鬱と電波と萌えな日記



はじめに.

 書いてる人(しのぶ)は基本的に情緒不安定な人ですので、日によって鬱な内容だったり毒電波が混入してたり下品な文章になったりすることがあります。合わないと感じましたら、読むのをお止めになることをお薦めします。

 日記内では、ゲームや漫画等のネタバレがしばしば含まれています。ネタバレ時は赤字にてその都度注意書きを加えますが、忘れることもあります。その旨予めご了承ください。


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2001/3/31 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#31


 うにー。なんかむちゃくちゃ寒いんですけど。心が…ではなくて体がね。いや、心が寒いのはある意味常時だし。遠野さんいないし。


 づしの森BBSから飛んで、メイド哲学論考。トップはこちら

 うわははははは。すげぇ…いやむしろ素晴らしい。感動しました。マジで。これがメイド認識のスタンダードになってくれると嬉しいなぁなんて。あと、元ネタの雰囲気そのままでよくここまで上手にパロったなぁってのも感心。


 とらハ3。忍シナリオをちまちまと。所はお花見。(注、とらハ3はフルボイスです)

忍 『普通に呼んでくれていいよ』
那美 『あ…、じゃあ…忍さん』

 よっしゃーーーーーっ。(歓喜)

 私は今日ほど、自分のHNがしのぶで良かったと思ったことはありません。もはや我が人生に一片の悔いなしてな感じですわ。多分、うまくいけばこれから全キャラに名前を呼ばれることになるであろう。ふふふふふ。


 内緒で日記ページのアクセス数をカウントして1週間経過。908HITでした。1日平均で129HITというところですか。10月にカウントを取った時は110HIT平均だったから、微妙に増えてますな。いや、1割増なら微妙でもないのか。とりあえず、ショックを受けずプレッシャーも掛からず、という適度なHIT数といえるかと。実のところ私としては『みちるたんハァハァ(´Д`)』とかの類の妄想話を書くたびに来訪者が減っているのではないかと密かに不安を抱いていたのですが、その程度ではカウントは左右されないんですかね。


 そういえばタイムリーな話ってことで、カウンターに関するアンケイトとか。サイト持ちの方には結構興味深い内容なんではないかな。うちは、トップページにカウンターを付けてた当時、1日平均150〜250HITぐらいだったのだけど、これが結構クセモノで、数字が減るとなんとなく落ち込むし、逆に数字が増えると、うわ迂闊なこと書けないなぁとか変に意識してしまって、毎日一喜一憂してたものでした。カウンターを付けるのを止めたのは、結局、そんな風に数字の上下に気持ちが左右されてしまうのが鬱陶しくなったからなんですけれども。カウンターを外して三ヶ月経つけど、思うままに好きなことを書ける今はまったく気楽なものです。

 増えると困るアクセス数っていうのは私も具体的な数字を持っていて、大体平均値に対して+50HIT出るとプレッシャーが掛かりまくりますね。まぁ今はそんな心配とは無縁なのですが。

 そうそう、上記アンケイトをやっているサイトのトップはこちら。

 私の立場は…えーと。ネットワークうろうろ日記時代からの隠れファンというところです(笑)。いや、アクセス解析取ってるみたいだし、一応ご挨拶みたいな感じで。


 あと、ついでと言ったら失礼だけど、ネット・コミュニティとリンクについての意識の違いとか読んでみて。

 私が自分の日記にアンカーを入れるのは、多分ちょっと特殊な意味があって。私は日記をコミュニケーションの手段としては必ずしも捉えていなくて、だから本来は別にアンカーなんかなくても構わないんです。ただ、他人の日記内の特定の記述に直接リンクできるのは便利だなぁとは思っているし、現実には私も他人の日記内の記述にリンクを貼る場合があります。私の場合は主に、コミュニケーション手段としてではなく、日記という場所で独り言を言うに際して、その独り言の切っ掛けになった文章を読み手が参照できるようにするということが目的なんですけど、それはつまり、参照元を明示することによって、私の日記と私が触発された文章とを、読み手が比較検討できる環境を用意するという意味でもあります。ただし例外として、リンクを貼ることが『さらしあげ』になってしまう可能性があると思われる場合には、文中リンクはしません。こういう場合、私の悪意の有無はあまり問題ではないのです。私に悪気がなくたって、相手は『さらしあげにされた』と思うかもしれないし、それに対して私に責任がないとはおそらく言えないと思うので。結局、私がアンカーを入れるのは、私が他人の日記内の特定の記述へリンクを貼ることができるのに、他人が私の文章内の特定の記述にリンクを貼ることができないのは不公平ではないかな、というそれだけのことなんですね。こちらからリンクを貼る以上、こちらも相手がリンクを貼れる環境は用意しておくべきじゃないか、みたいな。

 うちはまぁ…日付のトップにしかリンクを貼れないんで、本当のところは『用意しておくべきだ』なんて言えた義理じゃないんですけど。でも各段落毎にアンカーつけるのって面倒なんですよぉ。私はメモ帳で文章書いてホームページビルダーでHTML化してるクチですし。


2001/3/30 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#30


 怒首領蜂

 現在の2周目各面の道中ノーミス突破率はおそらく8割程度だろう。昔に比べればパターンは格段に進歩しているし、勝率80%といえば聞こえはいいけど、実際問題としては5回に1回の割合で死ぬ、とも言えるわけで、6億を目指すプレイヤーのレベルとしては『問題外』だと言わざるを得ない。各面とも、一応の安定パターンはできているのだけど、ここまで来たらもはや『一応』じゃダメだ。死ぬ要素なし、まで練り込まなくちゃいけない。今まではミスに対する反省が甘すぎた。どんな死に方だろうと1ミスは1ミスだ。1ミスを許さない、同じところで絶対ミスしない、ぐらいの姿勢でやらなくちゃいけない。

 今日の成果。

 1-4で701HIT達成。他に700HITで-2HIT落ちというプレイもあったので、理論上は702HITまで伸びるはず。稼ぎ個所は最初の廃墟をレーザーで破壊するパターンに変えたのと、花壇の撃ち込みで+1〜2HITぐらい。

 1-2は今日は500HITしか出なかったが、後半の右の建物にレーザーを当てた時点(左の箱1個残し)で339HITが出たので、
理論値は502HIT…のはず。前半の箱×3地帯の撃ち込み方で平気で2〜3HIT変わってしまうのが問題。安定は可能だろうか。


 夏影の序奏が、観鈴の『ためらい』に思えて仕方がない今日この頃。ああいう娘が、誰かに話し掛ける前に無意識に感じてしまう恐怖、拒絶されたらどうしようって感覚。それでも笑顔を作って観鈴は往人に話し掛ける。序奏からテーマの入り。
 さすがにここまで来ると私の妄想だろうけど。

 観鈴に、『お前は強い娘だよな?』って聞いたら、多分、一瞬の間を置いた後で、『うん、観鈴ちん強い娘』って答えて、『にははっ』って笑うと思う。でも、もし私が観鈴に信用されてたら、観鈴は例の困った風な顔をして『わたし、強くなんかないよ…』って答えると思う。絶対。

 観鈴は強いのかどうか、優しいのかどうか。結局私には分からない。私にとって、観鈴はまず第一に『不幸な子供』だ。観鈴は女じゃない。子供だ。観鈴が妙齢の美少女であるのはおそらくギャルゲーのお約束に則ったという以上の意味はないような気がする。別に観鈴が妙齢の美少年であったって、あるいはもっと年齢を下げたって、同じ物語を描くことは可能だったはずだ。

 ていうか、無愛想な青年と病弱な美少年のカップルってかなり萌えると思うのだがどうよ。例えばビジュアルは顔のない月の依緒みたいな感じで。

 ああ思考がどっか逝ってしまった。続きはまた後で。


2001/3/29 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#29


 相変わらず夢見が悪い今日この頃なのですが、目下のところ最大の悪夢は、高町なのは(とらハ3)が攻略できないらしいことです。あの声で『あんっ(はぁと)』とか言って欲しかったのになぁ。


 『ぴたテン』の3巻は4月27日発売。ふむ、メモメモ。


 お星様にお願いっ! 6巻 [藤崎真緒/白泉社/花とゆめ]

 前半はタルイが後半で猛烈な巻き返しが。

 『せんせがなんにもしてくれないからヘンになっちゃったんだ』(←ちまの台詞・ネタバレにつき隠蔽)

 ああなんて素晴らしい。素晴らしすぎる。藤崎先生は天才に違いありません。この一言だけでコミックスの値段分の価値はあるでしょう、間違いなく。まさに最強の殺し文句。こんな台詞言われてみてぇ。

 あと、縞崎先生(vs天ちゃん)の余裕っぷりも素敵。『自分が惚れた女が子供だと思ってんの?』とか『分かってないなぁ』とか。もう端から勝負になってないじゃないですかセンセー(笑)。お邪魔虫が入るのは少女漫画の王道だけど、ちまと縞崎先生のカップルに関しては、今後、もう不安になったりする心配はないかもしれない。

 あと、脱線するけど、私は『分かってないな』って台詞が昔から好きで。なんで好きだって、これって独占欲とそこから来る優越感に満ちた台詞だからです。例えば幽遊白書で樹が言った『わかってないな…』ってやつなんか個人的には最高の名台詞で。樹の、仙水さんを独占したい、忍は俺のだって気持ちは恐ろしく強いです。台詞のそこかしこに、俺は忍のことならなんでも知ってるんだみたいなニュアンスが見え隠れしていてもう激萌え。挙句の果てに『忍の魂は渡さない』ときて『(中略)俺はそれが少し悔しかった』とくる。樹の独占欲っぷりには本当に惚れ惚れします。これこそある意味理想のカップルです。


 っポイ! [LaLa 5月号]

 今月は、読者サービス月刊ですか?(笑) 
 私はトラちゃん萌えーな人なので、彼の出番が多いと嬉しいです。あーそうだ、これだけは言っておかないと。とりあえず、平のファーストキスを奪った万里は逝ってよし。平のファーストキスはトラちゃんのです。これだけは譲れません。いや、もう手遅れだけど。くそー。


2001/3/28 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#28


 とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜  (JANIS/IVORY

 美由希シナリオがあまりにツボなので2回目。改めてシナリオを追ってみると、なんていうか、工夫も独創性もないシナリオだなぁなんて思う。どっかで見たような話、というか。でも、そんなことがどうでもよくなってしまうぐらい、この物語は私の心のツボに入る。どうしてこんなに泣けるんだろう。

 昔からなんとなく考えていたのだけど、物語っていうのは、それが素晴らしいものであればあるほど、『粗筋』という言葉は意味を成さなくなるものだと思う。Kanon の真琴シナリオは、一匹の狐が昔の温もりをもう一度願って云々という物語であるわけだけど、実のところ、粗筋をいくら丁寧に説明したみたところで、そんなものはゲーム本編の真琴の『あぅー』という一言にすら絶対に敵わない。真琴の『けっこんしたい』という一言に比べれば、私が書いているレビューもどきなんてクソみたいなものだ。

 私は、とらハ3の、というか美由希シナリオのどこに魅かれているんだろうというのが、昨日からずっと分からなくて、今日、もう一度プレイしてみたのだけど、やっぱりよく分からなかった。結局、このシナリオの魅力がどこにあるのか、今だに分からないままだ。で、目先を変えて、今、自分が一番言いたいことはなんだろうと考えてみて。結局、残ったのは、美由希と一緒にいたい、というそれだけだった。いや、正確に言えば、私はしのぶとして美由希と一緒にいたいと思ったのではなくて、恭也になりたいと思った。恭也になって、『恭ちゃん♪』と美由希に言われたいと思った。恭也になって、『お前は俺の宝物なんだ』と言いたいと思った。恭也になって、美由希と一緒に修行して、美由希の成長を見守って、時には『強くなったな』と髪を撫でてやったりしたいと思った。私は今まで色々なギャルゲーをプレイしてきて、萌えキャラの名前を列挙したら多分三桁に達するだろうと思うのだけど、一緒にいたいですらなく、ただ、主人公になりたいと思ったのは、ONEの折原浩平ぐらいのものだ。私は、浩平になって、瑞佳と一緒に年を取りたい、と今でも本気で思っている。瑞佳と一緒にいるのは、しのぶではいけない。瑞佳が名前を呼ぶ相手は『浩平』じゃなくちゃダメだ。『浩平』以外の名前を呼ぶ瑞佳は瑞佳じゃない。だから、私は浩平になりたかった。浩平になって、瑞佳とクレープの奪い合いをして、一緒に年を取って、いつか、陽のあたる縁側で、ふたりで寄り添ってお茶を飲んで、昔のことを懐かしく語り合ったりしたいと思った。瑞佳は、私の中ではそういう特別なポジションにいる。こういうことを考えたのはONEだけだった。そして今、とらハ3の美由希シナリオをやって、私は再び同じことを願っている。恭也になって、美由希と一緒にいたい。兄妹でも、恋人でも、その辺りはどっちでもいい。ただ、美由希に『恭ちゃん』と呼ばれたい。美由希と一緒に年を取りたい。いつまでも、一緒に修行したい。ああやっぱ他の男に渡すのは嫌なんで、恋人モードで。美由希の隣にいるのは恭也じゃなきゃイヤだ。いつか、恭也と美由希は結婚するのだろう。そんで、子供を産んで、子供を抱く美由希を中心に、恭也とフィアッセとの三人…いや四人で、笑いあう。子供が生れたと聞いて、忍や那美さんも遊びにきたりする。それから、子供も少しずつ大きくなって、美由希と一緒に剣の修行をしたりする。いつか子供も大きくなって巣立って行き、気がつけば、恭也も美由希も、おじいちゃんおばぁちゃんになっている。でも、相変わらず、ふたりは一緒にいるだけで幸せそうで。こんな想像が自然にできてしまうのが、とらハの凄いところだ。永遠に一緒にいたいなんて思わない。年を取って構わない。いやむしろ、一緒に年を取りたい。永遠なんか求めなくても、浩平と瑞佳がそうであるように、恭也と美由希もずっと一緒だ。それだけで十分ではないか。

 個人的には、もう他のシナリやんなくていいかなとか思ってるんですがどうしたものか(笑)。


2001/3/27 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#27


 とらいあんぐるハート3 〜Sweet songs forever〜 (JANIS/IVORY

 改めて見ると、今作は前作と比べるとシステム回りが格段に進歩していると思う。要所々々で自動的にセーブされていつでも前の選択肢に戻れるとか、ゲームオーバーになると、なのはが出てきてヒントをくれるとか、更にそこから間違った選択肢のところまで自動的に戻れるとか、テキストの自動送り機能が付いてるとか、無駄に攻略対象外キャラにしつこく会わなくても物語が進行するとか、テキストを戻して読めるとか、色々。美由希シナリオを終えるまでに2回ほどゲームオーバーになったけど、ストレスはまったく感じなかった。あと、一度クリアしてみて気が付いたのだけど、2回目からはプロローグはおろか、第一部、第二部、第三部の好きなところから始められるらしい。第三部で最初に一人のキャラを選ぶと、その時点で第一部第二部でのそのキャラのフラグが立ったものとして自動処理されるとのこと。とにかく、快適にプレイを楽しんで貰おうという配慮が、非常に細やかになされている。こういう配慮はすごく好印象。一人のシナリオをクリアして、次のキャラのシナリオに移る際にも、億劫になったりすることがない、というのは、こういうマルチシナリオのゲームでは非常に重要だと思う。

 美由希シナリオ読了。
 どうして都築さんの描くお話はこうツボに入るんでしょう。私の弱いところを狙い撃ちされている感じ。
 脳が溶けてて、もう一回ぐらいやらないとうまくコメントできない。今は一言だけ。もし、好きな人のために生きられたら、人生はきっとすごく美しいと思う。


 最近、しばらくweb巡回をサボってて、というか、最小限のところ以外は回らないようにしてたんですが、それは別に忙しいとかそういう理由ではなくて、そうしなくちゃいけない、そうすることが今の自分に必要だと思ったからなんです。正直言って、私は、他人の書いたweb日記を読んで落ち込んだりなんてことはしょっちゅうで、あんまりそういう状態が続くと、自分の立ち位置が分からなくなってしまう気がして、それが恐いんです。だから、他人の言葉を極力頭に入れたくなかったんです。二人の方が独りよりも多くのことができるというのは多分本当ですけど、人生には、独りでなければできないこと、独りだからこそ分かることもきっとたくさんあると思う。

 昨日、一昨日辺りに掛けて、しばらく読んでなかったweb日記をまとめて読んでみて、いつもの通り、ある日記を読んでニヤニヤしたり、別の日記を読んで落ち込んだりとかした訳ですが、それで、自分と他人とを比べるような感じで読み、かつ思考した結果気づいたことがあって。どうも、しのぶという奴は、牧歌的なものに対する憧れがものすごく強くて、そういう描写にすごく過敏に反応するらしいです。例えば、とらはシリーズが好きであること、AIRの美凪シナリオに非常に強い思い入れを抱いてしまうこと。あと、AIR編でいえば、観鈴も、往人も晴子も、テメエ勝手で、それぞれが良くあるように行動しているにも関わらずどこか噛み合っていない、という感じ、断絶感、みたいな視点にまったく気が付かなくて、他人の文章を読んで始めて、こういう視点もあるのかと目から鱗が落ちるような思いをしたのですが、ただ、私はそれらの意見(夏町さんが書いた Waffle in the AIR は、現在までに AIR について書かれたものの中で、おそらく最も美しい文章)を心から受け入れつつも、やっぱり、AIR編においては、勝手であろうがなかろうが、とにかく晴子は観鈴のために還る場所を用意することができたのだ、という辺りに、もっともウェイトを置きます。そういう側面に、私は自動的に、過敏に反応するらしいのです。念のため言っておけば、Waffle in the AIR を受け入れることと、自分の意見を信じることとは、私の内部ではまったく矛盾しません。どちらもひとつの物の別の側面に違いないと思うからです。

 あと、しのぶは時として、物語にエンターティメント以上のもの、言ってしまえば『救い』みたいなものを求めているのではないかと思うことがあって。最初はエンターティメントとして楽しんでいるとしても、物語のある部分に、心安らぐものを見つけるとそこに敏感に反応して、その瞬間から、物語はエンターティメントではなくなってしまって、何かもっと切実な体験みたいなものになってしまうような気が、最近しています。

 とらハ3は、目下のところそういう感じです。とらハ3をプレイしている時、私は多分、決して手の届かない憧れの世界を垣間見ているのだと思う。憧れの世界が目の前にあるから、とらハ3をプレイしている時間はあんなにも気持ち良いのだと思う。私は、ああいう世界に手が届かないし、また、致命的な人間不信のゆえに、ああいう世界に住む資格を持つ人間でもないのですが、それでも、綺麗な世界をどうしようもなく求めてしまうのは止められないらしいです。


 以下、番外編。(分かる人だけ分かりゃいいんでリンクは貼りません)

 リンクを貼った上で『くだらねぇ』という感情的な言葉を使っている以上、当然、反論される覚悟はお持ちなんでしょうということで、人はしたたかな生き物っていうのは確かにその通りでしょう、しかしこの言葉は極めて汎用性の高い言葉で、それゆえに説得力を欠くと言わざるをえません、ぶっちゃけた話、人はしたたかな生き物という言葉だけで、エロゲーのハッピーエンディングの9割以上を否定することが可能なんです。人は不幸になったってなんとか生きていける、というのは正しいけれども、それを言ったらお終いというか、だからといって、ハッピーエンドを称揚することに対してくだらねぇなんて言葉を使うことが果して理性的な反論なんでしょうかね。

 ついでにKanonについてちょっと触れておくと、例え奇蹟が降ってわいたようなものであっても、それによってKanonの美しさは少しも損なわれない、というのが私の立場です、つまり、Kanonの美しさは奇蹟なんぞに負っているわけではないと思っているのです、構成上は確かに奇蹟は起こらなくても物語は成立するのですが、それでも奇蹟が起きないよりは起きたほうが良い、とも、本気で思っています。

 まぁ好きも嫌いもその人の勝手ですし、どうでもいいんですが。そもそも勝手に期待されて勝手に落ち込まれたって、そこまで責任は負いきれませんし。


2001/3/26 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#26


 センチメンタルグラフティー調教ゲーム化きぼんぬ、なんて話を友達としてて、そのついでにちょっと思い出したのだけど。

 このゲームって自分の好きな時に電話でヒロインを振ることができて、振るとヒロインが自宅に押しかけてきて泣いたり怒ったり詰(なじ)ったりとかする訳だけど、考えてみたら、このゲームで恋人関係が生れるのはエンディングに至ってからなんで、それ以前の段階ではふたりの関係はせいぜい『昔馴染み』、もしくは『仲の良い友達』くらいのもののはず。要するにだ、別れ話でヒロインに泣かれるっていっても、そもそも俺たちそんな関係じゃねぇだろ、って疑問がある訳で。大体設定上だって、手紙を出したのは12人のうちの1人だけで、それは逆に言えば他の11人はそれほど切実に主人公を求めてるって訳でもないってこと、でもあるはず。

 とりあえず。昔馴染みに義理立てするために一介の(?)高校生が全国縦断は無理があるだろうってことで、1年間の間に何人調教できるか、みたいなゲームの方がまだしも説得力があるんではないか、みたいな。

 んで、続編は。傷心のヒロインと新しい主人公って設定はそのままで。初えっちシーン時の決め台詞(?)は、ヒロインを押し倒して『忘れさせてやるよ』とか。ベタすぎですが。あと、見所は言葉攻め。『1』の主人公によって既に調教済み、という辺りを言葉でねちっこく攻める(人妻モノみたいな感じ)、新たな主人公。ああでも私、北川みゆき漫画にでも出てきそうなクールで気障なタイプって嫌いなんですわ。ダメじゃん。


 どうしたことか、最近嫌な夢ばっかり見る。
 幻影旅団に命を狙われる夢とか、PCが火を吹く夢だとか、昔あった嫌なことが再現されるとか。

 悪夢を見ると、寝覚めが非常に悪い。元々私は寝覚めは良い方ではないのだけど、悪夢を見て目が醒めた時は、もう最悪で眠い眠くない以前の問題として、鬱になって、ベッドから出たくなくなる。体にも心にも力が入らなくて、動きたくないという状態になる。

 あんまり関係ないけど、生きる力を失った観鈴の描写を見た時、ああこれ描いた人はよく分かってる、と思った。『死ぬ気になればなんでもできる』なんて言葉をたまに聞くけど、こんな台詞は、死のうなんて一度も考えたことのない人の寝言に違いないと思う。人間っていうのはさ、基本的に生きる意志を持った生き物だと思うんですよ。いや、生物全般がおそらくそうなのだろうけど。人間っていうのは、多分、死を指向するようには本来できていなくて、死ぬ、ということを自分の意志で決めることは不可能だと思うのです。死というのは自分で決めるものではなくて、ただ、生きるのがもはや不可能だと思われた時に、人は期せずして死に近づいていく、というのが本当は近いのです。人は死に向かって歩くのではなく、ただ生きる力を失うだけです。もはや死にたいとすら思わない、ただ何もしたくない、ここまま消えてしまいたいという感じ。生命力が尽きる感じ。人が死に捕えられるのは唯一そういう状態だけです。人は死ぬのではない、ただ、力尽きるだけです。私は少なくとも、そういう状態以外で『死』をリアルに捉えられない。それ以外の死は私にとってはすべて嘘っぱちです。

 生きる意志、といえば、『沈黙の春(レイチェル・カーソン)』を読んだ時、ガン細胞はいかにして発生するか、というくだりにすごく心を打たれたことがある。私は医学的なことは全然分からないし、そもそもこれが書かれた当時と今とで医学界の見解が一致しているのかどうかも分からないのだけど、要するに、この本によれば、ガン細胞というのは、普通の細胞が機能を傷つけられて正常な呼吸ができなくなった時に、生きるために自らの体を異常な呼吸に対応できるように作り変えてしまう、それがガン細胞だ、というのである。この見解に、私は本当にびっくりした。それが事実がどうかということよりも、とにかく、その生命力、何がなんでも、例え奇形になってでも生きようとする生命力の強さに、私は感動した。生命はまず第一に生きることを指向する存在なのではないか、という考えを持つようになったのは、多分この時期からだったと思う。


2001/3/25 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#25


 ONE2〜永遠の約束。

 …ネタだと言ってくれ頼む。鬱ダ。


 友達のお誘いを受けて秋葉原へ。
 帰りにCOCOSに寄ったら、メニューにイチゴサンデーがあったので注文してみたりなんて話はどうでもよくて。

 買ったもの。

01) 恋愛CHU! [saga planets]
02) 椿色のプリジオーネ [ミンク]
03) POWDER SNOW [MEGAMI]
04) 月姫 [TYPE-MOON]
05) Modream [E-Skirt]

 以下、同人誌。

01) イチゴSunDay [plum R] Kanon/オールキャラ・ギャグ
02) 奈瀬の碁 [なかよひ] ヒカ碁/椿×奈瀬18禁
03) ねこっちゃ琴音 [蛸壺屋] 東鳩/琴音18禁
04) とらハ準備号 [コスプレ喫茶娘々] とらハ3/久遠×那美18禁
05) MOUSOUみにしあたー6 [STUDIO BIG-X] CCさくら/シスプリ 18禁
06) 世界は広がる!! [スタジオ NG] ONE/みさき先輩
07) Eternal Wind [みりこる] AIR/観鈴18禁
08) Eternity〜きらめきの時の中で〜 [水色仔猫] Kanon/真琴メイン? 
09) Strawberry Love [水色仔猫] Kanon/名雪
10) かのにずむ・8 [PLUM] AIR/柳也×神奈18禁
11) Peppermint Shot!! [WARP LOOP] SeeIn青/18禁

 個人的には『Eternal Wind』がヒット。いたる絵とはだいぶ違うけど、こういう観鈴も可愛い。ただのエロパロになっていないのも○。エロ方向では『ねこっちゃ琴音』の莫迦っぷり(誉め言葉)と『MOUSOUみにしあたー6』収録のシスプリ漫画がいい感じ。あと、『Eternity〜きらめきの時の中で〜』は真琴萌え者必読。(これはマジで良いので強調)なんとしてでもゲットするべし。

 …とらハ本はちと鬱。普通のレズにしてくれお願いだから。(T-T

 疲れたので寝ます。おやすみなさい。


2001/3/24 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#24


 怒首領蜂

 484,440,740pts. maxhit_870

 2週間ぶりのクリア。なんとなく嬉しいので点効率とか書いてみる。(面/HIT数/面クリア時スコア)

1-1 192、61  364万
1-2 499  1970万
1-3 111、40、22、65  3970万
1-4 696  7400万
1-5 870  13360万
1-6 721  19560万

2-1 192、61  21700万
2-2 488  25700万
2-3 108、40、94  32000万
2-4 道中、2機目の大型機で死亡。マキシマムx11消滅(泣  35900万
2-5 821  41000万
2-6 688  45000万ぐらい?

2-7 鬼畜蜂戦、残4/ボム5でスタート。
2-7 火蜂戦、残4/ボム1でスタート。残2ボム6で発狂へ。んで、そのままクリア(ボム5発使用)。残2!!


 とらいあんぐるハート3 〜Sweet songs forever〜 (JANIS/IVORY

 那美シナリオ読了。
 あーもう。やられました。メロメロ。叫びたい気分。冷静になんかなれない。こういう物語に会うためにエロゲをやってるんですよ私は。那美さんと出逢った頃の恭也の回想とか見てて、ああ人から優しくされるってなんて気持ちいいんだろうと思って。初えっちの翌日、学校で那美さんに会って声を聴いた途端ドキドキして。それからずっと那美さんの声を聴くたびに心が踊って。眩しくて那美さんの顔がまともに見られなくて。那美さんの笑顔がただそこにあるだけで、どうしようもなく幸せでした。

 今まで私は、都築真紀氏の真価は萌え描写にあると思っていたのですが、この考えは撤回します。思い出してみれば、初代とらハの頃から、都築キャラはただ可愛いだけの女の子ではなかったんです。唯子も小鳥も、ゆうひも知佳も、那美さんも、みんな、恋する女の子であると同時に、それぞれの人生をひたむきに生きる女の子でもあって。彼女たちは、恋愛以外の場面でも、自分の大切な何かのために一生懸命です。いや、むしろ恋愛以外の場面の描写の方にこそ、都築氏の描きたいものがあるのではないかという気さえします。都築ワールドでは、女の子は男性の従属物ではありません。東鳩やONE、Kanonといった、一世を風靡したエロゲは、基本的に、ヒロインは主人公の男性に頼らなければならない弱い存在として描かれているのですが、とらハシリーズではこの原則は必ずしも適用されません。とらハシリーズのヒロインたちは、みんなそれぞれの人生をしっかりと生きています。普通の男の子と普通の女の子がごく普通に出逢って、ごく普通に仲良くなり、ごく普通に恋をする物語がとらハです。とらハシリーズのヒロインたちは、男性によって保護されなくてはならないような存在ではないということ。これは注目するべき差異でしょう。物語の中では確かに男の子と女の子が出逢っているのだとしても、それは同時に、もっと基本的な、人と人との出逢いでもあるのです。彼女たちは、主人公の前でみせる恋人としての顔と、本人だけが所有している人生を生きるひとりの人間としての顔との2種類の顔を持ちます。これは差異を強調するものではなくて、あくまでも、ひとりの人間が当たり前のように持っている、別の側面であるに過ぎません。この多角的な描写こそ、都築氏の真骨頂ではないでしょうか。この多角的な描写によって、都築氏は、ヒロインたちに、驚くほどの存在感を与えることに成功しています。もちろん現実にはあんな悪意の欠片もないような女の子はいないでしょう。しかしとらハシリーズをプレイする時、他のどのゲームをやる時よりも、私は画面の向こうのキャラにリアリティを感じます。画面の中に、等身大の女の子がいるような錯覚を覚えます。おそらく、だから、とらハシリーズのヒロインたちの優しさは、私たちの胸を打たずには置かないのです。紛れもなく作り物なのに、そんな女の子は現実のどこにもいないのに、画面の向こうの女の子の笑顔を、女の子の優しさを、私は信じてしまう、というか、信じたいという気になってしまうのです。

 …すまん、尻切れとんぼだけど力尽きました。


 今、うちの日記ってどのくらいの人に読まれてるのかしらん。なんてことが気になったので、暫定的に調査。
 つっても、日記[http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary_new.htm]にカウンターを付けるだけですけど。とりあえず1週間だけ統計を取って平均値を出す、という以前と同じやり方。以前調べた時は確か1日延べ100人前後だったような気がするけど、今はどうだろう。減ってたら寂しいが、かと言って増えて欲しくもないというのが正直なところなのだけど。個人的には50〜100HIT平均ぐらいが理想なんですけどね。それ以上多いと、プレッシャーが掛かって自己満足文章が書きにくいし。

 そういえば関係ないけど、恋ZEROに登録されているのを知った時はなんとなく嬉しくなりました。
 ああやっとここまで来たかって感じ(笑)。


2001/3/23 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#23


 ねーむーいーのですー。
 とらハ3やりながらウトウトしちゃうしー。
 という訳なのでおやすみなさい。


 あーそうだ、忘れないうちにメモ。

 青空[AIR]の歌詞カードを読んで始めて気がついたのですが、『誰よりも遠くにいってもここからまた笑ってくれる?』のくだりって疑問形なのね。これが意外、というかちょっと不満なんです。私としては、ここは疑問形じゃなくて言い切りの方が良いと思うんですよ。観鈴はあの時、自分がいつでも帰れる場所を確認するために、あるいは自分を無条件に認めてくれる場所(家族ってそういう存在でしょ)を確認するために、晴子の元への10歩をわざわざ歩いたわけなんで、そのゴールを目指す観鈴にとって、晴子の腕の中は、自分が当然のように居て良い場所だったはずなんです。あの場面が美しいのは、なによりも、観鈴の確信、あるいは迷いのなさのゆえ(私たちが観鈴を見ると不安を覚えるのは、観鈴が孤独だから、観鈴が帰る場所を持たない少女だからです)なので、あそこは言い切りの方が良いような気がするんですよ。『誰よりも遠くにいってもここからまた笑ってくれる』はあの時の観鈴にとって、絶対に疑う余地なんかない当たり前のことだったはずなんですから。

 以下、微妙に脱線しつつ。

 観鈴に必要だったのは、傍にいるのが当たり前だと思える人の存在だったので、だからその役目は往人じゃダメなんです。観鈴は、往人に嫌われたくない、離れたくないという思いがあるから。往人では、観鈴の『当たり前』になれないんです。

 AIR 編の面白さのひとつは、親子ごっこが許されないというところにあります。独りで生きていこうと決意した観鈴の元へ晴子が帰ってきて、ふたりは仮初の親子関係を作るのですが、麻枝准氏は敢えてその関係を一旦破壊します。観鈴の記憶を失わせることで。個人的な印象としては、ここがAIR編の中核です。観鈴の記憶が失われるのは、こちらで述べられている通り『リセットしてお祭りからやり直し』ということなのですが、これをもうちょっと踏み込んで書けば、麻枝氏が晴子に与えたのは、やり直しのチャンスであると同時に、母親としての覚悟を試す試練でもありました。母親は無条件に子供を愛する存在でなければならないという思想。この思想の良し悪しは置いておいて、麻枝氏が晴子に要求しているものはこれです。観鈴が自分を母親だと見てくれるなら、母親であることは簡単なのです。しかし、観鈴に母親としての自分を否定されてしまっても、なお、母親であり続けられるかどうか。晴子はその覚悟を試され、泥まみれになったあげく、見事、母親の地位を手に入れます。記憶を失った少女(観鈴)は、自分を無条件に受け入れてくれる一人の女性(晴子)を、母親として認識します。そして、晴子は母親たろうとして頑張ることによって、結果として観鈴に一番必要なものを与えることができます。観鈴にとってなによりも必要だったのは、自分を無条件に受け入れてくれる誰か、嫌われるとかなんとかの心配をまったくしなくて良いような誰か、だったのですから。

 観鈴は最期に、そういう場所に向かって歩きます。彼女は、当たり前の場所に帰っていきます…。


2001/3/22 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#22


 とらいあんぐるハート3 (JANIS/IVORY

 ファーストプレイ。
 とりあえず、プロローグまで終えた段階での各キャラの印象など。

 美由希。
 裏切られた。可愛すぎる。膝枕とかしてもらいたいタイプ。年下系じゃないしっかり者の妹って結構新鮮で良いかも。

 レン。
 普通にしてれば可愛いんだけど、口が悪い時はもっと可愛い。が、まぁそれなり。

 晶。
 ノーコメント。レンとの喧嘩風景とか見てると、あーとらハだーなんて思う。

 忍。
 特に面白さは感じないのだけど、某氏が壊れてる(?)ので攻略予定。…実は脱いだらすご(バキ

 那美。
 ああ和む。抱っこしたらふわふわしてて暖かそう。ヤバイくらい可愛い。文句なく本命。

 なのは。
 攻略は可ですか? 可ですよね? 可だと言え! 成長は不可ってことでよろしく。

 フィアッセ。
 すんません。興味ないです。攻略意欲も湧きません。


2001/3/21 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#21


 人は15分でどれだけの文章が打てるか。いや、別に無理に書く必要はないんですが、3月いっぱいは日記を毎日書く、と意味もなく決めたので。1週間ぐらい前に。


 風邪治った。結局会社も休まず日記書きも休まず、いつも通り。俺の勝ちだマリク。
 ここ2日間、体がだるくて拗ねまくってた私を許してください。>同僚の方


 PCの壁紙を、Kanon6人衆から乃絵美+αに変更。WithYouトイボックス付属の『あ、パパ、おかえりなさい(はぁと)』みたいな雰囲気のCGっていえば、持ってる人なら、あーあれかと分かるかも。


 セブンイレブンで食料調達ついでに雑誌をいくつか。まんがクラブとかまんがライフとかYOUNGYOUとか。かねてから不思議に思ってたんですが、この手の雑誌の本来の購読層ってどういう人たちなんでしょうかね。主婦とかOLとか?

 とりあえずアレです。佐藤茶苗さん萌え。いやむしろラヴ。結婚したいタイプ。なんのことか分からない人はまんがクラブ4月号の『はにーすぃーとティータイム(山野りんりん)』を読んでください。本来なら年齢(24歳)が大幅に許容範囲外なんですが、私はなにしろ“天然”にめちゃ弱いのです。

 『作家はこわれもの』
 YOUNGYOU4月号。ベル・エポック[逢坂みえこ]。
 何かを作る人−それが例えweb日記であっても−にとって、こういう感性、傷つきやすさみたいな感性って大事だと思う。いや、私の好きなweb日記書きさんの受け売りなんですけど。

 そういや、おいしい関係[槙村さとる]っていつのまにか終わっちゃってたんですね。あの漫画は好きだったんですが。昔は、あの漫画にいっぱい勇気を貰ったものです。今も昔も、読むと力が湧いてくる漫画を、私はなにより尊重します。


2001/3/20 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary- 2001-03.htm#20


 マニュアルATはAT限定免許の人のためのもの説。

 なるほど、納得。
 私が免許を取った時代にはまだAT限定免許ってのは存在しなかったので、その発想は出てきませんでした。


 万一のreferrer漏れ(*)を警戒し、 “知られてもいい順番でサイトを巡回する”

 にははっ。これ、私もやってます。
 てか、みんなやってるよね? やってると言ってくれ頼む。

 全然違うジャンルへ飛ぶ時は確かにちょっと困るのですが、『絶対にアクセス解析していない(と思われる)ページを間に挟む』方法の他には、2chを経由するという手段があります。ここだったら、飛び石にしたつもりがキャッシュ表示だったなんてことも起こらないので安全です。(←何が?

 ちなみに、うちの自作スタートページ(リンク集)には、飛び石用に検索エンジンのリンクが幾つも貼ってあったり(笑
 いや別に疚しいことはないはずなんですが。


2001/3/19 (月)
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 会社の同僚に貰ったスイス土産のチョコレートを食べながら。なんか洒落にならないくらい甘いんですけど。


 風邪ひきちう。体ダルイ。でもまぁ会社を休まなくてはならない程ではないのでセーフかも。

 とりあえずですね。ちよちゃんを飼いたいなぁって話なんですけど。
 身長は5cm〜10cmぐらいで。部屋の中で放し飼いです。きっと、ちょこまか動く様子を眺めてるだけで楽しいです。が、それは勿体無いので、色々とこう悪戯を。さてここに取り出しましたるは1本の綿棒。例えばあのオプションパーツを指で摘んでひょいっって取っちゃったりして。んで、ちよちゃんは慌てて、返してよぉ、とか言いながらピョンピョン跳ねてオプションパーツを取り戻そうとするんですけど、しのぶは意地悪なので、ちよちゃんの手の届かない高さでぶらぶらさせてたりするわけです。萌え。しばらく楽しんだら(酷ぇ)、ごめんよ、とか言いながらちゃんと返してあげるんですけど、その際、指を噛まれちゃったりなんかすると良いです。俺はイッテーとか叫んで慌てて指を離して、ちよちゃんはオプションパーツを持ってトテテテ〜って自分の寝床に隠れちゃいます。拗ねちゃうんです。んで俺は、ちよちゃーん、ごめんよー、機嫌なおしてよーなどと宥めすかすのですが、ちよちゃんは拗ねてしまっているのでウンともスンとも言ってくれません。しょうがないので、俺はやれやれと言いつつ(←テメエのせいだろうがよ)、しばらくほとぼりが冷めるのを待って、ちよちゃんの大好きなちょっとぬくい牛乳を用意します。専用のミニチュア哺乳ビンに入れて。んで、隠れて様子を見ます。しばらくすると、ちよちゃんが出てきて、きょろきょろと辺りを確認して俺がいないことを確かめると、おもむろに哺乳ビンを手に取って、幸せそうに目を細めながら、んくんくって感じで、一生懸命飲んでます。んで、俺はさり気なく出てきて、おいしい? とかニッコリ笑って聞くんです。まだ、ちよちゃんは警戒してるんのでちょっとびっくりするんですけど、ともかく、警戒しつつも、コクコク頷いてくれます。上目遣いで。その、意地をはりつつやっぱり素直な、ギャップがまた良いのです。ここまで来れば、仲直りまでは簡単です。ええ、毎日こんな感じで。

 …スマン、逝ってくる。
 あゆ妄想ごときは素で書けるんですが、さすがに今回は言い逃れの余地なくダメ人間な気がしてきました。あと、あずまんが自体、大分前に一度読んだきりなので、ちよちゃんの性格とかよく分からないです。許してください。

 でも哺乳ビンは譲れませんが。(ダメじゃん)

 風邪がぶり返したらバチが当たったと思うことにします。ハイ。


2001/3/18 (日)
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 bLatzさんが日記を休止してしまってなんとなく寂しい今日この頃。


 昨日の追記。(なんだかなぁ)
 セミオートマチック車(CVT含む)は、最初のうちは物珍しさがあるので実は結構楽しいです。私はあくまで(ゴニョゴニョ)なんで。歯切れが悪いなオイ。あと、メーカーによって性能差もあるので比較は以下略。まぁ試乗のチャンスがあれば、乗ってみると案外面白いかもしれません。


 食欲不振でもお腹はしっかり減る。ってのはなんか理不尽な気がしてならないのだがどうか。う゛ー。お腹は空いてるのに食事が喉を通る気がしない。キツイ。ちーちゃんに食べさせて貰えるなら…いや、それでも無理かも。うぐぅ。


 怒首領蜂

 2-3弾消し地帯でCボタンが効かなくなってマキシマムx10消滅。実力で死んだのなら仕方ないけど、幾らなんでもこういう死に方は御無体すぎる。すぐに店員さんに話してCボタンを交換してもらったので当分は大丈夫であろうが。

 とりあえず、1-2蜂全取りパターンが復活してきた。コンボミスの原因は、3個目の蜂を取って左に行くタイミングが遅すぎて、5個目の蜂の真上に行く前に中型戦車が壊れてしまうのが原因。3個目の蜂を出して取った瞬間には既にレバーが左へ入っているぐらいの感覚でやると上手くいくっぽい。とにかく素早い移動を心掛けること。あと、レーザーからショットに戻すタイミングが速すぎると蜂が出ない場合アリ。レーザーが戦車を突きぬけたのを目視で確認してからショットに戻したほうが良さそう。

 1-3ボス到達時、37,560,000pts. 自己ベスト。中盤の75HIT繋ぎの成功率が上がってきているのが良い感じ。ボムキャリアからPキャリアへの繋ぎは、予想通り、1-4終盤と同じくきっちり1機ずつ破壊しないとダメな模様。

 2周目2面、3面、6面の蜂全取りパターンは当面は封印。2-4の12.13個目の蜂も1発で取れなかったら無視した方が良いかも。HLKさんの台詞ではないけど、今の私の実力は稼ぐことが許されるようなレベルではない。当面は死なないことを最優先で。

 多分、2-3ボス以外では死ぬ要素なし、ぐらいまでレベルアップしないと6億は出ないのだろうなぁ。


 ガソリンスタンドで給油するたびに現金カード作りませんか?と言われてうるさいので、諦めてカードを作る。なんとなく負けたような気もしないではないけど、気のせいということにしておこう。別に懐が痛むわけでもないのだし。


 喉が痛い。風邪ひいたかも。観鈴ちんぴんち。というわけで薬飲んで寝ます。


2001/3/17 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#17


 昨日の話にちょっと追記。

 田中ゆたかの漫画では、主人公の萌え感情が暴走してしまっているように見えることが実にしばしばある。描こうとしていることは分かるのだが、この萌え描写に引いてしまう読者は私だけではあるまい。考えてみると、田中作品の主人公っていうのはよく分からない存在だ。萌えるのは読者だけで良いのに、田中作品では、読者以上に主人公がヒロインに萌えている。感情描写をやりたいのは分かるが、この描き方はいまいち成功しているとは言い難い。都築作品の萌えは、常に意図されたものであるとは限らない。都築氏は必ずしも萌え指向の人ではなくて、ただ女の子を可愛く描くことに力を注いで、それで結果として受け手が萌えるようなキャラができているようなところがある。それに対して、田中ゆたかははっきりと萌え描写を指向している人だ。ただ、主人公の感情の描き方がどうしても空回りしている印象は否めない。この人はこの描き方で本当に納得しているのだろうか。


 偽マニュアルモード(3/11)。

 私はトルコンATには馴染みが薄いので比較はできないのですが、CVT車のマニュアルモードも特に面白いって感じはしないです。確かに、マニュアルモードのスイッチをオンにすれば、シフトアップダウンが手動で行えるようになるので、ある程度は低速で高回転のまま引っ張ったりなんて乗り方もできます(ただし、マニュアルモードであっても結局は車速とエンジン回転数に応じてギヤは自動で変わります)けど、いかんせん、シフトアップダウンは軽いボタン操作(レバーの場合もあるけど)で行われてメーター上に現在のギヤがデジタル表示されるだけなので、シフトアップダウンの楽しみはないに等しいです。それなら最初からマニュアル車を選ぶか、普通にCVTのまま乗ってた方がマシという感じ。そもそも、CVTの特徴は、変速ショックのない滑らかな加速感にある訳なんで、それにマニュアルモードを付けちゃうのも変って言えば変ですし(笑)。CVT(もしくはAT)のマニュアルモードが役に立つのは、山道を走る時ぐらいかも。下り坂でエンジンブレーキを多用する場面ではあると便利だと思います。いや、私はまぁ(ゴニョゴニョ)の敷地内でしか乗ったことないんで想像ですけど。

 あと、しのぶはマニュアル至上主義−要は、車は自分で操作してナンボ、運転は楽しくなくちゃ嫌、な人−なので、この意見自体偏ってる可能性大です(笑)。よって読み飛ばし推奨です。


 なんとなく、Black Onix のこと。(知らない人には意味不明です、スマン)

 私が初めてやったRPGは Black Onix だった。確か中学2年生の頃だったと思う。当時はまだ、RPGが Role Playing Game の略称であることも知らなくて、ただ、国産RPG第一号とかいうコピーになにかしら魅かれるものを感じて、友達に買わせ…もとい薦めて、手に入れたのだった。手に入れた、といっても、中学生が1本何千円もするゲームをそうぽんぽん買える訳もないので、コピー物だった−メディアがカセットテープだった当時は、ゲームを1本幾らとかでダビングして配布するゲームサークルが全国にたくさんあって、それは半ば公然と行われていた−のだが、とにかくそういう経緯で手に入れて、友達の家で初めてプレイした Black Onix は本当に衝撃的だった。ゲームが始まって、ウツロの街に初めて立った時の感動は、今でもリアルに思い出せる。桝目で区切られた地面があり、空には星が光っていて、遠くにはなにか建物のようなものが見える風景。私はPC(FM-7)の前に座ってモニターを眺めているに過ぎないのに、体は、ウツロの街の肌寒い空気をひしひしと感じていた。何か尋常ではない場所に自分は立っているのだと思わずにいられなかった。その後、とにかく何をしてよいか分からなかった私たちは、とりあえず前進して建物に近づいてみることにしたのだが、建物に足を一歩踏み入れた瞬間、私と友人は、思わぬ不意打ちに驚かされることになった。このゲームをプレイした人は皆知っているだろうが、ゲーム開始位置から直進したところにある建物は、一歩踏み込むと、BEEP音のブザーと共に BEAST (B5で出てくるモンスター)のCGが現れて『DO NOT ENTER』という警告メッセージが出る。まったく知らない街、何が起こるかまったく分からない街の中を恐々として歩いていた私にとって、この警告メッセージは死刑宣告かと思うほどの恐怖だった。『ヤベェ、入っちゃいけない所に入っちゃったよ』などと友達とふたりで騒いで、速攻でUターンした。その時は私も、多分友人も、未知の恐怖に支配されていて、1秒でも早く、ともかくそこから逃げなくては、ということで頭が一杯だった。冷静に考えられたら、このゲームは元々リアルタイム処理のゲームではないのだし、そもそもゲーム中でキャラが死んだところでモニターのこちら側にいる私は痛くも痒くもないはずなのだが、初めてRPGに触れた私は、この時すっかり自分がウツロの街にいるような気分になっていて、何が起こるか分からない恐怖と、それゆえの好奇心に、ただ震えていた。当時はそんな意識はなかったが、ゲームをプレイすることが世界の擬似体験になり得ることを身をもって体験したのは、おそらくこの時が初めてだった。この後も、私と友人は、このゲームに驚かされ続けた。広場の中央には古井戸がある。ここを真下に降りていくと、有名な Kraken(大ダコ)が待ち構えている。わずか10ドット程度の Hit Point しかなかったマイキャラに対して、Hit Point が画面端まで伸びている Kraken はあまりに圧倒的だった。私は『R(un)』を押して無我夢中で逃げた。この時の私の頭の中にあったのは、逃げなければ殺されるという恐怖だけだった。こういう文章にしてしまうと、伝わりにくくなってしまうのだが、当時の私たちは、大マジに、Black Onix のゲーム世界を、文字通り“体験”していった。

 やがて私たちは、敵を倒すと経験値が増えることと経験値があるレベルまで伸びるとレベルアップして Hit Point が増えることを発見した。(コピー物だったため、マニュアルがなかったのだ)今までプレイしたどのゲームにもなかった『キャラの成長』の概念。これは新鮮な驚きであり、また喜びだった。それからしばらく、私たちはレベルアップに夢中になった。レベルが上がって、BEEP音と共に Hit Point が増える瞬間は、最高のひとときだった。そしてレベルが上がると共に、自然と、私も友人も、ダンジョン内の地形に詳しくなっていった。 が、ここで私たちは壁にぶち当たることになる。オールドゲーマーにはあまりに有名な、6階のカラー迷路の存在。当時のPC雑誌−確かポプコムだったと思うが−には、PC-8801版の迷路の順番だったら載っていたが、このゲームは、PC-8801版/FM-7版/X1版と、機種毎に迷路の抜け方が違っていて、莫迦な中学生に過ぎなかった私たちは、途方に暮れることしかできなかった。この現状を打開したのは、別の友人だった。彼はどこからか、迷路の抜け方の情報を手に入れて、私たちに教えてくれた。ようやく、私たちはブラックタワーの内部に入ることになる。しかし、試練はまだ終わらなかった。ブラックタワーの内部には、想像を絶する強敵が待ち構えていた。Wraith と Giant の存在だった。Wraith は攻撃力こそ弱かったが、その攻撃は Hit Point の上限を奪うという悪辣なものだった。Giant は、攻撃力が恐怖だった。Level.9 のマイキャラが一撃で殺された時は、目を疑ったものだ。どう足掻いても勝てない敵を前に、私たちはなす術がなかった。

 この状況を打開したのは、私だった。最終的に私が思いついたのは、どうしてもダメならゲームを改造してしまえ、という乱暴な方法だった。FM-7版の Black Onix は、基本的なプログラム部分が BASIC で書かれていたため、プログラムを地道に追っていけば、いつかは急所が見つかるはずだと思った。(余談だが、当時の私はなぜか、Protect も unlist もPOKE命令を使って強引に解除することができた)ちょうどその頃、運悪く自宅のデータレコーダーの調子が悪かったので、友達の家に入り浸って、ひたすらプログラムを追い続けた。試行錯誤を繰り返した結果、夜遅くになってようやく、1回戦闘を行う毎に1レベル上がるような改造が成功した。それからクリアまでは、簡単だった。実はその後、自宅に帰ってから、帰宅が遅すぎるといって両親にこっ酷く怒られるというオチがつくのだが、これはまぁ余談。

 私にとって、思い出のRPGといえば、何よりもまず Black Onix ということになる。ザナドゥもウィザードリィー#1も随分やり込んだが、キャラを成長させる楽しさ、3Dダンジョンを探索する楽しさ等、RPGの楽しみの基本を、私は Black Onix から学んだ。また、先に書いた通り、ゲームプレイ=ある世界の仮想体験、であり得ることを最初に知ったのも、このゲームでだった。私の、ゲームの原点は、おそらくここにある。


2001/3/16 (金)
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 亜蘭さんの日記[3/4]から、2ch軍事板へ。

 うぬぅ、メイドさん…。
 なんて羨まし…いや、けしからん。俺にもやらせ…もとい許せん。(ジャイアン風)

 事が戦争に関わるだけに笑うに笑えないんだが、これが事実だとしたら、同盟の件に限っては完璧にドイツの作戦勝ちですな。誰が考えたか知らないけど頭のいい人がいるものです。


 2ちゃんねるって言えば、この辺なんか読んでると、例の『禁断 秘密の花園』は非難轟々なんだけど、あの漫画を読んで能天気に萌えーなんて言ってる私はもしかしてヤバイ人なんでしょうか?


 コンビニに弁当を買いに行って、ついでに『ドキッ! スペシャル』なる雑誌を買ってみる。田中ゆたかの名前に引かれて買ってしまったのだけど、エロ漫画雑誌を買うの自体が久しぶりだったため、なんかどの漫画を読んでてもとっても新鮮。

 それにしても、田中ゆたかの漫画は他と比べてもやっぱり飛びぬけてる感じ。萌えるエロ漫画を描かせたらこの世界じゃ最強なんじゃないだろうか。萌えの天才といえばエロゲ業界には都築真紀氏がいる訳だけど、この二人を比べてみると、都築作品の萌え描写はどちらかというとほのぼの系であり、恋人との和やかな時間を描写する方向に向かっているのに対して、田中作品の方はより恋愛に特化しているというか、恋愛のドキドキ感(アホですか俺)を描くことに力を注いでいるように思える。どちらも女の子がハイレベルに可愛いのは同じなのだけど、例えばドリーマー度は田中ゆたかの方が全然上だろう。田中漫画を読んでいると、女の子は砂糖菓子でできているとかなんとかいうあのマザーグースの歌を思い出してしまう。多分、田中ゆたかの基本は、とにかく『女の子=可愛い生き物』なのだろう。それゆえの胡散臭さはあるにしても、ともかくその勢いはやっぱり只事ではない。それと比べると、都築氏のキャラ作りはもっと現実的だ。変な話だけど、私がフィクションの世界にいたとして、田中キャラに自分が嫌われる可能性は想像できないが、都築キャラには事と次第では嫌われるかもしれないと思う。それは私の人格がどうこうではなくて、要するに都築キャラの方が人間臭いのだ。まぁ嫌われるとかは極端だとしても、田中キャラになくて都築キャラにあるもののひとつは、生活感だと思う。田中ゆたかはとにかく恋愛描写に徹底的に拘る人だが、それゆえに結果として氏の作品は、恋愛以外の場面でのキャラというものが想像しづらくなっているところがある。言うまでもないがどんな人間だって恋愛だけで生きている訳ではない。誰にせよその人なりの生活があって、その生活の一部に恋愛がある。椎名ゆうひは、主人公の恋人になる可能性がある少女であると同時に、うたうたいを目指す少女でもある。鷹城唯子は、主人公とイチャイチャする傍ら、毎日部活で汗を流し、大会では瞳先輩と名勝負を演じたりもする。恋人であろうがなかろうが、彼女には彼女の生活がある。彼女たちは主人公の恋人であるが、同時にひとりの人間としての日常をも生きている。この辺りが都築作品の面白さだ。結局、田中ゆたかが、女の子を描くのが大好きな人なのだとすれば、都築真紀氏は、人間を描くのが好きな人なんだろうと思う。これについて、どちらが良いとは言うまい。そもそも表現するメディアが全然違うのだし、どちらもそれぞれのジャンルでひとつのポジションを築いている人には違いないのだから。

 で、結局お前は何が言いたいんだとかいうツッコミは却下です。俺だって分かってないし。


2001/3/15 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#15


 ちよちゃん…だっけ。
 本家より可愛いってどうよ(笑)。あの只事ではない色っぽさは…やっぱり描いた方の愛ゆえですか? 
 あー。ちよちゃん一匹飼いてぇ。
 

 ようやく、『とらいあんぐるハート3』を開封。現在インストールちう。

 最近の萌え失調を打開してくれることを期待しつつ。実際にプレイするのは週末頃からになりそうなんですが。なんか今、無性に怒首領蜂がやりたいんで。まったく数日前にはツマンナイとか言っておいて俺ってやつは。ふふふ。

 初回プレイは当然、神咲那美さん狙いで…とか書いてたらインストール終了。とりあえずオープニングだけ見てみる。画面の流れとか、前作よりもよくなってる感じ。そしてそれよりなにより、今回は歌が上手い。やっぱり I've を起用しているだけのことはありますか。


 会社で、仕事の合間に『XaCAR(ザッカー)』なる自動車雑誌を読んでいたら、気になる記述−雑誌の名前の由来−があったのでちょっと書き出しておく。

 イギリスのロマン派詩人、コーリッジがうたった「理想の国」「夢の国」を意味する XANADU(ザナドゥ)とCARを組み合わせた造語

 約15年目にして初めて XANADU の意味を知りました私。そもそもコーリッジって誰ですか。


2001/3/14 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#14


 KanonドラマCD vol.3 水瀬名雪 [ムービック]

 秋子さんマンセー!!

 …いや、もとい。なんか前二作と比べるとしっくり来ない。特に致命的なのは、前二作が、時間を切り詰めた結果として物語の流れが掴みやすくなっていたのに対して、今作では物語の流れがいちまい掴めない。

 これはあるいは、元々の名雪シナリオ自体が掴みにくいせいだからなのかもしれない。今更ながらに思うのだけど、名雪シナリオって驚くほど平凡な恋物語だと思う。ここでは、恋の成就と、彼らが抱えていた問題の解決(本当の解決していたかどうかはともかく)とが、バラバラに語られる。流行りのギャルゲー文法から言えば、問題解決の過程が同時に恋愛の進行になっているというパターンになるのが普通なのに、ここではそうはならない。Kanon のほかのシナリオで言えば、栞シナリオなんかまさにこの文法のスタンダードだと思う。あのシナリオで、栞は、今の状況を変えてくれるかもしれないという期待を持って祐一にアプローチを掛ける。何をしに来ているかを探すために(祐一に)会いに来る、とかなんとかいう栞の言葉は、彼女流の言葉の悪戯ではあったのだが、それと同時に確かに真実でもあったのだ。栞は自分が今確かに生きていることを確認するために、祐一との恋愛に希望を託す。実のところ、その意味で物語のテーマ的には栞が復活するかどうかほとんどどうでもよいのだ。問題なのは、栞が自分の生に納得できたかどうかなのだから。てか俺のあゆが勝手に犠牲になるのは許せん。

 脱線警報発令ちう。名雪の話ですってばアナタ。

 久弥氏という人は、個々の場面を美しく描写することに掛けては天才的だが、物語全体の流れを作り、そこから個々の場面を詰めていくという作業が苦手な人なのではないかな、という気がする。名雪シナリオで言えば、名雪と祐一と掛け合いなどは私は大好きで、この一点だけでも私は名雪シナリオ肯定派を名乗っても良いと思っているぐらいなのだが、全体として言えば、やっぱりなにかが不発に終わっているという印象は拭えない。例えばこのドラマCDを聴くといよいよ分かってくるのだが、祐一という主人公は、このシナリオでは徹底的に自分勝手な人物だ。彼は自分が過去に名雪に対してした仕打ちを思い出せないまま、名雪に告白する。この時の名雪の『ずるい』という言葉にはどれほどの気持ちが込められていたのか、祐一は知らない。この無責任ぶり。また、名雪が閉じこもってしまった時にも、祐一は結局待っているだけだ。あの目覚まし時計の台詞はそれだけで肯定してしまいたくなるほど美しいのも事実なのだが、やはり釈然としないものは残る。要するに、祐一が、過去に名雪にしたことの償い(7年待たせたことをも含めて)のために泥にまみれないのが、私は気に入らないのだ。あの物語は、過去のエピソードがたいして意味を持っていない。いや、いっそ過去のエピソードがなかった方が、物語の纏まりとしてはしっくり来るかもしれない。

 余談だが、このドラマCDを聴いていて、『名雪の純情(M2_UNION)』のことを思い出した。個人的な評価だが、これはあらゆるアレ系作品の中で最高に美しい部類に数えられる。『学校サボっている人発見』という台詞がいかに美しいかに気がついたのはこの作品のおかげだった。名雪シナリオで私が好きなのは、名雪と祐一との距離感の描写だ。あの、物語のクライマックスとも言うべき場面は、名雪のあの一言から始まる。『学校サボってる人発見』 他に言うべき言葉はないのか? もっと他に言うべき言葉があるだろう? 人を待たせた挙句に出てくる言葉がそれか? とか、色々思うところはあるのだが、でも、名雪がこの台詞を言うと、ハマル。すごくハマル。ああやっぱり名雪だ、と思ってホッとしてしまう。こういう言い方が許されるのが、名雪と祐一の距離なのだ。久弥氏はこういう描写を書かせたら本当に天才的だ。

 えっちシーンの後、『好きな人の笑顔が〜』という祐一の独白。冷静になってみれば、なんでそんな当たり前のことをわざわざいうんだと思う。でも、祐一のこの独白はあまりに当たり前で率直で、なんの飾りもないからこそ、私の胸を打たずにはおかない。

 また教室の弁当イベントで、『変なこと聞くね、祐一』『恥ずかしいに決まってるよ』と言う名雪。こんな台詞が似合うカップルが他のどのゲームにあるだろうか。こんな台詞がハマルのは、名雪と祐一だけだ。たったこれだけの台詞が伝えるもの。私は、名雪の幸せそうな笑顔が目の前に見えるような気さえする。

 もしかすると、久弥作品というのはこういう風にして楽しむべきものなのかもしれない。
 あと、きょうの日記はこの辺この辺を参照しつつ。

 ああ、あとひとつ。声優さんのこと。DC版発売当時、なにやら名雪の声には不満が集中していたようですが、私はそれほど違和感を感じませんでした。全然感じないというと嘘になるけど、違和感の正体はどっちかっていうと、声優さんが、幾つかの台詞のニュアンスを正しく把握していない(あるいは演技指導?)ことが原因であるように思えます。少なくとも、良いところは本当に良くて『んにゅぅ〜』とか『ケロピー』とかは、萌え転げそうになりました。


2001/3/13 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#13


 最近、怒首領蜂が面白くない。2周クリアを決めても所詮4億台止まりかと思うとやる気萎え々々。という訳で、1〜2週間ぐらいスコアアタックを止めて、1周目の稼ぎパターンを練り直そうと思う。楽しくなくなっちゃったら後は気持ちが離れる一方だ。それだけは避けなくちゃいけない。カメ並みの進歩速度ながらせっかくここまで上手くなったのに、止めたくない。


 AIR 美凪シナリオのこと、ちょっとだけ追記。

 『もうすぐ風が吹くって』

 みちるとカモメの会話。風とは、言うまでもなく凪(無風状態)の終わりを意味する。凪の終わりとは、三人でいられる時間が終わることを意味する。こういう言葉の使い方ってなんか好き。

 レビューでは、美凪とみちると往人の三人は一緒にいるのが当たり前の関係に簡単になったように書いているけど、これは本当は正確ではない。本当に往人が環の中に入っていくのは、母娘関係が回復する前後辺りからだ。この辺りの演出はあまりにさり気ないので、ともすると気がつかないのだが、美凪のテーマとも言うべき BGM[虹-PRISM-]は、物語の後半ではまったく流れなくなる。これが何を意味するか。つまり、前半では遠野美凪の登場は[まだ]ひとつのイベントなのだ。往人の前に、遠野美凪という謎めいた少女が現れる、その演出としての BGM[虹‐PRISM-]なのである。物語の後半で、彼らが、一緒にいることがまったく当たり前の関係になった時、もはや遠野美凪の出現はイベントでもなんでもない。当然そこにいるべき親友が現れたというだけのことに過ぎない。従って、虹-PRISM-はもはや不要になる。本当に、三人でいる空間が美しい凪に満ちた世界になるのは後半からなのだ。

 それにつけても、エピローグのあの三人の空気のなんと穏やかなこと。往人とみちるはまったく当たり前のように一緒にシャボン玉遊びをし、まったく当たり前のように美凪が作ったハンバーグを食べて、まったく当たり前のように三人で再びシャボン玉遊びに興じる。ここには三人以外になにもない、ただ三人だけで完全に満ち足りた世界がある。麻枝氏の表現する『家族』は一緒にいることが当たり前の関係のことだ。無条件に肯定される場所だと言っても良い。ここにいてもいい(※)、ですらない、ここにいることが当たり前、一緒にいるのがまったく自然であるような状態のことだ。AIR編において、観鈴が最期に手に入れたのはそういう場所だった。観鈴が歩いた最期の10歩だかは、あれは実は観鈴以外にはなんの意味もない行動だ。ただ、観鈴自身にとってだけ、あれは切実な意味を持っていた。あれは、儀式だったと思う。自分が還ることのできる場所を確認するために、観鈴は、敢えて自分の足で晴子の元に歩いていく。おそらく、母親の元へ、たった10歩だかの距離を歩くことが、あの時の観鈴には必要だった。おそらく、無理をしてでも、確認しなければならないことだったのだ。晴子は勝手に母親たろうとしたと言っても全然差し支えないのだが、ただその勝手さが、結果として観鈴のゴールを用意したということは触れておくべきと思う。観鈴がひとりで頑張ったかどうかは、私はかなり怪しいと思っている。私としては、観鈴は往人と晴子の協力(と言えるかどうかは疑問だが)なくしては、最期まで笑顔でいることはできなかったのではないか、と考えるほうがしっくり来る。

 …脱線しまくり。
 美凪シナリオのエピローグで、三人はまぎれもなく家族だった。このシナリオではラストで三人はバラバラにそれぞれの歩くべき道を歩いていくのだが、それにも関わらずあのラストに悲壮感がないのは、ひとえにあの穏やかな日常描写のせいだ。あの日常描写が完璧に美しいからこそ、私たちプレイヤーは、その後の往人の台詞『たとえ、どんなに離れていようと、俺たちの間を隔てるものは空気だけだ』をまったく自然に受け入れることができてしまう。これは確かに別れなのに、別れによって彼らは何も失わない。彼らはそのことを知っているからこそ泣いたりしないのだし、また私たちもそれを知っているからこそ、彼らの別れを見ても不安になったりすることがないのだ。


(※)余談ではあるが、『ここにいてもいい』という表現は、許可としての意味ではなくて、むしろ受け手の錯覚を意味する言葉ではないだろうか。私は、そういう錯覚を抱けることは幸せなことだと思う。

 芸術作品に、人を助けることができようなどと、期待することはむしろ思いあがりというものでしょう。しかし一つの芸術作品が自らの中に持ち、それを外へ用いようとしない人間的なものの緊張、つまり芸術作品の内面的な強度が、外延的になろうとしないで、ただ単にそこに存在することによって、あたかもそれが努力であり、要求であり、求愛であり、求愛−魂を奪い去るような求愛であり、激動であり、招請であるかのような錯覚を起こさせるのは、これこそ芸術というものの良心(その職分ではなく)であります。

 リルケのこの言葉の中の『芸術作品』を『人間』に置き換えてみたらどうだろう。人間関係においても、こういうことはしばしば起こっているのではないだろうか。


2001/3/12 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#12


 先週から再開してちまちまと書き進めていた AIRレビュー[美凪シナリオ解釈もどき]が完成。これでやっとAIRから離れられる…かもしれない。一応美凪シナリオに関して今語れることはすべて書いたはず。私は美凪シナリオ肯定派だけど、それにしてもこのシナリオは、表現の饒舌さというか、過剰さのせいで、構造が掴みにくくなっているのが惜しいと思う。

 例によって文章はしのぶ流なので、合わない人は全然合わないでしょうが、自己評価としてはそこそこのものが書けたと自負しています。私の腕としては、これだけ書ければ十分。


2001/3/9 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#9


 有給休暇。秋葉原とかオフとかコンサートとか色々。


 9時起床、身支度して床屋で散髪後、一路秋葉原へ。道路の混雑を警戒して早めに家を出たら待ち合わせ時間よりだいぶん早く着いたので、ドトールで軽く朝食、同人ショップ等をひとりで物色して、その後トライタワーへ。とりあえず怒首領蜂を1回プレイして、捨てゲーで席を立って振り向いたら突然声を掛けられる。黒須さんだった。不意打ちを食らってちょっと驚いたり(笑)。合流後、かねての約束通り、怒首領蜂をプレイしてみせて、その後、秋葉原散策へ。ふたりでゲームや同人誌を物色したりとか。ネットの知り合いとオフで会うのは初めてだったのだけど、楽しかった。

 買ったものあれこれ。

1) 看護しちゃうぞ [トラヴュランス]
2) とらいあんぐるハート・ビジュアルファンブック
3) ELYSION・公式ビジュアルブック
4) -REQUIEM- [VENOM/同人誌]
5) COSTUME COLLECTION [BLACK ANGEL/同人誌/メイド名雪/18禁]
6) ONE more Kiss [I'II調/同人誌]
7) Kanon ドラマCD vol.3 水瀬名雪 [ムービック]
8) みこやか [袴ッ娘推進委員会/同人ソフト]
9) CARNELIAN 4 [CARNELIAN/同人ソフト]
10) PRIME 2 [リトルスペースソフトウェア/同人ソフト]
11) AIR 大貧民 [右脳遊戯 VENOM/同人ソフト]

 『看護しちゃうぞ』は現在プレイ中。ハーレムゲー好きならこれをやるのはデフォであろう。ただ、テキストが異常にタルイので、そのうちセーブデータとか拾ってくるかも。絵は最高に好みなんだが、萌え度えっち度ともにいまいち弱いのがちと残念。今の私に一番必要なのは萌えなんですよ。最近、テンションがいまいち上がらないのは、『うわーっ(ドキドキドキドキ)』ってなるような体験をしていないからなんじゃないかと思えてしょうがないのです。

 『とらハV/F』 各キャラ毎の都築氏のコメントが面白い。作者自らここまで書いちゃったら、レビュアーの立場がないよなぁ、と言いたくなってしまうぐらい面白い。web上に星の数ほど存在するレビュー書きの末席にいる者としては、嬉しいような悲しいような。でもこれを読んで、ひとつだけ間違いなく分かったこと。とらハのキャラがあんなに可愛いのはお父さん(都築氏)に愛されてるからだ。
 あーあとどうでもいーけど、『萌だえ死ぬ』って言い方、使いてぇ。

 『ONE more Kiss』 ONE本。今回の目玉。萌えるキスシーンに拘った6篇のショート。瑞佳と繭がヤバイくらい可愛い。お薦め、というより、あとりえ雅さんの本と並んで、この本はONEファン必携です。必ずゲットするべし。


 黒須さんと別れた後、神保町に車を置いて、歩いてカザルスホールへ。会場に入ってから渡されたプログラムを見て思わず笑ってしまう。曲目を列挙してみると、、、

・ベートーヴェン ピアノソナタ op.101
・ベートーヴェン ピアノソナタ op.53
・シューベルト 即興曲 op.142-3
・シューベルト 即興曲 op.90-2
・ショパン ノクターン 遺作(20番)
・ショパン バラード op.23
・ショパン 英雄ポロネーズ op.57

 あと、アンコールで、ヴェニスの舟歌(メンデルスゾーン)、紡ぎ歌(メンデルスゾーン)、ワルツ op.64-2(ショパン)、愛の挨拶(エルガー)の4曲。

 よくもここまで私の好みの曲ばっかり集めてくれたよなぁなんて(笑)。更に、仲道郁代さんの演奏の素晴らしいこと。こんなの聴いちゃったら、もうCDで同じ曲を聴けないですどうしてくれるんですか。

 なんにせよ、今までで一番幸せな気持ちになれたコンサートでした。


2001/3/5 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#5


 Honey 3巻 [橘裕/花とゆめ]

 ああなんか。馬鹿だ俺。勝手に千鶴先生をマリアだと思い込んで独りではしゃいで。自分を殴りてぇ。千鶴先生のことなんにも知らないで勝手な幻想持って。ただ甘えたがって。馬鹿だ。

 もうダメ。俺、千鶴先生が好きだ。こんなに好きだなんて自分でも知らなかった。大好きだ。幸せになって欲しい。相手は俺じゃなくていい。他に何も望まない。

 千鶴先生に触れられないのは悲しい。千鶴先生の笑顔が俺に向けられないのは悲しい。なんでこれはフィクションなんだろう。千鶴先生がこの世界のどこにもいないなんて嫌だ。物語だって分かってるはずなのに、この距離は絶望的だ。

 俺は千鶴先生のためになにもできない。けど、それでも、千鶴先生を信じることはできる。千鶴先生にはいっぱい笑顔をもらったから。それを無駄にしちゃいけない。頑張って生きてみようと思う。今、俺ができるのはそれだけだ。千鶴先生はどこにもいないけど、頑張って生きている間は、多分、千鶴先生に向かって歩いていると思えるから。もう鬱だなんて言わない。千鶴先生の目を正面からちゃんと見られる人間でありたい。千鶴先生の笑顔があったことを証明するために、俺は生きなくちゃいけない。笑っていなくちゃいけない。


2001/3/2 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#2


 自分の考えてることが周囲にダダ漏れになってるんじゃないかとか想像したことはないですか? 私はたまにあります。まぁそういう時ってのは大抵、ろくでもない想像をしてて後ろめたかったりする時なんですけれども。例えば、あゆがですね。俺のを胸で挟もうとするんだけどどうしてもはさめなくて落ち込んでたりするんですよ。んで、俺はあゆの頭をなでなでしつつ『そんなことしなくてもいーから』とかゆって優しく頬を包み込んで顔を近づけ以下略とか、ああ書いててやっぱり後ろめたくて当然だなとか思うんですけど、頭が妄想モードになっちゃってる時ってのは半ばトリップ状態な訳で、うっかり口ずさんでいたらと思うと死んでも死にきれません。

 という訳でこんにちは。あゆの口についたご飯粒を食べるのが日課のしのぶです。
 疲れてる訳じゃないんですが、ここ連日、なんか布団から出られなくて結果として会社に行って帰って寝て起きてまた会社、なんてゆー生活を強いられたので、心が少々荒んでます。しのぶという生き物は時々フィクションの空気を呼吸しないと酸欠状態みたいになるので、こういう生活はヤバイのです。とりあえず、『いや、食べるのはお前だーっ』ってのを佐祐理さん相手に素で実践してみたいです。つまりは本当に押し倒してみたいです。

 ま、妄想話ばかりしていてもアレなんで真面目な話など。

 とりあえずですね。家に帰るとあゆが出迎えてくれるんです。感じとしてはですね、、、

しのぶ 『ただいまー』
あゆ 『おかえりなさい、あなた。ご飯にします? それともお風呂?』
しのぶ 『………』
あゆ 『えへへっ、なんか新婚さんみたいだねっ』(照れつつ)
あゆ 『前から一回やってみたかったんだよっ』
しのぶ 『………』
あゆ 『うぐぅ、恥ずかしいから何か言ってよぉ』
しのぶ 『いや、すまん。不意を突かれてな。それよりさっきのもう一回やってみてくれないか』
あゆ 『…しのぶくん、なにか企んでない?』
しのぶ 『いや、天地神明に誓って全然何にも企んでないぞ』
あゆ 『あやしいよぉ』
しのぶ 『大丈夫だ、何もしないから』
あゆ 『ホント? じゃもう一回だけね』
あゆ 『おかえりなさい、あなた。ご飯にします? それともお風呂?』
しのぶ 『ご飯がいーな』
あゆ 『うん、じゃあすぐ用意するね』
しのぶ 『いや、食べるのはお前だーっ』
あゆ 『きゃっ』
あゆ 『あわわわっ、ボクまだお風呂に入ってないのに…あっ』

 、、、みたいなノリです。佐祐理さんだったら冗談として軽く受け流すんですけど、あゆの場合は素で受けとっちゃいます。私の腕の中でうろたえまくるあゆは可愛いです。

 どうでもいいんですが、なんかこの辺のリンクで『萌えぇちシーンの追求』とか書かれてるんですが、まぁこれは間違ってはいないにせよ、正確でもなくて。しのぶとしてはえっちシーン自体にはあんまり興味ないです。えっちシーンはおまけみたいなものなんです。偉い人にはそれがわからんのです言ってみれば影こそが本体であり1ナノメートルの極薄の空間を内向きのATフィールドで支え…何を言ってるんでしょうか私は、そうじゃなくて、えっちシーン自体じゃなくて、えっちシーンに至るまでの過程が萌えるんです。例えば佳乃シナリオでの佳乃の台詞『違うの、あたしもすごくしたいの。もぅ興奮しちゃってどうしましょって感じなのっ』なんて激萌えで、これこそ佳乃シナリオ中最高の名台詞だと密かに思ってるんですが、実際の行為に移っちゃうともうどうでもよくなります。興味ないんでスキップ。ONE の茜シナリオも、茜が下着を自分から脱いでくれる辺りは萌え死確定お前が可愛いのが悪いんだ(0.1秒)てな感じなんですが、それ以後はおまけです。本当にどうでもいい話ですね。最後まで読んでしまった方はご愁傷様ごめんなさい。明日も仕事です。来週の土曜日も仕事です。再来週の土曜日も仕事です。残業休日出勤の嵐です。ついでにお金ざくざくです。でも私はお金より時間が欲しいです。


2001/3/1 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#1


 3月といえば、、、

 はるです
 はるです
 三月です
 うめのつぼみもふくらみます
 かだんの花もめをだします
 おおいちょう(大イチョウ)のきのめもふくらみました
 みんながまっていたはるがやってきました(やってきました)

 でもやっぱりさみしいです(さみしいです)


 以下略。てか、これ以上は憶えてない。私の母校の卒業式での、1年生から6年生への送辞。まぁ今でも同じテキストを使ってるかどうか知りませんが。中学の時のも高校の時のも憶えてないんだけど、なぜか一番古いこれだけは憶えてる。シンと静まり返った体育館に響き渡る一年生の声は、今でも鮮明に思い出せる。
 ちなみに各フレーズは各クラスの代表男女一名が順番に言います。括弧内は全員で言います。

 あと卒業といえば中学2年生の時、卒業生を送る歌を各クラスで一曲歌うことになっていて、うちのクラスは菊地桃子の『卒業』を歌ったのだけど、その時の練習の時間のわいわいとした熱気のようなものを、春になるたびに思い出す。当時は同じクラスに好きな娘がいて、歌の練習をしながらも、目はその娘の姿をいつも探していた。今でも、菊池桃子の『卒業』を聴くと、あの頃の空気が一瞬よみがえる。これほど、私を切なくする曲は他にない。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



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