鬱と電波と萌えな日記



はじめに.

 書いてる人(しのぶ)は基本的に情緒不安定な人ですので、日によって鬱な内容だったり毒電波が混入してたり下品な文章になったりすることがあります。合わないと感じましたら、読むのをお止めになることをお薦めします。

 日記内では、ゲームや漫画等のネタバレがしばしば含まれています。ネタバレ時は赤字にてその都度注意書きを加えますが、忘れることもあります。その旨予めご了承ください。


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2000/10/31 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#31

 ゴミ日記


 11時間ぐらい寝てしまった。
 会社から帰ってすぐ寝て、起きたらまたすぐ会社。鬱だ。
 いや、本当は途中で起きて色々やるつもりだったのだが、なぜか起きられず。

 薬指をいじるとなんとなく気持ち良くないですか? 
 私だけ?
 ていうか、心理学的になにか意味があるとかだったらすごく嫌だなーと思うのですが。
 心理学はトラウマとか好きだから。いや、偏見なのは判ってるけど。

 ああ指といえば。
 さる同人誌で、(耕一が)初音ちゃんに(耕一の)指を舐めさせるというシチュエーションを見たことがあるのですが、指は本来性感帯ではないゆえに、却ってあっちを舐めさせるより全然えっちだと思うのは私だけですか?

 ちなみに、『初音ちゃんの憂鬱』というやつです。どっちかっていうと、ギャグ的に面白い本なんだけど。


 ぴたテン 2巻(コゲとんぼ/メディアワークス)
 
 60ページ目だけで値段分の価値アリ。紫亞さんの寝巻きむっちゃ可愛ええ。あんな娘が目の前にいたら、0.1秒でルパン飛びしちゃうかもしれぬ。…あ、なんなら美紗さんも一緒でも俺は全然構わないですが。

 眠いとロクなことを書かないという例。


2000/10/30 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#30


 文体って、その文章の内容までも規定しているもののような気がする。私の文体は多分、壊れ文章を書くには不向きだ。私の文体に相応しい文章、つまり私の持ち味−というものがあればだが−を発揮できるような文章ってどんなスタイルなんだろう、なんてことを最近考えている。
 
 ところで最近気が付いたのだけど、壊れ文章を書く場合にはですます調の方がやりやすいんではないだろうか。


 ELYSIONで思い出したのですが、ここのメイドさん小説(セイドメイドシリーズ)は以前からお気に入りでした。知ってる人は知ってるでしょうけど。個人的には『ご褒美』のセンスに脱帽。尊敬せずにはいられません。


 アクセス解析をチェックしてると時々どえらい所からリンクされてるのを発見して、嬉しい反面なんか恐縮してしまったりもするのですがと前置きして。

 言うほど鬱でも電波でもないのだとすれば、多分、私が無意識のうちに良い子振ってるからではないかと思います。モーツァルトが好きだと言う時そこに嘘はないのですけど、同時に、娘に風邪薬を塗りてぇーなんて言ってる自分というのもあるわけで、後者の方を半ば無意識に隠してるのではないかと。
 あと、普通の名文というのはなんか考えさせられたです。とりあえず名文かどうかは置いておいて、普通であることに私の文章の面白さがあるとしたら、それは気持ち的に複雑だなーとか。普通でないことにコンプレックスを抱いているつもりでしたから。

 林さんの文章に出逢ったのは、死刑台のエロゲーマーさんのトップページでONE考察が紹介されてたのが切っ掛けだったんですが、ONE考察もさることながら、その直後ぐらいにお書きになった携帯電話についての考察?にえらく吃驚した憶えがあります。世の中には頭の良い人がいるんだなーああもう全然次元が違ううーと心底思ったものです。

 あと、ぶるまー2000は私も現在ちまちまと進めてます。脱力系ですね、これって。(笑)


 ELYSIONのジェーンですが。

 自分を不健康だと思っている人間から見た時、健康な人間には2種類のタイプがあるのではないかと思うのです。端的に言ってしまえば私を許してくれる人とそうでない人ということになるんですが、もうちょっと具体的に言うと、眩しさを感じてしまって一緒にいると自分の不健康振りをいよいよ意識させられて居心地が悪くなってしまいそうなタイプと、『私』がどんな人間かは問わずに前提としてひとりの人間として扱ってくれて、傍にいることを自然に許容してくれるタイプです。ONEの瑞佳は後者の典型だと思うのですが、ELYSIONのジェーンもそういうタイプですね。ディアナはメイドバージョンの方が萌えだけど、ジェーンは恋人バージョンの方が全然良いです。ああいうタイプの娘は束縛しちゃいけないと思う。彼女達は私とは違う世界の人間だからこそ、私にとって救いになるのですから。
 ELYSIONは未プレイなのでしたらお薦めしたいところなのですが、それよりなんでゲームやってないのにそこまで的確に見えますか?(^^ゞ
 『彼女はあたりまえの人間のように僕をみるだから僕はそのとおりのものになってゆく。』の一文とか、すごくはにゃ〜んです。


 ああ、『はにゃ〜ん』で思い出した。こちら
 ONEをやった時とかもしみじみ思ったのですが、私、日本人で良かったです、本当に。


 バーチャルリアリティーは悪であるとか言われると感情的にすごく反発を感じる−理論的に反発しようにもその基礎となるべき知識と経験が私にはない−のだが、ここ(10/23)ここを読んでひとしきり笑ったらなんかどうでも良くなってしまった。


 平山さんの所からこちらのヲタ論?へ。
 
 フェティシズムとまでは行かなくても、好みの傾向が後から獲得されるものだという辺りは同意できるのだけど、ある種のヲタ達は特定作品への拘りよりも解釈すること自体の方により高い意義を見出している、とかの辺りはなんかピンと来ない。私に関して言えば、対象がなんでも良いなんてことは絶対にないし、web上で語る、というか、文章を書くのは自分の考えとか想いとかを文章化して整理したいというただそれだけのことで、書き物は結局のところ手段として意味合いの方が大きい。読者がいるかどうかは二次的な問題で、別に誰かに対して語っているつもりはない。結果的に誰かにとって意味が生じるかもしれないという意識は常にあるけれども。

 あと、あの論に関連して、C.Fさんの日記(10/26)からリンクされているこちら
 他者への指向というのもすごく頷けるのだけど、それよりも『オタクは同じオタクから「立派なダメ人間」として認められようとする』とかのくだりが面白い。ギャルゲー系の掲示板、特に企業系のものを色々見てると、確かにそういう傾向−ダメ人間自慢大会みたいな−はありますよね。ギャルゲー系web日記も割とそうかも。うちも含めて。


2000/10/29 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#29


 怒首領蜂。
 5/31以来2回目の2周ALL!!

 452,355,060pts. max_854

 1周クリア時17900万(2面前半&6面前半コンボミスで1400万落ち)。
 2-4道中3機目の大型機直後までノーミスノーボム。
 2-6終了時4.4億。残3ボム2。火蜂戦開始時残2ボム3。残0ボム3でALL.

 とりあえずスコアボードに登録してみたり。
 今年中に6億出したいなー。


2000/10/28 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-28.htm#28


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 追記。

 普通、メイドさんが出てくる漫画とかのハッピーエンドっていうと、メイドさんが普通の女の子として愛されるっていうパターンが圧倒的に多かったんですよね。このゲームの面白いところはその普通のパターンの逆を行ってるところだと思います。要するにこのゲームのメイドエンドっていうのは、彼らが自分たちのあるべき場所を獲得した結果なんですね。彼らにとっての理想の関係は主人とメイドでなければならなかった、という。

 …いや、自分家の掲示板からの転載なんだけど。更に付け加えて。
 今までのゲームや漫画で、メイドさんをメイドさんとして愛するという描写をされたものがあったかどうか私はちょっと記憶にない。恋人か奴隷か、の2択は従来からあった(例えばF&CのNaturalとか)が、これとそれとは違う。このゲームのメイド描写の独自なところは、あくまで主人とメイドというポジションこそが彼らにとってベストなのだと言い切ったことだ。

 更に言うと、彼女をひとりの女性として愛するかメイドとして愛するかという2択をわざわざ設定して、プレイヤーに選ばせる辺りも、非常に面白いと思う。おそらく他のプレイヤーも、縛られたディアナを前にして葛藤したに違いない(と思いたい)。ストーリーが勝手に進んでいくのであればプレイヤーは傍観者であり得るが、プレイヤー自身が選択した以上、その後の展開と結末について、プレイヤーは自ら責任を負わなくてはならない。ノベルゲームがノベル(小説)と違う点はここにある。選択肢とは詰まるところ、観客であるプレイヤーを舞台に引きずり上げるためにあるのだ。この仕掛けによって、バッドエンドの痛みは2倍になり、ハッピーエンドの喜びは2倍になる。

 最近気がついたのだが、このゲームの恋人かメイドかの2択は実はもうひとつ興味深い問題を含んでいる。誰しもが気づいたことだろうが、メイドルートを選ばないとこの物語の謎にまつわる部分は明らかにならない。典型は言うまでもなくミレイシナリオであろうが、よく考えるとここには面白い構図がある。つまり、サンタマリア島の謎を知りたければ自分自身が彼らの懐に飛び込まなくてはならないということだ。あの島のルールを受け入れて、彼女たちをメイドとして愛する選択をするということはつまり彼らの一員となるという意味に他ならない。そしてその時初めて、島の秘密は主人公の前に顕現する。逆に、島のルールに従わずに彼女たちを恋人として愛する限り、主人公は部外者であり続け、例えハッピーエンドであっても彼らは部外者のまま島の外に放り出されることになる。
 主人公が最後まで部外者であり続けた最も顕著な例はおそらくヘレナシナリオだろう。あのシナリオは他のシナリオと比較するとどうもライトなイメージがあるのだが、それは要するにこのシナリオがメイドさんと駆け落ちするというただそれだけの構造しか持っていないからだ。島を拒否する以上、それはどうしても単純な恋物語にならざるをえない。(ヘレナはメイドじゃねーかと仰る向きもあるだろうが、私にはあのふたりの関係が主人とメイドであるようには見えない)
 このELYSIONというゲームは、かなり意識的に、プレイヤーにゲーム世界を仮想体験させるように作られていると思う。物語としても一級でありながら、ゲームとして見てもプレイヤーは一瞬たりとも傍観者でいることは許されない。これこそプロの仕事というべきものだろう。

 あと、蛇足ながら付け加えておけば、ヘレナシナリオの平凡さは欠点ではなく、むしろその平凡さこそが特長になっていると思う。つまり、コーヒーブレイクとしての価値だ。重めのシナリオの合間に差し挟まれるヘレナの無邪気な笑顔に、私はなんともいえず心が安らぐ。


2000/10/21 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#21


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) 

 フローリィシナリオ<ED20・乙女の森に消える花/ED21・追憶のエリュシオン>読了。
 もう完全にやられた。感動とかそういうんじゃなくて、心を捕えられたという感じ。頭がぼーっとしてる。名作として語り継がれている剣乃作品が好きな人は必ずプレイするべき作品です。なんかね、このエリュシオンって作品、剣乃作品に驚くほど似てる。登場人物の台詞の一言々々がすごく切実に響くところとか、エンディングの寂寥感とか。かのDESIREに匹敵する名作と呼んでも決して大袈裟ではないと断言します。

 で、総括。
 物語の核心に近い部分に行ってしまうと、これはメイド萌えゲーとは到底呼べないような重苦しい話になる−その意味では『4人のメイドは前座』という意見もあながち間違っているとは言えない−のですが、そのことはひとまず置いておいて、私としては敢えてこのゲームのメイドさん描写の秀逸さについて触れたいと思います。なにしろこのゲームはメイドさんの描写がすごく良いのです。可愛いとかいう次元の話じゃなくて、浪漫とかそういう問題として。個人的は、自分が抱いていたメイドさんの理想像に近いものにやっと逢えたという感じ。エロゲとかエロ漫画ではメイドさんっていうのは性奴隷的に描かれることが多かったように思うのですが、私は以前からこういう傾向に不満を持っていたんです。端的に言えば、メイドさんは苛めるものじゃなくて可愛がるものだろうがゴルァ、みたいなことなんですが。

 このゲームのメイドさん達は例外を除いてみんな実に生き生きしている。パドリーノが言う通り、彼女たちは奴隷ではないからです。それぞれに与えられた仕事さえきちんとこなしていれば、余暇を屋敷内で自由に過ごすことができるし、おしゃれに気を遣って香水なんかを付けることも許されている。奴隷には個性は要らないけど、彼女たちは個性的であることを許されています。このゲーム内でのメイドというのはあくまで彼女たちに与えられた社会的役割なのであって、それは限度を越えて彼女たちを規制することはありません。彼女たちはメイドという職業人でありながら同時に普通の女の子であることができる。だから、ジェーンもディアナもミレイもヘレナもあんなに魅力的なのです。
 
 そして、こういう設定になっているからこそ、後半の展開はより一層ロマンチックなものになります。後半で、主人公=プレイヤーは彼女たちをメイドとして愛するか対等の立場の女性として愛するか選択することを強いられるのですが、ここでメイドとして愛するという選択を選んだ時、彼女たちの役割は変化を見せます。つまり、彼女たちは職業メイドであり続けながら同時にひとりの女性としても主人公に忠誠を誓うようになるのです。しかもそこにはどんな強制もありません。あくまで、彼女たちは自らの意志で主人公に忠誠を誓う。ここに至って、彼女たちがメイドであることと女の子であることは不可分のものになります。敢えてエロゲ的な言い回しをするなら、彼女たちは身も心もメイドになる。これは例えようもなく甘美なのですが、なにゆえ甘美なのかといえば、このゲームにおいてメイドというものが獲得される必要があるものだからに他なりません。このゲームのライターは、実に巧みに恋愛系ゲームの手法を取り込んでいます。すなわち、普通の恋愛ゲームでひとつのゴールとして恋愛関係の獲得があるように、このゲームの主人公はメイドさんとの関係を獲得するのです。言ってみれば、普通の女の子がメイドさんに変わるその瞬間に立ち会うことができる訳です。これはなかなかに斬新な演出といえるのではないでしょうか。


2000/10/20 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#20


 今日は完全に私信。

>MK2さん

 幾分ってどこで書いたっけとかちょっと探しちゃったんですが、19日のやつですよね。
 なんで『幾分』かっていうと、つまり私は自分が彼らと比べて不幸だとは思ってないからです。私は彼らが知らないことを知っている、彼らは私にできないことができる、ただそれだけの違いがあるだけで。私は私なりのルールに従って幸せです。彼らのルールに従えば不幸であるかもしれませんが、そんな気はないので特に問題なしなのです。ただし、彼らは私をおそらく羨ましいと思わないだろうと想像できるのに対して、私は彼らを羨ましいと思ってるので、その差を『幾分』と表現している訳です。

>WSATさん

 ゲーム談義のはずがいつのまにか似非哲学になってますが、多分これで無事終了、ですかね。

 不平等云々に関する感情的不満もあるにはあったんですが、言い訳とかなんとかは、しのぶの考えをWSATさんに押しつけようとかの意図はまったくありませんとか言いたかっただけですんで、気にしないで頂けるとありがたいです。

 知ろうという欲求とかって、人間にとってはアンビバレンツな代物だなーなんてことは常々考えているので、その辺りは割と同意見かなと。なんで人間が知的好奇心を持っているかなんてのは多分考えても分かることではないのだろうと思いますが、既に持っているという前提から出発するなら、それをいかに肯定するかということに頭を使ったほうがおそらく建設的ですよね。私自身はもちろん自分の知的好奇心を否定したりする気は全然ないです。ただ、無知に対する憧れみたいなものも同時に持っているので、そこに幾らかのジレンマが発生しているのもまた事実なんですが。

 あと、知を求めることに対する強迫観念とかは正直私はもう慣れちゃってますので、その意味では自然にそうであるというのは結構正しい観察ではないかと。(^^ゞ
 結局、人間の間で暮らすのには必ずしも知を必要としないという辺りが私の悩みの種なんです。この辺りは昨日の日記にも書いてますが。

 ついでに。
 Fifth-TWINは当然既にやってます。父×娘カップル至上主義の私としてはあの手のゲームはデフォルトなので。…期待外れでしたけどね。父娘萌えのツボを全然押さえてないですし。シナリオライターの方にはとりあえず『Papa told me』を100回ぐらい読ませたい気分です。

 さて、フローリィシナリオをやってから寝ます。Gute Nacht.


2000/10/19 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#19


 なここるとりむるるに前後から挟まれてぇと思う今日この頃。
 …いや、ちょっと前に某所でCGを拾ったんですが、そのCGの肌の塗りがすごく綺麗というか耽美(しのぶ的に最上級の賛辞)で、ああ頬擦りとかしたら気持ち良いだろうなーと思わずにいられないんです。某所のゆり祭り時のやつといえば一人ぐらいはわかるかもしれない。ちなみにそのCGは現在10月のカレンダーと化して壁に貼ってあります。ここ2年ぐらい、うちの部屋のカレンダーはすべて自作でまかなっていまして。ほぼ3ヶ月に1回のペースで3枚づつ作成します。今回はちなみに、10月はなこりむ、11月はこみパの彩さん、12月は知る人ぞ知るウェディングドレス秋子さんです。


 社内放送。
 『○○係長へ連絡します。△△班長はここにいます』
 …放送で『ここ』って言われてもなぁ。どうやって場所を特定しろと?(笑)
 あ、私は単なる第3者ですが。


 仕事中、WSATさんへのレスとか色々と考えてたんだけど仕事を放り出して書く訳にもいかず、仕事が終わった頃には今度は気力が衰えてて書ける気がしない。が、なんとか頑張って書いてみます。

 とりあえず言い訳から。人生論とかそういうのは10人の人間がいれば10通りの人生論があって、そのどれもが本人にとっては正しい−あるいは本人にとってだけ正しい−という性質のものだと思います。少なくともそれが個々人の体験に裏付けされた切実なものである限りは。その意味では人生論とかの類は議論にはどうやってもなり得ないのではないかと私は考えます。それぞれの土台が違うのですから、意見が対立することはむしろ必然的に起こらざるを得ないとさえ言えそうな気がします。私の持つ人生論は私にとっては正しく、WSATさんの持つ人生論はWSATさんにとって正しい。ただそれだけで、そこにはどんな比較論も成り立たない。これが私の基本です…と前置きをした上で。

 知的好奇心というのは確かに私にもあります。ただ、私の場合は知を求める動機が単純に興味があるからというだけではないというのが問題なのだと思います。知を求めることそれ自体が必ずしも目的のすべてではなくて、プライドを保つための手段としての意味合いもあるとか。本を読んだり何かを考えたり考えたことを文章という形にするのはいつでも楽しい作業なのですが、逆にそういうことをしていないと私は堪らなく不安になるのです。これは、やりたいことがやれない不満感とは違います。自分の居場所がわからなくなるという感じに近いものです。結果としては知を欲しているのだとしても、その動機は必ずしも向上心であるとは言えないのです。

−以下、ELYSIONネタバレ含む−

 あと、知を求めるとかいうことについてもう少し書くと、何かを知るということが果して人間を幸せにするものかどうか、私は常々たいへん疑問に感じています。むしろ、幸せな状態というのはいつも何らかの無知の上に成り立っているのではないかと私は思います。ELYSIONで言えば、ヘレナがその典型です。彼女はサリナが殺されたこともサリナの死体がゲルハルトによって冒涜されていたことも知りません。しかしだからこそ彼女はあんなに可愛らしく笑うことができる。彼女の笑顔、彼女の能天気さは、無知であるがゆえのものです。少なくともヘレナが笑顔でいるためにはその事実は彼女にとって必要のないものです、というか、事実を知ることはヘレナになんらのプラスももたらさないでしょう。あと別のシナリオでいえばジェーンシナリオから分岐する『No.16 最果てにいる者』エンディングとか。これは、主人公の好奇心の結果が最悪の方向に向かった例のひとつです。主人公はジェーンとただただ幸せに暮らすこともできたのに、禁断の道へ踏み込み真実を知ってしまう。私たちの日常レベルでも、同じことは頻繁に起こります。ある程度の知識は生きるためには必要なものですが、おそらく幸せになるための条件ではないのではないでしょうか。

 結局のところ、人間を幸せにできるのは人間だけです。私は多分会社の同僚達の100倍は本を読んでいるだろうと思いますが、だからといって私が彼らよりも幸せだという訳ではありません。むしろ人間の輪の中に自然にいることができる彼らのほうが幾分幸せであるように見えます。私も輪の中で雑談はしますが、やはり彼らと私は違うと感じる。簡単に言えば彼らはそうすることをまったく自然に行うことができるのです。私がごく自然にモーツァルトを好きであるように、彼らはごく自然に野球やら車やらギャンブルやらが好きで、しかも彼らは自然な自分でいればそのまま周囲の人間と付き合える。この差は大きいものです。私は美しい文学や音楽を彼らの100倍以上知っているけれども、まさにそのゆえに周囲と自然に付き合うという訳にはいかない。彼らと一緒に笑っていても、内心では違和感を拭いきれない。幸せであるためには人間とごく自然に向き合う才能があればそれで十分なのであって、色々なことを知っているなんてなんの役にも立たないんです。私は結局のところ、人間と自然に向き合う資質を欠いているから知識を求めているに過ぎません。そうしないと自分の居場所がわからなくなるからです。

 うーん。とりあえず、しのぶという人間の行動原理が決して向上心とか意志的な努力とかのような高尚なものではないのだということだけ判ってもらえれば良いのですが。


2000/10/18 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000‐10.htm#18


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 マナエンド読了。常識的なエロゲの範囲を遥かに越えたシナリオ。マナシナリオの存在だけでも、このゲームは18禁にならざるを得ないだろう。後半に入って、それまでの眠気が一気に醒めた。私はエロゲのプレイ本数の絶対量が少ないのでこういう書き方をしても説得力を欠かざるを得ないのだけど、現実世界で実際に起きている問題をエロゲのシナリオに組み込んだ例は初めて見た。いやはや藤木というライターは恐ろしい人だ。ゲルハルトという個性、マナが抱えている闇。藤木氏の筆は、彼らを描写するのに容赦することを知らない。過酷なものを過酷なままに、私たちプレイヤーに容赦なく突き付ける。まるで、世界には私たち日本人の感覚では及びもつかないような地獄があるのだと言わんばかりに。

 マナシナリオに比べれば、パドリーノやシルヴィアーナの策略やそれぞれのメイドたちの心の問題などは所詮平和な世界の出来事でしかないと思われてくる。極論すれば、悩むことができるのは余裕の表れなのだ。世の中には、悩みを抱える余裕すら持つことを許されないような地獄がある。このシナリオで語られているのはまさにそれだ。しかもこのシナリオは現実に起きている問題を下敷きにしている分だけ、他のどんなゲームのシナリオにも及ばないような圧倒的なリアリティがある。繰り返しになるが、藤木というライターは凄い人だ。普通の人間の感覚なら書くのも憚られるような現実(ゲーム世界でのという意味)を、個人の恣意を介入させることなくただただ冷静に書ききったというのは、まったく驚くほかない。


2000/10/17 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#17


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 鬱だろうがなんだろうがこのまま途中で止めるなんて訳にもいかないのでプレイ続行。今日はヘレナ(眼鏡のメイドさん)シナリオ。ヒロイン格の4人のメイドのシナリオほどのインパクトはなくて、むしろ平凡といえるようなシナリオなのだけど、こういうシナリオは今の私には非常にありがたい。平凡だからこそ、ホッとさせられる。

 −ここまで−


 動機(切っ掛け)は私信と言えなくもないけど内容は断じて私信じゃないです…と前置きをしておいて。あと注意。以下、120%自分語りです。あと、多くの自分語りがそうであるように、人として極めて不出来な文章です。詰んでます。読むと多分後悔します。改行がないのはわざとです。以上警告。

 私は実は、人間は常に努力して上を目指すべきだとかいう考えは持ってないです。私自身は走り続けることを自分に課していますが、それはあくまでも、そうしなければ生きられない(と思い込んでいる)からで、もし走らなくても生きられるならそれに越したことはないとさえ思っています。というより、その方が多分幸せでしょう。私は、自分と自分を取り巻く世界を意識する年頃になってからずっと、自分は普通なものとは相容れないという考えに取り憑かれていて、自分とは異質の世界で生きるために、理論武装をどうしてもする必要があったのです。社会人として人々の中で暮らしている時の私は水に潜った人間に等しいと言えます。人間は元々水の中で暮らすようにはできていない。従って息苦しくなる。だから外に出て呼吸をする必要がある。そして、私にとって呼吸とは、独りでいること、芸術作品(この場合はかなり広い意味での創作のことでありエロゲや漫画も含む)と接することです。だから、試験勉強の期間中に一番キツかったのは、フィクションの空気を呼吸できないことでした。私が今まで生きてこられたのは、フィクションの空気を常に呼吸していたからだと言っても過言ではないです。自分が本当に自分であれるのは独りでいる時でありまた好きなものと向き合っている時だけでした。しかし好きな物と向き合っている自分は世間に受け入れられないばかりか、世間の常識と対立せざるを得ないのではないかということを私は恐れた。世間の常識の前に無防備でいたら、自分の大切なものが破壊されてしまうと感じた。それで。私は自分が生きるために絶対に必要なフィクションの世界を外界から守らなくてはならないと思った。高校生の頃のことです。当時から、このことだけは明確な言葉として自分の内にありました。それで私が考え出したのが、理論の防壁を徹底的に築いて、インナーワールドを守ることでした。それはまた、フィクションの世界を好きな自分を肯定するために必要なことでもありました。自分を守ることと自分の好きな世界を守ることとは完全に同義です。なぜなら、自分の好きな世界を肯定するためには、まず前提として自分を信じている必要があるからです。そのために必要なものが、理論武装です。世間の常識という何物かがなんらかの形で私を否定しようとしても、自分が健康でないことはテメエ如きに言われなくたって自分が一番よく判ってるんだゴルァ、と言える力。ただしこの力は防御のためのものです。私は世間と自分とを比較した時に、どうしても、健康なのは世間で病んでいるのは自分の方だとしか思えないので自分が世間を攻撃したりする資格はないと思っています。世間を攻撃したら私は健全なものの破壊者になってしまう。それは許されないことです。私が望むのはただ、健全な世間が私に圧迫を掛けてきた時にその圧迫を凌いで自分の身を守ることだけです。私が力を望む理由はただその一点で、誰かに能動的に作用するような力なんて欲しくないです。いや、欲しいとかどうこうではなく単純にそういうことに興味がないのです。あと。これは愛のある主従関係に憧れることと矛盾しないかと仮に問われれば、矛盾しないと私は答えます。詰まるところ私が愛のある主従関係に憧れるのは、そういう関係の時、相手は私を傷つけないからです。相手に対して力を持っているかどうかは二次的な意味しか持ちません。ELYSIONのメイドさん達の中では私はジェーン萌えなのですが、それは彼女が他の誰よりも、人間性への信頼を持っているからです。彼女は他人の言動から悪意を読みません。私は彼女と一緒にいたら多分安心できると思う。彼女は私がなにか失敗しても大抵のことは何事もなかったかのように笑って許してくれるだろうし、私が何を喋ってもいつも真面目に聞いてくれて、多分つまらない冗談でも笑ってくれるだろうからです。ジェーンに関しては特に最後が非常に重要です。私は綾波タイプの人とはおそらく30分とは一緒にいられないです。反応がなかったら私は気にしてしまう。ああ俺ってばまた詰まらないこと喋って…って。自分に自信がない人間でないとこういう感覚は判り難いかもしれないですけど…って嫌な言い方だな俺。ともかく、だからジェーンが好きなんです。あと、とらハ1が好きなのも大体これと同じような理由で。瞳ちゃんと親しくなって彼女を初めて名前で呼ぶ場面とか、おずおずと名前を呼ぶ真一郎に対して、瞳ちゃんはまるで10年前からそうであったかのような自然さで返事を返してくれる。確か他のシナリオでも似たような場面があったような気がしますが、この、最初から許すかどうかなど問題ではないかのような無条件の許し、いやすでにこれは許しですらなくて、むしろ無条件の肯定、無条件の信頼とでもいったもの。とらハ1の肝はこれです。大分前に都築さんが描いた読み切り漫画『NAKED MIND』の中のヒロインの台詞で『大丈夫、君のことなら大抵のことはがっかりしないと思うから』っていうのがあるんですが、この、大丈夫君のこと嫌いになったりしないよ、に象徴されるヒロインのかたちは、そのままとらハ1のキャラクター達に受け継がれています。小鳥も唯子もさくらもいづみも瞳ちゃんも、そういうキャラクターとして描かれています。彼女たちも多分、私がなにを言っても真面目に聞いてくれて何を言っても笑ってくれると思う。とらハをプレイすると妙に落ちついたり、時になにか許されたような気持ちになるのは、だからです。
 あーさすがに疲れた。元々突発書きなので特に結論とかはないです。尻切れとんぼのまま終わり。


2000/10/16 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#16


 日記が半月で50Kを越えてしまった。今までは一番多い月でも44Kだったんだが。さすがに読んでくださる方に申し訳ないので今月に限ってファイルを分割することにします。


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 クリスシナリオ両方&マリアシナリオ読了。クリスに関しては特に言うことはなし。というかキャラ萌えが全然ないので語りようがない。キャラ萌えを別にしてもなんか不完全燃焼というか。ソードがクリスの兄だというのは判ったけれども、それだけではディアナ・メイドシナリオでソードがシルヴィアーナを殺そうとした理由が判らない。ソードがシルヴィアーナを殺さなくてはならなかった理由はなんなのだろう。別のシナリオで明かされる…とも考え難いのだが。

 マリアシナリオ。手術をしてパドリーノを敢えて助けたら謎の一端が明かされるのではないかと思ったのだが実際には全然そんなことはなくて単に後味が悪いだけだった。マリアバッドは痛い。痛すぎる。『臓器のほとんどを〜』のくだりは本気で戦慄を覚えた。

 正直、マリアバッドのせいでかなり鬱。ELYSIONが終わったら次はもっと軽いゲームがやりたい。ONEの瑞佳シナリオ終盤の浩平のモノローグみたいな世界が良い。いつも君が傍にいる、っていうただそれだけのゲーム。なんの事件も起こらない。平凡な日常が繰り返されて、でもいつも傍には大好きな君の笑顔が、っていうそれだけ。線香花火が終わったら『はい、まだまだあるよ』って手を差し伸べてくれる女性(ひと)が傍にいる世界。あとマタニティドレスを着た名雪がおなかに手を当てて『あ、動いてる…』とか…ゲホッゲホッ…あ持病が。そういう世界が永遠に続いて、始まりも終わりもないようなゲームがやりたい。…疲れてるな俺。


2000/10/15 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#15

『あのね』
『今日は弾が全然避けられないの』

『鬱なの』


2000/10/14 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#14


 銀行に行くの忘れてた。只今の全財産、3000円+小銭。


 ジャンプを読む。
 冨樫さん相変わらず素敵。あんな展開は予想できませんでしたよ。つまり、クロロさんは時間稼ぎをすればよかったという訳ですね。むー。なかなかの戦略家。ますます惚れ。
 でも今週号を読んでると、ゾルディックパパと爺は実はクロロさんを殺したくなかったのではという気がする。自分と互角に戦える人間に対する敬意とでもいうか、プロ同士お互いを認め合っているとでもいうか。パパと爺って、依頼人(十老頭)が生きている間は依頼を忠実にこなすのだけど、多分そうしてもクロロさんは簡単には死なないということを知ってて、その上で戦ってたんじゃないかしらん。暗殺一家ゾルディック家って、プロ意識が徹底してると思う。彼らにとって暗殺はビジネスなので、それ以外の問題には一切介入しない。プロとしての彼らはある意味公正な殺し屋で、従って彼らにとっては、マフィアが全滅することも競売品が盗まれることも自分たちの仕事の範疇外の出来事なのだ。彼らは只、依頼人とその依頼に対してだけ忠実である。こういうのって格好良いと思う。

 あとライジングインパクト。
 パーシバル、むっちゃ可愛ええ。パージバルの胸の中でおいおい泣くトリスタンとかすげー見てぇ。んで、パーシバルは、よしよしってトリスタンの頭を撫でるの。パーシバル×トリスタン萌え〜。
 あと今だに判ってない人がいるので念のため、カップリング表記は○○×△△の時、○○が攻で△△が受です。


2000/10/13 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#13


 これが俺の許容量の目一杯なんだ…ごめん。by蓮川兄(ここはグリーンウッド)


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 ジェーン恋人エンド&メイドエンド。
 こういう娘、すごく好き。言葉とか仕草とかがいちいち可愛い。可愛すぎる。はにゃ〜。

 あと、このゲームのえっちシーンってなんかやたらとツボに入る。ディアナ恋人ルートで、主人公の上に乗るのを恐れるディアナに対して、自分たちは対等の恋人なんだと言い聞かせるためにわざわざディアナを上に乗っけたりとか、あなたの匂いが染み込んだお仕着せを宝物に(byジェーン)とか、お情けを分けてください(byディアナ)とか。ああなんか書いてはいけないようなことを書いてるような気がする。

 まだクリスシナリオをやってないけど、このゲームのシナリオって人間の心の在り方を問うシナリオ(ディアナ&ジェーン)とシルヴィアーナを黒幕としたサスペンス色の強いシナリオ(魅麗&クリス)に分かれるんじゃないだろうか。後者に関しては雰囲気を楽しんでいれば良いようなところがあるので置くとして、前者のことについて更に。

 ジェーン・メイドシナリオをやってみて判ったのだけど、シルヴィアーナの言っている鎖とかの話って実はごく当たり前のことを言ってるだけなんだと思う。人間は他人との関係の中で自我を形成し、他人との関わりの中で自分という存在を確認する。誰かと関係を持つということは常に責任を背負うことを含んでいるのであって、その意味で人間はいつも何かに縛られている。しかし多くの人間は、縛られているからこそ日常を安心して生きていられるのだ。この辺りのことが判ってもいないくせに自由が欲しいとか言ってる人間を見ると私は腹が立つ。

 私がこういうことを実感として理解したのは20代前半の頃だった。詳しい状況を書くのは省くが、私は、20代前半頃のある時期、働かずに実家でブラブラ過ごしてたことがある。当時、友達からは随分羨ましがられたし、私自身もなんの責任もなく好きな時に好きなことをできる生活を大いに楽しんだのだが、しかしある時期を過ぎると、そういう生活は楽しさよりも不安感をより募らせることになった。当時の私が享受していた自由は社会の一員としての責任を回避して手に入れたものだった訳だが、その自由は必然的に社会の中での私の立場を希薄にした。私はいつしか、自分がどこに立っているのか判らなくなってしまった。そしてその時初めて、学生時代の自分は学生という立場に縛られていたゆえに、自分の立っている場所についてなど考える必要がなかったのだと理解した。何も考えなくても、学校に通っていれば社会の中での自分の立場は最低限保証される。それがどんなに幸せなことであるか、初めて判った。

 人はおそらく無数のものに縛られている。そうして人は安心を得ている。結局私たちに選択できることがあるとすれば、縛られるか縛られないかではなくて、何に縛られるかということだけではないだろうか。サラリーマンが会社に縛られていることと、モーツァルトが美の規範に縛られていることは、どちらも自由ではないという限りにおいて差異はない。そこに差を認めるとすれば、後者は縛られることを自ら納得し受け入れているということだろう。

 好きな人に対して誠実でありたいと思う時、彼(彼女)はすでに相手に縛られている。しかし誰であれ、そういう時、人は縛られることを少しも厭わないばかりか、むしろ積極的に縛られることを望む。何かを愛するということは対象に縛られるということだ。ここまでは良い。問題はそれが主従関係に対しても適用され得るのかどうかだろう。というか、互いが相手に対して誠実でありたいと強く願う時、それはもはや主従関係とは呼べないのではないかという気が、私はする。そういう関係を呼び表わすには、『信頼関係』というごく平凡な言葉で十分に足りるのではないか。信頼は既にひとつの鎖である。ゲーム上ではメイデンはドミナスに忠誠を誓うが、ドミナスもまたメイデンに忠誠を誓っている。それはもはやどちらが主でどちらが従と呼べるような関係ではあるまい。それでもその関係が主従関係であり続けるなら、それはむしろ彼らが身分制度という因習に縛られているというだけなのではないか。やはり私には、身分制度という因習が過去のものになった現代の方が、“まとも”であるような気がする。

 主従関係に愛を認めるためには、多分、身分制度が標準であるような社会の住人である必要があるのだと思う。目下の者に命令することが人間としての自分にデフォルトで備わった権利だということに少しの疑いをも抱かない人間と、目上の者に従うことが人間としての自分にデフォルトで備わった義務であるということに少しの疑いをも抱かない人間がいるとすれば、あるいはそういう愛の形もあり得るのかもしれない。生れながらの貴賎の差を前提条件として認めた上でなければ、おそらくあのような愛の形は存在できないのだろう。
 いずれにしても私にできることは、あり得るかもしれないと想像することだけだ。それ以上は私の手に余る。私は対等でない信頼関係など信じられないが、それで全然構わないと思っている。


2000/10/12 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#12


 季節はずれの蚊がうるさいのでMAKANITO(殺虫剤のこと)で黙らせる。蚊に食われると、寝てても痒みで目が醒めてしまうのでウザイことこの上ない。綺堂さん家のさくらに愛の献血(by黒須さん)とかだったら幾らでもおっけーなんだが。


 カウンターを設置して1週間経った。800HITちょいだったから、1日平均110HIT前後というところか。妥当なところだろう。いや、延べ100人以上の人が毎日読んでいるのだとしたらむしろ驚くべきことかもしれない。数字が増えても減ってもスタイルを変える気は全然ないけどね。今は他人にどう見られるかよりも書くことそれ自体が楽しくなってしまっているし。づしの森のMK2さんの日記は、“普通”の振りをする必要なんてないんだということを私に教えてくれた。それでどんなに救われたか判らない。


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意、未プレイの人は反転しないでください−

 メイドディアナ萌え〜。
 …ああ、頭を使わないのは楽だ。今にして思えば昨日と一昨日の日記は、この一言を言うために必要な手続きだったのかもしれない。

 今日の分。魅麗、メイドエンド。
 攻略サイトの情報を参照してやっとメイドルートに行けた。結論から言えば、3日目午前に庭へ出て噴水から右へ6歩歩いてブローチを取る、というのが鍵になるらしい。3日目午前はパドリーノの診察があるので普通は歩き回ろうという発想はでてこないのではないかと思うのだが、ブローチを探すというのをやっておかないと(魅麗を専属メイドに指名することはできても)ラストの恋人にするかメイドにするかの2択でどちらを選んでも恋人エンドになってしまう。ていうか、こんなの判ってたまるか!! いくらなんでも難しすぎ。
 魅麗メイドルートは魅麗の描写においてはそれほど面白いものは見られなかったが、物語の方は核心に近い部分にまで入り込んできた感じ。あの謎のレントゲンはシルヴィアーナのものだったのか。しかしシルヴィアーナが黒幕だとすると、彼女が何らかの形で目的を遂げるエンディングというのもあるのだろうか。今のところ非常に気になるのは、パドリーノとシルヴィアーナとの関係。てっきり、パドリーノのメイデンがシルヴィアーナだと思っていたのだが、それではシルヴィアーナの中に2つの魂が宿っているというのが説明できないのではないか? シルヴィアーナの内にパドリーノの魂が仮に宿っているとするなら、あの屋敷に住むパドリーノを名乗る老人は誰なのか? 彼が魅麗の体を乗っ取ってまで長生きしようとした理由はなんなのか? あるいは、この推理自体が見当外れなのだろうか? あと二人のメイド、クリスとジェーンのシナリオをやればこれらの謎はすべて明かされるのだろうか? 


2000/10/11 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#11


 私信。>MK2さん
 日記読みましたが、とらハ購入されたようで。
 パッケ裏の『甘やかしたい、かまって欲しい』はとらハワールドの空気を端的に表わしている言葉です。この辺りはプレイしてみたら判ると思いますが、エロゲにはこういう表現もあるのかときっと驚かれると思います。


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 昨日の続き。
 言い訳をしないと愛のある主従関係を肯定できない辺り、我ながら自己嫌悪を感じないではいられないのだけど、ただ、主従関係を持つことに拒否反応を抱く自分の感覚が間違っているとも思えないというのもあって、事情はそう簡単にはいかない。愛のある主従関係への憧れは確かに私の内にあるかもしれないとしても、そういう状況が起こった時にそうすることを選んでそれで後悔しないだろうかと自問すると、やはり判らないところがある。そんな選択を選ぶことは多分、現代の日本に生きている限りあり得ないのだろうけれども、それでも選ぶと仮定すれば私はやっぱり対等の関係を望むような気がする。自分に逆らわない人間と一生付き合えるかどうか、私は自信がない。…と思うのは私が現代の因習に縛られているからなのだろうか。いずれにしても、シルヴィアーナの囁きを悪魔の誘惑と感じるためにはそう感じるための土台がある訳で、そうでなければそもそもシルヴィアーナの言葉に疑問を抱いたりはするまい。あの場面を見…いや体験した時、他のプレイヤーはどう感じたのだろう? 今はそれがすごく気になる。

 メイドは奴隷ではない、とパドリーノは言う。作者の言う前近代の理論に従えば、主人とメイドとの関係というやつは、ひとりの女性と、彼女に忠誠を捧げる騎士のそれと同じだということになるらしい。騎士の忠誠といわれたってそんなものが現代に生きる私に実感できる筈もないのだけど、それにしてもそういう風に例えられると、そんな関係もアリなのかもしれないという気にさせられる。もっと言えば、愛のある主従関係を望む心を許容されたような気持ちになる。

 このゲームでは、ある一線を境に主人公への呼称が旦那様からご主人様に変わるのだが、藤木氏によればご主人様に相当する英語は“ドミナス”で、これは魂の繋がりを示す言葉であるらしい。つまりゲーム中でメイドルートに入った時、メイドは職業として主人に仕えるのではなく、人間としての全存在を掛けて主人に忠誠を尽くす存在に変わるのである。このゲーム中ではメイドはそういう存在として提示されている。これは大変に魅力的な…というよりほとんど蟲惑的ですらある。

 私は、こういう描かれ方をしているメイドさんに惹かれる一方で、その甘さに警戒を抱いている。素直に、何も考えずにディアナ萌え〜なんて言っていられたら幸せだったのだろうけど、ディアナをメイドとして扱うことにはどうしても抵抗がある。その一方で、メイドとしての忠誠を尽くすディアナ(ご主人様モード)にどうしようもなく惹かれる自分がいる。整合が取れない。自分を納得させる解答はあるのだろうか?

 このゲームをやった人は皆こういう迷路に嵌っているのだろうか、それとも私だけがこんなことを考えているのだろうか?

 んで今日の分。魅麗恋人エンド。
 専属メイドにするまでの選択肢が難しすぎる上、メイドシナリオへ移行できない。恋人エンドは意外なほど平凡だった。このゲームの真価はどうもメイドシナリオの方にあるような気がしている。


2000/10/10 (火)
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 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス) −ネタバレ注意−

 2ndプレイ。ディアナ、メイドエンド(END_13)
 終盤のシルヴィアーナの言葉〜彼女(ディアナ)を縛り彼女の魂の形を作ってあげなさい、ってやつ〜凄まじすぎる。思い出すだけで心臓がドキドキする。アレックスが言っていた禁断の果実とルシフェルの蛇ってこのことだったんだとすぐに判ったにも関わらず、シルヴィアーナの言葉のどうしようもない甘美さに私は抗うことができなかった。主人公以上に、プレイヤーである私の方が、完全にシルヴィアーナの誘惑の虜になっていた。罠だと判っているにも関わらず、眼前の果実の甘い香りに抗し切れなかった。知恵の実を食べたアダムとエバ(※)の気持ちが判った気がした。

 愛のある主従関係って良いよなーなんて話は友達とドライブなんかしてる最中に何度か話したことがあるのだけど、それはあくまで半ば冗談としてだった。というか、自分の内でそういう話題は冗談でなければならないという枷を作ってネタにしていたという方が正確かもしれない。愛のある主従関係なんていう話を真面目にするのは現代の感覚からすればどう考えても正常ではないと思えたから。
 愛のある主従関係においては、他方が隷属を“望む”というだけではまだ不充分で、隷属することがその人間にとって生きることと同義であるというのが理想だ、ということは以前から考えていた。もちろんそう考えたからといって、前述のような理由から、それは単なる思考の遊戯であって冗談のネタにしかなり得なかったのだが、しかし隷属を望む、のではなく隷属を必要とする(実際にはこれはシルヴィアーナの誘惑なのだが)少女を実際に眼前に見せられると、それはもうどうしようもなく甘美だった。口にするのも憚ることなのだが、これはもう認めざるを得ない。主人公の意志で隷属させるのではなくて、彼女の意志で彼女を隷属するという状況。そうするしかない、あるいは彼女がそう望んでいるのだから、とシルヴィアーナは囁く。こういう語り口、責任を回避できるような語り口に、人間は非常に弱い。この辺りの場面には選択肢はないのだけど、選択肢があったって私が選ぶ道はひとつだったろう。

 あと、藤木氏(このゲームの脚本家)のメイド描写への拘りの例として挙げておきたいもの。終盤で、ディアナが薬品の入った瓶を誤って割ってしまうという場面があるのだが、ここで選択肢が出てきて、プレイヤーはおしおきするか許すかを選ぶことになる。私は単にえっちシーンを見るためだけの理由で初回プレイ時はおしおきを選んだのだが、2回目のプレイで試しに許す方を選んでみたら、驚いたことになんとディアナは泣き出してしまった。主人公の心理描写に従えば、彼女にとってメイドとして主人公に隷属することがそのまま生きることである、あるいは別の言い方をすれば、彼女が自己同一性を保つためにはメイドとして扱われることを必要とするということになるらしい。はっきり言って狂ってると思うが、しかし私はこの描写に非常に感心した。凡百のメイドゲーやメイド漫画と違って、このゲームでのメイドは性奴隷ではない。ここで彼女がおしおきを受けることを望むのは刺激を求めているからではなくて、メイドとして扱われたいというただその一点である。道義的に大きく外れていようとも、彼女が泣く時、そこには奇妙に説得力がある。

 …いやはや、恐ろしいシナリオを書いたものです。実はディアナ恋人エンド(END_12)とかも見たのだけど、メイドエンドを見た後では、なにかを言う必要あるいは欲求を感じない。もうインパクトが全然違うし。

(※)
一応、聖書は旧約新約ともに一通り読んだことあります。
子供の頃なので細かい部分は忘れたけど。

 あと、ここまで書いて思ったこと。
 悪魔というのは人間の良心が生み出した存在なのではないだろうか。人間は多分、自分の言動の責任を完全に背負えるほど強くはない。自分の言動に掛かってくる責任をいくらか軽減するために、悪魔という存在を作ってそこに責任の幾らかを肩代わりさせて、良心の負担を軽くすることでバランスを取っているのではないだろうか。私の意志ではなく悪魔の誘惑なのだ、等。


2000/10/9 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#9


 ELYSION〜永遠のサンクチュアリ〜(テリオス

 第一印象。
 DESIREもしくはD〜その景色の向こう側〜を初めてプレイした時の感覚。情報が圧倒的に不足している状況下で生活する恐さ、あるいは未来が見えない恐さとでもいったもの。つまり私たちが日常を安心して生きていられるのは、自分の言動が日常の中でどういう意味を持つか知っているからなのだが、このゲームのような未知の空間を舞台にしている場合には、自分の言動と現実との因果関係が把握できない。自分の言動に対して現実がどんなリアクションを返してくるのか予測ができない。何気ない行動が実は破滅への未知であるかもしれないのにそれを知ることのできない恐さ。雰囲気作りは十分合格。結構ハマりました。これからのプレイで謎が少しずつ明らかになっていくのでしょう。楽しみです。

 ただ、あのSDキャラを操作して屋敷内を移動するシステムは正直言って煩わしい。メイドさんその他各キャラの居場所は固定されているのだから、とらハ2のようにワンクリックで飛べるようにしても良かったのでは。SDキャラを使うのであれば、速さが調整できるようにして欲しかった。移動スピードが遅いとテンポが崩れる気がするし、それ以前に移動自体が億劫になってしまう恐れもある。繰り返しプレイを前提にしている(と思われる)シナリオなのだから、尚更こういうことには気を使って欲しい。次回からは、少なくとも専属メイドを決める7日目までは攻略を見ながらやる予定。
 あと。幸いなことにこのゲームはジョイパッドでの操作が可能なので、持っている人はパッドでやるのが吉。マウスなんぞでやってたらあの遅さじゃ発狂します。

−以下、ちょっとだけネタバレ−

 ファーストプレイ。バッドエンドNo.5
 ディアナ狙いで進めたつもりだったのだが、なぜか専属メイドに指名できず、マリアと良い雰囲気になった挙句、臓器移植云々とかの話になって以下略。うぬぅ。E-LOG10月号で確認してみたところ、どうやら前半でマメに会わないとダメらしい。

 あとですね、いくらなんでも一回もご奉仕してもらわないでエンディングというのは納得いかん。なんのためのメイドですかっ!?(叫)
 …まあいいか。今後のプレイでたっぷりと…ククク。

−ここまで−


 怒首領蜂。
 昨日に引き続き、1周クリア時の自己ベスト更新。

1-1 191.61
1-2 496
1-3 107.53.64
1-4 693
1-5 856
1-6 729

 クリア時、19300万。現状ではほぼベストプレイ。
 今日は面白いほど調子が良かった。4回中3回が1周ノーミスノーボム、更にその内の2回は4億点オーバー。クリアはならなかったが、2-6終了時に残機を4機残せたのは初めて。2-6ボスのレーザーが結構避けられるようになったのが大きい。あとは火蜂の避けがもうちょっと安定すればなぁ。
 2-3ボスは小型砲台×4を残すパターンに変更。意識的に本体に撃ち込みにいくようにすれば結構安定する気がする。それにしても2-3ボスって下手すると2周目で一番厄介なボスなんじゃないかしら。2-4ボスは普通に撃ち込むと厳しいけどハメてしまえば楽勝だし、2-5ボスは後半の針弾以外はほぼパターンだし、2-6ボスは…かなり厳しいけどここまで来るとボムを使っても点数が変わらない(残4とかを狙っている場合は別)のでヤバイと思ったらボムを撃てるし。2-3ボス戦はボムを使うとその後の点効率がガクッと下がる上、ボムを使うタイミングも難しい。避けられるつもりでいても結構当たってたりするし。

 内藤さん(ZBL-NAI氏)って本当に凄い人だったんだなーと最近しみじみ思う。私は3年掛かってやっと6億が射程内に入ってきたなんて状態なのに、あちらは開始数ヶ月で6億を出した上、最終スコアではクリア時残5なんだから。普通は火蜂までに5機持っていくだけだって大変なんだが。


2000/10/8 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#8


 LaLa買うの忘れてたので買ってくる。

 天野(平)くん、身長153cm&体重39kgかぁ。
 お姫様抱っこしたいなー。もちろん、ドレスかなんか着せてさ。

 ところで今回の話とは全然違いますが、アヴェマリアを歌っている高校生の昭さんを見て、『ベッドの中で昭さんの声を聴きてぇーっ』(←邪な意味で)とか思ってしまう俺は死刑ですか? いや最近、ウィーン少年合唱団のCDなんか聴いてるともう心が溶かされるような気持ちになって、ああカストラートを愛してしまう王様?の気持ちがちょっと判るぜなんて思っちゃうのです。あれは下手な女の子の声より全然色っぽい。


 怒首領蜂。
 1周クリア時の自己ベスト更新。(188,777,520pts)

1-1 191.61
1-2 496 
1-3 74.34.55.64 
1-4 693 
1-5 815  
1-6 729

 うーん、正確には判らないけど、多分理論値に対して300万強の落ちかな。完璧に決まれば19200万ぐらいか。
 ただし、この時のプレイは2周目は悪夢の如くボロボロだった。唯一救いだったのは、2-5で全滅後、コンチしてそのままやってたらクリアできたこと。火蜂戦開始時残1ボム6にも関わらず葬ることができたのは我ながら快挙。
 あーあとひとつ。
 2-2中ボス、クソむかつくーっ。きーっ。
 (いや、正確には中ボス自体がというより左から出てくるザコ戦車との複合攻撃がね)


 Lien_VisualFanbook.

 青葉のパーソナルデータ(T151、B75、W50、H76)に激萌え。うむ!って感じ。しかし青葉って10歳だったのかー。10歳の少女が『まだ、なにか入ってるみたい 』とかの台詞を……………ううっ、素晴らしすぎる。感涙。(死刑確定)


 昨日、秋葉原に向かう車の中で色々と考えていたのだけど、BBSでWSATさんへのレスとして書いた『萌え感情は女の子が小動物をみて黄色い声をあげるのとまったく同じ感情』という意見は、実は意外と核心に近かったような気がする。要するに、萌え感情っていうのは母性本能の発露なんじゃないかと。うまく証明できないのがアレなんだけど、黄色い声をあげるような感情作用っていうのは、女性的なものであるような気がする。普通の男性は黄色い声なんて絶対あげないはずだし、少なくとも私はそういう場面を見たことない。


  快と幸福から乖離した「真」「善」「美」を認めない、とか。
 今年の春頃から、エピクロスってなんだろうと思ってて気になってはいたのですが、少なくとも悪い意味で使っているのではなさそうだったし、それがしのぶの文章あるいは文章を通じて顕れる人生観(芸術観)を表わしているのだとしたら、そういう自分の特徴みたいなものには無自覚でいたほうが良いと思ってたので敢えては聞きませんでした。
 あらゆる表現(それが例えweb日記やゲームレビューであっても)は、自分や他人を意識しない時にこそ純度の高いものになるのではないかという持論を私は持っていて、たまに自分の日記について『読者無視日記』なんて言ってみたりするのも、これは私にとって文章はそうでなければならないもの〜ぶっちゃけて言えば読者を意識したら私の文章は絶対つまらなくなると思う〜だからで、決して、読者のことなんて知らないもんね俺は書きたいことを書くぜ的な意味ではないのです。>ALL
 私はどうも、交換日記スタイルをまったく望んでいない訳ではないにしても、自分が日々思ったこと考えていることを吐露することの方にウェイトを置いているというか、そうすることの方が楽しいみたいです。

 あとまぁあの短い文章からなにかの判断をくだすのも性急にすぎるでしょうけど、少なくともエピクロス派と評されることに違和感は全然感じないですね。認めないかどうかはともかく、傾向的には確かにそういう所がある気はしてるので。

 づしの森のMK2さんの日記を初めて読んだ時なんかも似たようなことを実は考えてました、そういえば。こういう人は他人の目を意識しないほうが面白い文章が書けるだろうなーと。その意味で、MK2さんがおそらく確実に読んでいるであろううちで言及するのには正直ためらいがあったものでした。黙ってるのより、読んでますという意志表示をした方が誠実なのではないかと思えたので最終的には言及することにしたのですが。というか、前述のような理由で意志表示をしないのだとしたら、それは2chのウォッチャー諸氏となんら変わらないのではないかな、と思ったという方が正確かな。

 ちなみに他サイトへのリンク報告を私がまったくしないのは、誉めるなら本人のいないところで、という妙な意識が働くからです。誉めることが誉めること以外に解釈される可能性があるというだけで私はもう尻込みしてしまうのです。利害がまったく絡まない純粋な賞賛、であるためには、本人の前ではやらない方が良いのではないかとか。あと、リンクを貼ってくれたからリンクを貼り返すっていうのもなにかおかしいんじゃないかというのもあって。要は、私のところからリンクを貼ってそれを報告することで相手の意志に方向性をちょっとでも与えたくない、みたいなね。MK2さんはご自身の日記の中で激しい勘違いと言っていらしたけど私はどうしてもそうは思えないのです。(あるいはこの辺りが私の自意識過剰振りを端的に表わしている、とかだったら嫌だなぁ
 まぁでも昔、ムービーサイトだった頃は『相互リンクしてください』なんてメールよこしておいてその後なしのつぶて(これってどういう漢字当てるんだろそういえば)なんていう厨房もいたし、リンクに関してはお気楽ではいられないのです。今だったら『相互リンク』なんて言葉を使って来た時点でそんなメールは無視なんだが。

 さて、今日の分おしまい。
 緑玉板(ELYSIONのシナリオライターの個人サイトらしい)のエッセイに非常に興味をそそられたので、これから風呂に入った後、ELYSIONをプレイ予定。あと、ここのONE解釈は興味深いです。


2000/10/7 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#7

 秋葉原の空気は落ちつきますなぁ。(謎挨拶)


 UDPのBBSでLienの設定原画集が売っているという話を読んだので速攻で秋葉原へ。虎の穴(7F)→メッセサンオー(B1)→あきばお〜(2F)→メッセサンオー(3F)→虎の穴(4F)→???(3F)→虎の穴(3F)と梯子しまくって、最後の店でようやく発見。
 ファンアイテム的に必ずゲットしておくべき一品。意外にも同人ベースで出ているので、買えるうちに買っておかないと後で泣きを見るかもしれないので注意。


 秋葉原に行くのは推定2ヶ月振りぐらいなのだけど、歩いていると色々と変わっている所があってちょっとショック。俺様としたことがほんのちょっぴり浦島太郎気分を味わってしまった。私が最後に秋葉原に行った時はまだメッセサンオー同人ソフト専門店舗とか、あきばお〜同人ソフト専門店舗とかはなかったんだけどなぁ。

 あと、Lien本を探す過程で購入したもの。

1) あゆちゃんパンチ(渡辺製作所)
2) お小夜のCG集4〜ぎゅっ。(袴ッ娘推進委員会)
3) CARNELIAN vol.3.5(CARNELIAN)
4) 姫姫(あとりえ雅/超あるまじろくらぶ)
5) 今日の君に贈る歌(Cool Palace)
6) お仕事募集中(風見神宮)
7) ボクといっしょ(みずも倶楽部)
8) TIMTIMマシン9号(カズマ・G-VERSION/花田蘭丸)
9) ELYSION

 注釈というか。
 1.2.3は今更説明の必要なし。4はなんとなく絵が好みだったから買ってみたのだが…シスプリってなに?(ネタじゃないです)5は珍しいとらハ2本。6はやっぱりやったことないゲームっぽいだけど風見神宮の名前で購入。7はあゆ&秋子さん3P(18禁)。8は名雪ぶるまープレイ(18禁)。9はいわずとしれたエロゲ。
 3Pカップリングは秋子さん&名雪が至上だと思っていたのだが、秋子さん&あゆあゆもなかなか良い。私もまだまだ未熟なようです。読んでから気がついたのだけど、みずも倶楽部って以前グレートなTLS2本(レズ物)を出したサークルですな。

 あと、私信。
 MK2さん、とらハ(初代)ですが、メッセサンオーにはまだ置いてありました。


 トライアミューズメントタワーにて、彩京の新作、ドラゴンブレイズを初プレイ。1-3ボスで撃沈。弾が多すぎ。弾幕の系統はストライカーズシリーズよりガンバード2に近いかな?


 KanonドラマCD vol.1 〜沢渡真琴〜 (ムービック)

 Lien設定原画集を買いに行くついでに購入したつもりだったのだが、見事に裏切られた。

 なにごとですかこの完璧さこの美しさは!

 元々、コピーがオリジナルを越えることはあるまいという持論に基づいてそれほど大した期待はしていなかったのだけど、とんでもない。これはもうオリジナルとかコピーとかいう言葉では語れない。これはもはや、もうひとつの真琴シナリオだ。クラシックの演奏家が音楽に新たな魂を吹き込むように、このドラマCDは、マルチレイヤーとは別の表現形式を用いて、真琴シナリオに新たな魂を吹き込んで再現してみせた。Kanon好きなら必ず買うべき一品。

 それにしてもよくあれほどハマる声優さんを探してきたものだなぁと感心。真琴の声、完璧にイメージ通りでした。


2000/10/6 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#6


 Honey.
 千鶴先生の優しい笑顔は人を無防備にする。Honeyを読むと救われたような気持ちになって心が軽くなるのは、鎧を脱がされるからだ。しかし同時に、鎧を脱がされて無防備になることは、私を不安にもする。不安というより心細いという方が正確かもしれない。つまりそれは、普段ガチガチに理論武装していて理論武装無しでは生きていけないと感じているような人間が裸にされてしまった時に感じる心細さだ。


 千鶴先生に甘えるのはひとまず終わりにしようと思う。いい加減これ以上甘えてても千鶴先生を困らせるだけだと思うし。ここ1ヶ月ぐらいでもう十分甘え尽くした。もう大丈夫。ちゃんと前を見てまたしばらくは走っていける。千鶴先生の笑顔は私には眩しすぎるのだけど、せめて正面から千鶴先生の顔を見られる人間でありたい。


2000/10/5 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#5


 怒首領蜂。
 5面終盤の大型機×6地帯の繋ぎのコツが見えてきた。1機目にレーザーを当てる際の自機の位置をセンターよりやや右側に置く。この位置でレーザーを当てて1機目が壊れたら一瞬(コンマ何秒かぐらい)待ってショットに戻してすぐまたレーザーに変える。すると、上の小型砲台の弾はすべて自機の右側を抜けていき当らない。あとはそのまま動かなければ2機目→3機目と繋がる。原理は不明だが、このやり方で2周目はノーリスクで安定。1周目もノーリスク且つ成功率は格段にアップ。

 1-2クリア時のスコア、19,993,000ptsまで伸びた。あと7000点で2000万なので、理論上は1.2面のボスHITをあと1HITずつ増やせば良いということになる。
 ただし、この時の稼ぎ効率は1ボス到達時265万、ボス約120HIT、弾消し点、デカ星3〜4個落としで1クリ381万、2面499HIT、ボス245HIT、なのではっきり言ってこれ以上稼げる要素はほとんどない。2面のHITはこれ以上あがりそうにないし、1面ボスのデカ星回収は安定させようがないので、あと稼げるとしたら1面中ボス手前で10000点星を出現させて1ボス到達時266万を狙っていくぐらいか。しかし安定するかどうかを考えるとやはり厳しい。まぐれでも良いから一度ぐらいは2クリ2000万を出してみたいものだ。


 会社から帰ってみたら、某画像貼り付け掲示板のログが一気にに流されててかなり萎えた。一人の人間が短時間に連続20枚以上とか貼ったらその場にリアルタイムで参加している人以外は回収できないことになってしまうのだけど、そんなこと考えもしないのだろうか。私には理解できない。ま、わざわざ他人様の管理する掲示板に火種を蒔く気は更々ないので直接言う気はないけど。

 どこのBBSだってそのBBSなりのカラーってものがある訳で、それを決める権利は管理人だけが持っている。ログが流れるスピードが異常に速いBBSがあったとしても管理人がそれを許容しているのであれば、参加者が文句を言う筋合いはないと思う。嫌なら参加しない、ただそれだけのこと。ログの流れが速すぎて読めないとか言われたって、誰にしたって別にテメエのために書き込んでるんじゃねぇテメエ何様だとかいう理屈だって成り立つ訳で。ごく狭い意味に限定して考えれば、変な使命感を持って他人のBBS改革を目論む連中なんかよりどこぞのウォッチャーの方がなんぼかマシなんじゃないかとすら思える。
 私は、かつてのkeyオフィシャルのような超々レスの嵐も“アリ”だと思っている。流れについて行けないから自分は参加しないっていうただそれだけ。


 試しに、日記にカウンターを付けてみた。ムービー関係のコンテンツを閉鎖してだいぶ経つにも関わらずカウンターが毎日200HITぐらい上がってるのが納得いかないので、ちょっとしたリサーチ。一週間ぐらい放っておいて日当たりの平均値を算出すれば、一見さんを除いたビジターの数が出てくるんじゃなかろうかと。ぶっちゃけた話、今のサイト内容からして1日200HITは多すぎると思っていて、回りすぎるカウンターは重荷なのです。自分の実力に見合っただけの数字があれば良い。


 なんとなく。そういえばKanonが発売した頃もプレイしたのは一ヶ月遅れだったなーなんてことを思い出す。その当時なにをしていたのかっていえば、あのONE感想をひたすら書いていたのだ。あれを書き上げるのにはだいたい一ヶ月掛かった。頭の良い人ならもっと早く書けるんだろうけど、私にはあのくらいのペースが精一杯。
 ところで、ONE感想文の中で私が一番てこずったのは茜シナリオについてのもので、これは実に5000バイト強の文章をボツにしている。ある場所からどうしても先に進めなくなってしまって、思いきって約5000バイト分を切り捨ててみたら続きが一気に書けてしまったという次第。その切り捨てた部分というのは、以前どこだったかの日記に書いた茜と七瀬との関連性に関するやつです。永遠の世界に囚われた少女、というやつ。
 ついでに言うとそのボツ文章の中には『ONEを作る過程では、スタッフ間でかなり密なコミュニケーションがあったに違いないと思う。そうでなければあれだけの完成度のものは作れないはずだ。』なんてのもあったりする。今にして思えば載せなくて正解だった(※)のだろうが、正直言って今でもそう信じたいという気持ちはある。ONEやKanonのマルチレイヤー表現があれだけの高みに達していることが偶然だなどと認めるのはなかなかに難しい。

(※)
言うまでもなく、雑誌インタビューでの麻枝氏だったか折戸氏だったかの『私たちぐらい、製作中のコミュニケーションが少ないチームはないんじゃないか』という発言を受けて。


2000/10/4 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#4


 Honey.

 長谷川千鶴先生って、何人にも犯されざる聖なる領域、の象徴だったんだとふいに思った。今の私は自分に自信がなくて自分が嫌いで他人が信用できなくて他人が恐くて、はっきり言って幸せになる資格なんてないとさえ思っているのだけど、それでも私は自分を不幸だとは少しも思わない。いや、私はそもそも自分を不幸だと思ったことは一度たりともない。これは絶対に断言できる。思えば、小さい頃から私にはいつもなにかしらの心の拠り所があった。それは、優しい叔母だったり、その時々での友人だったり、芸術だったり、架空の人物だったり色々だったけど、いずれにしても拠り所がなかったことは一度もなくて、その意味では私は絶望的な孤独というものをおそらく知らない。今気がついたのだけど、私にとっては独りでいること(=まわりに他人がいない状態)は孤独ではない。独りでいても、私は、小さな星の王子様とかモーツァルトとかそのほかたくさんの美しいものに囲まれていて、それらはいつも私の足元を明るく照らしてくれる。
 で、突然わかった。今にして思えば、千鶴先生はずっと私の傍にいたのだ。モーツァルトの音楽、ベートーヴェンの音楽、リルケの言葉、小さな王子様、立原えりかの童話、金子みすずの童謡、そのほかたくさんの優しいもの。それらの中では、いつも千鶴先生が優しく微笑んでいた。彼女は、私が疲れたときには抱っこしてくれて、私が泣きたい時には泣かせてくれて、時には私を励まし勇気を与えてくれた。千鶴先生を欲しがる必要なんてどこにもなかったのだ。昔からずっと彼女は私の傍にいたんだから。

 あーなんか言いたいこと言ったらすっきりした。


2000/10/3 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#3


 Honeyのこと。
 なんかヤベエ、俺。久我(呼び捨て)に嫉妬してる。ストレートな物言いをすると『俺のちーちゃんに触ってんじゃねーこのガキャー』てな感じ。あーなんかどんどん健康な成人男性から遠ざかっていくような気が。ところでなんでAIRをやる意欲が湧かないのか判った。ただでさえエロゲ熱が最低レベルまで落ちているところへ持ってきて、毎日ちーちゃんのことで頭が一杯でちーちゃんさえいれば他になにもいらないなんて考えてる状況でエロゲをやりたいなんて思う訳がないのだ。

 そういえば嫉妬するレベルまでひとつのキャラに萌えたのはアトラク=ナクアの燐せんぱい以来か。うーん、今にして思えばあの娘もぽえぽえした年上だったんだよなぁ。当時、燐せんぱいのえっちシーンを見た時は茫然自失状態になって、そのあと銀に対する殺意が沸沸と沸き起こってきて頭の中ドロドロだった。銀は今でも、MOON.の高槻某と並んで私内部殺したいキャラのトップです。
 アトラク=ナクアという作品自体は本当に美しい物語だったのだけどね。言うまでもなく。この作品については音楽の素晴らしさについて言及されることが非常に多いのだけど、実のところアトラクの魅力というのは音楽でもCGでもシナリオでもなくて、『初音の狂おしい想い』ただ一点だったような気がする。“彼”との絆(関係)を、どんなことをしてでも失いたくなかったというただそれだけ。例え傍から狂気のように見えようとも、初音の想い、初音の言葉、初音の行動は圧倒的に説得力がある。


 今週のジャンプ。
 なんでHUNTER×HUNTERがないんだゴルァ。(2ch用語って外で使うとなんか下品だよね)
 ライジングインパクト。単純に萌えなのはランスロットだけど、今週号を読んでトリスタンも萌え。そばに付き添って、彼が孤高の帝王に堕ちていく所を見ていたい。仙水さんに寄り添った樹みたく。快感だろうなぁ、アレは。
 遊戯王。とりあえず今の連載が終わったら、次はジャンプでは珍しい麻雀漫画を希望。主人公は遊戯並に引きの強いキャラで。絶妙なタイミングでキーカードを引ける引きの強さがある遊戯なら、純正九連宝燈ぐらいしれっと上がれるでしょう。もちろん積み込みなし。キーワードはやっぱ『俺はこのツモを信じるぜ!』と『これが俺の○○だ。ワハハハハ!』で決まりね。


 ルル萌え同志の土方さん(迷惑な紹介の例)の8月24日の日記のこと。

 ところが、ここで不思議な法則があることに気がついた。すなわち、自分を必要以上に悪い評価、それも「我侭である」という評価をしている自己紹介ページが非常に多いという事実である。

 私はwebサイトの自己紹介コンテンツなんてまず読まない人なのでここに書いてあることがどの程度正しいのか判らないのだけど、『多い』と言われても全然違和感は感じなくて、むしろ、ああやっぱりなんて思う。『わがまま』という言葉を使う時、おそらくそこには色々な裏の意図がある。まず、私は自分を客観的に見てますというアピールがひとつ。ゲーテが15歳の時に書いた書簡の中に『私は初対面の人間に向かって自分を理解してもらおうとするためにまず自分の短所を述べてしまうという短所を持っているんです』なんていうくだりがあるけど、要するにそれと同じで、自分を曝け出すというよりはむしろ自分の公平さをアピールしようという意味合いの方が強いように思われる。次に、とりあえず欠点をアピールしたいと思ったら、さて自分の数ある欠点の中で何を書くかという問題になるのだけど、自分が本当に気に病んでいる欠点を口に出せる人は滅多にいないし、読者があからさまに退くような欠点も書けない。この場合、欠点は誰もがある程度持っていてそこそこ周囲に受け入れられるようなものが望ましいということになる。すると、『わがまま』というのは非常に無難な選択だということが判ってくる。更に言うと、『わがまま』というのは自分の言動に対する免罪符になりえるというのもある。つまり、『私はわがまま』=『メールやBBSのレスが遅れたり、なかなか更新しなくても許してね、テヘ☆』という訳だ。
 私が自己紹介ページを置かないのは、結局自分の手による自己紹介なんて自分を判断してもらう材料にはならないと思っているからだったりする。いくら自己紹介で自分の魅力(自己紹介における欠点はアピールポイントなので欠点とは違う)を語ってみたところで、BBSやメールでのやり取りや日記等を見ていればその人の性格なんておおよそは判ってしまう。こればかりはいくら隠そうとしたって無理だし、読み手が、自分の受け取ったイメージと自己紹介とのギャップがあると知った時どちらを信じるかといえばそれはもう自分が感じ取った方を信じるに決まっている(はず)ので、結局自己アピールなんて大した意味を成さないと思うのだ。もし、自己紹介ページに意味(価値ではない)があるとすれば、それは、『私はこういう風に見られたい』というアピールであるに過ぎない。


 MOON.のバッドエンドで、MINMESで思い出に取り込まれてしまうというのがあるけど、あれって人生の終わり方としてはかなり理想的な幸せな部類に入るような気がする…と突然思った。あの場合は郁未は志半ばにして挫折してしまう訳だからバッドエンドと呼ぶのがやはり自然なのだけど、それとは少し別の問題として。本当に人生に疲れたらMINMESに入れる、とかだったら良いだろうなーと。


 アクセス解析で捉まったここのKanonあゆシナリオ論。(トップページはこちら
 台詞の解釈の仕方が非常に私好み。例えば、、、

 『この人形は、三つだけなんでも願いをかなえてくれるんだ』という台詞について、
 実際の所この言葉は、あなたのためなら僕はなんでもしてやるぞ、的な告白に近いものだと思います

とか、

 『ちょっとじゃないよ。たくさんだよ』というあゆの台詞について、
 たくさん、つまりは7年です。祐一が去って、そしてずっと彼の事を待ちつづけた。だからたくさん、なわけですね

とか、

  『…懐かしい味だから…いいもん…』
 この辺の伏線の収束のさせ方、いいですねえ。でもこの時と昔の涙の味はおんなじかもしれないけれど、その中に含まれている気持ちは、全然違うものなんですね。きっとあゆも懐かしい味を、とっても幸せな気持ちで味わったのでしょう。

とか。

 この方の文章、萌え萌えです。マジで。読んでると思い出し泣きしたくなってくる。
 こういうのを読みたかったんだよーーーーーーーっ!!!と叫びつつ終わり。


2000/10/2 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#2


 AIRインストール。
 が、なんとなくやる気が起きないので先送り。


 『萌え』はノーリスクな恋愛感情、とか先月の日記に書いてるけど実を言うとあれはまだ正確ではない。ある種の臆病な人たち(つーか私のことだが)は触れることができない(=触れられることがない)からこそ二次元のキャラクターを好きになるのだが、好きのレベルがある一線を越えて狂おしいというところまで行ってしまうと、今度は逆に触れられないことが苦しみの元になる。萌え感情というやつは本質的に矛盾を含んでいるのだ。まったく救われがたい。


 怒首領蜂。
 1-5、約300HIT目で死んでしばらく不貞腐れプレイをしていたのだが、その後2-5ボスまでノーミスノーボム。2-5ボスのビットによる針弾超バラマキでプレッシャーに耐えかねてボムってしまったが、もし1-5のミスがなければ1周1.9億、2-5ボスまでで4.7億ぐらいは出てたはず。初の5億オーバーのチャンスだったのにと思うと非常に悔しい。

 1-2前半は繋ぎのコツが判ってきた。右の中型戦車が壊れたのを見てから左に移動していたのではタイミング的にとても間に合わないので、ここは破壊するタイミングを完全にパターンにしてしまわなければならない。具体的には、戦車が出てくる建物をレーザーでさっさと破壊して、ザコ戦車をショットで処理しつつ上に行って3個目の蜂を取りつつそのままレーザーで中型戦車に繋ぐ。そしてそのまま左にいけばちょうど良いタイミングで戦車が壊れてゲージに余裕を持たせてショットで左のもう1台の中型戦車を破壊できる。まだ100%にはなっていないが、これで確率は格段に向上。

 1-6前半は2セット目のレーザーザコ2機目と絡んでくるザコ戦車をどうやって残すか(こいつを撃ってしまうとゲージが足りなくなって絶対に繋がらないので)が課題だったのだが、気が付いてみるとなんのことはなくて、その前の画面左端の横長戦車を真下で破壊すれば問題なし。あと、その後の丸戦車1台目は壊れた瞬間に(タイミングで)ショットに戻すとコンボが切れることが判明。どうも真上辺りでザコヘリが1機絡んでいるらしいのだが未確認。とりあえずここは丸戦車が壊れたのを見てからショットに戻したほうが安定するような気がする。要研究。

 あと、当面はパターン作りの方向を稼ぎ重視からノーミス重視に変更。1-3の弾消し地帯で粘り過ぎないこと。1-4は692〜696HIT程度で妥協。1-5は860HIT前後で妥協。2-4の12、13個目の蜂は無視。その他色々と。いい加減、繋がれば6億なんて言ってても虚しいし、理論値を落としてでも安定度の高いパターンを作ったほうが良い。現時点では。理論上の6億より現実的な5億。


 『カウンター素材』とか、『笛』等のキーワードで検索してうちに来られた方、ごめんなさい。うちにはそういったコンテンツは全然ないんです。…ある意味うちのトップページは詐欺くさいんだよなぁ。『魔笛』の一節からタイトルを取っている割にクラシック関係のコンテンツがある訳ではないし、ゴルドベルク変奏曲の楽譜をトップに置いてるけど以下同文だし。取り扱い品目みたいなのだけでもトップに書いたほうが良いかしらん。


 『月詠』(1)有馬啓太郎/GUM COMICS
 積極的に再読したいとは思いませんでした。…というのが正直な感想。すまぬ。


 『とらいあんぐるハート』都築真紀/増刊エース桃組vol.1/角川書店
 漫画自体は可も不可もなく。無難な出来。今はゲームのお仕事が忙しいのでしょうが、もう『NAKED MIND』(※)みたいなひたすらに優しい漫画は読めないのでしょうか。以前、エースに載ってた読み切り(お姉ちゃんが魔女だとかという話のやつ)もいまいちでしたし。私はとらハ2より初代とらハの方が圧倒的に好きな人なので、もう一回あの頃の雰囲気に戻ってくれないかなーなんて密かに思っているのですが…。
 とりあえず、とらハ3にもゆうひが出るらしいことが判ったのは収穫といえば収穫か。

(※)ホットミルク1998年4月号の読み切り。

 そういえば今更ながらだが、初代とらハの冒頭の真一郎の夢って結局なんだったんだろう? なにかの伏線になっている訳でもなさそうだったし。


2000/10/1 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2000-10.htm#1


 試験終了。9割方の問題は自信を持って答えられた。私が受けた某認定試験は、総合点だけでなく各分野毎(大区分毎)に一定レベルの点数がなければ落とされることになっているので絶対に合格とは断言できないが、おそらく90%以上の確率で合格圏に入っていると思う。まぁ今回は気合入れて勉強したしね。


 試験が終わって、やっと勉強しなくて済むと思ったらなんか無性に虚しい。日本語がなんとなく変だけどそうとしか言いようがない。目的を失ってしまったような気分、だろうか。自分でもよく判らないのだけど。
 試験終了後、かなり鬱だったので服など衝動買いしてみる。私はファッションに特別に興味を持っている訳ではないけれど、服装はいつも無難にまとめる程度には気を遣う。要するに、私はなぜか、納得行かない服を着ているとなんとなく落ちつかない人なので、ある程度の服を着ていればどこを歩いていても自分の服のことを意識しなくて済むからだ。
 

 丹下桜のベストアルバムの7曲目『MAKE YOU SMILE』が異常にツボにハマってしまって、車での移動中3時間ほどぶっ続けで聴いた挙句、衝動的にCDを購入。車内で繰り返し聴きながら、なんでこんなにハマるんだろうと考えていたのだが、どうも私はこの曲にちーちゃんのイメージを重ねているらしい。最近はどうも、優しい曲を聴くと無意識のうちに音楽とちーちゃんを結び付けてしまうようで困る。いや、全然困ってないけど。
 先日はベートーヴェンの弦楽四重奏曲13番を聴きながら、やっぱり今回のような夢見心地を味わった。特にこの曲の第4楽章の優しい旋律は、私にはもはやちーちゃんのイメージと切り離して聴くことが難しい。この曲を聴いていると、ちーちゃんとお喋りでもしているかのような気分になって、すごく幸せになれる。
 ところで、あんまりひとつの曲に没入していると、音楽が自分の外で鳴っているという事実が妙に悲しくなることがある。この言い方では判り難いかもしれない。つまり、私たちが音楽を聴くという行為は結局のところ、音楽を自分の外部にあるものとして耳を使って知覚しているにすぎない訳で、そうすると音楽それ自体はイデア世界(だっけか?)の存在ででもあるかのように、私たちとは別の世界、決して手の届かない世界に存在しているように思えてくるのである。この絶望的な距離。平山さんがいつだったかの日記で似たようなことを言っていらしたと記憶しているが、要するに美しいものに触れると妙に悲しくなることがあるのは、それが自分の住む世界とあまりに違いすぎるからなのだ。ベートーヴェンの後期のソナタや弦楽四重奏を聴いていると、音楽が自分の体の中に溶けてしまえば良いのにと思う。あるいは、音楽の中に自分の体が溶けてしまえば良いのにと思う。このような音楽とひとつになれたらどんなに幸せだろうと思う。

 書いてたら『MAKE YOU SMILE』が聴きたくなったので今日の日記は以上。この曲を時々聴いて、あと時々(妄想内で)ちーちゃんに抱っこして貰えればなにが起こっても当分は幸せでいられる。私は基本的に自分が好きじゃないけど、自分の単細胞振りは結構好きです。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



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