棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]
−日記・過去ログ−
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2003/3/31 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#31
◆
大往生(白)。
3回ほどプレイ(2-5、2-2,2-4...)。
2-2道中フルコンボが初めて成功。
前半1台目の大型戦車をハイパー発動で速攻破壊、中ボス前はハイパー発動時のボーナスタイムで強引に繋いで最後の蜂x2まで回収、894HIT.
道中だけで約8000万点入ってた。
中ボス前については、上手い人がやってる、ザコヘリを1機だけ残すパターンも模索しているのだがいまいちよく分からない。一応、どのヘリを残せば良いのかは今日確認できたのだけど、知らない内にサイドショットで壊してしまっているらしく、気がつくとヘリがいなくなっている。ここをノーハイパーで繋ぐことができれば中ボスで緊急回避ハイパーを使うことも可能になって安定度が上がるし、使わずに済めばボスにハイパーをおそらく3個はもっていけるはずなので恐怖のボス戦が非常に楽になる。なんとかしたいところだが…。
◆
昨日書いた、亞里亞シナリオに関する文章はいまいち気に入らない。
あそこには、反発、がある。
子供よりも大人の方が絶対に苦労しているし大変だ(=子供は気楽で羨ましい)、という意見が私は大嫌いで、そういうものへの反発が、あの文章ではいまいち抑え切れていないように思える。まあ他人はそこまで読まないかもしれないが。
「わたしの幸福な子供時代」という風に言うことは許されるが、「子供は幸福だ」と言うことは許されない、と私は思う。
前者は個人的な告白であるに過ぎないから何らの問題もないのだが、後者はあまりに乱暴で、かつ想像力の欠如した一般化だ。
子供は子供なりに、世界との軋轢を感じているのである。
***
ところで、フィクションのキャラクターにリアルさを感じるというのは、そのキャラクターに“人間”を感じるということと同義だと思う。水夏[Circus]のどこだったかに、生の息吹を感じ取る本能、みたいな意味合いの表現が出てくるが、その通り、人間的なものを無意識のレベルで感じ取る鋭敏な嗅覚とでもいったものを、私たちの誰しもが、おそらく持っている。目の前に私と同じ人間がいる、という感覚は人を安心させる。それが、フィクションの場合だとしばしば「このキャラはリアルだ」という風にして表現されるのだ。
余談だが。
魔笛の前半、王子タミーノの先遣としてパパゲーノはザラストロの城に忍び込むのだが、そこでパパゲーノは囚われのお姫様、パミーナを発見する。このくだりにモーツァルトがどのような音楽を付けたか。この場面は最初、いかにもパパゲーノらしいおどけたような雰囲気の音楽が奏でられるのだが、彼がパミーナを発見した瞬間、曲想は実に穏やかなものに変わる。
パパゲーノは、敵地であるザラストロの城に侵入する。自分が今いる場所がどこなのかも分からないし、周囲には誰もいない。が、すぐにパパゲーノは近くに人間の気配があるのに気づく。――おや?誰かいるぞ? パパゲーノのこの台詞に合わせて、木管の優しい旋律が流れ出す。台詞としては書かれていないが、音楽を聴けば、ここでパパゲーノが人の気配にどれだけ安心したかがすごくよく分かる。
魔笛やフィガロといったオペラが今日でも多くの人に愛されているのは、ひとつにはその音楽の美しさにきっちりとした裏付けがあるせいだ。モーツァルトの音楽がなぜ美しいのかといえば、それはひとつには、彼が人間の心の機微、ほんのわずかな感情の動きすらも逃さずそれを音楽表現に置き換える秘術を心得ていた天才だったからだ。ケルビーノが、恋とはどんなものかしら?と歌う時、その音楽は、まだ何も知らない未熟さや未来への純粋な希望といった姿を取るし、伯爵夫人が、伯爵とのかつての思い出を回想する時、その音楽からは、既に人生の酸いも甘いも経験してきたひとりの女性の姿が実に鮮やかに浮かび上がってくる。
モーツァルトのオペラには、いつも“人間”がいる。それが私たちを安心させ、そうして私たちはその安心に身を浸し幸福に包まれながら、モーツァルトは美しい、と呟くのである。
***
明日からシスプリ2再開。
鞠絵を攻略の予定。
来週一杯ぐらいまでに、鞠絵、四葉、咲耶、ぐらいまでは読んでおきたいものだ。
花穂はやるかどうか不明。なにしろ立ち絵が御無体すぎる。
2003/3/30 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#30
◆
大往生。
昨日今日とルパン122で黒往生に張り付いて2周目のパターン研究。
例によって緋蜂に殺されまくりな訳だが、道中の研究の成果はそれなりに。
2-4道中はかなり安定してきたと思う。
あと今日はK君に会ったので、遊びで A-L、1周モードをやってみる。
残4スタートでエクステンド3回。4面終了時点で残7.
5面道中で1ミス、ボスで1ミス、ジェット蜂で1ミス、緋蜂戦スタート時残4ボム0ハイパーx3.
緋蜂登場と同時にハイパーx3をぶちかましてオーラ撃ち、1番目の針弾の終わり際で1ミス。
2番目の超高速青弾をボム2発で飛ばして、3番目を1ボムで普通に避けて、次の針弾をボム→ハイパーで凌いで発狂へ。
で、発狂で嘘避けやらマジ避けやらを繰り返して残0ボム4で、緋 蜂 陥 落。
まあ5機設定の台なのでノーカウントですが。
とりあえず幻の緋蜂撃墜はこれで2度目。
◆
なんか27日の日記がどこか知らないところで晒されているような気がする。
#今月の日記ファイルからトップに飛んできている人が急に増えているので
さしずめ「この人はこれで面白いものを書いているつもりなんだろうか?」なんて辺りだろうか。
いや、たいして気にしてはいないのですが。
合う人もいれば合わない人もいるという、ただそれだけだと思うし。
◆
シスタープリンセス 2
亞里亞シナリオ読了。
今回は攻略チャートを見ながら慎重に進めて血縁ベストで。
――亞里亞に対して私はどういう立場でありたいか?
