棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]


−日記・過去ログ−

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2002/10/31 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#31


 昨日の花穂のこと。

 あれが同人CGだったら私は諸手を挙げて歓迎します。
 ただしオフィシャルでやるのは認められない。
 絵自体は(*´Д`)ハァハァするに十分なクオリティなのだけど、その背後に作り手の萌えさせようという狙いが透けて見える気がして、萌えとかよりも嫌悪感の方が先に湧いてくる。オフィシャルのシスプリは男性的欲望の存在しない世界であって欲しい。女の子の口にしか合わないような砂糖菓子だからこそ私はシスプリに萌えるんです。
 Megami Magazine 最新号(vol.31)に掲載されているスタッフトークでの「シスプリでは生活臭を出さない」という意見はこの作品に関わる者のスタンスとしてまったくもって正しいが、欲を言えば、もっと「男性的なものの存在しない世界」であることを意識していてくれたらなあと思う。


 太田COOM での月姫談義中に、まだ翡翠/琥珀ルートをやっていないという話をしたら、それはもったいないのでぜひやるべきと返されたのでなんとなく月姫を再開してみたり。ついでにファンディスク(名前が思い出せないが)も薦められたのでそのうちやってみようかと思う。

 血なまぐさい部分については極力心を閉ざす方針でプレイ。
 血は嫌い。

 翡翠。

 食指が全然動かなかったのだが、実際にやってみると意外にもかなりツボを突いてくるキャラ。
 外出を秋葉に知られてしまったと言って謝ってくるくだりとか、寝顔を丁寧に解説してくれるシーンとか、その他色々と、かなり細かいところまで気を配って描かれている。メイドさん萌えの別のかたちを提示してくれたものとして、このシナリオは興味深い。つまり、主人公と翡翠は端から見るとビジネスライクなご主人様と使用人の関係なのだけど、実は本人同士しか知らないところでお互いに信頼関係にある、というのが良いのである。端から見るとクールなメイドさんなのだけど、彼女が実は可愛くて優しい女の子であることを自分だけが知っているという。もう独占欲くすぐられまくり。

 意外といえば、当初はなんの期待もしていなかった翡翠シナリオが一番面白かったというのも相当に意外だった。アルクやシエル先輩のシナリオが今はおぼろげにしか思い出せない。何か上書きされてしまった感じ。おそらく、月姫の物語の中で翡翠/琥珀シナリオというのが一番自分の立っている場所に近くて、その分馴染みやすいからなのだろうと思う。誤解を招きそうな表現だが、アルク、シエル、秋葉、の各シナリオは要するに人外の世界の物語だ。それは刺激に満ちてはいるが、私たちの生活とはあまりに遠い。それに比べれば、翡翠/琥珀はまだしもこちら側(人間)の世界の物語だ。守らなければならない大切なものがあり、そのために、彼女たちは心を閉ざし、誰かを憎み、復讐の計画を練る。たとえ負の感情であろうとも、そういう心の動きは理解しやすい。そうして、言うまでもなく、理解しやすいものは人を安心させる。


 大往生(黒)。
 緋蜂発狂までで7.2億。ただし残5EASY設定なのであくまで遊び。

 大往生(白)。
 2-4前半までで5億ちょい。久しぶりに自己ベスト更新。


2002/10/30 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#30


 お仕事決まりました。
 おめでとう俺。

 求職活動を始めて約1ヶ月で4社落ちて5社目で採用。
 途中、面接でかなり嫌な目にも遭って落ち込んだりもしましたが、今はもうそんなことどうでも良い風味。

 求職活動中はずっと精神が不安定でゲームに手を付ける気になれなかったのですが、やっと落ち着いたのでこれでまた心置きなくエロゲができそう。
 日記にそういうことを書かなかったのは、それでも書くのを自制する程度には余裕があったということなのだろうけど。

 11/1 からまた普通のサラリーマン生活に復帰します。
 結局、休暇はちょうど3ヶ月ということに。


 馬車道で友達と祝杯を挙げつつ莫迦話。
 おーろらぷろじぇくとのじゅんたんはほしのひかるいらいのいつざいである、とか。
 付き合いで電気店に入ったら「水瀬さん家のあさごはん」を見つけたので購入。

 太田COOM.
 K君とK君がいたのでいつものようにダベる。
 いつもならシューティング談義になるのに、なぜか今日は月姫談義に。

 アルクの驚く表情がすごく良いとか、シエル先輩の照れ顔に転げ回ったとか。
 相手のギャルゲー歴が不明なのでとりあえず「萌え」だの「貧乳」だのという専門用語の使用を周到に避けた私はクレバーすぎるでしょうか?
 今週日曜日に一緒にブラックレーベルをやりに行く約束をして別れる。

 こんなとこ見てないでしょうが(見られても困るが)、K君、斑鳩の初クリアおめでとうございます。


 シスタープリンセス RePure. 5話。

 好意的に解釈する気も失せる詰まらなさ。
 コメントするに値しない。

 花穂を穢すな。
 あれで視聴者が喜ぶと思っているのだとしたら勘違いも甚だしい。


2002/10/29 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#29


 アクセス解析を見ていると、ここ一週間ほどリンクページからトップに飛んできている人が妙に多い。
 どこかから逆リンクでもされているのか、それとも誰かが個人的にブックマークとして使用しているのかしら。
 調べる術はないのだけど、なんか気になる。

 だからという訳ではないのだけど、久しぶりにリンクページのコメントを更新してみたり。
 私個人はリンクページにそれほど比重を置いていないのだけど、ただ、リンクページについて思うところは色々あって。

 リンク集を作って人に見てもらうというのは、茜姫が秋水様の木を誇らしげに都世君に見せびらかす、というような意味合いであったら良いなあと思う。
 いや、かつてはいざ知らず、少なくとも今はそのつもりでリンク集を置いているつもり。


 月は東に日は西に、グレイテストな私達、不協和音ラプソディ、をつらつらと読む。

 わかつきめぐみという漫画家は惰性や退屈というものをひどく嫌う人のように見える。もちろん私は単なる一読者であってこの人のことを何もしらないのだが、ただ作品を読んでいるとどうしてもそういうことを考えない訳にはいかなくなる。日々の生活に、惰性や退屈や因襲といったものが忍び込むことを決して許さない、というような姿勢こそこの人の作品の基盤であるようにすら、私には思える。いや、こういう言い方はまだちょっと正確ではない。初期のものを例外とすれば、この人にとっておそらく漫画は娯楽ではない。娯楽と呼ぶにしてはこの人の作品が持つ空気は本気でありすぎる。本気であるというのは重いということとは違う。力を抜いていてもそれによって不誠実に堕すということがない、というような意味合いにおいて、この人はいつも本気だ。言葉にしてしまうといかにも陳腐だが、要するに、わかつきめぐみという人は、自分の生活をいつも流れる水のような新鮮なものにしていたいと願っていて、その願いの反映として漫画を描くのである。

 とは言え、この人ほどの才能を持ってしても、それはいつも上手く行くという訳ではないらしい。
 もしわかつきめぐみ作品を発表順に読んでいった人がいたとしたらまた違った感想を持つかもしれないのだが、最初の出逢いが So What ? だった私の目には、月は東に日は西にやグレイテストな私達、それからローズ・ガーデンといった作品たちは、時に「とんがっている」ように見える。どの作品にせよ、わかつきめぐみ流のあの新鮮な空気が満ちていないようなものはひとつもないのだが、それでも、ある種の作品には、惰性や退屈や因襲というものに対抗しようと気張っている作者の姿が見え隠れしてしまうのである。茗さんが馨さんに花束を渡すシーンや睦月と美桜乃の一連の描写などは、わかつきめぐみ以外の誰にこのような恋愛のかたちが描けるだろうと思わせるほど美しいものであるのに、その一方でローズ・ガーデンなどでは、普通の恋愛は決して描くまいという気張りが世界の空気にやや角張ったものを与えてしまっている。

 わかつきめぐみはおそらくいつも自然体でありたいと考えているに違いないのだが、実際に出てくる作品は、自然体でありたいと思って力が入ってしまっているものと、よい具合に力が抜けていて自然と“らしさ”が表れているものとの二種類に分かれる。So What ? を別にすれば、最も良い具合に力が抜けているのはご近所の博物誌だろうか。

 美しいのは、ゆめみること。しあわせなのは、だれかを想うこと。ふたつのことに、いのちをかけて、わたしたちは生きていきましょう、なみだや失望やにくしみにつかう時間はないのよ、人生はとても短いから

 私の大好きな童話作家、立原えりかの作品のひとつ(※)にこんな台詞がある。これはこの台詞だけ抜き出すといかにも教訓的に思えるが、実際には童話の一節としては非常に美しい一幕を作り出しているのであることを念のために書き添えておきたい。いずれにせよ立原えりか女史の言うとおり、私たちの生活においては、悲しみを避けようとしても悲しみは遠ざかってはくれないし、惰性や因襲を追い払おうとしても、却って私たちはそれらに絡め取られるばかりだ。必要なのは敵を意識することではない。自分の好きなものを見つめてそこへ向かって歩くことだ。その時、いつの間にかその人の肩からは惰性や因襲は綺麗にすべり落ちている。ご近所の博物誌の主人公、二羽さんは、そういうことを体で知っている。意識すらせずして、自分にとって何が大切で何がそうでないかをきちんと弁えている。そういう人の住むところに、全身で呼吸をしたくなるようなあの澄んだ空気と、そういう空気がどこまでも広がって続いていくような自由さが、生まれてくるのである。

 (※)赤い糸の電話[立原えりか/講談社文庫]に収録されている、アンドロメダ工房、という短編。
 講談社文庫の立原えりかシリーズは新品での入手はほぼ不可能ですが、古本屋さんだと結構見つかりますので参考までに。


2002/10/28 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#28


 SisterPrincess -SweetGoodNight-

 さる方のご好意でようやく聴く機会を得まして、週末はずっとこれをリピートしておりました。
 ありがとうございます。

 以下、雑感。

 語り掛けCDということで甘い世界が展開されるのであろうことはある程度予測できるのだけど、実際に聴いてみると想像を遥かに超えて甘い。よく、美味しいものを食べた時「ほっぺが落ちる」なんて言い方をするけど、ホントに、ほっぺが落ちそうなほど甘い。脳内麻薬出まくり。
 
 特に、咲耶、雛子、鈴凛、の三人が危険。
 この三人の語りは意外性が特に高くて、それゆえにもう悶え転げまくり。

 咲耶や鈴凛が、あんな風に、照れと嬉しさとがないまぜになったような、いたずらっ子のような笑い方をする女の子だったなんて誰に予想できたろうか?

 りんのひっさつこうげきーころころころー。
 萌え。ていうか悶絶。

 雛子は、さすがに声優さんも苦労しているようでお世辞にも良い演技とは言えないのだが、その不自然さまでひっくるめて萌える。いや、おにいたまと一緒に寝られる雛子の嬉しさがダイレクトに伝わってくるという意味ではこれはこれで成功と言えるのかもしれない。LOVELESSやリピュアやこのCDのおかげで、最近ようやく雛子というキャラが私にも理解できる地平に降りてきたのだけど、雛子という子は、なによりもそのストレートな感情表現が強みなのだなあと思う。雛子という女の子においては、感情と言葉とが分かちがたく結びついている。一旦そこに気づくと、彼女は本当に可愛い。雛子という子は自分の気持ちを飾ったり隠したりするような技巧を知らないのだが、それゆえに彼女の気持ちというのはこちらに非常に直接的に伝わってくる。分かりやすい、というのは常にひとつの美徳なのであって、そういう意味で、雛子は他の誰にも増して一緒にいると安心できる女の子なのだ。

 亞里亞。ありあのおてて、というフレーズを聴いた瞬間、唐突に、私の手の中にすっぽり包まれた彼女のちっちゃなおてての感触が思い出された。もちろんそんな体験をしたことがある訳ではないが、思い出す、という言い方をしたいほどの、あるリアルさをその時の私は感じたのだ。彼女の手は本当にちいさい。握ろうとすれば私の手にすっぽりと収まってしまう。亞里亞というのはなんと不思議な存在なのだろう。私にはやや理解しがたいことなのだが、亞里亞という子はたぶん弱々しさこそが魅力なのだと思う。彼女の手の儚い感触が、ものすごく愛おしく感じられる。このちいさな、きれいな手は私が守ってやらなきゃだめなんだ、誰にも彼女を傷つけさせたりするものか、という気持ちになる。
 そういえば余談ながら、私も子供の頃、寝る時に電気を消すのを妙に嫌がった時期があったことを思い出した。真っ暗なのが恐かったのかそれとも他の理由があったのかは思い出せないが、ともかくそんな私に対して、母親は豆灯を付けて寝る事をしぶしぶ許してくれたのだった。

 シスプリの妹たちは兄との思い出を共有している度合いにかなりの差がある、ということは一度は考えてみる必要があることだ。兄との思い出をもっともたくさん持っていると思われるのは、言うまでもなく、かつて兄と子供時代を一緒の家で過ごした可憐、花穂、咲耶、雛子の四人であり、それに対して思い出というものをほとんど持たないのが四葉、春歌、亞里亞の三人ということになる。例えば、もし兄を除いて12人の妹たちが集まって兄の思い出話に花を咲かせていたとしても、例えば可憐たちの思い出を、四葉、春歌、亞里亞の三人は共有することができないのである。それは時に寂しいことではないだろうか。
 四葉という子はチェキチェキうるさいと思われる時があるのだが、子供時代の思い出を兄と共有していないことに自覚的な女の子であることに気づくと、彼女のキャラ設定は非常に興味深いものに思われてくる。このCDで四葉は言う。

 もしちっちゃい頃もずっとずーっと一緒だったら……一緒のベッドで寝たり遊んだりできたのデス! そうしたら四葉、きっと兄チャマのヒミツがもっともっとわかるようになって、もっともっと仲良し兄妹になれるのデス。

 四葉という子のあの暴風的な積極性は、何も兄が好きであるからというだけではないのである。彼女があれほどまでに貪欲に兄にまとわりつき兄のヒミツに拘るのは、今まで一緒にいることができなかった時間を少しでも埋め合わせたいと真剣に願っているからなのである。


 ランス5D[AliceSoft]終了。

 やりたいことは分かるのだけど、ゲーム性もエロも中途半端な印象。2800円なんだから、というのは単なる思考停止ワードでしかなかろう。ダンジョンを歩く際に当然生じるであろうランダム性をルーレットという手段に置き換えて表現するというのは、アイデアとしては悪くなさそうに思えるが、実際にプレイしてみるとこのシステムは冒険の臨場感というものをごっそり奪ってしまっているように思えた。あるいは開発側としては臨場感を端から切り捨てているのかもしれないが、いずれにしても私にも受け入れがたい。
 それから、ランスの暴走振りが今作では控えめであるように思えた、のもマイナスポイント。ランス3における武器屋のおっさん殺しがあれほどのインパクトを持ち得たのは、我々が抱いている、アイテムショップの店員には手を出せない、という常識を砕いてみせたからなのであるが、そういうちゃぶ台をひっくり返すようなトリックが今作では見られなかった。エロ方向については、CGの構図や塗りなんかはかなり良い線行っている思うが、やはりランスが大人しいという印象がある。例えば昔のランス君だったら序盤のカップルに出逢った時点で男を打ちのめして連れの女の子を奪うぐらいのことはやっていただろうに、今作ではそういう傍若無人さは息を潜めてしまっている。それともうひとつ、エロシーンの薄さも問題。ランスシリーズのエロシーンは昔からあっさり風味だと言えるようなところがあったが、これはランスという作品が質より量(女の子の数)を求めていたようなところがあったから許されていたのであって、今作のように登場キャラ自体が少ないと、個々のエロシーンの薄さが正当化される根拠が失われてしまう。結果、退屈はしないのだけど特に印象にも残らないゲーム、ということになってしまうのである。

 ここでランス3の素晴らしさを語り出したら懐古趣味じじいの戯言と受け取られかねないのだろうが、ユニコーンを掴まえるくだりのようなユーモラスなテキスト(誰かさんのせいでみんな処女じゃありませんよ〜とか)はもう二度と読めないのだろうか、なんてことをついつい考えてしまう。


 G's Magazine #12のメイド服の鞠絵ははまりすぎ。
 もしリピュアOPに出てくるあのメイド風シルエットが下敷きの通り咲耶、鞠絵、春歌、千影、の四人なのだとすれば、いずれメイド服の妹たちがアニメでも見られるのだろうか。

 そういえば、翌朝の花穂のくだりは素晴らしいなあと思ったり。
 なんというか、負けました。

 ただし妹のポイントについては意義あり。
 異性の女の子としてではなく妹として彼女たちを見た場合、個人的に一番色っぽい(※)と思うのは生肩(から腕に掛けての微妙な曲線)と肩胛骨であると主張したい。

 (※)色っぽさには、欲情する色っぽさと欲情しない色っぽさがある、という発想が前提。

 古本屋にて、グレイテストな私達、月は東に日は西に、空くんの手紙、不協和音ラプソディ、ぱすてると〜ん通信、などを購入。

 大往生(白)。
 2-4の1upを取り逃したにも関わらず2-5突入時残1を達成。でも旧4ボス止まり。
 2周目前半面はだいぶ安定してきて良い感じ。


2002/10/27 (日)
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 黄昏時鼎談 [わかつきめぐみ/白泉社文庫]

 表題作に加えて、もののけくんシリーズ、EarthBlue、秋水様と茜姫シリーズ、ONE WAY、などの短編が同時収録。

 どれも過去に繰り返し読んだものばかりだが、それでもなお新鮮さは少しも失われていない。
 秋水様と茜姫のシリーズってこんなに美しかったろうか?
 特に三話なんか、泣きたくなるほど綺麗だ。上手く言えないけど。良い夢をありがとうございます、と遠くの誰かに祈りたい気がする。私は残念ながらわかつき作品的な関係を誰かと作れるような人間ではないのだけれど、でもああいう関係がこの世界のどこかにあるのかもしれないと思うだけで、何か許されたような気持ちになる。

 わかつきめぐみ作品の素晴らしいところのひとつは、彼らが関係に安住してしまわないことだ。人を好きになるのは簡単だが、人を好きでい続けるのにはたいへんな力が要る、と思う。少なくとも私についてはそうだ。好きになるのはいつでもあっと言う間だが、その感情は持続しない。持続させるためには一体どのくらいの努力が必要なのかと考えると正直気が遠くなる思いだ。でもわかつき作品の登場人物たちはそんな不毛な悩みとは無縁だ。彼らにとって人間関係は努力して維持するような性質のものではない。彼らはごく自然に、それこそ呼吸をするような自然さで、他人を気遣い尊重する秘訣を心得ている。いや、人によったら、彼らは人間関係を維持するために全力を尽くしているのだと反論するかもしれない。それは私にも分かっている。ただ、わかつき作品の登場人物達は、そういう、関係を維持するための努力というものをほとんど意識にすら上らないほどの自然さで身につけているのである。関係を維持するための努力というものは、彼らにとってあまりにも当たり前のことなのだ。彼らには惰性という言葉がない。すぐに人間関係に安住してしまい努力を怠る私とはなんと違うことか。いや、そもそも「関係を維持する努力」なんて、まるで自分の気持ちだけでは足りなくて意志を必要とするような物言いこそ、私という人間の欠損っぷりを端的に表しているのかもしれない。


2002/10/26 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#26


 4話の雛子の絵を使ってGIFアニメを作った方、名前は存じませんが神と呼ばせて頂きます。


 怒首領蜂大往生・ブラックレーベル

 群馬県東部では館林のルパン(122号線沿い)に入荷しているのを確認。
 なぜか入荷初日から残5/EASYというヌル設定だったので成果は云々できないが、遊べることは確かだし、残機が多ければ安定して2周目後半面に行けるので黒でパターンを構築して白で実践という方法を取ることもできるだろう。

 今日は黒は2回ほどプレイ。
 2周目モードでやって2回とも緋蜂発狂まで。

 2-5ボスは1番目の攻撃がイヤラシイ。避けられる気がしない。2番目以降は気合いと運でなんとかなるが。
 ジェット蜂は2番目がガン。道が見えない。それ以外は気合い。
 
 緋蜂は1〜2番目の攻撃は絶望的だが、3番目の攻撃が結構避けられるので、ここで粘れば発狂までは残2程度あれば持っていける模様。
 ただ、発狂攻撃は………ホントに避けられるようにできてるのか?(汗)

 その後、太田COOMで白版(ノーマル設定)を1回プレイ。
 一昨日に引き続き、2周目1〜3面をノーミス突破して2-4スタート時残3という快挙。
 ただ、2-4は後半以降が全然歯が立たない。3番目のシャッター以降はいつでも死ねる難しさ。結局2-5突入時残0ボム0。厳しい。


 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド[村上春樹/新潮社]読了。

 村上春樹の小説は言い回しの面白さを楽しむものだと思っているのだけど、どうもこの本に関してはONEとの関連で語りたい誘惑に抗しきれない。
 意外な結末だった。

 *** 以下ネタバレ ***

 ONEにおいて永遠の世界は否定されてしまうのだけど、村上春樹の小説においては最終的には永遠の世界が肯定されてしまう、という辺りが興味深い。
 もしONEをこの小説のラスト風に書き直すならば、みずかを含めてこの世界を産み出したのは他ならぬ自分(浩平)なのであるから彼女を独り置いて自分だけ元の世界に戻ることはできない、と言ってそのまま永遠の世界に留まることを選ぶ、ということになるのだろう。
 もちろん、麻枝的永遠の世界と村上的永遠の世界は意味合いが異なるのであろうが、ただ、この本を読んだ後では、ONEにおける永遠の世界でのみずかと浩平の関わりがもっと丁寧に描かれていたら?とか、そうして最終的にみずかと一緒に住むことを選択し永遠の世界を肯定する結末があったら?なんて想像をしてみたい誘惑にどうしても駆られてしまう。
 
 *** ここまで ***


2002/10/24 (木)
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 PCを真っ新にしてみたらなぜか Abone が動かなくなったので、OpenJane に乗り換えてみる。

 今のところスレッドの更新がイマイチやりにくい気がするのだが、それ以外の点では概ね使い心地は良いと思う。
 お気に入りや板一覧表示が NN_4.x 方式(IEのようなフレーム式ではない)なのもグッド。

 私はフレームは嫌いです、基本的に。
 画面が狭く感じられるのが嫌。

 巡回しているスレッドをお気に入りに新たに登録する過程で発見した空くんの手紙スレッド。
 同窓会みたいな雰囲気。ほんのり暖かい。


 リピュア4話はBパートだけ既に4回ほど観ていたり。

 たいして意味のない仮定だけど、もしDVDを1枚だけ買えるお金しか持っていなかったら私は迷わず4話を選びます。
 しつこいようだけど、あのBパートは本当に素晴らしい。

 昨日の日記に「絵本のよう」と書いたけど、これは必ずしも比喩という訳ではなくて。
 あれは絵本の語法で描かれたアニメだと思うのです。

 絵本といってももちろん色々あるのだけど、ここで私が念頭に置いているのは、子供のちょっとした日常を綴ったような種類の絵本。起承転結を持ち全体がひとつの流れでまとめられているようなお話ではなくて、むしろ子供の目に映る世界(日常)のかけらを少しずつあつめて、ひとつの作品として束ねたような種類の絵本。
 (ちょっと適当な例が思い出せないのが歯痒いのだけど)

 そういう世界には、少なくとも感覚的には、時間の経過というものがない。そこにあるのは、移り気な子供の目に映るちいさな世界だけ。主役は次々と別のものに興味を移していく子供であり、そういう子供の視点に合わせて、絵本のページをめくるごとに世界は様々な姿を見せていく。ここには目的などという野暮なものはない。雨、レインコート、ながぐつ、虹、おにいたま、カエルの王様とおやゆび姫。幼い彼女にとって、世界とは常に新しいものとの出逢いだ。世界は彼女の心を奪う様々な魅惑に満ちている。自分の身の回りのものだけがすべてであるような幸福な世界に、彼女は生きる。夢と現実の境界がない世界はなんと美しいことだろう。


2002/10/23 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#23


 昨日からの総作業時間、約12時間ぐらい。
 バックアップのための表作成に始まり、CD-R焼き作業(x6)、フォーマットとWindows98再インストール、各種ドライバやアプリケーションのインストール、設定変更等。
 おかげで動作は快適になったが、疲れた。

 再セットアップという作業は、割と暇だが時々操作が必要なためにPCの前から長時間離れられない、という問題があるのがつらいところ。時間が細切れになってしまうというか。そういう訳で、今回は合間にプレステを起動してシスプリの可憐血縁ルートをクリア、それでも時間があるので、積んでいた「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド(村上春樹)」を1/3ほど読み進める。


 可憐シナリオは血縁ルートの方が面白いという事実が判明。

 妹の喜びそうなことしか言わない非血縁ルートよりも、時には妹を叱ったりする血縁ルートの方が可憐の色々な表情が見られてお得。夜遅くパジャマのまま兄の家に来てしまい叱られる場面なんか、本当に、普通に仲がよい兄妹みたいに見える。兄の目から見ると、妹の行動っていうのは時々すごく危なっかしく、あるいは滑稽に見えたりするもので、そういう意味で血縁ルートのお兄ちゃんと可憐は妙に生々しくて、見ていて実に気持ちがよい。ギャルゲー的にはともかく、ごく普通の兄の立場とすれば年頃の妹と手を繋ぐなんてことはまずあり得ないことで、だから例えば可憐が手を繋いでくれとお願いする時、それを断る方がリアルなのだ。ギャルゲーエロゲーにおいては妹というのは今やすっかり恋愛対象に成り下がってしまっていて、しかもあまりにそういう作品が多いせいでもはや誰もそのことに疑問を抱かなくなってしまっているのだが、本来、妹に対する兄の心情というのは「面と向かっては優しくしないけど、妹(家族)として大事にする」というものなのであって、だから私は恭也と美由希(とらハ3)や一臣さんと史緒さん(笑う大天使)のような関係に言いようのない親しみを覚える(※1)のである。恋愛関係にならなくても仲がよい、という間柄はある意味では兄妹の特権とでもいうべきで、それをわざわざ恋愛関係に縛ってしまうのはなんとも勿体ないことだ、と思う。別に恋人でなくたっていいじゃないか(※2)。そもそも、仲の良い兄妹を描くために恋人の真似をさせる必要はない訳で、もっと兄妹であることに自覚的な以下略。可憐血縁シナリオをやって、久しぶりにそんなことを考えた。

(※1)私自身は別段、妹と仲良くしたいとか思ってはいないですが。私とふたりの妹は、仲がよくも悪くもならずずっと兄妹なのだろうなあと思うし、それで良いのだと思う。ハウス世界名作劇場的な兄妹愛家族愛みたいなものへの憧れというのは私の内には確かにあるんですがそれはまた別次元の話。

(※2)エロゲーの場合はエロという縛りがあるためにやむを得ないと言えるようなところはもちろんある。しかし今にして思えば、もし都築真紀氏がそこまで考えて美由希シナリオを二パターン用意したのだとしたら感嘆モノだ。未プレイの方のために一応書いておけば、とらハ3の美由希シナリオは、恋人になるか兄妹のままでいるかを選択することができて。どちらのルートを選んでもちゃんとハッピーエンドに向かうようになっているのである。


 シスタープリンセス RePure. 4話。

 Aパート。
 花穂のお泊まり話。

 ようやく咲耶の出番が。にんまり。
 咲耶サン、もっと過激なスケスケ悩殺ネグリジェとか選んで花穂をモジモジさせてください。
 よく見ると、おにぎりを食べてる花穂のお口にご飯つぶ。なぜそこで、ひょいぱく、をやらないのか兄。
 なぜ「兄の家に」花穂とふたりきりで映っている写真が飾ってあるのか。
 はいあーん、で花穂にみかんを食べさせる兄。よくやった兄。偉いぞ兄。
 この一連のシーンは非常によく描けていると思う。みかんを剥こうとして目につゆが入ってしまって痛がる花穂、代わりに兄が剥いてあげる、ひとふさ取って花穂へ、花穂の差し出した手を見てみかんを引っ込める兄、花穂も兄の意図を察して「あーんして」でぱくっ、照れる花穂、でもすっぱさに思わず口をすぼめてしまう。花穂と兄との時間はいつもいまいち格好良く決まらないのだが、そのことによって、ふたりの時間はもっともっと甘くなる。花穂のドジを正確に把握した秀逸なエピソード作り。
 ぴょん、ぴょん。
 …いかん動揺するな俺。これくらいの演出に萌えられないでどうする俺。
 うさぎ柄のパジャマから来る花穂の夢、夢の中で転んでお兄ちゃまにお姫様抱っこ、花穂、首に手を回してきゅっと、兄、お姫様抱っこで花穂をベッドへ。

 まとめ方も綺麗。
 幸せ。

 Bパート。
 大方の予想を裏切って雛子。

 上質な絵本を見ているよう。
 まさか雛子の回でこれほどのクオリティのものが見られるとは思わなかった。
 個々の場面を云々する気にはなれない。隅々まで完璧。

 これを電波の一言で片づける方は自分が子供だったころのことを忘れてしまった人だ。おやゆび姫のエピソード(夢)と雛子の日常(現実)とが絶妙なさじ加減で絡み合う。いや、絡み合うというのは大人的な表現だろう。雛子の世界においては現実と夢とが分かちがたく結びついており、それが彼女の世界を言いようもなく魅力的なものにしている。
 それから、あんなに饒舌な子供はいない、という意見は当たらない。確かに子供というものはあんなに詩的に物事を考える頭を持っていないが、でも世界を詩的に感じ取る能力は持っている。今回のリピュアBパートは、言ってみれば子供の世界を大人にも理解可能なように言語化したものなのだ。

 美しい絵本を、一枚、また一枚とめくって読み進めていくような心地よさ。
 幸せ。


2002/10/22 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#22


 ここ数ヶ月ほどPCの動作がかなり不安定になっていて、それにも関わらず再セットアップが面倒であるという理由で今まで騙し騙し使っていたのだが、ぼちぼち限界っぽいのでフォーマットと再インストールを決行することに。動かなくなってからでは遅いし(過去に一度だけ経験あり)。


2002/10/21 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#21


 シスプリラジオを聴いて花穂の独り語りに悶絶死。

 この手のラジオ番組と言えば無駄にハイテンションで無駄にイタイのが相場なのに、まさかリピュアBパートレベルのシリアス語りが聴けるとは。
 これほどすごいものを今までスルーしていたとは我ながらなんという愚挙。

 語りの部分だけCD化してくれないかしら。
 シスプリについてはこれだけ色々なメディアで展開されているにも関わらず未だにドラマCDが存在しないというのはどうしてなんだろう?
 仮想恋愛ツールの極北のような存在なんだから普通は真っ先にお兄ちゃんへの語り掛けドラマCDが出ると思うのだが。


 昨日の引き続き川原漫画。

 今日は「美貌の果実」「中国の壺」「メイプル戦記1〜2巻」の4冊。
 どれも一度は読んだ記憶があるのだけど、ほとんど内容を忘れているので新鮮な気持ちで読めた。

 メイプル戦記はなんか悪い意味で普通の漫画になってしまっているような。
 川原氏独特の野暮ったさ(褒め言葉)があまり感じられないのが残念。

 音楽評論家の吉田秀和は、ショパンの作曲観について「この古典主義芸術家にとって、音楽作品とは、自分のいいたいことを盛った容器ではなくて、芸術としての審美の規律に従って作られた“美の器”だった」と語っている(※1)。ショパンのすべての作曲についてこのことが当てはまるかどうかは疑問の余地があるにせよ、これは物を創る人間の創作スタイルというものについて考える上で興味深い問題を含んでいる指摘だと思う。吉田氏の指摘に従えば、世の中には二種類の創り手がいるということになる。すなわち、作品に自分を投影する人としない人と、だ。クラシック音楽の分野で言えば、おそらくベートーヴェンなどは自分語りをする作曲家の最たるものということになるだろう。

 で、川原泉の話。

 私の見るところ、この漫画家ほど作品と人間とが良い意味で結びついているような人は他にいないと思う。基本的に私は、どんな漫画であれ、その作品の背後に当然いるはずの描き手というものについてほとんど考えることがない。例えば、Honeyという作品は橘裕というPNを持つひとりの少女漫画家がいなければ当然この世に存在しなかった訳で、そういう意味ではもちろん作者には最大限の敬意を払うが、ただそれとは別にHoneyという作品の中にいるちーちゃんは作り物などではなく、既に作者の手を離れて独立して、どこにもないどこかの街の高校で養護教諭をやっているひとりの女性として存在している。私の目に映るちーちゃんは、創られたものではなく「そこにいる」ものであり、Honeyを読んでいる時に作者のことを思い出すということはほとんどない。

 ところが、川原作品ではまったく事情が異なる。川原作品においてももちろん登場人物たちは独立して生きてはいるのだが、どういう訳か、私は彼らの背後に、作者の息づかいのようなある生々しさを感じてしまう。これが他の作家であれば、(いつもの調子で)作品世界が作者の手を離れていないと言って批判するところなのだが、川原作品の場合は、むしろその生々しさこそが肝になっているような節がある。普段の私なら滅多にない(※2)ことだが、川原作品を読む場合に限っては、こんなキャラクターを産み出す川原泉という人はどんな人なんだろうと想像してみずにはいられなくなるのである。あるいは、本来キャラクターへ向かうはずの興味と好意が、この作者の物に限ってはキャラクターを突き抜けて作者自身へ向いてしまう、という風な言い方をしても良いかもしれない。

 どうしてこういうことになるのだろう? おそらく理由のひとつは、川原泉という漫画家はお話を「創る」人ではなくお話を「語る」人だからなのだと思う。今回まとめて文庫本を8冊読んでみて感じたのだが、この人は世界を創るという行為にはあまり興味を持っていないように思える。この人は、美しいものや楽しいことが好きだからそれを物語にする、という人ではない。川原女史が物語を描く動機はもっと別のものだ。いや、果たしてそれは動機と呼べるようなものだろうか。この人は物語に何も望んでなどいない。ただ、自分の生活の中にある些細な幸せや悲しみをそのまま語ってみせるだけだ。おそらくこの人ほど「理想」という言葉を持たない人はいない。彼女は決して理想に縛られ苦しめられたりはしない。隣の芝生の青さを羨ましがるような感情は、川原泉から最も縁遠いものだ。この背伸びをしない姿勢、何物をも欲しない姿勢は、この苦しいことの多い世界でなんという安らぎを与えてくれることだろう。

 今になってようやく気づいたのだが、私が川原作品に求めているのは、ひとつの完結した世界ではなく、川原女史の語りそれ自体なのだ。作品はここでは媒介にすぎない。私は、川原泉作品というのはすべての著作をひっくるめて巨大なひとつの変奏曲なのだと言いたい気がする。変奏曲という形式は一般的には主題が様々な表情を見せて展開する音楽として解されるが、違った言い方をすれば、ひとつの主題が繰り返し繰り返し立ち現れる音楽(※3)だと言うこともできる。それと同じように、川原泉はたったひとつのことを、繰り返し、繰り返し、語り紡ぐ。彼女は、ひとつの言葉を繰り返し、繰り返し、宝物を取り扱うように手のひらにのせて私たちに差し出してみせる。私は、ただ虚心にそれに耳を傾ける。そこにはいつでも、笑うことを忘れない人の声が聞こえる。そうして私は、生きるというのはこれほど単純なことだったのかということを、繰り返し、思い出す。

 人生はいつだってかぼちゃ計画…。

 そう言って羽希は泣く、心の中で(※4)
 しかし彼女は純粋に悲しいから泣いているのである。
 その涙に、不満や失望や憾みの色はほんの微かにすら混じらない。

(※1) 吉田秀和全集(旧版) [白泉社] P.258
(※2) 都築真紀やひな。などが例外ということになる
(※3) ベートーベンの作品111アリエッタを念頭に置いている
(※4) 「かぼちゃ計画」、中国の壺[川原泉/白泉社文庫]に収録



 全然関係ないが、そういえば。
 川原作品との出会いはちょっと変わっていて、まだ実家に住んでいた頃、私が買って読んでみたもののよく分からなくて放り出した「フロイト1/2」をなぜか四歳下の妹が気に入って、それからいつの間にか実家に川原関連の単行本が増えていて、たまたま妹に「笑うミカエル」を薦められたのを切っ掛けにしてその時ようやく川原漫画の面白さを発見することになったのだった。私が妹に出会いの切っ掛けを作り、今度は妹が私に良さを教えてくれた。なんとなく不思議な気がする。


2002/10/20 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#20


 栄養失調が抜き差しならないところまできているようなので、本屋に行って川原泉の諸作品(文庫)を調達、まとめて読む。

 まず「フロイト1/2」「空の食欲魔神」「バビロンまで何マイル?」の三冊。
 それから部屋にあった「甲子園の空に笑え!(銀のロマンティック…わはは)」も。

 文庫版の「フロイト1/2」には「たじろぎの因数分解」という短編が収録されているのだが、あの川原女史がこれほど普通の恋愛物を昔は描いていたのかと思うと、不思議な感動を覚える。もちろん、恋愛物といっても川原風味に料理されたものではあるのだが。


2002/10/19 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#19


 神社鑑賞の心得。

 土方さんのこの手の文章を読むのは久しぶりな気がする。
 相変わらず、バランスの取り方(力の抜き具合)が絶妙。

 わざわざ説明するのも野暮だけど、力の抜き具合とは手抜きとかとは違います。
 余計な力が入っていないゆえに生まれてくる軽妙さがある、ということ。


 昨夜は18禁シスプリ妄想スレに神が降臨していたらしい。

 衛の一人称による初夜ネタなのだが、他の姉妹公認であるという点がヤバイ。
 読み終えた後で、ポルナレフを追い詰めるディオの台詞が頭をよぎったり。

 「どうした動揺しているぞポルナレフ? 動揺する、それは萌えているということではないかね?」
 「それとも、萌えちゃいけない、と心の中では思っているが、あまりの楽園振りに無意識のうちに逆に体は萌えていたといったところかな…?」

 とか。

 …わ、私は萌えてませんですじょ?
 妹に手を出すなんてそんな(*´Д`)ハァハァ………いやもとい倫理にもとるようなことはできませんて。
 ましてや速攻でローカル保存なんてしてませんとも。

 気まずいのでリンクは貼らず。
 探そうと思えばすぐに見つかるでしょうし。  


2002/10/18 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#18


 何もしない一日。
 お風呂に三回ほど入った。
 あとは寝てた。

 ***

 日参してた数少ないweb日記、ここ一週間ほど「読者制限」が掛かっててどうしたんだろうと思ってたのだが…。

 事情(ここをずっと読んでいただいた方なら、だいたいお察しはつくと思いますが)により、閉鎖させていただきます。

 、、、ということらしい。
 理由はなんとなく想像できるが、いずれにせよ惜しいことだ。
 自分の身の回りの出来事を面白く語れるウィットを持った貴重な人だったのに。

 ***

 …ウィットっていうのはなかなかに便利な言葉だな。
 私と長森瑞佳(上記とは関係なし)との違いは、本当は「選択」の有無なのだが。

 瑞佳が時に可愛さすら超えて眩しく見えるのは、彼女が自分の周囲のものを取捨選択せずに受け入れているからだ。
 私は違う。私は選ぶ。徹底的に。
 あらゆるものを、価値のウェイトという奴で分類してしまう。で、価値を感じられないものには最小限しか関わらない。
 自分で特にそうしようと意識している訳では全然ないが、自然とそうするように、しのぶという人間はできている。
 私は瑞佳と違いすぎるという理由によって、自分が嫌いだ。


2002/10/17 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#17


 「きょうだい」で「兄妹」と変換されるのはここを読んでいる諸兄には当然のことと思いますが。
 今日、ちょっと趣味とは関係ない文章を打っていて「おやこ」が「父娘」と一発で変換された時は力が抜けました。
 いや、登録したのは誰でもない私なんだけどさ…。なんか気勢をそがれたというか。

 シスプリは兄の周りに妹が「12人」いてこそシスプリだと思うのだが、その辺り、新アニメのスタッフはどう考えているのかと小一時間(略)。
 正直、3話を観てから色々な意味で欲求不満。

 口直しに旧作DVDを見直そうと思う。

 昨日、可憐の服が旧バージョンと同じ?とか書いたけどよくみると違ってた。
 新の方はベストがチェック柄だったりとか、胸元のタイが大きいとか。
 ただ、全体の色調は同じなので似ていることは確か。

 アニメ板シスプリスレで、今作Bパートの順番は可憐を起点として誕生日順なのではないか説が。
 確かに、可憐(9月)→衛(10月)→亞里亞(11月)、の順だと合致するので面白い予想だと思う。
 すると来週は12月生まれの咲耶ということに。その次は花穂か。
 本当に当たったら大したものだ。

 ところで旧作オープニングの「傘をくるくる回してから振り向く亞里亞」の場面ってアニメ版キャンディキャンディオープニングのオマージュなのではと思うのだが如何かしら?
 
 以上、マヨイガ逃避終わり。


2002/10/16 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#16


 意外な方面から突っ込まれてる模様。

 旧仮名遣いという言い方は好ましくありませんでしたか。
 ご指摘感謝します。

 私としては特に拘りがある訳ではないのですが、心に留めて置きたいと思います。


 とくそんさんの日記を読んで久しぶりに RISE をプレイしてみたくなったものの、HDDを漁ってもセーブデータが見当たらないのでやむなく中止。たぶんバックアップ用MO のどれかに入ってるはずなんだけど、わざわざMO本体を箱から取り出して接続してドライバをインストールするのは面倒だし。

 代わりにムックを読んで当時のことを思い出してみたり。

 当時、ロボットと言えばマルチ[東鳩]だった頃、ななことの出逢いは衝撃でした。
 ウインドウに張り付いてアクセサリーを欲しがるななこ、というものを一度見てしまうと、マルチという子の自己主張のなさが何か不自然なものに感じられてしまう。それからいじけてメモリちゃんを握りつぶす描写のリアルさとか。ななこが泣きながらメモリちゃんを握りつぶしてしまう時、それは彼女がぬいぐるみをぞんざいに扱っているということにはならず、むしろそういう行為こそが、ななことメモリちゃんが長年の連れ合いであること、他に代替の利かない無二の間柄であることを雄弁に物語っているんですね。物語の展開の上では関係ないようなこういう小さな部分までもきっちり演出されているのはもう感動もので、こういうのを見るに付け、このゲームは制作者に愛されているんだなあということをしみじみと感じてしまう訳です。

 ところでノーヒントでプレイするとたぶん最初はななこノーマルエンドに向かうと思いますが、もし一シナリオだけお薦めするとしたら私は涼子シナリオを推します。RISE をやるならこれだけは見ておけ、と。kanonにおける真琴シナリオみたいなものですね。真琴シナリオとは涼子シナリオは全然関連はありませんが、要は真琴シナリオをやらずしてkanonを語るな、みたいな感じ。


 マリア様がみてる [今野緒雪/コバルト文庫]

 ひとまず一巻だけ読んでみる。
 すいません、どこが面白いのか全然分かりませんでした。

 流行るものには何かしら理由があるのだろう、ぐらいの好奇心で読んでみたんですが、特に衝撃を受けるような内容ではなかったです。紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブウトン)とか姉妹(スール)とか、逝っちゃってる呼称は耽美でよろしいのですが、内容自体はいたって普通の少女漫画じゃないかなあ。もっとこう、読んでる方が赤面してしまうようなお話を期待していたのですが。例えば主人公が抱いていたのであろう、祥子様の、目眩がするような凛々しさといったものを最後まで共有できなかった、のです。


 シスタープリンセス RePure. 3話  Aパート。

 お待たせの身体測定。
 可憐は保健委員なのか?
 いや、そもそも可憐の来てる制服(?)は星見が丘学園のと同じに見えるのだが。
 ぶるま花穂に続いて衛登場、回を追う毎に作画がヘタレてきているのは気のせいでつか?
 花穂はぶるまー姿よりも制服の方が色っぽい、というのが満場一致で可決されました(俺の脳内で)。
 お風呂上がりにミネラルウォーターをラッパ飲みする花穂。様式美って言葉を知ってますかー? 年頃の娘さんがラッパ飲みなんてしちゃいけません。ちゃんとコップに移してから飲んでください。
 バスタオルはらり。ごふぅ(吐血)。
 脇から手を入れて花穂を持ち上げるお兄ちゃま(神に敬礼!!)。萌え。激しく萌え。三度(みたび)萌え。
 前作からそうだったけど、実はアニメ版で過度に体が触れる場面ってあんまりなかったんだよね。前作19話ではスケート中に航が可憐に抱きつくシーンがあったけど、あれは不慮の事故だし。今回のようなスキンシップは珍しく、それだけに効果抜群。

 、、、でも根本的な解決にはなっていない罠。現実から目を逸らしてどうしますか。
 
 全体として見て、花穂の莫迦っぷり(それゆえの魅力)をはき違えてるような気がする。

 Bパート。

 意表を突いて亞里亞。
 コメントするのは無理です許してください(土下座)。
 つか、亞里亞、頭身高すぎ。最年少の妹(精神年齢がとは敢えて言わないけど)なんだからもっとちまちまじゃないと。
 兄(?)登場。…誰これ?


2002/10/15 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#15


 リファを眺めていて発見したTHE GREAT GAME - 言紡師の書齋というサイトの日記を読んで、爆笑したりふむふむと頷いたりとか。

 雪さん[水月]に対する賞賛の言葉は世に数あれどえげつなし!という言い方は初めて見た。
 ここまで簡潔にして的確な雪さんへのコメントを私は他に知らない(笑)。

 それからONEの内容考察もお薦め。
 発売からだいぶん経って既に語り尽くされた感のある作品について、今尚これだけ新鮮な(というよりほとんど瑞々しい)ものが読めるとは思わなかった。

 女性においては、生と死、現実と夢ががっちり繋がっている、というのは男の立場から見ると羨ましい限り、とうっかり言ってしまいたくなるのだけど、繋がっていることがデフォルトであるがゆえに境界が曖昧になってしまうのだとしたら、それはもう簡単にどちらが良いとか言えるものではないのだろうなあ。

 ところで怒濤のエロゲというのは文章から推測するにアトラク=ナクアですよね?


 遠野物語[柳田国男]読了。

 正直に告白すると、旧仮名遣い(でいいんだよな?)に慣れていない無教養な私には少々荷が重かったかな、という気がする。何を言っているかは辛うじて読みとれるが、ちょっとでも集中力を欠くともう言葉が頭に入ってこなくなって、現代語小説をすらすらと読むような訳には到底いかない。自分では自覚できないが、おそらくこのお話の魅力の半分も私は汲み取れてはいまい。言うまでもないことだろうが、文章を読む、というのは単に内容を理解するということだけではなくて、その文章が持つ独特の音色やリズムを楽しむというのも重要な側面としてあるはずで、それができないというのは勿体ないことだと思う。

 例えれば、私が旧仮名遣いの本を読むというのは、対位法や装飾音という言葉すら知らずにバッハを聴くようなものなのだろう。私自身、それほど厳密にそういった用語を理解している訳ではないが、それでも、バッハ音楽にはいわゆる「メロディと伴奏」という主従関係が存在しないこと、バッハ音楽の基本は複数の旋律が対等の重みを与えられて書かれていること、またクラヴィーアのための諸作品においては、しばしば演奏家によって楽譜にない装飾音が付け加えられること(これは当時の慣習だった)、等を知っているのと知らないのでは、聴こえてくるものに雲泥の差がでてしまうことは分かる。それについては、最低限必要な教養という言い方をしても良いが、私としては、魅力を汲み尽くせないのは勿体ない、という言い方を敢えてしたいと思う。


 怒首領蜂・大往生。

 一回だけプレイ。
 1周目ぼろぼろで2.4億。
 2周目で覚醒。2-2中ボスで1ミスするも、2-3ノーミスでエクステンド、2-4の3つ目のシャッター過ぎで1ミス、1upをボムを使って強引に回収、レール砲台で1ミス、4ボスはボム2発使って安全に葬り、初の2-5突入。残0ボム0なので大して保たなかったが、それでも快挙。


2002/10/14 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#14


 web日記などで目にすることが多い「マリア様がみてる」とは一体なんなのか?という疑問を抱きつつ検索。
 コバルト文庫らしいことが判明。

 とりあえず二冊ほど買ってみたり。
 話題になるからにはそれなりに面白いのだろう。粗筋を読む限りだと、耽美な方面に全力で突っ走ってる電波ゆんゆんな話、という印象。しのぶ的にはものすごく楽しみ。

 目下のところ、遠野物語[柳田国男]を読み中。

 まだ前半だが、透矢が見た山之民の女性を思わせる描写やら山に住む異人らしき人々やら隠れ里やら、が続々と出てくるのが興味深い。ここまで類似していると、トノイケ氏が遠野物語を読んでおり、水月の物語を描くに当たって同書を下敷きにしていたであろうことはほぼ間違いあるまい。

 大往生を一回だけプレイ。
 1-2、2375HITが出る。ボス前9800万。ボスでハイパーを使って無理矢理HIT数を稼ぎ、遂に念願の「2クリ1億」を達成。
 その後は平凡。
 いつもと同じように、2-2ボスで1ミスして、2-3ボス発狂で終了。

 3時半頃、車を運転中にふと電撃10年祭のことを思い出したのでラジオを付けて文化放送にセット。
 ちょうどシスプリイベントの実況をやっているところだった。

 今回のパーソナリティーは花穂役の人と春歌役の人らしい。
 春歌役の人はともかくとして、素で花穂の声を出す成人女性が存在するという事実を前にして、私は笑う以外にどうしたらよいか分からない。

 会場は相当テンション高いらしく、もしその場に居合わせたら気まずくなるであろうこと必至。
 あと、今回はリピュアの3話が先行公開されるのだそうで。ズルイ!!


2002/10/13 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#13


 水夏&WaterSummer夏の想い出ガイド。

 物語の詳細なチャート、DC版の追加CG(たぶん)、線画、各声優コメント。
 それとMADテイストなオリジナルムービー、ドラマCD。

 内容スカスカ、ドラマCDは面白くない。
 これで1800円は詐欺。


 某BBSに投稿したものの焼き直しだけど。

 どうして月姫が肌に馴染まなかったのかというと、ひとつには、私自身が生や死を意識するよう日常を送っている訳ではないからなのかな、という気がする。月姫は娯楽作品であって、それゆえに自分との関連でしか物を語れない私は、この作品について語る言葉を持たない。
 それからもうひとつ、血というものに対する生理的嫌悪感というものがある。あの物語には読者を引き込む強力な力があるけれども、正直言って私には少々荷が重い。あの物語は過度の緊張を強いて私を疲れさせる。

 ところで、目に見えない隔たりということを言い表す言葉として個人的に一番しっくり来るのは「空気の断層」という表現だったりする。出典はバスタードの何巻だったかの、ダーシュvsカル=ス戦でのアレ。真空の壁を作ることでカルの冷気を遮断するというのが物理学的に正しいのかどうかは分からないが、ただ、空気を遮断するということ、温度が決して伝わらないという雰囲気だけは、私の中で妙にリアルなイメージとして残った。
 何かに親しみを抱くかどうかの境目は、体温を感じるかどうか、ということに尽きると思う。人の体温以上に人を安心させるものはおそらくなくて、だから、断絶感を表現するのに温度という言葉を用いるのは、頭で理解するということ以上に肌に馴染む。
 もちろん、バスタードを読んでいない人にいきなり「空気の断層」なんて言い方をしても伝わるかどうかは心許ないのでこんな表現は普段は使えないのだが。


 Honey[橘裕/LaLaDX #11]

 発せられた言葉は本人の意思を超えて魂を持つ、ということかな。
 言葉を発した本人が、自分の言葉に引きずられていく、みたいな。
 今後の予想。


2002/10/12 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#12


 竜ケ窪の池。[1].[2]
 龍神の館で露天風呂。
 清津峡散策。
 太田COOMにて大往生2-4ボス到達(初)。
 脳内BGM、しぃのうたとクリスマスの合唱。

 ブラームスP協2番終楽章はマヨイガ(水月)の雰囲気に近いと思った。
 あの終楽章は楽園のような雰囲気ではあるけどどこか空虚だ。
 太陽がさんさんと降り注ぎ、花が咲き乱れ、天使が歌っているにも関わらず、寒々しい。
 遂に桃源郷に辿り着いたのにそこには自分以外の人間がいない。
 完璧に美しい世界なのにここには生の息吹がない。

 楽園で独りぼっち、というのは矛盾がありはしないだろうか?
 それは本当に楽園だと言えるのか?

 そういえば、遠野物語にはマヨイガなるものが出てくるのだそうだ。
 後で読んでみようと思う。

 竜ケ窪の池の写真は、近づきがたい雰囲気と湖面の美しさが伝わりそうなものを選んでみた。
 雰囲気だけでも感じ取って貰えたら良いのだが。

 まったく、忸怩たるループとは良く言ったものだ。
 私は、しのぶという重力圏から決して抜け出ることはできない。


2002/10/11 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#11


 今、尊敬する人は?とか聞かれたら素で「しぃです」とか答えてしまいそう。もしくは花穂とか。花穂のドジは普通に可愛いのだけど、彼女の本当の魅力はドジった後での照れ笑いの方にこそあるのだと思う。ドジった後で落ち込んでしまう私より、花穂の方がよっぽど人間ができている。

 今の私は他人の目にどう映っているのだろう、なんてことを気にしてしまう程度に、憂鬱な日。


2002/10/10 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#10


 エロゲ廃人。
 身内調査では、最高が葉月さんの150本、最低がOGREさんの24本。
 回答者(7人)の平均値は77本。

 個人的には、姉妹いじり、Campus、継母調教、フォークソング、辺りが入ってないのは納得いかず。

 ちなみに、あんよさんver.だと32本。
 
 タイピング。
 SisterPrincess123 と鬱打を交互に練習中。ちょっとずつだが平均スピードは上昇しつつある。一週間前のベストスコアが今はほぼ安定して出るようになってきた。速く打とうとするよりも正確なタッチを心掛けた方が高スコアが出やすいらしい。ピアノの基本と同じで、初めはゆっくり正確に打鍵し徐々に無理のない程度に速くしていく、のが上達の近道なのかも。それでもまだ咲耶を脱がすには遠いのだが…。


 リピュア。
 正視するのに耐えられなくなるくらいはずかしい、甘々な話
 1話にあって2話にはなかったもの、私が2話に期待していたものはまさにそれだったのです。

 ただあの花穂の夢の一連の場面はアニメならではの表現だったと思う。あのちょこまか動く花穂の微笑ましさ、コミカルさは動画以外の表現手法ではおそらく再現できないのではないかしら。

 で、今後のBパート予想。

 花穂。 
 1〜2話の傾向からすると7話を持ってくる可能性もあるのだけど、花穂のキャラコレ7話「星の降る夜」は独り語りには不向きだと思う。よって――予測というよりは希望だけど――ほのぼの路線で6話の「子猫の赤ちゃん」なんかが良いと思う。ついでに夕食を揚げパンにすれば最強。

 白雪。
 7話は面白くないので却下。やはり白雪と言ったら4話「ママになれるかな?」が素敵なのだけど、これも独り語り向きではないので、5話「マダムの訓え」でひとつ是非。マダム・ピッコリと白雪の構図は可憐とおばあちゃんのそれに酷似しているので、ちゃんと描ければ正視するに耐えない(褒め言葉)ような話ができるだろう。

 咲耶。
 2話「ホーリーウェディング」のウェディングドレス咲耶も捨てがたいが、やはり7話「消せない絆」を推したい。原作の咲耶は他の妹たちと違って既に夢の世界に安住することのできない年齢であり、夢と現実とに折り合いを付けられない彼女は、その不安定さゆえに他のどんな妹たちにも見られないある翳りをまとっている。その翳りこそが咲耶という女の子をあんなにも色っぽいものにしているのである。咲耶を好きになるというのは彼女の自信とその裏にある不安を等しく認めてそれを愛するということなのであって、咲耶を単なるお色気キャラ扱いする奴らは何もわかっちゃ…あれなんの話だっけ?

 春歌。
 自分と兄君様を源氏物語の光君と若紫になぞらえてトリップする「むらさきの君」以外にはあり得ない。ただ、ある意味で危険ではある。キャラコレの文章でさえ可憐を遥かに上回る電波を発しているのにこれがアニメになったら死人がでるかも。

 四葉。
 うろ覚えなので書けない。ただ、彼女についてはゲーム版に「四葉と兄チャマは遠く離れてるけど、でもだから、せめて兄チャマのことを一番よく知ってる妹になろうと思った」という感じの台詞があって、これがすごく好きで、こんな感じの台詞が入っていたら良いなあと思う。


 萌え考察。

 才能の素晴らしい無駄遣い(笑)。


2002/10/9 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#09


 アニメ・リピュアスレに頭の弱そうな御方が居着いてしまったので ABone の自動あぼ〜ん機能を使ってみる。使い出して二週間?ほど経つが、使えば使うほど便利さが分かってくる。特に、レスポインタのポップアップ機能、見たくない投稿を非表示にするための各種機能、自動的に未読場所から表示してくれる機能、ttp://〜のURLでも自動的にハイパーリンクになる機能、なんかは本当に便利で、一度味をしめてしまうともう2ちゃんねるを通常ブラウザで見る気にはなれない。


 エロ話(リンクなし)。

 最近ちょっと友人と話したのですが。
 エロゲ原作のOVAに当たりが少ない(この場合はえろしーんが萎え萎えという意味)のはなんでだろうとか。結局のところ、アニメは動くから萎える、のだと思うのです。アニメーションでエロ描写をやると、セックスという行為が非常に即物的なものに見えやすい。セックスというのは元々そういうものだろうがという話もあるのですが、ことセックスというものをひとつの表現として考える場合、あまり動物的に見えてしまうのは好ましくないと思います。愛を云々しても結局やることは同じ(腰を振ること)、では物語の中のセックス表現としては台無しですから。またもうひとつ、情報のほとんどが視覚を通じて入ってくるOVAでは、視ている自分と画面の中のカップルとの間に断絶ができてしまうということもあるでしょう。そこでは視聴者は単に他人のセックスを覗き見ているに過ぎない。だから萎える。
 とすると、エロゲという表現手段はなかなかに興味深いものであると思えてきます。エロゲには絵があるにせよ、情報の大部分はやはり言葉によって私たちの脳に入ってきます。私たちは普段、まず5感を通じて得た情報を言葉に置き換えることによってその情報を自分の内部に定着させるのですが、エロゲの場合は5感による知覚を飛ばしていきなり言葉に行き着き、逆に言葉からある世界を描き出します。想像というものが言葉に拠るものである以上は言葉を超えて想像の世界が広がるということはなく、それゆえに言葉を使って世界を描き出すというのは限界を伴うものではあるのですが、それは逆に言えば、言葉を使う人間がかなりの程度まで受け手の想像力に方向性を与えられるということでもあります。要するに、言葉によるセックス表現では、動物的な行為としてのそれを意図的に無視して、あるいは最小限に留めて、ただひたすらロマンチックな行為として描写することが可能になるのです。また言葉が先にくることは、読み手と登場人物との距離を限りなく近いものとする効果もあるでしょう。読み手の中に入ってきた言葉は、否応なく、恰も自分自身の感覚であるかのように再構成されるからです。

 私は、生々しいエロよりも、言葉によって意図的に作られた(自分で想像しなければならないような)エロの方が好きです、という話。


 シスタープリンセス RePure. 2話。

 これに尽きます。
 (うpしてくれた神に感謝!!)

 1話(可憐)と比べると今回は電波が弱いかな。
 普通に微笑ましく、普通に可愛くて、普通に面白い、という感じ。

 花穂のドジっぷりはそれなりに描かれていたし作画も綺麗だったと思うけど、例えば前作の「サンドイッチの中身をこぼす」とか「肉まんあちち」とか「おいひー(チョコを食べて)」に匹敵するようなインパクトのあるシーンというのはなかった気がする。平均を大きく上回ってはいるのだけど、決定打に欠けるというか。

 ただ、莫迦な子ほど可愛い、という花穂の基本はきっちり押さえられていたので、観ていて気持ちがよいのは確か。
 あの夢の一連のシーンでのちょこまか動き回る花穂なんかは、今までとはちょっと違う新しい花穂像として高く評価したい。

 Bパートは不満が色々。
 なぜ花穂じゃなく衛なのか、なぜ衛の回に体力測定と身体検査を持ってこないのか、作画が変で時々衛に見えない、等。
 同級生(同性)にモテル衛とか、保険医にブラをするように言われて泣く衛とかのエピソードは最強なのに。
 


2002/10/8 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#08


 近所のスーパーで買い物。
 おさかな天国を聞いていると「さかな、さかな、さかな〜」というフレーズでカナ坊((c)PINSIZE.INC)のことを思い出してしまって、更によせばいいのに頭の中で歌詞に対して「2回いうな」なんて突っ込んでしまって、ひとりで笑いを噛み殺してました。ごめんなさい私は変な人かもしれません。


 月姫[Type-Moon]。

 秋葉シナリオ読了。

 月姫という物語には引き込まれる凄みが確かにあるのだけど、ただ何故かここで語られるものは私の肌に馴染まない。萌え狂っても涙を流しても、やはり彼らの物語は自分とは全然違う世界のことのように感じる。距離というよりも次元レベルでの断絶とでもいうべきものがあって、あの世界の空気は決して私のところに届くことはない。それが相性によるものなのか、それとも作品の持つ問題なのかは今の時点では分からないが、いずれにせよこのお話は私の生活とあまりにかけ離れていて、リアリティーがない。私がアクルェイドやシエル先輩に萌え転げたのは間違いないことで、それは否定のしようがない。月姫という作品が内包する暴風のようなパワーは、本当に商業作品にさえ滅多に見られないような希有なものであり、それはいくら評価しても足りないぐらいだ。それでも、月姫には何かが足りないと感じる。心を激しく揺さぶるにも関わらず、私は遂に彼らに共感を抱くことが出来なかった。手垢の付いた表現ではあるが、要するに、頭では分かっても肌で感じることができなかった。もし仕事で月姫について何かを語る機会というものがあるとしたら、私はこの作品の持つ暴風のようなパワー、プレイヤーを飲み込まずにはおかないパワーを取り上げて賞賛するだろう。でもしのぶ一個人としては、この作品の中には私が欲するものがないという理由で、これ以上何かを語ることを躊躇う。


 エロゲ廃人度調査。

 趣旨が不明なもなにはなるべく手を出さないようにしてるつもりなんですが、気まぐれで解答してみる。
 62本でした。

 上位50位(9日/AM 2:30 時点)に限定して抽出すると、、、
 Kanon、東鳩、AIR、痕、ONE、WA、雫、月姫、君望、Pia2、アトラク、初ない、はじるす、鬼畜王ランス、Natural、顔月、銀色、とらハ、ぱにょん、MOON.、とらハ2、闘神都市II、水月、加奈、YU-NO、夜勤病棟、とらハ3、うたわれるもの、EVE-BurstError-、で29作品。


 お前は亞里亞ちゃんか!

 個人的に名言と認定。
 使ってみたくて体がうずうずするんですが(笑)、使う機会はたぶんないだろうなあ。


2002/10/7 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#07


 月姫[Type-Moon]を再開。

 シエル先輩シナリオ読了。
 同じテキストを読まねばならない都合上途中までは退屈との戦いだったのだけど、シエルとアルクの確執が見えだしてから徐々に面白くなってきて後半の先輩とのベッドシーンに至って一気に目が醒めた。

 先輩のベッドシーンはやばい。やばすぎる。今まで俺は真の萌えを知らなかったんではないかとすら思った。月姫をプレイしている姿を他人に見られたらマジで自殺モノだ。むず痒くて頬が自然と緩んでしまって思わず口許を手で押さえるほど強力な萌えを覚えたのは5年前にNatural[F&C]で千歳に「ご主人様」と言われた時以来ではなかったろうか。いや、こういう言い方でもまだ飾ってる。先輩をひっくり返すシーンを見た瞬間以降、私はどうしても笑いを押さえることができなかった。慌てふためく先輩がどうしようもなく可愛くて、ある快感の波に飲まれてただ声もなく笑っていた。心の片隅で、そういう自分を不気味だと感じつつも、こみ上げてくる笑いを押さえられなかった。「萌え死」って言葉は滅多なことでは使ってはいけなかったのだな、とか、こんなところ見られたら自殺モノだ、とか考えつつも、脳を刺激する快楽に抗うことはできず、ずっと笑っていた。狂ったように。

 今思い出すだけでも頬が緩む。
 あんなすごい萌えシーンというものが存在していても良いのか。

 唐突だけど、私はシエル先輩に関してはトゥルーよりもグッドエンドの方が好き。
 あと、シエル先輩に殺される直前、半分だけは本当のことにしておきたいんだ、ってやつは心底震えた。
 最高に格好良いし、最高に美しい。


 上記と下記は一切関係ないことを予めお断りしておきます。


 自分を嫌いにならないためにはどうすれば良いのか? という問題に、私は繰り返し帰ってくる、のだという気がする。究極的には私の悩みというのはその一点に集約されているような気がする。

 こんなことも考える。
 私は自分が嫌いなはずなのに、もし、何らかの形で私のこの悩みが解決したとしたら、その時私は私でいられるのだろうかと不安になる。この悩みを解決したくて溜まらないはずなのに、解決したら自分が自分ではなくなってしまうのではないかという恐れがある。

 映画、アマデウスの中で、サリエリは「神は私に欲求を与えていながらそれを可能にする力は授けなかった」と嘆くのだが、この言葉が自分に非常に近しく感じられる時というのがある。私はコミュニケーションを欲していながらもそれを可能にする資質が欠けている。最近つくづく思うのだが、私に欠けているのはたぶん能力ではなくて適性とでも言ったものだ。関係を求めているのに、それを持続させる意欲というものが私には致命的に欠けているのだということが、最近はいよいよはっきり分かってきた。

 少なくとも私にとって、コミュニケーションとは空腹を満たすような行為だ。でも周囲の人間を観察する限り、彼らにとってのコミュニケーションはそういうものではないらしい。持続しない人間関係というものに意味はあるのだろうか。いやそもそもそれは関係と呼べるのか。空腹を満たすのは絶対に必要だが、一旦満たされさえすれば、その瞬間から(次にまた空腹を感じるまで)私の内部では関係というものの意味は限りなく薄くなってしまう。理性の警告すらもない。単純に思考がそのことへの興味を失ってしまうのだ。そういう理由から、私のコミュニケーションへの欲求というものはまさしく食欲にでも喩えるのが適切だと思う。

 が、ふとした瞬間に、それは間違っているのではないかと気づかされる。関係の持続を一切考慮せずに他人に近づくというのがどんなに失礼なことであるか、ぐらいを想像することは私にもできる。それは、自分がされたくないと思うことは当然相手にとっても嫌なことであるはずだ、という程度の想像で十分だ。関係というものは持続するものでなければならないということは分かるのに、持続への欲求というものは私の内部にはまったく存在しない。欲求が起こらないということは、能力以前の問題として、為すことが不可能だということだ。

 資格なんていう言葉を云々するのは莫迦のやることなのかもしれない。しかし人間関係の持続を望む回路が存在しない私のような人間を一体誰が「持続的に」愛してくれるというのか。そんなことは起こりえない。それを望むのは虚妄を超えて罪悪ですらあると思う。


2002/10/6 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#06


 新宿西スポにて大往生ブラックレーベルのロケテスト中。

 今回のバージョンは、自機とドールを選択した後「1周目モード」「2周目モード」が選べるようになっていて、「2周目モード」を選択すると通常通りゲームが始まるが、「1周目モード」を選択すると1-5ボスを倒したら2周目に行かずにそのまま緋蜂戦に突入する仕様になっている。具体的には、2周目ラストと同じく 5ボス(体力ゲージなしver.)→ジェット蜂→緋蜂、という流れ。この仕様が製品版で実装されるかどうかは現段階では不明だが、もし実装されるとなると、ブラックレーベルでは誰もがお手軽に緋蜂の絶望的な弾幕を体験できるということになる。

 これについては、賛否両論ありそう。今作のラスボスである緋蜂のカリスマ性の高さは、それなりの腕を持ち膨大な練習を積んだプレイヤーしか見ることが出来ないという敷居の高さと、それゆえに滅多にお目に掛かれないという神秘性に因っていた訳で、それが誰でも簡単に緋蜂戦を体験できるとなれば、今まで練習に練習を重ねてきたプレイヤー(私含む)は納得できないだろう。もちろんそれが傲慢である可能性も否定できないが、ともかくも緋蜂のカリスマ性ががくっと落ちることはおそらく避けられない。

 ただ、本気で2周ALLを目指すプレイヤーにとっては、緋蜂戦の経験を積む機会が容易に得られる訳で、そういう意味ではこの仕様もあながち悪いというものでもない。また、大往生という作品は2周目の難度が異常とも言えるほどに高いために、2周目前半で限界を感じて諦めてしまうプレイヤーというのは相当数いるはずで、そういう中級レベルのプレイヤーを今バージョンで一時的にであれ呼び戻す効果は期待できるかもしれない。

 前回のロケテバージョンと今回とのバージョンとの違いは、特に目立った物では、、、

  ・2周目エクステンド条件の変更(現時点で不明だがノーミスノーボムでは1upしない)。
  ・1周クリア時の残機ボーナスがなくなり、残機・残ボム共に2周目にそのまま持ち越せる。
  ・前述のモード選択追加。

 という辺り。
 あと細かな変更点として、今バージョンでは2-3中ボス後のラッシュが普通に避けられる程度にヌルくなっていた。

 で、今日は2回プレイ。
 1回目。1周モードを選択してとりあえず緋蜂に会って瞬殺されて終了。
 2回目。2周モードを選択して1周残4クリア。で2周目も調子よく進んで残0ボム1で緋蜂到達。

 ブラックレーベルかつロケテなので実力でという訳ではないが、それにしてもやっぱり嬉しい。


 帰りに秋葉原に寄って買い物を少し。

 怒首領蜂(C-S)7.1億ビデオ[S・O・F]
 窓ごしの部屋[ソフトさ〜くるクレージュ]
 すみかことか[修羅場計画]
 水夏・夏の思い出ガイド[SOFTBANK]
 CPG 11月号[BIBROS]

 …など。
 蜂ビデオは、私が密かに常駐しているもず氏の掲示板でちょうど良いタイミングでサークル主催(?)の kou-mi氏 の投稿があって情報を知ることができた。まったく運が良い。現在、メッセサンオー同人館(地下)で委託販売しているようです。興味のある人は覗いてみるのも良いかと。

 内容は、お世辞にも画質が良いとは言えないので、どちらかというとマニア的に価値のある一品かも。私などは見ていてため息をつきたくなる場面がしばしば。怒首領蜂発表から5年を経た現在ではパターンはこのビデオよりも更に大きく進化しているのだが、それでも、発表から2年未満という短期間(※)でここまでパターンを練り上げた ZBL-NAI氏はやはりただ者ではない。

 (※)これが収録されたのは確か1998年の冬だったはず。ソースはこちらの過去ログ。

 CPG 11月号。
 ここしばらく興味を引く新作が出てきていなかったのだが、今冬発売予定ラインナップでは、妹汁[アトリエかぐや]、Rance5D[AliceSoft]、誕生日〜通い妻(自称)日記〜[Janis]辺りが面白そう。


2002/10/5 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#05


 ぷちシスプリ祭り開催中(俺の脳内で)。

 ということでPS版シスプリ。
 可憐に続いて衛と白雪をクリア。

 この両者は何気に攻略が難しい。
 衛は血縁/非血縁の選択に引っ掛けがあるし、白雪はラスト付近(3/11)で衛のメールを読まないとエンディングフラグが立たない仕様になっている。あと、衛シナリオ方面でもCGを回収するためには白雪のメールを読まなくてはならない場所があったりする。ゲーム版の設定では、衛/白雪/鈴凛の三人は主人公とは別の若草学園に通っており、その辺りをシナリオに織り込んでいるということなのだろうが、正直言ってこれは難しすぎる。衛と白雪は実は仲がよい、ということがそれ以前のエピソードでそれとなくでも描かれていればまだ予測のしようもあったのだが。

 内容について軽く。
 衛も白雪もすごく可愛いのだけど、可憐シナリオや咲耶シナリオと比べるとエンディングへの展開があっさりしすぎかな、という気もする。可憐シナリオの面白いところのひとつは日常からエンディングへの流れが非常に丁寧に作られていることで、あそこでは、ちいさなエピソードのひとつひとつが、物語の終幕へ向かう流れのひとつのピースの役割をきちんと担っていた。フレーズが次々にバトンタッチしていくことで音楽が紡ぎ出されていくように、エピソードが積み重ねられて物語が生まれてくる。彼らの経験にはひとつとして以前と同じものはない。昨日よりも今日、今日よりも明日という風に、可憐と主人公が過ごす時間は、終幕へ向けて徐々にクレッシェンドしていく。そうしてその果てに、14日のあの美しい告白シーンが生まれてくるのである。これはオーソドックスな手法ではあるかもしれないが、それだけに安定感は抜群であり、見ている私たちになんとも言えない小気味よい感覚をもたらしてくれる。

 巫女さん=彩女たんと同様、妹=可憐、というのも成り立ちそうだ。
 (しつこいようだが、実際の妹がどうこうではなく、可憐は「妹という夢の最大公約数」である、という話である。


2002/10/4 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#04


 リピュア、今日までで4回ほど観ましたが、そろそろ慣れてきて普通に脳内麻薬が出るようになってきました。
 エリュシオンまであと少しか。

 昨日の文章は「今回は妹視点」ということが入っていればもうちょっと説得力が出たのになあと今更ながら思ったり。
 いや、変わらないかな。

 鬱打シスプリver.
 地道な練習の甲斐あって、600(5.0/sec.)を達成。

 ただ、らむ打辞書とか使うと平均50ぐらい落ちる(デフォルトの鬱打辞書では更に落ちる)ので、もしかするとシスプリ辞書は甘々仕様なのかも。

 ところで、特定筋の方にはこんなのをお薦めしてみたいと思う今日この頃。

 あとWhiteさんのところから飛んで上の人がした単純な質問に『詩的に』答えていくスレ
 地味ながら面白い。


 PS版シスプリ、可憐シナリオ読了。

 想像を遥かに超えて面白い。

 途中までは精神のバランスを取るために笑っていたようなところがあったのだけど、お泊まりの翌々日の朝、ご機嫌なあまり歌を歌ってしまう可憐が可愛すぎてノックアウト。彼女のような子ががこれほどはしゃぐのは相当に珍しいことであるはずで、それだけにその意外さは彼女をいつもの何倍も愛らしく見せ、隣にいるこちらまで幸せな気持ちにしてしまう。

 可憐というキャラはゲームをやる前の印象ではあまりにスタンダードすぎるように思えて興味が湧かなかったのだけど、実際にゲームを遊んでみると、彼女の魅力というものはむしろ王道路線から一歩も外れないというところにこそあるのだということが分かってくる。

 この子のお話には意外性というものがまるでないにも関わらず、彼女と過ごす日々に退屈するということがない。これは一言で言ってしぺえば、お約束の快感、ということなのだけど、ここまで真正直に「お兄ちゃん大好き」という言葉を主軸にして各種イベントが展開されていくのを見ると、私などはそのあまりの普通さにある感動を覚えてしまう。何も起こらず、ただ、いつも可憐が隣にいる、というだけの日常。可憐という子はお兄ちゃんと何かをしたいとかお兄ちゃんに何かしてあげたいとか何かして欲しいとかいうことを考えない。ただ、お兄ちゃんの傍にいる、ということだけで満ち足りている。そして、彼女はその幸せを全身で表現することを心得ている。

 もちろん、こういうことは他の妹たちについても多かれ少なかれ当てはまるところがあるには違いない。でも私の見るところ、可憐という子ほどお兄ちゃんに何も求めない妹はいない。可憐はお兄ちゃんが傍にいればそれで幸せなのであってそれ以上を望まない。可憐がお兄ちゃんに与えてくれるのは、期待に応えなくて良い、何もしなくて良い、という安心感だ。可憐という子は他の妹たちと比べるとなんというか没個性的な存在に映るが、さりとて彼女が何も持たないかと言えばそれは違う。正確には、彼女は「お兄ちゃん大好き」という言葉以外のものを持たないしまた必要ともしていない妹なのである。彼女に与えられた設定は、ほとんど地味とすら言えるぐらいにスタンダードなものだが、そうであればこそ、12人の妹たちの中でただ可憐だけが、何も応えなくてよい安心感、を与える存在になることができたのではないだろうか。

 花穂や咲耶と、可憐と、どちらが好きか、なんて問いは私にとってナンセンスだ。
 ただ、私は花穂には笑っていて欲しいと思うし咲耶には彼女が喜ぶようなことを言ってやりたいと思う。彼女たちに何をしてあげられるだろうか、ということを考え、そのために時には努力だってするだろう。もちろん喜んでそうするのだが。
 それに対して、可憐の場合は、そんなことを考える必要がない。私は何もしなくてよい。彼女に何か言いたいと思った時だけ喋ればよいのだし、彼女に何かをしてやりたいと思った時だけ行動すればよい。
 その時々で私の心情などはころころ変わるのでどちらが良いということではないのだが、可憐と他の妹たちにはそういう差が、おそらくある。


2002/10/3 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#03


 昨日からトータル4〜5時間ほど鬱打で遊びつつ登録単語を増やしたりミスを修正したり。

 気力が尽きたので、とりあえずシスプリ辞書については今日の更新バージョンで一旦打ち切り。元々自分で使うために作ったのに制作に時間を掛けすぎては本末転倒だし。

 鬱打スピードアタック。
 現在のところ 583(4.858/sec.) が壁。先日DLした同人タイピングソフトの咲耶(hard)をクリアするためには 600 超えの実力が必要なのでどうしてもその辺りまでは到達したいのだが、正直言って今の私の実力では厳しい模様。気長に頑張るしかないか。

 PS版シスプリのテキストを読んでいて発覚した事実。

 「ブラザープリンス」は根拠のないネタではなく、可憐シナリオで可憐の部屋にある少女漫画のタイトルとして実際に出てくる。
 亞里亞シナリオ(もしかすると鞠絵シナリオだったかも)での主人公の台詞によれば、主人公の父親は外交官らしい。

 あと、今更ですが一応。

 鬱打本体はこちらからDLできます。
 うちに置いてある辞書ツールですが、解凍すると sister.qls というファイルが出てきます。
 それを鬱打のインストール先(標準ならC:\Program Files\utsuda)にコピーしてください。


 正確に言うと痛さともまたちょっと違うんですが、以下あれこれ。

 唐突ですが。
 リピュアについては、2chアニメ板シスプリスレ79 の中に非常に興味深い投稿がありまして。
 (すぐにdat落ちすると思うので引用しちゃいますが)

 *****

 「みんな初めてシスプリに触れた時の事を思い出せよ
 最初は「ハァ?これに萌えるのは無理だろ」と思ったけど
 その中から萌えセブンセンシズに目覚めた奴らが現れただろ
 きっと今回は俺たちヲタを新たな高みに連れて行くための壮大な計画の第一歩さ」

 *****

 「同志」
 「エイトセンシズ目覚めてエリシオンいこうぜ!」

 *****

 ……まあその(笑)…ですね。
 リピュアというアニメは、既にシスプリワールドに免疫ができているはずの我々お兄ちゃん達に、このシリーズに初めて出逢った時の衝撃を再度体験させてくれるんです。
 内容的にはAパートがポケットストーリーズ、Bパートがキャラコレに準拠しているんですが、私が観た印象で言えば、今作は原作に非常に忠実な仕上がりだと感じました。原作に忠実であるというのは単に本をなぞっているということではなく、兄に恋する夢見がちな少女たち、という、シスプリの根源とも言うべき部分に非常に忠実だということです。あるいは、純度が極めて高い、という言い方をしても良いでしょう。一切の夾雑物を排除して、恋に恋する少女たちを描き切ったという点で、これはシスプリの新作としては本当に優秀な作品です。

 であれば、これに拒絶反応が起こるのはむしろ自然だとも言えます。つまり我々はここまで徹底して、照れ、恥じらいというものを捨て去って夢見る少女を描いたアニメを今まで知らなかったんです。ここまで本気でやられるとは誰も予想していなかったでしょうし、だからこのように純度の高いシスプリワールドを観せられたら、抗体を持たない我々は――それが肯定的なものであれ否定的なものであれ――もうショックのあまり転げ回るしかない訳です。

 壮大な計画などというのはまあ冗談にすぎないとしても、今作のリピュアは、免疫さえできれば、過去に類を見ない最強の萌えアニメと化すのではないかと思います。遅かれ早かれ、毎週ちゃんと観ている人はエリュシオンに向かうことになるでしょう。たぶん。

 ちなみに上記は真面目に書いてます。


2002/10/2 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#02


 シスプリ三昧な一日。
 …というかメインディッシュはこれからなのだけど(笑)。

 まず、白雪の魅力についてあれこれ考えつつ適当にぐるぐるしている矢先に白雪調教SS(エロパロが許せないという人は見ないでください)を見つけて読んだらめちゃくちゃ萌えてしまって、唐突にPS版シスプリを起動。以前攻略に失敗した白雪シナリオを進める。で、攻略本を見ながら進めたにも関わらずなぜかまたしてもバッドエンドへ。セーブなどしていないので手立てなし。不貞腐れつつ、シスプリのテキスト吸い出しツール(※1)の存在を思い出したので試しに使ってみる。DOS窓からコマンドを入れるタイプのツールなので心配だったが特に問題なく吸い出し成功。せっかくだから(?)ということで、抽出したテキストを読みながら気に入った台詞を抜き出して鬱打辞書シスプリバージョン(※2)など作ってみたり。PS版のシナリオは、一通り読んでみると、可憐、亞里亞辺りはかなり面白そう。台詞回しが私好み。後でちゃんとプレイしてみるのも良いかも。

(※1) 出所が不明なのでリンクは貼れません。個人的に聞かれればお答えしますが。
(※2) 無保証、自己責任でということでひとつ。台詞はキャラによって露骨に偏ってます。あと、もしかしたら登録ミスがある可能性も。

 (23:10) 登録ミスを修正、ピュアスト分を少しだけ追加。


 シスタープリンセス RePure. 第1話。

 すいませんごめんなさい許してください。
 放送中、ずっと笑いっぱなしでした。わはは笑いじゃなくて引きつった笑い。痛さと萌えが半々ぐらいで。

 これを素で観るには僕は汚れすぎているようです、はい。
 そのうち慣れるだろうけど、慣れるまで拒絶反応がでます、確実に。


2002/10/1 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-10.htm#01


 シスプリ20話の合唱の歌詞。



 仰ぎ見る夜空に
 煌めく光 一筋指して
 天使の御歌 響くよ

 その星を標に荒れ野を進み
 赤星の下 奇跡の主(あるじ) 出逢うよ

 その奇跡は永久(とわ)に
 愛の歌声 喜び溢れ出す
 ああこの世界中

 遠く光る 金の星
 導かれ 祈りに讃えて

 鳥は歌い 花は開き
 この世界 不思議溢れ

 護り手に身を委ね
 我が意をすべて捧げよう

 空に響く 天使の歌 声を合わせ歌い続ける...




 たぶんこうじゃないかと。
 わざわざ書いてしまうのはなんでかというと、こうすれば一発で覚えられるからです(私が)。


 シスプリRePure 放送開始に合わせてアンテナコードを購入&接続。
 元々テレビを観る習慣がないのでビデオとゲーム以外の用途にテレビを使うのはアニメ版Kanon以来。

 とりあえず、あずまんが大王の最終回で試し撮りをしてみたり。
 どういう訳か今の部屋だと肝心のテレビ東京がやけに映りが悪いのだけど、まあ観られるだけ良しとしなくてはなるまい。

 アニメ版あずまんがは今回初めて観たが、四コマ漫画をどうアニメ化するのか、という部分に関しては違和感なく処理できていたと思う。声はいまいちピンと来なかった。私の脳内イメージでは大阪…もとい歩たんの声はもっと子供っぽい感じだったのだけどな。


 SisterPrincess1・2・3[Ma'vE]をDLしてふにふにと遊ぶ。

 衛(easy)、可憐(normaal)まではちょっと頑張ればクリアできるが咲耶(hard)は現状の私のタイピング能力ではクリアできないっぽい。
 しばらくこのソフトで練習してみるのも悪くあるまい。


 月姫[Type-Moon]

 アルクェイド、トゥルーエンド読了。

 あの優しそうなやまさん(←しのぶの勝手な脳内イメージ)をして「これじゃ商業作品の立場がない」とまで言わしめた作品だけのことはある。読ませる文章。引き込まれる。退屈の入り込む隙がない。普段の私だったらゲーム中に唐突にシャワーを浴びてみたり手(足)の爪を切り出したりするのだけど、今回は読むのに夢中でそんなことをしようという発想自体出てこなかった。


 シスプリ人気ないキャラベスト3鞠絵白雪鈴凛

 本人が好きであれば一般的人気なんて関係ないだろう?というのが私の基本姿勢ですがそれはひとまず置くとして。

 一般人気(G's最新号より)と自分の好みとの差異という視点から見た場合、

 咲 耶  妥当
 千 影  理解不能
 可 憐  妥当
 四 葉  妥当
  衛   もっと人気があっても良いはず
 花 穂  俺のなので人気はなくても良い
 春 歌  妥当
 雛 子  理解不能
 亞里亞  理解不能
 鈴 凛  甘えてくるキャラでないので妥当
 鞠 絵  インパクト弱いので妥当
 白 雪  もっと人気があっても良いはず…だけど…

 と、なる。

 衛はいわゆるボーイッシュ系キャラとしては非常に珍しい成功例ではないかと思う。理由は説明できないが、衛という子は妹たちの中でも格別に色っぽく私の目には映る。それは咲耶の色気とはまったく別種のもので、おそらく未成熟な少女にしか出せない色気だ。ひとつ分かるのは、咲耶が自分の色気を自覚して武器にしているのに対して、衛(あと花穂も)は自分の色気にまったく無自覚だということがあるかもしれない。咲耶の計算尽くの誘惑には対処のしようもあるが、衛の天然の誘惑には私は抗えるかどうか自信がない。上手く言えないけど、そういう感じ。

 白雪は人気がないのか不思議だと内心思いつつも人気がないことがなんとなく納得できてしまう子。本人に魅力がない訳ではなく他の妹が強すぎるので相対的に順位を下げている、ということに尽きるのかなという気がする。彼女は十分に可愛いはずなのだが、人気上位キャラに対抗し得るような独自の魅力に欠けるために結局いつでも「二番目」になってしまう悲劇のキャラなのだと思う。それにしても、どこに魅力があるのか想像すらできない千影、雛子、亞里亞の3人よりも万年的に低いというのは納得行かないものがあるのだが。これは言い過ぎか。

 鞠絵は少々特殊な位置づけ。彼女は、しのぶ的には兄視点から見るよりもむしろ本人に感情移入したくなる子。存在感の薄いキャラなのにも関わらず兄や他の姉妹たちにきちんと存在を認められている、という意味において鞠絵というキャラは興味深い。でも地味な子なので人気がないのはやむなしというところか。 


文責 しのぶsersui@bay.wind.ne.jp



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