棺の中の楽園 [日記、あるいは日々の考え事]
−自分用・買い物予定リスト−
・現在のところ未定
−日記・過去ログ−
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2002/1/31 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#31
◆
負担を軽減するため義理巡回は一切やめました。
自分の興味に必ずしもそぐわないサイトをわざわざ見るっていうのもなんか違うと思うし。
◆
“駄々をこねる子猫”のイメージが仕事中に唐突に湧いてきて、萌えつつも何かを思い出しそうなむず痒い感覚に取り憑かれてたのだけど、ようやく思い出した。同人誌『手のひらに降りた小さな天使たち』の香月たん(14歳)だった。
◆
復旧作業完了。
私にとって道具というのは目的ではなくて手段なので、パソコンを使うためにパソコンに時間と労力を費やさなくてはならないというのは、正直ちょっと虚しいです。例え必要なことであっても、本来の目的に使ってないわけですから。
◆
車の運転に退屈した時のためにという名目で、久しぶりにオリジナルテープなんか作ってみる。
以下、曲目。
01) 夢はなにいろ? (はじるすOP)
02) PS版シスプリOP (PureStories・声つき)
03) PS版シスプリOP (声つき)
04) LOVE DESTINY (ショートバージョン)
05) 花右京メイド隊OP
06) 恋愛CHU!OP
07) ちいさなぼくのうた
08) 君よ優しい風になれ
09) See You -小さな永遠-
10) Farewell Song
最初は拒絶反応が出ますが、2〜3周聴くと慣れます。
慣れれば麻薬です。
◆
おめでとうございます。
今まで頑張って、それがひとつの実を結んだことに。
カッコイイと思う、本当に。
◆
話は変わりますが、怒首領蜂の3面の1UPアイテムは確実に出せてますか?
あれは3面終盤の空母上に置かれている黄色い箱(左右で各3個)を全部壊すと出現しますので確実に取っておきましょう。
知ってたらスマソ。
2002/1/30 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#30
◆
奇しくも、まほさろさんと時期を同じくしてパソコンが綺堂しなくなりました。
いつものように画面が青くなって『例外〜〜が発生しました』って出て、いつものようにリセットボタンを押したら『Windows保護エラーです 再起動してください』って出てそのまま。以後何回やってもダメ。
という訳で、CドライブのフォーマットとWin98の再インストールを決行。
現在復旧作業ちう。
◆
KANON アニメ版 1話
期待値が低かったという点を差し引いても普通に面白かったです。
このクオリティーを維持してくれるなら、今後も期待できると思う。
◆
お兄ちゃんへ。
双葉シナリオというのは割と番外編的な扱いで、柚鈴・美月・鈴香・葉桐の各エンドを制覇しないとフラグが立ちません。参考までに。いや、私も昔フラグが立たなくて困ったので、ちとお節介を。
◆
なんか最近『はじめてのおるすばん セーブデータ』で検索してうちに来る方が多いみたいなんですが。
期待に添えなくて申し訳ありません。
お詫びといっては何ですが、一応こちらへリンクを貼っておきます。
2002/1/29 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#29
◆
鍵っ子への100の質問…の中にあった『鍵ゲー中でのHシーンの必要性』とかについて。
(以下、シャレの分かる人専用)
・巳間晴佳 [MOON.]
高槻になって晴佳たんをいぢめてみたい。
…という話を友達としてたら「書いとけ」といわれたので(実話)。
あと、「一回でいいから」「一回でも多いわ!」とか。
・七瀬留美 [ONE]
ぶっちゃけた話、ヤらないとバッドエンドだし。
ただ「誤解を解」いてハッピーエンドに行ければそのほうが俺好みではあるのですが。
・里村茜 [ONE]
絵的にエロい。
あの茜(クラスの中では、美人だけど近づきがたい雰囲気の女の子)との秘め事…とか想像するとめっちゃ萌え&燃える。
・川名みさき [ONE]
事の最中に「浩平君の声が聞きたい」とか言う先輩は可愛い。
もし、ONE=たったひとつの大切なもの、であるのなら、先輩とのこのえっちシーンは非常に重要な意味を持つのです。
なぜなら、盲人であるみさき先輩にとっては、浩平の声が聞こえる空間こそが最も確実で最も安心できる“居場所”であることを、浩平が初めて自覚するシーンだからです。
・水瀬名雪 [KANON]
基本的にはやまさんの考察を参照のこと。
俺的に付け加えるなら、告白だか初めての夜だかの翌朝から早起きになっちゃう名雪が可愛すぎる。浪漫じゃん。
・沢渡真琴 [KANON]
不要。
祐一にネリチャギ(雪駄さん)に一票。
・水瀬秋子 [KANON]
バグだか仕様だかわからないがえっちシーンがないのは残念無念。
あと、秋子さんは処女なのでお間違えなきよう。
・倉田佐祐理 [KANON]
修正パッチはまだかゴルァ。
まぁあれだ、例えばこうです。
佐祐理さんと舞の方が一年早く卒業する訳で、そうするとごく自然な展開として(特に舞の希望で)、、、
1) 祐一、通い同棲。
2) 挙げ句、舞と佐祐理さんの住むマンションから登校。
3) 秋子さんに「また外泊ですか?」等とさりげにたしなめられる。
4) ある日、舞と佐祐理さんの洗濯物を見てついいけない衝動を抱いてしまう祐一。
5) それを佐祐理さんに見られてしまう祐一。
6) で、「祐一さんも男の子ですものね…一緒に住んでるのに察してあげられなくてごめんなさい。これからは我慢できなくなったら佐祐理に言ってくださいね」と。
7) 舞にばれるのは時間の問題。
(゚д゚)ウマー
ていうか氏ね>>俺
・天野美汐 [KANON]
真琴シナリオっていうのは、ある意味では、寂しがりやな狐の子を通じて男の子と女の子が仲良くなるお話なので、ひとつの可能性としてはえっちシーンはアリ。個人的には、真琴シナリオは祐一が天野さんに出逢うお話なんです。そう思って見ると、あのエンディングはすごく眩しく映ります。
・霧島佳乃 [AIR]
「リボンを取ってくれないとふにゃふにゃのへろへろなんだ」「…嘘ばっかり」
これがむっちゃ萌えるんですよアナタ。
あと翌朝の、往人君の洗濯物にさわっちゃダメ発言とか。
・みちる [AIR]
君の髪、瞳、口癖、すべてが恋しくてたまりません。
しかしながら、いろいろな方法をお試ししたのですが、いまだ(このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます)
2002/1/28 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#28
◆
ATOK14 を導入。
使い始めてまだ三日目だけど、MS-IME_98 より全然使いやすい。
第一候補が安定しただけでも購入した甲斐があったというもの。
◆
ココロ図書館DVD1巻を買いに近所の大型電気店へ。
ついでにパソコン用品コーナーでパームレストを購入。
今のキーボードには元々プラスティックのパームレストが付いていたのだけど、当時は自己流タイプだったので用途がよく分からなくて捨ててしまったのです。タッチタイプをやるようになって初めてパームレストのありがたみを実感したという次第。
買ったやつは柔らかい材質で出来ていて、良い感じに手首にフィットして使いやすいです。
◆
ねがぽじファンディスク(予約済み)を引き取りに行って、その場で月陽炎
-千秋恋歌-を予約。
プレイはまあそのうち。
◆
…長文更新しない魔法の笛と銀のすずに意味はあるんでしょうか?
そいえば、まほさろさんの日記[1/22]。
ちゃんと書いたことはなかったような気もしますが、仰るとおりうちのサイト名はモツたんの『魔笛』から取ってます。もうちょっと具体的に言うと、魔笛の第1幕・第8場の五重奏に“Silberglockchen,Zauberfloten”というそのままな歌詞があってそこからの引用だったり。その際、日本語としての響きの良さを考慮して前後を入れ替え、書いた時の見た目の印象を考慮して“鈴”を“すず”と、ひらがな表記に換えました。ちなみに内容を問わないというのもまさにその通りで、内容が変わってもサイト名を変えなくてよいという辺りも計算の内です(苦笑)。
2002/1/27 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#27
◆
北関東は暴風。
◆
幕が上がる頃には俺がお姫様にさせてやるよ
早瀬さんがどこかで書いてたこの台詞、なんかいいなーと前から思っておりまして。どういう状況で使うのかはさっぱり分からないんですが(苦笑)、なんかカッコイイ。男として一生に一度ぐらいはこんな台詞を言ってみたいものです。
ところで。
しのぶ的に、男に生まれたからには一生に一度はやってみたいシチュエーションというのがあるんです。
それは、、、
学校帰りの中学生(もちろん知り合いです)を車で拾って、ブティックでドレスに着替えさせて一緒に食事を。
…というもの。
大体の状況としては、まずその子の誕生日に車で校門前まで迎えに行きます。
で、車に乗せたらこう、今日は小鳥(仮名)の誕生日だろ?実はレストランを予約してあるんだ、と。
でも彼女は制服のままなので(俺的には全然おっけーなのですが)渋るんですね。
こっちはその対応は予測済みなのですが、さも今思いついたように(笑)、そうだなじゃあちょっと寄り道していこうか?とか言うんです。
で、向かうはさる大手デパートの中にあるブティック。
そこには馴染みの(謎)店員さんがいて。この子のドレスを見繕ってやってくれないか?、と。
で、煙草をふかしながらしばらく待ってると、店員さんが綺麗にドレスアップされた彼女を連れてくるんです。
彼女は自分が場違いであるとでも思っているかのように恥ずかしそうにしてて。
で、俺はにっこり微笑みながら手を出して。
さ、参りましょうか…お姫様?
と。
……………なんて恥ずかしいことは全然考えてませんので誤解なきよう。
これはあくまでもタッチタイプの練習です。
2001/1/26 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#26
◆
近況。
◆
日曜日。
耐え切れなくなって、思わず拘束制御術式((c)ヘルシング)を解放してしまいました。
甘ったれ全開というか、自分は誰も受け入れられないくせに誰かからの完璧な受容を望むという辺り人生舐めるにも程があるだろうがゴルァな感じですが、アレを書いた後、呼吸するのは確実に楽になりました。書くという行為にはそれ自体に癒しの効用がありますが、今回はそれとは少し違ってて、本当に心が軽くなったのは、書いている時ではなくて書きあがった文章を頭の中で反芻している時でした。本当に公子さんの声が頭の中に響いてきた気がしたのです。
誰にどう思われようとも、再び息ができるようになったという事実を持って私はあの文章を肯定します。あんなものを書いてしまったことはやはり恥ずかしいのですが、あの時点では書くしかなかったのです。後悔とかはしてません。
◆
更新意欲が落ちてる(生活の中での優先順位が下がってる)ので、良い機会と思い、タッチタイプの練習を始めました。今日の日記もキーボードを一切見ないで打ってます。はっきり言って、ネット環境を手に入れた3年半前より遅いです。
シフトキーを打つ回数を減らしたかったので、入力方式はカナからローマ字に変えました。練習は今日で一週間目。色気の欠片もない単語を毎日何百と打ってます。それでも練習は結構楽しかったりします。毎日上達していくのが実感できるので。
今の段階で例えば、可憐、花穂、衛、咲耶、雛子、鞠絵、白雪、鈴凛、千影、春歌、四葉、亞里亞、と打っていくと、咲耶・白雪・千影・四葉の4箇所で毎回必ずつっかえます。そんなレベル。
そんな訳で、長文更新は暫くは無理でしょう。
◆
脈絡なしですが、しのぶは leidlich で連載中のメイドさん小説を愛読・期待・応援しています。
2002/1/20 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#20
◆
公子さんはなんで俺なんかと一緒にいるんですか?
俺なんかと一緒にいたって詰まらないでしょう?
俺は気の利いた言葉のひとつも喋れないダメ人間なんですよ?
分かってるでしょう?
改めてなんでって言われると…。
私にも分からないよ。
でも…前にも言ったと思うけど、、、
初めてあなたを見た時、なぜか放っておけないと思ったの。
つまり公子さんは同情で俺と付き合ってるんですね?
…それ以外に考えようがない。
俺が誰かに好かれるなんてことがあるはずがないんだ。
ふざけないでください。
同情なんてまっぴらです。
これ以上、俺に付き纏わないでください。
同情なんかじゃないよ。
わたし、しのぶくんのことが好きなの。
本当に。
もうそんなこと信じない。
みんな最初はそう言うんだ。
笑顔で俺に近づいてくるんだ。
でも、俺から何も受け取ることができないと分かるとみんな失望していなくなっちゃうんだ。
貴方だってそうさ。
どうせいずれ俺に失望していなくなる。
勝手に好意を持って俺がそれに応えられなかったら去っていく。
そんな身勝手な話があるか!?
俺が何も感じないとでも思ってるのか?
もう嫌なんだよそんなのは。
勝手に好意を寄せられて勝手に捨てられるのは嫌なんだ。
…これで分かったろう。
俺はこういうことを平気で言えちゃうんだ。
そんな程度の人間なんだよ。
でも私はやっぱりしのぶくんのことが好き。
そんな、好意を受けとって重荷に感じたりしちゃようなところも。
少なくとも今の時点では、しのぶくんは私の好意を感じてくれてる訳よね?
だったら、私、嬉しい。
ともかく私が好意を持っていることだけはちゃんと伝わってる訳だから。
すごく嬉しい。
それにね。
私は与える一方じゃないの。
私も、しのぶくんに色々なものをもらってる。
何も与えるものがないなんて、そんなことないわ。
私、しのぶくんが笑うと嬉しいもの。
ホントに理由なんかなくて。ただ、笑顔をみるだけで嬉しいもの。
それから、しのぶくんが躊躇いがちに好きな音楽の話なんかする時も。
躊躇いがちなのは、きっと、聴いてもらうことに慣れていないせいよね。
そんな、弱気なところも可愛くて…。
…あ、ごめんなさい。
変な意味じゃないの。
なんていうのかな、しのぶくんが躊躇いがちに好きなものの話をするとね、
一瞬、ほんの一瞬なんだけど、空気の匂いが変わるの。
しのぶくんの心の中がほんの一瞬だけ見える気がするの。
そんな時、ああこの人っていいなと思うの。
だから…私はしのぶくんから色々なものを受け取ってるのよ。
一方的な関係なんかじゃないわ。
私はもっとしのぶくんと一緒にいたいの。
たぶん、しのぶくんはまだ心を閉ざしてる。
でも、一緒にいたらもっともっと、心が見えるかもしれない。
今日は一回だけでも、明日は二回見えるかもしれないし、
明後日はもっとたくさん心を開いてくれるかもしれない。
そう思うとわくわくするわ。
…この場合は、俺が何かを与えられているかを意識しているかどうかが問題なんだ。
俺の中は空っぽだ。
少なくとも他人に与えられるようなものは何もない。
たまたま俺から何かを受け取ったように感じることがあったとしても、
いつもそうだとは限らない。
もし俺がずっと心を閉ざしていたらどうするつもりだよ?