亞里亞と私の関係として理想だと思われるのは、例えばお姫様と騎士のような関係なのかもしれない。私は彼女の前に跪いて永遠の忠誠を誓う。そして亞里亞は、あのいつもの無垢な、信頼に満ちた笑顔で、私の肩に抜き身の剣をそっと置く。そういう空想が、この子に関しては実にしっくり来る。
だからといって、亞里亞という子が現実離れしていると私は言いたいのではない。むしろ逆で、少なくともこのシナリオを読んでしまった後では、私はもはや亞里亞が頭の弱い女の子だとも我が侭な女の子だとも、あるいは綺麗なお人形さんだとも思えなくなった。こういう言い方はあまりに無骨にすぎるが、私はもはや、亞里亞を、私と同じ人間なのだとしか思えなくなった。繰り返す。亞里亞はお人形さんではない。人間の女の子だ。亞里亞の住んでいる世界は私のいるこの世界とはあまりにも違う。しかしそれすらも亞里亞の実在感を少しも揺るがすことはない。
どうも上手く言えていないようだ。
例えば、フランスにいた頃から兄やの写真を眺めて兄やに想いを馳せていたのであることを告白する亞里亞。あるいは終盤、兄やとずっと一緒にいたいからこそウサギさんとの約束はどうしても守らなければならない、と泣きながら懸命に訴える亞里亞。こういう彼女を前にする時、私は不思議な感動に全身を包まれてしまう。それは敢えて言えば、ああ亞里亞も私と同じ人間なのだ、という感慨だ。
亞里亞の言動は、確かに浮世離れしている。しかしそうであっても、亞里亞という子は彼女なりに、ある真剣さを持って自分の人生を生きているのである。亞里亞の住む世界を楽園のようと言ってしまうのは少々呑気に過ぎる。この世界に生きざるを得ない私たちと同様、亞里亞だって決して楽な生活を送っている訳ではないのである。亞里亞の住む世界が時に私たちの目に甘ったるく映るとすれば、私たちの住む世界に比べて彼女の住む世界があまりに限定されているせいだ。亞里亞には確かに、私たちが抱えているような種類の生活上の悩み、あるいは生まれてしまったことの悩みというものはないかもしれない。しかし亞里亞がまだほんの幼い子供であることを忘れてはいけない。私たちだって、かつては自分を取り巻くわずかな空間だけが世界のすべてであるような子供だったのだ。私たちの多くが忘れてしまった、そういう特殊な世界に住む子供という人種にとっては、例えば好きな人にあげようと思っていたアメが熱で溶けてしまったことや、好きな人が傍にいない寂しさといったもの、あるいは大人の目から見るといかにも他愛ない空想が、人生における重大事件になっているのである。野ウサギとの約束も、大人だったら、そんなものは亞里亞の一方的な思い込みに過ぎないと言って片づけてしまうだろう。しかし、亞里亞のような年頃の女の子にとっては、そういう空想の生んだ約束が、リアルの迫力を持って生きており、生々しい声として働きかけるのである。亞里亞もそういう意味では、やはり私たちと同じく、選択の余地なく生きるしかない自分だけの生、というものを生きている。亞里亞は決して綺麗なだけの世界に住んでいる訳ではない。しかしそれゆえにこそ、亞里亞のひたむきさ、純粋さは、いよいよ強く、私の胸を打たずにはおかない。
2003/3/28 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#28
◆
ラーメンを食べている最中、唐突に「なると入りラーメンが好きなちょびひげのおっさん」が出てくるアニメがあったことを思い出したのだけど、タイトルが出てこない。おっさん→二個の魔法のトランク→魔法少女ララベル、という回答に辿り着くまで一時間ほど掛ってしまった。
***
買い物。
・Kanon 水瀬さんち ―秋子さんのおべんとう―
・リピュア 完全ビジュアルブック ―ストーリーズ―
***
大往生(白)。
三日で4プレイ(2-3、2-3,2-4,2-5)ほど。
メモ。
2-4 コンテナ3列目について。
1台目を破壊したら画面右でちょっと粘ってワンテンポ遅れて出てくる蛾爪を撃ってから左へ行く。2台目を破壊したら蛾爪の弾をくぐって右へ抜け、すぐに左に切り返して、3台目を撃ちに行くのだが、この時、3台目に自機が重なるぐらいのタイミングでレーザーにする。この時点ではコンテナ上の戦車が一掃されていないので当然レーザーはコンテナを突き抜けるのだが、この性質を利用して画面左上に迫ってくる蛾爪をレーザーで破壊する。そして3台目を破壊しつつ下移動で弾避けしつつショット連射で残りの蛾爪を片づけて、4台目の戦車の外側を大きく迂回して重なって破壊する。
これで抜けられるはず。
今までここが突破できなかったのはおそらくショットのみで対処しようとしていたせい。
まだ仮定なので無保証です。
今日はたまたま上手くいったけど明日も上手くいくとは限らない。
***
ONE では永遠というのは否定されるべきものとして扱われているのだが、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド[村上春樹]に倣って、浩平が自らの意思で永遠の世界の住人になることを選択するというエンディングがあったら良かったのになあ………なんてことを最近は考えていたりする。いうなれば「みずかEND」。
AIR の美凪シナリオについて。美凪シナリオにおける往人は、馴れ合い関係(美凪とみちる)を打破する役割を負っていた。もちろんある時期までの美凪には馴れ合う相手(みちる)が必要だったのだが、あの学校の屋上での馴れ合いにまつわる一連の会話が交わされる時点においてはもはや状況が変わっている。馴れ合いの世界に留まっていては人は世界との関わりを失ってしまう。例えばノルウェイの森[村上春樹]の直子がそうだったように。あの物語では、美凪は往人によってそういう危険から逃れる。だとすれば、馴れ合いの否定は美凪でなくて往人の口から語られた方が、あの物語の統一感という問題の上では、より相応しくはなかったろうか? あの場面が特に欠点であるとは思わないが、ただ私は、あの会話にどこか接ぎ木めいた違和感を覚えてしまうのだ。
2003/3/27 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#27
◆
シスプリ2プレイ中。
夏祭りイベント。
意表を突いて亞里亞の浴衣姿がめちゃ可愛い。意外性の勝利というか。
俺は、、、
[ 予定を変更して亞里亞と露店を回ることにした ]
[ 可憐との先約があるので可憐を優先した ]
◆
お兄ちゃん!?
どうして亞里亞ちゃんと一緒なの!?
昨日は可憐と一緒に回ってくれるって………。
お、落ち着け可憐、これには訳があってだな、その………。
その子は亞里亞ちゃんじゃないわ!
お兄ちゃんと可憐の仲を引き裂こうとする魔女よ。
いや待て可憐、落ち着いて…とりあえずそのアイスピックをしまってから………。
お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!
まままま待て話せば分かr
―― G A M E O V E R ――
◆
はっ!?
昨日、可憐と約束したばかりなのに俺って奴はなんて不義理な。
俺のばかばかっ!
花穂っ、俺を罵ってくれっ!
お兄ちゃまのシスコン〜♪
なんだとこの野郎!?(ぐりぐりぐり)
おおおお兄ちゃま痛いよぉ………お兄ちゃまが言えって言ったのに〜。
花穂ちゃんったら、核心を突きすぎたのよ。
お兄様のロリコン〜♪ ぐらいで止めておけば良かったのに。
お兄ちゃまのロリコン〜♪
なんだとこの野郎!?(ぐりぐりぐり)
ひーん。
咲耶ちゃん全然だめだよぉ。
ふっ………。
兄くん………心が激しく乱れているよ………。
心が乱れるってことはー。
それだけ図星だってことよねー。
ねーアニキー?
おおお俺は狼狽えてなんかっ。
………ううっ、お兄ちゃまのいじわる〜。ふえええええん。
お兄様、女の子を泣かせたりしたらダメじゃない!
ああっ、その………花穂ごめんよ、痛かったかい?
えっと、お詫びに今夜はお兄ちゃまが花穂の食べたいもの何でも買ってあげるから…その………。
ぐすっ…ホント? お兄ちゃま?
ああもちろんだとも。(なでなで)
…シスコンだわ。
…シスコンねえ。
…シスコンですねえ。
ついでにロリコン野郎デス。
ついでにペドフィリアなんですの。
………ちょっと待てお前ら、誰がロリでペドだ。
…わたくしの知っている兄上様は幼女に欲情するようなペド野郎じゃありませんでしたのに………。
ねえねえおにいたまー。
ペ ド 野 郎、ってなにー?
兄やー、亞里亞、おなかすいたのー。
大丈夫、ボク、あにぃがロリでペドでも見捨てたりしないよ!
衛っ!
衛だけは俺の味方を………いやだから俺はロリでもペドでもなくて………って衛? どうして目を逸らしつつ後ずさりしてるんだ?
しかもなんか体が動かないような…。
ふふ……さあみんな………わたしが精霊たちを使って兄くんを押さえているうちに早く家にお帰り。
ここは危険だからね………色々と。
待てなんでこんな…。
変態に人権なしだよぉ、お兄ちゃま〜♪
そんな莫迦なー!?
―― G A M E O V E R ――
◆
つーかこんな盗作のツギハギをしたような代物を書いている暇があったらさっさとゲーム進めろよ俺。
そもそも、シスプリ2、秋桜の空に、家族計画、S県S市、のネタを全部分かる人はどのくらいいるのかしらん。
追記。
リピュアDVD 2巻を観た。
よくも、ぴょんぴょんの場面の花穂の顔を修正しやがったなこら責任者出てこい!
