棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]


−日記・過去ログ−

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2002/5/31 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#31


 怒首領蜂・大往生。

 久しぶりにゲーセンに通うようになって他人のプレイを見る機会が増えたのだけど、見ていると弾避けの実力の個人差というものはこちらが考えている以上に大きいようだ。今のシューティング開発陣は多かれ少なかれ「上級者も初心者も」楽しめるゲームを作ることを念頭に置いているはずなのであるが、1面や2面程度の弾幕でビビってレバガチャをやって自ら弾にぶち当たる初心者プレイヤーが後を絶たない現状を考えると、大往生が初心者に優しいゲームであるかどうかは正直かなり疑わしいと言わざるを得ない。

 最近はあまり見なくなったが、その昔2ちゃんねるのシューティングスレッドでは、時々「初心者は何も考えてない、もっと考えてプレイしる」という内容の発言が出てきたものだったが、これは初心者にとっては正しいけれども役に立たない言葉だったと今にして思う。シューティングの上達には確かに考えてプレイすることが絶対必要だ。特に最近はパターン化の要求がいよいよ強まって来ているので、何も考えずにプレイしていたら必ず特定箇所で行き詰まってしまう。例えば、この場所はこの敵を最優先で破壊するとか、ある敵が出現する直前に予め画面端で待ちかまえていて撃ちながらちょっとずつ移動するとか、この弾幕は奇数wayだから撃たれたらレバーチョンで避けるとか、そういう学習による弾避けがシューティングには必須なのである。でも初心者にはこの学習がなかなか難しい。かつて怒首領蜂を1周するのに1ヶ月も掛かった(大往生は5日だった)私の経験からすると、初心者はそもそも、どういう状況で死んだのかがまるで見えていないのである。慣れている人から見れば、この場所は大型戦車が危険とかの判断が出来ても、初心者は大量の弾幕に囲まれた時点でほぼ自機の周囲1キャラ分程度の視点しか持っておらず、敵の配置や弾幕の性質にまで気が回らないのだ。どうやって避けるかを考えるためには、最低限、敵の配置(出現パターン)や弾幕の性質を暗記していることは必須である。当たり前の話だが、その弾幕がどういう性質のものか分かっていなかったらそもそも対策の立てようがないのだから。しかし、もし死んだ時の状況を初心者に尋ねてみたとすれば「なんか大量の弾に囲まれて気が付いたら死んでた」みたいな曖昧な答えが返ってくるだろうことは容易に想像がつく(というか私自身がそうだったし)。これでは上達のしようがないのだが、かといってそれを全面的に初心者プレイヤーの責任にしてしまうのも酷ではないだろうか。

 個人的には大往生に関しては1周目の難易度は快適に遊べる程度のものになっていると思うが、いくら私がそう思っても初心者が1面2面でパカパカ死んでいるのは事実なのだし、だとすれば大往生ですらやはり初心者締め出しの傾向はあるのかもしれない。


2002/5/30 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#30


 怒首領蜂・大往生。

 2面全繋ぎ成功。
 1700HIT強。2ボス前で6000万オーバー。

 2-2ボスで終了の1.59億。


2002/5/29 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#29


 うたわれるもの[Leaf]読了。

 面白かったのだけど、大満足と言い切るには今ひとつ何かが足りないような。
 微妙なもどかしさが、こう。

 ラスト辺りの展開は正直風呂敷を広げすぎだと思いました。
 主人公が実は…という設定は個人的にあまり好きではないので。

 しのぶ的最萌えキャラ(コンビ)であるところのクーヤとサクヤに関しては予想の斜め上を行く素晴らしい展開でした。
 嬉し泣き。


2002/5/28 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#28


 うたわれるもの [Leaf]

 はにゃ〜。
 クーヤとサクヤがいれば他に何もいらんですよ。

 先が読めない展開がずっと続いたけど、たぶん明日で終わるはず。
 ああそうそう、クーヤが幸せにならなかったらCD叩き割りますんで。

 ホントはエンディングまで進めたいのだけどこれ以上は明日の仕事に差し支えるので今日はもう寝ます。
 おやすみなさい。

 …あああ気になるなあもう。


2002/5/27 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#27


 FP_LVS_vol.2 〜黒澤りな〜

 …については本当は単なる萌えツールとして聴くのが正しいのだと思うなんてことを今更ながら言ってみる。
 これはエロ漫画とかと同じで、要するにこの手のメディアにはキャラクター設定(バックグラウンド)などというものは要らないのである。エロ漫画に要求されるのは結局、キャラクターがエロい言動をしている、というただ一点なのであるから。エロ漫画では、エロ場面以外でのキャラクターの言動が予測できないようなケースが少なくないが、だからといってそれを持ってその手の漫画を批判するのは公平であるとは言えない。肝心なのは、受け手がその作品に何を求めているのか、だ。受け手を(*´Д`)ハァハァさせることができればそれでエロ漫画の目的は十分に果たされていると言って良いのであり、更に言えばエロ漫画に対しては(*´Д`)ハァハァするのが正しい姿勢というものであり、醒めた目で見てキャラクターがリアルでないなどと(一昨日の私のように)いう理屈を展開するのは筋違いも甚だしいというべきだろう。

 以上、りなたんに萌えるための手続き終了。
 私はこういう手続きを踏んで自己正当化を図らないと素直に萌えることができないのです。


 水面下で「とらハ好きへの100質問」プロジェクトが進行中。

 近日公開予定。


2002/5/26 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#26


 人類史上最も美しい旋律。

 人類史上という言い方はちょっと嫌なのですが、知ってる範囲で最も美しいメロディーラインということでなら、私は魔笛のパミーナの独唱を挙げます。魔笛で最も緊張度の高い場面ということでなら、ラストのパパゲーノとパパゲーナの二重唱の「入り」のヴァイオリンが鳴り始めた瞬間を挙げるのですが、単純にメロディーラインを問題にするなら、私の知る限りのクラシック音楽全てを考慮に入れても、パミーナの独唱以上に美しいものはこの世に存在しないと断言できます。

 たぶん魔笛を聴いている人なら歌詞の一部を抜き出すだけですぐにピンと来ると思いますが、

 Spiel du die Zauberflote an, Sie schutze uns auf unsrer Bahn.

 という箇所。
 ここはもう、本当に鳥肌もの。

 このメロディーを描いたという一点だけでも、モーツァルトは天界を追放された天使に違いないと思う。


 インターネット環境がなくてネットカフェから私の日記を読んでいるという方からメールを頂きました。
 メールが届くかどうか分からないのでこちらでお返事を。

 (一部のWeb日記界ではメールの引用が特にタブー視されていないようですが、私はネチケットガイドラインを読んでいる世代なのでメール本文の無許可引用にはかなり抵抗があります。よって引用は原則として行いません。ご安心のために念のため)

 以下私信みたいなもの。

 私はメールに限らず掲示板でも日記でも、コミュニケーションに関してかなりルーズで、知り合いからのメールであっても一週間ぐらい平気で放置したり挙げ句返事を書かなかったりします。今年の一月とかも実はかなり凹んでいて、本来出すべきメールの返事なんかも全然書きませんでした。自分勝手極まる話ですが、そういう書けない時期がどうしてもあるのです。

 こんなことを書くのも、まずはしのぶという人間の身勝手さを表明しておくことで、貴方が去年くださったメールは私にとって決して不快なものなどではなかったということを申し上げたいと思うからなのですが。

 それから。私はいつも人間の間で生きることの困難さに苦しんでいますが、ただ、私は自分を特別だと思ったことは一度もないです。人として出来損ないであるという意味でなら、私は「特別」であるのかもしれませんけれども、いずれにしても、自分を周囲との差異は私にとっていつも苦しみの種であることは間違いありません。人間関係の悩みぐらい誰でも持っている、という一般論は私にとってこの上なく虚しいものです。なぜなら私の観察するところ、多くの人たちは人間関係の煩わしさを訴えながらも、なんとか普通に見える程度に周囲とコミュニケーションを取れているからです。人間が恐いと言いつつオフ会など普通にやっている人たちを見ているとなんとも言えない苦々しさを覚えたりします。そんなことを考えてしまう自分は醜いと思う、とかいう表明はこの場合単なるポーズにすぎません。ともかくも苦々しさを抱いてしまったのは事実なのですから。

 *** 以下脱線して日記 ***

 私は今年に入ってから、オフ会というものを一度もやっていません。これは私の意識の問題においてということですが。今年は既にかなり色々な方とお会いしていますが、これらは全て「個人的に会った」のだと思っています。これは何が違うのかというと、普通の場合だとまずオフというステージが設定されてそこから参加希望者が決められた場所に集まってパーティーのようなものをやるということになるのですけれども、今年に入ってからの私は、自分の個人名に於いて特定の相手を名指しして「私は」「あなたと」「会ってお話がしたい」と明確に意思表示をしています。オフ会においては大勢でパーティーを楽しむのが目的なのですけれども、私の目的はあくまで「会いたいと表明した本人との会話」なのです。去年、私はオフ会を何回か体験しました。そしてその度に感じたのですが、どんなに楽しいオフ会であっても、気がつくと(気を抜くと)私はいつのまにか会話の輪から外れてしまっているんです。端から見れば会話を楽しんでいるように見えても、実際にはニコニコしながらよく分からない(付いていけない)話を聞いているだけ、という状態になってしまうんです。私は孤独感はには耐えられますが、疎外感には耐えられません。唯一の例外は去年の冬のオフの時ですが、あの時の私は「今日だけは話題から外れてなるものか」と相当に気合いを入れて集中して場に臨みました。だからある程度発言する機会も持つことができたし、おかげで疎外感を味わうこともなかったのですが、やっぱり後で反動は来るもので。どうしてそこまで気張ってまで楽しもうとしなければならないんだろう、と。それはなんか違うんじゃないだろうか、と。で、まあ色々悩んで。結局分かったのは、私にはああいうパーティー的な場は、二重の意味で向いていないんだろうということで。ひとつは能力的に不可能であるという点で。もうひとつは、パーティー的オフというものが必ずしも自分のやりたいことに合致していないという点で。念のため言っておけば、去年にやったオフはどれもみな「楽しかった」のです、本心から。ただ、悔いが残るものだったのも絶対に確かで。そういう経験から、私は何がやりたいんだろうと考えて。結局私がやりたかったのは、個人対個人の会話、だけだったんです。そういうものにしか魅力を感じないというか。だから、チャットへの参加もやめました(一対一のチャットというものがあるのならやってみたいですが)。

 今年に入ってからは私はオフ会というものを一度もやっていません。今年の「オフ」と称しているものはすべて、一対一で「個人的に会った」ものだからです。そういうスタイルに変えてから、私は他人とオフラインで会うことに抵抗はほとんどなくなりました。去年のオフは楽しさと悔いとが半々ぐらいでしたが、今年は「楽しさ」しかありません。もちろん「楽しかった」というのは私の感想であって、相手がどう思っているのかはまた別の問題なのですが、それを踏まえた上でも、少なくとも私の方からはお会いしたすべての方に対して「心から楽しかったです、本当にありがとうございます」と少しの後ろめたさも持たずに言うことができます。今となっては去年のオフ会も、自分になにができてなにができないのかを知るための経験の場だったのかもしれないと思います。そういうことを学習するまでにはたくさんの毒を吐いて(たぶん)多くの人に迷惑を掛けてしまいましたけれども…。

 *** ここまで ***

 話を戻します。
 究極的には、私が私であり続けるためには、いつか「自殺」という手段に走るしかなくなるのではないかと漠然と考えることはあります。ただ、それは周囲に迎合するのを拒否するというよりも、迎合することが致命的に不可能だと感じられるようになる時に訪れるのだと想像しています。

 …書いていて思ったのですが、自殺をするというのは単純に自分を殺すことなのでしょうか。実は自殺とは自分の否定であるよりもより多く世界の否定なのではないでしょうか。一羽のカラスが出てくるお話があります。そのカラスは敵を目の前にした時、自分の目を塞ぐという行動にでるのです。そのお話中のカラスは、見えないものはいない(存在しない)のと同じ、というなんとも無邪気というか莫迦な発想でもってそういう行動にでるのですが、でも考えてみると自殺というものは結局、世界から目を塞いで、(自分にとって)世界をなかったことにする行為なのかもしれません。もしそうなのだとすれば、自殺というものに、私は何か割り切れないものを(私好みの表現で言えば「美しくない」ということ)感じます。

 気持ちが途切れてしまいました。
 また後で、もしかしたら続きを書くような精神状態に入ることがあるかもしれませんが今は無理みたいです。

 それではおやすみなさい。


2002/5/25 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#25


 仕事が忙しかったりして更新できず。
 時間の拘束はいつも通りなんだけど仕事が変わって毎日神経をすり減らしてるので、慣れるまでは週末のみの更新になるかもしれません。


 怒首領蜂・大往生

 日曜日の夜、夜食を買いに行くついでにもう一回だけプレイしてみたら3ボム条件で2周目に行くことに成功。遊びでやってこれなら真面目に練習したらもっといけるんじゃないかと思ったので今週はずっとゲーセンに通ってました。最初の二日ぐらいで2周目突入はほぼ安定。3面の蜂パーが安定して取れるようになったのが大きい。いまいち安定しなかった4面も、レール戦車地帯はほぼ安定パターンに、1up砲台地帯もノーボムで安定、と非常にいい感じ。スコアは現在1周1.4億がベスト。これ以上は伸びないだろう。

 ただし2周目は相変わらず手も足も出ず。1面道中からして安定しないし、仮に2面に行けたとしても弾幕が鬼過ぎて手に負えない。一度だけ、まぐれで2面ボスまで行ったけど正直楽しさよりも恐さの方が勝ってしまっていてキツイ。言ってもしょうがないことだけど、残機没収は酷いですよやっぱ。調子よければ残3クリアぐらいはできるのに。


 アイボリーの通販[情報提供:文月さん]で注文していたメイドさんドラマCDが届く。

 さすがに都築さんが脚本を担当しているだけのことはある、というべきか。内容は前作に輪を掛けて恥ずかしい。こんなものを車の運転中にカーステレオで聴いていたら事故っちゃうかもしれぬ。メイドさんのいる風景、としてはほぼ私の理想通りの世界なので楽園と言えば楽園なのだけど、どうもこう、理性(?)が邪魔をして単純に萌えられない。というか、自分が普段いかに駄目な妄想をしているかという現実を目の前に突き付けられた感じで非常に気まずい。私の理想の世界そのものなのに、聴いていると、アンタそれメイドさんじゃねーよ、とか突っ込みたくなってしまう。とにかく甘い。心がとろけそうになるほど甘い。のだけど、心の片隅で何かが警鐘を鳴らしている。これに素で萌えてしまったら終わりだ、みたいな。

 真面目な話として。彼女の行動原理は既存の言葉で表現すれば要するに「無償の愛」ということなのだけど、無償の愛というものは究極的には滅私奉公に通じるので、私はそこに何か割り切れないものを感じている…のかもしれない。このドラマCDのヒロインは主人公に喜んでもらうことこそ自分の生き甲斐だと信じているようなのであるが、誰かへの献身に自分のアイデンティティーを見出すという発想は正直私にはまったく理解できない。そこまで行ってしまったら彼女は人間というよりもロボットかペットに近いのではないだろうか。ドラマ本編中において、彼女はもちろん自身の意思でご主人様に仕えているのには違いない。しかし本編で描写されているものは結局メイドとしての黒澤りなだけだ。ひとりの人間としての黒澤りなはどこにもでてこない。メイドさんであることと人間であることが堅く結びついているのが理想のメイドさんだとかいう妄言を日頃抜かしている私が言うのもアレだが、実際には、メイドであることが彼女のすべてであるというのはやはり不自然なのだ。いかに甘々に表現されていようとも、彼女は、私の目(耳)にはリアリティーを欠いた存在として映ってしまう。リアリティーを欠くものにはどこか不安定感がある。彼女は徹底的に優しいが、その優しさに十分に浸りきることは私には難しい。例えば、こんなに僕に優しくしてくれる彼女は何者なんだろう?という漠然とした疑問がどうしても頭に残ってしまうのである。優しさというものは、他人(自分以外の人間)によって与えられるからこそ嬉しいものなんだと思う。私の気持ちを完璧に汲んでくれるロボットがいたとしても、私はその優しさを信じて身を委ねることができるかどうか分からない。

 そういえば昔、MK2さんがメイドさんのことを「セックス込みのお母さん」と呼称したことがあったけど、今回のドラマCDのヒロイン、黒澤りなはこの言葉を完璧に体現したキャラクターだと言えるかも。可愛いメイドさんに徹底的に甘やかされたい、という人ならむしろ必聴であるかもしれない。


 IDさんの雑記[5/25]から飛んで、とらハDVDの各ショップ特典。

 抱き枕の美緒も素晴らしく良いけど、那美さん&なのはのテレカが個人的にヒット。那美さんの腰が素晴らしい。わざわざそれのためにDVD版を買うかどうかは別にしても。買うにしてもどの店で取り扱うのか分からないというのはキツイ。

 どうでもいいですが、メーカーオフィシャルの文章中に2ch用語が入っているとかなり寒いので止めて頂けないでしょうか。


2002/5/24 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#24


 半角二次元板を漁っていたら、「炎多留のおるすばん」なる、はじるすOPをパロったフラッシュを発見。
 ………観てませんけどね。

 正確には、途中で直視できなくなって衝動的にブラウザを閉じてしまったということなのですが。
 私が弱いせいではない、はずです。きつすぎますって。マジで。


2002/5/19 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#19


 「とらのあな」「メロンブックス」のレシートをみつけた。

 いやーこれは一秒で黒確定だと思いますよ(笑)。
 ぎゃるげま(えろげま)のすべてがとらのあなに行く訳ではないにせよ、とらのあなに行く人間はほぼ間違いなくぎゃるげま(えろげま)でしょうから。それと普通の人(ライトゲーマー含む)はとらのあななんて間違いなく存在すら知らないですし。

 で、ブロック崩しネタは意味が分かりません。
 何ですかそれ?


 大往生。

 あいかわらずまったり進行中。
 怒首領蜂の時は週に6日は確実にゲーセン通いだったけど、今は週に1〜2回。おかげでなかなかパターンができないのだけどまあ5面辺りを気合いで避けるのがかなり楽しいのでそれはそれでアリかなと。

 今日は1回目、スコアだけ無駄に更新(9000万)したものの2周目へは行けず。
 3回目、蜂パーフェクト3回取って2周目へ。2−1ボスの第一波で撃沈&終了。

 あと、今日はゲームを終えて席を立ったら、後ろで見ている人に話し掛けられるという珍しいイベントが発生しました。
 蜂パーフェクトの場所とか色々と教えてもらったり。

 見てないでしょうが、ありがとうございました見知らぬ方。
 やる気がちょっとアップしましたです。


2002/5/18 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#18


 うたわれるもの [Leaf]

 蓋を開けてみればアルルゥよりもエルルゥの方が可愛い罠。

 でもキャラクターだけではなくて、作品としてトータルで見ても非常に私好み。
 明日は一日これに費やすことに決定。


 オフレポは期待しております。

 やっぱ、オフはレポートまで含めてオフですから。
 マルチサイトAVG的楽しみがね、オフ(レポート)の醍醐味だと思うのですよ。


 可憐争奪戦。

 予定調和的な展開になったら寒いなーとか密かに危惧してたんですが、杞憂かつ失礼でした。私の予想を大きく超えてましたです。
 なんていうか、莫迦すぎ。(最上級の誉め言葉です、一応)
 あと、これからもどうぞよろしく、二代目らむださん。

 …我ながら白々しすぎるかも。


2002/5/17 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#17


 明日は休日出勤なので手短に。
 さすがに月一の休日出勤で愚痴ったら利休さんに叱られそうなので愚痴るのはやめておきます。


 こじまにさんまほさろさんにお薦めされたので、うたわれるもの[leaf]を購入。

 私の背中を押したキーワードは「娘属性を持ってる人には堪らんです」「人見知りが激しい」「主人公のことを“おとーさん”と呼んで懐いてくる」「いっつもベタベタ」という辺り。私の性向を知る人は分かると思いますが、「人見知り」で「お父さんには懐く」というのは娘として完璧です。娘とはかくあるべし。これでもし、同い年の男の子と出会った時におとーさんの背中に隠れちゃっておとーさんの服の裾をきゅっと握っていたり…なんてイベントがあったりしたら私はきっと転げ回った挙げ句、中毒死します。

 たぶん順調に行けば明日から始められるはず。
 ピロートークはあるのかなーとか妄想は尽きず。

 ところであまり関係ないけど、パソコンランド21大田店に入ったらデモマシンで「美夏ベンチ」が動いてました。内心ニヤリ。ていうかこれって有名なのかな。フリーのベンチマークソフトなのだけど。


 あんよさんを応援したいのはやまやまだけど、私はらむださんには色々と恩があるからなあ。
 どっちを応援するか悩むところ。


2002/5/16 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#16


 Lien 〜おわらないきみのうた〜 [purple]

 私たちは皆、子供の頃から、テレビアニメやドラマ、漫画や小説というフィクション表現に慣れ親しんでいる。そしてフィクションに触れるという経験を積み重ねていく中で、私たちは、フィクションの語法というか、フィクションだけに通用するような形式というものを、体得していく。そういう経験を知っている者にとっては、フィクション世界の出来事はあくまでもフィクション世界の出来事として認識される。現実なら絶対にあり得ないようなものを見ても、フィクションの形式というものを知っている人は世界を単純に“そういうもの”として認識する。猫型ロボットを見ても、あるいは忍者娘が校舎の4階の窓からロープを伝って登校してくる場面を見ても、それを不自然だと感じないのはフィクションの世界観を受け入れる用意が既にできているからだ。また、世界観の他にフィクション独自の表現というものもある。例えばキャラクターが突然二頭身になるとかキャラクターがバットで殴られて空へ飛んでいくとかの場面であるが、こういう描写を見て、人間の身長が実際に縮んだと解釈する人はいないし、人間が宙に浮くぐらい強い衝撃を受けたら即死だろうなんて考える人もいない。こういうのがフィクションにおけるある種のお約束表現であることは誰もが知っているからだ。私たちは普段何気なくフィクションを楽しんでいるが、実際にはその楽しみは過去の無数の経験の蓄積があって初めて可能となっているのだ。フィクションを楽しむためには、現実を見る視点とは違った、言うなればフィクションを見るための視点というものを必要とする。それはあるいは、特殊な意味での教養と言ってもよいかもしれない。

 ただ、最近思うのだが、フィクションの語法を理解していることがフィクションを楽しむために必要なのだとしても、それゆえに見えなくなるものもあるのではないか。最近ちょっとした切っ掛けがあって、私は荒川工というシナリオライターの作風について考えているのだが、例えば、彼の描く物語の、その登場人物たちが繰り広げるハイテンションなギャグの数々は単にプレイヤーを笑わせるための仕掛けにすぎないのだろうか。もちろん、荒川氏自身もプレイヤーを笑わせようという意図は持っていたのだろうし、従って登場人物たちの言動をギャグとして受け取り何も考えずに笑っていても一向差し支えはないのだが、どうも私には、氏のスタイルにはそれだけではないものがあるような気がするのである。こう言って良ければ、荒川シナリオにおいてはエンターティメント性の高さによって物語の正しい姿が隠蔽されているのではないだろうか。あるいはそれを巧妙に隠蔽して心地よい口当たりを実現することこそが、荒川氏のエンターティナーとしてのスキルの高さを表しているのかもしれない。

 今は「このは☆ちゃれんじ」よりも「Lien」の方を題材にとって考えてみたい。周知のように、Lien の物語は死んだ主人公が自分が幽霊になったことを認識する場面から始まる。そうして、主人公は幽霊のままで、今までと同じ日常を生きることになる。しかしここで忘れてはならないのは、主人公が今までと同じ日常を生きることができるのは、周囲の多くの人たちの協力があったからこそであるという点である。主人公が帰ってきた時の玄照の酷い物言い、朝の食卓で主人公をからかう玄照、晶の第一声が「うわ、ホントに幽霊だ…」であるということ、クラスメイトたちの冷たい態度。これらの場面は普通はギャグとして受け取られ、プレイヤーはテンポの良いギャグノリの掛け合いを楽しむのであるが、しかしそれと同時に、ここには、望まずして幽霊とならねばならなかった志郎への思い遣りというか、心暖まる配慮があるとは言えないだろうか。繰り返すが、これらの場面をギャグとして読んでももちろん差し支えはない。でも考えてみると私たちがああいう展開をギャグとして受け入れることができるのも、本当は経験の積み重ねによって得られたフィクションの語法の影響を受けているからだ。もし志郎の置かれた状況を現実的に考えてみたらどうだろう。普通であれば、幽霊になってしまった時点で彼が今までと同じ日常を送ることは不可能に近いのではないだろうか。家族は、幼なじみの少女は、クラスメイトたちは、果たして彼を今まで通りに隣人として受け入れることができたであろうか。辛うじて受け入れることができたとしても、彼に対して今までと同じように接することができるだろうか。幽霊というものを全然怖がらない人間がいるかどうかということもあるし、怖がらないにしても、不慮の死に見舞われた彼に対して遠慮や同情をまったく込めずに接することができるだろうか。私は、難しいと思う。彼が日常を生きたいと思っても、(ちょうど、まひる@ねがぽじがそうだったように)周囲との噛み合わなさがそれを許さないという状況に陥るであろうことは想像に難くない。そうしたら、志郎の居場所は実質的にどこにもないに等しい。

 私は、荒川氏はこういうことを知っていて、その上で Lien のテキストを描いたのではないか、と最近は思うようになってきている。物語が展開していく中、志郎の周囲はいつも非常ににぎやかなのであるが、しかしそのおかげで、志郎は退屈する暇もなく、結果として感傷に陥る危険から逃れることが出来ていたのではないだろうか。また、周囲の人間が自分に対してまったく遠慮せずに振る舞ってくれるというのは志郎にとってなんと有り難いことであったろうか。周囲の人々がそういう配慮で志郎に接していたのかどうかは分からない。というよりもたぶん、周囲の人々は何も考えず、ただ“いつもと同じように”志郎に接したというだけのことなのだろう。これはだから、配慮という言葉を使うとすれば、シナリオライター荒川氏の、志郎への配慮だということが出来る。荒川氏は志郎の境遇を十分に理解した上で、志郎を決して落ち込ませないよう、周到な用意を持ってシナリオを書いていったのではないだろうか。これが単なる私の妄想である可能性はもちろん否定できない。しかしこのは☆ちゃれんじであれ Lien であれ、荒川工という人は「感傷」というものを特に警戒し、決して感傷に溺れるようなシナリオを書くまいと心に決めているように、私には思える。この人の物語の中には、(例えば鍵ゲーのように)有無をいわさずにプレイヤーを泣かせるような圧倒的なものは何もない。荒川氏の書く文章はプレイヤーに何物をも強制しない。このちゃであれ Lien であれ、荒川氏のギャグ描写は、それ自体が(プレイヤーを笑わせるという)目的であると同時に、荒川ワールドの特徴である「絶妙な軽やかさ」を構築するための重要な手段になっているのではないだろうか。

 荒川ワールドの絶妙な軽やかさということでは、例えば玄照と志郎が最後の夜に散歩をする場面などはそのもっとも優れた例だと思うのだが、他に私が気になるものとして、晶と若葉の対照性を指摘しておきたい。鷹取晶と楠若葉は間に志郎を介さなければ本来何の接点もないキャラなのだが、物語の上で、幽霊となった志郎を怖がる若葉、それに敵意を抱く晶、という図式が作られていることは注目に値する。ある時、晶は遂に切れて若葉に手をあげるのであるが、これはどうしてかお分かりだろうか。正解であるかどうかは分からないが、私は、晶の苛立ちがよく理解できる。晶(=作者)は、志郎の置かれた状況の微妙さを知っている。プレイヤー視点では気づきにくいが、幽霊になってしまった志郎の立場は、本当は非常に寄る辺ないものなのだ。だからこそ、彼女はきっと、志郎のために、今までと同じ日常を演出することに一生懸命だったのに違いない。ある意味作品中最高の名台詞「そこのちょっと死んでるひとー」にしても、あれは彼女なりの、志郎への配慮だったはずだ。ここで、彼女が怒る理由が明らかになる。もちろんもっと単純に、好きな相手が他人から気味悪がられたら気分がよくないだろうということもあるのだが、それ以上に、楠若葉という少女は、晶にとっては自分が一生懸命作っている志郎との日常を壊す敵なのである。感傷の海に落ちまいとすれば晶も志郎も常に羽ばたいていなければならない。いや、感傷の海を意識することすら既に落下であると言って良い。だから、彼女は若葉を許せなかった。このふたりの少女の対立は、荒川氏の、独自の世界への拘りがもっとも分かりやすい形で表現されているように私には思える。荒川氏はたぶん、日常というものがどんなに毀れやすいものであるか知っている。だからこそ、あれほどまでに徹底して楽しい日常を演出するのである。感傷に付け入る隙を与えないように、あくまでハイテンションに羽ばたき続けるのである。


2002/5/15 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#15


 貯まった小銭を両替してもらうために銀行へ。

 去年までは両替は無料でやってくれたのだけど、いつの間にか有料化していた模様。小銭の枚数によって手数料が変わるらしい。一年間でおつり入れに貯まっていた50円以下の小銭が 3万円分あって手数料が約1200円。結構高い気がするのだけど小銭をそのまま持っていても役に立たないので仕方がない。


 怒首領蜂・大往生 [ケイブ]

 週1〜2日ぐらいのペースでまったりと進行中。
 ぼちぼち2周目に行ってみたいので今日は蜂パーフェクトの研究。

 アルカディアの記事と2ch蜂スレッドの投稿を参考にしつつプレイ。今のところ4ボスと5面道中と5面ボスがいまいち安定しないので、3ボム以内のクリアは[魂のハイパー]でも発動しない限り無理っぽい。4面は道中でハイパーアイテムを取れるかどうかが肝。ハイパーが1個はないと1UP砲台で死ぬ。当然蜂パーフェクトも帳消し。何回かやって、1面、2面、4面で蜂パーフェクトを取ってなんとか2周目突入成功。

 この先には暴力的で鬼のような極殺兵器どもがあなたを待っています。それでも続けますか?

 のメッセージの後2周目開始。2周目の攻撃は1面からして鬼すぎ。適当に撃っているとあっという間に弾に追いつめられてしまう。中ボス突破後、中型機の弾に追いつめられてボム使用。その後すぐにまた追いつめられて死亡。1周クリアした時点で残機没収&コンティニューがないのでその場で終了。いくらなんでも残機没収は酷いんじゃないカナ?


2002/5/14 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#14


 とある幸運で、XX_MISSION をプレイする機会を得る。

 ゼビウスが現役だった頃のゲーセンを知っている人でないとまず知らない…というかテーブル筐体が主流だった頃のゲーセンを知っている人でも下手すると知らない可能性があるぐらいマイナーな縦スクロールシューティング。私的には、埋もれた名作、という位置づけなのだけど。

 2時間ほどプレイしてみて。今のシューティングと比べると弾幕の密度は比較にならないぐらい薄いが、かといってその分簡単である訳でもないのが興味深いところ。というか今のシューティングに慣れてしまっている側からすると、連射の利かないショット、自機の当たり判定の大きさ、パワーアップアイテムの取りにくさ、トリッキーな動きをするザコ敵(体当たりが恐い)など、楽しさよりもむしろストレスが溜まる要素の方が多いようにも思える。これはたぶん、昔のシューティングが悪いということよりも、シューティングのスタンダードがここ十数年で大きく変化したということなのだろう。当時だって、ゼビウスのような絶妙なゲームバランスを実現していた作品もあったのだから。


 みんくりさん[5/14]から飛んでとらハDVD情報。

 美由希の和服がかなり好み。
 にしてもこのCGを見てしみじみ思うのだけど、美由希って色気がないよなあ。正確には色気を感じないというべきなのだけど。私としては、妹キャラについては「色気を感じない」というのが非常に重要だと思っています。究極の妹キャラとは発展性のない関係を持つ存在なので。永遠の関係というのは実のところ妹でなくても可能なのかもしれませんが、妹でなくても構わないという時点でそれは純粋な「兄妹関係萌え」とはちょっと違うと思うのです。重要なのは、妹とでなければ成立し得ない関係なのですから。以上、恭也&美由希まんせー話。

 ところでとらハノベル3巻の例の挿絵ですが、概ね満足でした。
 概ね、というのは私の予想とはちょっと違ってたなあというのがありまして。私としては、あの場面をイラスト化するとすればアップでなくもっとカメラを離した構図が欲しかったのです。アップでも十分に良い絵ではあるのですが、カメラを離して三人のほぼ全身を一枚のファインダーに収まるように演出したら、フィアッセとレン晶の身長差が母子のように見えたはずで、そうなったらロマンチックだったろうなあと。あと、全身が映るというのは、恭也&美由希視点から見た彼女たち、という意味もあります。個人的には、ゲームに使うのだとしたら(とらハ3本編のあの場面にイベントCGがないのは返す返すも残念なのですが)あの場面だけでCGを2枚使っても良いと思うぐらいです。一枚は恭也&美由希視点の全身イメージ。もう一枚は小説版の挿絵のイメージ。あの場面はそれだけの演出をするに足る名シーンであるはずなので。


 「おとーさん、もう1回」

 その辺りのことを詳しく説明しる!

 …ああいかん僕としたことが取り乱してしまった。
 いやすいませんお願い教えて何ですかそれ? 今回のリーフは父娘関係萌えなの?


2002/5/13 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#13


 ちょっと目を離した隙に、女の子が自分でスカートをたくし上げる画像を集めるスレ[半角二次元]がDAT落ち。

 ひどいんじゃないカナ! ひどいんじゃないカナ!
 俺の生き甲斐を返せよう、しくしく。

 パンチラスレというのもあるにはあるんですが、パンチラじゃ駄目なんですよ。
 「恥じらい」と「うわめづかい」が肝なんですから!!


 買ったまま積んでいたログインとCPGを読む。

 特に欲しいソフトは、ぼくらがここにいるふしぎ(仮名)[ルージュ]とふくらみかけ[トラヴュランス]の2本のみ。前者は荒川工氏がシナリオという時点でデフォ買い、後者はトラヴュランスという時点で準デフォ買い。たぶん外れる心配はないはず。

 とらハDVDは現時点では未定。
 去年の3作通しプレイでほとんどお腹一杯になっちゃってるというのもあって、買ってもプレイするかどうか分からないので。

 なお、CPGの最新号(P.147)に、追加おまけシナリオのものと思われる新作CGが2枚載ってるので興味ある人はチェキのこと。
 美緒の下敷きになってるのは小鳥かしらん? 知佳の胸を揉んでいるのはたぶん新キャラか。

 何といっても今月のCPGで一番面白いのは P.150 のはじるすレビュー。
 以下、部分的に引用。

 本作では「プレイヤーは皆ロリコンである」ことが大前提となっている。なぜならゲーム開始後いきなり「おにいちゃん、おふろ入ろう〜」だとか「さおりちゃんのおしっこみせて〜」といった夢のようなストーリーがおっぱじまり、非ロリコン人種のための「現実からの移行期間」というのものが存在しないからだ。
 これは、唐突に始まる主人公と娘たちとのファックを見て「これはヤバイんじゃ……」などと考えてしまうようなエセロリコン野郎にプレイする資格はない、ということだろう。いわばロリコンの踏み絵的ソフト。したがって本職以外は拒絶反応を催すかもしれないし


 この人のレビューは、短い文章で押さえるべきところをきっちり押さえていてかなり好感が持てる。
 簡潔にして要点を掴み、かつ語り口も面白い。レビューとして理想的。

 …ところで「本職」ってなに?


 メールフォームがエラーで使えないのでこちらで。

 アンテナさんに補足して頂けるのはたいへん嬉しいのですが、面識のない相手からの“呼び捨て”表記はあまり気持ち良いものではないです。
 もし読んでいらっしゃいましたら、御一考いただければ幸いと思います。


2002/5/12 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#12


 まだ21時なのだけど憂鬱すぎてなにも手につかないのでベトさんの作品111を聴いて寝ます。


2002/5/11 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#11


 33MBのファイルをダウソして解凍しようとしたら「破損ファイルです」と。
 仕方ないので再度ダウソして解凍しようとしたらまたまた「破損ファイルです」と。

 どうすればいいんだ((c)Leaf)。

 てか、トータル約10時間分の電話代のことを考えると鬱。


 怒首領蜂・大往生 [ケイブ]

 レーザー強化、エキスパート強化でも1周クリア。
 いずれも5000万程度。

 ショット強化で道中のパターンをある程度慣らしておけばレーザーでもエキスパートでもなんとかなる模様。ショット強化に比べて他の機体は使用限度ボム数は少ないが、道中でレーザーを頻繁に使うので結果的にハイパーアイテムの出現率がショット強化機体よりも高くなっており、ハイパーを緊急回避用にどんどん使えばボム不足もそれほど深刻な問題にはならないようだ。この辺りのバランスは面白い。

 各エンディング。
 ショーティア(S強化)、レイニャン(L強化)はとりあえず置くとして、面白いのはエクスイ(EX強化)のエンディング。「彼女はなにを見たのだろうか…」とか言われると、おそらく2周エンド時に出るのであろう真エンディングがもの凄く気になる。


 新聞勧誘員。

 私はセールス相手には原則としてドアすら開けませんが(電話も怪しい奴は即切り)、敵もその辺のところは当然心得ていて、新聞の勧誘ですなんて素直には言わないんですよね。「近所の○○です」なんて言葉にうっかりドアを開けてしまって酷い目にあったことが。確かに近所に販売店あるし、嘘ではないのだけど…。セールスの方々って平均的に見て妙に馴れ馴れしい口調の奴が多いですよね。新聞の時も「取ってくれ」とかは言わず「近所のよしみで三ヶ月だけ“付き合って”よ」みたいな言い方してましたし。あと、自分の話す内容を恰も“常識”であるかのように喋るのもこういう連中の特徴。そういう態度こそが相手に不信感を与えていることに気づかないのでしょうか。

 ところで私は昔ちょっとだけ新聞屋さんにいたことがあるんですが、勧誘員というのは新聞屋とは別のひとつの職業だったりします。要はそれ専門にやっている組織(人)があって、勧誘員は一般家庭を回って契約を取り、新聞屋はその組織から「契約書を買う」のです。例えば朝夕刊半年の契約書一枚で○○○○円とか。ちなみにサラリーマンの一ヶ月程度の給料を稼ぐためには(私が知っている頃の相場で)少なくとも月に30件程度の契約が必要だったりします。当然彼らも必死ですわな。必死さが高じて偽物の契約書を作って買い取らせるなんてことも日常茶飯事です。よって新聞屋の方では、新規の契約者(顧客)には必ず確認の電話を入れることにしています。もし「うちは契約してない」なんてことになったら当然、偽契約書を勧誘員に突っ返してその分のお金を戻してもらうことになります。

 もちろん新聞販売店の社員も拡張(勧誘)はやりますけどね。ただし私の知る限り、販売店の所長や社員はそんなにシツコク勧誘してくることはないです。ご近所づきあいを大切にしなかったらお店はやっていけませんから。


2002/5/10 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#10


 乃絵美@勝つぞっ。

 リンク先イラストの元ネタが分からない人はこちらを参照のこと。





 萌え尽きました。


2002/5/9 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#09


 末莉という名前を見て、ネタでこの辺にリンクされているのかと思ったのは内緒(笑)。

 にしてもリンク先のイラストはあまりに俺の好みを的確に突き過ぎているような。
 うーん、家族計画やってみようかなあ、末莉だけでも。

 あのイラストみたいなイベントがあるんだったら絶対にやるんですが。
 あれってパジャマ代わりですよねたぶん。本人はそんなつもりはないのに結果的に主人公を挑発することになってしまって困ってしまう末莉…なんて展開だと最高。ついでに、なんで主人公が燃え燃えなのか素で分かってなかったりしたら最強。

 ちなみに現時点で私の家族計画の予備知識は限りなくゼロです。
 うっかり目にしてしまったどっかのネタバレから、末莉という娘は「貧乏で健気、ついでに年下」なキャラなんではないかと想像してますが違うかな。


 私は音楽を聴きながらだと気が散って書き物ができない人なのですが、それはなんでかというと、音楽に気を取られすぎてしまうからです。音楽には、この曲はここを聴かなかったら意味ない、というポイントが必ずあります。例えばP協24番第3楽章(K.491)だったら後半のオーボエ独奏の入りだとか。あとものすごく分かりやすい例で言えばシスプリ(ピュアスト)OPの花穂の台詞とか。こういう「聴き所」を逃すとなんか無性に損をしたような気がしますし、それだからこそ、音楽が鳴っていると、聴き所を逃すまいという意識が働いて音楽の方に自然と耳が向いてしまう訳です。従って、私が音楽を聴きながら作業をする場合、その結末は大抵、音楽に聴き入ってしまって作業が進まないか、作業に没頭してしまい聴き所を通り過ぎたことに後から気づいてなんとなく損をした気分を味わったり、のどちらかになります。そんなだったら却って音楽は掛けない方が良いのです。


2002/5/8 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#08


 あんよさん、日曜日は秋葉原に居たんですか。
 その日はお昼頃まで都内にいたから電話してくれれば速攻で駆けつけたのに。

 (まさか5日昼の謎の着信があんよさんだったなんてオチは…ないよな)
 (もっともあの時間は既に帰りの電車の中だったので戻るのはほぼ無理なんですが)


 携帯型CDプレイヤーが壊れたので新しいやつを購入。
 前の SONY の DISKMAN は4年以上前に買ったやつなのでまあ持った方か。

 新しいやつはやっぱり SONY製。ただし今度のは MP3 対応タイプ。
 使うかどうかは別として。

 MP3 にすれば確かにCD1枚辺りの収録曲数は飛躍的に増えるけど、フリーソフトを使って MP3 ファイルをちまちま作ってたら膨大な手間と時間が掛かるのは目に見えてるし。作るとしても、以前作ったような“萌え曲集”を1枚作ってお終いだろうと思う。

 ところでプレイヤーを買うために最初に入った DEODEO では欲しいやつが品切れだったので、車でもうちょっと走ってコジマ電気まで行ったのだけど、こちらでは同じ商品が2,000円安かった。我ながら運がいい。


 帰りに本屋。
 E-LOGIN と CPG と メロディ。

 ふとした疑問。
 えっち本を買うのに普通の雑誌でカムフラージュなんて恥ずかしいことをする人は今時いないとは思いますが、というか私はえっち本(漫画含む)を買う場合は単品で買うか、普通の雑誌も欲しい場合はえっち本を一番上にしてレジに持っていく(隠すと気持ち的に却って恥ずかしいので)んですが、はてさて、エロゲ雑誌と少女漫画雑誌を一緒に買う場合、どちらを上にするべきなんでしょうか。



 答え。
 私のバイト時代の経験から言うと、店員はいちいち客のことなんぞ気にしちゃいません。よっぽど奇特な言動をする客でない限り、一日経てばまず忘れます。よってそういうのは単なる自意識過剰。



 初夏の巫女[ソフトさ〜くるクレージュ]。
 どうしてもイベント&CGが埋まらないのでバイナリエディタでちょこちょこ(謎)とやってコンプ。
 フラグ管理がシンプルなゲームで良かった。


 生暖かい目で最後まで見届けたいところなのですが、明日も仕事なのでもう寝るです。
 おやすみ〜。

 あ〜そうそう。
 花穂と咲耶は俺のですんで萌える場合にはロイヤリティーが(略


2002/5/7 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#07


 初夏の巫女[ソフトさ〜くるクレージュ]と KISS×200 [Winters]を同時進行するのは危険なのでやめましょう。

 つかエロ過ぎ。
 特に後者、ここまでエロいのは檸檬[13cm]以来かも。


2002/5/6 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#06


 シスタープリンセス DVD angel.07

 第19話。 〜愛のお弁当ですのっ〜

 冒頭の白雪のおしり。健康的であり悩殺的という相矛盾する要素が絶妙に両立しているのが素敵。航が食べるのを見つめている時の涙目の白雪も絵的にかなり可愛い。世間的には人気のないキャラであるらしいが、作画も脚本もかなり恵まれてるようだ。あと、サンドイッチを食べようとしてこぼす花穂のマヌケ振りとか、航に抱きつかれてしまう可憐とか、必ずしも本筋とは関係ない部分の小技もいい味出してる。可憐ってあんなに華奢だったんですねえらむださん妹さんを僕にくださいきっと幸せにしてみせます(錯乱ちう)。

 第20話。 〜Christmas Love Destiny〜

 素で感動しました。今まで見た中で最高の一話。咲耶が可愛いとか花穂が可愛い(お星様チョコとか楽譜を拾うところ)とかそういう意味での魅力とはちょっと違う。シスプリの設定でクリスマスのお話をやるとしたらたぶんこんな感じになるのだろうと予測できるレベルの話ではあるが、この仕上げの丁寧さは感嘆に値する。まず全体として見ると、物語は咲耶メインの部分と妹たちとのクリスマスの部分とのふたつのパートが同時に進行する形式になっているが、20数分という短い時間にも関わらず、どちらのパートも中途半端にならず、過不足なく描写されていることに気づかされる。本来であればこの物語の中心になるのはあくまでも後半のあの美しい合唱パート以降であり、咲耶と航のデートはあくまでもそのための手段にすぎない。しかしその手段に咲耶というキャラを当てることで物語はなんと美しくなり、また密度を増すことか。クリスマスの街という舞台において、咲耶以上にその魅力を発揮しまたお話を華やかに出来るキャラは他にはあるまい。また、後半の合唱パートの演出の見事なこと。妹達一人ひとりによる感謝の言葉から全員での合唱。プレゼント交換を経て外でお兄ちゃんを中心に輪を作る妹たち。様式美とでも言うのだろうか。制作者たちはここで、アニメ独特の表現手法を最大限に利用して、この上なく美しい“場面”を作り上げてみせる。これはもはやシスプリのトンデモ設定をすら大きく飛び越えて、一個の良質なアニメ作品に仕上がっていると言ってすら過言ではなかろう。


2002/5/5 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#05


 三日分。

・5/3 (金)

 午前10時起床。
 一週間分の日記を延々と書く。…が、途中で煮詰まって昼寝。
 3時間ほど寝た後、シスプリDVD7巻を観つつ更に日記書き。
 深夜12時頃完成&うぷ。

 眠くならないので「秋桜の空に」のカナ坊シナリオを始める。実は旅行中、カナ坊のらぶり〜な泣き顔がずっと気になっていたので。
 朝4時ぐらいに読了。

 朝5時就寝。

・5/4 (土)

 朝7時起床。
 急行りょうもう号に乗って浅草へ。そこから地下鉄で秋葉原(末広町駅)へ。
 ゲーセンで2時過ぎまで時間潰し。あと、メッセサンオー。先日、某氏から受信した電波に従って、KISS×200[WINTERS]を購入。

 午後3時半すぎ。総武線、中央線と乗り継いで八王子近辺の某駅で土方さんと落ち合う。

 ジョナサンで食事をしてから土方さん宅へ。かねてよりの約束通り、衣装コレクション(?)を見せてもらう。神奈様のお召し物とかメイド服とか馬車道服とかKANON夏服とかONE冬服とか佐祐理さんが来てた夜会服とか。メイド服を見て思わず「イイ!!」とか口走ってしまい土方さんに笑われたり。素晴らしいのは何と言っても馬車道風の袴。コスプレではないちゃんとした業者から買ったものらしく、見た目からして非常に重量感(重いということではなく)がある。袖を通してえ〜!!と本気で思うがさすがに口には出来ず(笑)。や、別に女装したい訳ではないんですが。綺麗な服を着てみたいという欲求は確かにありまして。着たら御無体なことになるのが分かっているので実際には着られませんが。

 夕食は馬車道にて。夜10時頃までダベってから車でJR立川駅まで送ってもらい、そこでお開き。

 中央線で新宿まで戻って更に山手線で池袋へ。
 西口のカプセルホテルに宿泊。

・5/5 (日)

 朝8時半起床、9時チェックアウト。東口に回って10時までドトールで時間潰し。それからとらのあなで同人ソフトを物色。PinkChuChu のシスプリCG集の新作とかさ〜くるクレージュの巫女さんゲー(18禁)とか。池袋からバスで浅草へ。で、帰宅。ちなみに、早瀬さんのメイドさん話と土方さんの妹SSのプリントアウトしたやつを電車の中で読んでました。

 後で追記するかも。


2002/5/3 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-05.htm#03


 一週間分の日記。



・4/25 (木) 晴れ

 午前2時半に自宅を出発。

 館林IC−(東北道)−浦和−(首都高)−用賀料金所−(東名道)−名古屋−(東名阪道)−関−(伊勢道)と走りに走って、最初の目的地である鳥羽水族館到着がだいたい午前10時半頃。

 鳥羽水族館はなんと言ってもラッコが激萌え。以前サンシャイン水族館で見た時はそれほどとも思わなかったが、鳥羽のやつはとにかく愛嬌があるというか、一つひとつの仕草が反則的に可愛い。ラッコの一挙手一投足にニヤニヤしていた私はたぶん端から見たらヤバイ人だったであろう。結局、ラッコが可愛すぎたせいで他のお魚さんたちの印象がいまいち薄い始末。俗に海の人魚と呼ばれるジュゴンも今回初めて見たのだけど、想像してたのと比べると異常に大きくて(どのくらい大きいのかというと、私が上に乗れるんじゃないかと思うぐらい)“人魚”という言葉を連想させるような可憐さはあまりなかった。単純に可愛さということで言えば、珍しい(らしい)白黒イルカの方が遥かに可愛い。

 4時に京都着、すぐにホテルにチェックイン。
疲れてはいたのだが、気力を振り絞って寺町やら新京極やらをぐるぐる。修学旅行と思われる小学生/中学生/高校生でごった返していて賑やかなこと。なんとなく入ってみた漫画専門店で、ソコツネ・ポルカ[わかつきめぐみ]を発見。即購入。あと、ゲーセン[a-cho]で大往生。やっぱり5面止まり。11時頃就寝。

・4/26 (金) 晴れ

 朝7時起床8時発。三条駅から京阪本線に乗って東福寺へ。

 外国の建築物と違って日本の建築物は自然との調和を強く志向している、みたいなことは割とよく言われるが、東福寺の舞台(?)から周囲を埋め尽くすような新緑を眺めていると、どうしてもそんなことを思い出してしまう。高遠城址の時もそうだったが、ここでは建物の中に木々があるのではなくて、あくまでも木々の中に建物があるのである。建築物は決して木々に対して無理強いはしない。山への敬意とでもいうのか、ほとんど、木々の隙間のわずかな隙間を“貸してもらっている”とでもいうような、極めて控えめな印象を受ける。そういう姿勢を保っていればこそ、通天橋(これは通天橋の下)や通天台からの眺望は本当に素晴らしい。木々に優しく包まれている、とでもいった感覚がこれほど濃密だったことは過去にも記憶にない。

 それから、東福寺の舞台にいて強く感じたのは、時間の感覚が我々が住む世界と全然違うということ。改めて考えてみると、私たちの住む世界は動きに満ちている。外はいつも車が慌しく走っているし、人々が歩き、自転車をこぎ、建物が次々に作られる。いや、外の世界だけではない。部屋にいたって、部屋の物たちはその慌しさの洗礼を受けている。パソコンやテレビは、元々、外の動きという情報を私たちにもたらすものであるし、それ以外の家具にしても、私たちは、それらが人の手によって作られ、それがいつかは使用に耐えなくなるものであることを半ば無意識に知っている。木の葉が揺れることで風の存在を感知するように、私たちはあらゆる“動き”を見て、時間の流れ、否応なくすべてを流していく時間の流れを感知する。ところが、東福寺の舞台のような、建物以外に周囲に人工物がなにもない場所では、その感覚は果てしなく希薄になる。東福寺の舞台はあまりにその場に溶け込んでいて、もはや失われる運命にあるものとしての雰囲気を持たない。ここでの時間というものは、私たちが普段感じているような、強引に進んでいくような性質のものではない。風のそよぎや太陽の光によってかすかに感じられる時間は、私たちに何も要求してこない。時間の圧迫から完全に自由であれるというのは本当に素晴らしいことだ、と久し振りに思った。機会があればぜひもう一度行ってみたい。

 東福寺を出た後、雪舟院で少し休んでから、1時間ほど歩いて、予めネットで調べておいた西大路七条の洋食屋「ぱ・らんて」へ。ここで昼食。昼食後、さすがに歩き疲れたのでタクシーで桂離宮へ。時間があったので適当に喫茶店に入って30分ほど読書。東福寺が自然との共存だとすれば、桂離宮は人工美の極致と言えるかもしれない。この先の人生においてこれ以上美しい庭園に会えるとは到底思われない。完全予約制で、宮内庁の職員の案内付きなのでそれほどのんびりできないのが、強いて言えば残念。これほどの庭園だったら手ぶらであっても1日ぐらいは全然退屈しないであろうに。というか、一度、ここで1日のんびりと過ごしてみたい。

 桂離宮を出た後、バスで京都駅へ。歩いて北へ。途中、ソフマップに寄って新作ゲームの状況を確認してみたりとか。「はじいしゃ」も「うたわれるもの」も平積みになってました。買っても無駄に荷物を増やすだけなので買わないけど。あと、新星堂でCDを4枚ほど購入。別に京都で買う必要ないじゃんと仰る向きもありましょうが、まあ衝動買いというか、ピアニストの名前を見た時点で気が付いたら手に取ってました。不可抗力というやつです。で、更に北上、烏丸五条のネットカフェで書き物をしてついでに漫画を1時間ほどつらつらと読む。で、最後に事前にネットで調べた手打ちうどんの店「英太朗」で夕食。やっぱり私は関西方面の、いわゆる“薄味”なうどんが好きらしい。美味しかった。

・4/27 (土) 晴れ

 7時起床。ホテルから JR二条駅まで歩いて山陰本線で嵯峨嵐山駅へ。徒歩で、渡月橋、天竜寺、嵯峨野竹林、野々宮神社、常寂光寺、大覚寺、等を回る。正直言って、嵐山散策はあまり印象には残らず。強いて言えば、嵯峨野竹林を歩くのは気持ちよかったが。いかんせん昨日の東福寺と桂離宮が凄すぎた。大覚寺前からバスで四条烏丸まで。昨日行った英太朗で昼食。さすがに午前中で歩き疲れたので、タクシーで京都駅へ。早瀬さんとの待ち合わせまで時間があったので、ホテルグランヴィア2Fの喫茶店で読書。

 午後3時。早瀬さんの携帯へ。目印にピンクの扇子を持っていますと連絡。少しすると、全身黒ずくめの服装の人が周囲をきょろきょろしながら歩いてくるのが見えたので、たぶん間違いなかろうと扇子を振ってみる。早瀬さんだった。挨拶をして、少し歩いてからタクシーで四条河原町へ。ゲーセンで大往生をプレイして(やったのは私だけだが)、それから寺町通りを北上して適当な喫茶店に入って、後はひたすらお喋り。すずねえは部分的にキャラが千歳さんと被るなあとか、ロープでぐるぐる巻きになった主人公を助けた時のすずねえ最高ッ!! とか、カナ坊の良さを説明するために澪を引き合いに出したら実は早瀬さんはONEの澪シナリオをプレイしていないことが発覚したりとか、新京極は修学旅行の小中学生がたくさんいて眼福であるとか、千歳さんと柚子葉さんの設定や今後の展開などを色々と聞いてみたり。早瀬さんのメイド記念日のお話は、なんていうか「訴えかけ」が何もなくて良い意味での軽やかなところが好きなのだけど、でも軽やかといっても実際には二人のメイドさんの性格とか、私が想像していた以上に細かく設定されているようで、けっこう驚いた。あと、千影のあの怪しい言動は実は照れ隠しである説。もひとつ。巫女さんは神様に仕えているのだけど、だからこそそれを横取りするのが萌えるので…みたいなことを言った時、早瀬さんに思いっきり引かれたような気がしますです鬱駄氏脳(笑)。そうそう、お店は「嵯峨野」という名前。適当に選んだ割には、クラシックのレコードとか流れていて良い感じの喫茶店だった。2時間ほどダベった後、タクシーで京都駅南口へ。そこから歩いて、早瀬さんがネットでチェックしたというゲーセンへ行って大往生をプレイ。で、駅に戻って夕食。気温が高くて食欲がいまいち湧かないので、早瀬さんを引っ張り回してうどん屋さん探索。15分ほど歩き回って近鉄名店街(?)で見つけたうどん屋に入る。主にネット話を色々。夕食後、歩いて烏丸口へ。ふたりで本屋さんを物色。なんか早瀬さんは帰りの電車賃と本代(ももいろさんご3巻)を天秤に掛けてい悩んでいる模様。普通、選択の余地はないと思うのですが(笑)。でも本を買った後、1Fでおみやげも買っていたので実はそれほど切羽詰まっているという訳でもなかったのかもしれない。8時半頃、近鉄の駅でお別れ。

 早瀬さんと別れた後、タクシーで四条河原町へ。ゲーセンで大往生をプレイしてからホテルへ戻る。就寝は12時頃。

・4/28 (日) 明るめな曇り

 7時起床。身支度をして8時にホテルをチェックアウト。
 京都南IC−(名神道)−(吹田JCT)−(中国道)−(神戸JCT)−(山陽道)と走って福山東IC 到着がちょうど12時。途中、吹田から宝塚辺りまで渋滞に巻き込まれるが、30分ほどで抜けられて、あとはスムーズだった。福山東IC を降りてとりあえず給油と洗車をしつつ、待ち時間に利休さんに到着のメールを飛ばす。更に時間があったので近くのゲーセンで時間をつぶして15分前ぐらいに待ち合わせ場所に到着。メールでの連絡通りに車のルーフアンテナにブルゾンを引っ掛けて目印にしておいて、近くの大型電気店を物色。シスプリDVD_7巻を購入。5分前ぐらいに戻ってみるがまだそれらしい人は見つからず。少し待つと、携帯に連絡が。これから向かいます(利休さん)とのこと。で、1時ちょっと過ぎ。利休さんらむださん(代理リンク)到着。軽く挨拶を交わした後、まずは昼食。私のリクエストでうどん屋さん。おふたりに名刺を頂く。らむださんの名刺にビクーリ。それから、仕事にいかに巧く趣味を交えるか、などというお話。どれみとか。昼食後、利休さん宅へ。花穂、絶対喋らないもん!!(謎) あーいやその。事実は小説より奇なりってやつですか。色々な意味で。私はコンプレックス強すぎて、時として人の言葉を額面通り受け取れないことがあるのですが、額面通り受け取らないことはきっと失礼だと思うので、そのまま信じることにします。意志の力で。信じる、と思い込まなければ、私は、人の言葉を信じることは難しいのです、いつでも。で、信じたいから信じます。自分の何気ない言葉が誰かにとって大事な意味を持つなんていうことがありえる、というのは私にとって貴重な経験でした。あの場にいた私たち以外には意味不明ですが、利休さんとらむださんには分かるはずなのでこの件についてはこれで良しとします。あとはー。メイドさん小説の設定とか色々。私が想像しているよりも遥かに深くまで考えていらっしゃったのに脱帽。私は早瀬さんのメイドさん話にしても利休さんのやつにしても、読んではいるけど「読み込む」というところまではしていなかったので、内心ちょっとだけ羞じてたり。それから、以前から聞いてみたかった質問をらむださんにぶつけてみる。シスプリの可憐は本当に黒いキャラなのだろうか?1話のアレはどう考えてもネタだし、あれ以外は普通に可愛いキャラだと思うのですが…?とか。らむださんのお答えによれば、要するに可憐という娘は他の妹たちのフォローという立場に回ることで相対的に自分を良く見せようとしている…ということらしい。黒いのかどうかはともかく、そう言われると確かに頷ける部分はあるかもしれず。演劇コンクールの回とか。ていうかそうだとすれば、ああいう時の可憐を可愛いと思ってしまうこと自体が既に彼女の術中に落ちているということなのでしょうか。

 それから、らむださんに頂いたおみやげ。

 これは29日に京都へ向かう車の中で考えたことなのですが。利休さんとしのぶとの、フィクションへの関わり方の違いについて。利休さんは世界に納得行かなかったら(?)世界を自分で造り替えることを目指す人だなあと。例えば、SSを書くという手段によって。それに対して、私の思考回路には世界を変えるという発想は全然入っていない。私がどうして他人の書いたSSにほとんど心を動かされないのかようやく分かってきたのですが、私にとってはきっと、世界を名付ける、ことがすべてなんです。例えば私にとっては、KANON で真琴が戻ってこようが来まいがそんなことはどうでも良いし、らむださんが仰っていた観鈴を救済する可能性に関しても、(他人の書いたものを読んでみたいという欲求はあるし、ランスを持ってくるという発想にも実に感心しているのですが)私自身にとってはそれほど興味を引く題材ではないのです実は。私にとって大事なのは、ヴェールを飛ばされた瞬間にもうほとんど何も分からないはずの真琴が泣いたという事実であり、晴子の腕の中で最後の瞬間に観鈴は確かに笑顔だったという事実です。銀色の一章すらもそうで、あやめがあのように、誰にも知られずにのたれ死んだことを悲しみはしても、やっぱり、真実なものが目の前にある、というただそれだけでもう他に何も要らないのです。私はあやめが死んだことを悲しみはするけれども、だからといって例えば義助とあやめの「IF」の幸せを描きたいとかいう欲求を全然持たない。真実、なんて言葉をそう軽々しく使って良いものかという問題はあるのですが、この場合のそれは、とにかく受け入れるしかない圧倒的な何か、という程度の意味だと思ってください。私に言い得る、キャラクターを肯定するためのもっとも重要な言葉は「いた(存在した)」という言葉です。観鈴はAIRの世界の中に生きていましたし、あやめも銀色のあの峠で確かに生きていた。彼女が存在していたことは証明はできないかもしれないけれども、私は彼女を知っている、ということ。これがすべてです。これだけで、私には十分なんです。例えば利休さんやらむださんのそれを、ポジティブなフィクション観と呼ぶとすれば、私のはネガティブなフィクション観だと言えるかもしれません。ポジティブ/ネガティブ、というのはこの場合、積極的であるかそうでないか(現状肯定というか受け身というか)みたいな意味なんですけれども。あと、例えば「私はまひるを動かせない」という時、それはまひるの言動が私の予測の範疇にないということであり、またまひるの性格をきちんと把握できていないということなのかもしれないのですけれども、その他に、広場まひるという少女と彼女が住むねがぽじ世界とを切り離して考えることがどうしてもできない、ということもあると思うのです。私はまひるの笑顔を、まるで過去の人のように思い出します。まひるは笑っている、のではなくて、まひるは笑っていた、のです。お話で語られるのは、いつも「既に有ったこと」だと思っています。まひるの人生は私にとって過去のことであり、私とまひるとの間にはなんの接点もありません。接点は、ただ、私はまひるを知っている、ということのみです。今はたまたま、まひるの例を出しましたが、私にとってフィクションは常に過去の出来事であり、その点、他のキャラクターであっても全然同じことです。那美さん[とらハ3]が隣にいたらどんなに良いだろうと想像したりも時々はしますが、私の知らないことはどこまでいっても「想像/妄想」でしかありません。想像は寄る辺ないものです。ただ自分の信じる気持ちという不確かなものだけが頼りだからです。それに対して、とらハ3世界の中での那美さんについて思いを巡らせ、言葉を用いるのは本当に楽しいことです。なぜなら、とらハ3世界での那美さんを私は知っているからです。希薄感の強い想像上の存在と違って、とらハ3世界の中での那美さんは確かに「いる」からです。そういう時、私は那美さんのことを「想像する」のではなくて、那美さんのことを「思い出す」のです。私は思い出すという手段によって、那美さんやまひるやあやめの存在を確かめ、彼女たちを肯定するのだと思います。そして、それだけで、ほぼ十分なのです。

 この段落だけで2時間ぐらい。
 つくづく、会話向きな脳みそではないです私のは。とほー。

 利休さん宅で夕方までダベった後、ゲーセンで時間をつぶしてから夕食。私のリクエストでパスタ。麺類ばっかりで申し訳ないのですが、自分のその時の体調(精神状態)にそぐわないような重いものを注文して、食べ過ぎて吐き気をもよおしたり(実話)とか逆に大量に残してしまったり(実話)とかすると却って失礼かなと思いますので。過去の経験から。

 夕食後、利休さんにネットカフェの場所を案内して貰ってから解散。午後9時頃。ネットカフェにて、明日のみんくりさんと落ち合う場所を確認してからホテルへ。福山城が駅のすぐ隣にあるというのはちょっとびっくり。駅から道を挟んで隣がすぐ石垣、というのは初めて見たので。チェックイン後、夜食を取るために外へ。お腹が空くと絶対眠れない体質なので。歩いていたら駅の反対側にゲーセンがあったので入って大往生を1回プレイ。それからちょっと歩いたところに辛うじてCoco壱を見つけたが、時間が遅すぎて入れず。結局コンビニ弁当で済ますことに。

 午前1時頃就寝。

・4/29 (月) 曇り、夕方から小雨

 朝7時起床。福山東IC−(山陽道)−岡山JCT−(岡山道)−岡山総社IC(備中高松城址公園内のあやめ)を散策)−岡山JCT−岡山IC(岡山城址見学)と寄り道しながら、本日の目的地である大阪へ。中国池田ICで降りて阪神高速。目指すはみんくりさんとの待ち合わせ場所である日本橋…なのであるが、大阪の地名と位置関係がひとつも分からず。確か日本橋の近くに道頓堀があったよなーなどという好い加減な記憶で、道頓堀出口で降りては見たものの、どちらの方向に行けばよいのかは皆目分からず。適当に走っていたら「南海なんば駅」まで辿り着いたのだが、そこからがまた訳分からない。南海なんば駅から高島屋沿いに走って信号を左折すると電気街らしき道に出るのだが、待ち合わせ場所である肝心の「とらのあな」は見つからず。どうやら場所が違う模様。近辺をぐるぐるしているだけで時間ばかりが過ぎていく。結局1時間半ほど彷徨った後、なんとか電気街を発見。とらのあな日本橋店も見つかり、みんくりさんと合流成功。

 まずはとらのあな日本橋店、なんば店、ソフマップをぐるぐる。私は欲求不満を晴らすがごとく、月陽炎ドラマCDやら同人誌10数冊(いもむや新刊とか色々)やら、挙げ句の果てにまいむなど購入。途中、私がチェキしようとした天野さん同人誌(18禁)の見本誌を読んでいたのが実はみんくりさんで、両者ニヤリ、などという一幕も(笑)。買い物が終わったところでゲーセンに案内されて、請われるままに大往生をプレイ。5面ボスまでに残機を1機持ち越すことに成功、発狂モードでボムが尽きるが気合いで避け切り、なんとか1周クリア。初クリア時に知っている誰かが後ろで見ているというのはなんか気持ちいい。話には聞いていたけど、エンディングは確かに切ない。とりあえず当初の予定通り1周クリアはしたので大往生は終了かも。

 ゲーセンを出て、どこかで食事にしましょうということでぶらぶら。歩きながら千秋恋歌の話とか抱き枕の話とか。姉たまTRUEはやっぱり見るのが難しいとか、抱き枕は冬場は布団に隙間が出来てしまって風邪を引く可能性アリ&夏は暑い、よって春は抱き枕の季節である、とか。で、食事。私の希望でうどん屋さん。食べながら、病院でのこととか、KANON話とか色々。食事後、路地をぶらぶら。途中、大往生プレイのお礼とのことで、みんくりさんの華麗なジャグリングの技(ボールを使った技のバリエーション)を見せて頂いたり。3個の基本技から始まって、3個の“足くぐり”、4個技2パターン、4個での“ボールの追い越し”、4個での“足から拾う”技、更に5個回し。改めてここで表明させて頂きます。Bタグで。はっきり言って感動しました。それから歩きながらジャグリングのお話を色々。人間の手の構造上、片手で2個を回す場合は時計回りの方が良いとか、ジャグリングをやる人には自分で技をひたすら磨いて個人的な楽しみ方をする人と他人に魅せるための芸を追求するタイプとの二種類があるとか、パフォーマンスにおいては技だけでなく演出の技術が必要で、例えば失敗してもそれを利用して笑いを取るぐらいの心構えが必要であるとか、興味深いお話が次々と。そういえば今思い出したのですが、ピアニストなんかでも、本当に上手い人は、ある箇所で失敗しても即興演奏で間を繋げることができるらしいです。極端な例になると、ショパン弾きとして有名なアルトゥール・ルービンシュタインは、若い頃、ステージ上でシューベルトのある曲をど忘れしてしまい、その後の部分をすべて即興演奏で凌ぎきったことがあるそうです(自伝より)。適当に歩きながら、どこかでお茶しましょうということで、近鉄駅の名店街(だっけ?)のB1「英国屋」でお茶。ここに至ってようやくとらハ話に突入。りりちゃのとらハクイズは裏技で時間を止められるので簡単に高得点が出せます、とか、耕介が「おめでとう俺!!」とか言ってくれるのがすごく嬉しい、とか、美由希バッドはその場で終了だけど美由希がちゅーしてくれるのであれはあれで味わいがある、とか、ゆうひの“ふともも”萌え、とか、一番切実にヒロインを求めているように見えるのは真一郎ではないかしら、とか。それと、ぺっしさんのことなどが少し話題になったり。掲示板であの方にレスされるとなんか無性に嬉しいですよねー、とか。久遠の絆やとらハネタで盛り上がっていた頃のリーフ掲示板の話題なども。そのころ(98年冬〜99年春)盛り上げていた一人です私。厨房時代のことは痛すぎてあまり思い出したくはないのですが(苦笑)。しばしダベった後で英国屋を後に。大体8時頃。そろそろお開きにしましょうかということで、駐車場まで送って頂いたり。歩きなから、とらハ話は更に続く。とらハのSS作家さんのこととか、サウンドステージは痛すぎるのに何故か全部持ってますとか、ちなみに3巻はジャケットの美由希のイラスト目当てに買いましたとか、4巻はなのはとレンのやり取りがなかなか面白い、とか。駐車場に到着したところで更に少しだけ喋ってからお開き。

 8時頃。再び阪神高速に乗って京都へ。…行くはずだったのだが、迷う。うっかり環状線から外れてしまって一度降りて乗り直したり。埒が明かないので環状線を走りながら地図をチェキ。東大阪JCT−(近畿道)−吹田JCT−(名神道)と走ってなんとか京都南IC到着。ホテルへ直行。昼間買った同人誌とかを読んでから就寝。

 今回の当たりは、お兄様へ…2.7 [いもむや本舗/シスプリ咲耶/18禁]、明日日和[ちゅうに/オリジナル/18禁]、White*Love[JuicyFruits/天野さん/18禁]、Dearest_agein[Sonic Winter/乃絵美/18禁]、楼雪紗[DiGiEL/ナコルル/18禁]、の5冊。

・4/30 (火) 曇り、のち晴れ、夕方から雨

 朝7時起床。三条京阪前からバスに乗って修学院離宮へ。修学院離宮自体は庭園とが素晴らしいという以外には取り立てて書くこともないのだが、外国の女性の方に、(あなたの)写真を撮って差し上げましょうか?と話し掛けられたのがネタと言えばネタかも。実際には言葉が通じないので身振り手振りでやっとコミュニケーションを取っていたのですが。参観後、一乗寺駅近くの「いるか喫茶」で軽く昼食を取りながらまったりと読書。一時間ほどマルテを読んだところで喫茶店を出て、川端通りのバス亭まで歩く。バスで大原へ。三千院では抹茶を飲みながら聚楽園をのんびりまったり眺める。言いたくはないのだが、去年の記憶は脳内で相当に美化されていたらしい…。

 三千院を出てバスで京都市街へ。京都タワー下のビル1Fでお土産を調達。会社用と友人用は別々。あとソフマップで「はじいしゃ」と「世界ノ全テ」を購入。荷物が無駄に増えるというのは確かにあるのだけど、帰っても地元のショップで買えるとは限らないので買える機会に買っておくのが無難な選択だろうと。「世界ノ全テ」は完全にパッケージ買い。ソフマップで箱を見るまでゲームの存在すら知らなかったのだが非常に気になる。日記関係が一段落したらプレイするつもり。

 買い物が終わったところで英太朗で夕食を取って、スーパーで苺を1パック買ってホテルへ戻る。
 就寝は12時頃。

・5/1 (水) 雨、のち曇り

 7時起床。
 帰宅の日。予定を一部変更。京都から離れる前にどうしてももう一度通天台からの眺望を味わいたくて再び東福寺へ。今回、二度、東福寺の通天台に立ってみて初めて分かったのだが、こういうところに行くと落ち着くのは景色が綺麗だからなんかではなくて時間を忘れることができるからだ。私たちが住む世界とこういった空間では、時間の進み方が絶対に違う。当たり前だと言われるかもしれないが、もしこういう場所で、今日が何日であるかすらも考えずに毎日庭を眺めて過ごしていたとしたら、人生観とか大きく変わる気がする。例えば時間の流れないこういう場所で何十年とか過ごして。いつしか自分の年すらも忘れてしまって。でも体の衰えは自覚せざるを得なくて。それでも目の前の風景は変わらずに、もう何十回目かの、去年と変わらぬ春を迎えて。柔らかな日差しを浴びて。変わることなくざわめく木々の葉擦れの音に耳を傾けて。目の前の風景は何も変わらずただ自分だけが老いていくのを感じながら、人生の儚さに涙してみたい。あー。ところで真琴シナリオの最後。彼女がヴェールを風に飛ばされて泣くシーン。あの時の風は春の風だったに違いないと私は思う。いや、思っているというのはちょっと違うな。最後に祐一と真琴が立っていたあの風景に私は春を感じる、と言った方が良い。私は春というものを単純に暖かい季節という風には受け取れない。春の風はあんなにももの悲しいではないか。何も悲しいことなんかなくても、何十年、何百年前から変わらぬ風が吹いていることを遺伝子が記憶しているかのように、不思議な懐かしさと、それを思い出せない寂しさとが襲って来るではないか。真琴が訳も分からずに泣く場面に、私はどうしても春風の寂しい匂いを感じずにはいられないのである。

 東福寺を出てからちょっと歩いたところにある TeaRoom_1000 で朝食。パスタとコーヒー。
 東大路通りを北上。あまりに道が混んでいるので、平安神宮の辺りで右折。少しくねくね走って白川通りへ。そこから更に右に入って比叡山ドライブウェイ、奥比叡ドライブウェイと走って京都を離れる。走っていて、無性に寂しかった。そうそう、奥比叡ドライブウェイで野生の猿と出会った。道路まで平然と降りてきているところを見るともう自動車にすら慣れてしまっているのだろうか。ことごとく猿と目が合ったが、実は私の方こそ猿に見られていたのかもしれない。

 琵琶湖大橋を渡って、8号線を北上。安土町へ。城郭資料館で安土城の1/20モデルを見てから安土城址へ。駐車場から小道を抜けて大手門跡に入るといきなり視界が開けるのだが、目の前に続く石段を見て、思わず震えた。念のために書いておけばここは明智軍に陥落させられた時に建物は悉く焼失してしまい、今は城跡と言っても本当に石垣だけしかないのだが、それでも、自分が今立っている場所がかつての織田信長の居城なのだと思うと、巨大な石垣やかなり急な坂に作られた石段は圧倒的な存在感を持って迫ってくる。

 午後3時半。8号線から八日市へ。途中、ラーメン屋さんで遅い昼食を取ってから八日市IC。
 で、名神、東名、首都高、外環、東北をだーーーーっと走って午後10時半頃帰宅。

 疲れました。
 (一週間分の日記を書くのに)

 総走行距離は2117km.


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



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