そうしたら、やっぱりアンタだって俺の前からいなくなるんだろう?
しのぶくんは変にややこしく考えすぎてるだけだと思う。
私はしのぶくんが好き。
別に何かをもらえるからとかじゃなくて、ただ、一緒にいたいと思うの。
私、しのぶくんと一緒にいるだけで楽しいし、しのぶくんの話を聞くの、好きよ。
しのぶくんの言うことだったら何でも聞ける。
嘘付け。
俺の言うことだったら何でも聞くって?
ふん。
そんなことある訳ないだろう。
だったら、今すぐ外に出て最初に会った男と寝てこいと言ったらアンタは男と寝るのか?
それはできないわ。
ほら見ろ。
嘘吐きじゃないか。
違うの。
できないのは覚悟とかの問題じゃないのよ。
ただ、私がそんなことをしたら、きっとしのぶくんは後悔して自分を責めて…
たぶんもう二度と誰にも心を開こうとしなくなっちゃうだろうから…。
しのぶくんはそういう人よ。
誰かが傷つくのを見るだけ訳もなく自分を責めてしまうような人よ。
だから、私にはできない。
結果としてしのぶくんを傷つけるようなことには応えられないの。
しのぶくんが好きだから。
いつもそばにいたい人だから。
……………。
悪かった。
でも、俺は他人というものを根本的に信じられない人間なんだ。
そもそも俺には“好意”ってやつがなんなのか分からない。
俺はもしかすると人間じゃなくてロボットか何かなのかもしれないと時々思うんだ。
俺には“好意”という回路がそもそも存在しないかもしれないんだ。
正直言って俺は今、公子さんの言葉に感激してるよ。
そうは見えないだろうけど。
でも、感激してるからと言って好意を持っているかどうかは別の問題だ。
少なくとも俺の周囲を見る限り、好意っていうのは持続するものらしいんだよな。
例えば俺の知っている人たちを見てると分かるんだけど、
言葉の重要度っていうのは、内容じゃなくて誰が言ったかによって決定されるものらしいんだ。
好意を持っている人の言葉だから聞くに値する、といった風にさ。
でもそんな感覚は俺には分からない。
俺は好意を持っている人の言葉だって無条件に受け入れたりはできない。
内容をどうしても吟味しちゃうんだ。
人を好きになるっていうのは“判断しない”ことだろう?
でも俺はダメなんだ。
判断しちまう。
例え好意を持っている人の言葉だって、面白くない時は全然面白くなくて落胆しちまう。
そんなことが許されるか?
落胆するなんてことが。
俺にはたぶん、刹那的な快/不快の感覚しかないんだ。
好意なんて回路は存在しない。
こんなの人間じゃないだろ?
俺はたぶん人間として大事なものが欠落してるんだ。
ロボットと同じだよ。
ただ、外界の刺激にその都度反応して嬉しがったり落ち込んだりするだけだ。
こんな人間が誰かに好意を持たれる資格なんてある訳がないだろう?
俺が信用できるのは瞬間だけだ。
俺は公子さんが好きだよ。
でも、将来に渡ってずっとそうであるとは約束できない。
何しろ俺はロボットだから。
俺が好きなのはたぶん、今この瞬間の公子さんだけだ。
時間が経てば熱は冷める。
今のこの涙も、やがては乾いてしまう。
そうしたら公子さんはまた他人に逆戻りだ。
そうなったら公子さんはどうする?
分かったろう?
俺が誰からも好意を寄せられる資格なんてないってことが。
……………………。
…今の。
…私の初めてのキス。
……………………。
私は、それでもしのぶくんと一緒にいたい。
他人になんかならない。
わたしはずっとしのぶくんのことを好きでい続けるもの。
もししのぶくんが瞬間しか信じられないのなら、毎日“好き”って言ってあげる。
望むなら、日に十回でも、百回でも。
ずっと、証明し続けてあげる。
そうしたら、瞬間はずっと続くでしょう?
そうしたら、私たちが他人同士になる暇なんてないわ。
瞬間は永遠になるの。
ずっと傍にいてあげる。
朝はお目覚めのキスで。
毎朝、今日も一日しのぶくんと一緒にいられることを感謝して。
夜はお話の時間。
しのぶくんが喋って私が笑って。
私が喋ってしのぶくんが笑って。
眠くなったら一緒にお布団にもぐって。
ふたりの肌のぬくもりと呼吸を身近に感じながら眠るの。
いつも一緒にいてあげる。
ずっと、好きって言い続けてあげる。
ロボットだなんてこと思い出せなくなるくらい…。
2002/1/14 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#14
◆
フロレアール 〜好き好き大好き〜 [13cm]
全シナリオ読了。
期待以上/以下ということではなくて、期待してたものと微妙に違っててなんかいまいちこう。
ジャンとメルンの物語は結局は元長氏の思想を語るための材料でしかないのではないかという疑惑が。だとすればフロレアールは私の口にはちょっと合わないなあと。この作品の思想的な部分について語るには、本当は始めに“フィクション”とか“外部/内部”とかいう単語を元長氏がどういう意味合いで使っているのかを検証しなくてはならないのだけど、齟齬があるのを承知の上で勝手なことを言えば、フィクション―自分が知覚するすべての事象―を肯定するために理論を持って説明する姿勢が私の肌には馴染まないのです。
こういうことを言うとまた自分を曝け出すことになるのだけど、例えばある作品について語るのに『好き』とか『萌え』という言葉を使うのは下策だと私は思っているんです。またしてもリルケなのだけど、要するに『好き』と書いても好きという気持ちは十分には伝わらない。より良い方法は『好き』という言葉を使わずして好きという気持ちの存在を読む人に知覚させることです。物語もそれと同じ。必要なのは受け手をその気にさせること。フィクションを肯定させる一番良い方法はフィクションを好きになってもらうことです。肯定したいと受け手に思わせること。肯定せずにはいられないような世界を創出すること。(個人的な話ですが)例えば『紅の豚』とか『耳をすませば』のような単純に美しい世界を創出すること。作者の手を離れない世界は魅力を減じます。ジャンが銃で撃たれようがメルンが陵辱されようがメルンがベランダから落ちようが、私はそれらをいずれもある世界で起きたひとつの出来事として認知します。しかしそれらが結局作者の思想語りのための仕掛けなのだとしたら、それに気がついてしまった瞬間から世界は色彩を失ってしまうのです。それはもはや世界で起きたことではない。ジャンやメルンはひとつの形式に過ぎなくなる。イソップのお話に出てくる人物たちのような無個性な存在に堕してしまう。それこそ、元長氏の動かす人形にすぎなくなってしまう。そういう不安感を、この作品は抱かせます。言ってみれば、衒学趣味な人形劇。