TV版のあの幸せそうな花穂の笑顔がなくなってる。
…ぐっすし。
2003/3/25 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#25
◆
わたしの知ってるお兄ちゃんは妹と登校して鼻の下を伸ばすようなシスコン野郎じゃなかった………。(匿名希望
: JUN )
可憐ルート、8/13 まで。
自発性の欠片も感じられないような会話に好い加減むかついてきていた(ニュアンス的には脱力という感じ)のだが、頑張って読み進める。美術館デートの辺りはなんとか読める程度のものになっていた。美術館がサマになる女の子といえばやっぱり可憐しかいないだろう。遠い外国に思いを馳せたり、お兄ちゃんと可憐が手を繋いで一緒に歩く風景をいつか描きたいと空想するくだりなんかは可憐のキャラクターに非常にしっくり来るので、テキストがそれほど優れたものでなくても、美術館で会話を弾ませる兄と可憐、みたいな場面を割と容易に想像してみることができる。美しい一幕。
それから可憐のお泊まりイベントもそれなりに萌える。テキストは例によって別段魅力があるという訳ではないのだけど、こちらもやはり、雷に怯えてお兄ちゃんに抱きついてしまう辺りの一連の言動が可憐のキャラにすごくはまっていて、おかげで違和感なく読むことができる。ただこういう美味しいシチュエーションを用意しておきながら基本的な線から一歩も出ないというのは正直言って少々不満。もし、例えば才能のあるエロゲーのライターが同じ場面を描いたら、もっとずっとロマンチックに、あのお泊まりイベントを演出できたろうに。あそこでは、可憐と一緒のベッドに入ってから可憐が寝付くまでの短い時間をもっと饒舌に描写しても良かったはずだし、朝の目覚めも、例えば敢えて視点を変えて、お兄ちゃんの腕の中で、お兄ちゃんの匂いに包まれて目覚める幸せ、なんてのをじっくり描くこともできたはずだ。いや、むしろその辺りの描写こそがお泊まりイベントの要諦なのであって、もちろんこのゲームのお泊まりイベントもそれなりにロマンチックではあるのだが、敢えて厳しい言い方をすれば、ここでは肝心な部分がすっかり落ちてしまっている。
今作は、前作と比べるとイベントが間断なく次々に起こっているような印象があるのだが、これはおそらく密度の高い夏休みを演出するためであるのと、また別の側面から言えばプレイヤーを飽きさせないための手法のひとつでもあるのであろうが、ただ、どうもこの脚本を書いた人は、力を集中するべき場面の選択がきっちりとできていないようにも思える。次々にイベントが発生するために、確かに飽きさせないという目的は達成されてはいるのだが、しかし個々のイベントはどれもそれなりに萌えるにしてもいまいち薄味で印象に残りにくいということになってしまっているのである。繰り返すが、可憐のこのお泊まりイベントは、才能あるエロゲーライターに描かせたら最高にロマンチックな一幕になっていただろう。逆に言えば、どうしてもそういう想像をせずにはいられないぐらい、私には、このイベントは物足りなかった。
あと、やっぱ俺、この兄は嫌い。
なんかウニメの山田みたいな軽薄さを感じる。可憐の想いを受け止める相手がこんなヘタレ野郎であるというのはほとんど許し難いことだ。
今夜はポニーテール可憐を想って寝ます。
おやすみなさい。
2003/3/24 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#24
◆
大往生。
近所で白版を3回ほどプレイ。
昨日の超ビデオの記憶がまだ残っているうちに
2周目4面の研究をしたかったのだが、残念ながらそこまで辿り着けず。
2-2、2-2、2-1、で終了というヘタレ振り。
調子の良い時というのは例え死ぬにしてもいつどの瞬間にどの弾に当たって死んだかがちゃんと見える(つまり、死ぬ瞬間に、ああ死ぬ、というのが分かる)のだが、今日はそういう意味では最悪で、2周目のミスはすべて、気がついたら死んでいた、という状況だった。これ以上練習しても無駄だと悟り、早々に退散。
1-2 で 2434HIT とか 5ボスでハイパーを2回使って
2400HIT オーバーとか、局地的には自己ベストが出ているのだけど、元々2-4の研究をしたくてゲーセンに行った訳なので虚しいことこの上ない。
1-4前半コンボは3回中2回成功。
途中経過はどうあれ、3面終了時にゲージをほぼ満タンにしておいて、4面の5個目の蜂回収までノーハイパーで繋げればゲージ調整は完璧。目下の課題は5個目の蜂を回収した直後の動きを安定させること。ここでコンボが切れたり死んだりすることが時々ある。
鬱なのでシスプリ2でもやろうかと思います。
◆
追記。
シスプリ2を起動、ゲーム内時間で一週間ほどプレイ。
順当に行けば当然ファーストプレイは花穂なのだけど、今日は癒されたい気分なのでマイシス可憐で可憐ルート進行。
お前らは足音で分かるのか!?とか可憐の生肩が色っぽいとかテニス中の台詞がエロいとかツッコミ所は色々とあるのですが、今日はシリアスで。
現時点では、残念ながら期待値を大きく下回っていると言わざるを得ません。
特に致命的なのは、会話にセンスがまったく感じられないこと。脚本に不慣れな人が「頭を使って考えて」書いているという印象。ぎこちないというか、悪い意味で予定調和的というか。普通、二人の人間がいれば、彼らがどんなに仲がよくたって別々の人間である以上は気持ちを完全に共有するということはあり得ないはずで、つまり会話というものは常に幾分かの誤解を含まざるを得ないという宿命を負っていて、その上で意思の疎通を図ろうと努力するお互いの気持ちこそが会話を生き生きとしたものたらしめると思うのだが、どうもシスプリ2のテキストを読んでいるとそういう違う人間同士の会話としての基本的な部分が欠落しているような印象を受ける。このゲーム内の兄と可憐との会話は、音楽で言えば一度もしくは八度の和音だろうか。一度(八度)は完全に協和するが響きとしての面白みはあまりない。もちろん音楽の中で用いられるオクターブなんかはその場面にはそれしかないという必然性を持っているがゆえに美しいのだが、もっと単純に音の響き単体で考えるなら、少なくとも私は、三度や六度の、あの宥和と緊張が微妙なさじ加減で混じり合っている和音の方が遥かに好きだ。同じ音同士の響きは面白くない。違う音が響き合うから耳に心地よい和音が生まれるのである。………この書き方では三度や六度の響きを想像できない人には訳が分からないかもしれない。あるいはもっとシスプリに即して言えば、このゲームでの兄と妹との会話は、すべて妹の妄想の産物であるように見える、ということになるかもしれない。今の時点での印象として言えば、正直、私にはこのゲームの兄は少々気持ち悪い。この兄は今までのどのメディアのシスプリの物語にも見られなかったぐらい、妹萌えな兄として描かれている。妹のことが好きな兄、というのはそれ自体としては別に不自然である理由にはならない。ただ、この兄はあまりに妹に都合が良すぎるのだ。この兄は、妹が望むようなことしか言わない。脚本家としては、もちろん優しい兄を演出したかったのだろう。しかし私の目には、この兄は優しい男性というよりも、妹の妄想の産物であるかのように映る。妹の妄想であるから、発想は妹の拙い経験の域を出ることは決してなく、多くの場合は非常に紋切り型だ。そこに私は、人の手によって作られた物の不自然さをどうしても感じないではいられない。先ほどの話とリンクさせれば、人はひとつの響きしか出すことはできなくて同時に人はそれぞれ違う響きを持っている。それだから違う響きを持った人間同士の接触は、協和であれ不協和であれ、私たちの興味を引くような響きを常に生み出すのである。ところがここには一種類の響きしかない。いや、あるいは妄想しているのは妹ではなくて兄の方であるのかもしれない。でもそれはどちらでもよい。いずれにせよ、ここには一人の人間しかいない。それが、平穏というよりは退屈と呼びたくなるような、あの雰囲気を作り出す。しつこいようだが、前作の可憐血縁ルートは、夜遅くにパジャマのままで兄の家にやってきた可憐を健気だとは褒めないで逆に叱るからこそ面白いのである。あとLOVELESSの略。
今後プレイを続けていく中で、この印象が修正されることを切に願います。
あと、どうでもいいけど六度の響きは個人的に激萌えです。
2003/3/23 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#23
◆
友人を誘って秋葉原へ。
午前10時半到着。
トライでトイレを借りてついでに大往生(黒)を1回プレイ。1周モードで6億ちょい。緋蜂発狂で終了。
午前11時すぎ。
イエローサブマリン(ラジオ会館7階)で、G's
の可憐トレカを物色。今回も見つからず。あと、K-BOOKS(同2階)
で同人誌を3冊(シスプリ2冊ととらハ小鳥(Cool
Palace)1冊)、シスプリ2 ビジュアル&完全攻略ブックを購入。
午前11時45分。
たまたま用事で秋葉原に出てくるらしい土方さんに電話。着いたらメールを飛ばすとのこと。
正午。
本日の目的である、怒首領蜂大往生[PS_2版]のプロモーションイベントへ参加するためメッセサンオー本店前へ。
予想通りというか、ギャラリーの中にギーガーさんが。しばらくお喋り。テレビは短期間であれば縦置きにしてもほぼ問題ないらしいことを教わる。2周目攻略ビデオの上映時間になったので私はビデオに張り付きギーガーさんは試遊台へ。ビデオはもちろん凄まじいのだが、それよりも今回はいかにパターンを盗めるかが課題だったのでひたすら目を皿のようにして鑑賞。ビデオを見終わった後で試遊台の方を見るとギーガーさんが5面ボスと戦っていた。残3クリア。PS
標準のあのコントローラーをまったく意に介さず普段通りのプレイをするギーガーさん恐るべし。その後で私も一回試して見るが道中コンボが全然繋がらないばかりか2ボスで終了。あんなコントローラーでシューティングをやるのは無理です。ちなみにデスレーベルは選べなかった。
次の上映会(1:30)まで時間があったのでアニメイトへ。
わかつきめぐみの宝船ワールド購入。
午後1時半。
再びメッセサンオー前へ。上映会2回目鑑賞。2-4
コンテナ3列目と2-5メカ蜂地帯の抜け方は今度こそ参考になった…と思いたい。
午後2時。
HEYへ。偶然にも斑鳩の神プレイを見る幸運を得る。終盤の吸収点稼ぎでタイムオーバーすれすれまで粘ったりした挙げ句ノーミスでクリア。3200万オーバー。私は大往生(白)を1回。1-4
で変な死に方をしてやる気減衰して捨てゲー。もしかしたら誰かに見られていたかもしれない。ちと鬱。
午後2時30分。
携帯を見たら土方さんから着信が。どうやら私が大往生をやっている時に掛かってきたものらしい。とらのあな1号店前で落ち合うことに。とりあえず食事をということでキュアメイドへ。…が、頑張って階段を上がってみたら「本日は閉店しました」とのこと。がっくりしつつ土方さんが時々利用するらしいファミレス(名前は忘れた)へ。5時半ぐらいまでだらだらとお喋り。水月の雪さんを“甘やかしたい”と言える土方さんはすごいと思った。氏によれば、“雪さんって甘え下手だと思う”とのことで、言われてみれば確かにそうなのだけど、そこを指摘した人は今まで誰もいなかったのだ。
午後5時半すぎ。
土方さんにも付き合って頂いて中古ショップを物色。
古川電機、紙風船、TRADER と回って、私は
KISSx100[Winters]とサキュヴァス[あかとんぼ]を購入。決して安い買い物ではなかったのだがレア物なので買える時に買っておくべきだろうと。
6時前ぐらい。
土方さんとお別れ。私と友人は某所でエロ漫画2冊(鴨川たぬき/水ようかん)と早売りジャンプを買ってから帰路へ。
神保町にも行きたかったのだが疲れていたので今回は見送り。
2003/3/20 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#20
◆
もっと他にすることがあるだろう俺。
私は別に咲耶のケツに萌えている訳ではありませんよ?
あの部分だけGIFアニメにしたいなんて考えてませんとも。
***
追記。
アリカにて、大往生[PS_2版]のプロモーションムービーの4面と5面が新たに公開されている模様。
で、さっそくDLして鑑賞。
( ゚д゚)ポカーン
↓
( ゚д゚)ポカーン
↓
( ゚д゚)ポカーン
↓
((((゚Д゚;))))ガタガタブルブル
…………………ぜってぇ人間じゃない。
ていうか神だわマジで。
2003/3/19 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#19
◆
シスプリ2を引き取りに太田COOMへ。
レジで物を受け取って、ふと隣をみるとなぜかK君が立ってたり。
「やー今日辺り来るんじゃないかと思ってたんですよー」
………マテ。
なにやら読まれていたらしい。
隣のゲーセンに移動したら別のK君とかM君もいたので二時間ほどだらだらとゲームをやったら喋ったり。K君の斑鳩プレイは相変わらず極まってて惚れ惚れ。M君の勧めでビートマニアなんかも初めてやってみたが、全然付いていけず。画面とキーの対応が感覚的に掴みにくい。
あとK君におみやげCD-Rをもらう。
中身はシューティング関係の動画が色々。
***
当分は大往生メインなのでシスプリ2は少なくとも来週の土曜日までは封印の予定。
とりあえずオープニングとプロローグの最初の方だけは観てみたけど、割と普通の出来だと思う。
でだ、花穂がなんか太ったように見えるのは仕様ですか?
花穂は華奢じゃなきゃダメだと思うのですが。
あの原画を描いた奴は直ちに首を括ってください。
2003/3/18 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#18
◆
今朝、夢の中で私はちっちゃな女の子でした。
フレアスカート(フリル付き)の裾をピッとつまんで腰を落とす感じの挨拶、というのは一度やってみたいと思っていたのですが、期せずして夢が叶いました。
***
先日買ってきた、続・中国いかがですか?[小田空/集英社]に、ウィグル族(※)の女性の挨拶というのが載っていた。
小田空さんによれば、「ウィグルの女の子が胸に手をあてて腰を落として挨拶する様子は最高に愛くるしい 」のだそうで、ちゃんと本には小田さんの描いたイラストまで載っているのだが、なるほど確かにこれは萌える。お暇な人はちょっと想像してみてください。両手を胸に当てて(手は交差する感じ)ぴょこんと腰を落としつつにっこり微笑む女の子というのを。はっきり言って萌えます。
(※)中国というのは56の民族からなる他民族国家なのだそうで、ウィグル族というのもそのひとつのようです。ちなみにこの本によれば、ウィグル族というのは中国の最西端にあるウィグル自治区という土地に住む民族であるとのこと。
***
ピンクハウス系の服を着てスカートの裾をつまんで挨拶、という夢は叶った訳ですが、女の子と言えばもうひとつやってみたいのが「婚約」なのでありまして。もちろん私がちっちゃい女の子と婚約をするとかいうのではありません。そうではなくて、ちっちゃい女の子になって、幼馴染みの男の子と結婚の約束をしてみたいのです。「わたし、おっきくなったら○○くんのお嫁さんになるの!」って言ってみたい。そんで、おもちゃの指輪を交換したりして男の子のほっぺにちゅっと。ああ幸せ。
いつかそんな夢がみたいです。
◆
ごぉとぅへぶん[3/18]からこちら。
例の謎のナコルル写真の正体は着ぐるみだったことが判明。
嗚呼なんていうか、強度に脳内補完をすれば萌えられるかも…とか考えてしまう自分が恐ろしい。
情報ありがとうございます。>>日向若葉さん
2003/3/17 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#17
◆
会社から帰って部屋に入った時にご飯の匂いがしてくるとなんか幸せな気持ちになる。
(いや、単に自分でセットして炊いたのですが)
言葉というものは、内容なんかではなくて、反応(返事)があるということがまず何よりも大事なのだと思った。
人間同士の親密度は、どのくらい無内容な会話を交わすことができるか?という尺度で、きっと測ることができる。
世界への敵意が消え失せてます。
そしたらなんか何も書けなくなってしまった。
書けないというよりも、書かなくても全然普通に生きられる、というような状態。
この平穏は幸せという言葉で呼んでも良いような気はするけど、でも完全にはしっくり来ない。
世界への敵意はあまりに自分に馴染んでいたので、そうでない自分には違和感がある。
自分が自分じゃなくなったみたいな気がする。
私がもし丸くなったりしたらここを読んでくれている人の一部はがっかりするんじゃないかな? なんてことをふと考えてその思いつきに苦笑してみたり。
多分この平穏も、一過性のものでしょう。
でもともかく今はこの平穏な日々に浸っていたい。
意味不明な文章ですまぬ。
追記。
23日(日曜日)は秋葉原に行くことが決定。
2003/3/16 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#16
◆
近況のみで。
・無理に更新する必要がないぐらいには健康的な生活を送ってます。
・愛人 AI-REN [田中ユタカ/白泉社]を読んだ。福音か麻薬か。私の願う世界の、完璧な具現化。もう他にはなにもいらない。
・先週平日は主に大往生の練習を。白でもようやく1-4
開幕〜1up砲台が繋がった。ハイパー2個+1個使用で980HITぐらい。4ボス到達時2.15億。
・土曜日は午前中仕事。夕方から会社の飲み会。一次会は寿司屋、二次会はカラオケボックス。三次会はお断りして午前1時帰宅。
・日曜日。友人を誘って馬車道で夕食。パスタとイチゴパフェ。パスタの大盛りを頼んでみたがそれほど量は増えていない感じ。
・毎日ウィルスが届く。うざい。
・2ちゃんねるにて、わかつきめぐみの宝船CDは現在も普通に買えるらしいとの情報が。
・東方紅魔郷。ラスボスまでは行ける(瀕死で)がクリアできる気がしない。
2003/3/9 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#09
◆
水月サントラ。
アレンジの何番だったか、波の音を背景にして奏でられるピアノの調べがとっても綺麗。
***
双恋は二股なんじゃないかと書いたら Striderさんに怒られました(笑)。
曰く、双子と付き合うのが基本コンセプトなんだからあれは「両手に花」が正しいのだ、とか。
***
亞里亞と可憐の親近性は亞里亞16歳バージョンCG(出所不明)を見なければ気づかなかった。
MWオフィシャルのシスプリは、元々が読者参加企画として始まったものであるゆえに、兄を個性的にすることが許されないという縛りはある。ポケストが素晴らしいと思うのは、あれが妹たち同士の横の繋がりをテーマにして書かれているがゆえに兄を個性的にする必要がないということに拠っている。キャラコレはその点ではやはり弱い。兄と妹が一対一でしかも兄をあまり出せないという縛りのゆえに――こういう言い方はやや微妙だが――妹の一人相撲になってしまっている感もないではない。ゲーム版可憐・血縁ルートが面白いのは、あそこで書かれている兄と可憐の関係が、ギャルゲー的な意味ではなくてごく普通の兄妹のように見えるという点にある。血縁ルートでの兄は、可憐の王子様としての兄ではなく、もっと身近な家族としての兄になっていて、夢見がちな年頃の少女である可憐の想いを実に上手く受け流す。王子様ではない一人の男性としての兄がいるがゆえに、その新鮮さが、私にはたいへんに面白いのだ。
2003/3/8 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#08
◆
息抜きに秋葉原へ買い物。
同人誌を12冊(シスプリx6/乃絵美x2/水月x2/その他x2)、水月サウンドトラック、東方紅魔郷。
それから神保町の三省堂に寄って本を少し。
今回の収穫は3冊。
・WHITE RARAB [ARESTICA/水月雪さん/一般]
――雪さんの寝起きなでなでが強烈。
・しあわせのかたち SummerSnow2 [MINTBLUE/乃絵美、雪さん/18禁]
――18禁なのだけど、ほのぼの和み系。
・SisterComplex vol.7 [杉屋/乃絵美/18禁]
――乃絵美が、年下の女の子ではなくちゃんと妹に見えるのはすごいと思う。
ゲームは今回は買わず。
先日この辺りを読んだことで、SNOW [Mebius]はいずれやらねばならないゲームの筆頭候補に上がってはいるのだけど、今買っても開封するのはどうせ1ヶ月以上先になることが目に見えているので今回は見送り。
トライとHEYで大往生(白)。
2-4、2-1...
ギーガーさんに会ったのでちょっとお喋り。
4面1up砲台の薬莢に撃ち負けたりと相変わらずB-Sは辛そう。
それだけに緋蜂まで行けるこの人は尚更すごい訳だけど。
ギーガーさんは空腹になってもプレイにあまり支障がでないのだそうで、羨ましい。
私は空腹状態になると集中力がガタ落ちして1周クリアすら怪しくなるだが。
あと、トライにB-EX使いのめちゃ上手い人が。
1-4開幕〜1up砲台までの繋ぎを生で見るのは初めて。
この方のプレイを2回ほど見ることができたおかげで
2-2コンボの要領がなんとなく掴めた気がする。
夜はいつものようにキュアメイドで夕食。
今回はなぜかウェイトレスさんの半分ぐらいがPIAキャロ3の制服を着ていた。
ブロパ風の制服が結構イイ感じだったのだけど、そのコスプレの方はグッズ販売スペースに居たのであまり見ることができず、残念。
2003/3/7 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#07
◆
大往生(白)。
ここ二日で7回ほどプレイ。
2-1、2-1,2-4,2-3,2-3,2-2,2-3...
調子激悪。
特に2-3ラストの大型戦艦地帯(自機狙い針弾/2way青弾x2/3way赤弾ザコ、の複合攻撃が来る場所)が死亡パターンになってしまってるのが痛い。
2003/3/6 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#06
◆
会社から帰って部屋に入って電気を付けて、ふと目に付いた花穂ポスターに向かって思わずただいまなどと呟いてしまいました。
しのぶさんはどうも激しくお疲れのようです。
***
ここ数日はポケットストーリーズを読んでから寝ているのだけど、一向に妹の夢が見られない。
寝る前に読書、程度ではまだ甘いのか。
***
会社で雑談中、好みの異性のタイプを訊かれる。
好きな異性のタイプ、「妹」もしくは「娘」なんて答えた日にゃ辞表提出が確定してしまうので適当にお茶を濁してみたり。
それはそれとして。
A : 妹みたいな年下の子がいいんだ?
B : いや、妹。
A : ………。
なんて会話があったら面白いかもしれず。
***
いくら私がなこるるを愛していると言ったってこういうのはさすがにちょっと恐いです。
最初は、知る人ぞ知るペーパームーン謹製の等身大ナコルルフィギィア(50万円)かと思ったのだけどどうも違うらしい。
というか、よく見ると首のところに切れ目と思しき線が。
おそらくはコスプレ写真の顔の部分だけをドールに貼り替えた、いわゆるコラージュ写真なのだろう。
余談ですが、新声社版ナコルル人形は欲しかったにも関わらず当時の私にはとうとう買えなくて未だに気になっている一品だったりします。
さすがにいい年した男がバービータイプ(?)のドールを買うのは激しく抵抗がありまして。
今だったら躊躇わずに買ってるんでしょうけど、当時の私はまったくもって未熟者でした。
2003/3/5 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#05
◆
お昼休みに郵便局に行ってシスプリCD第三弾の申し込み。
まだの人はお早めに。
***
大往生(白)。
昨日と今日で7回ほどプレイ。
2-5、2-1、2-1、2-5、2-3、2-4、2-5...
今日は理不尽な死に方が多発してちょっとぶち切れ。
2-4レール砲台と死闘中ボムを押したのに出ない(単に俺の反応が遅いだけ)とか、2-5メカ蜂地帯で避けるべき弾を避けたのに残っていた流れ弾に自分からつっこむ(集中力不足)とか、2-3ボス1次形態第3波で切り返そうと思ったらボスが画面端自機側によっていて道が見えないとか(どうしろってんだ)、色々と。
****
アクセス解析を眺めていたら「ANOTHERONE 同人」なんてワードで検索を掛けてうちにいらした方が。
懐かしい〜。
昔ネットでフリー公開されていたONEの同人ゲームですね。指定されたパネル(クレープ/傘/みゅ〜/カレー/キムチラーメン/スケッチブック/etc...)を次々にクリックしていくだけの単純なゲームなのに妙にはまるんだこれが。一応今でもHDD内に眠ってて、さっき試しに遊んでみましたが、やっぱり面白い。
試しに、AnotherONEを公開していたサイト、asf.h に飛んでみましたが、現在はこちらに移転しているようです。
ていうかここってあの SisterPrincess1.2.3!
を作っていたサークルでわ。
よく見たら、なにやらあのタイピングソフトの修正ファイルが。
やはり咲耶(HARD)で躓いてた人は私以外にもたくさんいたようで。
試しに修正ファイルをDLして改めて遊んでみたら一発でクリアできました。
やっと咲耶のえっちシーンが見られた。
どなたか存じませんが、結果的にとはいえこのような縁をくださいましてありがとうございます。
2003/3/4 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#04
◆
亞里亞のイベント、アメが溶けてしまってベタベタになってしまった亞里亞の手を洗ってあげるというのも悪くはないけど、どうせなら、兄やの手に零れたソフトクリームを亞里亞が舐め取る、ぐらいはやってくれないものか。
あと、苦いお薬を頑張って飲んだごほうびに兄やがベッドまで運んであげるっていうのは、日本語としておかしくないだろうか?
薬っていうのは飲むんじゃなくて塗るものだろう?
ベポラップとかベポラップとか。
まあ10歩譲って飲む薬だとしてもだ、せめて、亞里亞がどうしても嫌がるので仕方なく兄やの口うつしで飲ませる、ぐらいはやってくれないものか。
もちろん水も。
んで、飲み終えた後で亞里亞の唇の端から水が一滴、つぅーっと零れるのでそれも当然兄やがぺろっと舐めてあげると。
海に行ったら「兄やーおしっこー」とか来て兄やは仕方なく人の来ない岩場に連れて行ってワンピース水着を脱がせて…吊ってきますさようなら。
2003/3/3 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#03
◆
今日は館林さんの誕生日ですね。
だからどうしたと言われると困りますが。
私は基本的に二次元キャラの誕生日とか血液型とかにはあまり興味を持たない方です。ただ館林さんだけはなぜか覚えていた。一時期は彼女のことが本気で好きで、四六時中彼女のことばかり考えていて。でも彼女はときメモ本編では隠れキャラ扱いで出番も少なかったから、彼女のことを空想するにはあまりに情報が少なすぎた(当時はインターネット環境もなかったし)ということがあって、とにかく当時の私に可能な限りの方法を使って彼女の情報を集めました。そんなことがあって、当然、オフィシャルで設定されていたパーソナルデータも調べて、だから誕生日を知っているのです。
ちなみに当時の私がどのくらい本気だったかと言うと、風邪をひいて高熱を出して臥せっていた時、ぼんやりした頭でそれでも館林さんに思いを馳せ、布団の上に指先で「館林見晴」という名前を何回もなぞったりしてました。あの時の私はそうせずにはいられなかったのです。
さすがに今思い出すと赤面モノですが。
◆
買ったまま枕許に積みっぱなしだった「シスタープリンセス
GAMESTORIES」をぱらぱらとめくってみる。
2巻の四葉の話、四葉が兄チャマに抱きつく一幕はとっても綺麗。
抱きつくと兄チャマの顔が見えなくなっちゃうけど、その代わりに四葉の視界は全部兄チャマになっちゃう、とかのくだり。
四葉の嬉しさがこちらにまで伝わってくるような見事な筆致。
それから四葉視点での怪盗クローバーの話を読んでみて初めて気づいたのだけど、あれって本当は四葉なりのコミュニケーションの取り方だったのだな。ゲームの四葉シナリオをやった当時は私はてんで真面目には取っていなかったけど、妹視点で書かれたゲームストーリーズを読んでみると、四葉が彼女なりに真面目な態度であの予告状を書いて怪盗クローバーを演じていたのであることがよく分かる。あるいはあれが本気だったら彼女はヤバイのではという意見もあるだろうか? でもそうではない。彼女は兄チャマにかまって欲しくて、兄チャマと一緒に遊びたくて、その結果、“怪盗クローバーごっこ”という遊びを考えついたのである。彼女はそうしてその思いつきに夢中になり、出来る限りの真面目さを持ってクローバーという役割を演じる。真面目であるということは遊びであることと矛盾しない。そもそも「ごっこ遊び」というものは役になり切らなかったら楽しめないのだから。うっかりすると忘れてしまうが、四葉はまだ「ごっこ遊び」を楽しめる年齢だったのであり、それだから彼女のあの言動は決して単なる悪ふざけなどではなかったのである。
しかしそうだとしてみると、あの時、四葉の怪盗クローバーごっこにちゃんと付き合ってあげたゲーム兄はなんていい男なんだろうと思う。
私だったら、ああできただろうか?
◆
改めて考えてみると、私たちは今まであまりにも「兄」のことについて無頓着であったような気がする。
最近になって思うようになったのだが、オリジナルアニメやリピュア・ストーリーズのように、一人の兄に12人の妹というのはあまりに無理がないだろうか。例えば可憐や花穂の兄は航であっても別に構わないと思うが、しかし衛の兄としては航は適切だったろうか。私にはどうもそうは思えない。航が悪いというよりも、航であっては、衛の想いに十分な説得力を与えることができないのである。衛が憧れ、一緒にスポーツを楽しみたいと願っていた兄という人物は例えばリピュア・キャラクターズに見られたような、小さい頃からいつも衛の前を走っていたような少年であったほうがより自然ではないだろうか。あの2話Bパートが特に優れていたとは私には思われないのだが、ただ、衛の憧憬の対象としての兄というものを垣間見せてくれたという点ではやはり見るべきものがある。
可憐とふたりの王子様[LOVELESS]。
このシリーズは現在私の手元にあるだけで、1〜2巻と恋愛の教訓VIの3作を読むことができるのだが、この作者が可憐を書くためにオリジナル要素として付加した二人の兄という設定は、単に可憐の可愛さを引き出しているということを超えて興味深いものがある、と最近は思うようになった。MW公認の各種メディアで描かれている可憐という少女は私にはどうしても温室育ちのお姫様の雰囲気を自然に身に纏った存在としか思えなくて、それゆえに彼女に対しては、ほんの僅かの汚れた空気にすら耐えられないような儚さをどうしても感じないではいられないのだが、今になって改めて可憐とふたりの王子様シリーズを読み返してみると、この作者は単に可憐の魅力を引き出すためだけにこういうオリジナル設定を思いついたのではなく、むしろ可憐が現実に生きられるとしたらそのためには何が必要か、という辺りまで踏み込んでああいう話を描いたのではなかったろうかと思えてくる。私もまだ自分の内で言葉が明確になっていないのであまりたいしたことは言えないのだが、要するに優しい千歳君の方は可憐に夢を見せる存在であり、意地悪な千尋君の方は可憐に夢ではない人間関係のあり方を教える役割を担っているのではないだろうか。私たちは千尋君に対する時の表情豊かな可憐を、単純に、生き生きしていて可愛いなどという風に見てしまうのだが、しかし本当は、これを書いた作者は、ただ優しいだけではない千尋君という兄を可憐に与えることで、可憐に人間関係の距離感の掴み方とでもいったものを学ばせていたのではなかったろうか。千歳君は比較的原作のイメージに近い、優しくてカッコイイ兄なのだが、こと可憐という少女にリアリティーを与えるためには、彼はあまりにも理想的でありすぎる。各種メディアにおいて可憐の兄はいつでも優しくて、その優しさに包まれていればこそ可憐は世界との接点を持たなくても生きてこれたのだし、そうしてああいう奇跡のように完璧なお姫様が顕現し得たのではあるのだが、――こういう言い方をするのはやや抵抗を覚えるが――しかしこれは逆に言えば、兄はその優しさでもって可憐を温室に閉じ込めていたとも言えるのではないだろうか。そしてそのことに気づいていたからこそ、これを描いた沢渡氏は可憐を普通の少女に戻すために、千尋君というもうひとりの兄を与えたのではなかったろうか。あの名作、可憐とふたりの王子様2での千尋君を前にはしゃぐ可憐を見る時、私はもう何の不安も抱かない。あそこでは可憐は本当にどこにでもいそうなひとりの普通の女の子として生きている。
そんなことをぼんやりと考えつつ、私はもう一度、手元にあるLOVELESSのシスプリシリーズを片っ端から読み返してみたのだが、そうしてみて、驚いた。今までは妹たちの魅力に目を奪われていて気づかなかったのだが、よくよく読んでみると、この作者の沢渡悠花という人は、妹毎にそれぞれ兄を書き分けていたのである。可憐については前述の通りだが、それ以外でも例えば咲耶の兄と衛の兄はまるで違う。ここでは衛の兄は高校でバスケットボールをやっている長身の青年として描かれているのだが、これはあのリピュアキャラクターズ2話での、衛が背中を追い続ける相手としての兄を完全に先取りしている。それから特筆に値するのが雛子の兄。このサークルの雛子話はどれも彼女について実に愛に溢れた解釈をしているのだが、その中でも特に最初期に描かれたと思われる「プリティーマジシャン雛子」という短編で描かれた兄が素晴らしい。この兄は、少なくとも現時点までに発表されたMW謹製のどの兄とも違っている。このような、青年と呼ぶよりはむしろ少年と形容したくなるような兄を誰が想像できたろうか。この兄は、雛子のことを暖かい目で見守り時に抱き締めるような優しい青年ではない。いや、優しい兄には違いないのだが、それにも増して重要なのは、この兄が雛子とまったく同じ視点で語ることができ、同レベルの喧嘩ができるような少年であるということだ。例えばこのお話の後半、魔法使いの格好をした雛子が兄に魔法を掛ける(もちろん、ごっこ遊びで)。「今からおにいたまはヒナにらっぶらぶなんだよ〜」と雛子は言うのだが、それに対してこの兄は実にあっさりと「そんなの前からじゃん」と返答して雛子を赤面させる。実に興味深いのだが、この兄はまったく天然でこういう台詞を吐くのである。ここには例えば雛子を可愛がるゆえに雛子の望むような返答をしてあげようなんて計算は微塵もない。このお話はそれから更に雛子の反撃があり、その後兄妹喧嘩へと発展するのだが、当人たちの本気振りに比して、彼らの喧嘩は端から眺めているとあまりに微笑ましい。いやそうではない。彼らが本気であればこそ微笑ましいのだ。作中では和浩という名前が与えられているこの兄は、雛子のわがままを年長者の余裕で受け止めないで雛子とまったく同レベルで言葉を返し、挙げ句の果てに雛子に翻弄されてしまいさえする。これを読んでしまった後では、もう雛子の兄にはこういう人物以外は考えられなくなってしまう。雛子の兄は、雛子を庇護の対象として見るような人物ではなく、雛子を自分と同じひとりの人間として尊重し、雛子の言葉を本気で受け止められるような兄でなければならなかったのである。第一、そうでなかったら、雛子があれほど兄に懐くはずがない。別の同人誌「Dear
My Love」のラストでは、和浩兄は、雛子にヒマワリの花を手渡して「ずっと雛子のことを見てる、高校生になっても、誰かのお嫁さんになっても」と告白するのだが、これは兄の台詞以外の何物でもなくて、しかも同時に雛子をきちんとひとりの女の子として大切に取り扱うことを心得ている兄の口から語られた、他に比べるもののないような美しい台詞である。ここに至って私はようやく気づいたのだが、もしかしたらこの作者は「可愛い妹たち」を描きたかったというよりは、「素敵な兄妹関係」というものを描きたかったのではなかったろうか。ここまで意識的に、それぞれの妹たちに最も相応しいパートナーになれるような兄というものをきちんと模索した人というのを、少なくとも私は他に知らない。LOVELESSのシスプリシリーズにおいては、いつも、世界にたった一人の大好きな兄、世界にたった一人の大切な妹、という関係が取られている。12人の、それぞれ性格も何もかもまるで違う少女がいるのであるから、当然、兄妹関係のあり方も12通りあって然るべきだ、という発想がおそらく根底にあるのだろう。私はもはや、この作者を前にして、尊敬の念を込めて頭を下げる以外に取るべき態度が思いつかない。
2003/3/2 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#02
◆
実を言うと、私はシスプリキャラについて何かを語る際には、いつも若干の自信のなさを感じている。例えば、私は妹たちについて語る時、あたかも“正解をようやく発見した”という風に語る――それはその時の自分の気持ちを表すものとしては正しいとは思う――のだが、しかしシスプリに正解というものが存在しないことも心得ているので、気持ちと理屈が完全には噛み合わないということが、どうしても起きてしまうのだ。
この際なので告白しておけば、私はある作品について考える時、いつも、作者はここまでは考えていたはずだ、という線引きを半ば無意識に行っている。例えば、リピュア1話Aパートで可憐が7時に起きてそれから8時すぎまでだかの間中ずっと兄妄想を繰り広げていたというのはネタとしては面白いかもしれないが、私にはそういう発想は出てこない。そんなところまで想定してあの脚本が書かれているとは考えられないし、そもそもそんなことを考えたところで可憐解釈のために何の足しにもならないからだ。というか――こんなのは空想の戯れにすぎないが――あの空白の時間は普通に考えればシャワーを浴びたり朝食を取ったりしていたと考える方がまだしも自然ではないだろうか?
さて、こういうことを考えている人が他にもいるのかどうか分からないが、私は、シスプリは正解の存在しない作品だと思っている。メディアワークス公認で展開されているオリジナルアニメ、リピュア、キャラコレ、ポケスト、語りCD、ゲーム、などですらあくまでもシスプリを楽しむ上での素材のひとつにすぎないのであって、それがシスプリについて考える上で絶対の基準でなければならないということはなく、むしろひとつの作品を絶対のものとして考えることは有害(もったいない)ですらあるかもしれない、という気がどうしてもするのである。
シスプリには正解は存在しない。強いて言えばそれぞれの妹たちを一番魅力的に書くことができた者が正解者なのであり、しかしそれすらも絶対ということはなく、結局妹がどんな女の子かを決定するのは個々の受け手に委ねられている。シスプリを味わい尽くすためには、ただMW公認の各作品を見ているだけではダメで、どうしても個々人が脳内補完を行う必要がある。もちろん、普通に何も考えずに受け取っていても楽しめる場合もある。しかしもしMW公認作品の妹解釈と自分の妹解釈が食い違ってしまったとしても、原作を尊重するということとは別の問題として、なお自分の妹解釈の方を信じていても全然差し支えないのではないか。これが今の私の考えていることである。
なぜそう思うのか?ということについて、残念ながら現在のところは説得力のありそうな理由を思いつけないのだが、ただひとつ思うのは、単純にMW公認と言っても展開されている作品がすべて公野氏の筆になるものではないのだし、他の人が作る場合でももちろんシスプリのイメージ(厳格な世界観なるもの)を可能な限り守っていくようMW側-外部間でミーティングやら会議やらが行われてはいるのであろうが、しかしそれでも作り手が違えば世界観もキャラ把握も公野/天広両氏のイメージしているものとまったく同じになることはあり得ないのであり、そうするとMW公認と言っても実質的にはそれぞれの作り手の解釈したそれぞれのシスプリ世界があるだけであり、だとすれば唯一無二のシスプリ世界などというものはどこにも存在しない、ということになりはしないだろうか。確かにシスプリの基礎を作ったのは公野/天広の両名であって、彼らの功績は計り知れないのだが、ただ、正しいか正しくないかという次元ではなく、私はことシスプリに関しては、MW公認であるかどうかということよりも、個々の妹を一番魅力的に書くことに成功したケースを自分にとっての一番として受け入れることを好む。
趣味に走って具体的に記すことを許して頂けるなら、例えば花穂の解釈でならオリジナルアニメの16話Aパート、リピュア2話Aパート、リピュア5話Bパート(ED曲含めて)といった辺りを基準にして私は自分なりの花穂像を構築するし、咲耶についてなら、ゲーム版全般及び同人誌「嘘つきな恋人前後編」辺りを基準にして咲耶像を作るし、鈴凛なら、リピュア6話Bパート(ED曲含めて)とボイスCD1巻を理想の鈴凛像として受け取る。その他、雛子や白雪の解釈についても、私は別に公認作品には拘りを持たず、ためらいもなく同人サークルLOVELESSの解釈をもっとも尊重する。賛同してくれる人はいまのところ一人もいないが、特にLOVELESSの白雪解釈はもうほとんどトドメを刺したと言っても過言ではないくらい、彼女を美しく描いている。シスプリについては色々な楽しみ方があって良いと思うが、ただ私は、既存のシスプリ関連のあらゆる表現物をひとつの素材として捉えており、色々な作品を巡りながら自分が最も美味しいと思える素材を集めてきてそこから自分なりの妹像を構築していくことを至上の楽しみとする。シスプリというのは、そういうことが可能な作品なのであり、きっとそういうところをこそ私は気に入っているのだ。
繰り返しになるが、シスプリには正解は存在しない。受け取り手がそれぞれ自分の好きなようにイメージして妹を脳内で作っていくことができる。しかし自由であるといっても、例えば亞里亞や花穂が実は運動神経が良いなどということはあり得ない訳で、そういう意味ではそこには制限はあることはある。しかしこれは制限というよりは、アウトラインを設定することで我々の想像力に方向性を与える役割を担っていると考える方がおそらく正しいだろう。それに納得できないのであれば完全に一から自分のオリジナルキャラを作れば良いだけのことであり、そういう人はそもそもシスプリを必要とはしない人だ。いや、これは話が逸れている。というか、正解が存在しないというのはあくまでも受け取り手が想像する余地が大きく残されているという意味に限ってのことであり、もっと深い意味でなら、正解は存在するという見方もアリだ。こんなことは何の理由にもならないかもしれないが、私は、目から鱗が落ちるような妹解釈に出逢った時、あるいは気づいた時、いつも、やっと正解に辿り着いたという感慨と充実感を覚えるからだ。正解などないと言いつつも、私自身は彼女たちの正解を求めて色々な作品を漁りまた自分で考えているというようなところがある。なんと言ったら良いのだろう? 私個人の問題として捉えるなら、シスプリの妹たちには唯一無二の姿というものがあるはずだと信じているのである。ただしその唯一無二の姿というのは、おそらく公野/天広両氏ですらきちんと意識していない領域にあるのだ。彼らはただアウトラインを取り出してみせたに過ぎない(それだってたいしたことではあるが)。
◆
大往生(白)。
スコアだけ更新、6.21億、2-5後半まで。
1周目、3面終了時1.53億、4面終了時2億、5ボス前4.6億、ボスノーミスノーボムで残3、でちょうど5億。
2周目、2面ボスでゲージ調整失敗して1ミス、3面ノーミスでエクステンド、4面中盤で嘘避けをかますもののレール砲台で1ミス、ボスで1ミスで4面終了時残0ボム1、5面開幕〜旧4ボスまで普通に避けて直後のザコラッシュでボム、その後メカ蜂地帯を気合いで突破(嘘避け1回アリ)、旧5ボス前ラッシュで緊急回避ハイパー、その後大型戦車x3手前の蛾爪ラッシュ時にハイパー未所持というヘマをやって切り返せず終了。
2003/3/1 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2003-03.htm#01
◆
「鉄道研究クラブ」
私の通っていた小学校にもそういうクラブがありました。名前は「ペーパートラベルクラブ」と言いまして、まあ要するに時刻表を見て旅行計画を立てる、ということを毎週やっていた訳です。「やっていた」という書き方をしていることから推測されると思いますが、一度だけ私も入ったことがあります。もっとも私の場合は、鉄道好きというのではなくて、単にジャンケンで負けて第一志望のクラブの定員枠に入れなかった為なのですが。
ただ、今にして思えば、うちの場合は「鉄道研究」とかじゃなく「ペーパートラベル」なのですから、別に四六時中時刻表とにらめっこをしている必要はどこにもなかったような気もします。つまり旅行計画を立てるというコンセプトなのであれば、極端な話、飛行機で外国へ飛んで、そこからの移動スケジュールを細かく設定していく、なんて可能性もあったのではないかとか。そこまで行かなくても、旅行では複数の移動手段を時と状況に応じて使い分けるのが普通ですから、(私を含めた当時のクラブ員たちがやっていたように)時刻表とにらめっこして目的地までの電車のルートと発車時間等を紙に記すだけに留まっているというのは、今にして思うと、なんというか非常にもったいないと言いたい気がします。
私は、去年の関西旅行の際には、かなり細かいスケジュール表を作成しました。高速道路のルートに始まって、京都市内での移動は例えば嵐山へ向かうにはホテルを出て二条駅まで歩いてそこから○○線に乗ってなんたら駅で降りてそこから歩いて回って帰りはバスでとか、行きたいお寺とお寺の間の距離を調べておよその時間を推定して効率よく回る順番を決めていくとか、△日には早瀬さんと京都駅で待ち合わせだからその前に少し時間に余裕を見て観光を切り上げるとか、まあそういうことを逐一紙に書いてスケジュール表を作って旅行の間中持ち歩いていたのです。
旅行計画を立てることそれ自体を趣味的に行うのであれば、計画は細密であればあるほど面白いんじゃないかと思うんですよね。もし、当時の私にペーパートラベルという言葉の意味をきちんと理解するだけの知識があったら、毎週時刻表を眺めるフリをしつつ友達とお喋りをして過ごしたあの半年という期間も、また少し変わったものになったのかなあとか思います。正直なところ、時刻表を眺めるというのは当時の私にはなんとも味気ない作業でしたし。
もっとも当時はインターネットなどというものはなかったですし、小学生の財力と行動力では計画を立てるに必要な情報を十分に集められないのではないかという問題もあるのですけれども…。
ちなみにクラブ発表会の際には、私は京都旅行のプラン(当時から京都には漠然とした憧れを抱いていたのです)を紙に書いて展示しました。電車での移動手段を記すだけの簡単なものでしかも移動手段に新幹線を使ってしまう辺りがもう阿呆というか情緒を解しないというか、今思い出すと我ながらなんとも可笑しいです。
◆
今日は昼間中ずっとゲーセンに入り浸って大往生。
黒では1-4開幕から1up砲台までの繋ぎが2回ほど成功。
どちらも1100HITぐらい。
同じパターンで白版でもいけるはずなのだが、ゲージ調整を完璧にしないといけないのでなかなかに難しい。現状では、1面終了時ハイパー5個&ゲージ9割、2面終了時ハイパー1個(使用中)&ゲージ4割程度、3面中ボス時点でハイパー2個&ゲージ3割、3面終了時ハイパー無し&ゲージ満タン、と完全パターンになっているので4面の開幕以降で調整するしかない。レール戦車前のハイパー発動ポイントでゲージ95%以上であれば完璧(逆にそれ以下だと確実に失敗する)なのだが上手く行くものかどうか。今度の研究課題。
白版はいいとこなし。
なぜか最近5面が繋がらなくて1周目のスコアが安い上に、2-2コンボの練習をしているためにパカパカ死んで後半面まで辿り着けない。とりあえず2-2コンボは昨日のやり方では白では通用しないみたい(黒でならなんとかなるのだが)なのでしばらく練習は中止。後半面の練習が捗らないのは痛すぎる。
ケツイを1回やってみたらなぜか1周クリア。
難易度ノーマルの台だったので喜んでいたのだが、終わった後でデモを見たら残4設定だった。
しょんぼり。
文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp