鬱と電波と萌えな日記


はじめに.

 
書いてる人(しのぶ)は基本的に情緒不安定な人ですので、日によって鬱な内容だったり毒電波が混入してたり下品な文章になったりすることがあります。合わないと感じましたら、読むのをお止めになることをお薦めします。

 日記内では、ゲームや漫画等のネタバレがしばしば含まれています。ネタバレ時は赤字にてその都度注意書きを加えますが、忘れることもあります。その旨予めご了承ください。


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2001/10/31 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#31


 アルカディア 12月号

 WTN氏、怒首領蜂 A-L で 7.28億。
 ハイスコアページのこの数字を見た瞬間、思わず笑ってしまった。Aタイプはおろか、Cタイプの全一(NAI氏の7.19億)をすら大きく上回る驚異的なスコア。パターンが進化して機体による理論値の差はほぼなくなったとはいえ、Aタイプでこのスコアはやはり尋常ではない。


2001/10/30 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#30


 ココロ図書館 2巻

 1巻を遥かに上回る破壊力。萌えすぎて急性心不全にでも陥りそうな勢い。ていうかショック死したらどうしてくれるんですか。
 >>黒田&高木コンビさま。

 この巻の主役は朱葉たん。俺内部で大決定。異論は認めぬ。あかはたんハァハァ。

 P.28〜29 の朱葉たんからしてヤバイ。殺人的萌え度。こんな可愛い娘がこの世に存在してもいいのか。理性が崩壊しても萌え窒息死しても不可抗力ですよこれは絶対。見る度にクラクラ来る。見る度に頬が緩む。ヤバイ。

 この娘ってもはや存在自体が反則という気が。罠なのか?俺を盲目にするつもりか? いや罠でもいい。いやむしろもっと罠にハメてくれ。盲目にしてくれ。もはや朱葉たん以外目に映りませんし映そうとも思いません。朱葉たんまんせー。君のためなら死ねる。

 うわー。なんかもう無意味に叫ばずにいられない。
 あかはたん好き、あかはたん好き、あかはたん好き、あかはたん好き、あかはたん好き。

 ぎゅーってしたいんだけど、触れてはいけないような儚い雰囲気を漂わせているところが激しく萌え。ぶっちゃけた話、こういう葛藤ってなんとも快感だよねえ。触れたいけど触れてはいけない、みたいな。


2001/10/29 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#29


 銀色のサントラを聴きながら。


 そういえば。2月だか3月だったかに今年の目標として『無理をしないこと』なんて書いた記憶があるけど、無理が祟ってサイトを仮閉鎖してしまった以上、結局目標は達成できなかった訳だよな。改めて考えてみると、無理をしない、ってどういうことなんだろう。別に意識して無理をしてきたつもりはもちろんない。ただ、気がついたら自分の許容量を超えていたっていうだけだ。許容量を超えて初めて、自分の心にどれだけの澱みが溜まっていたのかが分かる。いや、そこまで行かないと分からない私が莫迦なのだろうか。私はオフラインよりもオンラインの方が、遥かに自分の言いたいことを上手く言える(気がする)人間なので、こういう場は大事にしたいものだと思う。無理をしないこと、ではなくて、無理をしないためにはどうすればよいか?を私は考えなければならない。色々と模索する必要があるか。


 なんとなく思うのは。私はたぶん、備忘録として日記を書いている訳でもなければ、自分の内部にある何かを文章化するために日記を書いている訳でもない、のだということ。強いて言えば、精神安定剤としての効果を期待して書いているのだろうけど、それすら本当は正確ではない。もし本当にそれだけの理由だったら、本当はwebに発表する必要なんてないんだから。webに発表しなければ気が済まない以上、私が日記を書くのはまったく別の理由があると考えるべきだ。

 ―今、サントラのトラック7。胸が締めつけられる。

 たぶん。私の最も深いところにある、文章を書く動機は『飢え』だ。渇き、飢餓、渇望、とでも言ったもの。私は只々、喋ることに飢えていて好かれることに飢えているのだと思う。いや、最近になってそう思うようになった。喋りたい、誰かに聞いて欲しいという熱烈な欲求、好かれたいという熱烈な欲求が、たぶん、私に愚にもつかない文章を延々と書かせるのだと思う。

 ―トラック10。銀色は名作だが、音楽だけ聴くのは精神衛生上よろしくないかもしれない。


2001/10/28 (日)
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 温泉に行く予定だったのだが、極度の寝不足のため中止。夜になると目が冴えてしまう体質はどうにかならないものか。結局、大幅に予定変更。以前からなんとなく行きたいと思っていた RAPID65536[東京文具共和会館]に参加することに。

 お目当ては CKFD 出品のシューティング攻略ビデオ。怒首領蜂、エスプレイド、プロギア、STRIKERS1945 II、欲しかったもの全てキープできてホクホク。前からずっと観てみたいと思っていた STRIKERS1945 II の2周ALL(F5U)は本当に凄まじいの一言。いくらパターンが極まっているとはいえ、いつ死んでもおかしくない弾幕の中でボス自爆ギリギリまで粘って稼いだりするプレイはほとんど狂気の域(もちろん褒め言葉です)。あと、解説書には、いわゆる“臨死”パターンがかなり詳しく解説されているが、こちらも読んでいるだけで実に楽しい。大体において、どんなゲームであれ全一クラスのプレイヤーが考え実践していることというのは、我々一般人の想像の遥か上を行っているのが普通(昔、怒首領蜂でこれでもかと言うほどそのことを知らされた)だが、臨死の解説を読んでいると、このパターンを実用レベル―可能な限り偶然性を排して成功率を上げること―にまで持っていくためにプレイヤーが払った努力が並々ならぬものであることがよく分かる。


 その他、秋葉原での購入物。

・NEW-S  [GP-KIDS/とらハ3/オールキャラ/一般]
・恋愛の法則 VII  [LOVELESS/シスプリ/鈴凛/18禁]
・可憐とふたりの王子様  [LOVELESS/シスプリ/可憐/一般]
・CLOVER  [翡翠亭/シスプリ/四葉/18禁]
・DokiDoki  [LOVELESS&LOVEMASTER/シスプリ/オールキャラ/一般]

・メイドさんの時代  [Charanet/オリジナル/メイドさんCG集/一般]
・ANGELAZE  [OHBA堂/横シューティング/一般]
・Sweet Waltz  [すたじおQ/とらハシリーズ/CG集/18禁?]
・とらいあんぐるラブ -さくらのお料理教室-  [ブラックサレナ/とらハ/さくらAVG/18禁]
・降空海地  [サークルOTO/キャラ色々/CG集/18禁]


2001/10/27 (土)
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 友達のお誘いを受けて秋葉原へ。

 先週に引き続いてまたまたキュアメイドカフェに行ってみたりとか。今回はメイドさんの他に、コスプレした女の子が二人いた。何のコスプレだったかは不明。ただ、白いふわふわもこもこな感じのコスプレの娘はちっちゃくて可愛かった。

 先週のオフ時はみんなケーキを食べたのだけど、今回は食事メインなのでカレーなど頼んでみる。

 えーと。はっきり言って不味いです。全然辛くなくて、なんか、やたら酸っぱい。セットでミニサラダが付いてくるのは合格(食後に口の中に残るカレーの辛みを消せるので)だけど、もう二度と頼みたくない。

 あと、本当は紅茶を頼みたかったのだけど、カレーと一緒だと味わいもなにもないので中止。残念。なぜ紅茶かというと、紅茶を頼むとメイドさんがカップに中身を注いでくれるからです。先週のオフ時、黒須さんだけが紅茶を注いで貰ってるのをみて、密かに悔し涙を流した(誇大表現)のはここだけの秘密。


 買い物。

・二次元ドリームマガジン vol.1

・ココロ図書館 2巻 [高木信孝/メディアワークス]
・ぴたテン 4巻 [コゲどんぼ/メディアワークス]

・ミルクコミックさくらvol.19 [松文館]
・完全無修正 [七瀬真琴/平和出版]
・あゆにおまかせ [瑠夏ひかる/コアラブックス]

・お兄様へ [いもむや本舗/シスプリ/咲耶/18禁]
・ECOCOMICS [おでんや/えここ/18禁]
・Primula [Usagi Club/あれ以外の何か/18禁]

・まほろまてぃっく Degital Maiden [GAINAX]
・銀色 サウンドトラック [AMJ]


2001/10/26 (金)
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 夕方らせん[銀色夏生/新潮文庫]読了。

 若草のつむじ、夕方らせんに住む人々、の二編が好き。心に染みる。銀色の一章とか、若草のつむじとか、人と会話を交わすというのがすごく簡単なこととして描かれている作品というのがたまにある。こういうのを見ていると、人と人が一緒にいるというのはこんなに簡単なことなのかと驚かされる。一緒にいたら何か相手の気を引くような面白い話をしなくちゃいけないという(私がいつも重荷に感じている)義務から、彼らは完全に解放されている。できるだけ率直に言えば、これらの作品に触れる時に私が抱くのは、別に面白い話ができなくても誰かと普通に一緒にいることができるんだ…という感慨だ。面白い話ができなくても一緒にいてもいいんだ、と思えることは、私の心をわずかながら軽くする。

 最近になって気づいたことがある。
 言葉っていうのは、たぶん、誰か他人に認められて初めて意味を与えられ、誰か他人に意味を与えられて初めて存在が確立されるのではないだろうか。自分の言葉の意味を自分で実感できるためには、誰かに聞いてもらう必要がある。いや、聞いてもらうのではなく、耳を傾けて汲んでもらう必要がある。自分の言葉が存在することを実感するためには、誰かにその言葉を汲んでもらう必要がある。そういう経験を通じて、人は自分の言葉に何らかの価値があることを実感でき、また自分自身の価値をも信じることができるのではないだろうか。


2001/10/25 (木)
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 二度寝をしたら、小学生の女の子とお知り合いになる夢をみた。なんか道に迷って他人の家の敷地に間違って入ってしまって、慌てて出て行こうとするとその家の女の子が近づいてきて、ねえこの本貸してあげるから読んでみて、みたいなことを言われて、なぜかその娘の家にお邪魔して、コタツの中で漫画を読んでいた。その娘の友達と三人で時々お喋りとかしながら。しばらくするとお父さんが帰ってきた。…遙のお父さん(きみえそ)だった。不思議なことに、お父さんはとくにこちらに興味を示さなかった。私は、もしかしたらこのまま待っていれば遙に逢えるのだろうか?なんてことを考えていた。そのうち夜になったので、帰ることにした。お土産に(?)別の漫画を貸してもらった。再開を約束して、私はその家を後にした。

 私はそんな趣味はないはずなんだがなあ。そもそも普通に考えて小学生と話が合うとも思えないし。
 でも、悪くなかった。


 私は自分をイソップの寓話に出てくる莫迦親子のようだと感じる。ことがある。あの、他人の言葉をいちいち真に受けて持っていたロバをつぶしてしまう親子。他人の話を聞く謙虚さは必要だ。しかし他人の話をまともに受け止めすぎるのは愚かだ。というか、私は愚か者らしい。聞かなさ過ぎたり、聞き過ぎたり。中庸がない。ある瞬間に上手くいくことがあってもその状態は維持されない。バランスをとるのがすごく難しい。


 ココロ図書館 3話〜秘密のきりん先生〜

 極めて普通の話。
 あまり関係ないけど、オープニングの“つらら”の場面はえっちくて実に良い。


2001/10/24 (水)
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 仕事中、なぜか昔の嫌なことを思い出して落ち込んでいた。ひとりの同僚の方が私に気を遣って色々と話し掛けてくれた。内容は、その時の私にとってはほとんどどうでもいいようなことばかりだった。何か遠まわしに慰めてくれているようだったが、その言葉はかなり的外れだった。

 でも。内容と関係なく、誰かが気に掛けてくれているというそれだけのことが、その時の私にはすごく嬉しかった。


 桃ちゃん先生がウェイトレスをしていて、ご注文をどうぞっ、とお客さんに呼び掛けてもちっとも気づいてもらえないっていう場面。あれは他人事ではありません。私は、ああいうことが実にしばしばあります。未だに慣れない。私はよく、話し掛けても気づいてもらえないのは、私に何が欠けているからなんだろうなんてことを考えます。が、未だに分かりません。


 ヘルシング 第3話〜Sword Dance〜

 アニメ版は初めて見たんだけど。ううむ。こんな程度?
 原作の持ち味が殺されてるような。アンデルセン神父登場の回らしいということで期待してたんだけど、なんか違う。ヘルシング原作版の良さっていうのは“勢い任せのはったり”とでもいうか“とにかく問答無用でカッコイイ”ところにあると思うんだけど、悪い意味で普通のアニメになっちゃってる。原作でアンデルセン神父とアーカードの戦いの口火が切られる瞬間とかはまさに平野演出の極みとでもいうべき名場面なのであって、あそこは絶対にアンデルセン神父とアーカードが刹那の距離まで近づかなきゃダメだと思うのですよ。一歩すれ違った場所で互いに止まって、耳元で囁くように、残っているのはお前等だけ、って言わなきゃ。あのアンデルセン神父の台詞が持つ凄みは、死刑宣告の凄みなんです。あれは耳元で囁かれる死神の声。平野氏はこういう演出が抜群に巧い人です。こういう演出こそがヘルシングの魅力なのに、それを生かさないでどうしますか。それから、アーカードの扱いに関しても。アニメでは、アーカードが一方的にやられているだけに見えてしまう。原作でインテグラを登場させるのは、ほとんどアーカード復活の演出を盛り上げるためと言ってすら過言ではないというのに。絶対絶命の状況に見えるインテグラから零れる余裕の台詞、その台詞に乗って復活するアーカード。アンデルセン神父とアーカードは原作において好敵手として描かれている訳で、彼らの力関係は互角に見えなければダメなんです。また、アーカードが首をもがれたのを物ともせずに復活するからこそ、アンデルセン神父が退却する場面も説得力を持つのですし。細かいところを書いていくと限がないのでこの辺りで。不満たらたら。


2001/10/23 (火)
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 花右京メイド隊 3巻

 1.2巻(1話〜6話)辺りは実は斜めから観て笑ってたんだけど今回は普通に萌える。慣れとは恐ろしいものです。7話の冒頭、砂浜ではしゃぐイクヨとシンシアがすげぇかーいい。そしてそれにも増して8話冒頭のお辞儀シンシアが良すぎ。うろたえるおんなのこ萌え。あの10秒のためだけでも3巻は観る価値がありましょう。

 とりあえず。シンシア好き好き好き。俺の娘になってくれ。そんで、はぁとまーくを10個ぐらい振りまきつつ『ぱぱぁ』とこう、ひとつ。あとグレースも。好き。踏まれたい。いやむしろ踏んでくれ。んで、たまにほっぺをうにゅーとか伸ばして反撃したい。そしたら更にグレースに反撃されてふたりで部屋中転げまわって。それをマリエルに見つかってたしなめられて、埃を落とすために、いっしょにおふろ。一緒に湯船に入ってるうちになんとなく仲直り。そんで湯船の中で『ほら、こっちおいで』とか手招きする俺。俺のひざの上にちょこんと乗っかるグレース。グレースの髪から微かに漂ってくるシャンプーの香りに鼻をくすぐられつつ、両手でそっと抱き抱えて。お互いに濡れているので肌の密着感があって。グレースの肌のふにふに感に酔いつつ………つーか誰かこの腐れ妄想野郎を止めれ。


2001/10/22 (月)
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 いただきじゃんがりあん [すたじおみりす]

 オフの時にまほさろさんに聞かされた鈴音シナリオ話が面白かったのでなんとなくプレイしてみる。妹を落とすために戸籍謄本を取り出して、義理の兄妹であることを証明する主人公。うーむ、話に聞いていた通りの展開。面白い、ていうか莫迦だ(笑)この主人公。

 ただなあ。
 義理の妹だったら別にスマタである必要はどこにもなかったんじゃないかと思うんだが。まあスマタも萌えるけどさ。けどスマタの萌えポインツというのは行為それ自体よりもむしろ、将来の約束的な意味合いの方にあるのであってつまり例えば、今はまだ抱けないよ○○ちゃんが○学校に合格したらね、ご褒美、みたいな…しのぶ逝ってよし。


2001/10/21 (日)
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 魔法の笛と銀のすず、第一回オフ。
 
 参加者。
 黒須さん、OGREさん、まほさろさん、しのぶ。

 一言コメント。
 黒須さんてば口では謙遜してるくせに実はPF2012がめちゃ上手いとか。
 OGREさんてばあの体のどこにカレーが5杯も入ったんだろうとか。
 まほさろさんてばよく喋る人だなー(もちろん好意的な意味で)とか。

 詳細なレポはこちらをどうぞ(まほさろさんサンクス、なのです)。


 実はこのメンバーとのネット付き合いは3年近いんだよね。
 やっと逢えた、というOGREさんの言葉は多分全員が感じていたでしょう。


 買い物。

・月陽炎 [すたじおみりす]
・華の悲鳴 [TEATIME]

・Princess Sunday [Pink Chu Chu/CG集/シスプリ/18禁]
・CUBIC 12 [MAGICALDELTA.COM/CG集/シスプリ/18禁]
・続・はだかゴッド [第8観音丸/CG集/シスプリ/18禁]
・シスタープリプリ [西萩公房/CG集/シスプリ/18禁]
・雪月華音 [高浜屋/SLG/Kanonあゆなゆ/18禁]

・みるふわ [RIROLAND/ライパク/パーシバルたん/18禁]
・窓の友5号 [たからのすずなり/With You/乃絵美/18禁]
・まりえちゃんとみかえるくん [超あるまじろくらぶ(源久也)/シスプリ/鞠絵/一般]
・Check it! [ひよたま御殿/シスプリ/花穂/18禁]
・Mirage&Miracle [SONIC WINTER/AIR&Kanon/観鈴とか名雪とか/一般]
・「大自然のおしおきです。」3 1/2 [鴨川屋/サムスピ/なこるる/18禁]
・妄想炸裂 3 [in the WINTER/サムスピ/なこるる/18禁?]
・妄想炸裂 4 [in the WINTER/サムスピ/なこるる/18禁?]

・メイドさんベスト!! [???]

・ショパンの幻想曲へ短調が収録されてるやつを片っ端から選んで10枚。それとウラディーミル・ド・パッハマンのショパンを一枚。


 メイドさんベスト!!は、4曲目の『せいしをかけろ』が莫迦度が高くて良い。


2001/10/20 (土)
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 なんとなく怒首領蜂。
 1周19400万、2-4ボスまでノーミスノーボム。2-6ボス到達時残6ボム1、残1ALLで5.18億。

 思ったほど腕が鈍ってないのが自分でもびっくり。


2001/10/19 (金)
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 ココロ図書館。 第二話〜今のわたしにできること〜

 楽園、という言葉が自然に口をついて出てくるような世界。ココロ図書館の世界観そのままでした。あのまったり感は賛否両論あるようなのですが、わたしはああいうまったりした空気が非常に心地よい。何もなくて何も起きなくて、ただ好きな人の笑顔があるだけの世界。えいえんのせかい。寂しい世界ではなくて、満ち足りた空間としてのえいえんのせかい。こういうの、すごくいい。

 こころんの立ち位置の描かれ方も非常に面白い。言うまでもなく、こころんはいいなさんとあるとさんに溺愛されてるんだけど、でもこころんはマスコット的にとかペット的に、とか“愛玩動物的に”愛されているのではないということ。お姉さんふたり共、こころんが可愛くて可愛くてしょうがないんだけど、でもその愛情はあくまで、ひとりの人間からひとりの人間への真摯な感情に基づいている。いや、感情というよりも理性という方が適切だろうか。私は“愛”は最高の理性だと思っているので。究極の理想として言うなら、人を愛するというのは理性の行為だと思うのです。なんか誤解を招きそうだな。要するにね、誰かを慈しみたい、誰かを大切にしたい、という真摯さに、私は“理性”という名を与えたいのです。こころんは愛されている。愛されているとは、この場合、ひとりの人間として尊重されているということ。お姉さんたちはこころんを妹として溺愛しているんだけど、同時に司書の仲間として尊重をもしている。尊重されることで、こころんは世界との関わり方を学んでいきます。頑張れば世界は応えてくれる、ということを学んでいきます。それが、私にはすごく眩しく映る。その眩しさを受けて、私も幸せな気持ちになれる。こういうの、すごく好き。

 今のところこの作品唯一の問題は、外部との接触が多すぎるということだろう。あの配達員が出てくる必然性が私には分からない。また、最後の方で、図書館に来る人の行列ができる意味も私には分からない。あれらは、この作品についてしまった染みのように映る。

 ココロ図書館の美しさは、世界が閉じているという点にあると思うのです。あの世界は箱庭だからこそ楽園なのであって。ちょうど、AIRにおいて美凪とみちると往人が自分たち以外のものを一切必要とせずに満ち足りていたように、ココロ図書館の世界も、本来は(というのは原作を読んだ限りにおいて)そういう性質のものだったはずなのです。配達員がいなかったらどうやって本を運ぶんだとか、そもそもあのチラシを運べないじゃないかと仰る向きもありましょうが、それはあの箱庭世界を描写するには不必要なものです。世界はもちろん、雑多なものです。美しいものとそうでないものが並列に存在するのが世界というものです。それは動かしようがない現実です。でも、世界がどう見えるかは人によって違う、というのもまた確かなことで。

 物語の極意のひとつは、書くべきことと書くべきでないことを選択することです。ココロ図書館は、世界を美しいものとして描く作品であるはずです。そういう視点で描かれた物語がココロ図書館なのだと言ってもよいはずです。これは私の希望でもありますが、しかし現実にココロ図書館の原作本一巻は確かにそういうものでした。ココロ図書館が美しい世界であり続けるためには、あの世界は閉じたものであるべきです。そのためには、あの配達人やら大勢のお客さんやらは夾雑物なのです。世界が応えてくれる、ということを示すにはあの親子だけで十分なのです。あの大勢のお客さんたちは、ココロ図書館の単なる来館者でしかない。彼らは個ではなく、集団としてのお客さんたち、です。それはココロ図書館の世界観ではない。それに対して、あの親子は、来館者であると同時にこころんたち個人のお客さんです。個としての、個人対個人という関係を持つことのできるお客さんです。これこそココロ図書館の世界観です。

 色々書いたけど、ともあれ来週も楽しみです。
 アニメで泣いたのなんて何年振りか。


2001/10/16 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#16


 これは『ネタ』なのか『リアル』なのか、というのが目下のところ最大の関心事なんですが恐くて聞けない。
 というかこういう詮索自体が既に野暮120%っぽいし。返信ご無用です。念のため。

 もしリアルだったら結構失礼なことを言ってる気がする。
 先に謝っておきます。
 ごめんなさい。>可憐さん


 まんがライフオリジナル 11月号

 『せんせいのお時間』は安定して面白いのだけど、それ以外にも『貴美tallest』が良い感じ。貴美の莫迦っぷりが他人とは思えない。


 メモ。
 17日(水)。まんがライフ。電気店。アンテナコード[UHF/VHF両方]、ビデオデッキと生テープ。ココロ図書館[アニメ]対応。
 19日(金)。まんがくらぶオリジナル。洋服の青山。先日購入したスラックスの引取り。


 らむださんの日記[10/15]から引用。

 でも、ぼくの小さな声でなければ表現できないものもあるのに。それを捨てたくないのに。伝えたいのはそういうものだったりするのに。そう思うと、「大きな声を出せ」と言われるたびに、ぼくの心を否定されている気がして辛いのです。

 文月そらさんの日記[10/15]から引用。

 そういう場所にいく時は、すごくポジションに気を使います。
 電車などでは右側に人を立たせないように。
 飲み屋などでは右はじに座れるように。

 両耳が聞こえると、どんな音楽が聞こえるのでしょうか。
 嫉妬せずにはいられません。

 ただ、片耳がきこえないというのは、
 外見上まったく普通に生活しているように見せることができる
 というかなしさがありますよね。



 同情でもなく、赦しでもなく、励ましでもなく、理解でもなく、想像でもなく、認知でもなく、共感でもなくて。ただ、ひとつの事実として、経験として、他人の口から『小さな痛み』が語られるということ。口に出せなかったものが他人の口から語られるということ。誰かと、事実を共有できるという感覚。

 泣きそうになりました。
 自分の経験が誰かと共有できる、というのは、こんなにも嬉しいことだったんですね…。


2001/10/15 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#15


 眠りが浅い上に悪夢しか見ないのならいっそ起きてる方がマシ。


 大好きなはずのショバンの幻想曲も舟歌も、シューベルトの変ロ長調ソナタも、耳には入っても頭には入らず。聴くともなしにグリーグの抒情小曲集を流している。この辺りが限界。


 夜中だからか、PCの音―ファンとHDDの回転音だろうか?よく分からないが―がやけに大きく聞こえる。うるさい。


 インターネットは文字だけのメディアです。そこで“俺って筆不精だからあ”なんて言い訳にすらなりません。書かない(言わない/表明しない)ことが伝わる訳がないでしょう? 感謝の“気持ち”は結構だけどさ、本当に感謝の気持ちとやらを持っているのなら表明してください。そうでないのなら、表明しないのなら、結局、貴方はそういう気持ちを持っていないと取られてしまうのですよ。見えないものをどうやって信じろと言うの? 信じるためには、何らかの証拠が必要です。気持ちなんて元々目には見えないものなのだから、なおさら、“それは確かにある”と言葉で言わなくてはいけません。言葉で言えば、あとは受け手が信じるかどうかの問題です。でも、言葉にしなければ、その機会すらも与えられないのです。

 プライヴェートでの、さる知人へ。


 上の文章は矛盾してます。
 あんなことを書く私だって、あれを知人に言う気はないのですから。

 でもね、パンを焼いてあげたんだから、バンを焼いてくれ、なんてどうして言えますか?
 そんなことを言うくらいなら、何も言わない方がマシなんです、きっと。


 誰かと会話した後で、その会話を脳内で再現して、嗚呼あの場面ではああではなくてこう答えれば良かった…なんて後悔することはないですか? 私は、しょっちゅうあります。というか、ほとんど習慣になっているぐらいで、意識しなくても、勝手に再現して勝手に後悔して勝手に煩悶してます。あの時こう答えていればもっと会話が弾んだかもしれないのに…とか、もっと発展したかもしれないのに…とか、あの時の彼のあの言葉は本当はああいう意味だったんじゃなかったかしら、だとすれば私の正しい答えは…とか。不毛だと思いますか? 私は、不毛だと思います。でも、駄目です。もう習慣になっちゃってますから。

 こういう後悔はそう簡単には消えません。一つひとつは小さなものですが、それは消えずに、心のどこかに、埃のように堆積していきます。そして、時間と共に固まっていきます。私は頭の回転が鈍くて、他人の言葉を瞬時に理解することができません。私の日常はある意味では驚きの連続だと言えます。周りにいる人たちは、みんな驚くほど他人の言葉を汲むのが上手いです。でも、私はそれができない。だから、会話がスムーズに流れることは少ない。それでも一対一であればまだしもなんとかなりますが、多人数の局面ではもうどうにもなりません。他人の言葉をなんとか汲み得たと思った頃には、もう話題が流れてしまう。私が言いたいと思う程度のことは、私が発言する前に他の誰かに言われてしまう。結局、私は黙っているしかない。

 その上。オフで私に会ったことのある人は知っていると思いますが、私は生まれつき右耳が聞こえないのです。だから相手が自分の右側に立って(座って)しまうと、それだけでもう相手の言葉を聞き取るのが相当困難になる。だから、しつこく聞き返さなければならなくなる。これは結構ツライです。。それから、声が小さい上に、日本語の発音がかなり下手。特定の音、例えばカ行やラ行がきちんと発音できない。私が『ホウキ』と言うと相手には『ホウチ』と聞こえてしまう。私が『それを切りとって』と言えば相手には『それをちりとって』と聞こえてしまう。聞き取れない(汲み取れない)苦しさ、上手く喋れない(相手に伝わらない)苦しさ。こういったものが、私を、いよいよ人間から遠ざけます。幼少時からずっと、私の心には埃が溜まっています。私の体を切り開いても、きっと埃が積もりすぎていて、心なんてどこにも見えないです。

 誰かが何か言う。私はそれをすぐに聞き取れない。汲み取れない。汲み取ろうと考えている最中に、相手は痺れを切らしてしまう。伝わらない、と思いこまれてしまう。それは、とっても痛いこと。私が喋る。発音が悪い上に声が小さいので、相手は聞き返してくる。相手にはきっと悪意なんてありません。でも、聞き返しはいつも、私には拒絶に聞こえます。拒絶は、痛い。それ自体は、小さな痛みです。胸をチクッと刺す程度の。大体、そんなことは私にとって日常茶飯事ですし、そんなことでいちいち痛がっていたら、身が持ちません。でも、その痛みは消えてなくなるわけではない。私は耐えているのであって、消したり流したりしている訳ではないのです。

 一つひとつの小さな痛みが、私をいよいよ臆病にしていきます。会話をする前に、私はいつも身構える。これから起こるであろう痛みに対して。ほとんど無意識に。そして、結果はいつも同じ。痛みを残して、会話は終わる。いつか、遠い昔。世界は恐い、という認識が生まれました。そしてそれ以降、世界はいつもそういうものとして私の目に映る。私の身に起こる体験は、世界は恐い、ということを繰り返し繰り返し、私に向かって証明しているように思われます。一つひとつの小さな痛みの体験が、世界は恐いものなのだ、と私に告げます。成す術があるのかどうか、もはや私には分かりません。

 ひとつだけ言えることは、私はきっとこの先一生、繰り返される小さな痛みに耐え続けなければならないのだろうということです。もしかすると、それにいつか耐えられなくなる日が来るのかもしれません。その時はその時ですが。人間は恐いけれども、人生には確かに美しいものもたくさんあります。モーツァルトの世界、わかつきめぐみの世界、アンが住む世界、美凪とみちると往人の三人が住む世界、まひるが住む世界。それらに出逢えただけだって、私はきっと自分の人生を肯定することができるに違いないと思う。いや、もしかすると、あるいはたぶん、そのためにこそ私は生きているのです。ひたすら耐えながら。


2001/10/14 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#14


 現在、巡回サイトは約60サイト。言うまでもなくテキストサイトばっかり。巡回が少々負担になってきたので、打開策として、巡回用リンク集に登録しているほぼすべてのサイトを最新日記への直リンクに替えました。いや、そんだけ。


 琴音ちゃんの滅殺日記、まさか保存しているサイトがあるとは知りませんでした。
 わざわざありがとうございます。>かざみさん

 らぶりーな琴音バナー、イルカの壁紙、あの赤い文字、すべてが懐かしいです。


 「首吊ってほしいな」で一瞬、観鈴の声が聞こえた気がしました(笑)。>sunface【早苗たんハァハァの同志】さん
 でもでも、美凪の場合だと『逝ってよし』と言った後、ちょっと小首を傾げて『……使い方、あってる?』とか聞いてくる気がするんですけどどうでしょう。


 感謝と、こちらも読ませて貰ってます表明のための逆リンク。

 文月のらくがきにっき [文月そらさん]

 LOOK THE WORLD [シントさん]


 最後に、自分のための備忘録リンク。

 テキスト風聞帳 [上山さん]

 面白いテキストサイトを探すのに、この辺りを定期的にチェキしておくと結構有用かも。特に非ゲーム系の面白いサイトを、私はもっと色々知りたいのです。そのために。念のため、面白い=笑える、ではありません。あくまでも、何か考えることを触発されるような、ということ。


 追記。
 LaLaDX最新号を読んでみた。

 内容とは直接関係ないのだけど、しのぶは、米沢りかが描くキャラクターがすごく好きです。漫画自体は特別に好きという訳ではないんだけど、米沢キャラって、表情がすごく良いと思うのです。可愛いとか萌えるとかそういうのじゃなく、生き生きしている、という言葉がぴったりくる。それから、米沢キャラの笑い方。例えばみじんこにしてもそうなんだけど、彼女たちって、すごく楽しそうに笑うじゃないですか。莫迦笑い、とでもいった感じ。あれ、すごく安心するんですよ、私。あんな風に笑ってくれる人を前にしたら、こんな臆病者の私でさえ、幾らでも喋れそうな気がします。笑い方、という一点に限って言えば、米沢りか以上に素敵な描写ができる人を、私は他に知りません。


2001/10/14 (日) その2
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#14xxx


 元々は改行があったんですが、読む気が失せるように敢えて改行を取っ払いました。
 例え貴方がムカツイても私は私であることを止められる訳ではありません。

 腹が立ったら、ブラウザの『戻る』を押して、さっさとブックマーク(お気に入り)から削除されることを強くお薦めします。


 独り言:レスポンス が 9:1 というのが、私の日記の理想です。コミュニケーションが嫌いだからではないです。いや、多分私も人並みには好きなんだと思います。ただ“好き”と“できる”は同じではない訳でして。こういう感覚を分かってもらえるかどうかは甚だ怪しいと思うのですが、文中リンク&言及をしまくると、私は、自分という人格(のようなもの)が拡散してちりぢりになるような感覚を覚えるのです。実生活でも同じことで、私は、普段の平均に対して会話が多い日はなんとなく落ちつかないのです。何か、自分が自分じゃなくなったような感覚を覚えるのです。かつて bLatz さんは“人付き合いの適正値”という言葉を使っていましたが、私の適正値というのはきっとものすごく低くて、ほんのちょっとの会話があれば『お腹いっぱい』になってしまうのです。食物がそうであるように、それ以上の摂取は栄養とはならず、単に調子を崩す元となるだけです。会社の同僚さんたちはみんないつも快活なんですが、これはずっと前から、私にとって人生最大の謎のひとつでした。私は、誰かとコミュニケーションを取った後では、猛烈に孤独が恋しくなります。いや、恋しくなるというよりも、孤独に対する飢えを覚えます。独りの時間を持つことで、私は人間関係とのバランスを取っているのです。というよりも、そうしなければ私の精神は均衡を取ることができません。長期間に渡る非孤独状態は、私の精神を確実に蝕みます。どうしてそうなのか、と言われても未だ分からないのですが、私は独りでいる時でなければ、“私は私である”と実感することができないのです。人と会話している時、私は自分を疑います。きっとひとつには、私という人間が、他の誰をも信用することができず、また、他の誰からも私は信用されるはずがない(好かれるはずがない)、と思いこんでいることが原因なのでしょう。いずれにしても、誰かと会話している時の私は本当の私じゃないのです。なんとか普通の人らしく振る舞おうと一生懸命に演技しているからです。私は本当はろくでもないことばかり考えている人間だから、そんな私が誰かとコミュニケーションを取ろうと思ったら、ただひたすら自分を隠して、普通の人のフリをするしかないのです。だから、当然ストレスが溜まります。嘘をついている訳だから、自己嫌悪にも陥ります。何が言いたかったんでしょうかね私。集中力が切れました。最近ダメだな。なんとなく思うのは。30年からこういう風に生きてきていると、もう私は人間関係というものを、ゼロか百のどちらかでしか測れないんだろうなあということ。全然理解されないか、それとも私のすべてを許して貰えるかのどちらか。そんなことは人間にはおそらく不可能なんですが。私だって不可能ですよ。誰かを本当に100%受け入れるなんて。少なくとも、そういうことが可能だとは想像することすらできない。繰り返しますが、私は独りの時間を持つこと無しにはきっと生きられない。相手がなこるるだったとしても無理です。ちょっと黒い方向で。うたたねひろゆきの漫画の、なんてタイトルだったか、包帯を捲いた女の子がいて…いや、包帯は捲いてなかったっけかな、とにかく拘束されているイメージが記憶に残っているんですが。その作品の主人公がとんでもなくサイコな奴で、その少女の目に手を突っ込んで、眼球を無理矢理取り出しちゃうんですよ。そんで、取り出した眼球をこう上に向けてかざしながら、嗚呼、君の目はなんて綺麗なんだ、世界を映さない瞳というのはこんなにも澄んでいるものなのか、とか言うんです。はっきり言って狂気です。でも、その狂気が私には理解できる。世界を映さないということは、汚いものを何も見ていないということ。世界の汚さに染まらない瞳はきっと綺麗なはずなんです。きっと、瑞々しくて。光を反射してキラキラ光って。でもこの漫画はまだ続きます。更に惨たらしい展開になります。主人公は、自分の怒張した物を、その少女の、眼球を取り出した目の中に無理矢理入れて掻き回した挙句、射精するんです。エロ漫画とは言えここまでやって良いものかというぐらい凄絶な描写です。ここまで私は少女のことを全然書いてきませんでした。その少女は、この漫画の中で終始無反応です、記憶違いでなければ。もちろん痛みとかは感じているはずです。彼女は生きているのですから。でも、彼女は最後まで主人公の為すがままです。意思表示をひとつもしない。ただ、されるがままになっているのです。主人公は彼女の目で射精します。そしてその後で急に、泣き出します。自分のしたことの酷さを自覚し、自分の情けなさと彼女への申し訳なさとがごっちゃになって、ただひたすら泣くのです。泣いて赦しを乞うのです。いや、赦しを乞うような描写はもしかするとなかったかもしれませんが、でも彼は赦しを乞うているんです。ただひたすらに。この漫画はここで終わります。初めて読んだ時からずっと思っていたのですが、この漫画の主人公は、こういう体験を経た後で、その後一生、彼女に誠実と献身を尽くしたに違いないと思うのです。彼はそういう体験を通じてしか、きっと彼女との関係を確認できなかったのです。私の解釈が正しいかどうか分かりませんけれども、私はあの漫画をずっとそういう風に解釈してきました。そしてそれゆえに、この漫画に、私は密かな、しかし激しい共感を抱き続けてきました。私は他人が痛がるのを見るのは嫌です。いかなる理由があろうとも。でも、私が誰かを全的に信じ受け入れることができるとすれば、きっと、こういう体験がどうしても必要になるのではないかと思えたのです。ONEの浩平の態度も、私にはまったく自然なものです。あれを酷いと感じる精神は私も持っていますが、それとは別の問題として、瑞佳を傷つけて傷つけて、それでも瑞佳に愛されていることを確認したかった、という感情の動きは、むしろ分かりやすいとすら言えるぐらいです。浩平が瑞佳を愛することができるようになるためにはああいう儀式が必要だったのです。うたたねひろゆきの漫画の主人公と同じように。私はエヴァが大嫌いなんですが、それはあのアニメが弱さを糾弾するからです。あのアニメは強くなれと私たちに要求します。強くなければならない、自分を信じなければならない、それは正論で、理論上は反駁できません。でも、正論ではあってもそれだけです。強くなければならない、でも強くあるためにはどうすればいいのか。人間を信じなければならない、でも信じるためにはどうすればよいのか。その視点が、あの作品には欠けています。あの作品が受けるのは、オタクを傷つけるからです。オタクは傷つけられるのが好きだからです。オタクは傷つけられることで、安心を得る。人を信じられない自分が糾弾されることで、許されたような気分になる。本当の赦しはオタクにとっては精神を締め付けるものでしかありません。実に逆説的ですが、少なくとも私はそういう人間です。頑張ればできるのならとっくに頑張っているのです。頑張ってもダメだから、頑張っても世界がそれに必ずしも応えてくれる訳ではないことを知っているから、ある種の人は力を失っていくのです。私はフルーツバスケットが、嫌いではないにしてもどうしても好きになれないのですが、それはひとつには、あの主人公が周りの人たちを赦しているように感じられてしまうからです。いや、錯覚なのかもしれませんけれども。ただ、私は、本田透を見ると、身近に彼女みたいな人がいたらいいなと思う反面、苛立ちをも覚えます。フルーツバスケットで私が唯一気に入っているのは、虎の少女のエピソードです。担任の先生はあの少女に手紙を書きます。自分を信じましょうとか、もっと積極的に、とか。うろ覚えなのでちょっと違うかも。私がこのエピソードを好きなのは、作者が安易な励ましを拒絶しているからです。あの少女が遂に透の胸の中で泣いた時、誰だったかが言います。自分を信じるためには、きっと誰かからまず好かれる必要があるんだ、他者から好かれて初めて、自分を好きになれるんだ、と。例によってうろ覚えですが、大筋では合ってるはず。これなんですよ。こうあるべきなんです。頑張れなんて何も考えていなくたって言えるんです。問題なのは、本当に重要なのは、頑張るためにはどうすれば良いのかということ。他人を信じられない人に向かって、もっと他人を信じましょう、なんてはっきり言って無意味もいいところなんです。本当に問題にするべきは、人を信じることができるようになるためには何が必要なのか、を考えること。もう一度言いますが、私はエヴァが嫌いです。シンジ君に必要なのは、厳しさではなくて優しさだったはずなんです。その厳しさが、オタクとオタクを嫌う同族たちに受けたのはまったく当然すぎるぐらい当然なんですが、でも、シンジ君に必要なのは世界の厳しさを教えることではないんです。そうではなくて、本当にシンジ君に必要だったのは、世界は君が思っているほど残酷ではないんだよ、と誰かが言ってあげて、また、行動で示してあげることだったんです。私はカヲル君が好きです。また、私はミサトさんが好きです。“帰ってきたら続きをしましょう?”はエヴァ全編通じて最も美しいシーンです。


2001/10/13 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#13


 しのぶとしては、key の新作よりも 130cm の方が気になります。

 どーせ、早苗たんは攻略できないのだろうし。
 実はあの父親が主人公で、早苗たんといちゃいちゃらぶらぶ(18禁)した挙句、娘にも手を出して(18禁)…という展開だったら萌えるのだが。

 妹と新婚、が可能なのなら、次回作はやはり、娘と新婚、ですね130cm様。
 しのぶは断固として130cmを応援します。





 …精霊と子の御名に於いて、しのぶ逝ってよし。エイメン。


 伊勢崎のほんだらけ(以前、MK2さん&箭沢さんが行った店)で古本を物色。リミックスタイムはやっぱり見つからず。探しついでに古雑誌のコーナーを物色してたらコンプティークのバックナンバーを発見。一番古いやつで88年2月号。私がコンプティークを読んでいた時期は初代ロードス島の誌上リプレイ(だったよな確か)をやってた頃なので、88年でもまだ新しすぎるのだが、それでも広告ページなんかを見ると斉藤由貴やら南野陽子やら西村知美やら、あの時期のアイドルの顔がずらずら出てきて結構懐かしい。

 どうせならFM-7&PC-8801mk2&X1辺りがメインだった頃の雑誌が読んでみたいものだが、さすがに今は入手は厳しいだろうか。


 祝、パーシバルたん再登場。(ジャンプ46号)


 買い物。

・少女のおねだり [う〜とむ/松文館]

・ベートーヴェン ピアノソナタ op109/110/111 [ケンプ]
・シューベルト 弦楽五重奏 [カザルス]
・ショパン 24の前奏曲/他 [コルトー]
・ショパン ピアノ曲集 [ピストリウス]


 まだ気持ちが復活してない…。

 君が望む永遠がプレイヤーに…いや、私に与える痛みはまず間違いなく疎外感だ。敢えて歯に衣着せぬ言い方をすれば、きみえそをやっている時、私は主人公たちのプライヴェートを『覗き見ている』ような感覚を覚える。主人公=プレイヤーでないというのは今までのゲームでも“そうであるはず”だった。例えば、言うまでもなくしのぶは浩平でも往人でも真一郎でも恭也でもない。彼らは私とは別の世界の、私とは別の人生を持った人間たちだった、はずだった。でも、これらのゲームでは、私は彼らの視点を通じて、確かに違う世界の空気を呼吸していたと思う。那美さんの笑顔、ふわふわな洗濯物のように柔らかく優しいあの笑顔はただただ恭也に向けられているはずで、彼女は私という第三者のことなどほんの僅かにすら意識していなかったはずなのに、私はとらハ3をやりながら、確かに那美さんの笑顔を自分の目の前に感じていた。まるで那美さんの笑顔が自分に向けられているかのように錯覚することができた。が、きみえそではそうならない。いや、どうだろう。少なくとも遙シナリオの時は違和感は感じなかったと思う。が、あゆシナリオと蛍シナリオでは、私は完全に部外者だった。あゆに関してはそれほど萌えた訳でもなかったのでまだ違和感程度で済んだのだが、蛍に関しては地獄だった。例えば。片想いの女の子がいたとして。その女の子が自分以外の誰かと愛の言葉を交わすのを偶然に見てしまったとしたらどうだろう。自分以外の誰かの胸で泣いているところを偶然に見てしまったらどうだろう。私はそんな経験はしたことないけれども、蛍シナリオをやった時に私が覚えた絶望的な虚しさは多分そういった種類のものだ。ギャルゲーキャラに嫉妬を覚えたことはこれが初めてという訳ではない。アトラクで燐せんぱいが銀に犯されるシーンでも、私はものすごい嫉妬を覚えた。なんで燐せんぱいを抱いているのが俺じゃないんだ、という焦燥感、あの時に抱いたドロドロの感情は今でも忘れない。が、あの時の燐せんぱいは基本的に被害者だった。私が銀を憎み銀に殺意を覚えることは、『燐せんぱいにとっても』正当なことであるはずだった。だが、今回はそうではない。蛍が主人公に微笑み掛ける。私はそれを見て胸をかきむしらずにいられないような焦燥を覚える。でも私は何もできない。蛍が愛した主人公を憎むことはどうあってもできない相談だ。何より絶望的なのは、おそらく蛍の笑顔が主人公の存在を前提としているということだ。何よりも悔しいのは、私が彼女のためにできることは彼女と主人公との関係を全的に認めることだけだということだ。私はいっそあの主人公を殺したい。でもそうしたらきっと蛍が泣く。蛍の笑顔はきっと二度と見られない。蛍が好きだ、という自分の感情を肯定するためには私は恋敵を肯定しなければならない。

 私は蛍が好きなんです。私は蛍が好きなんです。私は蛍が好きなんです。
 でもダメなんです。蛍の心は既に他の男のものなんです。どうあっても、私が入りこむ隙は微塵もないんです。

 こんなギャルゲーって酷いだろ。
 ギャルゲーっていうのはもっと心地よいもののはずだろ。


2001/10/12 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#12


 ちょいと。
 感情に身を任せることにする。

 最悪。
 このゲーム、すげえむかつくわ。

 なんで蛍があんな設定なんだ。
 なんで蛍が死んじゃうんだ。

 それよりなにより。

 なんで蛍の笑顔は俺に向けられないんだ。
 ギャルゲーなのに。ギャルゲーなのに。
 蛍が笑顔を向ける相手はどこぞの男であって俺じゃない。
 あの主人公は俺じゃない。
 悔しい。
 めちゃくちゃ悔しい。
 俺じゃない他の男に、蛍の笑顔が向けられていることが。

 蛍が死ぬのも許せねえし、蛍がどこぞの男に、愛してます、とか言うのも許せねえ。
 ええ、嫉妬です。分かってますそんなことは。

 でも悔しい。悔しくてどうしようもない。
 蛍が俺のものにならないことが。





 どうやら、失恋したみたいです、俺。
 いや違う。失恋したんです。

 もう嫌。


2001/10/11 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#11


 巫女服を着る夢を見た。前後の状況は分からないが、なぜか自分の部屋にいて、気がついたら巫女服を着ていた。正直に言ってしまうと、着心地はかなり良かった。ちょっとヤバメ。本物もあんなに心地良いのだったら本当に着てみたい気がする。お金さえだせば巫女服って簡単に買えるのよね。ここいら/へんとかで。いや、買わないけどさ。


 leidlich は“まあまあな”ではなくて“どうにか”の意味らしい。了解しました。>利休さん
 いちおー言い訳させてもらうと、私が使ってる辞書[新アルファ独和辞典/三修社]では副詞で“まあまあな”としか載ってなかったんです。うぐー。そういえば先日は読み方を“ライドリッヒ”と書いてみたけど、どっちかっていうと発音的には“ライトリヒ”の方が近いかしら。


2001/10/10 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#10


 君が望む永遠 [age] −ネタバレ−

 大空寺あゆ。
 長い。サブキャラのシナリオならいくらかでも短く終わるかと思ったがとんでもない。既読スキップ&手動クリック(読む速さでクリック)でも4時間半掛かった。長いけど、でも好印象。主人公が捕らえられている様々な柵(しがらみ)をあゆが一刀両断するシーンはほとんど爽快ですらある。あのあゆと言えども、主人公たちの事情に深入りしていたら、あんな風に水月を責めたり、彼らの思い出の品を処分したりはできなかったろう。でも逆に、あゆは、主人公や遙や水月たちに対して部外者だったからこそ、どの糸を切れば結び目が解れるかを正確に観察することができたのだと言える。

 ところで、いくつかの日記で目にしていた『わたしはあなたにパンを焼いてあげました、だからあなたもわたしにパンを焼いてください』ってああいう意味だったのね。私はエンデイング付近でのあゆの告白の台詞かなと予想してた。あゆの性格以外の予備知識を持たずにこの台詞だけ取り出して聞くと、愛の告白に聞こえるのよ。なんともあゆらしい素敵な告白だ、とすら思う。これは予想外だった。

 上記の台詞にしてもそうなのだが、もしかすると、君が望む永遠がプレイヤーに与える痛みの正体は、疎外感、あるいは羨望の痛みとでも言ったものなのではないだろうか。例えば私は、ONEをプレイする時、あの世界の人間たちの喜びや痛みを追体験する。が、きみえそに関しては、私はどうも追体験をしているという実感を得られない。きみえそがONEに比べて劣るというのではなくて、この作品世界で起こることは、いつもプレイヤーの外部に留まっているのだ。プレイヤーがいる世界と遙や水月がいる世界は、まったく違う世界としてそれぞれ別個に存在していて、私はその世界を見ていることしかできない、という感覚がどうしてもつきまとう。AIR[AIR編]に関してもそうだったが、この断絶は私たちにある不安を覚えさせる。すなわち、見ている(ただ見ることしか出来ない)世界が美しければ美しいほど、それだけ一層自分と自分の置かれた状況とが惨めなものに思えてきてしまう、のである。追体験ができる作品にあっては、世界が美しければ美しいほど、私たちの幸せもそれだけ一層充実したものになる。だが、世界が完全に外部にあった場合、その世界の眩しさは私たちを過酷に照らし、自分の世界の暗さ(本当は比較・的なものだが)を否応なく意識させられる。例えば。友達を大切にできない人は他の何ものも大切にできないんだって、と遙は言う。きみえそにはまった人で、この台詞にギクッと来なかった人がいるだろうか。自分は今までの生涯において、本当に、できうる限り友達は大切にしてきました、と胸をはって言える人間がどのくらいいるだろう。例えば、わたしはあなたにパンを焼いてあげました、だからあなたもわたしにパンを焼いてください、とあゆは言う。だが、本当に何の見返りも求めずに好意を施せる人間なんているだろうか。もちろんそうであるのが好ましいに決まっているし、例え理想であってもそういう理想を持つことは悪くない(というか実現できなくてもそういう理想は胸に持っているべきだろう)のだが、好意に対する反応、報いを受けられずに失望したことのない人間なんていないはずだ。

 あー。集中力が切れた。
 我ながら貧弱な脳みそだこと。


2001/10/9 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#09


 嫌な夢を見て、気分が優れないまま延々と自分語りを繰り広げる。5K程書いたところで、発表できる内容でないことに気づく。しばらく迷った後で全消去。呪詛や愚痴と、批判や内省との区別がつく程度の理性はまだ残っていたらしい。そう思うことで、いくらかは気が楽になった。


 何気に、リミックスタイム[すんぢ/ラポート]が読み返したくなったので古本屋へ探しに行く。
 二件ほど回ったが見つからず。


 昨日から行っていた、(私の巡回ルート内での)ジオ関係のサイトの過去ログ取得はほぼ完了。Iria 大活躍。まあ念には念を入れておかないと。かつて、琴音ちゃんの滅殺日記とbLatz日記のログを取り損ねた苦い経験があるので。


 心的外傷と回復[ジュディス・L・ハーマン/みすず書房]を読んでいる。昨日の夜に読んだ章は児童虐待がテーマだった。私は多分、虐待らしい虐待は受けたことはないはずだけど、読みながら、子供の頃の嫌なことを次々に思い出してなんとも憂鬱な気分になった。改めて考えてみると、私は今の自分がどうしてこういうものとして在るのかを説明することができない。以前にも書いた通り、何かの強烈な体験があってそれが私を歪ませたとかでは絶対にないと思う。少なくとも私は、人に話して納得して貰えるような種類の(つまり、交換価値を持つような)心的外傷というのを受けた記憶はない。最近になってひとつ気がついたことがある。今の私を形作っているのは、きっと、それ自体は外部から見たら取るに足らないように見える無数の小さな痛みの積み重ねなのだと思う。いや、その中にはもちろん、思い出すだけで叫びたくなるような種類のものもあるのだが、程度の大小はいずれにしても、ある特定の事件(あるいはいくつかの)が私の人格形成に致命的な影響を与えたということは、おそらくあり得ない。今の貴方が人間不信であるのはどんな体験に由来するのかと問われても私は決して答えることができない。それは羞恥とかではなくて、納得して貰えそうな心的外傷を受けた記憶がないからだ。いや、おそらく分かってもらえないと思うからこそ、誰にも話すことはできないのだ。私が誰かに本気で自分のことを分かってもらおうと持ったら、今までにあった大小様々の嫌な体験をすべて、一つ残らず語らなくてはならないだろう。おそらく丸一日ぐらいは掛けて。でも、言うまでもなくそんなのは不可能なことだ。だいたい私ごとき取るに足らない人間のために誰がそんな時間と労力を割いてくれるというのか。

 あるいは、私はもっとよく自分を観察する必要があるのだろうか。


 ケンプの演奏で、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズを聴いた。

 ある音楽を聴くたびに、それを聴いていた当時の情景が鮮やかに蘇ってくるということがある。音楽と共に記憶された情景は、音楽を触媒として思い出される時、他のどの記憶よりも立体感を持ったものとして、生々しく再現される。ショバンのこの曲は、私にとってそういう曲のひとつである。

 この曲を聴くと、私はいつも、20代始めの頃の夏を思い出す。当時、私は毎週のように友達とドライブに出掛けていた。ほとんど中毒と言っても良いぐらい、当時の私たちは徹底的に車を乗りまわした。多い時では1ヶ月の走行距離が6000kmを超えた(通勤には一切使用せず)ことすらあった。車は、たいしてスピードも出ないぼろい軽自動車で、オーディオはぼろいカセットデッキがついているだけという貧弱極まるものだったが、でも、当時の私たちにとってそんなことは全然問題ではなかった。純粋に、ただ走り回って、愚にも付かないことを喋っているだけで楽しかった。残念ながら、私は当時の情景に関してそれほど細かい部分まで覚えている訳ではない。ただ、この曲のアンダンテ・スピアナートの入りを聴くたびに、この曲のポロネーズの主題の入りを聴くたびに、当時の夏の気だるい空気、肌にまとわりつく熱気、車のシート生地のごわごわした感触、それから、ぼろいスピーカから流れる音の割れたショパン、が思い出される。いや、思い出すというよりも、肌の上に当時の感触が一瞬蘇る気がする。あの当時は、何も考えずに、ただはしゃいでいるだけだった。あの当時、私たちは何も持っていなかったし、自分が今何をしているのか、自分は今幸せなのかどうかなんて決して考えなかった。ただ、遊ぶことに夢中だった。繰り返すが、当時の私は何も持っていなかったし何も考えていなかった。でもそれゆえに、多分、当時の私は本当に幸せだった。ショパンの名曲ということでなら、もっと優れた、もっと深い充実を与えてくれる曲は他にいくらでもある。でもこの曲は、そういった序列とはまったく関係ないポジションとして、私の中で位置付けられている。これは何よりもまず、“私の幸せな記憶”の曲である。

【データ】 幻想ポロネーズ〜ケンプ ショパン名演集 [DECCA]

 同CDに収録されている幻想曲、舟歌、それから子守歌、辺りが素敵。芸術作品としての完璧な美しさを求める姿勢とは対極といえるかもしれない。折り目正しい演奏ではあるのだが、この人のショパンはあくまでも『誰かに聴かせるための歌』としてのスタイルを保っている。聴き手を圧倒するのではなくて、聴き手に優しく語り掛ける感じ。アルゲリッチよりも優しく、ルービンシュタインよりも繊細。


 君が望む永遠[age]を再開。

 あゆあゆ狙いで、無関係なところ(この作品に無関係な場面があるのかどうかは疑問だが)は極力スキップして進めたのだが、気がついたら攻略ルートから外れて遙のリハビリの話とかになってそのまま何も起きずに終了。あゆ絡みのシーン以外はすべてスキップしたので一応細部とかは分からないのだが、おそらく私が見たのは本来は水月ルートになるはずの展開だったのだろう。遙萌え者は水月シナリオをやれ、というやまさんの言葉の真意が垣間見えた気がする。勿体無いことをした。

 なんとか今週中には、あゆ&水月を終わらせたい。
 これから再プレイ。既に攻略データはプリントアウト済み。

 ところで、、、

 『守ってあげたくなるでしょう?
 『でも、彼女は強い娘よ

 『彼女は同情など望まない

 という先生の言葉が頭に突き刺さって離れない。


2001/10/8 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#08


 ブラックマジシャンガールたんハァハァ。。。
 ぶるまリムルルたんハァハァ。。。


 えーと。
 どこかのレビューとかに触発されたにしても、最終的に買うかどうか決めるのは私ですのでどうか気にしないでくださいますよう。それにどちらにしても、ヘルシングのビデオが出ていることを知れば内容如何に関わらず買ったでしょうから。

 少佐の演説は確かにドイツ語で聴いてみたいですねえ。ドイツ語初級講座をやってる私の語学力じゃ辞書片手に一生懸命に調べなきゃならないでしょうが、あの演説を聴くためならきっと苦にならないです(笑)。

 外国語特有の雰囲気があるっていうのは私もなんとなくですが分かりますね。以前、ちょっとした機会に魔笛(本来はドイツ語)のイタリア語版なんか聴いたことがあるんですが、どうにも違和感が拭い切れないんですよ。モーツァルトのオペラには、ドイツ語のもの[魔笛や後宮]とイタリア語のもの[フィガロやドン・ジョバンニ]があるんですが、脚本が違うと音楽の作り方も全然違ってくるんですね。私は専門的なことは分かりませんが、素人の耳で聴いても、魔笛のメロディーはやっぱりドイツ語の歯切れの良さに合致したものになっていますし、フィガロはちゃんとイタリア語の流麗さにぴったり合うような旋律が用いられていると感じられるんです。面白いなあと思いますよ。


 ふしめ萌え[shelarcyさん]

美 神よ、なぜわたしはうつろいやすいのですか?
神 うつろいやすいものだけを美しくしたのだ

 割と有名だと思うけど、ゲーテの詩から。

 目を逸らすのは実は重要なポイントかもしれません。もしかすると、その“さじ加減”にこそ、メイドさん萌えの真髄があるのかも。照れながらもご主人様をじっと見つめている、のでは期待の色が大きすぎて興ざめ(何様なんだろう俺は)になる可能性がありますし、ご主人様とまったく目を合わせずに恥ずかしがっているだけでは、それはそれで、興ざめ(何様なん以下略)なわけで。(※)
 そうするとやはり、

 ふしめでこちらを見ようとしているのだけど、つい目をそらしてしてしまって、

 という辺りが鍵でしょう。
 恥ずかしさ、それから期待と不安を同時に抱くゆえに、ご主人様の目を見つめたと思ったら次の瞬間にはふっと逸らしてしまったり、でもやっぱりまた見つめてしまう…。この落ちつきのなさ、不安定感こそが最大の萌えポイントなのかもしれません。

(※)
まったく目を逸らしている、あるいは伏目のままだった場合、それはそれで『こっちに来てもっとよく顔を見せて』とか言っていぢめる愉しみがある訳ですが。


 面白いネタがあったのをうっかり忘れてた。

 ゴルゴのイソターネット大作戦

 いいから見ろ。黙って見ろ。
 2chネタが分かる人限定。


2001/10/7 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#07


 ビールを飲んでしまったのでやたらなことを書かないうちに短めに切り上げ。


 leidlich.を補足、巡回ルートへ追加。

 以前、某BBSの時候の挨拶で私のド肝を抜いた利休さんが日記を書き始めました。
 独和辞典で調べてみると『leidlich(ライドリッヒ) = まあまあな』ということらしい。一級萌え師にしては控え目なタイトル。まあでも裏葉さんとの生活を『事実です』と言いきる辺りに、利休さんの凄さが垣間見えてて良い感じです。

 ともあれ、まずは日記サイト開設おめでとうございます。


 らむださん&美森さんによる対談、その2.

 『脳内既婚者の憂鬱』というタイトルに劣らぬ密度。ここまでやられるとちと嫉妬すら覚えますわ。あー私なりの褒め言葉です。嫉妬っていうのも。


 最近、みんな飛ばしてますね(笑)。なんかあった?


 早瀬さん。

 私には理由はわかりませんが。
 ただ。
 ここに、貴方の復帰を気長に待ってて、復帰したらいつでもお帰りと言うつもりでいる野郎が、ひとりいます。

 いや、それだけ言いたかった。


 モーツァルト書簡集VI 読了。

 よくよく思い出してみると、モーツァルトの晩年の手紙っていうのはプフベルク宛ての借金のお願いと、妻のコンスタンツェに宛てられたものがほとんどだったような気がする。しかも後者は妻の健康に配慮する内容のものが少なからず見られる。晩年のモーツァルトには、果たして心を落ちつけて仕事に取り組める時間なんてあったのだろうか。でも彼の音楽は、そんなこととは少しも関わりがないかのように、この時期になっていよいよ研ぎ澄まされていく。

 『魔笛』は作中において音楽が非常に重要な役割を演じる。第一幕/第八場で、タミーノは魔法の横笛[zauberflote]を、パパゲーノは銀の鈴[Glockenspiel]を手に入れる。それ以降、彼らの運命はこのふたつのアイテムによって導かれていくことになる。モノスタトスと奴隷達に囲まれて逃げ場を失った時、パパゲーノとパミーナを救ったのは銀の鈴の音色だった。タミーノとパミーナは最後の試練を、魔法の横笛の力で乗りきる。そして自殺しようとして辛うじて一命を取りとめたパパゲーノを再びパパゲーナに引き合わせたのも銀の鈴が奏でる調べだった。魔笛というオペラは、音楽賛歌の物語だと言っても良い。

 地上に音楽を持ち込んで罰せられた天使、モーツァルトが最後に書いたオペラの主題が音楽賛歌だったということ。これは例え偶然であるにしても、あまりに象徴的ではないだろうか。


2001/10/6 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#06


 ネタなし。

 Iria フル稼働。んでその合間にせっせとドイツ語のお勉強。
 お勉強が一段落する頃には、PCのDL専用フォルダ内に大量の――(ピー)――が。

 時間を有効に使うだけでなく、終わった後にご褒美が待っているという素晴らしいシステム。


 アクセス解析を見てリンク元一覧に知り合いのサイトのURLを見つけるのが好きだ
 
自分の日記にリンクが貼られていて言及されているのを発見した時など絶頂すら覚える

 
アクセス解析を見てリンク元一覧に今まで見たことのないURLを見つけるのが好きだ
 
リンク元だと思って飛んでみたらただのリファ漏れだったというのはとてもとても悲しいものだ

 …などというネタを考えていたのですが…でもまあ本当のところ、リファ漏れについては別に何とも思わないんですよね。どっちかって言うとリファ漏れはアクセス解析を見る愉しみのひとつという方が。思わぬ発見がある場合があるし。小春亭の存在を知ったのも実はリファ漏れのお陰だったりしますし。


 E-LOGIN #11

 リーフの新作、うたわれるもの。
 絵だけ見ると結構良さそうなんだけど、でもそう思うのはあの特徴的な服(婉曲表現)に目が眩んでるからかもしれない。卑劣っちゃあ卑劣だよなあの服は。狙ってるとしか思えん。


2001/10/5 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#05


 今日も躁と鬱が半分ぐらい。
 いつもと同じ一日。

 ちなみに躁状態の時は脳内で花右京メイド隊OPがエンドレス再生されてます。いつも通り。


 お買い物。
 Hellsing pre-order [DVD/Pioneer] とかフロレアール[13cm]とか、プリンタ用紙[スーパーファイン専用紙/EPSON]とか。

 みずいろを探してたら偶然にもフロレが新品で売ってるのを発見したのでとりあえず確保。そのうちやります。みずいろは相変わらず見つからず。先日、秋葉原の某中古ショップで見つけた時は、CDキズアリ品が9800円、未開封品が22000円とかいう暴利っぷりでした。まあみずいろはもういいんですけど。友達に借りられる目処が付いたし。

 ヘルシングのプロモは………言いたくないけど、ちと期待外れかもしれず。見敵必殺!!の場面とか、私の好み的にはもっと控えめな方が良いんだけどな。原作付きアニメってなんで皆オーバーアクションなんだろう。いわゆる『見せ場』になるとどうも表現過剰に陥る作品が多い気がする。あと、アンデルセン神父の笑い声も予想とだいぶ違ってた。私の脳内イメージよりもやや軽い感じ。


 メイドさんの目線ですが、私的には、ためらいがちな視線でご主人様を見つめているイメージです。見るからに恥ずかしそうなんだけど、その瞳に微かに期待の色が混じってたりなんかすると萌え度5割増ってことでひとつ。何がだ。

 あと、リンクについてのご指摘ありがとうございます。
 ていうかその、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。>sunfaceさん

 リンク修正しておきました。反省。

 ところでPS版シスプリのこと。
 私は非血縁ENDの方がトゥルーだと思ってたんですが、妹萌え者にとっては血縁ENDこそがトゥルーなのですね?

 「お前まさか、妹よりも恋人の方がいいと思ってるんじゃないだろうな。」

 とか、恋人の価値図式が当たり前であるかのような口ぶり。
 私が浅はかでした師匠。
 私には真の妹萌えの道は険しすぎるようです。

#まあしのぶは娘萌えなんだけどさ。


 某スレッドのこの投稿に萌えてしまいました。

 もはや人として終わってるってぽいです。
 逝ってきます。


 『マンセー』は朝鮮語であることを初めて知った日のこと…。
 そんな秋の日のこと…。

 他にも、あの『ろっぽんぞー』は実は「ラプンツェル」という童話の英語での発音らしい、とか。


2001/10/4 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#04


 瀬戸際。
 日記書くの止めようかとか何回も考えてました。でもやっぱり書いてしまう。

 自分がイメージしている『しのぶ』と周囲から見た『しのぶ』との間にズレがあるような気がする。誤解されているのではなくて、私が自分という人間を正しく把握していない感じ。実生活においてもネットにおいても。
 
 結構苦しい。

 どこまで確たる自分を持っていられるか。
 って誰の台詞だったっけ。

 笑ってる人は傷つかないと思った? [おまけの小林君]より
 アタシがアハアハ笑ってるからって、嫌なことも片っ端から忘れてるとでも思ってるのだろうか。 [ねがぽじ]より

 みっともないな…。
 我ながら。


























 恥ずかしいのだけどやっぱり愛するご主人様の言葉には逆らえず、自分の手でおずおずとスカートを持ち上げて下着(当然ガーター付き)を見せてしまうメイドさん(妹でも可)に激萌えな今日この頃です。


 2chのお気に入りスレッドが倉庫落ちしてた。ちょっとだけ鬱。
 まったりできる良いスレッドだったのに。毎回 sage で書き込んでたのが敗因だろうか。


 とくそんさんへ私信。

 私は身内(と呼んで良いかどうか分かりませんが)のノロケは嫌いじゃないですよ。念のため。
 あと情報。日記書き100問、MK2さんの回答がアップされてました。


 ヘルシングDVD.

 むちゃくちゃ見てぇ。
 私的には『見敵必殺!!』のシーンだけでも買う価値アリ。

 ところでこれってアニメDVDが売ってるお店で普通に買えるんでしょうか?


 あくまで第三者から見た印象ですけど、その状況で怒る(というかニュアンスとしては“叱る”とか“抗議する”という感じでしょうけど)のは正しいと思います。人としても男としても。

 たぶん、らむださんにとっては正しい正しくないの問題ではないのでしょうけど。
 でも。私が同じ立場にいたら、やっぱり怒ると思う。


 銀色が予想以上に重かったので、反動で軽いギャルゲーがやりたい。銀色は私がプレイしたギャルゲーの中で間違いなく10本の指に入る名作だけど、いかんせん精神的負担が大きすぎる。再プレイしたいけど、またあんな“体験”をさせられるのかと思うと尻込みしてしまう。

 何の事件も起きず、ただまったりとイチャイチャするだけのゲームがやりたいんだけど…そんなゲームないんだよなあ。そもそもそれがゲームと呼べるかどうかも問題だし。でも究極のところ、私がギャルゲーに求めてるのはそれなんだけどね。那美シナリオ[とらハ3]前半の穏やかさがずっと続く世界。高町家の日常だけが永遠に続く世界。

 久しぶりにシスプリでもやってみようか。
 最近私内部で評価が急上昇している花穂のシナリオとか。んで、クリアしたら脳内で18禁にコンバート(謎)。


 永遠なんてないだって?
 莫迦言っちゃいかん。永遠を信じられなかったら人生詰まらないだろ。


2001/10/3 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#03


 銀色。

 四章、五章、銀色、読了。


2001/10/2 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#02


 銀色。第三章、読了。

 かなり後味悪し。
 途中まで読んで、もう二度とこんな話は読まねえと思ってて、でも縁りを戻してホッとしていたらまた直ぐに突き落とされ。納得はできないけどあれ以外にどのような解決があったのかと問われると、返答に窮するかもしれず。少なくとも、悪役が去ってともかく平穏が訪れたことに、ホッとしてしまったことは告白しなければならない。無論、夕奈を単純に悪役と決め付けることは許されないのだけど、ただ、私としては夕奈が朝奈か志朗を殺してしまうことをただただ恐れていたので、最悪の展開を免れたことに対してやっぱり安堵感を覚えてしまう。夕奈の言動はあまりに痛い(イタイ)のだけど、でも私は夕奈の気持ちが分かってしまう。分かってしまう自分がかなり嫌だ。いや、ちょっと違うか。夕奈を見ていると、鏡に写った自分を見ているような気分になる。居た堪れない。あの時周りにいた人の目にはきっと私は夕奈のように映っていたのだろうと想像すると発狂しそうになる。

 何を聞いてもマイナスにしか受け取れないような精神状態というのがある。他人の優しさすら侮辱としてしか受け取れないような精神状態は、私も経験がある。何度も。こういう状態になったらもうどんな言葉も届かない。こういう人間に対するには殴るのがきっと最上の思い遣りなのだと思う。桃ちゃん先生に出てくる梨村さんがそうしたように。また銀色において志朗がそうしたように。夕奈が死ぬ以外にあの状況を解決する道はなかったのだと、どうしても私は心の隅で考えてしまう。が、その考えを肯定するのは恐い。もしかしたら、人間不信はひとつの狂気であるのもしれない。そして、死以外に狂気を解決する方法がないのだとしたら。私は結局死ぬしかないのではないだろうか。

 そんなことを、三章の終幕を見ながら考えていた。もし死ぬ以外に解決がないのなら。夕奈の死は悪くない。私は、夕奈のように死にたいと思う。少なくとも彼女は好きな人に殺されたのだから。

 多分、第三章は二度とやらない。
 今は第一章のあの極限の美しさが懐かしい。


 セラスが読者代表かどうかは分かりませんが、ただ、彼女が境界線上というのは割と頷けるものが。少なくとも、ある種のお約束があの漫画に適用されるものなら、セラスはきっと最期まで生き残るキャラでしょうね。


 シスプリネタ関連リンク。心の広い人限定。

・ブラザープリンセス [http://www.fk.urban.ne.jp/home/mochida1/sp.htm]
・シスタープリンセス2 [http://www.ah.wakwak.com/~karate/sisupuri2.htm]
・時宗プリンセス [http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6467/tokipuri-top.htm]
・ブラザープリンス [http://www.circles.ne.jp/~prince/top.htm]
・バキコラプリンセス [http://www.ne.jp/asahi/yu-show/sukisuki/bakikora/]

 ブラザープリンスはもしゲーム化されたら買いますよ私。絶対。
 トップ絵[10/2現在]の男の子ってば可愛すぎ。


 C.Fさん[10/1]。

 両方とお会いしているjesさんによると、C.Fさんが弟でKISAさん兄の可能性もあるらしい。
 なるほどそれも萌えますな確かに。

#基準が間違ってます>俺


2001/10/1 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-10.htm#01


 日記書きさんに100の質問。

 テキスト100問と被ってる質問もあるし、何より全部答えるのは疲れるのでピンポイントで答えてみたい。

Q3 日記サイトをやっていて良かったと思う時は?

 他の日記書きさんにリンク&言及されてるのを発見した時が一番幸せです。この幸せは初心の頃からずっと変わらない。

Q11 Hワードはどこまで書けますか?

 仄めかす程度にしか書けない。本当は欲望のままに書きたいと思う時もあるのだけど、それはおそらく私のキャラクターではない。やったら多分引かれると思うと恐くてできない。

Q12 日記には10段階だといくつくらいウソを書いていますか?

 嘘は書いていない筈。が、気がつかないで出鱈目なことを書いている可能性はある。

Q17 「この人には読まれたくない」っていう人は誰ですか?

 一応いますが名前を出すも穢らわしいので言えない。少なくとも私はサイト開設以来一度もその名前を出してないし、表面上は記憶から抹消済みです。

Q19 会社(学校、家族)に自分のサイトが発覚。どうしますか?

 別にどうもしない。驚くだろうけど、ばれた後で何か対処法がある訳でなし。そもそも私たちが想像しているほど酷い事態にはおそらくなりません。違法行為をしているならともかく、テキストレベルでならせいぜい、実は色々考えてるんだなあ、という感想を持たれる程度でしょう。

Q28 読者からのメール1通をカウント数に換算するとしたらいくつですか?

 メールを貰う確率から言えば、初めましてメール1通で10000HIT以上に匹敵します。ちなみに今年の春以来その手のメール貰ってないし。ゲストブックでも置いてみようかなあ…。

Q30 アクセス数を普段より1000増やしてください。何をしますか?

 HIT数だけ増やしたって無意味。ただ増えれば良いのならカウンターログを書き換えれば良し。

Q31 目標としている日記はありますか?どこですか?

 一生追いつけないが、bLatz日記。
 この日記の何が良いと言って、知者ゆえの余裕すら感じられるほど頭の良い人でありながら決して斜に構えることをせず器用に振る舞うでもなく、また自分語りをすることを恐れずむしろ積極的に行っていたこと。

Q32 好きな日記を教えてください。

 同上。閉鎖してしまったけど。

Q38 日記読み日記についてどう思いますか?

 日記批評すらも別の他者からの批評対象になることが分かっていてその覚悟があるならお好きにどうぞ。

Q44 面白い日記はどんな日記だと思いますか?

 自分語り。

Q45 つまらない日記はどんな日記だと思いますか?

 傲慢。斜に構える姿勢。

Q46 下ネタ日記は好きですか?どんなジャンルが好きですか?

 大好きです。限度を超えて変態臭いのでなければどんなのでも。一例として、一流ホームページ辺りは全然許容範囲内です。

Q48 「それだけはやめてくれ」という日記のネタは何ですか?

 ノロケ。(CatanaAureaは例外)
 ただしノロケも書き方によっては面白い場合もあるので一概には言えないのですが。

Q50 あなたの日記をボロくそに書いている日記があったらどうしますか?

 別にどうもしない。こっちだって選ぶ権利ぐらいある。反応するに値することが書かれていれば反応しますが。もし暇だったら、応えるに値しなくても晒しリンクを貼って藁うかも。

Q51 無断リンクを張っていますか?また無断リンクについてどう思いますか?

 リンクって無断で貼るものなんじゃないんですか?

Q53 閉鎖したら困るっていう日記サイトはありますか?

 私は変化が嫌いなので、どこにしろ閉鎖は嫌です。アシュタサポテの林さんの受け売りっぽいけど。

Q54 「顔を見てみたい?」っていう日記執筆者はいますか?誰ですか?

 なぜ『顔』なのですか? お話したい管理人さんならもちろんいますが。意図不明なまま、会いたいとか言われるのはかなり嫌です。好意を持っててお話してみたいから会いたいというのなら分かりますが、それ以外の理由では…。言い換えましょう。『好意』ならサンキューですが『好奇心』ならノーサンキュー。

Q57 チャットや掲示板遊びはしていますか?どこでしていますか?

 どちらも私のやりたいことにそぐわないのでやりません。返事をしなくちゃいけないような気にさせられ且つ返事がないと落ちこんでしまうようなシステムは嫌いです。あと、チャットのリアルタイム性も嫌。考える時間が欲しいのです。

Q58 ブラウザを起動した時に初めに表示されるページはどこ?

 自作の巡回ルート集。webにはアップしてません、ちなみに。

Q61 あなたの日記で、これは消してしまいたいと思う日記は?

 誰かを揶揄したりしてる文章。

Q62 あなたの日記で、これは自信作だ!と思う日記は?

 私の価値観的には、ゲーム関連の記述はほとんど自信あります。自分が読みたい『スタイル』の日記を書けるのは結局自分しかいないという理由によって。

Q67 JavaScriptは使用していますか?また使用についてどう思いますか?

 個人のお好みに応じてご自由に…と言いたいところだけど、JavaScript使用を前提にデザインされていて、ONになってないと閲覧すらできないサイトは勘弁して頂きたい。

Q69 フレームは使用していますか?また使用についてどう思いますか?

 あまり好きではないけど別に実害がある訳でもないですし。

Q72 他OSユーザー(Mac、Linux等)を考えてサイトを作成していますか?

 できれば考えたいとは思うけど具体的に調べたりとかする気はないです。どっかにそういうことを簡単にまとめてあるwebページってないのかな。今度探してみようか。

Q73 NetScapeユーザーの事を考えてサイトを作成した事はありますか?

 ずっとネスケユーザーです。ていうかIEのことはあまり考えてないです。

Q83 インドア派?アウトドア派?

 徹底的にインドア派です。ていうか、休日は外に出るのが有意義だとかいう偏見は何とかならないものなんでしょうか?

Q91 日記を書くにあたり、自分なりのこだわりがあったら教えてください。

 理想を言えば、どこまで赤裸々に自分のことを書けるかで日記の魅力は決まると思う。自爆発言。

Q91 自分自身、どうして日記を続けていると思いますか?

 日記は精神安定剤だからです。自分の中にある何かを文章化するという作業それ自体が心地よい。それ以上のものではないです。

Q94 2ちゃん○るであなたの日記がボロくそに言われていたらどうしますか?

 ていうか、凹む以外にどんな選択肢があるの?

Q97 日記サイトで「これだけはしちゃダメでしょ?」という事は何ですか?

 ノロケ。…いやもとい、確信犯で他人を傷つけること。


 体調が良くないせいか、微妙に言い回しがキツイかも。
 後で追記の可能性あり。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



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