以上、屁理屈終わり。
作者の思想を頭の中から追い出して物語世界だけ楽しむのなら、フロレアールは相当に私好みです。
病的な部分も狂気の部分も優しい部分も美しい部分も全部。
好きなエンディングは、ED_2 “祝福”と ED_5
“奇跡”のふたつ。基本的にハッピーエンドが好きなので
ED2 は当然として、ED5 は…なんて言ったら良いだろう? すごく澄みきっているというか。こういうことを言ってしまって良いかどうか迷うのですが、コミュニケーションが断たれてしまってなお成り立つ関係というのには憧れます。普通、他人と関係を持つとは他人に対して責任を負うことを意味する訳ですが、あのふたりにはその責任がない。というか責任をもったく感じていないというか。例えば私だったら、仮に好きな誰かと一緒にいても、いつも優しくしなきゃとか気を遣わなきゃとか嫌われないように、とか色々と考えてしまうと思うのですが、コミュニケーションが成立しない関係だったらそんなこと考えなくて良い訳です。
ジャンの立場だったら、自分は何もせずただ尽くされるだけ、好意を受け取るだけ。返さなきゃなんて考えない(考えられない)。好意を受け取る不安と無縁でいられるというのは私には非常に重要なことです。逆にメルンの立場だったら、相手は一切反応しないゆえに、好きな気持ちを自己完結化できる。相手は反応しないのだから、嫌われることもない。一方的に好きでいつづけることができる。自分が誰かに好かれるなんてことは前提として信じていないし、そもそも誰かを好きになれるのだろうかという不安をいつも抱えている私としては、どちらの立場にしても、非常に羨ましく映ります。会話がなくても成立する関係こそ、私にとって最も可能性を感じる関係なんです。例えば
ED5 のジャンとメルンのような。例えば銀色の儀助とあやめのような。私は他人と会話する時にしばしば『私なんかと話していて楽しいのか?』『楽しそうな振りなんか止めろ』『私は楽しいが相手は本当に楽しんでいるのだろうか?』『無理して私に合わせないでくれ』と言いたい衝動と戦わなくてはなりません。世の中には相手を退屈させることしかできないような人間というのも確実に存在するんです。たまに私の文章を好きだと言ってくださる方がいらっしゃいますが、それは私の文章が人間の方を向いていないからです。誰か特定の人間の方を向いた瞬間から、私の言葉は単なるゴミ屑と化します。だから、相手は何も反応しない方がいい。嫌われる心配なくジャンに尽くすことのできるメルンが羨ましい。無論、こんなことを言ったらメルンに殺されるでしょうが。いや、殺されるのならまだ良いか。目の前でぼろぼろ泣かれたりしたら私は自分を殺さずにいられなくなるだろうし。
ああそれにしてもメルンは良いです。
目の前でナイフを振り上げてなお笑顔でいてくれるのなら、私だってメルンという他人を信じられるかもしれない。貴方になら殺されても良い、とまで言われなければきっと私は誰も信じられないです。つうかテメエ(私)が死ね。
2002/1/13 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#13
◆
何もなしと言えばないし、あると言えばあるかもぐらいな平穏な一日。
◆
ふと思い立って部屋の蛍光灯を取り替えてみる。
1000円ばかり出たがおかげで部屋がだいぶん明るくなった。
というより気がついてなかっただけで今までが暗すぎたのだろう。
◆
UNIX板フラッシュムービーを観て泣く。
特に“次々と消えていくスレッドたち”のくだりとか。
私は2ちゃんねるに関しては割とライトな関わりしかない(ほぼ
ROM なので)ので、あの当時の閉鎖問題も実はあまり深刻には捉えていなくて、気がついたら解決してたという状態だったのだけど、住人さん達にとってはかなり切実な問題だったのね。
ともあれ、個人的に名作フラッシュに認定。
◆
VIX_21 に“クリップボードセイバー”なる機能があることを初めて知る。
知らなくても困らないかもしれないけど、知っていると実に便利。
今までだったらゲームのCGを抜き出す(Susie_Pluginがない場合)のに
PrintScreenキー → MS_ペイント起動 → 貼り付け
→ 保存 という工程が必要だったのが、この機能を使えば
PrintScreenキーを押すだけで VIX の方で勝手に
BITMAP保存してくれる。 ゲームの中の気に入ったCGを抜き出すことがしばしばある私としてはこの機能は非常に便利。
◆
かわいいね [加賀美ふみを/平和出版]
おんなのこ [加賀美ふみを/平和出版]
らむださん辺りはとっくに知ってらっしゃるんじゃないかと思いますが(←前置き)、ロリ系エロ漫画としてはかなりの出来。得てしてエロ描写が巧い人は萌えがおろそかになり、萌え描写が巧い人はエロ描写が下手だったりするものなのだけど、この作家さんはふたつの課題をかなり高い水準で両立させている。少なくとも、ぷにぷにな幼女体型キャラを描くエロ漫画作家の中でこの人に匹敵する人はいるまい。画力は決して高い訳ではないのだけどとにかく全編イチャイチャしまくりで、しかも例えば田中ゆたか漫画の欠点だった“キャラ自身の抱く萌え感情が読者をスポイルする”という問題もここには見られない。エロ描写も、その手の作家の多くの作品において見られるような肉体的快楽だけを求めたえっちではなくて、あくまで萌えの延長線上にあるものとしてのえっちに拘る。これらの作品に登場するキャラたちは徹底的に無防備だ。ほとんど都築キャラに匹敵すると言っても良いぐらい。腐れどりーまーオタな私としては、こういう精神的な充足感に力点を置いたエロ漫画は非常に心地良いのです。
ロリ系“エロ漫画”としては最高の一冊です。その手の趣味の人には自信を持ってお薦めできます。
◆
とらいあんぐるハート OVA 4巻 [Discovery]
・知佳が主役だからか、リスティーが最初から良い子(笑)。
・エロ漫画じゃあるまいし、無理してえっちシーンを入れなくても良いのでは?
・知佳が屋根から降りるシーンは綺麗
・えっち後、湯船の中で広がる知佳の髪が綺麗
期待値が低すぎたせいか(ぉ)、期待よりも面白かったです。
今までで一番良いと思う。
◆
2ちゃんねるクラシック板をうろうろ。
んで、成果。
偉大なディアベリ。
ネタが分からないと訳分からんでしょうが、私は爆笑しました。
2002/1/12 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#12
◆
まあ色々とある訳です。
『嵐』とか。
私にはメルンはいないので自分でなんとかするしかないんですがね。
◆
月陽炎 [すたじおみりす]
攻略(※)を見つつ2周目読了。
雑感を書きたいのだけど何を書いて良いか全然分からない。
当初、柚鈴狙いで進めたらなぜか鈴香シナリオへ。無意識に本命ルートに進んでしまう自分がちょっとだけ可愛いと思ったり。やっぱ鈴香さん=なこるるだし。自分の役割をちゃんと自覚してて、その使命感ゆえに無理をしてしまう辺りなんかもうそのまんま。健気なところがなこるるしててすごく愛しい。よってエンディングは(土方さんの仰るような輝きがあるにしても)私としては激しく不満。今まで頑張ってきた鈴香だからこそ、柚鈴や美月や双葉に祝福されながら幸せな結婚式を挙げて幸せに暮らしました…なエンディングが欲しかった。
柚鈴シナリオは柚鈴に感情移入すると幸せ。なんて思っているのは私だけだろうか。柚鈴になりたいです。拒絶しても拒絶しても微笑み掛け話し掛けてくれる誰かがいる柚鈴が羨ましい。それと同時に、なんとか頑張って悠志郎に近づこうとする柚鈴がすごく眩しい。柚鈴になりたいというのは羨みというよりは憧れに近い。
柚鈴シナリオで私が一番好きなのは、悠志郎の方へ足を一歩踏み出すシーン。「えいっ」って掛け声がめちゃ可愛い。女の子が勇気を出して未知の場所へ一歩を踏み出す。しかも勇気の向かう先は悠志郎。この瞬間、柚鈴の健気さは完全に100%悠志郎(=私)に向いている。萌えるなんて通り越して、衝動的にぎゅーってしたくなるくらい愛しい。下世話な言い方をすれば、柚鈴シナリオっていうのは男性の願望に非常に正直だと言える。対人恐怖症だけど主人公にはなぜか好意を持っている少女。このシナリオは言ってしまえば悠志郎が柚鈴に好かれるお話だ。悠志郎が柚鈴の心を解かしたのではない。あくまでも柚鈴が勇気を振り絞って悠志郎に近づくのである。このシナリオの前半は間違いなくそちらの描写に力点が置かれている。繰り返すが、このシナリオは柚鈴に好かれるお話である。柚鈴はハンデを抱えているのだが、あるいはそれだからこそ、悠志郎への気持ちを隠さず、なんとか悠志郎に近づけるようにと頑張る。ぶっちゃけて言えば、自分のために一生懸命に頑張っている女の子を見て萌えないはずがないのである。
美月。最初にこれはどうしても言っておかなくてはならないのだけど、声優さんの演技が素晴らしい。特にエロボイスは既存のどのエロゲーと比較しても劣らないと思えるぐらい上手い。萌えと燃え(エロ)、両方の分野で水準の高いものを用意できているという点は非常に高評価。ていうかエロ過ぎ。ハァハァ。
柚鈴シナリオが好かれる安心感を与えてくれるのだとすれば、美月シナリオは好かれる気持ち良さを与えてくれる。仲が良くなって以降の美月の甘々っぷりときたら。おやすみと言って悠志郎が目を閉じた瞬間に不意打ちでキスするシーンなんて萌え死ねる。考えてみると、柚鈴、美月、姉妹共に実は男嫌いというのはなんとも美味しい設定だと思う。なんと言われようが、男嫌いだけど自分だけには懐く少女、という図はやはり甘美だ。それに加えて、美月と柚鈴の仲の良さ。有馬神社で誰かと仲良くなるというのは、言ってみれば女性(少女)の世界へ入ることを許される、ということである。ここにあるのは普通の恋愛関係とはちょっと違う。柚鈴や美月と仲良くなることで、主人公はある閉鎖的なコミュニティーの一員となる。それは家族と言っても良いかもしれないが、単に家族と言ってしまうにしてはこのコミュニティーはあまりに他と違いすぎる。これはひとつには神社を舞台にしており、主要キャラクターが皆神職に携わっているという設定によるところもあるのだろう。ともかく、これは少女コミュニティーへの参入と解釈した方が収まりが良い気がする。
幸野双葉。
あのフ○ラシーンだけでご飯三杯は逝けます。ハァハァ。
エンディング。
私が好きなのは、柚鈴の手紙エンド(美月ルート)、美月封印エンド(柚鈴ルート)のふたつ。特に後者が好き。曲がりなりにもエンデイングで三姉妹が揃っているのはあれだけだから。それからあのエンディングの前の『今の幸せな時間を永遠にしたい』という美月の台詞も泣ける。あと双葉エンドのまとめ方も割と好き。
柚鈴と美月の関係は美凪とみちるの関係を思い起こさせる。傍から見れば“犠牲”なのだけど、当の本人はそんなこと全然思っていないだろう辺りが。むしろ犠牲なんて言ったら彼女たちは怒るだろう。彼女たちは何も考えてはいないのだ。ただ美月のことが好きだから、美月に幸せになって欲しいから、柚鈴は自分が消えることすら厭わない。というか、自分が消えてしまうということを彼女は感覚として抱いてはいまい。柚鈴は自分が消えてしまうことなど少しも気にしていない。美月に幸せになって欲しいという想いが他のすべてを飛び越えてしまっている。みちるがそうだったように。
(※)
攻略の参考にしたのは Piece of Key Heart.というサイト。
ここの攻略ページは、選択肢だけではなくてその選択肢を取り巻く状況まで書いてあるのが素晴らしい。攻略ページを見るだけで物語のおよその流れを思い出すことができる。こういう心遣いは嬉しいものだ。
◆
余談だが、巫女さん萌えとかメイドさん萌えというのは”職業萌え”という風に考えることができる。我々は巫女服やメイド服に萌えるのではない。そういう服が喚起する職業女性へのイメージに萌えるのである。ではなぜ巫女さんに萌えるのか? 巫女さんは神に仕える存在ゆえに穢れを常に遠ざけている職業だからだ。そういう職業上の制約ゆえに、その職業に従事する女性もまた(実際にどうであるかは置いておいて)、穢れとは無縁な白い存在として映ってしまう。更に言えば、巫女という職業はその性質上、仕事とプライヴェートの区別が曖昧であるというのもある。実際にそんな巫女さんがあるかどうかは知らないが、少なくとも我々が勝手に抱いている巫女さんのイメージは、神社に住み込みで働いている女性であり、また神に仕える女性でもある。職業にすぎないはずのものが、巫女さんにあっては本人の人間としてのイメージとも勝手に結び付いてしまう。従って我々の勝手な頭の中では、巫女さん=清らかな女性、ということになり、また神に一途に仕えるという職業ゆえに、ひとりの人間としての巫女さんも一途な女性というふうに自動的にイメージ化されてしまう。たぶん、巫女さん萌えとはこのようなものだ。
ところで私が思うに“萌え”とは訓練ではなくて習慣化です。訓練という言葉には主体的な意思を感じる。萌えるようになる、というのはそういうものではない。ただ繰り返し触れている内に慣れてきて、段々と対象を好ましく思うようになる。慣れ、つまり経験値を積み重ねることで今まで見えてこなかった魅力に気づくようになる。ある種の感覚が鋭敏になる。そうすると“萌えられるように”なる。
改めて考えてみると、萌えというのはそんなに特別なシロモノではないのかもしれない。クラシック音楽を好きになるのだって習慣化の作用なのだし。慣れてきて初めて良さが分かるというのは割と一般的な現象だ。訓練と呼ぶとすればそれは、ある経験を繰り返すことで、特定の対象に対する感覚が鋭敏になるという意味においてだ。例えば初心者はバッハの音楽を聴いてもみんな同じに聞こえる(私はかつてそうだった)。オタ分野に興味のない一般人にとっては、KANONの5人は皆同じに見えるだろう。ゴルドベルク変奏曲の一つひとつの変奏の多彩さに気がつくためには、元々語法を知っているかさもなくば繰り返し聴いて慣れるかのどちらかしかない。いずれにしても、対象の特徴を感じ取る鋭敏さは絶対に必要だ。名雪もあゆも、実際に違いを知るためにはゲームをプレイする等の経験が絶対に欠かせない。そうして初めて、名雪やあゆの特徴というものが頭に入ってくる。我々がすんなりキャラクターの違いを受け入れられるのは既に経験によってある感覚を獲得しているからだ。話はそれるが、エヴァはオタクの経験による感覚を巧く計算に入れていたように思う。私がエヴァを初めて観たのは19話『男の戦い』だったが、初めて観たにも関わらず、弐号機とアスカとのシンクロ、ATフィールドを中和して突破する手法、わたしが死んでも代わりは〜の台詞等をまったく違和感なく受け入れることができた。むしろあまりに容易に受け入れられることに気持ちよさを覚えたほどだ。おそらくこういうマニアックな快感を、当時のファンは皆味わっていたに違いない。どうもエヴァという作品は、オタクの既に訓練された感覚を念頭に置いて製作されていると思われるような節がある。…話を戻す。萌えという感覚は結局それほど特殊なものではないのではないだろうか。心が踊る、という感覚自体はそれほど特殊なものでもなかろう。特殊さがあるとすれば、今日のオタク向けメディアのある種のものは、心が踊る感覚を体感させることに特化したモノ作りをしているらしいことだ。
あと。最近気になるのは、フィクションの存在に恋をする、もしくは恋に近い感覚を抱くことはどのくらいの歴史を持っているのだろうということ。これは最近―というのはここ20年程度―の感覚なのだろうか、それとももっと以前からあるのだろうか。フィクションが人間に与える影響の大きさということで言えば、例えばゲーテの時代にまで遡ることができるのだが。ゲーテのヴェルテルが発表された当時、恋に破れた青年の自殺が急増したという話がある。確か、トーマス・マンのゲーテ語りの中で出てきたのだったと記憶しているが。
2002/1/11 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#11
◆
Sister Princess 3巻 [DVD]
ぎゃーす!!
お嫁さんごっこ萌えぇぇーーーーっ!!
ごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろ(以下エンドレス
……ふう。
今夜は良い夢が見られそうです。
おやすみ可憐花穂衛咲耶白雪春歌。
2002/1/6 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#06
◆
昨日の車内で友達とメイドさん話を延々と。
以下、要約。
――メイドさんとご主人様との理想の関係は?
メイドさんにとってのご主人様は、保護者であり、友達であり、恋人であり、父親であり、憧れの人。
ご主人様にとってのメイドさんは、庇護すべき存在であり、友達であり、恋人であり、母親であり、娘である。
――それはほとんど“家族”と同じような存在なのでは?
家族と言っても差し支えはないけどやっぱり少し違う。
ご主人様はあくまでも、メイドさんに愛されると同時に畏れられる存在でなければならない。
友達のような親しみは当然あった方が良いが、メイドさんがご主人様をドツイたり軽んじるような冗談を言うのは不許可。
家族と違うのは、そこにはあくまで主従関係が存在するということ。
――家族のような関係ではダメなのか?
メイドさん萌え者にも色々いて、中には家族のような関係を求める人もいるけど、私としてはあくまで主従に拘る。
――なぜ?
主従という“言葉”に私は安定を見出すから。
家族という言葉は落ち付かない。
家族というとなんとなく、時にはメイドさんに邪魔者扱いされてしまう(掃除できないからそこどいて、とか)イメージがある。
例え悪意が存在しなくてもそれはダメ。
主従という関係では何よりもまず自分という存在が絶対に脅かされない。
そこに安心を覚える。
…ところでメイドさん同士は仲が良くなくちゃダメ。
例えば、新人のメイドさんの初夜が終わって翌朝、メイドさん達で集まって“昨日はどうだった?”とか
言いながらきゃーきゃー盛り上がったりとか。
――逝ってよし。
――というか、メイドさんが複数人いると何かと難しいのでは?
実際にはメイドさん同士の相性とかあるだろうしご主人様に溺愛されちゃうメイドさんとか出来ちゃうとそれはそれで裏で恐いことになりそう、とかあるんだけど、差し当たり私の希望は純然たる楽園なのでリアルな方面は無視。
――そもそもなぜ複数人が良いのか?
これは上手く説明するのが難しいのだけど、要するに私の理想は“ご主人様がいてその下にメイドさん”がいる、というのじゃなくて、“メイドさんたちの輪の中にご主人様がいる”という環境なんだな。
メイドさんコミュニティーというものがまずあって、そのコミュニティーの中心にいるのがご主人様、というイメージ。
例えば、小学校の頃とか、女子はみんな小グループを作ってワイワイやってたじゃない?
メイドさん萌えというのは要するに“あの輪の中に入りたい”という願望なんだと思う。
これはモテたいというのとはちょっと違う。
女の子コミュニティーへの憧れが最初にある。
で屈折したオタクの願望として更に“大切にされたい”とか“一番尊重される存在でありたい”とかがある。
その辺りの複数の願望がひとつの形を取ったものが、ご主人様を取り囲むメイドさん、なんだと思う。
――花右京メイド隊はどうよ?
あれはご主人様がダメ過ぎ。
思うに、今のメイドさん漫画とかメイドさんエロゲーに足りないのは、カッコイイご主人様の存在なんだと思う。
ばんがいちに載ってたメイドさん漫画を読んで初めて気がついたんだけど、ご主人様がメイドさんに惚れられるようなイイ男かどうかって意外に重要なんじゃないかと思うんだ。
普通の主人公と可愛いメイドさん、という関係でも構わないといえば構わないんだけど、カッコイイ主人公がいたらメイドさんの可愛さはもっともっと引き立つと思う。
ご主人様の前に出ると“恋する少女”になっちゃうメイドさん。そして、メイドさんの憧れとか恋心とかに説得力を与えるためには、やっぱりカッコイイご主人様の存在が必要なんじゃないかと。
ご主人様が格好良ければ、コミュニティーの中心にいることも正当化されるしね。
――どちらかというとシスプリなんかは理想郷に近いんじゃないか?
うん、そう。
まあ主人公は特にカッコイイって訳じゃないけど。
ただシスプリの面白さが恋する少女たちの描写にあるのは間違いないし、特にアニメ版は12人の妹たちと同居していることもあって、お兄ちゃんと12人の妹ではなくて、12人の妹たちのコミュニティーの中にいるひとりのお兄ちゃん、という雰囲気が上手く演出されていると思う。あの空間を支配しているのはあくまで妹コミュニティーの方。それが心地良いんだ、きっと。
12人の女の子に好かれる設定といえば他にセングラとかもあるけど、あれは12人から好かれているように見えて、主人公と女の子との関係は常に一対一だった。その意味に限って言えばあれは極めて普通の恋愛だった。シスプリが面白いのは、12人のキャラを使ってひとつのコミュニティーを作ってしまったことだ。シスプリでは、好かれることの心地良さの他に、コミュニティーの中にいるという安心感をも与えてくれる訳だ。
――そこまで考えて作られてたと思うか?
んにゃ。全然思わん(笑)。
まあオタクは深読みが好きだからさ。そういうゲームの愉しみ方もアリかなあとは思う。
2002/1/5 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#05
◆
買い物。
虎の穴[秋葉原店]、石丸電気[秋葉原店]、山野楽器[銀座店]、タワーレコード[新宿店]などなど。
以下、収穫。
◆
同人誌20冊。
みずも倶楽部の新刊は買えなかった(非常に残念)けど、ココロ図書館・設定資料集は無事確保。下着が随分と細かく描き込んであるのねーとか、ちゃんとパニエの設定までしてあるのねーとか色々と感心。
◆
同人ソフト6枚。
ほのか[袴っ娘推進委員会/袴娘CG集]、とか PrincessStory [PINK CHUCHU/シスプリ18禁]とか。なごみ系CGの割には萌え転げまくり&萌え窒息気味で全然なごまない(笑)袴っ娘推進委員会ですが、今回の版権キャラ物は柚鈴&美月[月陽炎]、楓&初音[痕]。前者は当然として、後者も巫女服着てます。興味のある人は必ずゲットすること。萌え死んでも責任は取れませんが。なんにせよ柚鈴美月CGは素晴らしく良いので土方さんは必見と思われ。虎の穴で普通に買えます。
◆
エロ漫画7冊。
コスプレドール[あずまゆき]、そして僕は恋をする…[高苗京鈴]、真夜中の掟[ありのひろし]、3丁目神社奇譚[こうのゆきよ]、HAPPYNESSDAY[みやしたけい]、かわいいね[加賀美ふみを]、おんなのこ[加賀美ふみを]
◆
シスタープリンセス angel.01 [DVD]
1話の可憐があまりに可愛いのでつい。もしかして罠にはまってますか。やぱし
DVD はレンタルビデオと比べると段違いに綺麗。
雑感という名の騙り。
アニブリの魅力っていうのは、別に面白くはないんだけどここまでやられたら笑うしかない、っていう辺りにあるような気が。オープニングのラスト、お兄ちゃまの周りに12人の妹が集まってくるシーンなんて、笑う以外にどんなリアクションを取れば良いのか。
Love Destiny の歌詞ってよく聴くとなんだか凄い。『萌え尽きてもいい』とか『出逢いは平凡だけど運命の恋』とか『瞳閉じればふたりになれる』とか『溢れ出る激情(萌え)を止められない』とか『もう戻れない これが最後の真実』とか。これって咲耶の独白というよりもむしろ我々シスプリにはまった莫迦なお兄ちゃま達の歌に思えるのですが。ここまでやられたら笑うしか。むしろ笑わないと精神の均衡が。それは大袈裟か。
・さあこのパンを取って。これは僕の肉なんだよ。そしてこのぶどう酒を。これは僕の血なのさ。
・君は頬にキスすることで僕を裏切るのかい?
・君は朝になるまでに三度僕を裏切るだろう−そんなことは絶対にないわお兄ちゃん−私あんな人知りません−その時雄鶏が鳴いた−そして彼女は家に帰ってさめざめと泣いた
・もし貴方がお兄ちゃんなら、私に海の上を歩いてここまで来いと仰ってください−そうだね、じゃあおいで。
…いやなんでもないです。
・戸口にちっちゃいこのぱんちゅが掛かっていない家の長男はすべて御使いによって殺された。(出エジプト記)
…ていうかシスプリと何の関係もねえし。
◆
クラシックのCD色々。
ブラームス・パガニーニ変奏曲 [キーシン]
ショパン選 [ホフマン]
ヘクサメロン変奏曲 [???]
コンドンコレクション1巻 [ドビュッシー]
コンドンコレクション5巻 [プロコフィエフ、スクリャービン、バルトーク、マーラー、他]
コンドンコレクション8巻 [ホフマン、コルトー]
コンドンコレクション10巻 [パデレフスキ、ブゾーニ、他]
ラフマニノフ・プレイズ〜 [ラフマニノフ]
モーツァルト・魔笛 [マリナー]
シューベルト・冬の旅 [プライ]
ショパン・前奏曲&ソナタ2番 [キーシン]
モーツァルト・ピアノ協奏曲 [ソロモン]
ベートーヴェン・ソナタop.2-3 [ホフマン]
スカルラッティ&ショパン [ホロヴィッツ]
ベートーヴェン・ソナタop.109、110、111.[リヒテル]
ショパン・夜想曲集 [フランソワ]
ショパン・ピアノ協奏曲2番、他 [オレイニチャク]
ショパン・ピアノ三重奏曲、序奏と華麗なるポロネーズ、チェロソナタ [ヨーヨー・マ/アックス/他]
ショパンコンクールライブ [第6回ポリーニ/第7回アルゲリッチ]
ショパン・クラコヴィアク、他 [???]
ショパン・幻想曲、舟歌、他 [ペライア]
ショパン・クラコヴィアク、他 [ワイセンベルク]
今回は珍品が多数。
コンドンコレクションは作曲家本人による自作自演。ドビュッシー自身のピアノによる前奏曲とか子供の領分とか。それから風変わりなところで、ショパンのポーランドデビュー時のプログラムを当時のものに近い楽器を使用して再現したCDとか。
それと、ショパンの埋もれた名曲、クラコヴィアクop.14、ポーランド民謡による大幻想曲op.13を幾つかキープできたのがかなり嬉しい。私としては、有名なピアノ協奏曲op.11&op.21
よりもこちらの方が全然好きなのです。
キーシンのパガニーニ変奏曲が全然見つからなくて困っていたのだけど、何気にベトの棚を見たらそっちに置いてあった。ブラームスの棚で探してたから見つからなかったものらしい。ベトの月光(同CDに収録)なんて今更聞く気になれなかったのでそれが落とし穴だった。
2002/1/4 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#04
◆
Sister Princess キャラコレ [MediaWorks]
衛、春歌、咲耶、可憐、と続けて読んでみる。
衛。同姓にモテルという設定は納得。彼女はシスプリの良心。すごく普通の妹だと思う。恋愛感情なんかなくて普通にお兄ちゃんを慕っている感じ。ホッとする。この子は時期が来ればきちんと兄離れできるだろう。それから、自分が女の子であることにジレンマを抱いている辺りがすごく可愛い。
春歌。期待に違わず最強の妹。可憐に匹敵する…いや可憐以上のどりーまー振り。例えば、咲耶はああ見えて実は意外と現実を見ていて、兄妹だから結婚できないというのをちゃんと知っていてそれゆえに時には落ち込んだり泣いたりするのだけど、春歌はそんな悩みとは無縁でただひたすら甘美な夢をひた走る。源氏物語を読んで源氏と若紫に兄君さまと自分をなぞらえて(妄想して)愉悦を感じているくだりの凄まじいこと(笑)。練乳蜂蜜ワッフルだってこんなには甘くあるまい。この子は本気で兄君さまと結婚する気なんじゃないだろうか。きっと春歌の脳内辞書においては『妹』は現代日本語としての“いもうと”ではなくて万葉時代の“いも”なのに違いない。将来の契りを結ぶ妹、なんてフレーズを読んでいるとそうとしか思えない。
咲耶。…はもしかすると叶わぬ恋に悩んでいるところが可愛いのかも。彼女はお兄様が自分を妹としか見てくれないことも、お兄様と結婚できないこともちゃんと知っていてそれでも諦められずにいる。そういう時の咲耶はなんとも色っぽい。たぶん、咲耶がお兄様を誘惑してみたりするのはひとつの戯れなのだと思う。いずれは他の人のものになってしまうお兄様とせめて今だけは楽しく過ごしたいという。咲耶にとってのハッピーエンドというものがあるとすれば、それは『笑うミカエル(川原泉)』のあの兄妹のように、両者とも独身のままで仲睦まじく一緒に暮らすことだろう。案外、咲耶自身も微かな諦念と共にそんなことを想像しているのかもしれない。
可憐。彼女も実はああ見えてお兄ちゃんと結婚できないことを知っているのだけど、ただ咲耶ほどは切実に悩んではいない感じ。お兄ちゃんとの恋は叶わないと頭では分かっているのだけど、甘美な夢の中まではまだ現実は侵食してこない。まだそういう年頃なのだろう。既にお兄様と自分を男女として見ている咲耶はお泊まり時に一緒に寝ることができないのだけど、可憐はお兄ちゃんと一緒のベッドで寝られてしまう。可憐の魅力は、ひとつにはアンバランスさにあるのだと思う。もうそこそこの年齢のはずなのに、いまだにお兄ちゃんは王子様で可憐はお姫様なのだ。ところで、七章のロケットのエピソードは意味深かもしれず。
2002/1/3 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#03
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ニイルス・リイネ[ヤコブセン/山室静]読了。
リルケの言う、初めてこの本を読む幸福、みたいなものは残念ながら味わえなかった。読むのに費やした時間の少なくとも半分は退屈との戦いだった。ひとりの男の人生遍歴を題材にしたこの作品を読みながら、なんとなくヘッセの『郷愁』を思い出した。しかしヘッセのそれとヤコブセンのこれとでは、題材は似ていても扱いはまるで違う。『ニイリス・リイネ』を読んだ後では、―私の大好きなヘッセを貶める気は毛頭ないが―『郷愁』は道徳の教科書のように思われてくる。どうも理解が不足していて抽象的な書き方になってしまうのだが、ヘッセにとっての人生が“信頼に値するもの”であったとすれば、ヤコブセンにとっての人生は“ただ生きるしかないもの”であるように思える。ヘッセの描き出す人生は美しい。しかしヤコブセンの描く人生は美しくも醜くもない。ただ存在するだけだ。小説として描かれていると私たちはついそこに何か人生の参考書的な内容を探してしまいがちなのだけど、ニイルスの生涯には私たちにとって何かの役に立ちそうなものは見当たらない。ただ一人の男が生きて死んだ。それだけだ。そこには何ら特殊なものはない。彼は理想に殉じた訳でもなく、意識的に何かを探し求めた訳でもない。目的も成長もない。おそらく人類の歴史上何億回と繰り返されてきた何の変哲もないひとつの人生に過ぎない。おそらくこの作品に何か特殊なものがあるとすれば、それは人生をそういうものとして容赦なく書き切ったヤコブセンの姿勢にこそある。どんな生を歩もうが人はいつか死ぬ。その人の生きた痕跡が残るのはせいぜい同時代人が生きている間までで、世代が変われば人の存在はまったく忘れられてしまう。それはモーツァルトだろうが乞食だろうが変わらない。なるほどモーツァルトの作品は永遠の命を獲得したかのように見える。しかしそれは仕事であって人間ではない(仕事の中に魂が篭っている云々は承知の上で敢えてこう書きます)。ひとりの人間としてのモーツァルトの笑い声を記憶している者は今日では誰もいない。その意味ではモーツァルトと無名の同時代人との間には何らの差異もない。ヤコブセンが描いたニイルスの人生も、そのような忘れられる運命にある只の人生だった。しかしヤコブセンは人生を徹底的に突き放して描くことで、そこに普遍性を与えている。ただ、地球上で人は生まれ、人と関わり、そして死んでいく。それが永遠に繰り返される。良いも悪いもない。意味があるとかないとかでもない。ただ、人は生まれ、生きて、恋をして、やがて死んでいく。それだけが絶対の事実としてある。彼の生にどんな意味があったかなどとヤコブセンは問わない。ニイルスは生きていた。他の何億もの人々と同じように。あるいは、私たちと同じように。
◆
○○学園××科 4話 [あずまゆき/Youngキュン1月号]
ここまで完璧な世界を構築されると悲しくなってしまう。ここで描かれているのはほとんど私の究極の憧れの世界なのに、入り込む隙がない。それゆえに、萌えたり幸せを感じたりするのを飛び越してしまう。後にはただ、決して手が届かない世界への苦しい憧れと寂しさだけが残る。まったくなんて漫画を描いてくれるんだろう。キミエソの蛍シナリオのあの悲しさを再び味わわなくてはならないなんて。
2002/1/2 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#02
◆
寒いと思ったら雪が降ってたのね。
ごく短い時間だったけど。
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セブンイレブン行ったんですよ。セブンイレブン。
そしたらなんか、ゴルゴのイラストが入ってるコンドームが売ってるんです。
それで更に近づいてよく見ると、ミスは許されない、とか書いてあるんです。
もうね、阿呆かと。
俺を笑い死にさせる気ですか。
◆
萌え文集に寄せて。
大昔、まだ日記を誰にも見せずに大学ノートに書き綴っていた頃。
『かように思い通りにならない“私の心”とは一体なんだろう…?』なんて書いたことがある。『私の心』なんて言い方があるけど、心というものは本当は所有物ではない。少なくとも持ち主の思い通りになるような存在ではないという意味で。『私の心』とは、否応なく私が担うしかないあるもの、だ。私の心は私が担うしかない。他の誰もそれを肩代わりすることはできないし、そもそも他人が存在を確認することすらできない。ただ自分自身を参照して他人のそれを想像できるだけだ。自分を基準に考えるしかない以上、ある人にとって切実な問題が別の人には取るに足らないことに映る場合も当然ある。
萌え文集を読んでみて感じたことは、結局、私と他のらむちゃメンバーとで違っていたのは『言葉』だけだったのだな、ということだった。私は以前から『萌え』と『好き』は別物だと考えてきたし、今もそれは変わらない。『萌え』というのは簡潔に言えばトキメキの感情のことだ。それは熱しやすく冷めやすい。萌えとは単に心のトキメキを表す言葉でそれ以上のものではない。だから萌えは人間に対しても二次元キャラに対しても動物に対しても無機物に対しても起こる。萌えはトキメキなのだから、それは単純に満ち足りた感情だ。
ところが『好き』はそうではない。好きになるのは幸せであるのと同じくらい苦しいことでもある。好きという感情は自分の意思とはまったく関係なく突然やってきて私達に取り憑き、私達はそれに対してなす術がない。切実な萌え、などというものはこの世には存在しない。が、切実な好き、は確かに存在する。本気である限り、好きという感情はいつも楽しくまた苦しいものなのだ。対象が人間であれそれ以外の何かであれ、それは関係ない。例え対象が二次元の存在であったとしても、好きになってしまったらアウト(自分ではどうにもならないという意味で)なのだ。
文集の話題が出た当初、私は萌えの文章化に疑問を覚えた。そんなものが印刷される価値を有するのか?と思った。『キャラ萌え』を語ることに苛立ちすら覚えた。しかし本当は私と他のらむちゃメンバーとの間には違いなんてなかったのだ。萌え文集に集められた文章はみんな真面目だった。真面目に誰かのことが好きで、その苦しさを担ってなお幸せそうだった。私が『好き』と呼んでいた感情を他の方は『萌え』と呼んでいたという、ただそれだけのことだったのだ。呼び方が違っているだけで、私たちは最初から同じものを共有していたのだ。私は好きと萌えを混同して用いることには賛成しないが、ただ、萌え文集の中で、メンバー諸氏の真面目な気持ちの存在を確認したことは素直に嬉しかった。
2002/1/1 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2002-01.htm#01
◆
正月早々…。
リーフがネタ[ABYSS BOAT]をかましたりとか。
シスプリキャラコレ[衛/春歌]を買ってきたりとか。
猿のようにみんごる3をやりまくったりとか。
なぜか VIX_21 でファイルのコピー/カットができなくなっちまったとか。
とあるファイルを落とすために久しぶりに串探しに時間を費やしたりとか。
MPEG化してあったアニプリをうっかり消してしまったとか。
ニューイヤー駅伝を観たりとか。
まあごく普通の一日。
駅伝自体は私は特に興味はないのだけど、子供時代の大半を過ごした町をテレビの画面を通して見るのはなかなか感慨深いものが。具体的な場所は内緒だけど、今日の駅伝コースの道の一部は子供だった頃の私の通学路でした。小学校一年から中学卒業まで、何千回も歩いた道。
今年はドキュソな言動をしないよう頑張ります。
あと、当サイトは今年もとらハシリーズ溺愛の方向でいきます。
主要脳内家族は、なこるる(妻)まひる(妻)瑞佳(妻)那美さん(妻)小鳥(娘)花穂(妹)。
文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp