棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]


−日記・過去ログ−

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2002/7/31 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#31


 文月さん[7/30]から飛んでミルメーク通販ページ

 ミルメークはうちの学校でも大人気でした。
 コーヒー牛乳なんざ別に自宅でも飲めるのに、なんで学校のお昼という場だとあんなに美味しく感じるんでしょうねえ。

 でも通販のミルメークは私が知っているのと違くて微妙にショック。
 うちの地方のミルメークは液状でした。それを牛乳に流し込むの。

 牛乳自体、パック一杯入っている訳じゃないから溢れさせたことはないですが。
 ていうかなんで溢れるんだろう?

 ついでに言うと私もベルバラ大好きでした。
 これにはまってた高校生の頃は図書館に行ってわざわざフランス革命関係の本を借りてきて熱心に読んだりしてたほど。
 ちょうど同じ時期に妹もはまってて、お互いが借りてきた本を交換し合ったりも。

 そういえばもうすぐ日記を書き始めて1年になるのですね。
 フライングですが、1周年おめでとうございます。

 1年前の日記をふと読んでみたんですが、これにワラタ。
 「そうなんですか」が絶妙に良い味出してる。


 やまさんはちゃんと見ていた模様で一安心。

 それよりも、伏せ字部分がなんか…感銘、というか。
 何百年後かのさくら、とかの辺りはひとつの可能性として非常に魅力的です。
 私は Wing&Wind は知らないのですけれども、それでも「過去の男性に対する感慨」という感覚は一読しただけでもすごくしっくり来ます。ああそういう感じはなんか分かる気がする…みたいな。


2002/7/30 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#30


 個人的なお話。

 美奈萌シナリオのラストの場面で、美奈萌が仮に教室に居たまま窓から大声を出して、まひるが好きだと告白したとする。でもその言葉はきっとまひるには届かないでしょう。なぜかというに「教室にいる美奈萌」は、あの時点でのまひるから見れば「あちら側」の人間だからです。だから、あの場面では美奈萌はどうしても単身外に飛び出してまひるの傍まで行かなければならなかったのです。美奈萌がそうと自覚していたかどうかはともかく、あれは美奈萌にとってはひとつの世界を捨てて、まひるのいる別の世界に飛び込むことでした。そうしなければ、美奈萌の気持ちはまひるに届かないのです。あの一枚絵が美しいのは、美奈萌の、語られなかった百もの想いが籠もっているからです。美奈萌は言葉を用いる代わりに自らの行動で自分の気持ちを表現しました。それがあの暖かな光に満ちたエンディングを生んだ訳です。

 言葉を用いる者は、(プロアマ関係なく)言葉が何かを伝え得ることを信じていなくてはなりませんが、同時に、言葉を過信したり言葉に頼ったりしてはいけないと私は思います。言葉が伝わる、というのは言葉自体に何か魔力があるから伝わるのではありません。言葉は、たくさんの奇跡のような偶然がいくつも重なり合って初めて、人の心に届くのです。

 もうひとつ。例えば ONE の茜シナリオ。
 「お前は振られたんだ」という、あのシナリオのキーとも言うべき台詞。あの後、どこだったか、茜はあの浩平の台詞について「誰かに言って欲しかった言葉」だと独白しています。でも私は、茜があのような台詞を言って欲しいということを自ら自覚していたとは実は思っていません。むしろ彼女は、浩平に言われて初めて、自分が欲しかった言葉がなんだったのか自覚したのです。そうでなければあの台詞が茜にあれほどの衝撃を与えることはなかったと思うからです。茜にとってあの言葉は、出逢いではなくて発見でした。浩平はそうとは知らずに…いや、きっと知らなかったからこそ、茜に衝撃を与え得たのです。もし茜の事情を色々知っていたとしたらいくら浩平だってそうそうなことは口にできなかったでしょう。逆に、茜が自分の言って欲しい言葉を何かしら想定していて、それを浩平が言い当てたとしても、茜が気持ちが空き地から解放されることはなかったでしょう。

 それからもう一点。浩平のあの台詞は、あの瞬間に浩平が言ったからこそ茜の心に届いたのだというのは重要なことです。しつこいようですが、問題なのは言葉自体ではなくてむしろ与え手と受け手との関係がどうであるかということなんです。仮に空き地で茜を見つけたのが住井だったとして、彼が茜を自分の部屋まで運んで看病(?)して例の台詞を言ったとしたらどうでしょう。この場合、やはり住井の言葉は茜には届かなかったと想像できます。なぜなら住井と茜には接点がないからです。何も共有するものがないからです。あの台詞は、浩平が言ってこそ意味を持つのです。つまり、茜と一緒にお昼を食べたり、一緒に下校したり、怪しいジュースを飲まされかけたり、浩平に連れられて迷子になったり、そういう、それ自体としては取るに足らないような日常を共有してきた浩平の言葉だったからこそ、茜にとってあの言葉が重い意味を持ったのです。あるいは時間の共有があったからこそ、彼女は浩平の言葉に耳を傾ける準備ができていた、とも言えるかもしれません。

 更に言えば、もし空き地で茜を助けた時点であの台詞を浩平が言ったとしても、やはりそれでは駄目だったでしょう。あの時の彼女にとってあの台詞はおそらく刺激が強すぎますし、また幼馴染みへの罪悪感に苛まれているような精神状態では、浩平の言葉に耳を傾ける余裕などおそらくなかったろうというのもあります。一度着替えて寝て、多少とも落ち着いた状態であの台詞が出てきたことは両者にとってまったく幸福なことでした。いずれにせよ、あれはひとつの奇跡でした。いくつもの偶然が重なって、やっと、ひとつの言葉に乗ってひとつの気持ちが届いた。言葉というものは結局その程度のことしかできなくて、でも私たち文章を書く人間(例えアマチュアであっても)は、その程度のことが実現することを夢みて、日夜文章を書くのです。


2002/7/29 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#29


 微妙に鬱な月曜日。
 人を信じるというのは本当に本当に難しいことです。

 でもさ、実際に相手に愛想尽かされてたとしたら私なんかが話し掛けるのって(相手にとって)好い迷惑じゃないですか。
 逆に何事もないのだったらそれはそれで相手にもの凄く失礼なんですけれども。

 訳分からない。


 那美さんシーツに関するみんくりさんのコメント[7/20]より。

 朱袴あっての巫女服、という考え方は解らないでもないのですが、一度足から脱がせた袴を体の下に敷くという行為には微妙に違和感が。

 言われるまで気が付かなかったですが、まったくもって同意。
 で、改めてよく見てみるともう二点ほどツッコミどころが。

 1) 前回の忍シーツの時は肝心な部分を髪の毛で隠すという姑息なことをやってましたが、今回はどうやって隠すんでしょうか?
 2) ていうか、那美さんの緋袴ってズボンタイプだったんですか!?

 ズボンタイプ袴は機能面に重大な問題があると思うのですが。
 すなわち、袴めくりができない半脱ぎが難しい、という。

 ナコルルのアイヌ服の唯一の欠点は下がズボンタイプだってことなんですよ実は。
 あれを脱がさずにえっちする方法はあるか?と、過去に友達と討議したことが。


 最初は『お姉ちゃんエンド』

 最初から恋人エンドに行ってしまうとお姉ちゃんエンドは見落としてしまう可能性がある(私は人から言われるまでお姉ちゃんエンドの存在に気づきませんでした)のでその選択は正しいです。というか、瞳ちゃんのシナリオは恋人エンドとお姉ちゃんエンド両方見て初めてコンプリートです。俺論ですが。

 あれもハッピーエンドのひとつのかたち、ということで。

 そういえばやまさんは見たのカナ? 見たのカナ?


2002/7/28 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#28


 私はいつになったらシスプリDVD9巻の感想を書くんでしょうか。
 今日こそは書くぞとか毎日思って既に二週間。

 シスプリ話はDVD感想を書いて、あと気が向いたらポケットストーリーについてちょっと触れて一旦終了の予定。

 ところで。

 アニメ版『シスタープリンセス』における自尊心〜第16話に見る自分らしさ〜 [ページの終わりまで]

 …に言外のメッセージを感じるのは気のせいでしょうか。私は花穂が「他人とは思えない」から好きなのだけど、他の人の口からこうして語られると、あまりに見透かされているみたいでなんか複雑な気持ちだったり。いや、その、ごめん。たぶん私が勝手に憂鬱な気持ちで深読みしているだけなんでしょうけれども…。


 怒首領蜂・大往生。

 5面が初めて9割ほど繋がった。開幕から終盤の大型戦車×3 までで1700HITちょい。
 4面終了時1.1億ぐらいだったのに5ボス到達時点でスコアを見たら2.98億あって思わず笑ってしまった。
 初めて、1周3億を達成。

 現在のパターンでは、ハイパー使用ポイントは、1)旧4ボスの2回目のバラマキ中、2)メカ蜂地帯の中盤、3)旧5ボスへの繋ぎ、4)旧5ボス後の最初のアーム砲台を抜けた後、の4箇所。

 開幕でハイパーを使用すれば余裕で2000HITを越えるはずだが、ここでハイパーを使ってしまうと旧4ボスまでに次のハイパーアイテムが降ってこないことがあるので難しいところ。まだ試していないが、ひとつの方法としては4面ボス戦でハイパーを使うタイミングを調整してハイパー効果を5面開幕に持ち越すやり方が考えられるか。順調に蜂アイテムを回収できていた場合、1000HIT以上で蜂1個回収するたびに500万点以上入る訳だから、HIT数は極力稼いでおきたいところ。

 あと、今日の5面はそれ以前の死亡でランクが大幅に下がっていたことを言い添えておく。
 はっきり言って5面までノーミスノーボムで進んでハイパーを使用した時の敵弾のスピードはアドリブで対処できるレベルではない。特にメカ蜂地帯はスピードが上がっても耐えられるよう、もっときっちりパターン化する必要がある。


 今更ながら『鬱打』などやってみる。

 結構面白い。
 ただ、気になったのはローマ字入力のデフォルト設定が普段私のやっているやり方と違っていたこと。
 具体的には、、、

 ふ   HU → FU
 じ   ZI → JI
 じゃ   ZYA → JYA(JA)
 じゅ   ZYU → JYU(JU)
 じぇ   ZYE → JYE(JE)
 じょ   ZYO → JYO(JO)
 ぁ   XA → LA
 ぃ   XI → LI
 ぅ   XU → LU
 ぇ   XE → LE
 ぉ   XO → LO

 左が鬱打のデフォルトで右が私の入力方式。
 もしかして私、特殊な覚え方しちゃってるのかしらん。
 ざじずぜぞは勿論「Z+母音」なのだけど、なぜか「じ」だけは「J+I」で覚えちゃってるのよね。

 鬱打とは関係ないけど、タッチタイピングを覚えたことによる副次的メリットとして、指の爪をこまめに切るようになったというのがあります。
 特に人差し指と中指は爪が伸びてるとタイピングしずらいことこの上ないので、どうしても爪を気にするようになるんですね。


2002/7/27 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#27


 シスタープリンセス デスクトップアクセサリー2

 詐欺のようだった前作から比べれば今回は比較的マトモ。
 役に立たないのは同じだが、これで4800円ならまあ許せるかな、と。

 設定資料集。

 基本的にアニメ版ビジュアルブックからの転載なので特に目を引くものはなし。ただし、追加としてオープニング絵コンテ(2種類)が収録されていて、マウスクリック進行で、絵コンテに対応する実際の画面を参照できるのは面白いアイデア。

 着せ替え。

 無意味なコンテンツその壱。衣装を選択してキャラCGへD&Dする方式だが、例えば KISS(知ってる人は知ってる着せ替えツール(フリーソフト))と違ってキャラの立ち絵に服が重なるのではなく、D&Dすると着替え中演出として一旦カーテンが閉じられて、次に開いた時にはその服にあったポーズを取った妹が出てくるという仕様。服は各キャラ5種類。意外と少ない。というか俺的には着せ替えのデフォルトCGは普通は下着だろうがと小一時間(略。

 オリジナルボイス集。

 前回同様、あまり役には立たず。使う人は使うかもしれないけど私としては現状の乃絵美ボイス(WithYou-Toybox)とチェンジするほどのものには思えなかった。ただし今作はボイス試聴画面が凝っていて、ボイスを再生するとキャラがアニメーションで喋る。

 マウスポインタ。

 無意味なコンテンツその弐。ポインタという性質上あまり大きくはできないため、キャラによっては言われなければ分からないんじゃないかと。咲耶なんかは咲耶だと思って見なければ誰だか分からないだろう。

 壁紙集。

 役に立つかどうかは人によりけりか。私個人は壁紙をチェンジしたいと思わせるほどのものには出会えなかったが。ただ、描き下ろしCGが追加されているのでその意味では悪くない。あと、壁紙には使えない(私としては)がアニメ版26話ラストの一枚絵が収録されていたのもポイント高し。

 スクリーンセイバー。

 今回唯一、有用なツール。
 ひとつはSDキャラが動き回るタイプ。こちらはどうでもいい。もう一個は、いわゆる一枚絵が切り替わるタイプのものだが、PCの時計を自動的に参照して時間帯によってCGが変わるというアイデアが面白い。これを書いている現在(夜中)だと、妹たちの寝姿絵、とか。現在使用中。


2002/7/26 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#26


 怒首領蜂・大往生

 2面。開幕5ハイパー&終盤4ハイパーで2171HIT.
 クリア時7980万点。

 1面ラストの蜂に倍率を掛けられず106万落ち、2面ラストの蜂に倍率を掛けられず868万落ち。
 仮に2ボスでハイパーを使ったとして+200〜300万点ぐらい。

 ということは今のところ2面クリア時の理論値は9200万程度か。

 5面。蜂メカ地帯の中盤から終盤の空中機ラッシュ(ボス手前)1台目まで繋がって1000HITちょい。
 4面終了時1.2億の5ボス到達時2.5億だったのでこのコンボだけで1.2億ぐらい入っていることになる。
 序盤からキッチリ繋がれば2億ぐらいは入るだろうか。

 1周自己ベ更新。2.6億。

 2周目。2面終盤で1ミス。ボスを1ハイパー2ボムで葬って3面へ。
 中ボスまでノーボムで抜けて直後のザコラッシュをハイパーで凌ぐ。
 3ボス到達時残0ボム1ハイパー1。で、1ハイパー1ボムで1次形態突破。2次形態、ボスの体力あと1cmまで追い詰めて死亡。

 ようやく2-4が見えてきた…かもしれない(ちょっとだけ弱気)。


2002/7/25 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#25


 昔の日記に書いてあることがあまりに今と変わらないことに驚いた、ということは以前ちょっと書いた。手元にある一番古い日記は22歳ぐらいの頃のものだが、その当時から私は、クラシックを聴いては感想を書き、アニメや漫画や小説を読んでは感想を書き、日曜日には鬱になり、時には自分を苛むような文章を書き、またある時は自分の恋心を切々を語る文章(当時だと館林さんとか)を書いていた。ただ、今にして思えば、当時の日記の中でひとつだけやっていなかったことがある。それは萌え文章だ。もちろん当時だって萌えという言葉こそ知らなかったものの、私は色々なものに萌えまくっていた。でも、それは今と違って徹頭徹尾真面目だった。自分が痛いことをやっているという自覚はなかったし、従ってネタ的に書くということも言い訳めいたことを書くということも一切なかった。

 なこるるが好き、という時の「好き」と、花穂が好き、という時の「好き」は全然別の意味だ。なこるるに対する私の感情は「恋」だが、花穂に対する感情は「萌え」だ。どちらも満ち足りた感情ではあるが、ただ、後者が単純に快楽であるのに対して、前者は時として大きな苦しみを伴う、という点が違う。もちろん、苦しみすらもそれは私が彼女を好きであることの証明であり、それを失いたいなどとは少しも思わないのだが。

 もうひとつ。今の私が例えば花穂なり乃絵美なりを好きだと言う時、それは極めてエゴイスティックな受け身の感情ではないかと思う。彼女が好き、なぜ好きなのか、それは彼女が私の欲しいもの(無条件肯定とか癒しとか)を与えてくれる存在であるから、ということだ。でもかつてはそうではなかった。大学ノートに日記を書いていた頃の私は、なこるるにせよ館林さんにせよ、彼女たちに何かを望むという姿勢は限りなく少なかった。彼女に傍にいて欲しいという気持ちはもちろんあったが、それと同じくらい、私は彼女たちの支えになりたかった。共に支え合いながら一緒に生きたいという意思の込められた「好き」だった。だから、例えば妄想するにしても、なこるる絡みの妄想はいつも、私が彼女に何かをしてあげる、という形を取った。これは今の私となんと違うことだろう。今の私はただ受け取ることしか考えていない最低野郎だ。いや、今でも、なこるるに対する感情はたぶんそれほど変わってはいないはずだと思う。今でも、なこるるは私にとって何よりもまず、大切にしたい、いつも笑っていて欲しい、と願う対象なのだから。でも、こういう感情(というよりも意思と言った方が良いかも知れないが)を誰か他のキャラに対して再び持つことはもう二度とないような気がする。今の私は弱くなりすぎた。かつて私は(例え妄想世界であれ)彼女たちを支える存在だった。でも今は、ただ支えられるだけの存在だ。

 もう手遅れなのだろうか? いや、もちろん、私自身の考え方が変化したということもあるのだろう。今の私には、胸を焦がすような激しい心の動きは起きにくくなっている。あるいは見方を変えれば、今の私は、自分との関連でキャラクターを考えるということが少なくなってきているということなのかもしれない。私は花穂が好きだ。でもそれはあくまでシスプリワールドに住む彼女が好きなのだ。私は小鳥が好きだ。でもそれはあくまでも海鳴で、真一郎と唯子の幼馴染みとして生きている彼女が好きなのだ。私はまひるが好きだ。でもそれはあくまでねがぽじワールドに住み、美奈萌といちゃついている彼女が好きなのだ。私は、花穂にも、小鳥にも、まひるにも、幸せになって欲しいと思う。でも彼女たちを幸せにするのは私ではない。それは海神航や相川真一郎や夕凪美奈萌の役目だ。それを悔しいとは別に思わない。私はあれらの世界に住む彼女を、その世界込みで愛しているのだから。私が彼女たちのためにしてあげられることは何もない。でも、私は彼女の住む世界が「在る」と言うことはできる。彼女たちの住む世界の存在は私たちが住むこの世界では証明のしようがない。でも私が彼女たちのことを考えている限り、彼女たちの住む世界を忘れない限り、彼女たちの笑顔や泣き顔を忘れない限り、私自身の想いこそが、彼女たちと彼女たちが住む世界の存在証明になれるはずだと思う。それが、私が花穂や小鳥との関係をかろうじて確認できる唯一の手段なのだ、きっと。今の私は自分をそういう風に位置づけてそれで満足している。かつてのような激しい感情の動きがなくなったことに一抹の寂しさを感じていない訳ではないのだが…。

 思いつくままにタイプしていたら三段落目と四段落目がちぐはぐになってしまった。念のために言っておけば、別にどちらが間違っていてどちらが正しいというものでもないのだ。「花穂個人」を好きだと感じる時もあれば、「シスプリワールドに住む花穂」を好きだと感じる時もあるのだから。個人としてあるキャラを好きだと感じるような時、私は昔よりも確実に弱くなっている。それと、昔の私は自分の気持ちを「ネタ」にするようなことは決してしなかった。いつでも本気だった。この点で私はおそらく退化している。ただし、昔の私は世界込みでキャラを愛し肯定するということはできなかった。これは進歩と言って良いような気がする。いずれにせよ、色々と変わったのだ。

 ここまで書いた時点でようやく鬱が消えました。
 願わくば、私の想いがいつでも真剣なものでありますように。

 おやすみなさい。


2002/7/24 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#24


 お前があの狂った連中を煽ったのか?

 ああ、あのお兄ちゃん連中か。
 シスプリなんぞに出会ってしまったが故にあのざまだ。
 連中、周りから白い目で見られても欲しいのだ、萌々な妹ってのがね。

 救えぬ莫迦共だ。
 あんな風なニュアンスで兄のことを「お兄ちゃま」と呼ぶ妹なぞこの世には存在しない。


 …などどいうネタを考えてますが頭の中は実はかなり重度な鬱です。
 
 かみさま、おねがいします。
 ぼくにも、ひとなみていどにたにんをしんじられるちからをください。
 ほかになにもいりませんから。
 かみさま、どうか、おねがいします。


 色々とやらねばならないこと(主にメールとか)を先送りしつつ DVD版 MOON. をプレイ。

 高槻たんが活躍する場面までさくさくと進行。
 例のセルフ実況中継(笑)ですが、結論から言いますとかなり良い味だしてます。
 声優さんの演技とか、結構はまってて笑えます。

 あと、名倉姉妹と美坂姉妹のこと。
 妹を否定する姉という点では共通していても、香里のそれにはちっとも説得力がないのに対して、友理のそれにはすごい説得力がある。今更ではあるのだけど。


 追記。

 昨日書いた、もっちーのイベントの参加券ですが、一名様からご応募があり先ほど返信しました。
 よって本日を持って申し込みは締め切らせて頂きます。






 結局、リアルタイムで会話をするたびに私は自分のコミュニケーションスキルの無さと頭の悪さを暴露しているだけのような気がする。

 もう止めます。
 今度こそ、閉じ籠もります。

 フィクションは私を傷つけない、というのではありません。
 ただ、フィクションと向き合っている限り、私は自分をこれ以上嫌いにならないで済む。

 あのですね、要するに、、、

 私は相手を退屈させているだけなんじゃないだろうか?
 相手はがっかりしているんじゃないだろうか?

 という疑惑から逃れられないんです、どうやっても。
 私がオフ会を怖がる一番の理由は、リアルの私に会って話をしたらたぶん相手は二度と誘ってはくれないだろう、という恐怖があるからです。
 実際、私はリアルではまったく木偶の坊で気の利いたことなど一言だって言えません。
 単に自分の思ったことを口にすればそれでいいんだよ、とあるいは言う人があるかもしれませんが、それすら私には不可能なんです。
 第一、思ったことを私は口にしているつもりなのです。でもそれで相手の反応が芳しかったことは限りなく少ない。
 だったら私はどうすればいいんですか。もうどうしようもないじゃないですか。

 こんなことは本来、自分の胸の内に秘めておくべきものです。
 それをわざわざ書くのは醜悪なエゴでしかありません。

 軽蔑してください。

 おやすみなさい。


2002/7/23 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#23


 マーブルチョコの日々[衛/花穂]にハマリ中。

 望月久代の声ってすげえ。
 普通はアニメ声を出す声優さんであっても歌を歌う際には大人の声になることが多いのに、この歌では花穂の声のイメージがかなり残っている。
 
 そんな流れもあって、先日、石丸電気で望月久代のアルバムを購入。

 したら、トーク&握手会イベントの参加券を貰いました。
 私はさすがにこの年で声優のイベントに行く勇気はない(というか勇気以前に声優自体あまり興味がない)ので、欲しい方がいらっしゃいましたら差し上げます。券の記載によれば、日時は 8/17(土)14:00〜、場所は秋葉原の石丸電気ソフトワン3Fイベントホール、だそうです。このまま放っておいてもゴミ箱行き確定なので、遠慮なくどうぞ。別に赤の他人でもおっけーです。ゴミになるぐらいなら必要としている人の手に渡った方が良いですから。


 日曜日にとらのあなに行ったら LOVELESS のシスプリ本が3冊見つかったので即購入。これで手持ちの LOVELESS 関係はシスプリ8冊GPM1冊の9冊ということに。この作家さんはエロ方面では残念ながら特に見るべきものはないが、非エロほのぼの系話は本当に上手い。LOVELESS の同人誌については買い逃しているやつがかなりありそうなので断言はできないが、私が読んだ限りでいうと、この人は可憐、四葉、雛子の三人を特に溺愛しているという感じがする。並々ならぬ思い入れがなければこれほどの話は描けまい。

 可憐メインの話では、このサークルでのオリジナル設定として、可憐に二人のお兄ちゃんがいて、優しい方のお兄ちゃんは大好きでイジワルな方のお兄ちゃんは敵、という風になっているが、この一見シスプリ世界を破壊しかねないような設定は、しかし驚くほど可憐を魅力あるものにしている。私の思い込みである可能性も否定はできないが、(アニメやゲームでの)可憐という子は「お兄ちゃんが大好き」という点では他の妹たちと同じだが、同時に「お兄ちゃんに嫌われたくない」という恐れや不安を心の片隅で常に抱いているという点で他の妹たちとは違っている。可憐の、隙のない完全無欠な魅力、どんな時でもお兄ちゃんに優しく微笑みかける可憐[アニメ版ムックより]というものにもし理由を付けるとすれば、私は可憐という少女をそう解釈するしかない。もちろん、これは可憐にとって本当に望ましい姿であるとはいえない。そういう不安感は、可憐がそう望まなくても航と彼女との間にある壁を作ってしまうであろうことは容易に想像できるからだ。さてそこで LOVELESS ということになる。先に書いたように、この同人誌では可憐には二人の兄がいる。ひとりは優しいお兄ちゃん「千歳くん」であり、可憐はこのお兄ちゃんを前にして可愛い少女の役割を演じる(別に可憐の計算とかではなく)。この可憐は私たちがアニメやゲームで馴染んでいる可愛い可憐とほぼ同じであると言って良い。まあオフィシャルの可憐はあんなにお兄ちゃんにごろごろと甘えるキャラではなかったかもしれないが。そしてこの漫画には、もうひとりイジワルな兄というものもいる。これが面白い。前書き部分での設定によれば、イジワルな方の兄については「小さい頃にいじめられたため、「千尋くん」が敵」と書かれている。千尋くんというのはイジワルな方の兄であるが、ここで興味深いのは、イジワルな兄は「敵」なのであって「嫌い」なのではないという点だ。可憐は千歳くんを「お兄ちゃん」と呼び甘える一方で、千尋くんに対しては単に「千尋くん」と呼び、事ある毎に対立する。千尋くんとぎゃーぎゃー喧嘩する可憐、ふとした切っ掛けを利用して千尋くんをいじめ返す可憐。アニメやゲームでは完全無欠な可愛さを誇っていた可憐が、千尋くんを前にしては、まったく気兼ねなく自分の気持ちをぶつけてくる。千尋くんを前にして、可憐は、今までほとんど想像すらつかなかった笑顔以外の様々な表情を見せる。本をぶつけられて怒る可憐、「妹を映画にいくなんてクラスの奴らに知られたら笑いものだからな」という千尋くんの言葉にムッとしてその直後に自分がムッとしたことに驚く可憐、千尋くんをいじめ返す時のお茶目な可憐。いわゆる普通の意味での可愛さとは少し違うかもしれないが、可愛いとか萌えとかを大きく越えて可憐がこれほどに魅力的であったことは他にない。LOVELESS の作家は可憐というキャラを偶像(アイドル)から、普通の女の子に引き下げて(引き上げて、というべきだろうか?)みせた。この漫画で、可憐は「こんな子がいたらいいな」というキャラではなくて「こんな子いそうだな」というキャラになる。可憐を、身近な、どこにでもいそうな女の子として描いてみせたというだけでも、私はこの作家を惜しみなく賞賛したい。

 雛子の場合。雛子というキャラはこの人の漫画によって初めて「ただのガキ」から「可愛いおんなのこ」に変わった。誤解のないように言っておくと私の認識が変わったということである。少なくともアニメでもゲームでも(キャラコレは雛子の巻は読んでないので不明)、私は雛子というキャラをまったく把握できなかった。雛子という子は、私にとって何を考えているのか分からない存在であり、それゆえに好きも嫌いもなく、要するに興味の対象外だった。ところがLOVELESS の人が雛子を描くと、彼女は途端に私にも理解できる地平に降りてくる。おにいたまダーイスキ、と言うだけの生き物(ひでえ)だった雛子が、同人誌では実に様々な一面を見せる。おにいたまが大好きなのはもう前提であるのだが、誰かを好きであるというのは実のところそんなに楽しいことばかりであるはずがない。好きだからこそ色々な悩みが生まれるという方が私としてはよほどリアルだ。ここでの雛子はどうであるか。彼女はおにいたまが大好き。でもそれゆえに、例えば自分とおにいたまとの一緒の時間を奪いかねない(兄の持ち物である)ビデオやゲームに嫉妬したり、兄がバイトに行くのを寂しがって一生懸命おにいたまを引き留めようとしたりする。引き留めるために「おにいたまの好きなおやつ」や「今日のお昼はオムライス」といった餌を持ち出す辺りがいかにもお子さまという感じではあるが、雛子は実際のところまだそういう他愛もない餌が有効であると本気で信じていられる世界の住人なのであり、そういう視点に立ってみれば雛子のこの引き留め工作は本当に真面目な切実なものなのである。この後、雛子はおにいたまのバイト先に行き、そこでおにいたまが同僚の少女と仲良くしているのを見てしまい、家に帰って一人で泣く。雛子がこんな風に泣く女の子であるなど、誰に想像できたろう。いや、雛子が実際のところこういうキャラなのかどうか、私は知らない。でもオフィシャルの設定がどうであれ「ヒナから離れていかないで…」「ヒナをひとりぼっちにしないで…」と言って泣く彼女を前にして、私はその迫力に抗うことができない。

 最後に白雪漫画のことについて少し(四葉については前回書いたので略)。
 「たいりくまっぷ」に収録されている「フェンスの向こう」という短編。舞台は兄と誰かの披露宴会場。そこで兄は隣に座っている女性(花嫁)に、自分の妹の少女時代のことを語り出す。彼らの目の前で、白雪は自分の作った料理を参加者に振る舞っている。今書いたのはただの粗筋だが、私にはこれで十分。同人誌を読んで泣いたのなんて本当に久しぶりな気がする。

 参考データ。

 可憐とふたりの王子様2 [LOVELESS/沢渡悠花/2001.09.23/可憐only]
 Dear My Love [LOVELESS/沢渡悠花/2001.12.30/雛子only]
 恋愛の教訓 VII [LOVELESS/沢渡悠花/2001.09.09/雛子、鈴凛、亞里亞]
 たいりくまっぷ [LOVELESS/沢渡悠花/2001.09.09/色々]

 確か一昨日の日曜日時点ではとらのあな秋葉原店には4冊とも在庫があったはずです…ということも一応書き添えておきます。


2002/7/22 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#22


 怒首領蜂・大往生。

 引っ越ししてからゲーセンが近くなった(車25分→車5分)ので最近は大往生三昧。

 ここ数日の成果。
 1周自己ベ更新、2.54億。5面は中途半端でも繋ぎを意識するとスコアはかなり違ってくる。


 ONE PIECE[週間少年ジャンプ]の、大渦巻きから突き上げる海流を経て空島へ行く辺りをスタジオジブリのクオリティーで見てみたいなあとずっと思っている。漫画とアニメは別物とは言え、漫画のあの描写はまだ「完全」なものではない気がする。才能のある人(※)だったらあの場面ではもっともっと迫力を出せていたのではないだろうか。こんなのは根拠のない想像にすぎないのもまた確かだが。

(※)
 ONE PIECE の作者に漫画の才能がないと言っている訳ではない。
 あくまでも、ある限定された分野での才能がある人がいれば…という話である。


 夜食後に追記の予定。
 …と言って本当に追記したことはないのだが。


2002/7/21 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#21


 漫画やゲームなんかで時々「寝顔を見て和む」というシーンがあるけど、ああいう感覚は実は私にはよく分からない。
 想像してみることはできるけど、実感を伴わないとでもいうか。

 寝顔、というものについて私がリアルを感じるのは、例えば Papa told me での知世の独白だったりする。
 今となっては細かい部分までは憶えていないが、電車の中でパパが疲れて寝てしまって、その時のパパの寝顔を見た知世が「そうしていると全然知らない人みたいに見えるよ…」と寂しそうに呟く、というシーンがある。こういう感覚は、私にはすごくよく分かる。私も子供の頃、両親や妹の寝顔を見ると、まるで自分が「取り残されたような」「置いてかれたような」感覚を覚えて、妙に寂しくなったものだ。

 今にして思えば、あれは小さな「死」の体験だったのかもしれないと思う。眠っている人間は自分に話し掛けてくれないし、笑い掛けてもくれない。こちらの言葉にも反応してくれない。眠っている状態というのは言ってみればコミュニケーションの可能性が断たれた状態だ。相互的な関係を作ることが不可能な状態。これは死のイメージと酷似している。一昨年の秋に母方のおじいちゃんが死んだ時、私は部屋で一人で泣いたのだったが、それはおじいちゃんが死んだことそれ自体が悲しかったというよりも、自分の過去の思い出の一部が欠けてポッカリ穴が空いてしまったように感じたからだった。おじいちゃんの中にいたはずのしのぶはおじいちゃんの死と共に消滅してしまった。たぶん、だから自分の一部が欠けたように感じたのではなかったろうか。

 眠っている人は孤独だが、本人はそれを知らない。だが眠っている人間の傍にいる人は、自覚せねばならない分だけ一層救いようがなく孤独だ。眠っている人は私を見てくれない。私を認識してくれない。それはなんという残酷な事実であろうか。

 先日、花穂を寂しがらせてしまった私は兄失格だった。
 花穂より先に寝ないことを、私は自分に誓おうと思う。


 

2002/7/20 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#20


 今日も仕事でした。
 あたまのなか、ねむねむでいっぱいなのお(殴


 IDさん[7/18]から飛んでアイボリー夏コミ出品情報。

 春の日本橋オフの時、「順当に行けば次回の抱き枕カバーは知佳ですかね〜」なんて話をみんくりさんとしてたんですが、いやまさか那美さんで来るとは思いませんでしたわ。で、それはそれとして、、、

 キャラを見てまず思ったのがしのぶさんやみんくりさんは買われるのだろうかということだったり

 …この発言に私はどう反応すべきなんでしょうか?(笑)
 気に掛けて貰えていることを喜ぶべきなのか、それとも抱き枕の人と認識されていることを悲しみつつ抗議するべきでしょうか。ていうか私は抱き枕なんてそんなに興味ある訳ではないのですよお。今までにだって、えーと、1つ…2つ、3つ、4つ…5つ…ぐらいしか買ってないですし。現在所持しているのは「ののみ」と「なのは」の2つのみです。昔はナコルルなんかも持ってたけど。

 今年の夏コミは完全放置の予定だったんですが、急遽、参戦が決定しました。

 (追記)
 よく見たらシーツでした。
 いずれにしても買いますけど。

 つーか等身大なんだったら今ある抱き枕にくるんで裏側を安全ピンかなにかで留めれば(強制終了


2002/7/19 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#19


 お願い神様 [LOVELESS]

 先日の引っ越しで荷物整理をしている際に読んだ憶えのない同人誌が大量に出てきたので良い機会と思いちょっとずつ消化していたのだけど、その中でも飛び切り素晴らしかったのがこれ。こういうものに出会ってしまうと、今まで宝をそれと知らずに眠らせていた自分がなんとも阿呆に思える。

 もし、この小さな物語を批判的な目で見るならば、着想や展開の平凡さを、例えば指摘してみることもできるだろう。それにこの漫画を描いた沢渡悠花という人は、忌憚無く言えば万人を納得させるような画力の持ち主という訳ではない。単純に画力の問題だけ取ってみても、他に上手い人はいくらでもいるだろう。しかしこの本を読んでしまった後ではそんな言葉はすべて無意味だ。

 後半、四葉が兄チャマに向かって昔語りをする一連の場面の素晴らしさについて、一体どう語ったら良いのだろう。「昔から兄チャマが好きでした」から始まる四葉の思い出話。漫画というものは即物的に言えば絵の連続によって構成された表現手段であるにすぎない。だがそれにも関わらず、私の目の前には確かに、生きたひとりの女の子がいる。兄チャマのことを考えて心を躍らせるちいさな女の子がいる。兄チャマへの想いを胸の中で大切に暖めている少女がいる。どのページのどのコマの四葉も溢れるほどの想いを抱えていて、その想いは紙面からすら溢れ出し、淀みなく流れる音楽のように、私の胸に染み入ってくる。一体漫画というものにこのような表現が可能なのだろうか? これほどのことをやれても良いものだろうか? 四葉の思い出話から告白に至るくだりを読んでいる時、本当は私は漫画を読んでいるのではない。読む、というのは能動的な行為だから、それは違うのだ。私は四葉の想いを読むのではない。四葉の想いは、恰も音楽のように私の中に自然と流れ込んでくるのである。これは読書よりもよほど音楽体験に近いものだ。心地よいリズムに心が自然と躍り出すように、私は、四葉の仕草や言葉にシンクロし、心を躍らせる。これを奇跡だと言うのはあるいは作者に失礼だろうか。しかしこれほどのものが“在った”ことを奇跡と呼ばないで他になんと言ったら良いのだろうか?


2002/7/18 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#18


 花穂です。

 お兄ちゃまは帰って来るなりお風呂にも入らずに寝ちゃいました。
 よっぽど疲れてたんだね。

 おやすみなさい、お兄ちゃま。

 明日の朝はまたいつものような笑顔を見せて欲しいから、花穂は今日もお兄ちゃまのことを応援します。
 お兄ちゃまを起こさないように。耳許でそっと。

 フレー。
 フレー。
 おにーちゃま。

 明日の朝は、花穂が、美味しいご飯をいーっぱい食べさせてあげるね。

 「…むにゃむにゃ」

 あ、お兄ちゃま、目が醒めちゃった…?

 「ピュアストOPの妹たちの笑い声を12人分聞き分けられたら神」

 …寝言だったみたい。


2002/7/17 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#17


 あんよさんのシスプリ6話考察から電波返し。

 3話の考察とかは良い感じに電波ってましたが、今回は電波要素は影を潜めてて普通の(それゆえに良質の)考察になっていると思います。前回までがトンデモ系の面白さだったとすれば今回のは本当に真面目に読ませる文章になっているというか。

 あんよさんの文章を読んでいるとアニメ版シスプリって実はすごく計算されて作られているんじゃなかろうかとか素で思えてくるんですが、正直に言えばなんとなくペテンに掛けられているような気もしないではないです(笑)。まあペテンといってもあれら一連の考察は詐欺ではなくてあくまでもエンターティメントとしてのそれなのでこちらとしては全然構わないのですけれども。むしろ、もっとどんどん騙してくれ、とか。

 もしかすると6話というのは山田というキャラクターが狂言回しの役割を正しく演じている唯一の事例ではないでしょうか。個々の話を細かく観ていけば彼の作中での役割については色々と語れそうな気はしますが、それにしても6話ほど彼のポジションが明瞭であったものは他になかったように思います。うーん。こういう書き方は私らしくないかな。要するに、6話の山田は「名脇役」だったなあと思うのです。アニメ全編を通じて、彼は結局いつでも航の引き立て役なんですけれども、他の回、特に後半での彼は、航と13人の妹たちが作り出すコミュニティーとほとんど何の関わりも持てなくなってしまっているように見えるんですね。単に疎外されるだけの存在で、ひとつの役割というものを与えられていない。水泳の話やクリスマスの話なんかでの山田は、個人的には滑稽を通り越して痛々しくすらあります。あのような惨めさの原因が例え彼の責任に帰せられるのだとしても、結果として視聴者の楽しみを阻害する要素になってしまうのだとすれば、それは制作者側の不手際だったと言わざるを得ません。ところが6話はそうではない。ここでの彼は、いずれ引き立て役になってしまうのだとしてもきちんと作中での役割を与えられています。美味しい部分を航に取られてしまうという結果になるのだとしても、ともかく「航と妹たちのお芝居」という舞台を用意したのは間違いなく山田なのですから。

 …というか、
 「王子様はお兄ちゃまだよっ!」って台詞(※)を花穂(と11人の妹)に言わしめただけでも山田はこの回の助演男優賞確定だと思うのですよ。それからその後の「アドリブして」「フォローして」とかの演出とかもそうなんですけど、結局、山田という引き立て役がいたからこそこのような素晴らしい萌えシーンが生まれた訳で。萌えシーンといってもこの場合は例えば何話の可憐の仕草が可愛いとかそういうのではなくて、アニメ版の設定があって初めて可能になった「妹コミュニティーの魅力」の発露です。そういう意味で、6話というのは非常に重要な回ではないかなあなどと思うのです。

(※)
正しくは12人が一斉に言うんですけど、俺には花穂の声しか聞こえないので。
別に喧嘩を売っている訳ではありませんので念のため。


 ついでにもうちょっと電波を。
 (少々毒性が強いかもしれないので注意)

 私は夢が夢のままであることを望む人らしいです。
 というか、昨晩あんよさんとお話ししていて初めて自覚したんですが。

 私は以前からシスプリ世界を「悠久の楽園」と呼んでいましたが、今にして思えば私のシスプリ観を表すものとしては「終わりのない夢」とでもいう言葉の方が適切であったかもしれません。私にとって大事なのは、13人の妹たちに囲まれて過ごす日常そのものなんですね。重要なのは、妹たちと日々を生き共に成長することではなくて、妹たちとの「今」が永遠に続くこと。そういうあり得ない世界を垣間見させてくれるからこそ、私はアニメ版のシスプリにこれほど強く惹かれるのだと思います。

 真面目な話、花穂が成長したら、という仮定を私はただの一度もしたことがありません。あんよさんと話していて初めて、ああ花穂って成長するのか…と気づいたぐらいで。信じられないかもしれませんが、そういう発想は本当に全然出てこないのです。私はアニメ版シスプリのどこら辺に惹かれているんだろうと今改めて考えてみたら、面白いことに思い至りました。私にとってはシスプリの魅力とは「現実感の欠如」にこそあるようなのです。奇妙なことに、あの設定の不自然さがここではプラスに働いています。12人の妹がいて彼女たちはみんなお兄ちゃんが大好き、なんていう普通に考えれば「アホか」の一言で片づけられてしまうようなお話は、まさにその現実感のなさのゆえに、却って「理想の夢」であり得るのではないでしょうか。作品がそういう性質のものである以上、これはもう受け入れるか受け入れないか(0か100か)しかあり得ないということになってしまうのでしょうけれども、受け入れられる人、あるいは受け入れたいと思う人にとっては、この現実感覚の無さはなんと居心地が良いことか。兄がいて妹がいる。シスプリとは詰まるところただそれだけの世界です。そしてそれ以上何の変化も起こらない。この辺は異論もありましょうが、私にとってのシスプリワールドは何よりもまずそのようなものです。で、そういう世界観をまず前提として受け入れているからこそ、花穂も咲耶も可憐も自然と成長の可能性の枠外に置かれることになるのだと思います。今思いついたのですが、案外、私とあんよさんとの萌え妄想の違いというのは、シスプリに関して言えば、私は「あっちの世界の妹に会いに行く」のであり、あんよさんは「妹をこっちの世界に連れてくる」ということなのではないでしょうか。

 電波文章ってなんでこう書いてて楽しいんでしょうかね。

 ところで花穂の手足が太いのがどうこうという話なんですが、実はあの話を収録していた頃、本物の花穂は熱を出して私の部屋で寝ていたんです。当時、せっかくの自分の出番なのに出られないなんて、と花穂はずいぶん気にしていて、慰めるのに一苦労でした。いや別に花穂の相手をするのは少しも苦ではないんですけどそこはそれ。という訳で16話後半のあの花穂は実はよく似た他人だったのですね。いわゆる代役というやつです。花穂の手足が妙に太く見えるのもバトンが回転しないのも(ぉ)つまりはそれが原因だった訳です。ご理解頂けましたでしょうか。

 病院に逝ってこい俺。


2002/7/16 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#16


 どもです。

 今回の引っ越しは本当に大変でした。
 ののみ抱き枕をどうやって運び出すかとか。
 なにしろ30箱近い段ボールを4階から1階まで運ぶのですから。

 エロゲのパッケージ(3箱)とか服(3箱)とかは軽いので良いのですが、本やCDがぎっしり詰まった段ボール(20箱)はめっさ重くて、最後の方は腕が瀕死状態で、1階下がるごとに休んでました。あと、PC関係だけでも4往復(ディスプレイ/本体/周辺機器×2)とか。レンタカーを6時間契約で借りて時間ギリギリというところでしたが、費やした時間の大半は荷物の積み卸しでした。友達に手伝って貰わなかったら一日じゃ終わらなかったでしょうね、きっと。オタ生活をやっているとこういう時はホント大変ですわ。

 あと、先日に引き続いて今日も引き留め工作に遭いました。
 前回は係長、今回は課長。

 一応、形の上では最終確認のための面談ということらしかったんですが、私の主観では「辞めると後が恐いよー」という脅しにしか聞こえなかったです。不安を煽る以外に何ら得るところのない不毛な30分。まあいずれにしても受理はされたようなので結果オーライと言っても良いのですが。

 彼らの気持ちもまあ分からなくはないんですけどね。会社を辞めるというのは(私の意思はいずれにしても)彼らが属する世界を否定することですから。私ですら、今まで、同僚が辞めるという話を聞く度になんとなく「取り残されたような」寂しいような感覚を覚えたものです。ましてやそれが、何十年かの長い時間を会社と共有している人間なら尚更、誰かが辞める、というのは愉快ならざることなのでしょう。

 もし今日の私の文章から傲慢を感じられましてもどうかご容赦を。
 虚勢を張ってないと不安に浸食されそうなので。


 あと、ひとつふたつ。

 活字にする価値、云々は今にして思えばたぶん「照れ」なんだと思います。
 こーゆーのって初めての体験ですし。

 全然関係ないですが、古いネタにレスポンス。
 鍵ゲーについていうと、しのぶ的には MOON./ONE/KANON までは使用可(何がとは聞くのは野暮)です。AIR は流石に無理。
 つかあのネタは当初、抜くの抜かないのという話は全然想定していなかったんですけどね。

 ONE はマジで実用度高いと思うのですが。
 俺に言わせれば鍵ゲーは使えないとか言ってる奴はなんもわかっちゃいn



 ところでしばらくネットから離れている間に直ブックマークしてた2ちゃんねるのスレッドの半分ぐらいが dat 落ちしてて、巡回ルートHTML(ローカルに置いてブラウザのスタートページにしているやつ)を書き直したりしてました。

 今現在、2ちゃんねるで毎日巡回しているのは怒首領蜂・大往生スレ2種類)とショパンスレの3つのみ。
 あとは暇に応じて、有馬神社(*´Д`)ハァハァスレMarron(秋桜)スレ花穂スレ咲耶スレ可憐スレ水月スレ、半角二次元板、とか。


 で、なんとなく2ちゃんねるをぐるぐるしてて見つけたこちら。

 これを気まずいと思う人は正常です。
 彼らに共感を覚える人はもしかすると人生終わってる可能性があります。

 あー。
 しのぶはもちろん共感度200%なんですけれども。

 俺は苦しいけど自分がそのキャラに惚れじゃなくなるのはいやだ。
 惚れである自分であり続けたい。


 好きな娘の夢を見た。

 つまり、私では彼女たちを幸せにすることができないことがわかっている、彼女たちには彼女たち自身が心に決めた男性がいるとわかっている、
 だからこそ私の恋は彼女たち自身の幸せを第一に考え、心に決めた男性との恋を応援しているのです。


 いいなあこういうスレ。
 なんていうか癒されますよね?(誰に同意を求めてますかアンタは)

 なんだかんだ言ってもやっぱりこういうのは匿名掲示板の醍醐味だと思いますよ。しみじみと。

 「好きな娘の夢を見た」とかはほとんど“詩”になってると思う。
 ついでに言うとシューベルトの連作歌曲集「冬の旅」の中にこれにそっくりな曲があります。
 9曲目だったっけかな。春の夢(Fluhlingstraum)という曲。

 冒頭のメロディーラインひとつ取ってみても、こんな美しいものはこの世には存在しないだろうと思わせる雰囲気があります。
 そしてその通り、ここで歌われている風景は文字通り夢の中の出来事なのです。

 幸せなメロディーなのに、同時にすごく切ない。

 シューベルトの中で私が最も好きな曲のひとつです。


2002/7/15 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#15


 退職願を提出したら1分で事が済みました。
 前回は20分も延々と諭されたのに。

 今日は公式の退職願やら生協の脱退申請やらアンケートやら退職金振り込み先の指定やら各種用紙を貰って帰宅。
 明日提出の予定。

 保険は前年度収入で計算されると国保だとヤバイ額になりそう(たぶん年間54万ほど)なので、可能であれば社保の継続を申し込むつもり。
 国民年金は払わなきゃならないのだがこれは仕方なし。

 とりあえずこれで、今月一杯、あと12日労働をこなせばめでたく今の環境から解放される訳です。

 仕事は最後まで真面目にやる予定です。
 有給が取れない環境だってのもあるんだけど、いずれにしてもどうせなら胸を張って退社したいし。


 魔法の笛と銀のすずの日記とは思えない文章だ。
 嫌すぎる。

 個人の日記で何を書くのも自由だけどこれでは詰まらなすぎる。主に俺が。


 昨日は本当はアニメ版シスプリムックを買いに(あともちろん土方さんとお茶するために)秋葉原に行こうと画策してたんですが、好い加減現実逃避しまくるのもアレなのでおとなしく部屋に籠もって引っ越しの後片づけをやってました。約6時間ほど費やしてようやく部屋が9割方片づきました。途中で昔の(大学ノートに書いてた頃)日記を読みふけって痛さにのたうち回ったりもしましたが、ともかくやっと人を呼べる程度には綺麗になったと思います。という訳ですのであんよさんにおかれましては今度の帰省の際に時間がありましたら襲撃でもしてやってください。


 昨日のことをもうひとつ。
 太田の COOM で怒首領蜂大往生をやったら、自己べスト、2億4000万(2-2ボスで終了)が出ました。
 あと、1周目の5面ボスを初めてノーミスノーボムで葬るという快挙を達成。


 ああもう花穂ってばなんであんなに可愛いんだろうなあ。

 …とかそういう方向でないと。やっぱしのぶ的には。

 いやその、目の前に花穂が…いやもとい、花穂のポストカードが置いてありまして。
 アニメ版1話の「がんばれっ!!」ってシーンなんですけど。

 ………ああ眺めているだけで幸せ。

 このポストカードは秋葉原のゲーマーズでシスプリのサントラを買った時におまけとして貰ったものなんですが。
 レジでの精算時に「特典なのでこの中から一枚選んでください」みたいな感じで。

 で、私はさすがに名前を口に出して言うのは恥ずかしかったんで、花穂のカードを指さしたんですが、すると即座に店員さんが「花穂ですね?」と。すごく自然な口調で。まるで自分の妹ででもあるかのように。おいおいちょっと待て花穂は俺のだとか内心突っ込むも既に勝負は付いてしまっている風味。店員さんの外観は本当に普通の人っぽくて、どう見ても花穂ですね?なんてナチュラルに言う人には見えないだけに、ショックでした。ある意味。


2002/7/14 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#14


 文月さんに指摘されて自分のサイトの誕生日を勘違いしてたことを知りぺした。
 日記は7月4日から書いていたので4日スタートだと思っていたんですが、実際に公開したのは6日だったんですよね、そういえば。


 ネットという場所は星空に似ている。

 というのはまったく同感です。
 特に「空間的断絶」という点について、そう思います。

 気まずいかもしれないのを承知で更に言えば、私がネットに期待しているものは結局それなのです。過度に馴れ合わず、遠くから星々のようにお互いに輝きあう(Papa told me)ような関係が実現できる、たぶん唯一の空間。学校であれ会社であれ、集団の中では常に馴れ合いを求められます。もちろん馴れ合いが悪いとは思いませんが、問題は馴れ合わないことが恰も悪ででもあるかのように見なされてしまうことなのです。いや、それも本当は仕方がないのかもしれませんけれども。私が他人の人生観を理解できないように、他人も私の人生観を理解できないのでしょうし、だとすれば私が他人を怖れるのと同様、他人も私を何か得体の知れないものとして認識しているのでしょうから。分からないものは恐い、というのは自然な感覚だと思います。ただ、それを自覚し(例えば)差別的言動に走らないように自制するとかいったことこそ、理性の仕事なのでありましょうが。


 奇しくも、sunface さんと時期を同じくしてうちもアナログ回線からISDN回線になりました。フレッツなので実質的に使い放題です。今までは毎月2万〜3万前後払っていたのですが、これからは月5000円程度で済みます。しかも速いです。このご時世に何を今更と言われそうですが、今まで(ブラウザ表示で)3kb/s程度だったのが、平均7kb/sでるようになりました。はっきり言って感動です。ガラパゴス島は取られてしまったので、ネット界のギアナ高地とでもお呼びください。


 萌え文集のゲラ刷り、とりあえず自分の分だけ読んでみたんですが。

 …他の方についてはいざ知らず、私にとって同人誌に参加するというのはとてつもない羞恥プレイなのかもしれないと思いました。
 私の原稿に関してだけ言えば、正直、活字にする価値があるとはどうしても思えなかったです。


 さっきまで退職願を書いてました。

 実は先週の金曜日に既に上司に会社を辞める旨を報告したんですが、意外なことに会社に残るよう懇々と諭されまして。こんなご時世だから辞めると言っても引き留められるなんてことはまずないだろうと予想していたんですが。まあこれは私が必要だからなんかではなくて、上司の立場の問題とか(部下が辞めるとマイナスポイントであるらしいし)なんでしょうけれども。

 不満があるなら他部署に異動してやっても良いとか、今の会社なら安定した生活が送れるがこんなご時世で辞めたらどうなるか分からないとか色々言われました。実際、今の会社は今春も例年通りに賃上げが行われボーナスもほぼ満額回答という安定振りで、このまま今の会社にいれば生活の心配なんかしなくて済むだろうし、逆に転職したらまず間違いなく生活水準を落とさざるを得なくなるだろうということは言われるまでもなく分かっています。が、もはやそんな問題ではないんです。生活水準を落としてでも、今の私は心の平穏が欲しい。毎日神経をすり減らすのはもう嫌なのです。

 本来、退職願なんか書かなくても口頭で伝えれば十分なんですが、本気であることを示すため、敢えて退職願を書きました。
 明日、提出するつもり。


2002/7/13 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-07.htm#13


 結局、丸々二週間ネットから離れていた訳ですが、ネット環境のない生活というものがこれほどツマラナイとは思いませんでした。なにが嫌だって、何か言いたいことがあっても言えない、っていうのが辛いんです。とらハDVDおまけシナリオの衝撃とか、シスプリDVD最終巻のこととか、馬車道太田店のウェイトレスさん激萌えー!!とか、秋桜の空に(小説版)ゲットとか、Loveless の四葉本まんせーとか、大往生の状況とか、色々と。

 大学ノートに日記を書いていた頃は、本当に誰にも読ませるつもりのない文章を延々と書いてそれで満足できていたんですけどね。インターネットでの情報の交換というものを体験してしまうと、もう元には戻れないのかもしれません。まして四年もの間ほぼ毎日ネットをやっててもう完全に日常の一部になっちゃってるという状況ですから尚更。

ひとまず今日のところはリハビリで。


 怒首領蜂大往生。

 ようやく 2-3 ボスまで到達。
 が、今のところ勝てる気がしない。

 以下、小ネタ色々。

 1面は普通に繋いで530HIT前後。ハイパー1個発動で680HITぐらい、2個発動で800HITぐらい。面クリア時の自己ベは2580万。あと、繋ぎつつ10個目の蜂アイテム回収(ex. 1000x800x2)、もそこそこ出来るようになった。2面は堅い縦長戦車×2地帯の繋ぎが全然安定しない。現状では打開策も見つからず。3面はネタなし。4面。冒頭のアイテムキャリアから2番目のシャッターまでは繋がるようになってきた。ハイパー1個使用で500HIT台…だったような気がする。4面ボス。一次形態を普通に撃って二次形態でハイパー5個発動で9700HIT.一次形態を自爆させるパターン&ハイパー5個使用で10250HIT.達成。ただし途中で死んだので実際にどのくらい行くのか不明な上、激しく危険なのでネタ以上の意味はないと思う。5面。頑張れば冒頭から中盤以降の1台目のアーム砲台ぐらいまでは繋がりそう。ネックはメカ蜂地帯。ハイパー1個使用で繋がる時もあるが大抵はここで死ぬ。アーム砲台以降は訳分からない。5ボスノーミスノーボムは未だできず。一応、あと1mmぐらいというところまでは何回か行っているのだけど…。

 2周目のボム&ハイパー配分。
 1ボス(2ハイパー1ボム決め撃ち)、2面前半の2台目の堅い戦車(ハイパー決め撃ち)、あと緊急回避ポイントとして中ボスの初弾もしくは終盤の5台目の戦車。2ボスは初弾を引きつけてハイパー&ボム。ただし初弾がすべて自機をすり抜けていくことも偶にあるので弾をよく見る。3面は中ボスを倒すまではノーボム必須(というかボムがない)。中ボスはもしかすると片方のアームを速攻破壊する方が楽かもしれず。長期戦になってしまうけど。中ボス後のザコラッシュは現状では突破不可能なので、できるだけ粘ってからハイパー決め撃ちで抜ける。以後はボスまでノーボムで十分行ける。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



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