棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]
−日記・過去ログ−
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2002/11/30 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#30
◆
とあるwebページ(プライベートリンクらしいので一応URLは伏せ)でのうちの分類が
geek/nerd となっていて、ハテナ?だったのでちょっと調べてみた。
要するに専門莫迦というか、オタクというか、そんなような意味の単語であるらしい。
苦笑する以外のリアクションは特に思いつきませんです。
***
それとは別件で。
書こうかどうか迷ったけど書いてしまいましょう。
アクセス解析のリファに http://ime.nu/www6.wind.ne.jp/sayurin/index.html なんてURLがあったんですが、、、
これって 2ちゃんねるかもしくはそれに類する掲示板にリンクを貼られてるってことですかね、もしかして。
自分で経験してみないと分からないことってあると思うのだけど、正体が分からなくて視線だけ感じる、というのは正直あまり気持ちの良いものではありませんね。
私も2ちゃんねるは割と利用するのでこんなこと言えた義理じゃないのかもしれないけど。
ネットに文章をアップしている以上誰に読まれるか分からない、と頭では理解していても気持ちとしては、その、なんだ、恐いというか。
◆
怒首領蜂・大往生(ブラックレーベル)。
本日21時50分、遂に1コイン2周ALLを達成。
ただし館林?の『ルパン122』でのプレイなので、設定は「開始時残4/EASY」と結構ぬるめ。まあそれでもクリアには違いないし、元々ノーマル版などクリアできる気がしないので素直に嬉しい。
以下、内容。
1周目。
1面ボスで1ミス、5面開幕過ぎで1ミス。道中のきなみコンボ切れまくりでクリア時、残5/3.2億。
2周目。
4面3つ目のシャッター後の蛾爪ラッシュで1ミス。
5面道中旧5ボス後の砲台?(大型戦車x3の手前の、赤扇状弾をばらまくやつ)で1ミス。
オキモノ(2-5ボス一次形態)戦。
攻撃パターン1番目を普通に避け、2番目で1ボム、3番目を気合い避け、4番目は普通に避け、1番目で粘ってからハイパー、でノーミス突破。
ジェット蜂(2-5ボス二次形態)戦。
攻撃パターン1番目は普通に避け、2番目は気合いと運で避けきり、3番目も普通に避け、4番目で粘るが1ミス。
緋蜂戦。
残3ボム1スタート。
開幕針弾を1ボムで避けきった後、降ってきたハイパーを回収&発動、2番目の超高速青弾で目が追いつかなくなって1ミス。
3番目の赤弾青弾ぐるぐる攻撃を普通に避けてそのまま発狂へ。
発狂モードで神が降臨。
体感時間で30秒以上避け続ける。弾筋など見えていなかったのだがレバーちょんちょんやっているだけで何故か全然死なず(笑)。
奇跡の嘘避けのおかげで、ミスして残1ボム2になった時点で緋蜂の残り体力2〜3cm。
で、残機ボムを使い切ってクリア。
たぶんこんな奇跡はもう二度と起きないと思うので、店員さんの許可を得て記念写真を撮っておきましたとさ。
2002/11/29 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#29
◆
いまいち。
2002/11/28 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#28
◆
大往生(白)。
今日も2ボス攻略パターン研究。
何回か試してみて、1)自機をセットする位置、2)二次形態の撃ち込み開始タイミング、3)ハイパー発動タイミング、の3つを注意深く確認。
自機を合わせる位置はボス上部の蛇腹みたいなパーツの真上。
もうちょっと正確に記すと、蛇腹風パーツの下のラインと自機の下のラインを合わせる。
ただしボスは微妙に動くのでシンクロ調整が必要。
二次形態の撃ち込み開始タイミングは、青扇状弾が射出される直前。
具体的には蛇腹パーツ(ハッチ)が開いたのを目視で確認した瞬間に撃ち込み開始。
位置合わせをきっちりしていれば(ボスの動きに合わせて自機も移動)、青扇状弾3セットとピンク扇状弾は当たらない。
ピンク扇状弾が出たのを目視で確認後、レバーを下に入れて自機を下げ直ちにハイパー発動。
そのままボスに重なっていれば終了。
ただし無敵時間中に倒せるかどうか微妙なので、最初に自機をセンターからやや左側に置いておき、心の中で2秒数えたら一気にボスの右端付近まで移動するとより安定するかもしれない。要は、発狂弾(青ダンゴ)を最初に左に撃たせておいて一気に密度の薄い右に逃げれば追いつかれる前に葬れるという寸法。
ちなみにこの攻略について当方は何の保証もできません。
自己責任ということでひとつ。
(というか大往生プレイヤーがこんなところを見ているとも思えないのだけど)
◆
リピュア9話について追記。
Aパートの花穂の出番についての昨日の記述は批判ではなくて完全な我が侭というやつですので念のため。ポケストのあれはクイズ話の最後の締めくくりを演出するエピソードなので、花穂のあの一連の場面を単体で出しても効果は薄い。そうするためには時間が掛かりすぎるので必ずしもあれはアニメ向きとは言えないだろう。
鈴凛。
私はもう何しろ鈴凛と千影のキャラコレを未だに買っていないぐらいこのふたりには心を動かされないので、ああいう風に鈴凛を弱気な(好意的に言えばしおらしいということになるのかもしれないが)女の子として描いたことが成功しているのかどうか分からないし、判断する資格もおそらくない。
鈴凛が好きな人にとってはああいう展開は萌えなのだろうか?
ただ、萌え云々を別にしても、12人の中でも比較的ドライなイメージがある鈴凛があそこまで思い詰める「原因」が一切描かれていないというのはやはり不手際ではなかったろうか。もちろん鈴凛がドライであるといっても、ウニメ21話やゲーム版後半で示される通り、彼女なりに自分とアニキの関係について真剣に考え悩むような女の子であることは今更指摘するまでもないし、今回の話もそういう鈴凛を描こうという意図があったのだろう。そのために鈴凛のパートナーに四葉を持ってくるのはまったく見事な判断だとは思う。今回の物語を駆動する源になっているのは言うまでもなく四葉の持ち前の行動力であり、また彼女の天真爛漫さが個々の場面に躍動感を与えてもいることもあって、全体として見れば退屈する隙を与えないような密度の高さを実現していると思う。また作画も今回は安定していたし、トータルとしてはほとんど文句の付けようもない出来映えだ。ただそれだからこそ、鈴凛の描写の不自然さが、私としては余計に気になってしまう。鈴凛の吐露する不安はあまりに唐突であり、それは物語と上手く調和しない。そこだけ浮き上がって見えてしまう。それが惜しい。
◆
Bパート。
背景の綺麗さがまず目を引く。目立って美しいというのではないが、七夕の物語とよく調和した日本情緒を感じさせる背景。地味さの魅力とでもいうか。人物の作画はやや癖があるが、気になるというほどではないし、慣れれば魅力的ですらある。
春歌が着物を着る場面はとっても綺麗。
彼女のことだから当然着付けはできるのだろうが、アニメ以外のメディアでは着物を着る場面など描きようがあるまい。それから着付けのシーンをたっぷり時間を使って描き、それを退屈ではなく静の魅力としてしまうのも、モノローグ主体で進行するキャラコレ原作アニメならではのやり方ではないだろうか。この辺り、今回のスタッフがアニメーション表現の可能性に自覚的であることを伺わせる。
お話の展開は原作とは違っていて、春歌と兄君様とが神社で待ち合わせをするという筋に変えられているが、これだけ見事な展開を見せられるともう筋の改変などどうでもよくなってしまう。
神社で兄を待つ春歌の妄想はいつものノリでエスカレートしていくのだが、ここでは原作の幾つかに見られるような電波と紙一重の描かれ方はされず、あくまでも、好きな人の来るのを待ち焦がれる恋する少女としての範疇に留められている。私は春歌萌えではないのだが、ああいう風に描かれると、春歌というのはこんなに可愛い女の子だったのかと驚かずにはいられない。
しかし妄想は雨によって中断させられる。織り姫と彦星に自分たちをなぞらえる春歌。そして兄の到着。暗と明との対照の美しさ。
ここで、兄君様を発見しても春歌はすぐに走り出したりはしない。この辺りの一連の描写の絶妙なこと!
春歌は元々兄と待ち合わせの約束をしていたのであり、彼女にとって兄が来ることは単純に喜びでこそあれ意外なことではないのである。大和撫子はかくあるべしとでもいう風に、彼女は静かに立ってただ兄を待っている。兄が春歌に歩み寄り、傘を差し出す。かくして約束は果たされ、その時彼女は初めて満面の笑顔で微笑む。言葉にしてしまうといかにも当たり前のように聞こえてしまうのだが、ここでは単純に待ち合わせが果たされたという以上のことを描いていないということには注意する必要がある。もし不用意な脚本家だったら、兄が到着した時点で春歌を兄の胸に飛び込ませただろう。でも兄は別に春歌を助けにきた訳ではないのである。兄と春歌とは待ち合わせの約束をしていたのであり、彼女はもちろん兄が来ることを信じていた。それだからこそ春歌はあれほど落ち着いているのだし、感傷的に兄の胸に飛び込むようなこともしないのである。春歌は兄とのデートがいよいよ始まることに心を躍らせ、傘を広げてはしゃいでみせる。繰り返すが、ここには微塵の感傷もない。そしてまさにそのことによって、春歌の溢れ出すほどの喜びが私たちのところにまっすぐに伝わってくる。スタッフは、この場面で感動させようなどという目先の誘惑に目を眩ますことなく、誠実に、為すべきことだけをやってのけた。この場面が思わず泣きそうになるほど美しいのは、その誠実さの結果に他ならない。
これ以降の個々の場面の春歌の描き方の丁寧さももちろん注目に値するが、そこまで逐一言及する必要はもはやあるまい。ここには、4b雛子、8b四葉の回と同じ、良い意味で視聴者を無視した、「ひたすらに誠実な仕事」がある。媚びを売ることなど微塵も考えず、ただ美しいひとつの世界を創ろうとする姿勢だけがある。それが、何よりも私を感動させずにはおかない。
…どうして花穂の時にそういう仕事をしてくれなかった(涙)。
2002/11/27 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#27
◆
萌え失調気味。
もうだめぽ。
大往生(白)。
昨日から研究してた2-2ボスパーフェクトパターンが初めて成功。
ただし成功=マスターでは当然ないので、これから手の内に入るまで更にやり込むことが必要。
マスターできれば2-2ノーミス突破率はほぼ100%になる。
頑張ろう。
以下、概要。
ボス戦突入時点でハイパー1個以上所持、かつここまでにハイパーゲージが8〜9割になるようにきっちり調整する(9割がベスト)。
ボスの左右どちらかの砲台に重なり、初弾が自機に向かって飛んできたのを確認してからハイパー発動。
ボスにオーラ撃ちしつつ無敵時間中(2sec.)に初弾(扇状針弾2セット)をすべてやり過ごす。
ゲージ9割になっていればボスからの第2波が自機に届く前にハイパーによる弾消し発動でこの攻撃もスルー。
その後少しだけ避けてから(危険でなくても)レーザーボムを使用してハイパーアイテムを出現させる。
更に少しだけ避ければ一次形態終了。
一次形態が終わったら急いでボス上部の安地に張り付く。
張り付くと同時ぐらい(タイミングは今後の研究課題)にレーザー撃ち込み開始。
青扇状弾3セットをすべて安地でやり過ごし、3セット目の青弾が見えたとほぼ同時にハイパー発動。
そのままボスに重なったまま撃ち込んで終了(ただし無敵時間をコンマ何秒かオーバーするので青ダンゴ弾を多少誘導する必要あり)。
◆
シスタープリンセス RePure. 9話
Aパート。
ずばっと参上ずばっと解決なのデス〜ってアンタ(笑)。
冒頭のクイズは言うまでもなくポケットストーリーズ1巻からのアイデアであろうが、我が侭を承知で言えば、花穂の出番がもうちょっと欲しかった。原作ではあの場面は花穂が絶妙に良い味を出していたので。花穂がはにかみながら「お兄ちゃまにちゃんと掴まってたら良かった、って思います」って言うやつ。冷静に見てしまうと会話が全然噛み合っていないのだが、あれはそんな不自然さを忘れさせるぐらい微笑ましいエピソードだった。萌えとはちょっと違う。あれは花穂のリアクションがというよりも、咲耶たちが花穂のことをドジな女の子としてそのまま普通に認めている(受容している)ことを示すエピソードだったからこそ微笑ましいのである。こういう描写において、ポケットストーリーズは他の何物にも代替できない魅力を持つ。で、なんでポケスト語りになってますか?
ラボでの四葉と鈴凛。下着は当然今日のベストシーン確定であるのだがそれはひとまず置くとして。2話に続いてリピュアで初めて示されるカップリングだが、こうして提示されてみると不思議なほどしっくり来る。根っこにあるものは違っていても、彼女たちは兄に対する飽くなき好奇心を持っている。そういうところで気が合う、ということなのだろう。
鈴凛のあの色っぽいふとももはさすがにサービスカットだろうが、でも嫌な感じはない。四葉の明るさがウェットさを感じさせないからだ。
「兄チャマ探偵団行動開始なのデス!」
オープニングと同じカットだが、よく見ると鈴凛は微妙に照れている。芸が細かくてGood.
パン屋にて不審人物的行動を取るふたり、それに対してつっこむ店員。
ていうか、眞美だし!!
感涙。
スタッフ良くやった。
Aパートを観終わってCMが入った瞬間、ずいぶん長いことシスプリワールドに居たように感じた。それは悪い意味ではなくて、逆に密度が高かったゆえの充実感だ。退屈させない密度の高さという意味では1〜2話に次ぐかあるいはそれ以上のクオリティ。Aパートで繰り返し観たいと思ったのは久しぶりだ。鈴凛がかなりウェットなのは少々気になったが、私は鈴凛の魅力がどこにあるのかよく分からないのでコメントは保留にした方が良いだろう。個人的には2話のあのお姉さんっぽい鈴凛がかなり好きだったので今回のあまりに弱気な彼女はやや違和感があったが、それがマイナスポイントなのかどうかは判断が付かない。お姉さんキャラのままで魅力的な鈴凛を描くことは可能ではなかったのだろうか?
最後に。
あの影って、もしかしてプロミストアイランドの頂上にあったあの謎オブジェですか?
仮にそうだとするとリピュアは前作の正当な続編として作られているということ?
時間がないのでBパートについては後で。
2002/11/26 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#26
◆
いかるが 白い空[かざみあきらさん]より。
どんなゲーム展開なのか想像付かないが漠然とした雰囲気を想像するだけでなんとなく可笑しい。
***
リピュアセレクション読了。
明日の予習は万全。
現在、ポケットストーリーズを再読中。
合間に、先日買ってきたオリジナルストーリーズをぱらぱらと眺めてみたり。
画集扱いでも十分に値段分は取れている感じ。
チア服を両手できゅってしてる花穂(P.26)、メイドチックな鞠絵(P.54)、色っぽい鈴凛(P.77)の三枚だけでも幸せすぎる。
水夏ドラマCDさやか編、シスタープリンセス〜12人の天使たち〜、シスタープリンセス〜DearMyBrother〜はいずれも期待はずれ。シスプリはまだしも、特に水夏が酷い。あまりの退屈さに最後まで聴き通すことすらできなかった。結局運転中は、水瀬さん家と水夏ドラマCD(ムックの付録)を繰り返すことに。面白いものは何回聴いても面白い。あと、水夏。こんなこと言ったらファンに怒られそうだけど、さやか先輩はシリアスでない時(敢えてギャグキャラとは言わない)の方が味があると思う。
今日もリピュア四葉編を観てしまった。
もはや中毒に近いか。
ただ、これだけ繰り返し観てもこの回の魅力のツボみたいなものがどうしても言葉にならなくて、それがちょっとだけ歯痒い。
***
先日、さる方宛てのメールで
「端から見えるよりも遥かに、私の交友関係は狭く浅いのです」
なんて書いてしまったことを今更ながらに後悔。
いくらなんでも不躾だったかもしれないな、という方向で。
別に先方のせいではないのですが、どうも、彼は私にとって「その人を前にするとうっかり心情を吐露してしまう」というタイプであるらしいのです。
とあるオフの時もそうだったのですが、あの時ほど自分を隠さなかったことはないくらいです。私が某IRCから離脱した本当の理由を知っているのはこの世で私の他には彼だけだったりとか。いつものしのぶなら、自分を飾って隠してなんとか楽しい話題だけを紡ごうとして不自然になってしまったりするものなのに。
心を開かせてしまう、というのはひとつの才能的資質であるような気がします。
それは会得しようと思ってできるものではないからです。
最後に、これは私個人の事情というやつです。
私が彼のことをどう思おうが彼には彼の生活というものが当然あって、その生活は他の何にも増して優先されるべきものです。
お付き合いが可能であるとしたら、そこには犠牲の意識などというものはほんの僅かにすら存在してはいけない。
***
たまに、もし私が人並み程度の社交性を有していたら今頃ネット関係だけに限ってみても私の人間関係はさぞや華やかになっていただろうな、なんてことを考える。が、本当はそんな仮定には何の意味もない。なぜなら、私がそういう人物だったらそもそも今まで書いてきた文章は存在しなかったろうからだ。私は自分が嫌いだと繰り返し書くが、それにも関わらず今まで書いてきたものが存在しなかったらと仮定することに恐ろしさを感じる程度には、私は今の自分を好きなのだろうと思う。
先のメールの終わりの方で、
「誰かが私を好きになってくれた瞬間の私というものがあるのだとすれば、そういう自分は大切にしたいとは常々思っております」
なんて書いたのだが、この言葉は何より私自身にとってひとつの驚きだった。
書き上がってみるまで、自分の中にこんな言葉が眠っていることを知らなかったからだ。
2002/11/25 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#25
◆
ここ一週間ぐらいの間に見た萌えな夢。
1) ふたりのメイドさんといちゃいちゃ(18禁)
2) 花穂が「水たまりの太陽」を歌いながら雨上がりの街を歩き回る(※)
3) 男の子にちゅーされる(ほっぺに)
(※)わたしのジュリエットpart.1(ようこそようこ)のサキさんとポジションが入れ替わった感じ
短期間で萌え夢がこれほど連続するのは非常に珍しいです。
メイドさんの夢は最高でした、なんといっても私が望むままにスカートをめくり上げてくれたりするのが。<激しく逝ってよし
2002/11/24 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#24
◆
Be happy, please! の軽妙な音楽が頭から離れない。
ちょっと思うところあって、ウニメの1話と6話を見直してみた。
改めて観ると、すごい力技だ、と思う。
兄妹(家族)というものは本来、「ある」か「ない」かのどちらかしかなく選択の余地などないものなのだが、ここでは兄妹関係というものは「ある」ではなく「なる」もの、作られるものとして捉えられている。どう考えてもウニメのあの設定は滑稽とか言いようがないが、ただ、その滑稽な設定ゆえに原作にもゲーム版にも不可能な独自の面白さが生まれていたこともまた確かだ。原作でもゲーム版でもリピュアでも、兄妹関係というものは最初から自明にあるものであり、その気安さこそがシスプリワールドを楽園たらしめている――例えば可憐も咲耶も自分を女の子として見て欲しいと願うが妹として見て欲しいとは今更思わない――のだが、ウニメの場合は彼らは戸籍上(?)は兄妹であるにしても実質的には他人で、そういう関係から兄妹関係というものを模索していくことになるのであり、言ってみればこちらには関係が作られていく過程の面白さがある。昔あんよさんと電話で話していて気づいたのだが、そういう意味ではウニメはその全体がひとつの前奏曲のようなものだ。理想のシスプリワールドというものは26話のその先にこそあるからである。
2002/11/23 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#23
◆
神キター(゚∀゚)ー!!
再就職以来初めての連休なのですが、風邪がいまいち抜け切らなくてダメダメです。
くしゅー。
今日は起き抜けにリピュア 4b、8b を観てまったりしてから風呂に入って、それから月に一度のお楽しみの床屋さんへ。散髪自体は退屈だけど、私の行きつけの床屋の奥さんはマッサージがめちゃ上手で最高に気持ち良いのです。肩揉みというのがあれほど気持ちよいものだったとは、この人に出会うまで知りませんでした。
ふと思い出したのだが、いづみにあんな表情をさせた真一郎はきっと肩揉みの才能を持っているに違いない。
俺も一度揉んで欲しいなあ。
秋桜の空に[marron]ドラマCD発売日決定だそうで。
大往生(白)。
2-4 前半砲台地帯のノーボムノーハイパー安定パターンがほぼ完成。
今日は開幕から3つ目のシャッター直後まで繋がった。
たぶん 開幕から1up砲台まではそこそこ安定するはず。
リピュア8話Aパート感想はちょっと失敗だったなあとか今更ながら。
鞠絵のイメージを変えてみせた点はもちろん評価するべきだと思うのだけど、ただ着想は良くても正しくアウトプットされていない以上、べた褒めのような書き方は不味かった。あのお話はキャラ萌え云々は別にして構成上のことを問題にするなら可憐たちの出番は要らないと思う。鞠絵の描写はこの上なく面白いのに、可憐や白雪のキャラはあのお話の中でまったく生かされていない。あれでは単に時間を無駄に消費したというだけだ。
一昨日の日記の訂正。
四葉話のEDテーマは正しくは「Be happy, Please!」。
2002/11/22 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#22
◆
今日までに8話Bパートは5回ほど繰り返して観ました。
明日もたぶん観ることでしょう。
今のところ神が舞い降りたのは4話と8話。
次は12話かしら。
咲耶の回だったら狂喜乱舞ものなのだが。
ところで、リピュアのキャプチャー画像リンクを毎週まとめてくださっている遥かなる道しるべというサイトがあるのですが、そこの管理人さんが「ボーンチャイナ」というのを調べてみて、作中のものに近い馬の像を発見したそうで。
こちら。
…ろくまんえんは高いと思います。
あの馬を買って裏に「よつばちゃんへ」と書いてwebにアップする勇者は現れないものであろうか。
あと「ボーンチャイナ」自体の解説はこちらとか。
(リピュアスレより)
2002/11/21 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#21
◆
シスタープリンセス RePure. 8話 [Bパート]
幸せ。
と言う以外に何を語ったら良いのだろう。
もう一回言う。
思わず震えてしまうほど幸せ。
もう一回言う。
これを繰り返し見られたら私はずっと幸せでいられそうな気がする。
4話Bパートと肩を並べるかあるいはそれ以上の傑作。
完璧だとしか言いようがない。
ここまで完璧だと、どこが良いのかを言うことは難しい。ごく単純化して言えばこれは四葉が思いがけず兄チャマとの絆を発見するお話だということになるのだが、そんな説明は野暮以外の何物でもない。これはそもそもお話ですらなかろう。お話でなければ何なのか?と問われればそれはそれで返答に困ってしまうのだが、私はこれをどうしてもお話とは呼びたくない。できるだけ嘘を付かないように印象を言えば、わたしの目の前に女の子がいた、というぐらいのことしか言えない。妙な表現かもしれないが、そう言うのが一番正しい気がする。おそらくごく少数の人にだけは通じると思うのだけど、私はアニメを観ていたのではなくて四葉を見ていたのである。
遠く離れた英国の地で、兄に思いを馳せる女の子がいる。まだ見ぬ兄の姿を想像しながらスケッチブックに筆を走らせる女の子がいる。兄チャマはどんな人なのかしら?という想像は、きっといつも、最後には、四葉のこと好きになってくれるかな?というところに辿り着く。
思いがけず兄チャマの部屋に一人取り残された四葉は、今が兄チャマの部屋をチェキするチャンスであることに気づき、期待に胸を踊らせる。勝手に想像を膨らませて喜び悶える四葉。兄の部屋に見覚えのあるユニコーンを発見する四葉。そうして彼女は、いつも自分の傍にいたユニコーンが実は兄の気持ちがいっぱい詰まったものだったことを知る。ここで、四葉が少し前の回想で、仲の良い兄妹への憧れを語っていたことを思い出されたい。ずっと離ればなれに暮らさなければならなかった彼女にとって、兄妹というものは(普通我々にとってそうであるような)最初からあるものではなく、時間を共有していくことで初めて作られていくひとつの関係だった。少なくとも彼女はそう考えていたのであり、それだからこそ四葉は兄チャマのことをあれほどまでに貪欲に知ろうとするのである。しかしそういう矢先に、四葉はユニコーンを発見する。それはいつも傍で自分を見守ってくれていたユニコーン像に瓜二つだった。彼女はそのユニコーンの意味を知る。これは四葉にとって間違いなくひとつの事件だったはずだ。四葉にとって、仲の良い兄妹という関係はこれから時間を掛けて作られていくはずのものだったのに、そんなことをするまでもなく既に自分と兄とが堅い絆で結ばれた兄妹であることが、目の前で思いがけず証明されたのである。この時の四葉の驚きはいかほどのものであったろうか。
私の目の前には、そういう女の子がいた。
私はただそれを夢中で目で追っていた。
台詞のひとつひとつ、表情のひとつひとつがどうしようもなく四葉であって、四葉以外の何者でもない、という幸せ。
それからもうひとつ、演出のことを指摘しておきたい。
このBパートではBGMはたった一種類しか使われない。正確に言えば、たったひとつの音楽[Be
Happy! Please.]だけが、その時々でアレンジされて、繰り返し、現れる。この効果の見事なこと。言うまでもなく、そうすることでこの回全体が完璧にひとつの色調でまとめられ、統一感の美が生まれてくるのである。もちろんトーンの統一は音楽だけに留まるものではない。ここでは調和を乱すような要素は細心の注意を持って排除されている。四葉の莫迦っぽい言動がほどよく抑制されているのもそのひとつであろう。ユニコーン像を壊すくだりが省かれるのも当然そういう意図に添ってのことであるに違いない。ここで作り手が意図していたのは、いつものお莫迦な四葉とは違った、兄チャマと仲良し兄妹になることを夢見る可愛い女の子としての四葉なのである。この回はそういう方針に添って、実に精緻に作られている。残念ながらAパートは、鞠絵の療養所生活という秀逸な着想を得ていながらもそれを実現する段階で必ずしも上手くは運んでいなかった。しかしBパートは――今回はよほどしっかりした舵取り人がいたのだろうか?――普段の四葉のイメージとはやや違ったシリアス路線でありながら、どの瞬間においても四葉の魅力は少しも損なわれることはなく、しかもそれに加えて作画も音楽も脚本も、すべてが高次元で完璧な調和を見せていた。まったく、奇跡のようだとしか言いようがない。
来週は咲耶と花穂が出る模様。
楽しみ。
2002/11/20 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#20
◆
亞里亞のふっくらしたスカートの中に一度で良いから潜ってみたいと思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
亞里亞のチャームポイントは実は生足(ガーター付き)なんではないかと思うのですがどうか。
つまり、茜[ONE]と付き合うことの最大の喜びは、世界でただ一人自分だけが「髪を編んでいない茜」を見ることを許されている、という点であるのと同様に。
風邪は峠を越しました。
後は気を付けて回復を待つのみ。
アクセス解析を置いて以来、アンテナさん以外の個人サイトからのリファがトップになったのは初めてかも。
これがニュースサイト効果というやつですかがたがたぶるぶる。
昨日はやや毒気味なものを書いてしまいちょっと反省。
昔に比べてあまり毒を吐かなくなったのはもちろん偶然なんかではなくて、そういうことに徐々に興味を失いつつあるからです。私の日記から自分語りを取ったら何も残らないので自分語りは止めないけど、ただ、暴力的な文章を書くことに恥じらいを覚えるようにはなりました。散々そういうことを書いた挙げ句の果てに、ではあるのですが。ちなみに理由はふたつあって。ひとつは、割と好きだったとある日記書きさんのある日の日記が恐ろしく残酷な内容だったことがあって、それを読んで失望を覚えてしまったから。もうひとつは、私が密かに尊敬している人からリンクを貼られているのを知って、その人に読まれている可能性がある以上あまり無惨なことは書けない、と思ったから。念のため書いておけば、前者も後者も、表明はおろか暗示的にすら一度も書いたことはないので特定は誰にもできないはずです。もちろん聞かれてもお答えはできません。尊敬はすれどもアプローチはしない、というのもそれはそれで(ご本人に対して)失礼なんで。
はにーすぃーとティータイム、2巻は12月7日(土)発売予定。
(まんがくらぶオリジナル1月号より)
買いましょう皆さん。
◆
昨晩、日記をアップしてから久しぶりに――実に数ヶ月振りに――例の尊敬する人の日記を読んだ。
正直に言えば、その人の日記を読むことは私にとって必ずしも喜びという訳ではない。忌憚なく言えば、その人は私には宇宙人かなにかに見える。その人の言葉遣いも思考回路も、私には常にまったく予測できない。私が理解できる範疇に、その人はいない。その人は私にとって彼岸の存在だ。ただ、たまに私にも辛うじて分かるような言葉で書いてある時というのがあって、そういう時、彼の言葉は私の視野及び発想を固定してしまうほどの威力を持つ。
必ずしも喜びではない、のはなぜかと言えば、それはひとつには彼の言葉遣いのせいだ。彼の文章を読んでいると、自分が普段、日本語をいかに粗雑に扱っているかを嫌というほど思い知らされてしまう。それが正直キツイ。
それにも関わらずなぜ彼が尊敬の対象なのかといえば、彼は、私が理想としつつも現時点では到底辿り着けそうもない地点を悠然と歩いているから、だ。彼は本当に作品と一対一で向き合っている。彼が作品について語る時、そこには他の人間は誰もいない。
私が彼を目標にすることはおそらく間違っている。私は彼とは全然違う人間なのであって、努力をするとすれば、彼の真似をするのではなくしのぶのままで彼と肩を並べようと頑張る、という方向でなくてはならない。が、頭では分かっていてもまだまだ感覚はそこまで追いつかない。
意味不明な文章でごめんなさい。
◆
シスタープリンセス RePure. 8話
Aパート。
兄上様と離れていても、鞠絵には彼女なりの生活があって、その生活を彼女なりに一生懸命生きている、ということ。脇役達の扱いには少々不満が残るが、物語全体として見ると着眼点は悪くない。シスプリの妹たちは常に兄とセットになって語られるため、鞠絵については兄や他の妹たちと離れて暮らさなくてはならないという方向から語られがちなのだけど、今回の話はそういう定型に逆らって、こう言って良ければ、兄に囚われすぎていない女の子としての鞠絵が描かれる。これが上手い。今回のお話は一貫して、兄よりも鞠絵の療養所生活の方にウェイトが置かれていた。もし兄本位な展開にするなら、わざわざ療養所内を歩き回ったりしないで病室で二人っきりでいればよいのだし、最後の人形劇の場面もきっと兄と妹たちだけで行われていたことだろう。しかし今回のお話はまさにそうしなかったからこそ素晴らしいのである。ここで示されているのは、今までの定型であった病弱で寂しがりな女の子としての鞠絵ではなく、療養所生活をきちんと生きているひとりの女の子としての鞠絵である。鞠絵という女の子はどうも兄にべったり依存しているようなウェットなイメージが付き纏いがちだが、今回の話はそのマイナスイメージを見事に払拭してみせた。他の妹たちの描写に難があろうとも、このことだけはいくら賞賛しても足りないぐらいだ。
Bパートについては書いている時間がないので後で。
2002/11/19 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#19
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風邪気味。
少しだけ電波を流すか。
自分の精神をかき乱す恐れのあるサイトには行かない、ということをやっていると巡回ルートはどんどん減っていきます。現在の巡回サイトは片手で数えられます。半年前は一日30サイトぐらい回ってました。こういうのは周期性があって、喉元過ぎれば熱さを忘れるとでも申しますか、しばらくするとまた徐々に巡回ルートは増えていきます。で、ある程度増えるとまた減っていく。理由はその時々で違いますが。
***
期待を裏切らないのが素敵だなあとか、千影論が興味深いとか、愉しむ資格がどうのなどというDQN発言をしてヒヤヒヤしていたところに感想がアップされてホッとしておりますとか色々と思うことはあるのですが、現在体調不振でかなり弱気になっているのでひとまずはおやすみなさい。
***
水月はえっちシーンこそが本編だと思うのですがたぶん誰も同意してくれないであろうなあ。
雪さんについてはビンタがすべてですが。
あとね、トノイケ氏は物語を描きたかったんじゃなくて、ただただ純粋に可愛い女の子を描きたかったんだと思う。
順番の問題として言えば、世界があって女の子がいる、のではなくて、女の子のために世界(物語)がある、みたいな感じ。
2002/11/18 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#18
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水月[F&C]再プレイ。
花梨シナリオ。
未遂に終わる初えっち。据え膳食わぬは男の浪漫(by福家堂本舗)…なんて言葉を信奉する私としては、こういう展開はあまりにツボ。抱くより抱かない方が良いということではなくて、敢えて抱かずに慰める、みたいなシチュエーションがそれ単体で大好きだっていう意味ですが。個人的な好みを置くとしても、この場合の花梨はまだ心の準備ができていなくて、和泉への対抗心で焦って自らを投げ出そうとしている訳なので、ここでは抱かないのが正解であると思いたいのだけど、でも普通のエロゲーだったらたぶん途中で花梨をリラックスさせてそのまま本えっちに突入してしまったことだろう。
萌え感情というのは、作り手から受け手へと一方通行的に渡されるものではなくて、むしろ受け手が作り手にシンパシーを感じることによって発生するものだと思う。そういう意味で、萌えというのは意図的に作り出すことはできない。萌えるかどうかの境界は、萌えパーツの造形になどあるのではなく、作り手がキャラクターを愛しているかどうかという部分にこそある。私たちはおそらく、あるキャラクターの背後に作り手の愛を感じ取ってそこに萌えを見出すのである。技術はアウトプットのために必須だが、技術だけでは人の心は動かない。ひとつだけ例を挙げるとして、今にして思えば
ELYSION の作者はメイド萌えであったのかどうか、私は疑問に思う。あれは高度に計算して造られたメイド像ではあったが、作者自身がメイドをではなくキャラクターたちを心から愛していたかどうかはどうもよく分からないところがある。こう言ってよければ、ELYSION
をプレイしている時、キャラクターたちを取り囲む空気と私の気持ちとはどうしても溶け合わない。
水月のキャラが魅力的であるのは、ひとつには作者がキャラクターたちを自分の娘のように愛しているということがすごく強く伝わってくるということに拠る。雪さんであれ、花梨であれ、話を読み進めるにつけ、ああこの子たちは作者に本当に大切にされているのだなあとしみじみ思う。このキャラは作者に愛されている、と思う時にこそ、萌え感情は最も自然な形で湧いてくる。言ってみれば、萌えというのは作者への信頼の表れに他ならない。
トノイケ氏という人は、余程、自分のキャラを愛していたに違いないと思う。特に未遂えっちシーンの辺りだけ取ってみても、えっちシーンへ持っていく展開からして素晴らしく見事だ。告白の後、透矢は花梨を抱きしめるのだが、それに対して花梨は言う。「デートっぽくなってきたね、私の家で良かったでしょ?」と。この台詞の絶妙な軽やかさ。以前私は、水月のえっちシーンについて「日常と地続きになっている」という風に書いたのだが、これなどはまさにそういう例の典型であって、ここには日常とベッドシーンとの間に温度差を生じさせないための細心の注意が見て取れる。ここに私が感じ取るのは、ラブシーンに突入しようともふたりの関係は変わることがあってはいけない、という作者の姿勢である。花梨は花梨のままでなければならない。それだからこそトノイケ氏は、焦って身を投げ出そうとする花梨の行為を、透矢に止めさせるのである。
そしてそれから数日後。二度目の、今度こそ本当のベッドシーン。例えば月姫のこの手のシーンのリアルさに比べれば、水月のそれはいかにも作り物だという感じはする。しかし水月の場合は、まさに作り物であるがゆえに月姫とはまったく違った面白さを生み出しているのである。月姫で感心したことのひとつは男性の性欲描写のリアルさだったのだが、水月では逆にそういう性欲描写がほとんどまったくないのが興味深い。やっていることはセックスなのに、ここでは肉体を感じさせる要素は最小限にしか描かれず、トノイケ氏の筆はひたすらふたりをいちゃつかせることに終始する。トノイケ氏の筆の下で、瀬能透矢という人物は決して興奮(欲情)することがない。花梨との間で交わされる言葉、花梨に触れる感触、ここではそういったものすべてが、欲情へは向かわずに、ただただ花梨という女の子をより愛おしむという方向へのみ向かう。花梨と言葉を交わすたびに、花梨に触れるたびに、もっともっと花梨は可愛くなる。換言すれば、トノイケダイスケという人は、ベッドの上での行為を描くのではなく、えっちシーンを通じて花梨という少女がいかに可愛い女の子であるかをひたすらに大真面目に語っているのである。このえっちシーンにおいて、氏の筆がいつになく生彩を帯びているように見えるのは決して私の気のせいばかりではあるまい。口では「変態」と言っておきながら、そのすぐ後に透矢の耳の傍で「すごく気持ちよかった」と囁く花梨。唾液まみれの透矢の口の周りを、犬の真似をしつつぺろぺろ舐める花梨。透矢の「ぼく専用のおしり」発言に「君、馬鹿でしょ?」と突っ込む花梨。このえっちシーン全編に渡って、氏の筆致は素晴らしい冴えを見せる。ここまでのものを描ける人が花梨を愛していないなどということはあり得まい。
2002/11/17 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#17
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あの精神的ブラクラとも言うべき tryme.jp
の CM のシスプリバージョンを発見。
萌え。
画像への直リンはできないので、興味のある人は現リピュアスレの44番からどうぞ。
あのクソCM、マジでこれと差し替えてくれないかな…。
試みにギャルゲー板のシスプリなりきりスレを12種類読んでみる。
やはりというか、咲耶スレッドだけ段違いに上手い。
どの妹職人さんも頑張ってはいるのだけど、咲耶職人さんだけは「芸」がある。ただ返答するだけに終わっていないのが素晴らしい。
次点で、頑張っているなあと思ったのは、可憐と鞠絵。
花穂スレッドは最近は新人さんがやっているようなのでまだ未知数。以前の、咲耶を雌豚呼ばわりした黒い花穂とかは好きだったのだけど、今回はどうだろう。
あと、四葉スレはちょっと悲惨なことに。
ちょっと気になって咲耶スレの初代から飛び飛びに目を通してみたが、咲耶スレの職人さんは代々レベルが高いようだ。
初代からして、恐ろしく博識な方が演じているらしく、あらゆる質問に申し分のない返事をしている。なるほど伝説になる訳だと納得。
2002/11/16 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#16
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嘘つきな恋人 前・後 [沢渡悠花/LOVELESS]
先日の K-BOOKS 探索でようやく前後編が揃ったので感想などを。
才能、という言葉はどうも本人の努力を無視しているような気がして私はあまり使いたくないのだが、それでも、たまに才能としか呼びようがないようなものに出逢う時というのがある。沢渡悠花という人は、私の見るところ、技術的な巧拙を問題にしないようなセンスの持ち主だ。人物を魅力的に描くツボを心得ているとでも言うのだろうか。前編の第一話、お兄様と咲耶の出会いの場面からして、この人が既に咲耶というキャラクターを完璧に自分のものとして把握していることは疑いない、と言いたくなるほどの見事な筆致である。咲耶の前に全身ずぶ濡れで姿を見せる兄。その初対面の兄に向かって、彼女は不敵な笑みを持って平然と言い放つ。「だってこんな男性あまりいないのよ」「この私の前にそんな格好で現れるなんて」「お兄様が初めてね」。大胆不敵、自信過剰でありながらもまさにそれゆえに他のどの妹にも真似のできないような輝かしい魅力を放つ女の子としての咲耶が、わずか5ページの短編で余すところなく描かれる。この人の描く咲耶はオフィシャルのそれと比べるとやや過激にすぎる気もするが、しかしそれでも咲耶としての基本はきっちり押さえられているので違和感を抱くということはない。いや、それどころかこの本を読んでしまった後では、オフィシャルの咲耶は大人しすぎて物足りなくすら思えてしまう。今、これを書きながら手元に本を置いて読んでいるのだが、もう何回目だかも分からないほど読んでいるにも関わらず、今なお咲耶の言動のひとつひとつにドキドキしてしまう。どうしてこの人の手に掛かると咲耶がこれほど魅力的になってしまうのだろう? もちろん以前から咲耶は可愛いと思っていたが、この人の本を一度読んでしまうと、私は咲耶について何も知らなかったのではないか、と考えずにはいられなくなる。
沢渡悠花という人は、シスプリキャラを萌え視点で見るということをしない人であるような気がする。可憐然り四葉然り。萌え視点で見ていたとしたら、果たしてこれほどまでにキャラクターを生々しく描くことができただろうか。そう、この人は咲耶を萌えキャラとしてではなくひとりの血の通った女の子として描く。咲耶可愛い、咲耶萌え、などという短絡的な思考をこの人は持たない。むろんこんなことは私の想像にすぎないのだが、それでも、おそらくこの人は咲耶が好きであるからこそ、咲耶というキャラクターを冷静に観察してその魅力がどこにあるのかを正確に把握しようと努めるようなタイプなのではないか、と思える。この人は咲耶を可愛いだけの女の子としては決して描かない。お兄様が大好きであるからといって媚びを売るような真似は決してさせない。二話で、咲耶は兄への信頼を口にする。しかしそれは笑顔ではなされない。「でも私には分かるの」「信じられる唯一の人よ」「私の中で一番確かなことだもの」。そして彼女は兄の目を真っ直ぐ見つめて言う。「だからお兄様」「自信を持っていいのよ」。咲耶という女の子は自分の魅力とその効果を恐ろしいほど的確に心得ている。彼女の態度の裏にあるものは、本当は過剰な自信ではなくて、自負とでも呼ぶべきものではないか。「自信をもっていいのよ」と不敵に言い放つ時、そこには溢れんばかりの誇りが見える。この男性こそ私の運命の人だ、と全力で信じる強さ。咲耶がお兄様のことを運命の人と呼ぶのはオフィシャル設定でもあるが、物語の中でこんな風にして語られると、彼女のその想いはオフィシャルよりもずっとずっと強く、真実に、生々しく、こちらに伝わってくる。
そしてそういう風に描かれているからこそ、中盤以降、お兄様への想いのために悩み苦しむ咲耶の描写はいよいよ迫真さを増すことになる。それから後編のベッドシーン。「(後悔)しないわよ」「(後悔)するぐらいなら最初から」「お兄様を選んだりしないわ」。抱かれる直前、兄の、後悔しない?との問いに彼女は笑顔で微笑む。あのいつでも自信たっぷりだった咲耶が、ここに至って計算も自負も一切忘れ去って、まるで何も知らない子供のように、にっこり微笑む。きっと、沢渡氏にとって、咲耶の可愛らしさというのは最初からあるものではなく、発見される必要があるものなのだろう。通して読んだ後でちょっと時間を置いてみると、前半で自信に満ちた咲耶を存分に魅力的に描いておきながら、しかし実はそれすらもが後半の可愛い咲耶を演出するための周到な布石なのではないかと思われてくる。しつこいようだが、前半の咲耶の描写だけでも、この人は他に類を見ないほどのクオリティを既に実現しているのである。それなのに、それだけでは終わらない。前半で100%の咲耶を描いてこれ以上はあり得ないと思わせておきながら、後半では前半を基にして更に200%の咲耶を描いてみせる。一体この驚きと感動をどうやったら伝えられるものだろう?
現在、新品での入手は不可能な(はず)のでお薦めするのは心苦しいのですが。
ただ中古でなら手に入る可能性はあるかも。
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夜。
伊勢崎レジャーランドにて大往生(黒)。
緋蜂まで辛うじて届いたが、レバーが妙にふにゃふにゃで時々自機が予想外の動きをしてしまうので制御が大変だった。
こんなにストレスの溜まるプレイは久しぶり。もう二度とあの店ではやらない。
太田COOMにて、M君(この方は音ゲー専門)とダベる。
たまたま話がギャルゲーのことになって、そっち方面には初心者であるM君に流行もののひとつの例としてKanon[PS2]を薦めてみたり。
以下、Kanon のパッケージを初めて見た時のM君のコメント。
なんか…これってデッサンおかしくない?
骨格とかどうなってるんだろう?
この絵って立体にならなさそうな気が…。
というか、目が大きすぎる絵はちょっと…。
その時は普通に流していたのだけど、帰りの車の中で思い出して独りで大笑い。
いたる絵のデッサン狂いは一般人が見ても明瞭であるらしい。
しかしそうだとして、あの絵に違和感をまったく抱かない私はよほど絵を見る目がないのか、それとも完全に慣れきってしまっているのか。
◆
蛍シナリオのインプレッション。
きみえその主役は蛍たんであると信じているしのぶ的には、こういう感想は他人事ながらなんか嬉しい。
それにしても、読んでいると蛍たんの声が脳内で響いてきて妙に懐かしい気持ちになる。きみえそをやったのはもう一年も前のことで、台詞自体は今はほとんど覚えていないのだけど、ただ、一連の手紙の朗読演出で蛍が最後に自分の名前を“あまかわほたる”と読み上げるところだけは、すごく強いイメージとして私の中に記憶されている。
手紙を何通か読んでいく(というか朗読を聴く)内に、ああたぶん最後の手紙で名前を読み上げるところが胸を直撃するのだろうな、と予測はできるのだけど、実際に最後の手紙を迎えてみると予測できたことなど何の役にも立たずに、ただただ号泣してしまったものだった。
ついでに自分の当時の日記(リンクは貼らず)を読み返してみたり。
我ながらすごいことを書いているなあと思うけど、不思議とあまり恥ずかしいという感覚はない。それだけ、あそこに書かれていることは当時の私にとって真実だったということなのだろう、たぶん。
明日はあゆシナリオでしょうか。
どんな感想をお書きになるのか楽しみです。
2002/11/14 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#14
◆
ノクターン作品15-3[ショパン]の魅力に今更ながら気づいた。
KanonドラマCD〜水瀬さん家(ばんごはん)のトラック10のお花見の話は、わかつきめぐみ作品と同じ匂いがする。
秋子さんを怒らせてみたい。
あんな風に笑顔でかつ全力で抗議されると、すごくこう、愛されている、という感じがする。
大往生(白)。
スコア更新。5.49億、2-4後半レール砲途中まで。
これに萌えてしまった私はとりあえず豆腐の角に頭をぶつけて反省した方が良いかもしれない。
2002/11/13 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#13
◆
少なくとも今年一杯は、毎週水曜日はシスプリの日。
このままのペースで順調にいった場合、最終話は12月25日ということになるのだが、やはりラストはクリスマスの話で綺麗に締めてくれるのだろうか。
◆
アニプリファンへの100問。
反則ですが、全部答えるのはしんどいのでピンポイントで。
というかどう考えても答えようがない質問もあるし。
4. アニプリの第一印象は?
――莫迦アニメ。
13.各メディアのシスプリで、貴方のベストオブベストはどれですか?
――ポケットストーリーズがマイベスト。姉妹としての彼女たち、を描いているのは唯一これだけなので。
17.こんなアニプリグッズがあればいいのに。さて何ですか?
――20話に出てきたオルゴール。本気で欲しい。
22.アニプリの主題歌について一言。
――イントロを聴くと心が躍ります。
25.一番好きな妹は誰ですか?
――永遠の妹としては花穂。恋人にしたいのは可憐。
27.アニプリで感動した場面を5つ以内挙げてください。
―― 1)クリスマスの合唱、2)王子様はお兄ちゃまだよっ!の前後、3)君たち僕の妹?そうだよお兄ちゃまっ!の前後、4)最終話すべて
30.アニプリで意味不明だった場面を5つ以内挙げてください。
――兄の不在に嘆き悲しむ妹たち
33.眞深をどう思いますか?
―― 一番カッコイイ女の子。
34.山田をどう思いますか?
――観ていて痛々しいことが多いのではっきり言って純粋な鑑賞の邪魔。
39.可憐の好きな場面は?
――19話で航に抱きつかれるシーン。細い!
40.花穂の好きな場面は?
――19話でサンドイッチの中身をこぼすシーン。あと、おいひー(20話)、も。
63.アニプリで一番好きなエピソードを挙げてください。
――クリスマスの合唱
64.アニプリで一番嫌いなエピソードを挙げてください。
――山田が出てくる場面全般。なぜ純粋に娯楽作品としないであのようなアイロニーを入れたのかさっぱり分からない。
***
思い出したことがあるのでまったく脈絡なく追記。
最終話において、可憐が航に抱きついてふたりとも転んで海に潜ってしまう場面は実に象徴的である。第一話での可憐と航の出逢いを思い出してみると良い。ここには見事な対照の効果がありはしないか。第一話で航は海に落ちる。この時から少なくとも第三話に至るまで、海というのは航にとってひとつの深淵を意味していた。海は島と本土とを絶望的に分かつものであり、またそれ自体が航を拒絶する存在だった。なればこそ、海に沈む航を可憐が「救い出す」という図式が成立するのである。ところが最終話では事情がまったく違ってくる。可憐は、今度は逆に航を海の中に押し倒す。ふたりは一緒に海に潜る。しかしこの時、海の意味するものはかつてとなんと違っていることだろう。かつて拒絶の象徴であった海は、今や航を祝福する存在へとその姿を変える。かつて恐ろしいものとして君臨していた海は、最終話においてはプロミストアイランドへの道を航の前に用意し、可憐と航のための再開の舞台にすらなるのである。
◆
シスタープリンセス RePure. 7話
シスプリ世界の良さはおんなのこコミュニティーやらなんかでは本当はなくて、亞里亞のような女の子が生きられる世界であること、なのではないかなんて思うことが偶にある。亞里亞という女の子は相変わらず私には理解不能なのだけど、ただ、shelarcyさんの言葉を読んでいると、少なくとも亞里亞というキャラの要がどこにあるのかは私にもなんとなく想像することができてくる。
亞里亞は私が捨てさせられたもの、捨てざるをえなかったものを持っている。そういうものが受容される環境、その中で育っていった亞里亞に対して私は羨望を抱く。
これは亞里亞語りであるというよりは自分語りであるかもしれないが、私にとってはこの言葉こそが亞里亞に近づくための最も重要な鍵となる。亞里亞のことが見えなくなるたびに、繰り返し、私はこの言葉を思い出す。今まですっかり忘れていたのだけど、子供の頃、内容は忘れてしまったがある日私は母親のお手伝いをしていて、要領が悪くて不器用なやり方をしていたのだが、その時母親に不器用な手付きを指摘されて「お姫様じゃないんだから…」と苦笑されたということがある。それ自体は別に嫌な思い出なんかでは全然ないが、ただ、私は「強くなければ生きられない」という言葉の圧迫を――それを言葉ではっきりと意識していた訳ではないにせよ――子供の頃からずっと感じていて、少しでも周囲に合わせよう、付いていこうと努力しなければならなかった。今にして思えば子供の頃の私は、花穂と亞里亞の悪いところを足して二で割ったようなとろくさい子供だったのだが、それが世界に許容されないということは子供ながらにちゃんと分かっていて、そのために軋轢を覚え常に周囲と比較して自分を「直そうと」しなければならなかった。
亞里亞について話を戻せば、もし私が彼女の父親だったら、私は彼女を学校に通わせて良いかどうか躊躇うと思う。亞里亞のような女の子が、学校という集団生活の場で生きていけるのかどうか、私には分からない。生きていけるとしたらそれは余程の幸運に恵まれた場合であって、普通に考えれば彼女はたぶん学校のような場では生きられないと思う。学校はきっと、彼女に色々なことを要求し、彼女をすり減らし消耗させ、彼女を相対的に駄目だと評価して弾き出すだろう。唯一生きられるとしたら、彼女が自ら自分を捨てて社会性を身につけようとする場合であろうが、そんなことをしたら亞里亞は亞里亞ではなくなってしまう。それは絶対にあってはいけない。
そう考える時、シスプリ世界が時の止まった空間であるというのはなんと素晴らしいことだろうと思う。温室育ちのお嬢様、という言葉は時にやや皮相的なニュアンスを含むが、温室でしか生きられない亞里亞という少女はまさにそれゆえに魅力的なのであって、現実を云々することは一慨に正しいとは言えないのではないか。温室でしか生きられないから社会的に亞里亞は否定されるべき、などとどうして言えようか。繰り返すが、シスプリ世界がある美しさを持っているとすれば、それは亞里亞のような女の子が、そのままで、きちっと存在を認められるという点にあるのだと思う。
以下、Aパートについて箇条書きメモ。
・冒頭のスキップするにいやを観て拒絶反応の笑みが。俺様修行が足りぬ。
・ルール無用の椅子取り、でも亞里亞らしくて微笑ましい。
・ハイドンの弦楽四重奏の生演奏を聴きながらの朝食、お抱えのカルテットを持ってるのかこの家は! けっこのブルジョアが!(靖臣風)
・トイレにまで付いてくる亞里亞、この異存っぷりが堪らない。
・偽航、可憐、白雪、雛子、春歌が馬車で亞里亞邸へ。どこの世界だよ。
・びょーきっていったら、ぴゅーってにいやがとんでくるって。これ、これ、この甘えっぷりが許されてしまう世界こそシスプリですよ。
・偽航と亞里亞が会話、それを扉の向こうで聴くじいや。割と定型だけど、じいやさんをも決して蔑ろにしない、綺麗なまとめ方。
Bパートはよく分からない。
以前から思っていたのだが、千影というキャラのあの不可思議な言動は本気なのかおままごとの延長線上なのか、そこがはっきりしなくて据わりが悪い。兄の寝室に入ってきて、ふたりだけの世界へ、とか言われると素で恐いんですけど。私にとって唯一理解可能だったのは、金の林檎が兄くんの寝言によって普通の林檎に変わるところ。普段は千影に翻弄される側である兄くんの言葉が、実は千影にとっては彼女の魔力を解除してしまうほどの力を持つ、というのは実に面白い。印象的な一幕。
2002/11/12 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#12
◆
昨日は頭の中で文章がまったく生成されないという恐ろしい日だった。
たった十行ちょっとの文章を書くために、書いては消し書いては消し、で一時間半掛かった。
リピュアのことでちょっと思い出したので書いておく。
私は実は、リピュアはBパートよりもAパートの方により多く期待している。それはAスタッフが不遇だからなんかではもちろんなくて(しつこいようだが裏事情なんかは視聴者たる私には関係ないので)、要は、キャラコレを忠実に再現しているBパートというのは既に在る物語を映像化しているだけとも言える訳で、当然、Bパートに対する期待は、どの話をどんな風に映像化してくれるのか、ということになってくる。それに対してAパートの場合は、下敷きとなるものが何もない。これはスタッフ側からすればやらなければならないことが多いということになるのだが、その分――誤解を恐れずに言えば――Bパートよりも遥かに自由度が高いし、それはまた観る側としても、毎回、観てみるまで何が飛び出すかまったく分からないというびっくり箱的楽しみが生まれるということになる。まさかスタッフがこんな小さな日記サイトを見るようなことはないだろうが、ただ、Aパートに携わる人間は、経緯はいずれにしても、「まったく新しい」シスプリ世界を創っているのだということは心に留めておいて欲しい、と思う。
◆
嘘を付け、もしそうなったとしても、お前らは手を取り合って良い思い出にしちまうんだよ。
付き合い切れねえよ、お前らといると俺がただの莫迦に見えてくる。
「タッチ」の柏葉英二郎の台詞。
うろ覚えだけど大意ではあっているはず。
人生笑ったもの勝ち、という言葉は私のような人間にとってひどく圧迫感のある言葉だ。
やや酔っぱらい気味の文章(別にアルコールは摂取してないけど)。
よく、甘やかすのは本人のためにならない、と言われる。その言葉自体は社会的にはまったくもって正しいのだけど、違うんだよなんにも分かってねえ、と言いたい時が偶にある。甘やかされて堕落するのもまた人生だろう?と私などは思う。ぶっちゃけ、堕ちるところまで堕ちてもう立ち直れないぐらい甘やかされてみたい、一度で良いから。二度目なんかないのだが、それもまた良し、だろう。私はいまもって幽遊白書の仙水忍以上に共感と羨望を覚えるキャラを知らないのだけど、彼の何が羨ましいって、樹という恋人を持っていたことだ。あのカップルは歪みまくってはいるけど、それでもあそこにはひとつの理想があるような気が、ずっと前からしていた。仙水さんは言ってみれば樹の望むままに調教された訳なのだけど、これは私にとってすごい浪漫だ。私もあんな風に調教されたい。樹はすごい独占欲の強い奴だったと思う。仙水さんに惚れた樹は、彼を自分だけのものにするために、甘やかし全肯定するという手段を持って堕落させる。これを狂っていると見るのはまったくもって正常な感覚だと思うが、私としてはむしろ、樹の想いの深さにある種の感動を覚えてしまう。そこまで仙水さんのことが好きだったのか、という具合に。念のために言っておけば、今は別に人生に失望している訳でも死にたいと思っている訳でもないし、特に疲れてもいない。ただ、一緒に地獄に堕ちてくれる人、というイメージは、私という人間にとっていつでも酷く蠱惑的だ。えろげーぎゃるげーを色々とプレイしていると、偶に、魂を引き寄せられる感覚を覚えるようなキャラに出逢う。例えばそれは、可憐[シスプリ]であったり、琴乃宮雪[水月]であったり、京谷透子[水夏]であったりするのだが、私はどうも、そういう、甘やかされて堕落してそれでも見捨てられることが決してないどころかむしろそれを歓迎しさえする独占欲の強さ、というものに敏感に反応するようにできているらしい。落ちはありません。堕落させたいというほど狂おしく愛されてみたいものです。アイスピックで刺されるのもまたひとつのハッピーエンドの形ではないでしょうか?
2002/11/11 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#11
◆
サイト運営で嬉しい事があった管理人の憩いの場。
普通に良スレなのだが、気持ちは微妙。
かつて雪駄さんに初めてリンク言及をされた(のを知った)時は、片想いだと思っていただけに本気でびびりまくって、嬉しさと、もう後戻りできないという恐さとがないまぜになって興奮でどきどきしっぱなしだったものだったのだけど、今はもうああいう感情を覚えることはなくなってしまった。
遠くまで来てしまったのだなあ、というのが今の正直な気持ち。
で、今のこと。
上手く文章にできないので一問一答。
Q. サイト絡みのことで最近一番嬉しかったことは?
――日記を読んでくださっている方から SisterPrincess
-SweetGoodNight- を貰ったこと。
Q. サイトをやっていて良かったとしみじみ思う瞬間は?
――私の書いた文章を切っ掛けにして、誰かが本(CDやゲームでも)を買って読んでくれた時。
2002/11/10 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#10
◆
秋葉原と神保町へ。
雪月花〜花の舞〜 [KNIGHT/水月/花梨/18禁]
月輪 [翡翠亭/月姫/アルク/18禁]
紅秋幻舞 [CATSGUY/月陽炎/?/18禁]
も〜っと いけないシエル先生R [NORTH RIVER/月姫/シエルメイン/ギャグ]
尿月 [篠原重工/水月/アリマリかぼちゃ/18禁]
ひだまり [雅/月陽炎/オールキャラ/ギャグ]
衛メイン本 [ゆきみ本舗/シスプリ/衛/18禁]
WinterColor [山猫BOX/シスプリ/花穂/一般]
プリティーマジシャン雛子 [LOVELESS/シスプリ/雛子/一般]
Imitation [LOVELESS/シスプリ/衛/18禁]
可憐とふたりの王子様 [LOVELESS/シスプリ/可憐/一般]
嘘つきな恋人 全編 [LOVELESS/シスプリ/咲耶/18禁]
ハートフル4コマ 月姫 [宙出版/月姫/アンソロジー]
シスタープリンセス RePure セレクション [公野櫻子/電撃文庫]
シスタープリンセス オリジナルストーリーズ [MediaWorks]
水夏ドラマCD 第二章 白河さやか編 [Movic]
歌月十夜 [Type-Moon]
月姫プラスディスク [Type-Moon]
くるみぱん vol.7 [くるみぱん工房/水月CG集]
Prologue of Sister Princess - Dear My Brother
- [King Record]
シスタープリンセス 〜12人の天使たち〜 [King
Record]
目のうろこ [小田空/集英社]
中国いかがですか? [小田空/集英社]
***
K-BOOKS で LOVELESS の既刊を4冊まとめて発見できたのは大収穫。
大往生(黒)、トライにて。緋蜂二段階目まで。
大往生(白)、HEY にて。1周4.4億、ノーミス残3で迎えた2-4. 道中3ミス、ボス2ミス、で終了(涙)。5.1億…だったかな。
おまけ。
本日の成果。
最近は秋葉原での食事はすっかりここで固定になっちゃってます。
***
Bパートはシスプリをやっているのではなくて、シスプリを題材に毎回別の話をやっているような気が
なるほど、上手い言い方(言い得て妙)だと思います。
6話Bパートはね、やっぱりあれはシスプリじゃないと思う。
なんというか、私の気持ちを敢えて表現するなら。
例えば4〜10人程度のオフ会でシスプリ6話Bパートの話題が出たら、「あれは素晴らしい、最高傑作」という方向で話をするでしょう。
ただ、もし信頼のおける1〜2人と会って親密に言葉を交わす機会があるなら、「あれはシスプリじゃない」と漏らすんじゃないかと思う。
***
余談ながら、シスプリの場合、スタッフがキャラをどの程度正確に把握しているのか疑問に感じることが、偶にあります。
キャラ把握のレベルという問題で言えば、最近では何と言っても
Kanon ドラマCD(水瀬さん家)が素晴らしい。脇役をあそこまで魅力的に描けるのはもう技術やなんかよりもまず第一に、愛あればこそ、でしょう。
2002/11/8 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#08
◆
喩えれば、ラーメン屋のオヤジにスープの中に親指が入っていることを指摘したら笑顔で「(大丈夫)熱くないですよ」と返されてしまうような感覚。
悪意が微塵もないだけに質が悪い。
◆
2ちゃんねる/国内旅行板/日本の城スレッドより、伏見桃山城、落城。
関ヶ原の前哨戦で鳥居元忠が切腹してから約400年。
二度目の落城ですか。
関係者にとっては笑いごとではないのだろうけど。
◆
2ちゃんねる/ギャルゲー板/咲耶スレッドよりコピペ。
942 名前:咲耶@6月仕様 ◆e4wJuNe/6w [sage] 投稿日:02/11/03 23:38 ID:???
寝る前にちょっと覗いてみたケド、お兄様驚いてるv?
私もちょっと、びっくりしちゃったv
で、新スレ立ててくれた方には申しワケないケド、
私からはごめんなさいって言わせてください。
950過ぎたらまた私が立て直すってコトでいいかなv?
ごめんねワガママばっかりでv
それじゃ、今はこれだけでvお返事はまた後v
お兄様、ワガママな妹で、ホントにごめんねvv
943 名前:名無しくん、、、好きです。。。[sage] 投稿日:02/11/03 23:45 ID:???
気にするな。
我侭な咲耶だから好きなんだよ。
944 名前:名無しくん、、、好きです。。。[sage] 投稿日:02/11/03 23:46 ID:???
了解だよ〜、咲耶。
さて明日まで待って削除依頼検討スレに行って、今のスレの削除依頼を出してもらうことにするか。
みんな異論はない?
ここ数ヶ月の間、毎日「咲耶」として全レスを、しかもある程度の水準できっちりこなしてきた職人さんだからこそ許されることだよなあ。
我侭な咲耶だから、の一言で許されてしまうのが素敵。
ここまで愛されているコテハン?も珍しいのではないかしら。
ちなみに私も一度だけレスを貰ったことが。
現在は新スレに移行してます。
2002/11/7 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#07
◆
シスタープリンセス RePure 6話
なんか違和感がある。
シスプリワールドっていうのは誤解や擦れ違いが生じない優しい雰囲気こそが肝だと思っていたんだけどなあ。誤解が後で解決されてめでたしめでたし、な話は他のアニメに任せておけばよろしい、とか思う。
要は、衛の言動と周囲との齟齬が、観ていて痛々しい。
どこかに泊まりで遊びに行く場合、準備をする楽しみというものは少なからずあるはずで、その辺りをもっと丁寧に描いて欲しかった。あの姉妹たちがみんなでワイワイと準備しつつ期待を語り合うような場面がないというのはシスプリ世界的には違和感。書かれてはいなくてもそういう場面は当然あったはず、と思いたいのだが、もしそうであったなら、バンガローが用意されていることを知らずに衛だけがテントを持ってきてしまったり、マグカップを自分とあにぃの分ふたつだけしか買わなかったり、なんてことは起こるまい。つまり略。衛メインで描きたかったのならテント可なキャンプ場を舞台にするべきだし、姉妹描写メインで描くつもりだったのならそもそもああいう齟齬は起こるはずがない。つまりどちらにしても中途半端。
あと、細かいところを指摘すれば、最後の方、テントに全員集合するところはアニメでは最初に兄が現れてふたりっきりの時間を過ごした後で他の妹たちが乱入するという順番なのだけど、これは普通のアニメならいざ知らずシスプリ的には逆の方が良かったのでは。つまり衛が独りで居るところに咲耶、春歌、鞠絵が現れて姉妹仲良くワイワイとやっているところへ、最後に兄がひょっこり顔を覗かせて大円団、という方がまとまりが良かったような気がする。あれだと視点が宙に彷徨ってしまう。まず仲の良い姉妹というものがあって、最後に兄が現れるという風にすれば、お兄ちゃん中心の女の子コミュニティーとしての方向性が明瞭になって綺麗にまとまると思うのです。
ところで兄上様と鞠絵がいちゃついてる場面のすぐ後の他の三人の横顔がぶーたれてるように見えたのは私だけですか。
◆
まほさろさん[11/6]
生活習慣の違いというやつは戸惑うもので。
迷惑とかじゃないけど、私はごはんは綺麗に食べなさいと教わった口で、同席している人がご飯つぶをお椀に残しているのを見るとなんとなく変な気がすることがあります。余計なお世話なので何も言わないけど。
公衆浴場なんかでは確かに一般的には体を洗ってから入るのが暗黙のルールになってますね。前の会社の寮でもほぼ全員が先に体を洗ってたし、銭湯によっては最初に湯船に入ると番台のおっちゃんに注意されることもあるし、温泉でも体を最初に洗うことと張り紙してあるところがあったりするし。
私自身は外では一応は暗黙のルールに従うようにしてますが、社員寮を出て今のアパートに引っ越す時に最初に思ったのは、「ああこれでやっと先に湯船に入れる!」ということでした。ええ、お風呂は先に湯船に入った方が絶対気持ち良いです。
あと。
お風呂のことと繋がるかどうかは分からないけど、迷惑を掛けてもらえない寂しさというのはかなり分かる。
迷惑を掛ける、というのは親愛表現のひとつだと思います。さじ加減が難しいのだけど。
でも一般的に言って、この人に迷惑を掛けられたいと思う人ほど迷惑を掛けてくれないんだよなあ。
でもってそうでない人が迷惑を掛けてくる。これは困る。
◆
(PM9:00追記)
リピュアBパートのこと。
シスプリが遠くに行ってしまった気がしてちょっとだけ寂しい。
…というのが本音であるぐらい、クオリティが高い。それゆえに萌えられない。萌え感情というやつは原則的には物語の隙間に居場所を見出すので、完璧な世界には萌え感情の入り込む余地がない。宮崎アニメ然り、AIR然り。
こういうのを観てしまうと、私はシスプリのヘタレ部分をこそ愛していたのではなかったろうか?と本気で思われてくる。私の目の前に展開された6話Bパートは、妄想の隙など微塵もないほどに完璧に構築されたひとつの世界だった。あの完成度の高さはいくら絶賛しても足りないぐらいだ。が、まさにそれゆえにあれはシスプリではない…と言ったらいけないだろうか。シスプリの妹たちは手の届くところにいなきゃダメだ、と思う。どうも私は妙なジレンマを感じているらしい。よく言われる、マイナーなアーティストがメジャーになってしまった寂しさ、というのは案外こういうものなのかもしれない。喜ぶべきことなのに、自分が置いていかれたような気がして素直に喜べない。
予告によれば来週はじいやさん(メイド)が登場する模様。
ゲーム版よりも若くなっていて良い感じ。
2002/11/6 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#06
◆
新しいお仕事は今のところ特に問題もなく。
疲れはするけど消耗はしない、というだけでも本当にありがたいこと。
◆
IDさん[11/1]から、The Last songs 〜とらいあんぐるハート'sメモリアルアルバム〜紹介ページ。
正直、ファンから金を搾取するアイテムとしか思えないのだけど、「超・風に負けないハートのかたち」(vo.高町なのは・城島晶・鳳蓮飛)」が収録されているという時点で既に詰み(俺が)。なのはの声で風に負けない〜を歌われたらめちゃ萌えそうな予感。個人的にはひとつの歌の中にそれぞれのソロが入っていたら最高なんだけど無理かなあ。花右京メイド隊OP(※1)とか、あと最近気づいたところではウニメ20話の合唱(※2)とか、要は、単なる合唱にしてしまわないで、各人にソロパートを割り振ることで声色の変化を愉しませてくれるような仕組みにしてくれたら、すごく嬉しいんだけど。
(※)花右京メイド隊OPのソロパートの移り変わり(マリエル→イクヨ→グレース)の萌え度たるやアニメソング最強と言っても過言ではない。
(※)よく聴くと、「護り手に」「身を委ね」「我が意を」「すべて捧げよう」の部分はそれぞれ声が違う。おそらく三人ずつマイクを移動させて収録しているのだろうが、この効果は素晴らしいものがある。
ちょっと古いけど、光GENJIの「STARLIGHT」の終盤で赤坂君(だっけ?)のソロが出てくるところは大好きでした。
同じく、IDさん[11/2]から先のとらハCDのジャケットイラスト。
とらハ3本編内では妙に大きく見えたフィアッセがこのイラストだとちっちゃく見える。
萌え。
こんなイメージのフィアッセが「恭也〜♪」とか言いながらお姉ちゃんぶって抱きついてきたりしたらもう即死です。
………いっそ、とらハ3をもう一回作り直しませんか都築先生?
◆
あんよさん[11/6]
なぜ腰が痛いという話で最初に名前が出るのが可憐(妹)なのか、瑞佳(妻)ならまだしも、と小一時間問いつめるべきかどうか迷うところですが、それは置くとして。4話Bパートが最高傑作であるのは客観的にクオリティーを問題にした場合のことで、超主観的に言えば今までの最高傑作は「しゃくとりむし花穂」と「ぴょんぴょん花穂」のふたつで確定なのであります。無意味に対抗(←莫迦)。
独り言ですが。
5話Bパートに比べたら、4話Aパートで衝撃的だった「お兄ちゃまがぴょん」「花穂ちゃんがぴょん」の場面なんてむしろ良心的だと思いました。
◆
プレイヤーが感情移入するのは主人公でなくてもいいのだ。
土方さんはとらハ3を愉しむ資格――という言い方が傲慢にすぎるならば、条件、というぐらいの言葉に置き換えても良いが――が十分にあると確信致しました。とらハ3についてはしばしば主人公の存在感の薄さが問題点として指摘されていて、私としては忸怩たる思いを抱いているというか、言葉は悪いけど「こいつら何もわかっちゃいねえ」とか考えている訳ですが、主人公に特別なウェイトを置かずに、ということはつまり必ずしも恋愛物語であることを求めずにコミュニティーの魅力を愉しむことのできる人であれば、とらハ3の面白さを存分に味わうことができるでしょう。なんか書き方が傲慢だな我ながら。
ところで、なのはが攻略できるのかという問題について。
向こうの掲示板では一応「攻略できます」と書いたのだけど、これはエロゲーの文法上というか、エロゲー界には暗黙の了解として「攻略可能=エロシーンがある」という公式があるので、そういう意味での「攻略可」なのです。
ただ、私は実は「リリカルなのは」にはそれほど納得できている訳ではないんですよね。なんでかというと、理由のひとつは今更言うまでもなく「クロノ氏ね!」にあるのですが、それ以外に、なのはが主人公なのが残念、というのもあるんです。なのはが主役であるということは、その世界は基本的にはなのはの視点から見たものである訳で、それが私には物足りない。私が本当に見たかったのは、恭也や美由希の視点から見た、妹としてのなのは、だったんです。だから、そういう狭い意味で言い直すなら、なのはシナリオは存在しませんということになります。
まあ本音を言えば、別に批判とかではなく、なのはは脇役のひとりであって全然構わないとも思うんですけどね。とらハ3世界において、なのはは十分に名脇役としてのポジションをキープしていると思うし。なのはの名脇役振りをお望みであれば、レンシナリオをやりましょう。
というかとらハ3は、美由希/レンのふたつのシナリオだけやっておけば良いです。このふたつの物語はとらハシリーズの集大成と呼ぶに値する傑作なので。那美/忍は、キャラ萌え方向なのでお好みでどうぞというところ。
◆
仕事に差し障りがあっては不味いので(←笑うところ)、深夜アニメをリアルタイムで観ることはできません。
リピュア感想は明日に。
2002/11/5 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#05
◆
コンビニに寄ったら瑞佳チョコが置いてあったので試しに買ってみる。
不味くはないけど積極的に食べたいと思うほど美味しくはないな、ぐらい。
どうせなら、ミルクチョコレートで「瑞佳」とかやってくれないですかね。
◆
今朝、夢にシエル先輩が出てきた。
今日のはちょっと特殊な夢で、なぜか頭の中に選択肢が文字として浮かんできた。
「シエル先輩をもう一度抱きしめる」「そのまま帰る」だったと思う。
夢の中の私はなぜかそれぞれの選択肢を選ぶとどうなるか知っていて、その上で「シエル先輩を抱きしめる」を選択していた。
ここまで確信的に行動するのは私の夢では珍しいことだ。
ちなみに抱きしめて(なぜか裸だった)舌を絡ませる辺りまでしか覚えてません、いやマジで。
ちょっと残念。
◆
あんよさん[11/5]→仮藻録[11/4]経由で、シスプリのキャラデザ辞めろ!!スレッド。
興味深い投稿だと思うけど、ただ私個人としては知る必要のなかった情報だな、と。
要するに、ディズニーランドを愉しむためにはミッキーマウスの中に人間が入っているなんてことは知る必要はない、というのと同じ。むしろそういう意味では、単なる一視聴者の立場としては、こういう暴露情報は有害ですらあると思う。
ジャンルは違えど同じ現場作業者のひとりとして心からの共感と同情を覚えはするけど、ただ、同情と作品の評価はまったく別の問題。例えばね、レストランでのウェイトレスさんの態度が最悪でそのために客が不愉快な思いをしたとして、そのウェイトレスさんの個人的事情を鑑みて許す、というのは公正なんでしょうか? 私はそうは思わない。事情はどうであれ、ウェイトレスさんはその仕事によって評価されるべきだと思う。逆に言えば、そのウェイトレスさんが自分の仕事に誇りを持っているかどうかなんてのも評価の上では全然関係ない。彼女がウェイトレスという仕事を愛していようがいまいが、丁寧な接客をしてもらえればこちらは素直に嬉しいし、そうでなければそれまで。
ついでに書いておけば、物を創る人間と物を造る人間とが、同じ心を共有していると思うのは間違い。喩えとしては極端ではあるけど、本を創るのは作家ないし出版社の社員だけど、本を造るのは印刷会社の社員の仕事だということで。クリエイティブな職業の場合は愛がなかったらそもそも務まらないと思うけど、世の大半の仕事に必要なのは愛ではなくて忠実に仕事をやる意思と能力です。シスプリについて言えば、監督や脚本家クラスの人間が仮にシスプリを愛していないとしたらそれは問題だけど、現場の制作スタッフがシスプリを愛しているかどうかは、別問題。例えばリピュアでは目下最高傑作である4話Bパートに携わったスタッフ全員が雛子萌えであったなどと本気で考える人間はいないはず。仮に萌え声を出す声優が実は心の中で舌を出しているとしても、一視聴者である私には関係のないこと。私が評価し愛するのはその声優自身ではなくてその声優の仕事(結果)なのだから。ただもちろん、舌を出していることを明言してしまったらその人は職業人として失格だということになるのだけど。
最後に、日記ではネガティブな書き方をしているけど、私の本音に一番近いのはスレッドの88番ですということを念のため書き添えておきます。
というか、アレだ。
一番言いたいのは、シスプリがスタッフに愛されていようがいまいが、面白ければ絶賛するし詰まらなければ放置する、という基本姿勢は変わらないということ。
◆
大往生(白)。
自己ベスト更新。5.12億。
1周4.53億、2-3ボスまで。
2002/11/4 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#04
◆
スーパーでパックのカットメロン(\100)を買ってみたら堅くて食べられませんでした。
いつもは柔らかくて美味しいのに、いつもは…。
なんで世界はこうも冷たいのだろう。
ところで、月姫のライター氏は痕をプレイしていないらしい、とのこと。
びっくり。
2002/11/3 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#03
◆
夕方より、ぷち・大往生オフ。
KUさんとKMさんと私の三人でルパン122 へ。
2時間ほどゲームを遊んだ後、馬車道に移動して夕食。
なんだかんだ言ってギャルゲーネタが普通に通じてしまうのが可笑しい。
しのぶ (夕食は)馬車道にしましょうか?
KMさん メイドさんを見に行くんですか?
しのぶ メイドさんて(笑)、いやまあ確かに和服のメイドさんと言えなくもないですが。
KUさん 決まった?
KMさん うん、琥珀さんに会いに行くんだって
とか。
あと、誰々のスコアネームの「398」は「咲耶」の意であるとか「589」は琥珀さんであるとか。類友というやつか。
そういえば、キュアメイドでは紅茶を頼むとメイドさんがポットからカップに紅茶を注いでくれる、という話はどこでも概ね受けがよい気がする。
今日もまた突っ込まれたので(笑)一応書いておきます。
私のHNの由来はらぶひなでもうる星でもなく、幽遊白書です。
2002/11/2 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#02
◆
ですます調とである調を織り交ぜて使うのは一般的にはタブーであるらしいのだが、私は、自分なりの演出というか感情表現の一手段として、日記中では割と平気でそのタブーを破る。例えばである調の文章の途中で突然ですます調になるというような時は、その意見の背後から素のしのぶという人間が突然ひょっこりと顔を覗かせるというような効果を期待しているのであり、ですます調の文章の途中で唐突に言い切りが出てくる場合も、やはり、ここは言い切りでなければニュアンスが伝わらないという考えでそういう風に演出する。それが上手く行っているかどうかは甚だ心許ないとはいえ、ともかく幾ら行き当たりばったりにキーボードを叩いているように見えようともそのくらいの計算はしている。
それから、元々私は考えながら書く人だから、というか、文章を書くという行為自体が考えるための重要な手段だから、思考が淀みなく流れる(ことが可能である)ような文体というものをも当然意識する。そうすると、この箇所はですます調の方がスムーズに流れる、と思えるような場面というものがどうしても出てくるし、そういう時は文体を変えることなどまったく躊躇わない。
またもうひとつ、私自身が、思考の軌跡を辿れるような文章を特に偏愛しているということもある。要するに、人は考える葦である、という言葉それ自体よりも、パスカルがどういう経過を経てそういう言葉に辿り着いたのかということの方が私にとっては大事なのだ。よって私は言葉を使うことを惜しむ人は好きになれない。○○をプレイした、○○を読んだ、○○はこういうゲームだ、とかそんな意見にははっきり言って興味を持てない。別に赤の他人がどんなゲームをプレイしようが、そんなのは私の知ったことではない。でも、赤の他人であっても、その人があるゲームをプレイして何を感じ何を考えたのか、ということにはいつも大いに興味がある。
最後に、私は正しさというものを敵視しているらしい、ということもある。日本語として整ってはいてもそれだけで内容がないようなものは絶対に書きたくないという気持ちがあって、それだったらいっそ日本語として奇矯であっても思ったことを正直に書くことの方を重視したいと本気で思っている。
要はそういう文体は私の場合は確信犯でやっている、ということが言いたい訳だが。
(もちろん、ちゃんとした文章を書ける人が敢えて崩して書くのと、元々書けない人がそのまま書くのとでは意味合いは全然違う。そういう意味で、私の文章に品格が備わることは絶対にあり得ない。一応その程度のことは弁えていないと悲惨…を通り越して滑稽だ)
ただ、そこまで自分に甘々な私の目から見ても、昨日の琥珀論はちと失敗だと思った。
内容についてはともかく、あれは日本語としては、「奇矯」を通り越して「壊れて」しまっている。どんなに控えめに見ても、「忘れてはいけない」の部分で文章の流れが断ち切られてしまっている。それから「常々思うのですが」で始まるセンテンスが「ではない」で終わるのも酷い。我ながら無惨すぎる。
◆
大往生(白)。
1-2 でようやく2401HITが出る。
ボス前で9800万ちょい。
1-5 コンボも更新。2701HIT.
開幕x5 なので、これ以上伸びる可能性は現状では思いつかない。
今のところ、5面道中の理論値は約2.7億。アルカディアでは5面フルコンボで3億点とあるが、どうやればそんなに行くのだろうか?
◆
運転中に SweetGoodNight の雛子の語りを聴いて悶えている私は人として終わってるかもしれない。
雛子編はやばすぎると思う。
CDを聴いているというだけなのに、彼女の息づかいがすごくリアルに感じられてしまう。兄妹がいる人は覚えがあるんじゃないかと思うのだけど、はしゃいでいるだけで楽しかった幼少期に、特に寝る訳でもないのにいたずら心で妹と一緒にばたばたと布団に潜って、そうして潜った時の沈黙が妙にくすぐったく感じられてふたりでゲラゲラ笑いだしてしまう、というような経験を、この雛子編は特に強く思い出させる。
このシリーズで私が特に萌えるのは雛子/咲耶/鈴凛の三人なのだが、この三人の語りはいずれも、いたずらの共犯者であることのくすぐったさ、というものの描写と演技が非常に上手いのである。
、、、と言いつつ今日の運転中のメインBGMは「秋子さんのあさごはん」。
栞の絵にまつわる話、思い込みの激しい天野さん、ホワイトデーのお返しを空かされる香里の話、佐祐理さんにメロメロな久瀬君、等々どれも面白い。
総じてこのドラマCDでは脇役たちが非常に良い味を出している。
特に、祐一に翻弄される香里、天野さんの逝っちゃってる言動に引きまくって思わず敬語になってしまう祐一、とかのくだりは最高。
2002/11/1 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-11.htm#01
◆
PS2版「怒首領蜂 大往生(仮)」モニターアルバイト第二期募集のお知らせ
仕事(アルバイト)の応募資格として具体的なゲームのスキルが提示されているのは珍しいことではないだろうか。
「AC版大往生(ブラックレーベルを除く)で2周目5面ボスまでノーミスでいける方」などという無茶苦茶な敷居の高さも笑えるのだが、それより何より私としては、とうとうゲームのスキルがお金になる時代が来たのか、という方向で興味を引かれる。
◆
月姫[Type-Moon]。
琥珀シナリオ読了。
こっちのシナリオは要らないのでは。
今から琥珀さん萌えな方を敵に回すかもしれないようなことを書きますが。
琥珀さんは救われない方が物語として美しいと思うのです。琥珀さんの人生が狂わされてしまったことは可哀想だと思うけど、あそこまで狂わされてしまったら、もう琥珀さんにとっての救いは死ぬこと以外にはない気がするのですよ。翡翠シナリオというのは、翡翠の物語であるのと同じくらいのウェイトを持って琥珀の物語でもあるはずなんです。私が翡翠シナリオに感動した理由のひとつは、トゥルーグッドいずれの結末でも琥珀さんの人生が終わっているということで。琥珀さんというのはもう幸せになることなんてできないキャラなんです。傷痕が産み出してしまった嘘の城壁というものはあんな簡単に破れてしまってはいけない。自分を助けてくれないなんていう理不尽な理由で主人公を憎むくだりなんかは本当に迫真の場面なのですが、それだからこそ、そんな理不尽な理由で主人公を憎まずにいられなかったほどに追い詰められていた琥珀さんは、そう簡単に救われてはいけないんです。あの程度で救われてしまったら、琥珀さんの苦しみが嘘臭くなる。私はそれが許せないのです。琥珀さんが絶望的なまでに苦しんでいたという事実はそのまま事実として在らねばならない。琥珀さんの生が演技だったのだとしても、演技であることをひっくるめて、やはりそれは琥珀さんの生なんです。そこに目をつぶってはいけない。俺が自分の中で琥珀さんの生を完全肯定するためには、琥珀さんの人生にほんの僅かでも嘘があってはいけない。ああいう生き方しかできなかった琥珀さんというものを最初に認めることをしなければ琥珀さんを愛する資格なんてないとすら思う。翡翠ルートの両エンディングは、琥珀さんのそれまでの人生を決して否定しなかった。琥珀さんの人形としての人生を忌むべきもの、否定されるべきものとはしないで、それを事実として認めた上で琥珀さんを救う道を真摯に考えていた。どんな形であれ、琥珀さんは彼女なりに生きていたのです。彼女は演技をすればするほど自分というものが失われていくような気がして怯えていた、というくだりがあることを忘れてはいけない。琥珀さんのそれまでの人生を間違ったものとして位置づけるあり方は、それこそ間違っていると言いたい。琥珀さんが不幸であるとすれば、それは彼女があのような生き方を強いられたということにあるのではなく、誰かが琥珀さんの生を悲劇として位置づけることにこそある。常々思うのですが、私は自分が死ぬということそれ自体は正直それほど恐いという訳ではない。死ぬことはもったいないとは思うけれども。ただ、私が仮に自殺したとしてその後、両親や友達やネット上での多数の知り合いに「あの人は不幸だった」と思われることは本気で恐い。たぶん人生においてこれ以上恐いことはあり得ないんじゃないかと思うぐらい恐い。「あの人は不幸だった」と思われるということは、私の人生を否定されているのと同義なのです。例えば私が自殺したとしたら、私はもうこれ以上生きることが致命的に不可能であるというところまで辿り着いてしまったということなのかもしれない。でもそれはひとつの結末にすぎないのであって、誰も覚えていないとしても、それまでの何十年かの人生の間には、辛いことと同じくらいの数だけ、楽しいことだってたくさんあったのです。そういうものすべてをひっくるめて私の人生なのであって、結末だけであの人は〜なんて思われたくない。それだけは耐えられない。まず何よりも先に、私は私という人間が生きていたという事実を認めて欲しいと思う。だから、私は何よりもまず、琥珀さんという人がいたことを認めたいと思うのです。どんな生き方をしようがともかく彼女が生きていたということを私の心に刻むことこそが、第一にして唯一、私が為すべきことだと思うのです。だから、琥珀さんのそれまでの生をなかったことにするかのような琥珀ENDは許せない。
文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp