棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]
−自分用・買い物予定リスト−
・現在のところ未定
−日記・過去ログ−
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2001/12/31 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#31
◆
全音ピアノピース〜ピアノ名曲集 2巻/4巻
子供がピアノ発表会で弾くようないわゆるショーピースを集めたCD. たまにこういう曲を聴くとなんとも和む。
結婚行進曲[メンデルスゾーン]、幻想曲・さくらさくら[平井康三郎]、アメリカンパトロール[ミーチャム]、アルプスの夕映え[オースティン]、歌の翼にのせて[メンデルスゾーン]、結婚行進曲[ワーグナー]、セレナーデ[ハイドン]、etc...
フェリックスたんの結婚行進曲はクラシック分野ド素人時代に一回聴いたことがあるだけでその時は特に何とも思わなかったのだけど、改めて聴いてみるとなんとも面白い。シンプルなロンド形式なので迷子になる心配もないし、それより何より和声がすごく綺麗。この曲のテーマはそれこそ誰でも口ずさめるぐらい有名だけど、そこに内声が加わってくると、メロディーラインよりもむしろ響きのあまりの豊穣に圧倒されてしまう。でもなこるるとけっこんしきをやる時は断然ワーグナたんの方だけど。
ところでセレナーデのピアノ版ってハイドンの作曲なんだろうか、それとも後世の誰かが編曲したのだろうか。これって元々は弦楽四重奏曲17番の第二楽章なのだけど。この曲のメロディーは馴染みやすいので素人さんにもお薦めしやすいです。日本限定だけど、有名な童謡(?)“僕の大好きなクラリネット〜♪”の一部にそっくりなメロディーが出てくる曲としても有名かも。
個人的メモ。
入江さん宅で、パガニーニ変奏曲キーシン盤のCDを発見。後で必ず購入のこと。
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明け方があまりに寒いので電気毛布を購入。
年を取ったものです。昔はボアシーツと毛布があれば冬でもTシャツと下着で平気で朝まで寝られたのですが。今は電気毛布を使った上にジャージとトレーナーを着て寝てます。
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はじめてのおるすばん [ZERO]
攻略サイトを見ながら3つのエンディングを確認。
CG/イベント達成は大体8割程度。
以下、インプレッション。
シナリオらしいシナリオは存在しません。ただ毎日、双子姉妹がいるお隣に行ってまったりと(且つエロエロに)過ごすだけ。『すぃ〜とじぇみに』とか『Fifth』みたいな、シンプルな日めくり式のシステムです。ただし難易度は桁違いにこちらの方が簡単。本当にエロシチュを楽しませることに特化してるようで、余計な手続きなんかも一切ありません。どんな選択肢を選ぼうが毎日必ずなんらかのえっちシーンが強制的に発生します。それも初日から。仲良くなる過程とかもありません。最初から仲が良いのです。だからただイチャイチャするだけ。ある意味ヒロイン二人が既に経験済みであることがプラスになっているとも言えます。経験済みなのでそっち方向への抵抗が少ないため、えっちシーンに突入する過程も理由も省いてしまうことができるからです。超お手軽な“エロゲー”という点をまず評価したい。
ただし、単純さは単調さに繋がってしまうのもまた確かなことで。シナリオが存在しないことの弊害として、ゲームの進行は非常に単調です。別の言い方をすれば飽き易い。まだ見ぬエロが先にあると分かっていても、段々とマウスをクリックするのが億劫になってきます。多くのギャルゲエロゲには一定の方向性があります。それはヒロインと仲良くなるということ。主人公が意識的にそう望むかどうかは別にしても、物語は原則的に人と人が近づいていくことで進行/発展します。しかしこのゲームにはそれがない。それゆえにお手軽にイチャイチャだけを愉しめるというメリットは確かにあるのですが、やはりこのお手軽さによって失われたものもあります。このゲームの世界には方向性がありません。最初から仲が良くてそれ以上にも以下にもならないので、物語は発展のしようがないのです。
いずれにしても、ロリなエロゲーということでは私の知る限り最強の一本です。『すぃ〜とじぇみに』や『Fifth』や『もみじ』で問題だったえっちシーンの単調さを、ここでは様々なコスプレを用いることで解決しています。邪道であるのを承知で言えば、ゲーム本編は
ctrl キーでひたすら飛ばしまくって CG/イベントを
100% にして後でゆっくりと回想モードでえっちシーンだけを愉しむというのもアリだと思います。えっちシーン単体に限って言えば、微妙に変態くさくて濃ゆいので、個人的には満足でした。
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書いてから気がついたのだけど、俺ってつくづく物語原理主義なのだなあ。
ところではじるすはある意味ではゲーム本編をやるよりも2ちゃんねるのはじるすスレッドを読んでいる方が面白いかもです。更に関係ないけど、2ちゃんねるではエロゲ板よりもエロゲネタ&業界板の方が面白いと思っているのはおそらく私だけではないと思うのですがどうか。
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まんがくらぶ2月号にて高橋しん氏の新連載。
『わたしたちは散歩する』
最終兵器彼女からコミカルな部分だけを抜き出したような小品。名前は出てこないけど主人公とヒロインはシュウとちせです。今読みながら書いてます。二人のあまりの莫迦っぷりが可愛いです。可愛すぎて頬が緩みます。ちくしょー。こういうの書かせたら高橋しん氏はホント天才だ。もう負け。無条件降伏。
まだ知らない人は必ず読むこと。コンビニで売ってます。
◆
あなたは沈黙の中にどれほどの力が秘められているかが分からないのです。攻撃はただのまやかしであり、通常、自分にも世間にも弱みを見せまいとする駆け引きにすぎません。本当に持続する力は耐えることにのみあるのです。弱い人間だけが、忍耐を失い、粗暴になるのです。彼はたいていそんなふうに、自分の人間的尊厳をすっかり投げ棄ててしまうのです。(カフカとの対話/グスタフ・ヤノーホ)
今年の私は悪い意味で本当に弱かった。
来年の私のために、この言葉を。
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それでは皆様よいお年を。
2001/12/30 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#30
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オフについての覚書。
(しのぶ視点から見てるので偏ってます多分)
AM_10:30 JR立川駅到着。
構内で本を読みながらまったりと時間が来るのを待つ。
本は新宿駅で調達した『言葉の虫めがね』(俵万智)。
AM_11:50
佐祐理さんの団扇を持っている 不信人物 入江さんを発見捕捉。
ほどなくして、らむださん、美森さん、アンデルセン神父 サンフェイスさん(いや本当に似てるんですよ、神父をちょっと若くしたイメージでカッコイイんだこれが/笑)とも合流。
そのまま歩いて入江さん宅へ。
道中はほとんどらむださんの隣にいて、はじめてのおるすばんのインプレッションなどをつらつらと語る。処女云々は個人的には全然気にならなかったばかりかむしろ最初からイチャイチャしてて良いかもとか、余計な選択肢なんかなくてすぃ〜とじぇみに以上にお手軽に遊べるとか。
途中、コンビニで食料を調達。
私がなにも考えずにお茶に手を伸ばしている横では、やっぱりらむださんは牛乳でしょう(美森さん)とかいう会話が。後で聞いたところでは、ワッフルはないのか〜?(美森さん)などという発言もあったらしい。
到着後、萌え文集製本作業。
しのぶとらむださんで原稿を1ページずつ取って束ねて、それを美森さんが確認、その後入江さんがホチキス止め、最後にサンフェイスさんが折り曲げ作業。BGM
はらむださんが持ってきたメイドさんベスト。早瀬さんがこの曲聴いたら(早瀬さんに)小一時間問い詰められそうだよなあなどと話しつつひたすら製本作業。作業終了後はサンフェイスさんが買って来てくれたタイヤキを皆でパクつきながら、しばしまったりと。やっぱりタイヤキを食べる時は手袋がないと、とか、一説によると女性は尻尾から食べるらしい−するとあゆは女性じゃないのか!?
とか。
入江さん宅を出た後、まだ時間があったので歩いて昭和記念公園へ。
道中。らむださんにキャラコレ可憐編を薦めたり(布団の中で萌え転げまわった時のことなんか交えつつ)とか、このは☆ちゃれんじを薦めたりとか。『貧乳じゃないやい! 微乳だいっ!』がらむださんと入江さんに妙に受けてたり。あと月陽炎。どのエンディングでも誰かが不幸になってしまうのが辛い(入江さん)とか。ところで月陽炎を最も簡潔に説明するなら、痕+美凪シナリオ(AIR)です。>>未プレイの方。そういえば今は亡きブロンズパロットのあの制服は22歳以下でないと着られないという規則があったらしい。
昭和記念公園。
あゆが人形を探してたのってここかーなどと言いつつ園内を歩く面々。挙句に人形探しを始める面々。それを写真に収めるしのぶ。平均年齢30歳前後の野郎共の行動としてどうよ?と一瞬思ったが面白いので気にせず。ところで話題にならなかったけど、反対側のベンチって
ONE に出てきた公園の舞台なんじゃなかろうか。柱とかツタを絡めるための格子屋根とか雰囲気が似ていた。更に歩くと噴水が。KANONの栞シナリオで出てきたアレ。残念ながら水は出ていなかったけど。そのちょっと先に売店。バニラアイスはないのかなーどという危険発言が。あの今12月なんですケド。皆で売店へ。本当にアイスクリームを買ってこの寒空の下で食べる美森さんとサンフェイスさん。なんか入江さんはシャボン玉とか買ってきて吹いてるし、らむださんは恐竜のプラモデルみたいなの買ってるし。ネタに走るその姿勢にまんせー。
そういえば微妙にタイミングを外してしまったので言わなかったけど、うちも未だダイヤルアップ環境です。
あと言いそびれたこと。
私が車で上京する理由は、荷物が増えると大変なのと帰りの電車の最終が
PM9:30 だから。車なら時間の制約もないですし。
PM_5:00
浜松町の居酒屋『だるま』にて、らむちゃオフ。
当初は私は不参加予定だったのだけど、楽しい雰囲気に流されて参加することに。
参加メンバー。あくまで俺視点です(笑)。
幹事の入江さん、落ち付いた文章を書く割に実は若い 孝之君 Wayneさん、美凪人形を入れているせいでコートが妙に膨らんでいるアンデルセン神父(“懐が暖かい”らしいです/笑)ことサンフェイスさん、初対面の人に対しても全然物怖じしない広さを感じさせる美森さん、育ちの良い学生っぽいイメージのくわねさん、自己申告の通り割とおとなしめならむださん、なんかエロゲーをやったりとかメテオたん〜♪とか言ったりする人には全然見えないShunさん、日記から察せられるお人柄通りに好青年な文月そらさん。ちなみに入江さんを基点として時計回りで、この席順。
まず入江さんによる乾杯の挨拶。
文集完成を祝して…だったかしら。ごめんちとうろ覚え。
出た話題。順不同で覚えているだけ。
誰がどの発言をしたかは参加者のみ知る(笑)。
萌え文集。一ヶ月のスケジュールで良く完成したものです。次回はオフセットで。
美凪シナリオのバッドルート条件は辞書の選択と朝の選択の2つ。テゴメは必須。
2ちゃんねるの○○スレ立てたの私です。
170万出して等身大セリオを買った神。
はじめてのおるすばんとかこのは☆ちゃれんじとか。
東京のバケツパフェとか洗面器パフェとか名古屋のマウンテンとか。
昔書いた恋愛小説を朗読されたことあります。全員野郎の声で。
コミケは宗教儀式−人それぞれ信仰する神が違う−日本は八百万の神の国だから−むしろ百鬼夜行という気が
KANONアニメは深夜枠なんだから祐一の妄想シーンも入れれ。
むしろ各話1回ずつ毎回祐一の妄想を。1話は秋子さんで。
ONEアニメの予約特典は「澪の歌」らしい。
ひとつの商品を纏め買いする人はコンビニでは珍しくない。
月陽炎のED. 柚鈴お持ち帰りED.が好きな人とか柚鈴の手紙ED.が好きな人とか。
コミケ。朝から key ブースに並んでブツを買えたのが午後4時。
とらハ1は頑張れば二日でコンプできます−けど、できれば1日1キャラでやって欲しいなあ、信者的には。
米屋をはしごしてお米券を探したんですが扱ってませんと言われました。
会費は引換券4枚。
8時を回った辺りで一旦解散。
入江さん、Wayneさん、しのぶは帰路へ。
らむださん、美森さん、サンフェイスさん、Shunさん、文月さんは多分二次会へ。
まあ二次会の模様は誰か書いてくれるでしょう(脅迫)。
皆と別れた後、今回上京したもうひとつの目的を果たすべく新宿東口へ。
TSUTAYA でココロ図書館サントラ購入。それと新宿書店でゲドマガ2号をキープ。
日付が変わる直前に帰宅。
即ベッドへ。
◆
追記。
浜松町駅で雪駄さんにお会いしました。
なにも話せなかったけど。ていうか不意打ちで面と向かい合ってなにを話せと?(苦笑) 蛇足ながら。雪駄さんは
web の文章から年齢が全然推測できないんですが、今回逢っていよいよ年齢が分からなくなりました(笑)。ただ、文章から勝手にイメージしてたお人柄(が醸し出す雰囲気)みたいなものは、私の脳内イメージと概ね合ってましたが。
2001/12/29 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#29
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はじめてのおるすばん。
SFX を使ってセーブデータ解析やってたら何故かセーブデータが消えました。莫迦ですか俺は。
せっかく80%以上埋まってたのになあ。変な欲を出したばかりに…。しくしく。
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らむだちんのとらハ雑感。
相変わらず私好みの文章を書いてくれるなあこの人はまったくもう。なにがいいってね、一見ゲームレビューに見えて実はとらハを題材にした私的なエッセイになってしまってるところがすごく良いのです。ゲームそれ自体としての評価ではなくて、自分個人とゲームとの私的な関係の存在をまず認めるところから書き物をスタートさせているらしいところに一方的に親近感を覚えます。
◆
とりあえずはここまでで上京。
今6時半なんですが約束の時間に間に合うんでしょうか。
2001/12/28 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#28
◆
ココロ図書館。最終回。
こういうベタ過ぎるお話にすら泣いてしまうことに少々釈然としないものを感じたり。
せめてこころんに大演説ぐらいぶちかまして欲しかったなあ。最終的にココロ図書館存続を決定づけるのはやはり市民の声以外にはあり得ないとしても、形だけでもいいからこころんが『頑張っている』ところが見たかった。あるいはジョルディの日記を市長が読んで「それでも決定は覆りません」と言わせて…とか。あるいはいっそ、ココロ図書館をつぶしてしまって、三姉妹の旅立ちEND.とかでも。
どうにもならない時、最後に頼れるものはやっぱり人間(人脈)だ、というのはまあ分かるんですけどね。アニメや漫画では最終回絡みで多用されすぎてるので新鮮さには欠けるなあと。
◆
2ちゃんねる用語としての『鬱駄氏脳』は『(苦笑)』と同じ程度の意味しかないのですよ〜。自分自身を斜めから見て笑っている、というニュアンスの言葉ですね。本当に憂鬱な時は『鬱出汁脳』なんて言う余裕はありませんもの。
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今日ははじめてのおるすばんの発売日です。
2ちゃんねるのはじるすスレッド(情報提供・WSATさん)を覗いてみると既に地雷報告(あの姉妹は実は処女じゃないとかいう驚愕のバグが)が上がってますが、ともかく私は会社が上がったら特攻の予定。
2001/12/27 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#27
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久しぶりにショパンのボレロを聴く。滅多に演奏されることのない初期作品の中にも、面白い曲は色々ある。ボレロがそうだし、他に私の好みで言えば、ラルゴだとかヘクサメロン変奏曲だとか、それからポロネーズの何曲か、だとか。これらの曲が滅多に演奏もレコーディングもされないのについては、おそらく曲自体がまだ未熟であるとかの理由があるのだろう。しかしこれらの曲には、中期から後期に掛けての名曲群には決して見られない新鮮さがある。これらの曲は未熟な青年作曲家が書いた音楽なのかもしれないが、その代わり、ここには若さの発露がある。どこまでも瑞々しくて、また自分の力を信じて疑わない勢いがある。それが私を魅了してやまない。
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今年のクリスマスプレゼントは2つありました。
ひとつは数年振りになこるるの夢を見られたこと。
もうひとつは早瀬さんが書いたこれ。
早瀬さんのについて言うと、あれはさ、完全に自分のためだけに書かれた文章で、だから私の心に届いたのです。
◆
時間がないのに別にみんごる3で遊んでたりとかココロ図書館18禁SSを読んでたりしてたからではありません。ありませんてば。ましてや朱葉たん×こころんハァハァなんて御無体なことは決してハァハァ。台無し。みんごる3は面白いけどちょっと気になることが。小学生ですら400Y飛ばせる昨今に230Yしか飛ばないってどうよとか、グリーン上に光の道が見えないとか、風が全然読めないとか、芝を爆発させるようなスピンが掛からないとか。
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それとメール受け取りました。>>入江さん
2001/12/26 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#26
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昨日の続き。
シスプリワールドは兄にとってよりもむしろ妹にとってこそ楽園なのだと言える。我々プレイヤーが妹たちに抱いているような感情を、ゲーム本編(おそらくはアニメ版も)の主人公は持っていない。咲耶に告白された時ですら、主人公は自分の気持ちを明かさない。ただ、咲耶の望むままに告白を聞き、咲耶の望むままに接吻(くちづけ)をする。それ以上のことはなにもしない。実のところシスプリに出てくる兄というのは存在する必要すらないのだ。お兄ちゃんの存在が単に妹の妄想の産物だったとしても、シスプリの物語は成り立ってしまう。シスプリとは徹頭徹尾、恋に恋する少女たちの物語である。ゲームであれアニメであれキャラコレであれ、シスプリワールドが我々プレイヤーにとって心地良いのは、妹たちが主人公(=プレイヤー)を好きだからではない。いや、可愛い妹たちに好かれる快感というものもちろんあるだろうが、それと同じくらい、ここには少女漫画的快感がある。
言うまでもなく、我々男性が少女漫画を読む時に感情移入する対象は男性キャラではない。我々は少女漫画を読む時、ヒロインの少女の方に感情移入して胸をトキメかせるのである。こう書くとまるで少女漫画好きな男性はヒロインを通して男キャラに倒錯的な恋をしているというように読めてしまうかもしれないが、そうではない。我々は少女漫画を読むことでヒロインに感情移入して様々な恋の感覚を追体験するのだが、正確に言えば我々が抱く感覚は対象を持たない。ヒロインの感情には向かう先があるが、我々が抱く感情には相手がいない。ヒロインの感情だけを純粋に取り出して味わうのだと言ってもよいかもしれない。そして、これが面白いところなのだが、ヒロインの感情を追体験する我々は同時にヒロインを男性視点でも見つめている。ヒロインの少女が抱くトキメキにシンクロする一方で、同時に男性視点で恋する少女に胸をトキメかす。少女漫画を読む男性の心理は大体このようなものだが、いずれにしても重要なのは、男性が少女漫画を読む際には、男キャラ(恋の相手)の存在が限りなく薄められているという事実である。
これと同じことがおそらくシスプリにも当てはまる。シスプリワールドでは、兄は妹にとってきわめて都合の良い存在であってそれ以上のものではないというのは昨日の日記で既に書いた。我々は確かに可愛い妹に好かれる快感を味わってはいる。しかしそれと同じくらい、実は恋に恋する少女たちの甘美な幻想にシンクロしてもいるのだ。可憐がお兄ちゃんにドキドキする時、我々は一方で可憐のドキドキ感を追体験し、同時にもう一方でそんな可憐を可愛いと感じている。昨日の日記と被るが、シスプリという作品は『兄妹』という設定を使うことで、一種の永遠の世界(楽園)を作り出すことに成功している。ヨハネによる啓示の書[新約聖書]に書かれているが如く、ここには嘆きも悲しみもない。ただ甘美な恋だけがあり、しかもそれは決して失われることがない。シスプリワールドには変化というものは存在しないのだ。シスプリワールドにいる限り、我々はただ好きな妹と悠久の蜜月を過ごすことができる。なんと素晴らしいことであろうか。
さすがに自分が莫迦に思えてきました。
くれぐれも真に受けないでください(笑)。
あと、世の全ての男性がこうだとは思わないように。
少なくとも私は間違いなく、少女漫画を二重の視点で読んで愉しんではいますが。
ところで昨日の妄想部分は失敗でした。
今、読み返すと面白くも何ともない。痛いのならまだ救いがあるけど、痛くすらないのではもうアウト。存在する価値なし。激しく抹消したいのですが、一応日記書きの端くれとして一度アップした文章の削除は極力するべきでない(本当は禁則というよりも信用問題なのだけど)のでそのまま放置することにします。鬱だ氏脳。
あと、妹→お兄ちゃん、の関係はそのまま、我々→二次元キャラ、に当てはまるなあなんてことも考えてはいるのですが、私は基本的にはオタク論が嫌いなのでその辺りは書きません。
2001/12/25 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#25
◆
苛憐からのお手紙。 Striderさん作。
笑。
◆
SisterPrincess キャラコレ1巻 可憐 [MediaWorks]
やはりシスプリの真のヒロインは可憐なのだなあとしみじみ。可憐様最強。
彼女のどりーまーっぷりの前では咲耶すら霞んで見えます。
シスプリの12人の妹の中でも少なくとも咲耶と可憐の二人は本気で「将来はお兄ちゃん(お兄様)と結婚」とか思ってそう。他の妹たちについては、どちらかというと「恋に恋するお年頃」でその身近かつ安全な対象として兄がいるという図式になっていて、だから普通に妹として可愛いのだけど、咲耶と可憐のふたりは割と年長でぼちぼち分別がついてもおかしくない年頃であるだけに、その想いはシャレにならないというか、何か強力な念のようなものを感じる。可憐と咲耶の二人は、結婚できなくても周囲から祝福されなくてもずっとお兄ちゃんと一緒、という茨の道を進む覚悟がありそう。お兄ちゃんと一緒なら地獄へ堕ちたって構わない、みたいな。
ところで我々は普段お兄ちゃん視点で12人の妹を見ているのだけど、逆に妹視点でお兄ちゃんを見てみたらどうなるか。私の曇った目で観察するところ、シスプリのヒロインたちっていうのは、基本的には夢を見ているだけだという気がする。いわゆる恋に恋するという状態。お兄ちゃんが好きであるというよりも、お兄ちゃんのことを好きな気持ち、を愉しんでいるという状態。そこでは必ずしも好きと言う気持ちはお兄ちゃんを志向しない。お兄ちゃんというのは好きな対象としてただ心の中に存在していれば良い。こういう感情は実は「好き」よりも「萌え」に近いのではないだろうか。
「萌え」というのは人間に対して表明されることは決してないが、しかし考えてみれば二次元キャラに対してだって我々は「萌え」なんて言葉は用いない。脳内二次元キャラに向かって「君に萌えている」なんて言える奴はいないのだ。むしろそんな奴がいたら小一時間ほど略。「萌え」というのは、少なくとも相手をまったく志向しない。要するにこれは極めて自己完結的な感情だと定義することができる。だから、実在する人間に対しても「萌え感情」は起こり得る。ただ表明されないというだけだ。「萌え」というのは非常に刹那的な感情だ。「好き」は持続するが、「萌え」は持続しない。「萌え」とは一瞬のトキメキ(イテテテ…)なので、その感情は「好き」と違って常に満ち足りている。「好き」であることはしばしば苦しみを伴うが、「萌え」ている時、その人はただ幸福な状態にある。萌えとはそういうものだ。
シスプリの妹たちにとって、お兄ちゃんとの恋愛は決して叶うことがない。しかし、もしかするとだからこそ、お兄ちゃんは空想恋愛の対象として完璧な存在なのではないだろうか。お兄ちゃんは妹たちを決して傷つけることなく、いつも優しい。お兄ちゃんは妹たちの「好き」を受け入れることはないけれどもまた拒絶もしない。ただいつも妹たちに微笑んでいる。だからこそ、妹たちは安心してお兄ちゃんを空想恋愛の対象として「好き」でい続けることができ、お兄ちゃんが好きな気持ちを大切に抱いて幸せなままでいられるのではないだろうか。シスプリで表現されている関係が恋愛であるかどうかは微妙だけれども、仮に恋愛と呼ぶとすれば、それは一種のお約束に基づいた関係だということができる。兄であり妹であるがゆえに、受け入れも拒絶もしない関係。ただ「好き」であり続けることができ、自分も相手もそれ以上を望まない。この場合はむしろ、それ以上を望むことが出来ないという制限が、この関係に安定を与えている。決して壊れることのないお約束に基づいた楽園。それがシスプリワールドなのだろう。
可憐や咲耶はその意味で特殊だ。彼女たちはお約束に基づいた楽園だけでは満足できなくなってきている。彼女たちにはおそらく葛藤がある。現状に満足する気持ちともっと違う関係を求めたいという気持ちと。…いや前言撤回。少なくとも可憐には葛藤なんてなさそうだ。彼女はきっと隙あらば躊躇なくお兄ちゃんに特攻するだろう。
◆
…という訳だ、花穂、分かった?
お兄ちゃま、なんの話をしているのか、花穂、全然ワカンナイよぉ。
いや分からないならいいんだ。
元々そんな大した話じゃないし。
ふーん。
あ、お兄ちゃま、お味噌汁冷めちゃうよ。
あーそういえばヌルくなっちゃってる…。
暖めなおす?
うん。
…あーいや、ちょっと待って。
なあに?
美味しく食べられる方法を思い付いたから。
ちょっとこっち来て、耳を貸して?
…………(ごにょごにょごにょ)…………。
…おや、どうした?
花穂の顔、真っ赤だぞ?(ニヤニヤ)
…おおお、お兄ちゃまぁ、それはいくらなんでも恥ずかしいよぉ。
なにを今更。
…だってそんな、お口で…なんて………。
…しくしくしく。
…。
…お兄ちゃま。
分かった、花穂、がんばる。
やってくれるの!?
うわ〜ん。
お兄ちゃま、嘘泣きなんかして、ずるいよぉ。(ぽかぽかぽか)
まあまあ、善は急げともいうし。早く早く。
むー。
でも、花穂のお口、ちっちゃいから。
あんまり入らないよ?
いいんだよ、花穂に口移しで飲ませて貰えればそれだけで美味しいに決まってるんだから。
お、お兄ちゃま、そんなはっきり言われると花穂…その…。
このような駄文でネットのトラフィックを無駄に増大させたことをお詫びしつつ。
氏んできます。
2001/12/24 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#24
◆
このは☆ちゃれんじ [Rouge]
裏掲示板から転載。手抜きとも言う。
このは&貴英シナリオ読了。 しのぶ - 2001/12/23(Sun)
05:57:57 No.1718
大変おいしゅうございました。
またまた比較論で申し訳ないのですが、いわゆる泣き系シナリオを書く人は数あれど、荒川工という人のシリアスには「重さ」がないなあと。あ、これで良い意味で、です。メインの3シナリオをやっていよいよ強く確信したのですが、この人のシリアスは、重くもなく軽くもなく、文字通り『丁度良い』んですね。シリアスにありがちな重さがプレイヤーの負担になったりは決してしない。かといって軽薄でもない。この“ほどよさ”が、私たちに何とも言えず心地良い感覚をもたらしてくれるのでしょう。大泣きもしないし激萌えもしない。荒川シナリオは私たちに衝撃を与えません。でも、氏の語りは胸に染み入ります。
それと、Lien の時からそうなんですが、荒川シナリオの重要な場面には“夕焼け”がしばしば出てきますね。これは荒川氏が書くシリアスの雰囲気をこの上なく効果的に盛り立てていると思います。夕焼けが持つ独特のアトモスファと荒川氏のシリアスな語り口は非常によく似ています。氏自身もきっとそのことを自覚しているのでしょう。
◆
新体操(仮) [ぱんだはうす]
若菜たんハァハァハァハァハァハァ。。。
たまには普通のレビューらしいものを書いてみる。
(ただしトモミシナリオを1回クリアしただけなので間違っている可能性もあります)
CG.
夜勤病棟と同じ原画家さんらしいけど、今回は線が細くなっているような感じ。以前よりも硬さが取れて柔らかいタッチになったのかも。私的にはこちらの方が好み。キャラクターは当たり外れなく軒並み可愛いです。特に若菜先生とかみくたんとか若菜先生とかみくたんとか。ただし絵は可愛いけどあんまりイヤラシイという感じはなし。えっちシーンのイベントCGですらも、燃え(りびど)ではなくて萌えの方向。エロエロを期待するとがっかりする可能性大です。あと、このゲームについては何気に背景が上手い気が。
シナリオ。
主人公が良い感じに馬鹿です。既に2ちゃんねるのぱんだはうすスレッドで言われてますが、プロGood[AliceSoft]
の猿藤吾郎みたいな感じ。文章はかなり好みが分かれそうです。あまり上手いという感じはなくて、良くも悪くも同人臭い。例えばネットの一部で有名な吉野屋ネタと思しき描写が冒頭でいきなり出て来たり、2ちゃんねるネタが頻出(みくたんハァハァとか、俺様カコイイ!
とか)したり、漫画ネタ(見敵必殺)が出てきたりとかします。2ちゃんねるネタが商業ベースの作品で出てくると私ですら少々引きます。ここでネタを受け入れられないとただ寒いテキストが延々続くことになるでしょう。
エロ描写はあっさりし過ぎ。短い上に燃えません。あと、シナリオの不整合がいくつか。調教が進行しても、キャラクターの態度が全然変わらないとか。個人的な好みを言わせて貰えれば、調教の進行があまり感じられないのが大きなマイナスポイントでした。調教系シナリオの醍醐味はやはり、段々とキャラクターが快楽に溺れるとか、あるいは主人公に従順になっていく辺りにあると私は考えているのですが、そういう描写はほとんど見られません。残念です。
キャラクター。
6人中、気の強いタイプが3人、大人し目タイプが3人です。みんな良い子です。堕とすのを躊躇うぐらい良い子です。それゆえに堕とすのは甘美です。大人し目タイプの3人はちと頭が弱いかも。鍵系キャラみたいな幼さが好きな人は萌えるでしょう。私はばっちり萌えました。若菜たんCGを壁紙にしちゃうぐらいには。CGもテキストもキャラ萌えの方向を目指している感じがします。それゆえ、萌えキャラを穢したいという向きにはそこそこ美味しいゲームといえるでしょう。それからもうひとつ。ダブルヒロインの一人、羽丘みくは意外なことに関西弁らしき言葉を喋ります。これは新鮮で良いです。そうそう。このゲームではぶるまーは赤です。逝って良しですね。
音楽。
あまりインパクトはありませんが、まあ過不足なくといったところ。せっかくキャラ萌え度の高いゲームなのだから、キャラクター毎に専用のBGMを用意して欲しかった気がします。メインBGMと思われる主人公のテーマはちょっと下品。主人公の性格に合っている音楽ではありますが、これを延々聞かされるのはキツイです。ついでに言えば、BGM
やボイスの個別音量設定はできず。これも若干マイナス。
最後にバグ。
CG がきちんと表示されない。時々、色が滲んだような(水彩画の上に水をぶちまけて挙句絵筆で掻き混ぜたような)感じに乱れる。原因は不明だが、メッセージスキップを多用した際にこの現象が起きやすい気がする。回想モードでも特定のCGを開くとやっぱりCGの色が乱れる。
特定の場所で必ず強制終了がでる。みくルートの特定の場所で必ず止まる。回想モードで確認してみた限りだと、どうやら特定のCGを呼び出した時点で強制終了がでるらしい。今のところ2枚ほどそういうCGがあるのを確認。
ええはっきり言ってやる気失せました。
セーブデータを拾ってきてCG100%にして終了。
ただし現在のところ、オフィシャルでも2ちゃんねるでもバグ報告が上がっていないところを見ると、うちのハードウェアの方に原因があるのかもしれませんということは念のため書き添えておきます。
2001/12/23 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#23
◆
なこるるが出てくる夢を見た。
普通にアイヌ衣装を着ていたが、服を着ていても彼女はすごく華奢だった。衣装の赤い模様は少々色褪せており、それが結果としてあの服に一種の落ち付きを与えていた。コスプレにありがちな新品っぽさというものは全然なくて、日頃から着慣れているような自然な雰囲気があった。普通に衣装が馴染んでいる感じで、落ち付いた物腰の彼女によく似合っていた。
間近で見ると、彼女の腕は折れそうに細く、その肌は白くて木目細かだった。白い肌といってもそれは不健康な印象ではなかった。彼女の腕にはほんの微かな染みも汚れもなく、それこそ絹のように滑らかで美しかった。
彼女とは色々と話をしたような気がするのだが、内容までは残念ながら覚えていない。ただ、彼女の声は今でも思い出せる。夢で逢って初めて知ったのだが、彼女は意外と子供っぽい声を持っていた。しかしそれは無邪気さというよりもっと知的で“いたずらっ子な大人”といった雰囲気だった。また彼女の目もその声と同様に好奇心に輝いているといった風で、彼女はまるで、いたずらの秘密を共有する相手であるかのような目で、覗き込むようにして私の目を見て喋った。私たちの間の空気は、十年来の友達であるかのように和やかだった。彼女は私の言葉に逐一「うんうん」と頷いてくれた。私の言葉を聞く時の彼女の顔は笑顔というのとはちょっと違っていて、好意的な好奇心のゆえに笑みが零れている、といった印象だった。そして私もまた彼女の声に耳を傾け、暖かいというよりはむしろ冷んやりした彼女の声に、くすぐったい心地良さを覚えていた。彼女の冷んやりした声が私の心を撫でているようだった。それはなんとも言えず快感だった。
2001/12/22 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#22
◆
開封時点でチョコエッグのチョコが割れているとなんか損した気がしませんか?
ていうかもう置く場所がありませんどうにかしてください。いやそもそも、そろそろダブリが出始めてるので買うの止めた方が賢明かも。
◆
読んでくれる人を置いてきぼりにするような内輪ネタ(私信含む)は書かない、のが理想なのですが、でも書いちゃう。
見た瞬間に爆笑。
らむだちんぴんち(笑)。
らむちゃ関係者以外には意味不明なネタですが、おそらく
IRC での「お兄ちゃん“ハァハァ”ってなぁに?とか妹に聞かれたら痛いでしょうね」という発言がベースです。
ところで先日参加した際のこと。
「可憐ちゃんに微笑まれたら誰も逆らえないのでは?」という私の発言に対して、「可憐が微笑んだ時は、既に罠は張り終えていますから」とらむださんに返されたのが嬉しかった。誤解なく意図が通じた、というだけのことなのだけど。
ヘビに睨まれたカエルの如く、とは(思っていても)お兄ちゃんを前にしてはさすがに書けなかったし。
…話は戻って。可憐ちゃんの日記を読んでから数時間後。
ハァハァ の件で何て解答するのか野次馬的に多いに期待してたのですが、割と普通の解答。チッ。
まあ答えようがないのも確かなんですけれども。(^^ゞ
私は、“ハァハァ”に正しい意味があるのかどうか知りませんが、使う時は一応自分なりの定義を設定して使ってます。可憐ちゃんがここを読んでると不味いので(俺がお兄ちゃんに叱られちゃうとか)詳しくは書きませんが。
◆
身も蓋もない言い方ですが、愛の告白をされるのは好きです。心が踊ります。
ありがとうございます。
本当はもうちょっと前に見つけてたんですが、気持ちに余裕がなかったので書けませんでした。
ところで20番にあったイラストはやっぱり“ウワバミに丸呑みされた象”なのでしょうか。
(追記:なんか今見たらイラストが消えてるけど、そういう絵が貼りつけてあったんです)
◆
思うところあってアクセス数を調べてみる。らむちゃ(IRC)で美森さんとWayneさんに色々聞いてみたところでは、とりあえず可憐アンテナからの更新チェックではカウンターは回らない模様。現在の数字がほぼ実数値ということらしい。いや、“GET”とか“HEAD”とか“ファイル容量の変動”とかいう説明を見ても私にはさっぱり分からないので聞くしかなかったんです。どうやって調べたものかも分からなかったし。
数字は内緒ですが前回より増えてました。毒/反吐を吐く毎にちょっとずつアクセスが減ってるんじゃないかと想像してたんですが実はそうでもないのでしょうか。いやまあ、もちろんカウンターを回してる人がすべて好意的な読者とは限らない訳ですが。ていうか痛い物見たさで来てる人は絶対にいると思う。
一日200HITオーバーはずっと私の目標だった。謎ムービーをやっていた頃は平均200HIT以上出てたけど、あれは流行りに乗ってた部分があったし、明らかに違法だし、余所の掲示板に宣伝投稿をしまくったりとか、今思い出すと相当に厨房なことをやった結果だった。もちろんあれはあれで楽しい時代ではあったのだが。あと、当時のサイトのカウンターを回していたのは私ではなくてDMH17さんの作品のせいだったというのもある。“せい”という書き方はニュアンス的に微妙だが、10万HITをあんなに簡単に達成してしまったのは、ほぼDMH17さんの功績(実力)だと今でも信じている。だから、テキストサイトとして10万HITオーバーという風に見られることには引け目があった。
そんな訳で、DMH17さんが独立営業を始めてからの私の目標は自分のテキストだけで一日200HITを叩き出すことだった。それも宣伝など一切せずに。それをようやく達成した今、本来ならカウンターなんて興味ないぜという振りをしつつ喜ぶところなのだけど、でもそれはどうあってもできない。200HITは出ていても、現状のサイト内容は私の理想とするところとズレている。サイト開設当初から私がずっと目標―いうよりも制約だが―にしてきたことのひとつに、読んでくれる人を不安にさせないこと、というのがあった。この点において、今年は誰の目から見ても駄目すぎる(但し今年の3月に喧嘩を売られた件は除く)くらいに駄目だった。現状のカウントは、私の文章の魅力によって叩き出したものではなく、単にぴーぴー泣き叫ぶ(しかも周囲にとって理不尽な理由で)ことによって得られたものに過ぎない………というのは卑下しすぎかもしれないけど、いずれにせよ「ここまで成長させた」と自信を持って言えないのは確かだ。
◆
ONEの瑞佳の独白で『わたし一人だけ遠くの海に浮かぶブイを見ていても友達はちゃんと傍にいてくれた』(うろ覚え)っていうのがありますが、私の今年一年はちょうどそんな感じでした。
感謝してもしきれません。本当に。
2001/12/21 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#21
◆
会社での人間関係により激しく落ち込み中。
失敗から学ばない奴を馬鹿と呼ぶのだとすれば俺は間違いなく馬鹿だ。やはり俺は誰とも親しくしちゃいけないのだと思う。ていうかそう決めた。もうこんな気持ちを味わうのは嫌だ。
2001/12/20 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#20
◆
ナンヨーノカフェ[12/6]を読んでなんとなく色々と考えてみたり。
たぶん読んでいらっしゃると思うのでご安心のために。
別に鬱とかじゃないです。普通に自分のことを考えて勝手に独白しているだけですので。
>>さにさにさん
多くの方は意外に思われるかもしれませんが、私は実のところ、現状に対して不満とかはほとんどないんです。むしろ今の平和な環境に満ち足りていると言っても良いくらい。独りでいるというというのは慣れてしまえば別にどうということはないし、そもそも私は独りでいるのが一番落ち着く。これは嘘でも欺瞞でもありません。世の中には二人でないとできないことがあるように、独りでないとできないことも沢山あります。例えば音楽の流れに心を浸すとか、本を読み、それを通して作者が見た世界を垣間見るとか、そういうのです。本はもちろんカフカの言う通り、体験にはならない。本を読むというのは別の世界を覗き見ることで、その世界を辛うじて見ることはできても、その世界の空気を肌で感じたりすることはできない。しかしそれでも、本を読むことで別の世界を、私の立っている場所からでは見ることの出来ない世界を僅かながらでも覗き見るのは私には大変に興味を引かれることです。話を戻して。独りでいるとどうして落ち付くのかというと、独りでいる限り、私は自分の持っている欠陥を気にしないでいられるからです。私は他人が信じられない人間で、だからその時点で既に人付き合いの能力も資格も致命的に欠いています。そう思うことは私の気を滅入らせるのですが、しかし独りでいる限り、私は自分の人間不信によって他人を傷つけなくて済みます。私のコミュニケーションスキルの欠如は独りでいる限りにおいては別に欠点とはならない訳で、それが私を安心させるのです。
ではどうして、しのぶという奴は日記で毒や反吐を吐いたりするのか。これに明確な答えを与えるのは難しいのですが、おそらく、なんだかんだ言って私もやはり“人間だから”なのではないかと思います。私は独りでいることは別に苦痛でもなんでもないです。これは本当です。しかし、そうでない時というのも絶対にある。例えば一週間という時間があったら、その中の何時間か、私は無性に人恋しくなる。そういう感覚は突然襲ってきて、これはもう自分では全然制御できません。そういう時、私の心は地獄の餓鬼かなにかのように他者のぬくもりを求めます。もちろん、日頃“種蒔き”を全然していない私に、そんなに都合よく他者の優しさが与えられる道理はないのですが、それでもそういったものを求めてしまう。そういう時、私は絶望的に孤独です。単に物理的に独りであるというだけではなくて、他者との断絶を嫌が上にも意識させられるからです。私が誰かに近づけば私は相手を傷つける。もちろん傷つけたくて傷つける訳ではないのですが、私の臆病さはいつも結果として相手を傷つけるのです。それが分かっているから、身動きが取れなくなる。反吐を吐くのはそういう時です。とにかくなんでもいいから何かを書くことで気持ちの沈静化を図らなくてはならないのです。
それから話は前後しますが。私の言う『慣れ』とは、厳密には現実受容とは違います。私は現実を受け入れたのではありません。そうではなくて、私は現実を受け入れざるを得なかったのです。私が今所有している平和は、諦めることによって得られたものです。慣れている、のではなくて、慣れざるを得なかった、のです。私の臆病さは、時に沈黙になり、時に攻撃になり、相手を傷つけます。私の臆病さは一緒にいる人間を決して安心させません。私はリラックスした空間を作り出すことができない。そういう資質を致命的に欠いています。そう思うことはいよいよ私の臆病を助長します。それからフィジカルな問題。これもまあオフで逢った人はご存知の通りですが、私は耳以外にももうひとつ、肉体的欠陥があります。それも誰が見てもすぐにわかるようなものが。普段は気にしないように努めてはいますが、これは私の逃れがたいコンプレックスです。実際のところ、私に逢った人がどのくらい私のその欠点を気にしているのかは分かりません。いや、もしかすると全然気にしてはいないのかもしれない。いや、おそらくは私が気にしている程には気にしてはいないのでしょう。しかし私は気にします。そのことで引け目すら感じています。これは、相手が「気にしないよ」と言ってもダメです。要するに、異性の友達を部屋に招待しようとしたら部屋が散らかっていることを思い出して引け目を感じてしまうようなものです。そういう時は、例え相手が「気にしない」と言ったって、本人の問題としてはやっぱり「気になるから嫌だ」ということになってしまう。そういうことです。コンプレックスというものは大体において気にしているのは本人だけで、周囲から見たら取るに足りないものであることが多いのでしょう。しかし周囲がどう見ようと、やはり本人にとってはそれは大真面目で切実な問題なのです。これが、諦め、あるいは慣れの理由です。
たぶん、人にはできることとできないこととがあるのであって。例えば空を飛びたいと思ったって、人間はやっぱり何らかの道具を使うことなしには空を飛ぶことはできない。どんなに飛びたいと願っても、人間の領分を超えた願いは叶えられないのです。私はコミュニケーションに必要な資質を欠いている。それが私の領分なのだと思います。もろちん、他者のぬくもりを願う心はこの先ずっと消えることはないでしょう。しかしできないことを真剣に願い、資質を身につける努力をするには私はもう疲れすぎています。だから、私は独りでできることをする。今の私にとって、生きるとはそういうことです。
2001/12/19 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#19
◆
会社のミーティングルームに飲み掛けのコーヒーが放置されている。もちろん勝手に片付けてしまっても構わないのだが、私はこういう状態―きちんとした状態から少しだけ外れたもの―を見る度に、ついついあらぬ想像をしてしまう。例えばこんな感じだ。この飲み掛けのコーヒーカップには実は何か意味があるのではないだろうか? これが故意に置かれたのだとしたらどうだろう? 誰かが飲み掛けのコーヒーカップを放置する。その誰かは実はわざわざこういう人目につきやすい場所にコーヒーカップを置くことでひとつの賭けをしているのではないだろうか? いや、賭けというのは正確ではない。これは一種の『おまじない』なのだ。コーヒーカップをわざわざミーティングルームという場所に置く。誰かが片付けるかもしれない。あるいは片付けないかもしれない。もし三日の間、そのコーヒーカップに誰も手を触れなかったら、おまじないは上手く行ったことになる。もし三日の間誰にも手を触れられなかったら、彼の望みは叶えられるのかもしれない。例えばそれは恋愛の成就であったりするのかもしれない。賭けに勝てば、相手に想いが伝わるのかもしれない。だとしたら。私がコーヒーカップを片付けることで、私は彼のおまじないを期せずして台無しにしてしまうことになる。これはやはり私が手を触れて良いものではないのだ。…そんな想像が、そのコーヒーカップを片付けることを私に躊躇わせる。
こんな莫迦な想像をしている俺はもしかして単なる暇人ですか。
◆
カフカとの対話 手記と追想 [グスタフ・ヤノーホ/ちくま学芸文庫]を読み中。
これが読み終わるまではゲーム等は中断。
2001/12/18 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#18
◆
迷うな。迷うな。迷うな。
◆
やっぱり〜白い〜フリルのドレスを着た〜♪
可愛い〜お嫁さんでしょう〜♪
という訳で最近の和みは、はじめてのおるすばん・デモムービー。
こういうのを見ちゃうといよいよ期待に あそこ 胸が膨らみますね。((c)先生のお時間)
画像はPDT形式(ビジュアルアーツ)なので
VIX16 辺りを使えば割と簡単にデモ用CGが見られてしまう訳ですが、じっくり見てみるとぶるまーやすくーるみずぎ等の定番に加えて、どっからどう見てもアリスちゃん(AliceSoft
のマスコットキャラ)にしか見えないコスチュームとか、トドメにウェディングドレスCGまであって、もう至れり尽せりという感じ。あのCGが単なるデモ用ではなく作中でも使われてると良いのですが。ハッピーエンドはお嫁さんEND.
あの姿のままでウェディングドレスを着て“けっこんしき”。いや法的に(籍を入れるとか)どうこうではなくて、あの姿のままでのおままごと的なけっこんしきというのが浪漫なんですよ。本来の意味でのけっこんしきではなくて、将来の約束としての意味合いを持つけっこんしき。
◆
ねがぽじファンディスク 〜ひとつ屋根の下で〜
よろしい、ならば予約だ。
12月の有給休暇(昨日)はシスプリ&このちゃ対応だったのですが、1月の有給はまひる対応にケテーイですな。
◆
そもそもIDEと違って、どっち向きでも挿せるのが問題あり
そうなんですよね。
あの手のケーブルは基本的に逆挿し不可能だという先入観があったので、原因を特定するのに時間が掛かってしまったんです。ケーブル側カプラには逆挿し防止用のポッチがあるのに
FDD 本体は窪みが両方に付いているんですもの。そんなのわかるかー!!てなもんです(笑)。
◆
ばんがいち 2月号
覚えておけ
私が夜に茶の支度を申しつけた者には
――その晩 私の夜の相手を務めてもらうことになっている
メイドさん系エロ漫画なのに、メイドさんの可愛さよりもご主人様の格好良さの方が目立ってるというのも相当に珍しい。どうせ手を出すことに変わりはないのだけど、こういうスマートさはやっぱり浪漫だ。
2001/12/17 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#17
◆
前を見て歩くべし。脇見厳禁。
◆
内蔵型 HDD 装着。
Windows98 だと 60GB 以上の HDDを正しく認識しないらしいので
FDISK のアップデートをしたりとか、HDD のケーブルが差し込みにくいので一旦
FDD のケーブルを外して挿し直したら実は逆向きに挿してしまって
PC が起動しなくなったり(FDDのアクセスランプが点きっぱなしに)とか、HDDを取り付けたはいいが次に何をするのか分からなくて友達に電話して
FDISK コマンドから領域作成する方法を聞いたりとか。なんだかんだで作業が一通り終わるまで約3時間。
苦労はしたけどお陰で HDD は Master 30GB
+ Slave 80GB の合計 110GB に。パーテーションは2つに区切って1つはエロゲー専用に40GB、もうひとつは
画像&映像ファイル専用に30GB. それ以外のファイルは基本的に最初から付いてたCドライブ(30GB)へ。
◆
眼鏡を新調。眼科での視力検査(“眼鏡の処方”というらしい)と合わせて約43000円。
財布が一気に軽く。しくしく。
約5年振りぐらいに眼鏡屋に行ったのだけど、なんか全体的に華奢なタイプが多いというか、縁のはっきりしたタイプは数が少ないような気がした。こういうのが今の主流なのかしら。かく言う私が選んだのも華奢なやつなんだけど。
◆
Sister Princess -PureStories- [Wedia Works]
とりあえずこちらにリンク。
こういうノリはかなり好き。
オープニングは前作を上回る破壊力。前作みたいな感じで歌の合間に妹達が喋るのだけど、今回は只の呼称ではなくて、語り掛けになっている。お兄ちゃま、花穂が妹で良かったと思う? とか。もちろん軽くエコーが掛かって。かなり凶悪。この威力ならシスプリから離れてた人ですらも一瞬で妹ワールドに引き込めるだろう。
バレンタインストーリー。花穂が画面に出てきた途端に顔が緩んでしまうのだけどそれは余談。内容は各キャラが前作(PS版本編)の回想を延々と喋るだけ。CGとか使い回しで。あの時こんなことがあったねーとか。ここだけ見るとはっきり言って詐欺みたいなものなのだが、考えようによっては前作で時間がなくてプレイできなかったキャラのシナリオの概要を短時間でさらうことができるので、そういう意味では悪くない。
クリスマスストーリーはまんま妹たち12人とのクリスマスパーティー。前哨戦でキャラ別(と言っても複数キャラのセットでだけど)に書き下ろしCGが数枚。それからパーティー時に集合CGが3枚。密度はスカスカだけどこちらは一応オリジナルストーリーになっている模様。内容なんてあってないようなものなんだけど、でもこの空気はすごく和む。自分が主賓で、自分を好いてくれる12人の可愛い妹たちと愉しい一時を過ごす、という雰囲気がひしひしと感じられて、それだけで幸せな気持ちになれてしまう。
……12人の妹を持つ、僕だけにしか分からない楽しさ……。
もちろん、苦労もたくさんあるけど、可愛い妹の笑顔を見れば、
そんなものは気にならなくなってしまう。
こんな主人公の独白を恥ずかしげもなくそのまま受け入れてしまえる和やかさがここにはある。自分を好いてくれる12人の妹なんて非現実もいいところなんだけど、こんなに大切にしてもらえて心地良い時間を過ごせるのならそれでも全然構わないと思ってしまう。
ミニプリコーナー。神経衰弱、15パズル、どっちもご褒美CGがないのはバグですか?仕様ですか?脱げとは言わないけど(妄想内で脱がしてるので別に今更)せめて書き下ろしCGの1枚ぐらいは欲しかった。X’masメッセージは妹じゃなくて声優の挨拶なのでどうでもいい。
CGギャラリー。今作のCGに加えてPS版本編のすべてのCGが高画質で収録されている(クリアとか関係なく見られる)のでお徳感大。PS版攻略本にはすべてのCGが載ってる訳ではないので今作のギャラリーで初めて見たCGも少なくないのだけど、中には超凶悪瞬殺的萌え画像が何枚もあって、眺めてると全然退屈しない。可憐は立ち絵はヘボヘボだけどイベントCGの方は結構可愛いのね。割と損をしているキャラかも。可憐の拗ね顔とその次の抱き付き一枚絵は良すぎる。衛はパジャマを着たCGがかなり悩殺的だけど、それにも増して上目遣い絵がヤバイ。衛って子は自分の魅力を全然自覚してないように見える。それゆえにすごく無防備だ。こんな表情でおねだり(別に変な意味ではなく(変な意味でもいいけど))されたら世界征服すらやっちまいそう。鞠絵は眼鏡を外す場面がすごくえっちで良い。てかこのCGは絶対18禁だろ!?(叫)なんか見てるとドキドキするんですが。まるで鞠絵を裸にしてるみたい。それも彼女の望みで。ひたすら甘美。この後は当然濃厚なちゅ〜(唇を放すと唾液がすぅーと糸を引くくらい)を繰り広げた挙句押し倒すんだよな?な?白雪のおねだりCG(事実誤認)もかなりヤバメ。彼女にしては割と慎ましげなところが却って扇情的。亞里亞は全キャラ中お姫様抱っこが一番絵になる妹かも。春歌のおねだりCG。これも18禁だと思うのだがどうか。これで押し倒さなかったら男じゃねえだろ級に可愛い。このCGの何が良いって、春歌がものすごく華奢かつ幼いイメージで描かれていること。この絵を見る限りだと春歌って抱きしめたら主人公の胸にすっぽり収まってしまいそうだし、ちゅ〜する時は春歌が爪先立ちになって尚且つ主人公の方が腰を屈める必要がありそう。理想の身長差というやつですな。いやもちろん他のキャラの身長も似たようなものなのだろうけど、パッと見た瞬間に華奢だと感じられるようなCGというのは非常に貴重なのです。
しかしここまで書いておいてなんだけど、シスプリの愉しみ方としてこういうのはどうなんだろうと思わなくも。
やっぱこのソフトの正しい愉しみ方っていうのはこれを媒体にして脳内妄想をすることの方にあるような気もする。
◆
花穂〜お風呂空いたぞ〜。
って、何見てるの?
あ、お兄ちゃま。
花穂が出演してるゲームがやっと完成したの。
ほう、どれどれ。
………………あ、コケた…。
えへへっ。
花穂、ドジッ子だから…。
撮影中も大変だったんだよー。NGいっぱい出しちゃって。
でもね、お兄ちゃまに花穂のこといっぱい見て欲しかったから、いっぱい頑張ったの。
うんうん。
それにしても…やっぱりテレビだと花穂といえどもあんまりチビッこく見えないのな。
花穂、チビじゃないよぉ。
嘘付け。
こんなにチビッこいのに。(と言いつつ後からぎゅーっと)
お、お、お兄ちゃま…花穂、今日部活があったから…その…。
ん、別に汗とかそんなに匂わないぞ。
い〜匂いはするけど、花穂の。
お兄ちゃま、恥ずかしいよぉ。
んー。
でもチビっこく見えないくらいが丁度いいのかもな。
よくないよぉ。
だってそうしたら、少なくとも花穂のチビッこさだけは僕が独り占めできる訳だし。
細いウェストとか、華奢な足とか………あれ、花穂、最近また少し胸が大きくなった?
………(赤面)。
そんなこと言わなくたって………花穂はお兄ちゃまのだよ……ずっと。
うん、分かってるよ。
でもたまにはこんなことも言ってほたくなるんだ。
…何回言ってもその度に花穂ってとっても可愛い反応するしね。
お兄ちゃまひどいよぉ。(ぽかぽかぽか)
あああ、私は用事を思い出したのでこれで。
忙しい忙しい。(これ見よがしに時計を見つつ)
いや最低でもこのくらいは書かないとシスプリファン失格な気がしたので。
2001/12/16 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#16
◆
このは☆ちゃれんじ![rouge]をやるのに忙しいのデス。日記なんか書いてる暇はありません。荒川節は健在。Lien以上のハイテンション振りで今回も目一杯笑わせてくれます。この人の日本語感覚ってすげえ面白い。ワザトラシイ言葉使いや言い回しをひとつの芸としてこの上なく効果的に使っているというか。例えば漫画家の新井理恵みたいに。Lienはともかくとして、このちゃに関して言えば、これは極めて良質なエンターティメントだ。これは『作品』ではない。誤解を恐れずに言えば、荒川工という人は芸術家(広義での“世界を作る人”)であるよりは芸人(エンターティナー)に近い。私たちは荒川氏が提供するお話に耳を傾け、笑ったり泣いたりする。このちゃワールドは確かに存在するのだけど、その裏には世界を作らずにはいられないような何らの切実な願いもない。荒川氏はそうやって世界を作る人ではない。彼はただ芸人として、見る人が愉しめる世界を作ろうと欲する。それはちょうど手品師が観客を前にして華麗な芸を繰り広げるようなものだ。目の前には確かに作り手がいるのに、私たちはそんなことを少しも気にせずに、ただその手品師が演出する空間に身をゆだね、その空気を愉しむ。荒川氏という人はこういう演出ができる人なのだ。エンターティメントなのだから、すべての時間はただプレイヤーを心地良くすることに特化されている。ここには少しの退屈すらも与えない徹底したサービスが見られる。いわゆる感動系のゲームというやつは、プレイヤーの方から積極的に“読み込んで”いかなくてはならないことが多いのだが、このちゃの場合は私たちはただ手品師の演出を待っていれば良い。幕が上がる。一旦幕が上がったら、後は手品師の手腕ひとつだ。退屈させたらその瞬間に観客は現実に引き戻されてしまう。いかに密度の高い空間を用意し、時間を満たすか。こういう場において、荒川氏は実に見事な手腕を見せる。ゲーム開始から僅か5分程度の時間に、既に笑いと萌えの両方が用意されていて、しかもそれは過不足なく心地良い。大笑いするでもなく萌え転げまわるでもなく、ただ“丁度良い”のである(もちろん笑い転げるような場所は後で幾度となく出てくるのだが)。その後も荒川節とも言うべきハイテンションはずっと維持され続ける。私たちは退屈する暇もなく、ただ荒川氏の見事な語りに耳を傾け、愉しい時間を過ごす。愉しい時間が終わった時、後に残るものは感動の涙でもなく寂寥感でもない。『ああ、愉しかった』と思う。そしてそれを感謝したくなる。このちゃはこういう作品だ。
2001/12/15 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#15
◆
まったりと、まったりと、まったりと。
◆
秋葉原へ買い物。
今日は東北道から首都高へ乗り継ぐルートを試してみる。何年か振りに走ってみても、やっぱり首都高はちょっと恐い。普通の高速道路と比べると道幅が狭いにも関わらずカーブがキツくて、しかも道路の継ぎ目部分に乗るたびにガタガタ衝撃が来る。カーブで継ぎ目を乗り越すのは精神的に嫌。しかもそんな環境でも車の流れ(速度)は普通の高速道と変わらないし。
しかしそんな点を差し引いても、群馬−秋葉原、が2時間ジャストというのは素晴らしい。お金は800円ほど余計に掛かるけど、それでも30分の短縮は美味しすぎる。今度から上京する時はこのルートを使うことに決定。
買い物。
このは☆ちゃれんじ[rouge]、ローデビル![ブラックライト]、Sister
Princess -ピュアストーリーズ-[Media Works]、内蔵型HDD
80GB[I/O DATA]、クラシック関係CD・ショパン中心に16枚、同人誌4冊(ののみとか)、ののみ抱き枕カバー[共月亭]。
◆
最近読んだもの。最近観たもの。ひとことふたこと。
◇HONEY4巻[橘裕] ちーちゃんがマリア様に見えたのは我々が彼女のことをよく知らなかったから。彼女だって本当はひとりの人間なのだ。萌えないというのは感想としてはアリだが作品の評価としては正しくなかろう。◇HONEY[橘裕/LaLaDX_#1] 久我君とちーちゃんの身長差は美味しすぎ。それはともかく、一歩前進。◇はにーすぃーとティータイム[山野りんりん] 姉妹達のあのゆとりはなんなのだろう。彼女たちは私が時々襲われるような焦燥感や苛々や憂鬱とは無縁に見える。幸せに生きる才能を持っているのかもしれない。日常の中から楽しいことを探し出す才能。◇君が望む永遠ドラマCD_vol.1 ゲーム版の普通の焼き直し。普通に良くて普通に痛い。◇花右京メイド隊シングルDVD 話としてはありたきりだけどグレース編が一番良い。グレースに感情移入できれば泣ける。外敵から身を守るために生み出された別人格というと仙水さんと同じですな。イクヨ編は期待外れ。折角のキャラ別ストーリーなのだからもっとイクヨの魅力を引き立てる話にすれば良かったのに。意外なことにコノエ編はそこそこ良く出来ている。期待に頬を赤らめるコノエさんがとっても可愛い。意外性を演出したことによる勝利。◇シスタープリンセス(アニメ版/1巻) 1話の可憐が反則的に可愛い。PS版とは別人。ゲームより先にアニメを観たら絶対惚れてた。それにしても主人公が池に落ちたのはもしかして可憐の計算通りですか?ロマンティックな出逢いを演出するためにあそこまでのセッティングをする可憐。素敵。ひょっとすると音楽室でピアノを弾いてたのも主人公が来ることを見越しての計算ずくの行動だったのかもしれない。花穂が可愛いのは太陽が東から昇るぐらい当然なので以下略。近衛の4人以外は今のところ作画に恵まれていない感じ。白雪や四葉はアニメ版だと全然可愛くない。衛がブルマーじくてスパッツなのも減点要素。今後に期待。◇シスタープリンセス(アニメ版/2巻) 花穂ぜったいに喋らないもん。莫迦だろうおまえ。ああそんな莫迦な君が愛しくて溜まらない。◇ココロ図書館 10話 いかにも最終回に向けて収束させるための話という感じ。ハッピーエンドになるであろうことは分かっているけど、虹が出せないこころん、なんか見てるとやっぱり切なくなる。あの演出は上手い。◇Virgin
Bride テキストが退屈。◇尽くしてあげちゃう3 看護〜の時はボイスがなかったのだけど今回はボイス付き。えっち度全開。余計なストーリーを取っ払ってお手軽なハーレムゲーにしてしまったところは好印象。◇月陽炎 あまりに私好みなゲームゆえ誰にもお薦めしたくない。正月連休に再プレイして書けたら何か書く予定。
2001/12/13 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#13
◆
勝手に懺悔。
◆
MK2さんの日記[12/10]。
なんか頬を張り飛ばされた気がした。悪意とかそういうのじゃなくて、叱咤されたという感じ。無論私の勝手な誤読なのだろうけど。このところずっと心が腐ってた。心が疲れていたとか弱っていた、のならまだ救いがあったかもしれないが、私の心はたぶん腐っていたのだと思う。周囲のすべてが敵に見えた。世界を憎まずにいられなかった。そういう状態だったから、あの文章は心に突き刺さった。まるで自分のことを言われているような気分になった。
萌え文集の話題が出てから、ずっと心にわだかまりがあった。念のために言っておけばこれは誰のせいと言う訳ではなくて単純に私の心があまりに弱かったことが原因なのだけど。時として弱さは罪だ。私は間違いなく病んでいて、私は間違いなくこの場合、罪人だった。萌え文集の話が出た時から、私はきっと参加はしないだろうな、と思った。書ける書けないの問題ではなく、私のフィクション信仰と萌え文集のスタンスはどうあっても相容れないものだったから、私は参加はしないと心に決めていた。でも、自分で決めたことであっても、やっぱり自分が普段仲良くしてもらっている(と思っている)周囲の皆が参加している中で自分だけ参加しないというのは寂しかった。独りだけ取り残されたような気がした。独りでいるのは別に辛くもなんともない。でも祭りの輪をたった独りで外から眺めるのはとてもとても寂しいこと。多分、私は無意識に無自覚に周囲の皆を憎んでいたのだと思う。そして更に。周囲との関係が絶たれたように感じたことで、私は自分の立っている場所が分からなくなった。自分はここ(インターネット)で何をしているのか分からなくなってしまった。自分が立っている場所が分からず、どこに進むべきなのかも分からず、それどころか自分が何者なのかさえ分からなかった。そんな状態に焦り、苛立ち、煩悶した。自分は何者で何をしようとしているんだろうとずっと考えていた。今にして思えばなんと不毛なことをしていたのだろう。
◆
そういう精神状態にあったのです。私は。
自分に好意を持ってくれている人たちを憎んでしまったことを、ただ恥ずかしく思います。黙っていればそのまま流すこともできたのかもしれない。でも敢えて書いてしまいます。そうしないと私の気が済まないからです。ヘタレ蛆虫野郎な私がともかく次の一歩を踏み出すためにはどうしても正直に告白しておかなくてはならないと思ったのです。どうか、できることならこの件については触れずにそっとしておいて頂けたらありがたく思います。もちろん、引っ叩きたいという方は存分に引っ叩いてください。それは私が当然受け入れるべきものです。でもそれでも好意を持ってくださるのなら、どうか今日の日記は無視してください。
萌え文集が無事に完成することを心から願いつつ。
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私信。>>入江さん、らむださん、sunfaceさん、美森さん。
既にご存知のことと思いますが、29日の文集製本に参加させて頂く予定です。
役に立つかどうか分かりませんが、よろしくお願いします。m(_
_)m
2001/12/11 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#11
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睡眠不足。結局、今の私にとって一番重要なのは考えることではなくてたっぷり寝ることだと思った。鬱が入りそうな精神状態というものを敏感に捕捉することは可能だろうか。自分の精神状態を観察して鬱方面に思考が向かいそうだったらさっさと寝る、なんていう風な習慣をつけることができたら、私は今よりもほんの少しだけ健康になれそうな気がするのだが。
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最新日記をトップに置いてしまうと、痛い日記を書いた場合、更新するまでその痛い日記がトップに晒され続けるという状況に陥ることに今更ながら気がついた。毎日更新していればすぐに別ページに移ってしまうので心の負担も幾らかは軽くて済むが、更新したくない気分であっても直前の日記が痛い系の文章だともう更新しない訳にはいかなくなる。なんか不毛だ。
2001/12/10 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#10
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人と話していると、会話がターン制だったら良いのにとよく思う。ゲームのように。今ターンは貴方が喋って私が聞く番。次のターンは私が喋って貴方が聞く番。会話において重要なのは喋ることではなくて聞くことだ、と皆は言う。そうなのかもしれない。でもその言葉に私はリアルを感じない。会話で大事なのは聞くこと、というのはちゃんと喋れる人の理論だとすら思う。喋りたい瞬間に喋れないことがどんなに精神を蝕むものか知っていますか。会話をしていると、ここで自分の意見を言いたいとという衝動が自然と湧きあがる瞬間というのが必ず訪れる。その瞬間に喋れるかどうか、その瞬間に喋らせて貰えるかどうか。その瞬間に聞いてもらえるかどうか。会話が充実したものになるかどうかの境界線はそこにある。喋り上手な人は必ずしも聞き上手であるとは限らないが、聞き上手な人は喋り上手であることが多いように思う。逆に、喋り下手な人はほぼ間違いなく人の話を聞くのが下手だ。喋り上手な人はしばしば人の話を聞かない。というよりも、こちらに口に挟む隙を与えてくれない。それで済んでしまう場合もたまにはあるけれども、大抵は上手くはいかない。そういった関係においては、喋る側と聞く側とで役割が完全に分離してしまっている。それは会話ではない。聞き上手な人との会話では、ターン制というものが自然と完璧な形で生まれるようだ。ここで喋りたいと思う瞬間に喋ることが許される。これは心地良い。話を聞く、それに対応して喋る、その喋りに更に相手が反応して喋る。その、ターンの交代とでもいったものがごく自然に互いに妥協することなしに行なわれる。私は相手が喋り終わるまでじっと聞くし、相手も私が喋り終らぬ内に口を挟むような野暮な真似はしない。これが聞き下手な人相手だと、いつ口を挟まれるかと気持ちが焦って言いたいことをきちんと言えなかったりするものだが、聞き上手な人相手ではそんな心配をしなくても済む。そういう人は私が喋り終わるまでじっと話を聞いてくれる。話し上手な人相手に喋ることは私には難しい。そういう人は大抵人の話を聞かなすぎる。まるで私は喋る人で貴方は聞く人、という役割分担が当たり前であるかのように振る舞う。そういう会話はツライ。会話で大事なのは聞くことだとしても。では私はいつまで黙って聞いていれば良いのですか。ずっとですか。私は貴方の話を聞くために存在しているんじゃない。私は人の話を聞くのはもちろん大好きだ。でも私だって喋りたい時があるんです。会話ってそういうものではないのですか。私は貴方の話を聞くために存在しているんじゃない。会話っていうのは双方向的なものだと思っていたのですが実はそうではないのですか。私は貴方の話を聞くために存在しているんじゃない。私は喋ってはいけないのですか。私が取るに足らないことしか喋れないからですか。でも貴方は耳を傾ける姿勢を見せましたか。本当に見せましたか。それとも会話というのは自分の言いたいことを言う機会なのですか。相手に喋る隙を与えないことや自分の言いたいことを強引に捻じ込むことが会話に要求されるスキルだと言うのですか。相手の言うことを耳を傾けつつ自分のターンを待っているだけではいけませんか。待っている人間は喋る権利はないのですか。相手を黙らせてでも口を割り込まなくてはいけないのですか。会話とは結局そんなものなのですか。
2001/12/9 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#09
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月陽炎 [すたじおみりす]
心の中に積もっていた世界への敵意が消えていく感じ。4周して美月ハッピーエンド(?)まで。登場人物全員が甲乙付け難いくらい魅力的なギャルゲーというのも珍しい。柚鈴が好き。一緒にいられたら世界に敵意を抱いたりすることは一生あるまい。美月が好き。一緒にいられたら暗い夜道でもきっと少しも恐くないだろう。鈴香が好き。一緒にいられたら私は決して自分を見失わないと思う。彼女がいたら私はいつでもきりりと前を見て歩けそうな気がする。双葉が好き。彼女と一緒にいられたら世界はずっと新鮮な輝きを失わないだろう。私という人間は誰かと一緒にいたらその誰かを地獄に突き落としてしまう。私はそんなことは望まないが、でもどうしてもそうなってしまう。私が誰かを好きになったら私とその誰かの行く末はきっと一緒に地獄に落ちる以外にない。他人を信じられない私はそうすることでしか関係を保てない。誰かを好きになったら、きっと私は自分だけを見ろと要求してしまうだろう。私は(割と好きな)知り合いが別の人間と喋っているのを見るだけだって嫉妬を覚えてしまうような醜悪な人間なのだ。私が誰かを好きになるとは相手の世界を奪うことだ。でも本当は誰に対してもそんなことはしたくない。だから私は独りでいる以外にはないのだ、きっと。でも柚鈴が、美月が、鈴香が、双葉が、一緒にいてくれたら、私は自分の世界を保ち続けなおかつ彼女たちの世界をも奪うことなく、この世界で生きられそうな気がする。自分だけの世界ではなく、もっと大きな、人間たちの住む世界の中で彼らと一緒に生きられそうな気がする。世界が優しいとか優しくないとかじゃなくて、ただ彼女たちがいるだけで世界は信じるに値するものになるような気がする。
日記の書き方が思い出せません。
2001/12/6 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#06
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闇雲に誰かを傷つけてしまいそうな精神状態なので一回休み。
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上記とは関係なく。
たまに、すごく聞き上手な人に出逢う。
普段から、好意を持って話を聞いて貰うという体験に飢えている私は、そういう人に逢うと饒舌になる。最初は普通の世間話。だけどだんだん会話する時間が増えていくと少しずつ“自分について”語り出してしまう。甘えなのかもしれない。もしかしたらこの人なら、誰にも分かってもらえない何かを分かってもらえるのじゃないか…と期待してしまうのかもしれない。今、私はちょうどそんな状態にある。
以前にもそんな人と出逢った。けれどもその時は自分について語り過ぎて失敗した。その人が離れていった時、私はもう二度と自分語りはするまいと思った。その体験はちいさな痛みとして未だに消えずに残っている。今、聞き上手な人が近くにいる。もう二度と自分語りはしちゃいけないと誓ったにも関わらず、その人と喋っているとあまりの心地良さについ自分自身のことを喋ってしまう。そして喋るたびに後悔する。喋るたびに言いようのない不安を覚える。こんなこと喋ったらまたこの人も私の元を去ってしまう。きっと。でも、その人を前にするとやっぱり私は饒舌になってしまう。その人とお喋りをするのは楽しい。でもその人とお喋りをするのは不安だ。このまま行ったらきっと以前の二の舞になる。けど、分かっていても止まらない。
2001/12/5 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#05
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To be,or not to be,that is the question.
2001/12/4 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.hm#04
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かまくら[12/2]で紹介されていたエロゲ(フリーソフト)を遊んでみる。
割とああいう文章を書き慣れている人なのかしら。テキストは結構エロくて良い感じ。もしかすると商業ベースのエロゲよりもエロイかも…と思うのは最近私がエロゲをやってなくて免疫が落ちているからなのかしら。
ところでプロのライターを含めて、エロゲのエロを上手く書ける人って意外に少ないような気がする。何を持って上手いというかはひとつの問題なのだけど、私見ではこういうジャンルでの上手さとは、主人公の興奮がこっちに伝染してくるかどうか、に尽きると思う。ぶっちゃけて言えば勃つかどうか。これにはふたつのやり方があって、ひとつはとらハ3の忍とか檸檬[13cm]の各ヒロインのように(男性にとって都合の良い意味での)可愛さを徹底的に演出すること。もうひとつは、男性の肉体的快楽をできるだけ詳しく描写すること。もちろんこのふたつは完全に分離している訳ではなくて、多くの場合は両者が適度に混在しているものなのだが、それでもこの条件のどちらかをライターが意識的に書いているかどうかで、エロゲテキストの面白さは全然変わってくる。
私の見るところ、前述のフリーソフトはおそらく後者を意識して書かれている。それがこのわずか10分程度で終わってしまうようなエロゲに一種独特の色気を与えている…のではないか。
思い付きで書いてるので正確ではないかも。何か思い付いたらまた加筆もしくは訂正するってことで。
ともかく“エロゲー”が好きならお薦め。
2001/12/3 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#03
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キャリバンは(キャリバンであり続ける限り)一時的な感謝や賞賛を受けることはあっても尊敬を受けることは決してない。
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夜想曲[ショパン]を楽譜を見ながら聴くのはずいぶん久しぶりな気がする。
私はクラシックジャンルにショパンから入ったのだけど、それゆえショパンを集中して聴いたのはごく若い時分に限られていた。今になって、モーツァルトやベートーヴェンやバッハや他たくさんの作曲家の世界を巡った後で改めてショパンに戻ってきてみると、新しい発見が色々あって実に楽しい。わくわくする。恥ずかしながら、夜想曲
op.27-1 がこんなに美しい曲だったなんて今日まで知らなかった。
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村上春樹の著作を読んでいたら『魂の午前3時』なんてフレーズにぶつかった。誰しもが孤独に襲われて死にたくなるような時間帯、のことであるらしい。フィツジェラルドの言葉として引用されているのだが、このフレーズが目に入った瞬間、ぞくっと来た。さすがにプロの作家というべきか。よくこのような強烈な魔力が篭った言葉を吐けるものだ。
確かに深夜のある時間帯は人を憂鬱にさせる魔力がある。自分がものすごく孤独に感じられたり惨めに感じられたりするのは大抵こういう時間帯だ。こういう時間帯には本当は何も考えない方が良い。…のだが、憂鬱に囚われるととにかくそこから脱出しようと焦って、却って色々なことを考えてしまったりする。そしていよいよ精神は澱んでいく。いや、それだからこそ『魂の午前3時』なのか。
村上春樹は、こういう時間帯には目を覚まさない(寝ている)のが一番、と言っていた。
なるほど、確かにこれがもっとも良い解決方法だろう。
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裏掲示板募集は最終的にお二人様の申し込みが。
ありがとうございます。
2001/12/2 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#02
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まほさろさん[12/2]を受けて少々フォローをば。
あの募集要綱は私の書き方にも問題があったかなと思っておりまして。既にある程度完成されているコミュニティーに入るのは大変に勇気の要ることですので―それだからこそ今まで募集しなかったんですが―『話題が誰の興味も引かなかった場合はレスがつきません』とか脅かすようなことを書くのはさすがに不味かったです。
まあ私個人の見解としては、義理レスが一切存在しなくてもメンバー同士上手くやっていけている、ということが密かに誇りだったりもするのですが。
ただ、これはネタバラシ&言い訳ですが、裏掲示板の約2年の運営歴の中では、レスが付かないことに切れて出ていってしまう方がいたなんてこともあって、そういう苦い経験ゆえ、メンバー募集にはかなり慎重になってしまうのです。
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「来よ、いとし友、ここに幸あり」
というのはどこの部分なんだろうとかちょっと考えてしまいましたが、
Komm her zu mir,Geselle,Hier findst du
deine Ruh' !
(私のところへおいで、若者よ、ここならお前は憩いが得られる!)
ですねおそらく。
それにしても中学校の音楽で菩提樹を習ったというのはなんだかちょっぴり羨ましいかも。羨ましがられても困るでしょうけど。過去を回想する歌なだけに、この歌が中学生(少年)時代の何らかの風景と結び付いて思い出されたりするのだとしたら、それは幸福なことのように思えます。私は20代半ばを過ぎるまでこの曲のことを知りませんでしたし。
ところでココロ図書館は気に入って頂けたようでホッとしています。
仰る通り、あの作品についてはこころん達が住む世界の空気をただまったりと呼吸するのが一番幸せだと思います。当初私は、原作の箱庭世界がなくなってしまったことに戸惑ったのですが、美凪と往人とみちるの三人がそうであるように、あの三姉妹も場所とか関係なく一緒にいればそこがそのまま楽園になってしまうような空気を纏っています。そこがあの作品の魅力だと思う次第。
よろしければ原作なども読んでみてくださいな。
アニメとはまた少し違った小さな世界の物語が展開されます。
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例によってCoCo壱で遅い夕食を取った後、何気に入った古本屋でリミックスタイム[すんぢ/ラポート]を発見。即購入。
今読むとさすがに(お話が)少々古い印象を受けるけど、やっぱり懐かしいし、和みます。この悪意のなさっぷりはココロ図書館とかにも通じるものがあるかも。
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アララト [共月亭/宮下未紀]
このタイトルってどこかで聞いたことあると思ったら、中表紙の「箱舟がたどりつくところ」というコピーで納得。大洪水の後にノアの箱舟が降りたアララト山。聖書の中でも、鳩がオリーブの葉をくわえて戻ってくるエピソードはとっても綺麗で印象深いです。
でも中身はののみたん18禁漫画なのだがな(笑)。
なんにせよ、ののみたんの可愛さは犯罪です。
いや、ゲームの方はやってないので実際にどうなのかは分からないのですが。でもこのクオリティーの同人誌があったら別にゲームやらなくてもいいやんと思ってしまう。どうせ
PS じゃ抱けないんだし。<<待てヤ
そういえば前作『流れる星は生きている』とはカップリングが違うのね。
前回は「あっちゃん×ののみ」今作は「たかちゃん×ののみ」
と言っても男キャラ名前は私は分からないし割とどうでもいいのですが。
でも後書きによると「たかちゃん×ののみ」は体格差が美味しすぎる、らしいので(笑)俺的に後者の方が。
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innocence [いもむや本舗/あずまゆき]
先月、シスプリ咲耶本で私の理性を崩壊させたあずまゆき氏の新刊(?)。
前回の咲耶本と同じくこの本も待ち合わせシチュから始まるのだけど、描写が相変わらず抜群に上手い。ののみの照れ顔にたかちゃんの不意打ち。萌えすぎて死にそう。あと、カップリングは同じなのだけど、アララトと比べるとこちらの方が身長差が強調されていて、ののみがすごくちびっこく見えて、その辺りも好感度大。
それからこの人の描くえっち描写ってすごく独特の上手さがある。咲耶本にしても今回のののみにしてもそうなのだけど、描写自体はかなりエロいのにあまりエロくは見えないというか、「エロ」というより「えっち」という言葉の方がしっくり来るような雰囲気があって、やることはしっかりやっているにも関わらずその行為は肉欲とかをほとんど連想させなくて、要するにふたりでただひたすらイチャイチャしているだけに見える。この人がえっち描写を描くと、その行為は好き同士なふたりが一緒に何かして遊ぶ、というものとほとんど変わらないものになる。彼らはただ一緒にいることの心地良さを満喫しているのであってそれ以上でも以下でもない。そういうところにこそ、あずまゆき氏の漫画の魅力があるのだと思う。最後に、コトが終わった後の「余韻」をしっかり描いているのも非常にGood.
虎の穴が射程内にあってちっちゃいこ好きなら必読でしょう。むしろ通販を使ってでも買うべし。ちっちゃいことのイチャイチャ描写の上手さ(萌え度)は、かのMITAONSYA氏にすら匹敵してます。
既に私内部ではバイブル決定。
2001/12/1 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-12.htm#01
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最終兵器彼女6巻を読んだら目が冴えてしまった。
なんてお約束な。
この作品を読んでると、どうしてもシューベルトの菩提樹を思い出してしまう。菩提樹は別に恋の歌ではないのだけど、ここには最終兵器彼女に通じる雰囲気が確実にある。なんと言ったら良いだろう? これは幸せだった過去を回想している歌なのだが、過去に思いを馳せるといってもその性格は例えばショパンなどとはまるで違う。ショパンの作品には昔を懐かしみ思い出に閉じこもっているような雰囲気があるが、シューベルトの場合はちゃんと地に足が着いており、思い出の中に埋没したりはしていない。
幸せな記憶がある。ショパンはそこに二度と帰れないことを嘆く。シューベルトにあっては、幸せな記憶というものは“ただ所有している”ものであって、それは懐古の対象とはならない。彼にとっては、幸せな記憶を所有しているというだけでもう十分なのだ。幸せな記憶がある。それは過去のことであり、もう二度と取り返しは付かない。けれどもどうしてそれを嘆くことがあるか。あの日、あの場所で起こったことは今はもうどこにもない。だけどそれは確かにあったのだ。わたしはその記憶を持っている。それはもう何物によっても打ち消されることはない。シューベルトの扱う“思い出”とはこのようなものだ。そういう人の書いた音楽だから、ここには憂鬱や嘆きの色は微塵もない。ただひたすら安らぎに満ちている。
このちいさな歌が私の内部で最終兵器彼女と結び付くのは、ここで語られている幸福が一点の曇りもないようなものでありながらも実はそれが過去のことであり、既に失われてしまっているという点にこそある。菩提樹の主人公の回想は限りなく美しい。しかしその回想が完璧に美しければ美しいほど、却って聴き手である私は、それが既に過去のものであることに微妙な悲しみを覚えずにいられなくなる。そして、あの恋物語に出てくる若いふたりも、そういう雰囲気を纏っている。彼らの立っている場所は崖っぷちだ。いつ奈落に転落してもおかしくないような場所で、彼らは一生懸命生きている。ある瞬間に彼らが幸せに見えたとしても、読者である私は、その幸せに全的な幸福感を覚えることができない。むしろそれが美しければ美しいほど、それが崩壊する未来を恐れずにいられなくなる。菩提樹の主人公の回想がそうであるように、最終兵器彼女の彼らも(あのような極限に置かれていながらも)嘆きや諦念とは無縁に生きている。それだからこそ美しいのだが、同時にそれゆえにいよいよ不安を掻き立てられるというこのアンビバレンツ。
最終巻がどのような展開になるにせよ、ちせとシュウのふたりは今まで頑張って生きてきた。生きてきた、ということ以上に何を望むことがあるだろう…とシューベルトなら言うかもしれない。
それにしても。菩提樹の最後の段落が繰り返される際にピアノが奏でる対旋律(伴奏に非ず)の至妙な美しさといったら。ほとんど、ちせとシュウへの祈りか、いっそ賛美歌かなにかのように響く。
ところで、最終巻はクリスマスの日に出るそうで。
今年のクリスマスは少なくともひとつは美しい贈り物を貰えそうです。
BGM.
“Der Lindenbaum” Franz Schubert
Dietrich Fischer-Dieskau (Bariton).Daniel
Barenboim (piano)
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蛇足ながら付け加えておくと、音楽と何か他の作品を結び付けて語るのは基本的には『戯れ』以上のものではないと思っています。例えば私は、ベトさんのピアノソナタ作品110とAIRとの間に深い繋がりを見ているのだけど、これはあくまで両者を知っているからこその発想なので、例えばAIRのイメージを期待して作品110を“聴いてみる”というのは本末転倒ではないかしら…?ということ。
最終兵器彼女と菩提樹についても同じこと。
菩提樹を知っている人なら賛同してもらえる可能性もあるけど、いずれにしても最終兵器彼女のイメージだと“誰かが言ったから”聴いてみる、というのはおそらく違うと思うのです。もちろんそれが別のジャンルへ足を踏み入れる切っ掛けになることもあるので一概に否定はできないのですが。
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土曜日の分、追記色々。
午後12時起床。
2時間ほどもたもたしてた後、ふらーりと上京。
三省堂書店[神保町]で予めチェキしておいた本を購入後、秋葉原を物色。同人誌25冊(主にののみたんとかののみたんとかののみたんとか)、エロ漫画5冊、同人ソフト2枚、花右京メイド隊DVD3巻及びDVDシングル3枚、ノートン・アンチウイルス。
それからUFOキャッチャーでAIRマスコットキーホルダーを漁る。800円で7個。美凪が二つも取れたのでかなり満足。
帰り間際、メッセサンオー本店/2Fにて、シスプリ新作を予約。全額前払いというのが釈然としないが。
往きは道路がやたら込んでいてちょっと苛々したのだが、到着所要時間がいつもと同じ2時間半だったことを考えると、実は道路混雑はいつもどうりで単に私の精神状態か体調が良くなかっただけだったのかもしれない。
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帰宅後、同人誌を読みながらウィルスチェキ。4個ほど感染しとりました。全部
BADTRANS. 一応、身内に確認してみた限りでは誰にも送信されていなかったらしいですが、もしどなたかの所へ届いていたらごめんなさいです。メーラーを
OE から Becky! に変えてウィルスチェキソフトを導入したので、おそらく今後は大丈夫だと思います。
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チェキと駆除が一通り終わったところで、らむちゃへ参戦。今回は総勢12人の大所帯。話題は主に萌え文集についての打ち合わせとか猫とか娘とか投票話とか。
ところで申し訳ないのですが、萌え文集企画は私は不参加にしておいてください。いや、私見では(私の書く)萌え文章というのは日記中の添え物みたいな位置付けで、真面目な文章と混在しているからこそ面白くなるものだと思っておりますので。申し訳ないです。
(混在、とかその辺りのバランスは実は割と計算して書いてたりします)
葉鍵最萌トーナメント。天野さんまさかの一回戦敗退。絶対圧勝するだろうと踏んでいただけにこれは予想外。まあしのぶ個人はどっちかっていうとすばるたんに萌えているんですが。DC版こみパ、PC18禁に逆移植しないかなあ。すばるたんハァハァ。
文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp