SilverMoon 感想


◇Index

安岡寺真琴(ver.2.01)
松ヶ丘忍(ver.1.03)


◇安岡寺真琴

  製作元であるRANsoftwareのBBSを覗いてみた人は知っていると思いますが、このゲームで、一般的に一番高く評価されているのは真琴シナリオらしいですが、私も完全に同意見です。なぜ真琴シナリオは面白いのか? それはひとえに人物描写が秀逸だからです。もうちょっと具体的に言えば、安岡寺真琴というキャラクターに、私は、作られたもの(=人形)ではない、それを超えた人格のようなものを感じます。
  「萌え」などという無責任な言葉(笑)を日頃から使っている私たちはともすると忘れがちですが、これは重要なことです。いわゆるゲームのキャラクターというのは虚構の存在であって、現実世界には存在しません。しかし本当は、少なくとも虚構の世界では彼らはれっきとした「人間」のはずなのです。そして、人間であるとはどういうことかといえば、あるキャラクターが高校生なら16年なり17年なり生きてきた人生経験の積み重ねがあるということであり、またその中で作られてきた人格があるということです。しかし私たちは普通、ゲームをプレイしていて、キャラクターにそこまで感じることは滅多にありません。少し前、さる方がこみパに関して、「このゲームではキャラクター描写が設定の域を出ていない」という内容のことをおっしゃっていましたが、私はこみパをやったことがなくても、その言葉の意味は良くわかります。キャラクター設定というのは、誰でも知っている通り、あるキャラクターの大まかな性格やらを決める作業なわけですが、しかし実際問題としては、人間というのは誰であれそんなわずかな言葉で言い表せるほど単純な生き物ではないはずです。
  例えば基本設定として「無邪気」というのがあったとしても、実際そのキャラクターがどんな時でも無邪気かといえばもちろんそんなことはないし、無邪気だから何も考えていないなんてことももちろんありません。しかし普通の脚本家さんは、基本的に性格設定に追随する形でキャラクターを描きます。すると表面的な、なんの深みも感じられないキャラクターが出来てしまう。まさにこの点で、SilverMoonは難しい課題を見事に果たしている〜キャラクターが表面的なものを超えて人格を主張するまで書ききれている〜と思います。ここに、私は惹かれます。ずいぶん回りくどい前書きになってしまいましたが、真琴シナリオについて語るのにこれは避けて通れないことだと、私はどうしても思うのです。

  安岡寺真琴というキャラクターは基本的に、いわゆる内気な性格です。それは前半から中盤に掛けて、しつこくと言って良いほど語られます。でもだからこそ〜対照の妙とでも言うか〜後半の真琴の凛々しさは、私たちを言いようもなく驚かせます。後半に入って主人公は自分の体の秘密を知り、自分の死期が近いことを悟って、真琴を自分から引き離そうとする。「君には興味が失せた」と。今までの真琴だったら、これは致命的な一言だったはずです。しかし、ヴァイオリンを通じて自分に自信を持つことを主人公に教わった彼女は、きっぱりと言います。

 「もうそんな嘘をついても無駄ですよ」
 「さっきも言いました。私の目は節穴じゃないって、、、
  だから、先輩を信用した私自身を信用したい、、、そう思いました」
 「そしたら、、、先輩の嘘がはっきりと見えるようになりました。
  だから、、、もうあとには引きません」

  ここはおそらく、真琴シナリオの中で最も美しい個所ではないでしょうか。真琴にここまで言わせたものは、言うまでもなく主人公への信頼であり、またそのことに対する誇りです。また真琴の厳しい表情も、主人公への想いの深さをこの上なく雄弁に語っている。あの凛とした表情は、もはや恋する少女のものではなく、主人公と一緒に歩いていくことを決意した女性の表情だったと想います。「蛹から蝶へ」なんていうのは喩えとしては陳腐かもしれませんが、しかしそのくらい大げさな表現を用いても良いと思えるほど、この場面は私たちの心を打ちます。


 だから悲しい曲を弾いてやろうと思った。
 私の心が、気が済むまで涙をながしてやろうと思った。
 涙が枯れるまで、流してやろうと思った。

  これは主人公が消えてしまったあとの真琴の台詞ですが、真琴シナリオのクオリティー〜あるいは真実味〜を本当に高めているのは、この台詞だと思います。一体、数あるエロゲの中でこんなに剥き出しの感情をヒロインに吐露させたものが他にあるでしょうか。しかもその台詞を言ったのが他の誰でもない、あの真琴であるという事実は私を驚かせます。真琴は、自分を信じて、自分のために一生懸命になってくれた主人公に報いるためにも、立ち直らなければならないことを知らされます。そして彼女は、まるで落ち込んでいる暇などないのだと言わんばかりに、自分を傷つけるかのようにヴァイオリンを弾く。この辺りの描写に、私は迫真性というか、凄い真実味があると感じます。ONEの時にも少し語ったことですが、救いというのは少なくとも最後の1歩は自分自身の力に拠らなければならないと、私は考えています。真琴も、多分そのことを知っていたと思います。だから彼女はヴァイオリンを弾くのです。ともかく歩き出さなければ始まらないのだとでも言うかのように。真琴は、誰よりも自分自身に対して主人公への愛を証明し続けるためにも、ヴァイオリンを弾かなくてはならなかったのです。彼女はやがて、悲しみすらも自分のヴァイオリンの表現手段として昇華させていくまでに至ります。例えそれが「自虐的な手段」であったとしても、それは真琴が苦しみの中から考え抜いた末に出したひとつの答えなのであり、私はそこに悲しみを見ると同時に、そこまで昇華された愛のかたちに心を打たれないではいられません。

  エピローグ。これはONEの最良のシナリオに匹敵するほどの感動をもたらしてくれる、素晴らしい締めくくりだと思います。あの楽譜の曲が奏された時、真琴は夢中でヴァイオリンを取り出し、かつての合奏の約束がここに至ってようやく果たされます。それはまるで、かつてと違って自分が主人公に依存しない女性になったことを証明するかのようであり、また自分と主人公との「絆」を確かめ、繋ぎとめようとしているかのようです。思い出してみてください。かつて彼女が「最後の絆みたいだから」と言って合奏を拒否したことを。でも今、真琴は主人公のピアノを聴いた時、自らヴァイオリンを合わせます。もはやふたりの間には恐れるものはなにもないと確信しているかのように。そして合奏が終わった後、彼女は言います。

 「だから遅れた罰に、、、これからはずっと一緒にいてもらいます」

 …すべてが、かつての弱気な少女だった頃とは、なんと違っていることでしょう。

文責 しのぶ


◇松ヶ丘忍

「強さと儚さ。」

  このシナリオに入り込めるか否かは、忍というキャラクターからこのキーワードを感じとれるかどうかが鍵だと思います。たしかに忍というキャラクターは破天荒で能天気でくるくると変わる表情やしぐさから、元気な女の子というイメージばかりで、強さについてはともかく、儚さについてはなかなか感じ取れないかもしれません。一般的に忍から儚さを感じ取る事が出来るのは、

・忍が主人公との約束を守り通し、ぼろぼろになるシーン
・忍が自分の身を投げ打って、主人公から真実を聞き出そうとするシーン
・忍が自分の過去を主人公に語るシーン

の三つの場面からだと思いますが、これについては多少不満があります。
  それは、忍のこれらの行動のトリガーとなるべき感情 〜主人公への絶対の信頼感〜 を持つまで心情の経過がいまいち不明瞭なことです。GEOという特殊な環境で育った主人公に父親と母親を同時に失った「からっぽの自分」を投影していたのかもしれませんし、また、不良から身を挺して守ってくれた主人公に過去に自分をかばってくれた母親の影(有り体に言うと甘えられる、頼れる存在)を見ていたのかもしれません。
しかし、主人公との10日間ほどの交流の中で、私には(読解力がないせいなのかもしれませんが)あまり感じ取れませんでした。忍がこれほどまでに主人公を信頼するに至った要因となるべきなんらかのエピソードを挟んでもらうと、より説得力が高まったかもしれません。一応、これに対する伏線らしきセリフもあるのですが、これだけでは微弱ではないかと思います。

 私が忍からこの儚さをもっとも感じたのは、多分特殊な例だと思いますが、Hシーンのこのセリフからでした。

 「アタシ、、、こういうことならきっと亮ちゃんより慣れてると思う」

 一瞬なんとなく流してしまいそうなさりげない一言ですが、この言葉から決定的な事実が分かります。一見幼そうに見える忍が実は既に「経験がある」ということ。この事実に気付いた時、同じ18禁ゲームである「YUNO〜この世の果てで恋を唄う少女」に登場する波多野神奈という少女を思い浮かべました。彼女はある理由から終わりの無い孤独を味わうのですが、この孤独感から逃避するために愛のない体の繋がりを求めます。忍とは似ても似つかない正反対のキャラに見えるかもしれませんが、私は2人の内面に同じモノを感じました。プレイされた方ならご存知の通り、忍という少女は子供の頃の事件が要因で、心に深い傷を負っており、いつも周りに振りまいている笑顔が、

・自分の罪を背負って身代わりになってくれた母親への贖罪
・息子に対する負い目を感じながら精一杯の愛情を込めて育ててくれた祖父への感謝

の為の笑顔であり、その裏には父親と母親を自分の責任で失ったどうしようもない喪失感、孤独感があったはずです。私は忍が実は波多野神奈と同じように、自分を傷つける為、そして自分を慰める為に体だけの繋がりを求めたことがあったのではないかと(想像の枠を出ませんが)考え、忍という少女の中に、ガラスのような儚さ、脆さを感じました。
  とはいえ、おそらく作り手の方が忍を非処女に設定したホントの理由は、元気で屈託のない、ある意味弟分のようなキャラクターに、女の子らしさ、いわゆる二面性を見せたかったのだろうと思いますけど…。

  さて、話は変わりますが、私個人的にはこのシナリオを(真琴シナリオの完成度にはとうてい及ばないものの)なかなか気に入っています。その理由は、主人公 〜日吉亮〜 がもっとも人間らしく写ったのは他でもないこのシナリオだったからです。

 終盤、主人公が忍を看病するシーン。
 上述した「強さと同居する儚さ」というキーワードを忍という少女の中に感じた瞬間、主人公の気持ちが劇的に変化します。

 無理をして笑う笑顔が、、、俺の心に突き刺さった
 いままで、どれほどこうやって笑っていたんだろう、、、
 どれほどの心の痛みを隠しつづけて、こんな笑いを繰り返してきたんだろう

 これほど他人を愛しいと感じたことはなかった、、、
 今はこの娘を守ってやりたいとひたすら思った
 それがどういう感情なのか、、、
 俺にはよく判らなかったが、、、とにかくそう思った。

  私はこのシナリオをプレイするまでいまいち主人公の性格が好きになれませんでした。絵に描いたような天才少年ですし、自分の死に対しても淡白でなかなか感情を表しません。作り手の方の狙いなのかもしれませんが、はっきり言ってしまうと、感情移入できないキャラというイメージでした。
 でも、約束を守り通して怪我を負った忍を看病しながら漏らした主人公のこのセリフを見て、初めてこの人間らしくない(実は人間ではないのですが…)いけすかないキャラクターに人間味を感じて親近感を覚えました。そしてこのクールで無感情なキャラが自分の心情を吐露する場面がまさに自分が消える瞬間でした。

 「少し自分のことに構ってやるだけでお前は、、、
 もっと綺麗になれるし、、、輝くことが出来る、、、」
 「お前の母親だって、、、きっと、、、それを望んでる、、、
 はずだ、、」
 「だから、、、過去の負い目は忘れて、、、もっと自分のために
 生きてくれ、、、」
 「俺がどこに居ても、、、その輝きが消えないように、、、
 そんな姿を、、、見せて欲しい、、、」

  忍の過去に対するしがらみから解き放つ為の言葉に思えるかもしれませんが、それ以上に忍を自分という存在に束縛する言葉だと思います。もうまもなく消えてしまうと言うのになんと我侭で自分勝手なことでしょうか。でも、この我侭が垣間見えるが故に、私は主人公に人間臭さを感じて嬉しく思ったのでした。

〜エンディング〜
  愛する存在を失った時、初めて忍は心の中でどこか遠慮していたおじいちゃんに、自分の本当の弱さを曝け出します。そして、自分を守ってくれた母親への贖罪の象徴である髪留めを外し髪を下ろします。主人公の最後の言葉を守り、今までの自分より綺麗に、輝く為に…。この時点で忍は完全に心の壁を崩して、一歩前へ前進していると言えます。
  だからと言って私は主人公が戻ってくるエンディングが蛇足だとは思いません。何と言っても、この〜人間らしさを得た主人公と過去のしがらみから心を解き放った忍〜2人が仲良くおかーさんの面会に行く姿を想像できる余地を残してくれたのですから…。

文責 葉月


○忍シナリオに関しては、私(しのぶ)のリクエストで葉月氏に書いて頂きました。我侭な申し出を快諾してくださって、本当にどうもありがとうごさいます。読んだら感想など頂けると嬉しく思います。葉月氏へのメールはこちらからどうぞ。

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