うちの努力とバナナが浮かばれへん』
ゆうひシナリオ読了。
なんか、初めてプレイした時みたいなドキドキ感があまりなかった。今回のプレイに関しては、ゆうひとのイチャイチャよりも、他の住人とのささやかな触れ合いの方が気持ち良かった気がする。『お手』を選ぶのは、とりあえずゆうひ萌え者のデフォだとしても(謎)。
話に入り込めなかった理由のひとつは、多分、あの絵に最後まで馴染めなかったせいだと思う。2年前は気にならなかったが、とらハ3の絵を知った後だと、元々巧いとは言えない都築氏の絵がますます下手に見えてしまう。
初プレイの時は、夜の海ではしゃぐゆうひを見た瞬間、心臓がバクバク言って、それ以後はゆうひの声を聴くたびに悶えっぱなしだったんだけどなぁ。なんか、萌えられないことが無性に寂しい。うーん、とりあえずとらハ2最強のゆうひシナリオをやって明日以降の勢いをつけるはずだったのに、肩透かしっていうか、予定が狂ったみたい。明日は、挽回を期待して知佳シナリオをやってみるか。
◆
怒首領蜂(当然のことながら一発変換)
プレイ中にまたもやCボタンが効かなくなったので、店員さんに話してボタンを換えてもらう。何プレイかに1回ぐらいの低い確率でボタンが効かなくなることは以前からあったのだけど、今日はもう全然ダメで、1周する間にボタンが反応しなくなることが5回以上あった。さすがに、4面道中とか5面道中とかの繋ぎの要所でボタンが反応しなくなってコンボが切れると泣きたくなってくる。
Cボタン交換後のプレイは4.75億でALLが1回。2-4ボスまでノーミスノーボムでボスハメ失敗というかなり痛いプレイだったけど。
1-3弾消し地帯のパターンを微妙に変更。点効率も微妙(でもないかも)にアップした。中盤のコンボを失敗しても3ボス到達時3700万点超えるのは美味しい。よほどのコンボミスがなければ、3面クリア時4000万オーバーは安定っぽい。
1-5道中。前半はわけわからないので保留。後半の弾消し要塞のパターンを変更。+3〜4HITぐらい。
2-4は花壇で撃ち込みHITを稼ぐようにして、697HITまで伸びた。現状では十分。これ以上稼ごうとすると死亡率が跳ね上がりそうだし。12、13個目の蜂も最近は割と安定して回収できている。今のパターンではここを取るかどうかで340万点変わってくるのでぜひとも狙っていきたいところ。
2-5道中。常に自分からポジションを取りに行く姿勢を忘れないこと。特に、後半のラッシュは積極的に中型戦車を撃ちにいかないと弾に追い詰められる。弱気になるぐらいだったら多少大胆に動くぐらいの方が良い。最近、突破率が落ちてきている気がするのでメモ。
2-6道中。現状で死ぬ可能性があるのは、3中ボスの炸裂弾と、中盤の超ラッシュ、それからその後の丸戦車地帯での切り返すまでの弾避け、の3箇所。炸裂弾対策はないので、とりあえず炸裂弾を避けることに全神経を集中させること。中盤はとりあえず復活砲台稼ぎはやらない方向で。丸戦車地帯も、対処はなさそうな気がするが、画面の下のほうで避ける方が若干楽かもしれない…。切り返し自体は特に問題ないし。
2001/4/28 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#28
◆
今後しばらく、うちの日記はとらハシリーズのネタバレ話が頻出すると思います。未プレイだけど今後とらハシリーズをプレイする可能性のある方はご注意ください。いや、マジでもったいないですから。とらハを初めてやる幸福をローカルなweb日記のせいで失ってはいけません。
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今のうちのデスクトップ。
◆
ももいろシスターズ 8巻 [ももせたまみ/JETS_COMICS/白泉社]
ももシスって昔からこんなに下品だったっけか?(笑)
なんか巻が進めば進むほど下品っぷりに拍車が掛かってるような気がするのだが。まぁたっぷり笑わせて貰ったけどね。
◆ぴたテン 3巻 [コゲとんぼ/DengekiComics/メディアワークス]
ノーコメント。気持ちが離れてきてるかも。
◆
性感白書 [DELTA・M/いずみコミックス/一水社]
私の好きなエロ漫画家であるところの、DELTA・M氏の新刊。今回は真中辺にある『相互関係』が私好み。あと、巻末のコメントが…。メイド服は『ロングでノーマルが好み 』とか、『ドジなのが好きというのではなくて、ある程度そつなくこなす娘がミスして困っている姿がいいのである(笑) 』とか。
わかってるじゃん〜♪ さすがDELTA先生〜♪
2001/4/27 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#27
◆
キャッチセールスモドキの電話がしつこく掛かってきて憂鬱。なんであの手の電話って、話し方が押し付けがましいんだろう。あんな話し方じゃ無駄に相手を警戒させるだけだと思うのだが。押せば押すほどりんごは大きくなる、なんて話、知らないんだろうな彼らは。お願いだから頭悪い人(=他人の気持ちを全然考えられない人)は俺に話し掛けないでください。
ていうか、会社名も担当者名も名乗らない人の話なんか信用する訳ないじゃんよ。
◆
連休に入って食欲不振はいよいよ加速するものと予測されるのだが。CoCo壱で久しぶりに300gを頼んでみる。(いつもは200g)なんか異常に量が多く感じる。食べ過ぎ。
◆
一流ホームページとかつらつらと読んでみたり。にゅ。こういうの読んでると、なんていうかヤバイ。下手に影響受けたりしたら、日頃友達と話しているメイドさん妄想話とかをweb上で垂れ流したくなりそう。ていうか既に垂れ流したい誘惑を感じてるんですが。私がエロ妄想話を日記であまり書かないのは、書いても面白くなる自信がないからで。面白いものが書けそうだったら幾らでも書くんですがね。あゆ妄想なんてのは全然おーけー範囲です。あれはだいぶ端折って書いてますから。ノーカット版では、あゆのバジャマを脱がすところ(こう、ボタンをプチプチ外していくとだんだん汗ばんだ肌が見えてきて…とか)から始まって、固く絞った濡れタオルで体の隅々まで汗を拭いて、新しい下着に替えさせて…という手順を踏むんです。ベポラップはその後。ああ何書いてんだ俺。
◆
気まぐれ仔猫が閉鎖する模様。
寂しいです。また、楽しみな巡回先がひとつ減ってしまう。
それにしても閉鎖の理由とか読んでると、なんとなく腹が立つ。あ、もちろん、管理人さんじゃなくて、閉鎖の理由を作ったお馬鹿な人に対してね。以前も、知り合いが、ネット上でのHNをリアルワールドで使われて往生したなんて話を聞いたことがあるけど、どうして他人のプライバシーに関わることをそう簡単に暴露したりできるんだろう。そんなのはネチケット以前の問題ではないのだろうか。
◆
なんかその、キーボードを叩くことが目的らしいです。今日は特に。あと、文章が話口調になったり独白調になったりするのは『地』なので諦めてください。直す気ないです。普段もこんな感じですから。
しのぶがよく行くコンビニは、セブンイレブンとミニストップです。基本的に、弁当とか主食はセブンイレブンで買います。というかセブンイレブンだけでもほとんど十分食べ物は賄えるんですが、ただ、ミニストップには、フルーツの詰め合わせパックという他の店にはない素晴らしいものが売っているので、それを目当てに時々覗きに行く訳です。あと、しのぶはゆで卵をよく買うのですが、これはミニストップの方が美味しいです。セブンイレブンの方が殻が剥き易くて、そっちに慣れてるとミニストップのやつは剥き難くてかなり嫌なんですが、殻の剥き易さが違うのは、ミニストップの方が柔らかめに茹でているからで、剥くのが多少面倒という点さえ我慢すれば、ミニストップの茹で方の方が好きなのです。
◆
私が、日記に当たり前のことばっかり書くのは、もちろんそうする必要があるからです。私はまず、当たり前のことを自分に言い聞かせてからでないと何も始められないらしいのです。正直なところ、私は自分の周りに塀を作っているだけなのかもしれません。もしくは土塁を固めているとか。こういうのって、実は間違ってると思うんですけどね。土台を固めるのは大事だけど、土台を固めるだけでは何時になっても家は建たないのだし。でも、私は多分、一生家は建てられない気がします。私が固めているつもりの土台はとても脆くて、私は土台を固めているだけで精一杯なんですから。
自分の存在、考え、等の正当性を論じるところから始めなければならない、というのは、馬鹿々々しいことではないかと思えてなりません。自由論(J.S.ミル/岩波文庫)の冒頭の引用句なんか読むと、なんでこんな当たり前のことをわざわざ言わなくちゃいけないんだろうと思います。ミルという人はどんな嫌な経験を過去にしたのだろうか、とか考えたくなります。
自分の正当性について考えなくても済むのなら、私にはいったいどれくらいのことができるんだろうと思うとちょっとだけ悔しいです。分かりやすい喩えでいえば、ゲームレビューを書く前に、まずレビューを書く自分の正当性やら、レビューを書くことの意味について考えなければならないのが、私です。私はそんなこと考えずに、ただひたすら作品と一対一で向き合いたいのに、それはどうも無理っぽいです。
ただ、当たり前のことを言わなければならないような種類の人間というのは、割と好きで。『俺はおまえと一緒にいたい』とかほざく祐一や往人は莫迦です。でも、その莫迦っぷりこそ、私には本当に信用に値するものだと思われるのです。
◆
私はAIRとかとらハ3をやっている時、幸せなんだと思います。でも、忌憚なく言えば、怒首領蜂をやっている時、怒首領蜂のことを考えている時はもっと幸せかもしれないと思います。人がバッハに感動したなんて言えるのはバッハの苦悩を自分のものとして感じることができないからだと言ったのはヘルマン・ヘッセですが、これはつまり、私流に言えば、感動したという告白はその対象が自分と無関係であることの告白なんです。例えば私たちは割と容易に、加奈(D.O)に感動したの泣けるのと言ってしまったりするのですが、でももし本当に心の底から主人公に感情移入していたなら、加奈に感動なんてする訳ないんです。加奈は死んでしまう。その事実を前にして、主人公は無力で、またそれと同じくらいプレイヤーも無力です。本当に感情移入していたなら、むしろ加奈というゲームを憎んでさえ正当だと思います。私は、過去に何度か、対象のない憎悪を抱いたことがあります。赤毛のアンの6巻を読んだ時、椿姫を読んだ時、それからデアボリカの1話と2話のラストを見た時。椿姫の時は泣いたけど、他の2つの時は涙すら出ませんでした。ただ、こんなことがあってもいいのかと歯軋りしたくなって、運命だか神だか、普段信じてもいないようなものを呪わずにはいられませんでした。自分で体験してしまったものは、言葉にはなりにくいかあるいは言葉にする必要を感じないもののような気がします。本当に悲しい人は、自分の感じているものが悲しみであるかどうかなど問題とはしないものです。
人は自分について考え始めると不幸になる、というパスカルの言葉は正しいと思います。それで言うなら、ギャルゲーが私たちにもたらす幸福感は一過性のものに過ぎないような気がします。ギャルゲーというのは、程度の差こそあれ、現実の写しです。プレイヤーの欲望に沿って彩られているにせよ、私たちは自分の経験(生活様式みたいなもの)を参照することでギャルゲーワールドを理解するのですから、それはやはり現実の写しと言って良いと思います。そして、ギャルゲーワールドがそういう性質のものである以上、私たちはどうしても立ち止まって自分を振り返って見ずにはいられなくなります。とらハ3の世界を体験する時、私は幸せです。でも、ある瞬間に、ふと、現実の自分はどうやってもあの世界にいる資格なんぞないんだという考えが頭をよぎります。あの優しい世界はあまりに私の住む世界とかけ離れているという考えが頭をよぎります。とらハ3の優しさに心を打たれ、ああいう優しさを切実に求めてしまう自分が、時として惨めに感じられたりもします。そんなことは考えずにギャルゲーをプレイできたらその方が遥かに理想的なのではないかとも思うのですが、私には無理です。
で、怒首領蜂です。あれは私の住む世界とは何の関係もありません。そもそも私には、戦闘機を操って戦争をやっているという自覚すらありません。怒首領蜂をやる時私が考えるのは、弾を避けることとスコアを稼ぐこと、の2つだけです。ある弾幕をより安全に避けるにはどうすれば良いか、HIT数を増やすにはどうすれば良いかだけです。そして、これらを考えるのに自分の人生経験はまったく役に立ちません。つまり、怒首領蜂のプレイは、自分の経験を参照することなしに行われるのです。あそこには、別に私が切実に求めているものなんかありません。ただ、何か自分自身にすら分からない理由があって、あの弾幕との知恵比べをするのが単純に楽しいのです。対人ボードゲームで自分の作戦通りに事が運んだ時に感じるあの快感を求めて私は怒首領蜂をやるのであって、そこにはそれ以上の理由など存在しません。怒首領蜂をやる時、私は自分を忘れます。それが、もしかしたらより以上に幸福かもしれないと感じる理由です。
2001/4/26 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#26
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結局、私は、掲示板と日記書きを両立するのができないらしい。4月中は書き物欲が皆無だったので、ネット活動は掲示板をメインにしていたのだけど、活動の場を端から掲示板だけに絞っていると、書き込んでレスを返して、という作業がとっても楽しかった。とらハのお話もいっぱいできたし。
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友達とメイドさん話を延々と。
内容はとてもじゃないけどここには書けないのだが、まぁ、禁断・秘密の花園のエロゲーバージョンみたいなもの。普段は気の利かない野郎だけど、下品な話をしても引かれない友人の存在はやっぱり有り難いなぁなんて思う。私的には、ご主人様とメイドさんとの理想の関係は、鬼畜王ランスに出てくるケッセルリンクとメイドさん、みたいなのが良い。保護者、という立場は甘美だ。会話の一端でなんとか書けそうなレベルのもので言うと、メイドさんのお誕生日プレゼントはご主人様一日独占権(ご主人様と一日中一緒にいられる権利)、とか。この辺りの話題は人生舐めてれば舐めてるほど面白い。
もちろん、メイド哲学論考の内容には心から尊敬しまた共感するのだけど、それはそれ。
◆
メモ。
ピンからキリまで、というが、ピンとキリではどちらが上なのだろうとふと思ったので調べてみたりとか。
(1)カルタ・采の目などの一の数。(2)はじめ。第一。最上のもの。 →キリ [広辞苑第四版から]
…ピンが最上位でキリが最下位らしい。
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鳥の詩[AIR]に出てくる、わたつみ、って何?って訳で。同じく広辞苑から。
わた・つ・み 【海神・綿津見】 (1)海をつかさどる神。(2)海。
この場合は2番目の意味で良いのだろうか。わたつみ(海)のような強さ…ということ?
◆
今日から5月6日まで11連休。
今連休中の予定。
1)とらハ2やり直し。メインキャラ(ゆうひ、知佳、愛、美緒、薫、真雪)だけはクリアしておきたい。
2)怒首領蜂。毎日練習。
3)時間が許せば、とらハ3レビューを書く。(多分無理)
2001/4/25 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#25
◆
ショパンの“雨だれ”を聞きながら。単に前奏曲集op.28をCDでランダム演奏してるだけなんですが。ちなみにアルゲリッチ盤。17曲目とか23曲目なんかはもっと優しく弾いて欲しいなぁなんて思うのだけど、全曲通しての完成度の高さはやっぱりアルゲリッチならではだと思う。もし演奏家のタイプを、お寿司と肉料理に喩えるなら、アルゲリッチなんかは典型的にお寿司タイプだろう。瑞々しくさっぱりした、ということ。
◆
先週の土曜日に秋葉原で購入したニューPCは、データの移転とかも概ね終わって、やっと普通に使えるところまで回復した。難問だったのは、USBの外付けマウス&ジョイパッドのドライバがちゃんとインストールできなくて動いてくれないことだったのだけど、検索を掛けてみたら同じことで悩んでいる人がいたので、なんとか解決。
ちなみに、新しいパソコンのスペックは大体以下のような感じ。
これに加えて、前のPCから使ってた外付け機器は基本的にそのまま継続して使用。ただし、MPEG_Encorder(I/O_DATA)はあまり使わないので今回は取り付けず箱入り。OSはWin98をインストール。
◆
ところで今回PCを買ったのは、捕われた硝子の心[TEATIME]が動かないからだったり。我ながらアホだと思うけど、まぁどの道、夏までには買いかえる予定だったし。
すぐに体感できる部分で言うと、以前のPCの場合、起動してからネット接続が完了するまで約5分掛かったのが、今のPCだと約2分で終わる。これは結構感動だった。
2001/4/24 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#24
◆
真琴に刺されて死にたい、という雪駄さんの気持ちが私はいまいちピンとこなくて、今まで特に反応とかしなかった(できなかった)のだけど、今日の仕事中なんとなくあれこれ妄想してて、祐一(いやむしろ俺)を刺した後で死体に覆い被さってわんわん泣く真琴、というイメージを想像したら、なんかめちゃくちゃ萌えてしまった。刺されるのが浪漫というのも結構分かるけど、刺された挙句わんわん大泣きされたら男冥利に尽きるよなぁ、なんて。
◆
友達とドライブ中にふらっと立ち寄った本屋でちょびっつを発見。うーん、勝手に想像してたのとイメージが違う。もっとロリロリなキャラかと思ったんだけど。ぴたてんの時と同じく、買ったら負けだ、などと心の中で呟きつつ、結局購入は先送り。
2001/4/23 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#23
◆
いじめ話。
小学生のいじめは、多くの場合、いじめだという自覚なしに行われる。大人の場合は自覚している場合もある。小学生と大人との違いのひとつは、小学生はなんの罪悪感もなしにいじめるのに対して、大人の場合はいじめに大儀名分を必要とするという点にある。大人はいじめがいけないことだということを知っている。正確に言えば、いじめが露呈することによって自分の立場が危うくなることを知っている。だから、大人はいじめるのに理由を必要とする。相手に隙ができたらそこを徹底的に叩く、という方法を取る。
小学生のいじめは悪ふざけの延長線上にある。それらは時として端から見てもいじめに見えない場合すらある。ある行為がいじめかどうかは、加害者の意識ではなくて被害者の意識によって決定される。この辺りはいわゆるセクシュアルハラスメントと同じだ。自分の行為をセクハラだと自覚してセクハラをする馬鹿はいない。セクハラが発生する時というのは、加害者は自分の行為が相手を傷つけていることを知らない時だ。加害者は単なる冗談でやっているのかもしれない。単なる冗談なのだから、そこには悪意なんてものは存在しない。しかし悪意がなくたって、その行為によって傷つく人はいるのだ。悪意がないから俺は悪くない、なんてどうして言えるものか。
web上の文章を読んでいてたまに気になることがあるのだが、どうもネット社会の風潮として、論理的な正しさはすべてに優先する、みたいな考えが幅を利かせているような気がする。例えば、ある日記に書かれた文章に対して、別の誰かがリンクを貼ってコメントしたとする。そのコメントが相手に同意するようなものであった場合は別に問題ないのだが、対立意見だった場合、ことはそう単純にはいかなくなる。反論は許さない、なんて思う人は最初からweb上に文章など発表すべきではないのではないのだろうし、また責任をきっちり負うということが大前提にある限りにおいては言論の自由というものも厳然として存在する。しかしその理屈が正しいとしても、例えば、リンクを付けて相手の文章の論理的矛盾を徹底的に追求した挙句、反論されるのが嫌なら文章なんかアップするななんて言うことが許されるものだろうか。私には、それは正しさを隠れ蓑にしたいじめであるように思える。反論されて『傷つきました』なんて言うのは格好悪い。しかし、自分が相手を傷つけたという事実はどうなるのか。私の言うことは正しいのだから相手が傷ついても私は悪くない、とでも言うのだろうか。それは小学生のいじめと何が違うのか。
例えばいじめの現場を先生が見つけて、いじめっ子を叱ったとする。すると彼(加害者)は言う。○○君が掃除をサボるからいけないんだ、と。しかし実際には、その○○君とやらは、ちょっとトイレに行っていただけかもしれない。小学生の考えは大人から見ると得てして理不尽なものなので、その程度のことであってもいじめの理由になり得る。彼は、○○君が掃除をサボったから○○君を糾弾するのだ、と言う。彼の言うことは正しい。理由はどうあれ、掃除を抜け出したというのは事実なのであるから、そこを突っつく限り、彼の言い分は正しいのだ。彼は、自分が悪いなどとは絶対に思わないであろうから、先生に叱られたところで反省するなどということはしないだろう。それどころか彼は、先生がいなくなった後で、おまえが悪いんだからなほら泣いてないでさっさと掃除をやれ、ぐらいのことは言うかもしれない。
反論されるのが嫌なら(リンクされるのが嫌なら)web上に文章なんかアップするな、というのは、この状況とほとんどそっくり同じではないだろうか。彼の言うことは正しい。しかし正しければ何を言っても良いのか。相手が傷ついても、それは相手が悪いのか。web上で反論される、というのは単に論理的矛盾を指摘されるということだけではなくて、それが大勢の人の目に触れるということでもある。ほかに誰もいない倉庫で殴られるのと、大勢の人が見ている前で殴られるのとではどっちがより屈辱的か。そんなことは言うまでもない。web上における議論(という名目のディベート)が、観客を意識しないで行われることはほとんどあり得ない。ある意味、web議論の審判者は姿無き観客だ。何かの意見を言う時、そこにどんな気持ちが込められているか、は普通思われているよりもおそらくずっと重要だと思う。ある意見を受け入れられるかどうかは、その内容よりも、その意見を受け入れることが観客視点でみっともなくないかどうか、に左右される。観客の存在を常に意識させられる以上、あまりに頭ごなしな意見は緊張を生む。頭ごなしに意見を否定されれば、観客の手前、簡単には自分の非を認められなくなる。少なくとも表面上は非を認めるとしても、その後には拭いがたい不信感が生まれる。正しさはそれだけで強固な鎧になり得る。反論されるのが嫌なら(リンクされるのが嫌なら)web上に文章なんかアップするな、という意見は正しくて、これを言われたら相手は黙るしかない。しかし、正しければ誰かが傷ついても構わないのか。悪気がなければ誰かが傷ついても構わないのか。加害者が被害者に向かって、もっとタフになれ、なんて言うことは許されるものだろうか。
そうそう。悪意といえば、2ch.のこと。私の2chに対する認識(?)は、情報収集の場としては大変に便利な場所、という程度のもので、どちらかといえばプラスの評価なのだけど、ただ、自分ないし自分の知り合いがあそこの匿名の悪意に晒されるようなことがあれば、その瞬間から私は2ch否定派に回ると思う。
匿名だから言えること、匿名だから面白い議論になる、ということは確かにあると思う。しかしその一方で、あの匿名掲示板は、人間は自分の身さえ安全ならいくらでも残酷になれる、ということを実証しているような場所でもある。2chという場所は、その人の良心を試される、みたいなことを誰かが書いていたような気がするが、まったくその通りだ。匿名性は良心の呵責をいとも容易く奪う。
悪意の話だった。私は正直言って2chでの叩き等に悪意はそれほど感じない。あるいはまったく感じない。数行前に『匿名の悪意』とか書いているけど、あれはあくまでやられた側にとっては悪意以外の何物でもないという意味であって、第三者的な目で見ている限り、私はあの場所に悪意を見ない。しかし2chの叩き等は悪意がないからこそ、おそらくいっそう性質が悪い。悪意を抱くには、普通はそれなりの理由がある。一番分かりやすいのは、ある文章なりが自分の利益(金銭とかだけじゃなくて精神的安定なども含めて)に反するような場合だ。ごく矮小な例で言えば、人間は自分が好きなものを貶されれば腹が立つし、自分の嫌いなものを評価されるのもやっぱり腹が立つ。とにかく自分の価値観を脅かされる状況では、人は心の平静を保つことが難しくなる。叩きに正当もクソもないが、少なくともこういう理由から生まれた叩きは、どちらかといえば私には理解しやすい。しかし2chの叩きはこういうのとは違う。あの匿名掲示板の多くの叩きは、なぜ叩くのかがまるで見えてこないのだ。あそこで叩く人は、自分の中の何かが脅かされたから叩いているのではない。むしろあれは暇つぶしとか悪ふざけとかのレベルの叩きだ。マイナス感情といっても、怒り、という感情は説得力を持ち得るものだと思う。怒りが個人的なものであってもそれが真面目なものであれば、人は自分の経験を参照してその怒りを理解(共感)できる可能性がある。しかし、嘲笑(余談だが私は北野たけしの毒舌が嫌い。あれは嘲笑にしか聞こえないから)はどうやっても説得力を持ち得ない気がする。怒りには本人の体験による裏付けがあるが、嘲笑には裏付けがない。だから、時として笑いが発生することはあっても、説得力は発生しない。2chに問題があるとすれば、そのひとつは真面目さの欠如だ。彼らは叩かなければならない理由がなくても特定個人を叩く。彼らが誰かを嘲笑するのは、そうせずにはいられない=そうしなければ自分の身を守れない、からではなくて、単なる暇つぶしだ。そこに嫌悪感を抱く人がいるのは当然だと思う。
2001/4/22 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#22
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想像力の欠如は最大の罪悪だと思う。
チンケな例えだが。
例えば、Kanon話題専用の掲示板があったとする。そこで栞シナリオの話になり、そこからちょっと脱線してアイスクリームの話になったとする。このアイスが美味しい、いや、こっちも捨てがたい、なんて具合に。もう、この時点で話題はKanonとは全然関係なくなってしまっている。(アイスクリーム繋がり、なんてのは詭弁だ)
ここで、誰かが注意したとする。その話題はKanonとは関係ないから余所でやってくれないか、等。この意見はまったく正しい。しかしこの意見が、その正しさのゆえに素直に受け入れられるなどとは間違っても思ってはいけない、と思う。会話で一番重要なものは何か。会話で重要なのは、話題の内容ではない。その会話の参加者によって期せずして生み出される『ノリ』だ。どんなに素晴らしい意見が提出されようと、参加者が乗り気でなければコミュニケーションは続かないし、与太話だって、参加者がノリノリなら場は盛り上がる。
つまり、アイスクリーム話題で盛りあがっている側の人間からすれば、余所でやってくれ、なんてのは会話に水を差す行為以外の何物でもないのである。会話はノリが命だ。同じ会話を余所に移って続行するなどというのは不可能である。注意する人間の発言は間違いなく正しいし、多くの場合、注意された側は謝罪して自粛するなりの行動を取るだろう。実際問題としては、注意されて逆切れするのはあまりにみっともない。しかし、注意する側は、自分の注意がその会話に水を差したのだということは、心の片隅に留めておくべきではないだろうか。注意する覚悟というのはそういうことだ。少なくともその程度の想像力すら働かない人間を、私は信用しない。
このことは、掲示板のみならず、web日記上であっても変わらない。
例えば、どこかの日記書き者同士がフレーム(感情的論争)をやっていたとする。そして、全然関係ない第三者が、そのフレームをやっている日記にリンクをして、(自称)公平な立場から何らかの意見を述べたとする。この場合、第三者は何も悪くない。普通にアップされているHTMLファイルにリンクしてはいけないなんていう法はないのだし、また、責任逃れをしない限りにおいてはどんな意見を述べるのもその人の自由だ。しかし、悪いことをやっていないのだから恨まれるのはお門違いだ、などと言うのは、私には馴染めない。世の中には、悪意がなくたって相手を傷つけるなんてことは幾らでもある。もし悪意の有無がすべてだというのなら、いわゆる『いじめ』の大半は許されるということになってしまうだろう。あまり議論されないように思うのだが、いじめの最大の問題は、加害者側に自分が加害者であるという意識がないという点にある。そんな状況下で、いくら『いじめはいけない』なんて言っても無意味なのだ。閑話休題。フレーム中の日記にリンクを貼った場合、相手はどう思うだろう。好き好んでフレームを始める人はいないのだし、フレームが少なからずみっともないことであることぐらいはおそらくみんな知っている。ところが、リンクを貼るというのは、ここでフレームをやっていますよと宣伝するようなものだ。当事者がこれを快く思うはずがない。もうひとつ。いじめの現場においては、時として加害者よりも、まわりの野次馬の方が、被害者からより強い恨みを買うことがある。中立だからこそ恨まれる、ということが起こり得るのである。中立的立場に自分を置こうとする賢い人間は、得てしてこういうことを知らない。しつこいようだが、リンクを張ることも意見を述べることも、誰もが持っている正当な権利だ。しかし、権利を持っていることと、権利を行使することとの間には深い溝がある。少なくとも私は、正しいことをすることを躊躇わない人間が恐い。正しいかどうかとは別の次元の問題として、自分の言動が相手にどういう作用を及ぼすかを想像できない人間が恐い。リンクを貼るのは自由というのは基本原則だが、リンクを貼ることの意味について、私たちはもっと自覚的であるべきではないだろうか。
2001/4/15 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#15
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思考の切れ端
◆
このどうしようもない世界で唯一頼れるのは、どうしようもなく頼りない自分だけだ
Abyss - Conclude Another -
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好意が伝わらないことは悲劇といえるだろうか。もしそれを悲劇だと呼ぶなら、私たちの日常は悲劇で溢れているということになるが。好意が伝わらないのは悲しいことかもしれない。しかし他人の言動をありがたいと感じるかどうかはその人の勝手だ。好意のつもりであっても、相手がそれを必要としていなければ、相手にとってはそれは好意でもなんでもない。私は、好意が無視れてしまうことが悲しい。でも、私だって今までに幾度となく他人の好意を無視してきたではないか。
例えば、私は自分の仕事を手伝われるのが嫌いで、誰かが、私がやる予定の仕事に手をつけると不機嫌になる。勝手に俺の仕事に触ってんじゃねぇコノヤロウと思う。こんなテメエ勝手な話があるだろうか。でも、私はやっぱり、自分が悪いとはどうしても思えない。かといって、別に相手が悪いわけでもない。どっちも悪くないのに、ちょっとしたすれ違いが摩擦を生む。私たちの日常はこういう悲劇で溢れている。私はどうすればよいか?
◆
自分の仕事に触られるのが嫌っていうのはずっと昔からそうで、だから例えば、鞄を持ってやろうとするとメイドさんが怒るだとか、とらハ3忍シナリオでの忍のノエルに対する態度だとかっていうのは、私にはごく普通の感覚として分かる。
2001/4/12 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#12
◆
内田光子・ピアノリサイタル [横浜みなとみらい大ホール]
あと、アンコールで、ドビュッシーの沈める寺とモーツァルトのピアノソナタ
K.311から第2楽章、の2曲。
映像の1曲目、水に映る影を聴いていきなり鳥肌が立った。弾く振りをしてCDでも流してるんじゃないかと疑いたくなるような完璧な演奏。ピアノを弾くっていうのは、最も単純に言えば、楽譜に書かれているタイミングで楽譜に書かれている音符の長さに従って鍵盤を押す、っていう動作な訳だけど、現実問題としては普通の人間の手はそれほど精密な動作はできなくて、どうしても若干早まったり遅まったりしてしまうものだ。それが難しい曲であればあるほど、楽譜の通りに弾くという基本的なことはいよいよ難しくなる。自分の経験上、ピアノを弾いている当人はなかなかこういうことには気がつかないものなのだが。これは要するに自分で歌を歌っている時に自分の声を不快に思う人はいないというのと同じことだ。さるピアニストが、自分の演奏を本当に客観的に聴けたら、その人は間違いなくプロだ、と言っていたが、確かにその通りだと思う。自分では調子よく弾いているつもりが、テープに録音して聴いてみたらなんとも御無体な出来映えで愕然としたなんて経験は私にも何度もある。プロのピアニストというのは、もちろん、自分の演奏をある程度客観的に聴く訓練が成されている人種な訳だけど、それでも、実際の演奏ではそうそう上手くいくものではないらしい。ピアノを弾いている時というのは、頭の中にその曲のイメージが既にあって、そのイメージに従って指を動かす(暗譜していて指が自然に動くのは当たり前)のだが、実際にはどうしても、頭のイメージを指を通して反映させる段階で、本人すら気がつかないレベルでタイムラグが生じてしまう。プロのピアニストの演奏ではさすがに聴くに耐えないなんてことはないが、でも、自分が今聴いているものが純粋な音楽であるのか、それともピアニストが出している音の流れであるのかは、やっぱり違う。もっともこの辺りの問題は一概に良い悪いと言えるものでもなくて、例えば人間の不完全さゆえの『ゆらぎ』のようなものが、音楽になんともいえない暖かさや色気を与えたりすることはあるのだし、そのゆらぎを意識的に演奏技法として用いるものが、いわゆるテンポ・ルバートだ。一応補足しておくと、テンポ・ルバートはピアニストの霊感と称するアドリブでやっている訳ではない。これはあくまで意識的にリズムを揺らすのだ。テンポ・ルバート(リズムをわざと揺らすやり方)といえば、ショパンなんかが思い出されるかもしれないが、ショパンの尊敬するモーツァルトは、その何十年か前に、既にルパートについて意識していた。モーツァルトの書簡の中にテンポ・ルバートについて触れている一節があるのだが、それによれば、テンポを揺らす場合でも、どのフレーズにせよ、演奏時間はきまった枠をはみ出してはならず、その中でテンポを揺らすべきだ、というのである。つまり、テンポを緩める場合はどこかでその分の時間を切り詰めて帳尻合わせをしなければならないのだ。ショパン本人の演奏を聴いた人の観察によれば、ショパンはある場所でテンポを緩めても、そのフレーズが終わるまでには正しいテンポを取り戻していたという。演奏技術としてのテンポ・ルバートは、綿密な計算に従って行われる。脱線。
内田光子という人の演奏はピアニストの存在を忘れさせる、ということはだいぶ前の日記にも書いたが、今回実演で聴いてみても、その印象は変わらなかった。目の前では確かにひとりのピアニストがピアノを弾いているのに、私の耳には音楽しか聴こえてこない。むしろ、ピアノ自体が意思を持って、いや、いっそドビュッシーの魂がピアノに乗り移って、ピアノが勝手に音を出している風にすら聴こえてしまう。こんなことを書いて何かが伝わるかどうか、正直全然自信がないのだが、内田光子の演奏は、音の出方があまりに自然なのだ。そこには作為とかは微塵も感じられない。砂浜で聞こえる波の音と同じく、自分(音楽自身)がどんな響きを出しているかなどまったく意識していないかのような自然さ。音楽を聴いているというより、何か心地よい響きが耳に入ってくる、という感じが近いかもしれない。
あと。ここまで書いておいてなんだけど、実はシューベルトは途中で寝てしまった。シューベルトはいくつかのソナタとか即興曲はもちろん頭の中に入っているが、楽興の時は完全に守備範囲外だった。クラシックの世界では、始めて聴く曲で感動できるなんてことは残念ながらほとんどないのだ。
2001/4/8 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#8
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怒首領蜂
波(好調期)がきてたので、しばらくゲーセン通い詰め生活やってました。とりあえずここ1週間の成果をつらつらと。
まずは自己ベ更新から。これは金曜日のプレイ。
550,315,090pts. Maxhit_848
1周18300万(1-4中盤で切れて1200万落ち/1-5ラストで切れて100万ぐらい落ち)。2周目6面の前半ミサイル戦車直後までノーミスノーボム。死んだ時点で5億ちょい。残1ボム0でクリア。
初めてノーミスノーボムで迎えた2-6は凄まじいプレッシャーが。私は特に稼いでいる訳でもない(通常690HITぐらい)ので、普通にやってれば死ぬ要素はないはずなんだけど。繋がってる時は、その普通にやるってのが難しい。
HIT数とか。木曜日に出したもの。
1-2、504HIT.(1340万) 1-4、703HIT.(2526万) 1-5終了時13400万。いずれも局地的自己ベ。今のところ1周の理論値は、細かい稼ぎまですべて含めて19800万というところか。ただし、うち100万は、3面中盤の75HIT繋ぎ(+30万)、3ボス340HIT(+20万ぐらい)、4ボスのレーザーHIT稼ぎ(+40万ぐらい)と5ボスのレーザーHIT稼ぎ(+20万ぐらい)等の稼ぎなので、現実的にはほとんど意味がない。4ボス、5ボスの稼ぎは普段はやってないし。目下のところ、1-6全繋ぎでも成功させない限りこれ以上のスコアアップはほぼ無理だろう。
あと、最近、火蜂の発狂攻撃がなんかやたらとよく見える。端的に言って死ぬ気がしない。まぁ実際には死ぬんだけど、昔に比べると絶望的な状況は起こらなくなった。連日80〜100HIT台が出てるし、繋がった時に決まれば(人生ナメ過ぎ)かなりのスコアアップが望めるかもしれない。
土日はトータル10時間ほど練習して、クリアは3回。4.5億、4.9億、4.3億。
2001/4/1 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-04.htm#1
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とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜 (JANIS/IVORY)
忍 『わたしの叔母が…』 そ、それはまさか…!?
忍 『子供ができやすくなる時期があって…』 そ、それはまさかっ!?
忍 『ひとりでするの禁止』 ぐはぁぁぁっ。
忍シナリオ読了。
はにゃーーーーー。ごろごろごろごろー。あー、この甘々っぷり、すごくいい。
『一族の誓い』とか、こういうシチュエーション大好きなんですよぉ。私は子供の頃から、人外の一族(吸血鬼とか)みたいなものにすごく憧れてて、血の契約とか血の誓いとかして、闇の一族に入りたいなぁなんて想像をしてたんです、時々。なもんだからもう、こういうシナリオを見るとゾクゾクしちゃいます。夢が叶ったような感じ。
シナリオ全体として見てみると、那美/美由希シナリオと比べて、より恋愛色の強いお話になってる印象がありますね。ふたりきりの時の甘々な恋愛描写があって、各キャラ同士の横のつながりがしっかり描かれていて全体が家族的な優しさに溢れていて、かつ、泣かせるところもしっかり押さえてあって、こういう言い方は抽象的なんでアレだけど、とらハシリーズの集大成という感じ。初代に負けず劣らず甘く、さざなみ女子寮に負けず劣らず優しい。冷静に見たら、ラスト付近なんかは結構ベタな展開だと思うんですけどね。でもそんなことはどうでもいいのです。都築キャラはみんな、いつでも好きな人のために一生懸命で、しかも彼らにはそれがまったく当たり前なんです。彼らには、きっと、自分が好きな人のために一生懸命だとか、あるいは優しいなんて認識はないでしょう。都築キャラの魅力は、その『当たり前さ』にあるのではないかと最近思います。
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怒首領蜂。(土曜日の分)
試しに2P側でやってみる。画面に対する目線の位置が違うせいか、あるいは、体とレバーの位置が上手く合わないせいか、自機が思うように動かせない。左に真っ直ぐ行こうとすると左上に行ってしまったりとか。捨てゲーを5回ぐらいやったあと、繋ぎはすっぱり諦めて死なないこと最優先パターンに変更。1周目で2周目のパターンを使えば、道中/ボス共に死ぬ要素なし。2周目はまぁそれなりに。微調整が要求される場面は繋がない方向で。結果、一応火蜂までは行ったのでまぁまぁか。2-5道中はノーミスノーボムだったし。
確か、2P側だと処理落ちが掛かりにくいと聞いていたのだけど、道中に関しては1P時とほとんど同じ感覚で問題ないような気がする。2-5なんかも特に恐いとは感じなかったし。ただ、問題は火蜂の発狂。1P時と比べるとあからさまに弾が速い。残機を残さなければならないレベルの人にとってはこれは相当キツイんではないだろうか。私はまぁこの時は遊びでやってたので実は結構楽しかったのだけど、繋がってる状態でこのスピードの弾が来たら、はっきり言って寒くなると思う。
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怒首領蜂。(日曜日の分)
今日の成果。
遂に、2面クリア時2000万突破。1面クリア時379万、2面501HIT/1334万、ボス242HIT。で、20,056,880pts.
あと、別のプレイで2面HIT自己ベ更新。502HIT/1332万。501HIT時より点数が低いってのはどういうことか。4面は701HITで3HIT落ち。理論値は704HITか。まだ色々安定しないので現状では出せる確率皆無だろうけど。
今日は3回プレイで、4.7億(ALL)、4.4億(2-7)、4.2億(2-7)。1回目は2-5前半までノーミスノーボム。2回目は2-3中ボスと2-3ボスで死んで以後2-6ボスまでノーミスノーボム。3回目は1-6ボスで4ミス(爆)後、2-3ボスで1ミスその後2-6ボスまでノーミスノーボム。なんかなぁ、あっちが繋がればこっちは繋がらず、といったところ。まぁ3プレイとも道中ではほとんど死ななかったのでその点は悪くないと言えるけど。
…関係ないけど、やっぱ2-6の蜂パーフェクトは狙いにいこうかななどとなんとなく考え中。2-4ラストは恐いので繋がってる時は無視する方向で。
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