とらいあんぐるハート 感想(ver.1.0)


◇Index

・野々村小鳥
・鷹城唯子
・御剣いづみ
・千堂瞳
・綺堂さくら


◆小鳥シナリオ。(2001/6/11)

 絵が下手。シナリオも、あってなきが如し。同じ設定で、もし都築さん以外の人がシナリオを書いていたら、まず間違いなく駄作になっていたでしょう。3をやった時も思ったのですが、こんなチンケな話が、都築さんの手に掛かるとどうしてこれほど魅力的になってしまうんでしょうね。ああちなみに、絵の下手っぷりは余裕で脳内補完できるので、問題はなかったりします。信者として当然でしょう。画面に映っているのが、瞳先輩と小鳥の一枚絵[音楽室]であっても、私の頭の中では、特にそうしようと思わなくても、真一郎に抱っこ&スリスリされて慌てまくっている小鳥、の場面がしっかり展開されてます。ああくそー。小鳥の可愛さっぷりは犯罪じゃないのか。おのれ(謎)。

 話は変わって。
 今回、改めてプレイしてみて感じたんですが、初代はコンセプトからして恋愛物語であるはずなのに、真一郎と小鳥の関係って恋人同士には見えないんですよね。なんて言ったらいいんだろう。いわゆる、世間的な意味での恋人というモデルに彼らを当てはめるのはなんか違うんじゃないか、という気がして。彼らは一体、自分たちの関係をどう認識しているんだろうと考える時、コイツらは多分何も考えてないんじゃないかと、どうしても思われるんです。

 例えば、ONEのみさき先輩の台詞の中の非常に重要なもののひとつに『わたしたち、恋人同士に見えてるかな?』っていうのがありますが、こういう感覚、周りに恋人同士であると認められたいっていう感覚は、私には結構リアルなものと映るんです。友達関係であれ恋人関係であれ、世間の多くの人は、そういった関係に、あるイメージ−憧れとでもいうか−を抱いていて、彼らの言動はしばしばそれらに沿って規定されます。そういうイメージを、自分でも体験したい、と願うのです。

 でも、とらハのコイツらはそんなこと全然考えてません。少なくとも、ゲーム中で、彼らが恋人のイメージを意識しているような描写は皆無です。おそらく、彼らにとっては、自分たちが世間的な意味で恋人であるかどうかなどどうでもいいことなんでしょう。彼らにとっては、そんなことよりも、目の前にいる大切な人が笑っているかどうかがすべてなんです。

 このシナリオは、屋上での告白という、これ以上ないくらいベタな展開があるのですが、これは普通そうであるような、恋人関係になるための儀式、的な意味をまったく持ちません。真一郎は、ただ、小鳥に自分の気持ちを伝えるために告白します。この告白は、恋人関係になるための手続きではありません。もっと君の傍にいてもいいだろうか? ぼくは君を守りたい、ぼくは君の笑顔をもっと近くで見ていたい、ぼくが君にとってそんな存在になることを許してくれるだろうか? という問い掛けです。この告白によって、真一郎と小鳥の関係は、なんら変化していません。ただ、ふたりはもっともっと仲良くなっただけです。元々、真一郎にとって小鳥は掛け替えのない存在だったのですし、小鳥にとっても真一郎は掛け替えのない存在でした。彼らは、告白によって、お互いの大切さを確認し合っただけなのです。もし彼らの関係の変化を仮に指摘するとしても、それは恋人同士になったということではなくて、『大切な人』が『一番大切な人』に変わったということに過ぎません。いや、もちろんその違いは大きなものであるとも言えるのですが、いずれにしても、真一郎と小鳥にとって、自分たちの関係を意識することは、それほど重要なことではないのではないか、と思うのです。

 …うだうだ書いたところで、個人的名場面をひとつ挙げておきたい。

 初えっち時の描写。抱かれる前に、小鳥の心臓がバクバクいってるのを真一郎がなんとか落ち着かせようとするくだり。こういうところをじっくり描くのが都築さんの素晴らしいところではないでしょうか。あと、また今度にしようか?とか真一郎に言わせてしまう辺りとか。優しさの氾濫、とでも言ったらいいのかな。あと、終わった後で、痛かったよぉって感じで小鳥が真一郎に抱きつくくだりは理性なんかふっ飛ばして転げまわりたくなります。

 そして、今回プレイしたなかで一番心に突き刺さった台詞。

 …でも、いっぱい、しようね

 あ、ごめん、さっきのなし

 真くん、声、かわいーの…。なんか、しあわせになっちゃう

 なんで一番が3つもあるんだとかいうツッコミは野暮ってもんです。台詞を確認するためにゲームを再起動しちゃったんだし。あああ、3番目の台詞、言われてぇ。あんな台詞言われたらもう死んでもいいですよマジで。小鳥好きじゃーーーーーっ!!!

 そうそう、もうひとつ言っておかなければならないことがあったのを忘れてた。
 
 お父さん(都築氏)、小鳥さんを僕にください。


◆唯子シナリオ。あるいは、鷹城先生の少女時代。(2001/6/13)

 もし、とらハ3のレンシナリオに鷹城先生が出てこなかったら、おそらくとらハ1を再プレイする機会はなかったでしょう。レンのクラスの担任として鷹城先生が登場した時は、びっくりしたと共に、本当に嬉しかったものです。あの、マヨネーズドカーンの女の子が、自分の長身にコンプレックスを抱いていて真一郎に自分の気持ちを伝えることができなかった女の子が、真一郎への気持ちを吹っ切るために真一郎と小鳥をくっつけようとして逆にふたりに心配を掛けて真一郎に怒鳴られたあの女の子が、護身道大会準決勝で千堂先輩に負けて真一郎の胸でボロボロ泣いたあの女の子が、いつのまにか成長して、立派な社会人になって、中学校の先生をやっている。でも、唯子はやっぱり唯子のままで、相変わらず、真一郎と小鳥と、三人仲良くしていることも、家庭訪問イベントで明らかになります。真一郎と小鳥の存在を匂わせるような台詞が出てきた時は、懐かしくて涙が出そうになったものです。今でも仲良しのふたり、というフレーズを聞いた時、私は、ああこの女性は間違いなくあの唯子なのだ、としみじみ思ったものでした。

 で、初代の話。

 やはり、この物語が盛り上がるのは、フォーチュンリングが出てくる辺りからでしょう。幸いなことにと言うべきか、私は、白のリングか銀のリングか、の運命の2択でどちらを選ぶとどういう展開になるのかという辺りをすっかり忘れてしまっていたので、おぼろげな記憶を頼りに、不正解(白)→正解(銀)の両方を試してみることにしました。

 で、今回プレイしてみてひとつ気がついたのですが、この選択肢って、プレイヤーを物語に引き込むためのかなり巧妙な演出手段なのではないでしょうか。普通に考えれば、あの状況でプレイヤーが選択するのは白のリングになるはずです。ななかに、リングが意味するサインを教わった後でなら、プレイヤーは当然、唯子の気持ちに応えるべく、白のリングに名前を入れて唯子に返そうとするはずなのです。でも、この選択をすると、唯子と結ばれはするものの、ゲームはあっさりと終わってしまいます。ではあの2択で銀のリングを選ぶとどうなるか。2択を見た時点で今後の展開を予想できた人がいたらすごいと思うのですが、おそらく多くのプレイヤーは、ここで初めて銀のリングの意図を知ってびっくりするはずです。

 元々、真一郎から唯子への最初の告白は、真一郎の意図とはまったく無関係に生じてしまった事故でした。でも、それにも関わらず、唯子は真一郎にリングを返します。誤解なのだと知りつつも、わずかな望みに縋って、唯子は真一郎にリングを投げ返すのです。これは、言ってみれば、唯子からの精一杯の告白でした。こう考えてみると、あの白/銀の2択は、実は、唯子からの告白を受けるか、それとも事故の存在をリセットして真一郎の方から改めて告白するか、という重大な2択であることが分かります。あるいはどちらから告白しても変わらないのじゃないのかと思う人もいるかもしれませんが、こと唯子に関する限り、これは非常に重要だと思うのです。

 鷹城唯子という女の子は、自分の長身にコンプレックスを抱いていて、自分は真一郎に釣り合わないのではないかなどと余計な気を回してしまうような女の子でした。その唯子だからこそ、自分の告白を真一郎が受け入れる、のと、真一郎が自分に告白してくれる、のとでは意味が全然違うのです。なぜなら、後者の“真一郎が自分に告白してくれる”は、唯子にとって、“他の誰でもなく、自分を、真一郎が選んでくれた”ことを意味するからです。もちろん、真一郎もそのことを知っています。だからこそ、告白は俺の方からしなくちゃダメだ、と真一郎は言うのです。こういう描写こそ、都築氏の真骨頂というべきでしょう。都築作品の優しさは、優しい振る舞いであるというよりも、むしろ、相手を心から大切に思う姿勢、ではないでしょうか。

 理屈くさいレビューは以上。
 今回の名台詞。

 ふく…ぬがせて…

 どこの場面か分からない人はやり直してみましょう。この時の唯子の声は、脳がとろけそうになるほど甘いんですよもうアナタ。ある意味、唯子の甘えっぷりは小鳥以上に可愛いかもしれず。


◆いづみシナリオ。(2001/6/15)

 個人的には、このシナリオで一番魅力的なのはいづみではなくて真一郎だなぁというのが、今回プレイしてみての印象。いづみ萌えな人にはもちろん異論があるでしょうが。や、もちろんいづみも可愛いんですけどね。食券を貰った後真一郎を置いて速攻ダッシュするところとか(笑)。中盤の別バージョンのいづみは、あれはいづみじゃないです。ああゆう“しおらしさ”までひっくるめて萌え、っていうのはアリかもしれないけど、私的には、いづみはなによりもまず、さっぱりした性格の女の子だし、そういうところが良いのです。多分、真一郎によってもそうでしょう。男友達のような彼女、というのはあるいは言い過ぎかもしれませんが、そんな感じ。

 で。このシナリオが面白いのは、やっぱり真一郎がイイ男だからって点に尽きると思うんですよね。このシナリオの真一郎は、自分と相手の立場というやつを、すごく正確に認識していて、そこが、見ていてとっても清々しいのです。

 御剣は…俺のこと、『好き』かもしれないけど、『恋人』としては、多分見ていない…
 (中略)
 抱き合ったのも、きっと今だけ、つらいことを忘れたかったから…。
 (中略)
 …御剣の気持ちが落ち着いてきたら…、少しでも、俺のことを後悔しはじめたら…。
 俺の方からなるべく明るく、別れを切り出そう。
 …『抱き逃げ男』で、別にいい。
 こんな、つまづいて転んだみたいな一晩で、この優しくて強い女の子を縛れるなんて思わない。


 真一郎は、忍者の検定で失格になって落ち込んでいるいづみに手を差し伸べ、いづみも、真一郎の優しさに甘えます。そして、ふたりは初めて体を重ねる。でも、真一郎は自分のしていることの意味がちゃんと分かっているんですね。いづみが自分に甘えてくるのは、心の拠り所が欲しいから。だから真一郎は、自分が、いづみのためのささやかな避難所になってやろうと思うんです。それ以上は望まない。いや、望むかどうかというよりも、落ち込んだいづみを慰めることを切っ掛けとして恋人関係になってしまうことを、真一郎は良しとしないのです。もっと正確に言えば、いづみにそういう関係を要求したくない、ということでしょう。

 ……落ちてきちゃった……。
 強くて綺麗だった羽根を自分で捨てて。
 こんな俺の所に。


 だから、翌日、忍者を諦めて真一郎様のために尽くしたい、といづみに言われても、真一郎はそれを素直に喜ぶことはできません。彼はいづみの気持ちを受け入れるのですが、そこにはなにかしら落胆のようなものが感じられます。元々、自分はいづみの逃避場所を用意したつもりだった。なのに、いづみは、その逃避場所に安住しようとしてしまっている。逃避場所こそ、自分が本当にいるべき場所だと思っている。あるいは思い込もうとしている…。彼は、自分のためにいづみが変わってしまうことに、良心の呵責を感じてしまう。

 私が、真一郎を本当にカッコイイと思うのは、こういう場面です。


瞳シナリオ。(2001/6/18)

 わたし以外の女の子にそんな顔しないで

 とかヤバすぎます。脳に直接攻撃を食らってくらくら〜って来てる感じ。物語としては特に平凡なものだと思うのだけど、瞳ちゃんの甘々っぷりはそれだけでこのシナリオを代替できないくらい魅力あるものにしてます。実は嫉妬深い瞳ちゃん素敵。

 ところで。考えてみると、とらハの物語ってすごく健全だなーと思うんですよ。東鳩とかONEみたいに、癒されるべき対象っていうのが、基本的にはとらハシリーズには出てこない。女の子が抱える問題を主人公が解決する過程でふたりが仲良くなっていく、という図式が、とらハシリーズではおそらく意識的に排除されているように思うのです(3のレンは例外かも)。

 とらハシリーズで語られる恋愛は非常にシンプルです。ただ、ひとりの男の子と女の子が出会って、その後、繰り返し会って同じ時間を共有することで、少しずつ仲良くなっていく。優劣の問題ではもちろんありませんが、例えばONEにおける恋愛が、お互いを切実に必要としているような関係であるとすれば、とらハの恋愛というのは、ただ好きな人と一緒にいたいという程度のものです。前者の恋愛が、必要性に基づいているものだとすれば、後者のそれは単に快不快のレベルのものだと言えるでしょう。

 私はもちろん、今もってONEがギャルゲー界の生んだもっとも美しい作品であることを信じていますが、それはそれとして、とらハのこのシンプルさは非常に好ましいです。とらハの主人公はヒロインにとって必要な存在になるのではなく、ただ、好かれる存在になるだけです。前者のような物語の方が、プレイヤー側としては感情のうねりが大きくなる(身も蓋もない言い方をすれば、泣けるということ)のですが、後者のような物語の方が、私にとっては身近なものに感じられます。

 おそらく、とらハシリーズの登場人物たちは、“好き”に理由がないのです。わたしを助けてくれるからとかわたしを守ってくれるからとか、都築キャラはそういうことを考えないんです。ただ、一緒の時間を過ごす中で、いつしか、その人の存在が心地よくなっていく。もっと一緒にいたいと思う。もっと、好きな人の笑顔を見たいと思う。好きな人に触れたい、触れられたいと思う。彼らが考えているのはただそれだけなんじゃないでしょうか。とらシリーズの恋愛には理由がない、ということは、ギャルゲーの中でのとらハの位置付けについて考えるのに、重要なことであるように思われます。

 ごめん、抽象的すぎ。瞳シナリオ及び瞳ちゃんについて全然語ってない。ていうか、どうやって語ったらいいのか誰か教えてください。だって、このシナリオって、瞳ちゃんが真一郎を好きになる理由も、真一郎が瞳ちゃんを好きになる理由もないじゃないですか。ただ、時間がふたりを近づけたっていうだけで。もちろん、それこそがこのシナリオの素晴らしいところなんですけど。

 あと一点。
 歩道橋(だと思う)の上で瞳ちゃんにキスするイベント。ここでキスしない選択をすると瞳シナリオ・ノーマルエンドに行くんですが、こちらのエンディングも非常に面白いです。このエンディングは、告白に失敗はするが友達のまま、というものなのですが、こういう展開は、女の子と恋仲になることが主目的であることが多いギャルゲー界にあって、非常に珍しい気がします。このノーマルエンドでは、瞳ちゃんと真一郎は、ほとんど本当の姉弟のように描写されます。敢えてネタバレは避けますが、まだ見ていない人がいたら(いるのか?)、一度は見ておくことを強く推奨します。これはとらハ随一の、微笑ましいエンディングですから。

瞳シナリオ、その2。(2001/6/20)

で、瞳ちゃんらぶらぶ、な話。
 考えれば考えるほどいよいよ分かってくるんですが、都築氏の、魅力的なキャラクターを作る才能っていうのは並々ならぬものがあるようで。よくよく思い出してみると、とらハのメインヒロイン5人の中で、前半と後半(告白後)とでのギャップが一番激しいキャラは瞳ちゃんなんですよね。前半の千堂先輩は、護身道部の主将で、学業も優秀で、いつもキリッとしてて、でも友達の前では優しくて物腰も柔らか、というおよそ完全無欠なキャラクターなんですけど、後半、真一郎と恋人同士になって以降の瞳ちゃんは、ただひたすらに可愛いキャラになっています。敢えて誤解を恐れずに言えば、護身道部主将の千堂先輩は、真一郎の前では、ひとりの弱い女の子になっているとも言えます。

 そもそも告白後の最初の台詞からして、瞳ちゃんの可愛さっぷりが炸裂しています。『わたし、わがままよ。覚悟してね 』なんて、これはもう今までの瞳ちゃんのキャラじゃないです。でもこの台詞が出てくる時、瞳ちゃんの魅力は一気に10倍に跳ね上がります。これは私見かもしれませんが、友達関係、恋人関係にあっては、わがままはひとつの親愛の表現です。私は、好きな人(loveでもlikeでも)にわがままを言われると、ああ俺信頼されてるんだなぁと思って嬉しくなってしまう人です。真一郎が告白した後、瞳ちゃんは立て続けに『わたし、わがままよ。覚悟してね 』『浮気したら殺すわよ 』とか言ってくる訳ですが、この台詞は凄いです。選りにも選って、あの瞳ちゃんの口からこういう台詞が出てくる。これらの台詞のインパクトの前では下手な告白の言葉や喜びの言葉など霞みます。私は、真一郎の立場に自分を置いて、ああ愛されてるんだなぁとしみじみ思って幸せに気持ちになれます。

 『わたし以外の女の子の前でそんな顔しちゃダメ 』と瞳ちゃんは言うのだけど、他ならぬ瞳ちゃん自身が、真一郎の前では、別人のように可愛い女の子になっている。相変わらず、護身堂部主将としての瞳ちゃんは格好良いのだけど、真一郎と一緒にいる時の瞳ちゃんはひたすら甘々なキャラです。

 あともうひとつ。瞳ちゃんと真一郎が喧嘩して、その影響で、護身道の大会で瞳ちゃんが全力を出せなくなってしまう、なんてイベントがありますが、こういうところも、都築氏のキャラクター造形の上手さが非常によく現れていると私は思います。普通に考えたら、真一郎と喧嘩したことを引きずって大会で実力が発揮できなくなる、なんてイベントは、むしろ唯子の方にこそ相応しいのではないでしょうか。ところが都築氏は、唯子シナリオの方では、逆に唯子を強いキャラクターとして描写しています。大会前を目前に控えた状況で気持ちが弱くならないようにと、真一郎に敢えて会わないようにする、なんてイベントは、むしろ本来的には瞳ちゃんのキャラクターであるはずです。

 しかしこの逆転は、本当に素晴らしい効果を生み出しています。唯子は真一郎と恋仲になることで強くなり、瞳ちゃんは真一郎と恋仲になることで弱くなる。この逆転によって、都築氏は、ふたりの魅力を最大限に引き出すことに成功しています。小鳥や唯子は最初から可愛いキャラクターです。それに対して、瞳ちゃんは可愛さが徐々に明らかになっていくキャラクターです。あるいは主人公本位な言い方をすれば、真一郎(=プレイヤー)だけが瞳ちゃんの可愛さを引きだし得、真一郎だけが瞳ちゃんの可愛さを独占できる、という風にも言えるでしょう。とらハの物語は多かれ少なかれそうなのですが、この瞳シナリオは、とりわけ、キャラクターの魅力が物語を良くしている好例であるように思われます。


◆さくらシナリオ。(2001/6/22)

 最強萌えゲーの称号は伊達じゃないことを再認識しました。ヤバイです。今、さくらの魅力は?とか聞かれたら、『えっちなところー』とか朗らかに答えちゃいそうです。幼い外見にしてあの色っぽさは只事ではないです。あ、私が言ってるのは別に発情期のことでもなければえっちシーン自体のことでもなくてね。むしろ、そうでない時のちょっとしたしぐさとかが、妙に色っぽいんですよもう。これって絶対確信犯でしょう(→都築氏)。

 例えば、真一郎が怪我した指をさくらが舐めるエピソード。普通に怪我した指を舐めるだけでもかなり色っぽいと思うのだけど、都築氏が描くと、それに加えて“コクコクと”血を飲む描写が出てくるんです。これはもちろん、後々のさくらの正体に関する伏線としての意味もあるんでしょうけど、伏線とかなんとか以前に、この描写は反則です。

 それから、何回目のえっちシーンだったかで−というか正確にはそのちょっと前なんですけど−真一郎がさくらを抱っこしてベッドに運ぶシーンがあるんですが、ここで、抱っこされたさくらが真一郎の首にきゅっと抱きつく描写が出てくるんです。ここはテキストだけでわずか1行の、うっかりすると読み飛ばされてしまうような些細な描写なんですが、さりげなくこういう小技を効果的に使ってくるのが都築氏の凄いところです。この時のさくらは本当にまったく何にも考えてないです。もうほとんど本能とかそういうレベルで、好きな人の首に抱きついてしまったに過ぎない。でも、この時の仕草はあまりに無防備であるゆえに、却ってさくらの全幅の信頼が伝わってきます。

 もうひとつ。というかそれとは別にこのシナリオの良い点について。
 ギャルゲーというのはどんな作品にしても、もちろんとらハシリーズすら例外ではなく、多かれ少なかれ退屈な前半部というやつを通過しなければなりません。物語の導入部分はどうしてもキャラクター紹介等のイベントに費やされてしまうので、これはもう避けられないギャルゲーの宿命みたいなものとも言えるかもしれませんが、その中にあって、さくらシナリオは展開の仕方が非常に上手で、退屈を感じにくい作りになっているように思えます。要するに、トップスピードに乗るまでの時間が短いというか、物語が本編に入ったと実感できるまでの時間が他のシナリオに比べて早いのです。例えば、他のキャラのシナリオならまだみんなで過ごす日常の中にいる辺りで、さくらシナリオでは−最初は友達関係ですが−既にふたりきりの時間が始まっています。

 余談ですが、図書館でさくらとお昼を食べるエピソードは、特に色っぽい描写とかがある訳ではないものの、非常に私好みです。身も蓋もない言い方ですが、サンドイッチをパクパク食べるさくらがもうむちゃくちゃ可愛いのです。これは経験のある人にはすぐに分かってもらえると思うのですが、食事っていうのは控えめに上品に食べるぐらいならいっそ多少無作法であってもガツガツ食べてもらえるほうが、作った側としては嬉しいものです。理屈ではなく、食べ物を美味しそうに食べる人はそれだけで好印象を持たれやすいのです。こう書きながら、ついうっかりONEの茜シナリオを思い出していたりするんですが、それはともかく、このエピソードは、真一郎とさくら双方の気持ちをさりげなく近づけている、意味深いエピソードです。

 話を戻します。さくらシナリオは結果的に、恋愛物語としては他のシナリオと比べても極めて密度が高い印象を受けるのですが、どうしてこういう違いが生まれてくるのかを考えてみると、興味深いことが分かってきます。結論から先に言えば、このシナリオの密度の高さは、綺堂さくらというキャラクターの設定から来る必然なのです。
 
 ちょっと考えてみると分かるのですが、さくらという女の子は、5人のヒロインの中では、真一郎との距離が一番遠いキャラです。唯子と小鳥といづみはゲームが始まった段階で既に友達関係ですし、瞳先輩は最初こそ他人であるにしても、唯子が護身道部にいる関係で、割と自然に傍にいて同じ時間を共有することができます。さくらを除く4人のヒロインについては、不自然さをあまり感じさせずに真一郎と一緒にいさせることができるので、恋愛関係に発展させるにしても、何か切っ掛けを与えてどちらかの背中をおせばそれで事は足ります。それと比べると、さくらの場合は他人でありまた他のキャラとの接点も薄いことがあるので、一緒にいられる理由がありません。従って、さくらと真一郎の場合は、そもそも恋愛以前に友達として一緒にいる切っ掛けを用意してやる必要があるのです。また、さくらの性格から言っても他のヒロインたちと絡ませる(一緒にお昼ご飯だとか、みんなでカラオケだとか)のは難しいでしょう。

 このシナリオは、真一郎とさくらのふたりの接点が薄いので、ふたりが知り合い、友達になり、更に仲良くなっていく描写に説得力を持たせるために、小さなエピソードを積み重ねる必要があったのです。前半部分だけ順を追って見ていっても、真一郎がさくらを保健室に連れていくイベント[おそらく他人に無関心であったであろうさくらが真一郎を意識する]から始まって、図書館で鳩と戯れるさくらを真一郎が見つけるイベント[真一郎もさくらを意識するようになる]があって、立て続けに指の傷舐めイベント[いわゆる吊り橋効果?と考えるのはさすがに飛躍しすぎでしょうか]が起こります。それから少しして、ふたりは図書館で一緒に食事を取るようになるのですが、その間にも、ナンパされているさくらを助けたりと、細かなエピソードが挿入されていたりします。このシナリオが、超強力ガード不能コンボ(注.1)の存在によってインパクトの非常に強いものになっているのは周知の通りですが、それ以外にも、ふたりの気持ちが近づいていく描写が非常に丁寧に分かりやすくなされていることも、もっと注目されて良いのではないかと思います。



 恒例の名台詞大賞。

 私、わがままですから
 うっそだぁ、さくら、いー子だよ
 ……先輩が、もっといい子だから…
 私がしてほしいこと、いつもしてくれるから
 わがまま言う必要が、ないの


 これこそ、さくらシナリオ中もっとも美しい台詞だと私は思っているのですが、更に私見を付け加えるなら、これは最強の萌え台詞(注.2)であると同時に、とらハシリーズ全編に一貫して流れる優しさの表現のひとつのモデルとしても、非常に重要な台詞です。とらハシリーズの心地よさについては、普通、『萌え』や『優しさ』という風に語られることが多いように思います。もちろんそれはそれで正しい認識だとは思うのですが、しかし敢えて、私の心情をより正確に表すことのできる言葉を選択するとすれば、とらハの心地よさは、まず第一に『大事にされているという感覚』に拠ると思うのです。

 ついでに。
 さくらとは直接は関係ないのだけど、今回とらハ1を再プレイしてみて、唯一泣けたのがこのシーン(↓)でした。そのちょっと前の唯子の告白もかなり…きますが。

 たいがいにしとかねーと、
 髪の毛ひっぱりとスカートめくりと
 うわばき隠し程度じゃすまねーぞ!

 いいか、いますぐ正気にもどらねーと
 小鳥と『唯子にはないしょ』の話を楽しそうにするぞ

 おやつのいちごポッチーも
 わけてやらん!

 いっしょにごはん食べてる時に、
 おかずをとりかえっこもしてやらん!

 ほれ! はやく正気にもどらーと、
 行くぞ、最高の刑罰が!

 丸一日、何をするにも仲間はずれ!!


 プレイした人にとっては今更説明する必要はないと思いますが、それにしてもこういうテキストを書けてしまう都築氏は何物なんだろう、と感嘆せずにいられません。


(注.1)ネタバレにつき伏字
 指舐め→私がただ“先輩”って呼ぶのは先輩だけだから→見せびらかしたりセックスしたいだけならそういえばいいのに→まぶた舐め→(電話で)大好き→ワイン口移し→私がしてほしいこといつもしてくれるから→実はケモノ娘→更に発情期(爆)→エピローグ

 このコンボに耐えられる漢はいない(推測)。

(注.2)ネタバレにつき伏字
…男の人…、出る時って、きもちいいんでしょ?
…うん、すごくね
…なのに、外にしてくれようとしたの…
嬉しかった


 実はこっちの台詞の方にもっと悶えたなどとは口が裂けても言えない。発情期肯定派に勝るとも劣らないダメっぷり。



 最後に、あの賛否両論ありそうなエピローグについて。
 ちょっと思い出したので、昔、掲示板に投稿した文章を発掘してみたんですが、3年経った今読んでも基本的な考えは変わっていないので、多少の修正を施して転載してみます。

 私はあのエンディングを単純に「美しい」と感じてしまいました。ただ、仰ることは判ります。
 私も昔、似たような件で友達と話し合ったことがあります。

   「理想を言えば、恋人に看取られて死にたい」
   「でもそれは所詮エゴだし、やっぱり俺が恋人を看取るのが理想なのかもしれない」

 もちろん、こういうのはどちらが正しいとか言えるものではありませんが…。

 ただ、これは例えば RISE のトゥルーエンディングでも語られていることなのですが、ある種の恋愛関係にあっては、どうしても「特別な覚悟」ということが避けては通れない問題としてあるのでは、と思います。浩之とマルチ、浩平とみさき先輩、カナトとななこ、真一郎とさくら…etc.いずれにしても。

 翻って、真一郎とさくらについて想像してみれば、かなり若い時期に、ふたりは多分「覚悟」をしていたのではないかと思うのです。や、根拠があるわけではありませんが。いずれ、真一郎が先に死ぬことは判っている、それでも、生きている間は精一杯生きよう、120%の恋人であり続けよう、と多分ふたりは誓い合っていたのではないかと思うのです。言葉にしたかどうかはいずれにしても。そうして、何十年か生きてきた果てに、あのエピローグのふたりのような奇妙な安らかさが生まれてくるのだと思います。もしかすると真一郎以上に、さくらの方が、真一郎が近いうちに寿命で死ぬだろうことに意識的であるかもしれません。でもだからこそ、ふたりで過ごすことのできる『今』を大切にしたいから、しなければならないから、憂いを微塵も感じさせない笑顔を、さくらは老人になった真一郎に向けることができる…。


◆注意事項

 この半感想半解釈もどきでは、一部『とらいあんぐるハート』のテキストを引用しています。自分の文章と区別するため、引用個所はイタリック体で表記しています。ゲーム内のテキストに関する諸権利は JANIS/IVORY の所有です。このwebページからの無断転載等はおやめください。

 当たり前ですが、この解釈はあくまでもしのぶ独自の解釈であり、JANIS/IVORY 様の公式見解とは一切関わりありません。


文責 しのぶ

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