鬱と電波と萌えな日記



はじめに.

 書いてる人(しのぶ)は基本的に情緒不安定な人ですので、日によって鬱な内容だったり毒電波が混入してたり下品な文章になったりすることがあります。合わないと感じましたら、読むのをお止めになることをお薦めします。

 日記内では、ゲームや漫画等のネタバレがしばしば含まれています。ネタバレ時は赤字にてその都度注意書きを加えますが、忘れることもあります。その旨予めご了承ください。


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2001/7/31 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#31


 お仕事が修羅場ってて時間がありませぬ。

 GIRLFRIEND を読む時間はあるけど。


 眠れないでごろごろしてるうちにお腹が空いていよいよ眠れなくなってしまったので夜食。とりあずお湯が沸くまでの10分だかを使って書きもの。


 思うに。
 好意を示されるたびに不安になるのは、多分、好意によって生じるものを敏感に感じ取ってしまうからなんじゃないか。つまり、好かれることによって嫌われる可能性が生じることが、私は恐いんだと思う。最初から好かれなければ嫌われる心配もないわけだし。


 1ねん3くみ桃ちゃん先生。 [ひな。/角川書店]

 梨村さんが素敵です。

 人を好きになるのに資格なんて要るかーっ!! (P.164)

 って場面、すごくいい。ていうか俺も殴ってくれ。もし私が殴られたら『テメエなんかに何がわかるんだコノヤロー!!』って言って殴り返すだろうけど、それに屈せず更にぶちのめして欲しい。ぼっこぼこになるまで。そうしたら、私はその人の言葉を信じます。一生。

 この作者って、本当に純粋に、可愛いものや綺麗なものが好きなんだと思う。例えば私のような人間にとっては、可愛いもの綺麗なもの美しいものは、空気のようなものだ。私は普段、水の中で生活している。当然、人間は水の中で住むようにできていないので息苦しくなる。だからどうしても、時々水から顔を出して新鮮な空気を呼吸する必要がある。私にとってフィクションの世界は新鮮な空気だ。でも、この作者はそうではない。私と違って、この作者は現実に対する反発がない。私は水の上に顔を出したとき、それまでの息苦しさを取り返すかのように貪欲に呼吸するのだけど、この漫画の作者は現実に息苦しさなど抱えてはいまい。別にこの人に悩みがないと言っているんでは勿論なくて、この人は現実の中に普通に生きていて、ごく普通に美しいものが好きな人だ。私のように、虚無感の反動で美しいものを愛するのではない。もっとずっと自然に、美しいものを愛でる人だ。フィクションというものは多かれ少なかれ作者の夢の反映だ。しかし夢が反映された作品には実は二種類ある。現実に対する反発によって生み出されたものとそうでないものと。ひな。という人は私の見るところ後者だ。この人の漫画には不思議なほどに悪意がないし、一見するといかにもオタク受けしそうな漫画なのに、この人の描くキャラクターには欲望に彩られた色気のようなものがまるでない。この健康的な感覚は非常に心地よい。安心する。


 今まで隠してましたが、実はわたくし、ちっちゃい胸もおっきい胸も両方好きなんです。よって咲耶おっけー。


 気がついたら30分ぐらい経ってました。アホか俺。


2001/7/30 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#30


 さすがに愛想尽かされたかも。一部の方々には。
 自分が正しいなんて微塵たりとも思ってないけど、でも譲る気はなし。

 拒絶、という形で私内部で既に決着してる問題なのでweb巡回はせず。

 別に勢いだけで書いたんじゃないし。これでも丸二日考えたし。


 GIRL FRIEND [みたおんしゃ/コアマガジン]

 私は今まで“ぱんちゅ”とか“ちっちゃいおんなのこ”とかについては普通に可愛いと感じる程度で、それ以上の萌え感情とかは持ってなかったんですが、この本を読んで何かが壊れました。今や(俺的に)時代はぱんちゅです。

 PINSIZE風味のちっちゃいおんなのこに萌える人は絶対に買うべし。萌え死んでも私は責任取れませんが。

 …あと2冊買って全部のページをバラして壁一面に貼れたら幸せだろうなあ。


2001/7/29 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#29


 午前3時頃。


 ふふふ。
 らむださんにずるいと言わせたぜ。
 ガッツ!と躊躇いがちに勝利のポーズ。(by遠野美凪)

 ところで森沢優の怪獣って懐かし〜。


 とらハ3の那美さんのような妹、がいたら…複雑だなあ私としては。妹ではいくら仲が良くてもある一線は超えられない(ぶっちゃけた話、けっこんできない)わけですし。まあでも、那美さんのような妹がいたら他の女性になど見向きもしないでしょうけどね(笑)。

 妹の夢はホントに偶然なんですけど、確かにすごい偶然かも。

 以下、独り言。
 ところでリンクされてた2ちゃんねるの某スレッドを通して読んでみたんですが、世間では、妹に“お兄ちゃん”って呼ばれている人って意外と少ないのかしらん。私の妹[25歳/21歳]はふたりとも小さい頃からずっと私のことを“お兄ちゃん”と呼んでるんですが。私もそれが普通なんだと思ってました。もちろん今でも会うとそう呼ばれます。ていうか単に2ちゃんねるの人たちが特殊なだけ? 妹に嫌われるっていうのも私はよく分からない。私と妹はまあ特別に仲が良いという訳ではないけど、少なくとも仲悪くはないです。普通にお話ができる普通の兄妹。萌えたりなんかは全然しませんが。

 もうだいぶ前、ナディアの何話だったかにエレクトラさんの入浴シーンがあるのを月間OUTを見て知って、その話を妹にしたら、『あーナディアだったらビデオに取ってあるよ、多分その回もあったと思う、観てみる?』と言われました。そんな感じ。平凡すぎて面白くもなんともないですね、ごめん。


 土方さんの日記[7/28]から飛んで、こちら。

 論旨が少々ぼやけてる気がするけど、ウェディングドレスとメイド服を関連付けて考察しているところが興味深いです。メイドさんが理想の女性の象徴っていうのはかなり同意。使い古されて手垢の付いた表現だけど、メイドさんっていうのは簡潔に言ってしまえば処女性[穢れなきものの象徴であると同時に保護者を必要とする存在]と母性[自分を無条件に受け入れてくれる存在]とを完璧に兼ね備えている存在として定義されるので。とりあえず例としてとらハ3のノエル。何気に宣伝。

 ところで、メイドさんと貧乳との関係。貧乳を定義する第一の要件は、少女の自身の胸への意識です。とするならば、貧乳とは少女の憧れ−可能性に満ちた未来への憧れ−の象徴であるとも言えるでしょう。貧乳が我々の心を捕らえてやまないのは、そのためらいがちな曲線、ほのかな膨らみが、まだ何も知らず、来るべきものを予感して未来への憧れに打ち震えているからです。貧乳とは無垢の象徴でもあり、それはメイドさんの処女性と一致します。従って、メイドさんと貧乳とを並べて記述した土方氏は正しいのです。

 …ここまで書くともはや嫌がらせかもしれず。ネタってことで許してください(笑)。>土方さん

 でも、まゆたんは俺のなのであげません。


 午後5時頃。秋葉原から帰宅。


 秋葉原で買ったもの一覧。

01) My fair Angel  [Studio e.go!]
02) CONCERTO  [SUCCUBUS]
03) コミックマーケット60 カタログ
04) お姉さまの逆襲  [ほしのえみこ]
05) 1ねん3くみ桃ちゃん先生  [ひな/角川書店]
06) ろくぶんのいちまいはに〜  [薄荷屋]  
07) 愛玩少女  [桜桃書房]
08) コミック アリス コレクション vol.1  [コアマガジン]
09) いいコじゃいられない!!  [江森美沙樹/コアマガジン]
10) GIRL FRIEND  [MITAONSYA/コアマガジン]
11) 先行者ゲーム  [有限会社SNC]
12) SAKUYA -YOUNGER_SISTER-  [おかしら総本山]
13) 神威  [SITER SKAIN]
14) 鷹城唯子の海鳴RADIO!  [DISCOVERY]
15) TRIANGLE HEART’S SOUND STAGE 3 “Sweet Songs memories”  [DISCOVERY]






2001/7/29 (日) その2
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#29b


 こんなことは書くべきではないんだろうけど。みっともない上に迷惑千万だし。でも書く。

 ごめんなさい。28日の日記に書いた最終兵器彼女に関する記述は嘘です。あれは不快感を隠すためについた嘘なんです。この文章を読んだ時私は最初に不快感を覚えたんですが、ただそれを認めたくなかったのと私の臆病さが災いして、なかったことにするためのアピールとしてああいうことを書いたんです。

 私は最終兵器彼女が好きです。作品としては。もし嫌いであるとすればそれは私の胸の痛みのせいなんかじゃなくて、あの作品世界がちせを泣かすからです。ちせを泣かすあの世界は嫌いです。でも作品トータルとしては好きです。あの容赦のなさに心を奪われる自分がいることは絶対に確実ですから。

 KISAさんの“嫌い”表明は、理性としてはまったく同意なんです。が、感情が付いていかない。最終兵器彼女の話題が出るのはなにも今回が初めてではないはずなのに、なぜ選りにも選って私が読んだ直後にそういう表明が飛び出すのか。納得行かないのはその点です。

 どうも、私が何かへの好意を表明するのは一部の人に快く思われないみたいで。『天使のお仕事』の時といい『美凪シナリオ』の時のといい『最終兵器彼女』の時といい。嫌いだとかあるいは批判的な発言をして反論とかされるのだったら分かるんです。内容を受け入れるかどうかは別にしても、その態度は理解しやすい。自分の好きなものを嫌いと言われて気持ち良い人なんているわけないので。でも、好きだという表明に対して狙いすましたように反対意見らしきものが出てくるのは私の理解の外です。なぜわざわざそういう表明をするのかが見えてこない。もしそこに理由があるのだとしたらその理由を私は自分への非好意だと解釈する以外にありません。自分が間違っていると分かっていても心のバランスを取るためにそうせざるを得ない。

 好きとか嫌いとかその他どんな意見でも表明していけないなんてことは絶対にない、のは当然のことです。ただ、表明するタイミングが問題です。例えば『天使のお仕事』で描かれていることが受け入れられなかったのなら、なぜゲームをやった時に表明しないのか。なぜわざわざ私がある作品に触れて充実している時に水を差すようなことを言うのか。それが、まあ…気に入らないのです。今回のことといい。

 差し当たり、君が望む永遠については興味失せました。まゆシナリオのためだけに買うとは思いますが。


2001/7/28 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#28


 妹に押し倒されてぎゅーってされてすりすりされた挙句、

 えへへっ、お兄ちゃんの匂い…好き…

 と言われました。
 …夢の中で。

 死にたい。ていうか殺してくれ。
 萌える夢なんて年に数回しか見られないっていうのになんで“お兄ちゃん”なんだ。俺に対する呼称として使用可なのは“パパ”もしくは“お父さま”だけです。それ以外は不許可なんだってばよー。ゴルァ。ああもったいないことをしました。色々な意味で。ついでに、この後18禁な展開になったんですが途中で目が醒めちゃいました。なんかの呪いですか?

 ちなみに、特定のキャラとかじゃなかったです。なんで妹だって分かったかというと私のことをお兄ちゃんと呼んだからです。私のことをお兄ちゃんと呼ぶ以上、目の前にいる少女は妹なんだろう、と。


 怒首領蜂のスコアアタックが終わって時間とお金が結構余るはずなので、会社が斡旋している通信教育の講座を申し込んでみたり。ドイツ語初級。9月スタートの3ヶ月コース。会社の斡旋なので受講料が半額で済むのも美味しい。もちろん修了証を貰うことが条件だけど。

 私のドイツ語知識は実は独学で、NHKラジオの講座を数ヶ月やり込んで後はひたすら辞書片手にシューベルトやらモーツァルトやらを聴きながら勉強したので、スキルなどと言えるほどには全然身についていなくて、まあ今後のためにも基礎ぐらいは固めておいたほうが良いでしょうと考えた次第。


 ダフニスとクロエ、と聞いてまっさきに“筆おろし”のシーンを思い出してしまう私は逝ったほうがいいでしょうか。エロゲーで筆おろし描写ってあんまりないですよねそういえば。いっそ筆おろしゲーとかあっても面白いかも。主人公は綺麗なお姉さん。で以下略。差し当たりはフォークソングのあの3人の筆おろしをしたくて堪らないのですが。

 らむだ氏&美森氏による対談。

 ちょっと遅れたけど読んでみました。
 ちょっと感動。いや、マジで面白いです。

 “貧乳”が単なる視覚的なサイズとはなんらの関係もないというのはまったくもって同意なのでありまして。胸がないから貧乳などとのたまうのは浅慮であると言わざるを得ないでしょう。貧乳という要素を決定するものは、まず第一に『本人が気にしているかどうか』だからです。我々は胸という一個のパーツに萌えているのではなく、あくまでも思春期の少女を構成する一要素としての胸に萌えるのです。胸はそれ自体では単なる胸に過ぎない。そこに本人の意識が入り込んだ時、初めて胸は萌える記号になります。例えば、ひとりの少女が自分の胸を見遣りつつ、はぁ…なんでわたしの胸って成長しないんだろう…と溜息をつく。真の貧乳とはそういうものでありましょう。

 ところで成長期にある少女の、まだ可能性を秘めている胸に対して貧乳という言葉を使うのは妥当なのでしょうか。私には未だよく分からないところなのでありますが、ただ、ある時点でひとりの少女が自分の胸にコンプレックスを抱いていればその状態は十分に貧乳萌えの要件を満たしているとは考えられます。貧乳を構成するのは直線であるべきなのか、それともほのかなふくらみであるべきなのか、という問いがあの対談の中で提示されていますが、私はむしろ、直線から曲線への“うつろい”の中にこそ、貧乳の美しさが潜んでいるように思われてなりません。思春期の少女の胸というのは成長の可能性を内包しているわけですが、我々はその可能性を無意識に感じ取っているからこそ、いずれ失われる運命にあるほのかな膨らみに言い知れぬ魅力を覚えるのではないでしょうか。

 ………さて、寝言をこいたところで正気に戻って。
 対談おつかれさまでしたー。>らむださん、美森さん。

 ところで娘ゲーの話ですが、とりあえず『マイフェアエンジェル』をプレイするのはお父さまとして義務だと思われます。私は当然やります。最近仕事がちと忙しくなってきて時間的にキツイのですが、きみえそを先送りにしてでもあれはやらないといけません。しのぶ的に。あと、SNOW は桜花目当てに購入。きみえそはまゆたん目当てに購入。これもパパとしての義務。

 娘萌えゲームといえば、往年の名作、DESIRE なんかもかなり良いかも。

 あと、話は変わりますが、田辺聖子の『新・源氏物語』ってご存知でしょうか? 源氏の現代語訳ではなくて、もっと自由に現代の小説風に書き換えた源氏物語なんですが、小説というジャンルに限っていえば、これ以上に萌えるものを私は他に知りません。まあその、らむださんにはぜひお薦めしたいのです。お時間があれば。ちなみに無視してくださっても全然おっけーです。“お薦め”によって相手を束縛するのは本意ではありませんし。


 最終兵器彼女に関しては KISAさんの意見が私の感じているものと割と近いと思う。好きか嫌いかで言うなら、私はあの話嫌い。でもあれは好き嫌いで語ることを躊躇わせる凄みがある。


 色々迷ったけど、なのはの抱き枕カバーが欲しいのでコミケ逝き決定。仕事の都合で徹夜明けになっちゃうだろうけど、頑張って10日の朝から並びます。買ったら速攻で帰る。んで寝る。もちろんなのはと一緒に。

 備忘録。
 明日、秋葉原で買う予定の物。

01) コミケカタログ
02) 吼えよペン
03) 同人誌色々
04) 同人ソフト色々
05) ホームページデザインの本、適当に1冊
06) マイフェアエンジェル (売ってたら。ていうか発売してるんでしょうか)


2001/7/27 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#27


 最終兵器彼女 1〜5巻 [高橋しん/BIGCOMICS]

 寝る前に一冊だけ、と思って読み始めたら最後まで行ってしまった。やべえ、眠れないかも。
 なんかヤツラのバカっぷりを見てると AIR を思い出すんですが。

 降参、とだけ今は言っとく。


2001/7/26 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#26


 ダンテの神曲は天国編のタルさに耐えきれず挫折したんですが、あれがぱんちゅが飛びまわるような話だったらちゃんと読めてたかもしれないなあ。ベアトリーチェ[9歳]萌え。ていうかファウスト2部のヘーレナ[8歳だっけ?]といい、ロリコンの歴史は結構古いのですか兄チャマ? 以上、挨拶。


 レンの『負けたらこの家から出ていってもらう』というセリフも触れられたくない部分に踏み込まれたからこその苛立ちもあるとは思いますが、それとは別に踏み込んだ晶に対して無意識的にその本気度合いを確かめる意味合いもあったんだろうと考えてます。 IDさんの日記[7/23]

 とらハ3話を読むとつい飛びついてしまうわたくし。
 (しのぶのレンシナリオ語りは自動的に自分語りに直結するので注意のこと)

 本気度を確かめるっていうのはまさにその通りで、更に言うと、あの時レンは本当は晶に打ちのめされることを望んでいたんだと思うのです。レンはあの時、同情されるのが嫌で嫌でしょうがない状態にあって。実際には誰かがレンに対して同情してたりした訳ではないんですが、恭也の言葉さえあの時のレンにとっては同情以外の何物でもなかった。あの時のレンにとっては、優しさは同情でしかなかった。優しくされればされるほど、自分が惨めに思えてしまうような状態にあったからです。あの時のレンが一番欲しかったものは、優しくしてくれる誰かではなくて自分を対等の存在として見てくれる誰かだったのであって、だからこそ恭也はあの時役立たずにならざるを得なかった。『負けたらこの家から出ていってもらう』という台詞は、まさにレンの魂を込めた言葉です。あの台詞は晶に対して覚悟を問うものです。これはもう完璧にレンのわがままなんですが、あの台詞に込められたレンの真意は『わたしのことを本当に想ってくれるならわたしを力ずくで打ち負かしてみろ』という辺りでしょう。例え不条理に見えようとも、レンがもう一度誰かの言葉を信じることができるようになるためには、どうしてもそういう経験を通過する必要があったのです。

 あと、話は違うけど、レンと晶の関係が定番っていうのも結構同感だったり。ていうか、ああいう関係のキャラがとらハシリーズで今まで出てこなかったのが不思議なくらい。


 おっぱいがいっぱい。青葉城の日記[7/25]

 ぼくがのんで いもうとがのんだのに
 ちっちゃくならない ままのおっぱい
 おふろのなかで さわらせてもらったら
 ○○みたいにやわらかだった

 …この辺りまでしか憶えてないなあ。男の子から絶大な支持があったかどうかは私は知らないけど、でも聴けるならもう一回聴いてみたい歌ではある。画面付きなら尚良し。確かおっぱいが飛びまわるような画面をうっすらと憶えてるんだけど。なんにせよ、これが『懐かしの名曲』であることに異存のある人はいないでしょう。

 私はでも、実を言うと『ひらけポンキッキ』よりも『おはようピンポンパン』の方が印象は深いんですよね。ていうか、ポンキッキって朝8時からなんで、朝8時か最悪でも8時15分に家を出ないと小学校に遅れてしまう私にポンキッキが見られるはずもなく。ピンポンパンは7時から(7時半からだったけ?)8時前ぐらいの番組だったから、毎朝、朝ご飯を食べながら家族で観ていたんですが。そしてそれよりなにより、ピンポンパンに出場したくてしょうがなかったです当時の私は。分かる人は既にニヤリとしているでしょうが、あの番組の最後で、出場した子供たちがおもちゃを貰えるんですよ。なんかハリボテのでっかい木みたいなのがあって、その木の根元に穴が空いてて、その中におもちゃがいっぱい入ってて。で、番組の最後に、子供たちが一斉に木に駆け寄って、中に入っておもちゃを持って出てくるんです。あれはもう、当時の私には最高の憧れでしたね。


2001/7/25 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#25


 フルーツバスケット 1〜6巻 [高屋奈月/花とゆめ]

 最近なんかこう、心の内を見透かされるような話ばっかり読んでる気がする。
 りりチャのミニシナリオとか、きみえそ体験版とか、今回のフルバとか。

 フルバの透ってスタンス的には Honey のちーちゃんなんだけど、でもちーちゃんほどには響いてこない感じ。うーん、フルバ大好きな人には申し訳ないんですが、ここまでストレートにやられると引いてしまうんです。勘違いしないで欲しいのだけど(←架空の相手に向かって喋ってます)、私は別に癒されたいとか慰められたいとか望んでるわけじゃないのです。

 毒を食らわば皿までなんて言葉もあることだし、今まで避け続けてた最終兵器彼女とか読んでみようかしら。いや、あの漫画ってなんか読むとダメージ受けそうな気がして今まで敬遠してたんですよ。単なる勘なんですが。


 やまさんの近況[7/25]へ軽く反応。

 後半のほとんどの部分にそのまま同意なのですが、ただ体験版をやってみての印象と、その後おそらく語られるであろうエピソードを想像してみる限りでは、きみえそ本編の成否を決定するのは…という言い方が不味ければ、きみえそ本編が作者の望む形でプレイヤーのところに届くためには、プレイヤーが遥に萌えていることが絶対条件なのではないだろうかという気がしています。遥に萌えるかどうか=孝之に感情移入できるかどうか、がそのままゲームの評価を分けてしまうのではないか、ということです。

 体験版が遥というキャラの刷り込みのためにあったという意見にはまさに賛成なのですが、その体験版が異常とも思えるぐらいじっくり描き込まれているのはなぜかということを考えてみる時、つまり本編に対するプロローグにあたるはずの高校時代[体験版]の日々をあそこまで細かく描き込んだことに明確な意図が込められているとしたらと考えてみる時、本編は遥という個性を抜きにして(遥が登場しようがしまいが)は成立し得ないのではないかと容易に想像されますし、ということは、孝之が過ごしたあの夏の日々をプレイヤーが“かけがえのないもの”として受け取れなかったらあのプロローグの目的は果たされないし、そうなったら本編ではおそらくプレイヤーと主人公との心情は乖離せざるを得ないでしょう。あの夏の日々が(プレイヤーにとって)かけがえのないものであればあるほど、本編はいよいよ大きなうねりを持ってプレイヤーに迫ってくるのではないか、と私は期待しています。

 体験版は本編のための“仕掛け”なのではないだろうか、というのが現時点での私の考えです。つまり、体験版で感じた世界を引きずったままプレイすることこそ、製作者の望みなのではないかと思うのです。

 ちょっと自虐ですが、しかしまあ私の見解も仮定の上に仮定を積み重ねるような程度のものではあります。製品版はおそらくこのようなものだろうという仮定に基づいて体験版の位置付けをしようというのですから。無謀というか。


2001/7/24 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#24


 今日は午前9時から午後3時半まで寮内の変電設備(?)の一斉点検のため停電。クソ暑い部屋で過ごすなどまっぴら御免なので、私立図書館やら漫画喫茶やらで延々時間つぶし。

 図書館で読んだのは、アナログ録音とデジタル録音との違いについて、みたいな内容の本。タイトルはなんだっけかな。確か、CDを聴いていると音痴になるとかなんとか、割と挑発的なタイトルだったような。肝心なところはよく分からなかったのだが、要するに、CD(デジタル録音)よりもLP(アナログ録音)の方が再生の忠実度が高いという説があってそれを検証する、みたいな内容だった…と思う。

 漫画喫茶ではパトレイバーをまとめ読み。8巻から22巻まで。15冊読むのに2時間半ぐらい。


 巡回ルートHTMLファイル(ネスケのスタートページ)を更新。日記系を新たに10箇所ぐらい追加。全部で36箇所。もっとも毎日欠かさず見るのは5箇所程度なんですが。

 ところで久しぶりに IE4.0 で巡回してみたら、いくつかのサイトのデザインが普段見慣れているものと全然違うのでびっくり。とくそんさんのところはネスケで見ると白背景なのがIEで見ると青背景だったりとか。Wayneさんのところに至ってはもう全然別のサイトってぐらい違う。ていうか、Wayne’s Diary の本来のデザインって今日初めて見ました。Java Script とかスタイルシートを常時オフにしてるから気がつかなかったらしいです。


 蜂6億に関しておめでとうを言ってくださった、黒須さん、とくそんさん早瀬さんWayneさんかざみあきらさん(初めまして、でいいんですよね?)、どうもありがとうございます。あーえと、なんかそっけないですが、嬉し涙を流して喜んでま…(ゴトッ)。…あ、ヤバ。目薬が…。(←とらハ3をやってないと意味不明なネタ)


 告白。

 うわー。
 なんて言ったらいいのか、なんか行間から光がキラキラあふれてる感じ。色々な意味で素敵です。

 上手くいくようお祈りしております。ていうか上手くいって欲しいなぁ。
 なんでって言われると困るけど。

 あと、ティーカップっ子はありがたく頂戴します(笑)。
 まあ、愛があれば。ぬるくても何ら問題はないです。ひとつ気掛かりなのは、ちっちゃい娘だとたまに私の服にうっかり零してしまったりして泣き出しちゃったりしないだろうかとか。泣かれると心が痛みますし。

 …いやしかし。

 『ほら、もう泣かないで。雛子は、ぼくのために頑張ったんでしょ? ぼくはそれだけで嬉しいんだから』
 『くすん、ごしゅじんさま、怒ってない?』
 『怒るわけないじゃない。それよりぼく、喉が渇いちゃったんだけど。もう一回飲ませてくれる?』
 『でも、いいの? 雛子で?』
 『雛子に飲ませて欲しーの』
 『…うんっ!』

 とかいう展開になる可能性があるのだとすれば悪くないかもしれず。どうでもいいですが、『雛子』は仮名です。


 精神年齢…のことは置いておいて。とくそんさんの24日分のリンク先のなのは。

 見るんじゃなかったと激しく後悔。
 これはもしや、○年振りにコミケに逝けという天からの啓示ですか? ただ、私は1日目[8/10]は仕事が入ってて絶対に行けないので1日目で売りきれちゃったらアウトなんじゃないだろうかという心配もあるんですが。3日間で分割して売るんだったら望みはあるかもしれないけど。


 君が望む永遠 体験版 [age]

 読了。
 見るんじゃなかったと激しく後悔、其の二。

 そうですね。
 現時点で何か言うことがあるとすれば…。

 俺にとってこれはエンターティメントじゃないです。そういう風に割り切って楽しめないと思う。多分。これについて何か感想や批評や考察めいたことを書くのは自分を裏切ることのような気がします。いや、それよりなにより、私が何か書くことであの世界に傷をつけるかもしれないことが恐い。

 俺は遥に萌えることは許されません。自分に対してそれを許さない。遥は孝之のだからです。私個人の認識としては、遥は孝之のものに“なってしまった”のですが、そう考えることがすでに世界に対する冒涜です。

 私はあの世界に入りこめない。でも、あの世界の方が私の中に入ってくる。いや、入ってくるというより、私の中の何かを強烈に刺激するというべきなのか。

 ゲーム本編の購入&プレイはかなり微妙になりました。


2001/7/23 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#23


 今更ながらえここがマイブームです。ひとり欲しいです。責任取ってください早瀬さん。


 CoCo壱で昼食。確かここ1週間でもう5回目ぐらい。

 食べるメニューはいつもだいたい固定で、『シーフード』もしくは『えび煮込み&きのこ』+『野菜サラダ』辺り(いずれの場合も200g)なのだけど、今日はちょっと気分を変えて夏限定メニューの『フルーツカレー』なるものを頼んでみたり。

 感想。もう二度と食べません。何が悲しくてフルーツ[バナナとかパインとか]をおかずにご飯を食べなきゃいかんのだ。


 怒首領蜂のスコア。記念撮影したやつが仕上がったので掲載。こちら。

 もちろん店員さんの許可を得て撮影しています。親父の一眼レフを借りてかつ高感度フィルムを買ってきた割にこの程度というのは情けないかも。や、カメラなんてド素人だし。


 Sister Princess (MediaWorks)

 白雪狙いで進めたもののなぜか玉砕。なーぜーだーっ!!(byまひる)。
 それにしてもなぁ。

 にいさま、明日は何が食べたいですの?
 あ、でも。姫が食べたい、っていうのはナシですのよ〜。


 本当にあるんですよこういう台詞が。狙ってるだろ? 絶対狙ってるだろ?
 ていうかそういう同人誌は一冊持ってたりしますが。姫がデザートですのよ〜ってやつ。


2001/7/22 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#22


 わたし、がんばったよね
 …もうゴール、してもいいよね?

 ごめんね、おかあさん…
 でもわたしは、全部やり終えることができたから

 だから、ゴールするね


 …という訳で、怒首領蜂

 623,525,660pts.

 悲願の6億点、遂に達成。
 長かった。結局丸4年掛かったけど、やめなくて良かった。本当に。クリアした時、思わず手を叩いてガッツポーズしちゃいました。こんなに嬉しかったのは初めてクリアした夜以来。

 以下、内容。

[面] [HIT数] [クリア時スコア]   [蜂アイテム] 
1-1 192 61 368万
1-2 501 1995万
1-3 111 74 66 3920万
1-4 700 7450万
1-5 839 13000万
1-6 732 19300万
2-1 193 61 21600万
2-2 495 25600万
2-3 108 ?? ?? 31?00万
2-4 688 38800万
2-5 53? 48000万
2-6 762 59000万
2-7   ---   62300万

 1周目、1-5終盤コンボ切れで200万落ち。
 2周目、2-5前半295HIT目でなぜかコンボ切れ。推定2000万落ち。2-6ラストの大型戦車×2までノーミスノーボム。赤大型機(左)破壊後、青戦車とザコ戦車の弾を避けるのに夢中になっていたらいつのまにか大型戦車が2台とも出現してて妥協ボム。ていうか使わなきゃ絶対死んでた。2-6ボスの手裏剣で初ミス。2-6終了時、残5ボム0.火蜂戦スタート時、残4ボム4. 3ループ目の2番目途中で発狂(遅すぎ)。残2ボム2. ボムを使いきった後気合で避け切る。火蜂66HIT.残2ボム0でALL!!

 目標は達成したので、これで怒首領蜂は引退。
 プレイランドサミーの店員様、それから揚雲さん、今まで色々とありがとうございました。


 ここ2〜3日で購入したもの。

01) まんがライフ [竹書房]
02) まんがライフ オリジナル [竹書房]
03) まんがクラブ オリジナル [竹書房]
04) メガストア 9月号 [コアマガジン]
05) カラフルピュアガール 8月号 [ビブロス] 
06) DADDYFACE [伊達将範/電撃文庫]
07) お星様にお願いっ! 7巻 [藤崎真緒/花とゆめ]
08) そして君に会いに行く [高橋なの/OUTコミックス]

 吼えよペンは見つけられず。返信遅れてすみません。>うしとらさんWhiteさん
 島本漫画という時点で買う気満々なのですが、なんか地元の本屋では影も形も見えないです。


 昨日の『鬱』発言で、若干1名に心配をお掛けしてしまった模様。ごめんです。>早瀬さん

 昨日のアレは、なんというか、怒首領蜂プレイ中にCボタンが突然効かなくなってゲームにならなくなってしまったのが原因なのでありまして。今思うと、そのくらいで…と思わないでもないのですが。でも最近調子が良かったので、勢いみたいなものが削がれた気がして、不安で溜まらなくなってしまったんです。例えば全力で走っている途中で偶然石に躓いて転ばされたような感じ、かな。本当に大袈裟ではなく、未来への希望が閉ざされて目の前が真っ暗になった気がしました。やっとここまで来たのになんでこうなるんだ…みたいな。

 ちなみに、今日朝一で店に行って店員さんに話して直してもらったんですが、Cボタンに繋がっているハーネスの2本のうち1本が外れてたのが原因でした。


 カラフルピュアガール8月号

 エルフ新作のキャラデザって七瀬葵…げほごほ。
 それはともかく、特に目を引く新作がないのは不作なのか単に私がエロゲーに対する興味を失っているだけなのか。未だに頭の中がとらハモードだっていうのもあるんだけど。今のところやってみたいゲームとしては『マイフェアエンジェル』『CONCERTO』の2本が辛うじて候補に上がるけど、発売日に絶対買うぜゴルァ的な勢いは皆無。まあ売ってたら買いましょうか、ぐらい。


 Striderさんから、『丘ミキ』のヒロインは浅葉未来ですとの御指摘。
 なるほどそう言われてみればそんな名前だったような気も。ミシェール(おフランス語)と呼ばれてたことは微かに憶えているんですが。ダメじゃん俺。


 ところで今日は30台最後の日です。
 こんな30歳がいてもいい(許される)もんでしょうか。気持ち的にはというか精神年齢的にはまだ10代だと思ってるんですが。や、少年のようとか舐めたことを言う気はさすがにありませんよ。そんだけ未熟っていうかおこちゃまだって意味で。


2001/7/21 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#21


 鬱。


2001/7/20 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#20


 怒首領蜂。

 564,747,840pts. maxhit_836

 自己ベスト更新。長かった。むっちゃ長かった。

 以下、内容。
 1周クリア時、18200万。1-5ラストと1-6序盤が繋がらずかつ1-6中盤で稼げず1300万ほど落ち。
 2周目は順調に繋がって、2-5終了時48800万。2-6中盤の丸戦車ラッシュで切り返せずにミス。マキシマムx14消滅。2-6終了時残4ボム3. 火蜂戦開始時、残3ボム6. 残0ボム2でクリア。

 もうちょっと頑張ればいけるかも。夢の6億。


 明日も仕事につき、おやすみなさい。


2001/7/19 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#19


 那美さんが『那美』になってるのは、幼なじみで後輩だからです。意味不明ですね。


 今日は疲れたので蜂はお休み。
 明日以降の仕事と練習のため、今晩は少なくとも9時間は寝る予定。

 や、せっかく誘って頂いたのに申し訳ないのですが、明日も仕事なんですの。>得尊@Godsiderさん


 とらハ3話。その1.

 みんくりさんの日記[7/12]の晶シナリオ解釈。私は晶シナリオには全然心を動かされなかったのでここまで考えられませんでした。正確な解釈だと思います。読むべし。

 まあそのですね、正確な解釈は作品への愛なくしてはできないと思うのです。もちろん私見ですが。この晶シナリオ解釈はその点文句なく合格なのであります。まんせー。

 この人の日記面白いのに。せっかくだからアンカーつけてくれないかな。


 とらハ3話。その2.

 こちらの伏字部分を読むまで、りりチャのギャラリーの未公開設定資料集の続きがあることに気づきませんでした。表紙だけなのかと思ってたんです。私ってばホント莫迦。初期設定の那美さんは確かに可愛いですね。なんか幼なじみキャラみたいな雰囲気。あの外見に那美さんの性格でかつ幼なじみキャラだったらかなり美味しいかも。

 あと、りりチャCD1に入っている『おまけ』も遅まきながら確認。店頭デモ用ムービーがむっちゃ良い。フルスクリーンにしてもそこそこの画質だし、こっちの方が演出も気合入ってる。とらハ3のCDを3枚組にしてもいいからこれ収録して欲しかったな、どうせなら。

 私が以前書いたとらハ3のもうひとつの主題−受け継がれる思い−って、このムービーの中でテロップとして出てくるのね。ちょっと嬉しかったりして。自分の観察は間違ってなかったんだなーと思うとね。


 『吼えろペン』ってあの『燃えよペン』の続編とかですか? 気になります。続編だったらかなり欲しいかも。


 真琴(Kanon)をペットと解釈する意見は読むの初めてかも。示唆に富む文章です。色々と考えてみたい誘惑を感じる。


 最後に一個。

 らむださんズルイにゅ〜〜〜っ!!(魂の叫び)。

 やー、やっぱそーゆーネタは最初に言った者勝ちですし。
 という訳でまたもや負け>しのぶちゃんさま。くすん。


 今の流行的には『くすん』と言えば亞里亞(一文字ずつ変換)ですが、しのぶ的に『くすん』が可愛いキャラといえばなんといっても丘の家のミッキーのヒロインだったりします。ごめん名前が思い出せない。


2001/7/18 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#18


 怒首領蜂。

 火蜂戦は相変わらず惨殺ショー。(←惨殺されるのは俺のほうです、念のため)
 ここ2日で4回プレイ。うち、2周ALLは1回。が、ボム抱え死にをやってるのでまだまだ。

 1-5前半は撃ち漏らしポイントが発覚。とりあえず前半324HITはほぼ安定…のはず。終盤の3つ目の要塞はまだ改良の余地あり。ここでHIT数がだいぶ変わってきてしまうのでなんとかしたいところ。ボス戦も最近死亡率高し。パターンが狂った時のリカバーパターンをもっとしっかり作っておくこと。

 2周目の課題はやはり6面。前半、右のミサイル戦車破壊時は画面下で落ちついてさけること。別に慌てる必要なし。蜂[1.2]を取り損ねた場合、無理に取りに行ってはいけない。危険。中盤、紫ザコ地帯スタート時は右の青丸砲台を全部撃ってから左に移動すること。厳守。復活砲台地帯を抜けた直後の大型戦車は画面右端から左に移動しつつ撃ちこむパターンの方が安全。その後の切り返しはタイミングを完璧に覚えること。終盤、赤い大型戦闘機[左]破壊後は、そのまま下に下がって小さい動きで赤弾を避けつつ徐々に右へ移動。青戦車は左端の2台は無視した方が安全。


 兄チャマの推奨図書[そしてキミに会いに行く]を探しにブックオフへ。…見つからず。気長に探すことにします。しかし、OUTコミックス/みのり書房、って時点で探索は困難を極めそうな予感が。うぬぅ。


 らむださんの日記が実は日付毎にリンクを貼れることに今更ながら気づく。ソースを見なかったのは私の落ち度でした。という訳で、以前の参照リンク分のURLを修正。

 あと、別件で。
 フォークの子は、食べさせたあと、ソースのついた指を思わずなめてしまったり。…というのは、普通に読むと『女の子が自分の指をなめる』の意味っぽいですがどうなんでしょう。いやー私だったら、ちっちゃい指ごと『ぱくっ』とこう、いきたいなーと思うのですが。んで、こうぺろぺろと。その後、ふたりで顔を見合わせて照れ笑い。…えへへっ、みたいな感じで。更に、横にいる別の担当(?)の子がそれを見て『あー○○ちゃんずるーい、わたしもーわたしも食べさせるのー』とか。…ごめん、なんでもないです。


 ばんがいち9月号。

 ベイビィフェイス[黒妃夜子]がかなり好み。P.48の抱きつきシーン超萌え。この人の芸風ってどことなく都築テイストだと思う。この路線で行くのであればしばらく追いかけてみる価値はあるかも。


2001/7/17 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#17


 拝啓、シュバルリッツ・ロンゲーナ大佐殿。(※)

 お願いですからあんまりいじめないでください(涙)。


(※)
怒首領蜂のラスボス、火蜂に乗ってる人。
ゲームの設定では、プレイヤーキャラクターはこの人の部下なんですな。


2001/7/16 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#16


 昨日からかれこれ27時間ぐらい起きてるせいで頭の中が“生きててすみません”状態になってます。


 今週のジャンプは良くも悪くもヒカルの碁がすべて、という気が。オレで我慢してよ、のコマのヒカルの可愛いこと。あんな顔で何か言われたらなんでも言うこと聞いちゃいますよ私だったら。はにゃー。ごろごろごろ。

 あと、佐為が消えていくシーンの美しいこと。特にラストの見開きは鳥肌モノ。ほったゆみ&小畑健コンビの良いところのひとつは、出し惜しみをしない、というところだと思う。以前の例で言えば、プロ試験時のヒカルvs和谷戦とか。佐為だったらきっとこう打つ、みたいな描写。あの回は、あれで最終回だったとしても納得できてしまいそうなほど美しかった。今回といい、物語世界に吸い込まれるような感覚がある。

 ヒカルは今後どうなるのか。楽しみでもあり不安でもある。


2001/7/15 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#15


 咲耶は寝つけなかったので、なんとなく『沈黙の艦隊』など読んでみたり。あの漫画で一番魅力的なのは実はベネット大統領なんじゃないだろうか。人間臭さ、みたいなものが一番色濃く出ているキャラとして。


 午前9時起床。不在者投票をしに市役所へ。その後、部屋に帰って書き物…の予定だったのだが、あまりに眠いので再びベッドの中へ。午後3時にセットしておいた目覚まし時計のベル音で目が醒めるが、速攻で止めて再び睡眠。結局、起きたのは午後5時。前日分と合わせてトータルで12時間ぐらいか。


 萌えメーター。

 diary_new.htm についているあれは一見すると萌えメーターに見えますが、実のところはしのぶの精神状態をも密かに表していたりします。例えば『那美さん』がでっかくなってたらまず間違いなく鬱状態です。


 怒首領蜂。

 昨日今日の2日で7回ほどプレイ。
 (昨日の分の練習は合流前に済ませてしまっていたので、全然おっけーだったんです>とくそんさん)

 1回だけ、2-6で762HIT(4600万)が出るがそれ以外はいいとこなし。目下の課題は2-6パターンの再構築。昨日と今日の7回でノーボム突破が1回というのは酷すぎる。あと、今日は2-4道中のミスが2回。いずれも注意していれば防げたはず。反省。

 今日は1回だけクリア。4.5億。が、ボム抱え死にを2回もやってるので納得いかない。


 先週の日曜日から1週間、内緒で Index.html と diary_new.htm のアクセス数を計ってたんですが。

 Index.html が1週間で1680HIT.日平均で240HIT.
 diary_new.htm が1週間で1237HIT.日平均で176HIT.

 でした。
 日記の方は3月に計測したときは1日129HITだったから50HIT弱の増加。
 …カウンターの誤作動、と思い込むのはダメですか? ま、いいや。好奇心以上の意味はないので忘却決定。


 星の贈り物[7/11]を参照しつつ、個人的な萌え話。

 しのぶは萌え感情というやつを多分物心ついた時から普通に持っていたので、萌え感情というのは誰でも持っているものだと思ってました実は。もちろん、萌えという言葉を知ったのはまだここ数年なんですけど、そういう感情自体は以前から持っていて。萌えという言葉を初めて知ったのは確か3年ぐらい前なんですが、まだパソコンを買ったばっかりで、いんたーねっとってなあに?状態だった頃、たまたま読んだコンプティークにネット用語の解説みたいなものが載ってて、その中に『萌え』という項目があったんです。で、これはちょっと信じてもらえないかもしれませんが、この言葉と簡単な解説を読んだ時、瞬間的に『ああなるほど』と思ったんです。自分の持っているある感情にようやく名前が与えられた感覚というか。その時の感覚を敢えて言葉にするとすれば、ああそうか(ああいう感情は)こういう風に言えばいいのか、みたいな感じになるでしょうか。まあ、しのぶにとっては萌えというのはそのくらい自然なことだったんですが、それはともかく。

 あと、『萌え』って人間に対して使うとなんかしっくりこないですよね。萌える対象というのが常にフィクションであるのだとすれば、この言葉が『決して手の届く事の無い対象への恋愛感情』であることを、萌えという言葉を使う人は無意識のレベルで知っているのではないかとも考えられますね。恋愛であれなんであれ、人間関係を持つというのは常に相手に対して責任を持つことが含まれる訳ですけど、フィクション相手の場合にはその責任がなくて、より単純に恋愛の楽しい部分だけを享受できる、みたいなことがあって、それが『萌え』の正体なんではなかろうかと思ってみたりします。

 これは私の昔の日記[9/23]からの引用なんですが、萌えというのは基本的にはこういうものだと私は認識しています。ただ、今にして思うとこの説には誤りが一箇所あります。萌えというのは実は人間相手にも起こり得るんです。あのELYSIONの脚本を書いた藤木氏は『現実の人間に向かって、僕は君に萌えているんだ、と言う奴はいない』と、自身のサイト内のコラムで書いていますが、これは萌えという言葉を現実に用いる機会はまず起こり得ないということ、あるいは萌えという言葉は現実の人間に対して表明されるべき言葉ではないという意味に限定して考えるべきです。例えば男性視点から言えば、女性のある仕草にドキッとする時、その瞬間の感情は間違いなく萌えです。これは確かに“部分に萌える”と言っても良いのですが、それによって、女性の一部しか見ていないと解釈するのは性急にすぎると思われます。なぜかというと、『萌え』と『好き』はまったくの別物だからです。簡単に言ってしまえば、『好き』というのはひとつの認識です。自分にとって相手はどういう存在であるか、その関係に、私たちは『好き』や『嫌い』という言葉を与えたりします。だから、『好き』という言葉は基本的に相手の全体を対象とします。それに対して『萌え』というのは極めて刹那的なものだと言えます。言ってみれば、『萌え』というのはある瞬間の感情の昂ぶりそれ自体を指す言葉です。ある瞬間の感情ですから、それは関係性の認識とは次元が違うのです。あるいは、『好き』は持続するが『萌え』は瞬間的なものである、なんていう風にも言えると思います。だから、萌え感情は人間相手にも発生するし、逆にフィクションのキャラクターに対しても『萌え』ではなく『好き』という言葉を使う方が(その本人の内部で)妥当である場合もあります。例えば、乃絵美と一緒にいたいと思う時、それは『好き』です。乃絵美の笑顔を思い浮かべてドキドキしている時、それは『萌え』です。ごめん、結論なし。まあその、好きと萌えは全然違うらしいです、多分。少なくとも私の内部を観察してみる限りにおいては。


 5人の内の1人は私です。毎日読みに行ってますし。ていうか、相手にされないと嘆くのはしのぶの専売特許なので使用する際にはロイヤリティーが発…げふんごふん。

 ところで飼い猫の名前は四葉というのデスか兄チャマ? 鞠絵ぢゃなくて?


 KISAさんが詳細なオフレポを書いていらっしゃる模様。なんでそんなに書けるんでしょう。私はなんかそういうの苦手なので素直にすごいなーと思うです。本当に。


 観鈴ちんには、もっと思うままに喚き散らしてほしかった。らむださんの日記[7/13]

 冷静に応えてしまうのはこの場合(らむださんに対して)失礼に当たってしまうかもしれませんが、私はおそらく、観鈴はきれいなままでいて欲しかった、と願っているんだと思います。自分が汚れまくっているからこそ、外の世界に向かって恨み言を言ったりすることなく笑顔でゴールできた観鈴(まひるもそうなんですが)はどうしようもなく眩しくて。しのぶの、観鈴に対する感情はおそらく萌えとか好きではなくて『うらやましい』が一番近いような気が、最近はしています。憧れのニュアンスです。憧れの対象である観鈴は私(しのぶ)ではないし、また私であってはならないという思いがあって。観鈴は私とは違うきれいな人間であって欲しいから、あの時の観鈴の恨み言めいた言葉は、私には、何か作品についてしまった染みのようなものと映ってしまうのです。私が観鈴に対してもっとも親近感を覚えるのはおそらくあの恨み言を言う場面なのですが、私が持っていて私自身が嫌っている感情が観鈴の中にもあるという事実を見せられるのは正直言ってツライものがあります。自分の内部にある自分では醜いと思っているものを鏡に写して見せられるわけですから。

 …と、私の立場をまずは書いてみたのですが、ただ、観鈴に感情をぶちまけて欲しいというか、例え錯覚であっても、観鈴の感情の爆発を受け止められる存在でありたいという感覚は、私も持っています。というか、このことを表明しないのは自分自身に対する裏切りだと言いたいくらいです。私は観鈴がきれいなままでいることを望んでいるのですが、それと同時に、観鈴に叫んで欲しいとも確かに思っています。こんなことを言って良いのかどうか分かりませんが、要するに、観鈴が苦しんでいるのだとすれば悪いのは観鈴ではなくて世界(私の存在ももちろん含めて)の方なんです。でも観鈴は、遂に世界を憎んだりすることはない。私たちは観鈴に見てさえもらえない…。AIR という作品はは、ある意味、私たちにとって絶望的です。

 追記。らむださんに対してではなく、それ以外の誰かに向けて。らむださんに誤解されるなどという心配はまったくしていないので。文章の前半と後半とで食い違った主張をしているように見えますが、私の内部では両方とも『真』です。それすら分からない人は以下略。


 むらのかじや。らむださんの日記[7/14]

 謎が解けました(笑)。ありがとうございます。私の内部ではあのデリシャスソースの歌詞とメロディーがもう分かち難く結びついてしまっていたのでお手上げ状態でした。メロディーだけ口ずさんでいてもあの歌詞が勝手に頭の中に流れてくるんですよもう。

 ところで初めて会った女性の前で回天(ですよね?)の話をしたんですか?(期待に満ちた目で)


2001/7/14 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#14


 新宿にて突発オフ。

 KISAさんとくそんさんWhiteさん、今日はどうもありがとうございました。色々とタメになるお話が出来て楽しかったです。萌え国債とか萌えキップによる日本の景気回復案(笑)とか。

 あと、C.Fさんもどうもです〜。>言づて


 であ、おやすみなさい。(すいません、むっちゃ眠いのです)


2001/7/13 (金)
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 〜♪
 トマトにリンゴにニンジン、タマネギ
 グツグツ煮込んでスパイス入れよ
 パイナップル、ビネガー、ワインは隠し味
 美味しくできたよ、デ○シャス・ソース


 …という歌が頭の中をぐるぐるしてるのですが、元の歌詞がどうしても思い出せません。
 だからどうしたと言われても困るのですが。


 怒首領蜂。プレイメモ。

 しばらくは勘を取り戻すことを優先するため、捨てゲーはせず。

・1回目。3.56億(2-7)。
 [1ミス] 1-5終盤、大型空中機直前でザコ戦車の弾に当たって死亡。
 [2ミス] 2-3ボス戦、左の蜂アイテムを無理に取ろうとして死亡。
 [3ミス] 2-5前半、パターンが狂って取れなかったボムアイテムを無理に取ろうとして死亡。
 [?ミス] 死亡ではないが、ラスト大型機(右)の破壊が遅れてボム1発使用。
 [4ミス] 2-6ボス、2番目で赤弾に当たって死亡。

・2回目。5.54億(2-7)。
 [1ミス] 2-5ボスのナパームの終わり際で左のナパーム(小)に当たる。微調整に失敗した模様。
 [2ミス] 2-6ボス、レーザーを避けられず。

・3回目。4.8億(2-6)。
 [1ミス] 2-5終盤、3つ目の要塞の弾消し後、左右に大きく動いてしまい、その後小型砲台×2に弾を撃たれまくって死亡。
 [2ミス] 2-5ボス、ナパーム時のオーラ撃ちで切り返し時に窪みに入れず死亡。
 [3ミス] 2-6中盤、復活砲台地帯ラスト付近でパターンが狂って、右の最後の手裏剣ザコを撃った後、左に戻れず針弾に当たる。
 [4ミス] 以下、自棄プレイで死にまくり。2-6ボス到達時残0.

 2回目のプレイは[1周1.95億、2-5ボス到達時4.92億、蜂パーフェクト10回、2-6・750HIT]だったので、繋がっていれば2-6ボス前で6億超えてたかも。残念。

 現状では2-6ボス戦と火蜂戦が絶望的。特に火蜂戦は弾が速く感じられて恐い。しばらくやり込んで目を慣らす必要あり。


 web方面で色々と反応したいところがあるのだけど、なんか疲れたのでおやすみなさい。


 …と思ったけど、1箇所だけ
 
 ううむ、軽い気持ちで書いたのですが本当に行くんですか?>モア
 エンカウント率はマジで低いと思うのでなんか申し訳ないような気も。

 私も遊びに逝こうかしらん。蜂の練習自体はどこでやったって構わないわけだし。
 CPGを持ってる人がいたらとくそんさん、ってことでいいんですよね?

 とりあえず午後2時にモア。メモ。


2001/7/12 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#12


 私が何かを喋るたびに誰かを傷つけてるんじゃないかとか。
 私独りがいなくなればまわりのすべてが上手く行くんじゃないかとか。

 …思うのは、自虐ではなくて誇大妄想でしょうね、やっぱり。


 かまくらの日記[7/10]で紹介されていたフリーソフト、8月7日の雨宿りをやってみる。

 内容に関しては、かまくらさんの日記の方で簡潔明瞭に書かれているので敢えて書かないけど、しのぶ的にはかなり満足な内容だったということは言っておきたいと思います。例えば、フォークソングのあの雰囲気に退屈さではなく美しさを感じ取れる人にお薦めしたい。

 騙されたと思ってやってみてください。良いです。別に萌えたりとか泣けたりとかはしないですが。いや、感情が動かないほど淡々としているからこそ良いのです。


2001/7/11 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#11


 ふふふ。
 今週の金曜日は有給。あと2日。

 金曜日以降しばらくは怒首領蜂のリハビリに専念するので日記は手抜きになる可能性があります。ご了承ください。


 私を打ちのめしてくれるような(そう簡単に打ちのめされない自信はあるけど)とらハレビュー感想考察等を探してネット上をぐるぐるしていたんですが、これだというやつは結局見つからず。探し方が悪いのかもしれないけど。

 ていうか、なんでとらハ3ってそんなに評判悪いデスか兄チャマ? 私はあれこそとらハシリーズの集大成にして完結編に相応しい傑作だと思っているんですが。一体、とらハ3のどこを見ているんですか? とらハ3に恋愛要素がないといって批判するなんて、AIRがエロくないといって批判するのと同じだと思うんですが。例えば恭也の出番が薄かったらさ、それを批判する前に、どうして恭也の出番が薄いのか、恭也の出番が薄いことで物語はどうなっているか、とか考えないのデスか兄チャマ。ていうかそもそも長文レビュー自体が見つからないし。考えるの嫌い? 好きになってそのことで頭一杯になっちゃったら嫌でも色々考えちゃわない? それとも私だけ? ごめん、言いすぎ。口で言うほどには気にしてないですので誤解なきよう、どうかひとつ。


 とらハ関係をぐるぐるしてて、目にとまった文章とかいくつか。

 ひとつはこちらの真ん中辺。[ゆ〜ちゃん☆のほうむぺえじ]より。

 ノエルシナリオってば二人ともお嫁さんシナリオじゃないか。

 言われてみれば確かにその通りであります。素晴らしい。

 まぁ欲を言えば、フィアッセは恭也とは子どもの頃とあまり変わらない気持ちで居るなら、子どもっぽく一緒にお風呂に入ろうとしたり、おねんねしようとしたりして欲しかった・・・

 フィアッセって設定では結構長身なんだけど、お姉さん系キャラで身長が140cmとかだったらめっちゃ萌えたのになぁなんてことは考えたことあったりします。フィアッセの言動そのままで、でも、ちまちまっとしてる感じ。んでもって、ちまちまっとしたフィアッセが、嵐の夜とかに恭也の部屋に来て。
緒におねんね。グッド!!(ダービー兄)

 もう一個、こちらの中ほどにある、“ごく私的なコメント”。[美少女ゲームについて考える]より。

 とらハリーズの本質を言い当てた、非常に秀逸な文章です。読むべし。


 ねがぽじ始めましたか。>Shunさん

 うにー。まさか、ファーストプレイで美奈萌シナリオの方に行くとは…。いや、今は何もいうまい。その、わざと気になるように書いてます。どうかご自愛を。なぜかは続きをやれば分かります。

 私としては、観鈴ちんが強い娘かどうかはいまだに分からないんですが、まひるは本当に強い娘だと思います。だってまひるは『自分を正当化したり周りを悪役に仕立てあげたりしない 』ですから。あの観鈴ちんですら、一時はかなり不穏な発言をしてるのに。『みんな、観鈴ちんと遊んでいれば良かったって後悔するの 』の辺りとか。観鈴に悪意はないんでしょうけど、あの台詞はこちら側から見るとあまりに悲痛というか痛いというか。観鈴ちんにはああいう台詞は言って欲しくなかったな…となんとなく寂しい気持ちになってしまうんですよね、私としては。まあ観鈴の発言の痛さっていうのは確信犯的なものなんでしょうけど。

 まひるはねぇ、あの美しさはほとんど人間離れしてるとさえ思います。本当に『わたしの天使さま』って感じ。しのぶにとっても。


 薫の側にいる人間は「私」ではなく「耕介」であるべき みんくりさんの日記[7/2]より

 私もこういう感覚を持っています。とらハ3で言うと、那美さんは現実世界でしのぶの傍にいて欲しいと思うキャラなんですが、美由希はもう絶対高町家にいて恭也の妹でなくちゃダメ。美由希が名前を呼ぶ相手は『恭ちゃん』でなければならない。美由希に『恭ちゃん』以外の名前を呼ばせてしまったら、その瞬間から美由希は美由希ではなくなってしまう。それは美由希の姿をした人形にすぎない。恭也の妹であるという事実も高町美由希という人間を構成する一要素である、というのはもちろん言いすぎなのですが、でもそう錯覚してしまうぐらい、美由希が高町家にいて恭也と一緒にいることは自然に見える。だから私内部では、『美由希の傍にいたい』は『恭也になりたい』と同義になるわけです。

 こういうタイプのキャラは他に、あかり(東鳩)とか瑞佳(ONE)とかレティシア(デアボ)とかちょっと古いところで葉月(闘神都市II)とか。

 結局はそのキャラ一人が好きか、それともそのキャラを含む周りが全部好きかの違いかな

 というご意見はまさに同意、です。


 アクセス解析に引っ掛かった、こちらの日記。

 ディレクトリを少し遡ってみると…書いていらっしゃるのは、雪駄さん家の掲示板でお見かけするあの IDさん?

 とらハレビュー、読んでくださってありがとうございます。あのレビューは日本語としてはかなり終わってますが、書いている内容については−自分で言うのもアレですが−結構自信あったりするので、賛同して頂けるのはすごく嬉しいです。

 ところで、AIR(Key/Win)。PC全年齢版と通常版(18禁)のパッケージがオフィシャルサイトで公開 [7/10]とのことで、リンク先の画像を見てみたんですが、なるほど意味深ですね確かに。ていうか、18禁通常版のパッケ絵、あれは本気でシャレにならない気が。


 あうー。
 西口だとお手上げなのです。ごめんなさい。私は東口方面しか行かないものですから。もし時間があったら、東口のモアというゲーセンに行くと上手いプレイヤーがいたりするかもしれません。エンカウント率(マテ)は低いかもですが。

 ところで、「桜花」と「回天」に爆笑しました。つーことは、アレですか。そのキャラのシナリオは真琴シナリオの如く…。何気に酷いことを言っているような気もするので以下略として逃げ。


 ミーですか?

 ええと。一日お時間を頂いて身内に確認を取ってみたんですが、どうやら脳内補完できる(というか嫌でもさせられる)のは体験版だけだから、という辺りの回答が得られました。そういうことであれば私も興味をそそられるので、ゲーム発売前までにはなんとか時間を作ってプレイしてみたいと思います。ちなみに、現時点ではネタバレ情報とかは全然入ってきてないので問題なしです。わざわざ気に掛けてくださってありがとうございます。


2001/7/10 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#10


 自分が登場しないならノンフィクションとて介入不可能

 この一文を読んでみて。
 改めて考えてみると、私の頭の中ではノンフィクションという語は極めて曖昧な意味しか持っていないような気がする。ノンフィクションとフィクションの違いってなんだろう? 現実世界の出来事にいよいよ興味がなくなりつつある昨今では、現実世界なんて私の中ではなんら興味を引く対象ではないし、現実に起こる大抵のこと(例えばニュースで語られる様々な出来事さえも)は私とは無関係だ。いや、無関係ではなくて、関係性を認識できないという方が正しいのか。結局、私の内部ではフィクションとノンフィクションとの境界は非常に曖昧か、あるいは境界自体が存在しないのかもしれない。心の琴線に触れるものだけが大事で、それ以外はどうでもいいというか。というか、私はもしかすると心の琴線に触れるかどうか以外の判断基準を持っていないのかもしれない。もし問題があるとすれば、その状態になんら危機感を抱いていないということか。


 それはそうと、とくそんさんが怒首領蜂をやった店ってどこだろうとかちょっと気になる。怒首領蜂が置いてある店というと新宿駅東口方面で3件ほど知ってるけど、でもそれ以外の場所だったらお手上げ。


 LEY’S WORLD

 とらハレビューを探し求めてぐるぐるしている途中で立ち寄ったサイト。ここのトップページのコンテンツ紹介の『MY FAVORITE』のところに書いてある『管理人が自分のお気に入りを褒めちぎるコーナーです』の一文を読んでびっくり。目から鱗というか。

 私は自分の書いているゲームに関する雑文を何と呼んでいいかずっと分からなくて。考察や評論とは絶対に違うし、レビューとか感想とかも正直なんとなくしっくり来ない。でも、今日になってやっと自分が書いているものがなんなのか分かった気がする。要するに、私が書いているのは、賛辞とか頌歌とかの類だったんだろうと思う。私のレビューのコンセプトは、好きなものを徹底的に褒めちぎること、だ。今更ながらだけど。いや、もちろんずっと前からそういう方針でやってきたんだけど、ひとつの言葉としてここまではっきりと意識したことはなかった。今までは、魅力について語る、くらいの気持ちでやってたし。私の文章は最初から公平さなどまったく放棄しているわけだ。もちろん、何を持って公平というかはひとつの問題なんだけど。

 近日中に、この一文の内容をちょっとアレンジしてレビューインデックスに追加することに決定。


 鬱なのは今が夜中だからだろうか。
 ゲーム意欲皆無なので、しばらくダラダラと過ごそうかなと考え中。


 追記。早瀬さんへ。
 ご褒美CG、確認しました(笑)。というか、拾ってきたセーブデータを既に入れてあったのでななかのCG自体は全部チェキしてあったんですが、せっかくだからということで、那美さんとななかをちゃんとクイズで倒してみました。もう数え切れないほどコンティニューしましたが。


2001/7/9 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#9


 リリカルおもちゃ箱、続き。

 拾ってきたコンプリートセーブデータで残りのCG等をチェキ。なのはのえっちシーンも確認。やっぱり成長しちゃうのね。予想していたこととはいえ、やっぱり残念。今回はえっちシーンは忍以外は割とどうでもよさげ。ていうかなのはのえっちシーンは見てません。なんかその、恐いというか、悔しいというか。忍のえっちシーンはどんな展開で来るんだろうと思っていたら、なるほど、ノエル×忍っていう手があったんですね。やっぱ、このふたりの関係ってご主人様とメイドさんの理想だわ。すげぇ萌え。

 ギャラリー&壁紙。フィアッセの立て看板が良い。が、全体として見て、ギャラリーと呼ぶには貧弱な気も。ラブちゃ箱の時は都築氏の書き下ろし絵がもっと一杯あったと思うんだけど。あと、SS_3 の表紙の美由希ドレスバージョンのCGがないのも気になる。あの絵、好きなのに。ギャラリーはカーネリアン氏の小鳥が飛びぬけてる感じ。あの小鳥は現在うちのデスクトップの壁紙と化してます。スクリーンセイバーは前作に付属してたやつはわざわざ使いたいと思うほどの代物ではなかったけど、今回のは3つとも結構よさげ。とりあえず、レン&晶のやつを設定してみたりとか。

 海鳴横断ウルトラクイズ。なんか問題がクソ難しくないですか? 私がヘタレなだけ? 美由希、レン&晶、フィアッセ、忍…まではクリアできたけど、那美さんはお手上げ。対戦するキャラクター毎に出題傾向が分かれてるので、簡単なキャラと難しいキャラでかなりの差があるかも。私的には、

 比較的簡単  [フィアッセ、ゆうひ、アイリーン、なのは、愛さん、忍、晶、唯子、美緒、久遠]
 中くらい  [真雪さん、レン、美由希、ノエル、薫]
 難しい  [那美さん、桃子さん、フィリス、美沙斗さん]
 歯が立たない  [さくら]

 という感じかな。
 音楽系や車系(フィアッセとか愛さんとか)はまあ普段から割と関わりあるので分かるけど、宗教関係[那美さん]とか、料理関係[桃子さん]とか、医学関係[フィリス]とか、武器関係[美沙斗さん]辺りはかなり苦しい。さくらは特にお酒ネタ全般がしのぶ的に相性最悪。全然わからん。あと、どうでもいーけど、普通はクイズをクリアしたらご褒美CGが出るんじゃないのかゴルァ。

 うっかり見落としてたリリカルなのは14話、番外編・フィリス、番外編・フィリス・その後、おまけ(人気投票結果発表)をチェキ。

 14話は、keyさん(割と古いお知り合い)から、しのぶさんが見たら号泣するかも、とか言われてたんだけど、自分でチェキしてみて納得。もうなんていうか、なのはが俺以外の男に微笑んでるとか、俺以外の男とイチャイチャしてるとか、俺以外の男とごにょごにょとか、そういうのが許せん。えっちシーンに至っては、なんか無性に寂しくなってしまいました。こんな比喩は無意味かもしれないけど、娘を他の男に取られたような気分。クロノ逝ってよし!!(x100)と言いたいんだけど、でもなのは幸せそうだしなあ。くそう。悔しい。

 番外編・フィリス。フィリスたんの過去が明かされる話。壮絶。泣きました。こういうお話を読むと、いよいよ、都築氏の書く物語が一見平和そうでいて、いかに多くの人たちの意思によって維持されているか、よく分かる。以前にも書いたけど、とらハワールドの平和は海鳴の住人たちみんなが、そうであって欲しいと願って、一生懸命に頑張ってやっと維持されている程度のものだ。彼らはのほほんと生きている訳ではない。みんな、何か大切なものを一生懸命に守っている。考えてみれば、あの真一郎と唯子ですら、小鳥の努力がなければ中学生の時点で疎遠になってしまっていた可能性だってあったのだ。とらハの優しさはそれ自体で私たちの心を打つのではあるまい。むしろ、登場人物たちのひたむきさ、好きな人の笑顔をいつも見ていたい、守りたいという一生懸命さが、私たちの心を打つのだ。

 番外編・フィリス・その後。フィリスの私服は貴重かも。しかもフリルのついたスカート。まんせー。




 愛さんの話[土方さん・7/8]にすごく反応したいのだが、ここまで的確に言われては他に何を言えばよいのやら。愛さんがみんなを幸せそうに眺めているっていうのはまったくその通りで、愛さんの魅力はそのことと切り離して考えることはできないと私も思います。ほとんど、愛さんのアイデンティティーに近い感じ。 あと、シナリオについては、あのみんなの前でのプロポーズとかしちゃう場面が、さざなみ寮と愛さんとの関係をすごくよく表している感じでいいなぁとか。一番影が薄いキャラなのに、さざなみ寮で一番幸せなのは実は愛さんなんじゃないでしょうか。


 健全さ[らむださん・7/8]というのは、ええと、何と言ったらいいのかな。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の中に、ファンタージェンっていう国が出てくるじゃないですか。で、らむださんはファンタージェンと現実世界を自由に行き来できる人なんじゃないかな、と思ったんです。萌え方向に突っ走っていても自分が現実に生きていることを忘れない健全さ、というか。いや、お会いしたこともないのにこんなことを言うのも不躾ですけど、文章を読む限り、私はそういう印象を持ちました。ファンタージェンに逝ったまま帰ってこられない(というか帰ってくる気がない)しのぶとしては、これは非常に健全なことであるように思えるのです。


 はにゃ〜。
 お祝いの言葉ありがとうございます。

 ああところで、久しぶりに自分の12月の日記を読み返してみたんですが、なんか当時の文章の方が今よりも切れ味が鋭いような気がします。[12/3]とか[12/4]辺りは、自分で書いたはずなのに、なんか読んでて妙に心地よかったり。

 あと、人外への憧れとかの話は、自分の内部に何があるのかとか自分でもまだそれほど明確に意識している訳ではないので、今はコメントは避けさせてください。すみません。


 以下は特に読者を想定せずに。

 フィクションと現実世界とのあり方については今でも考え方は変わっていなくて(この件は1月頃にC.Fさんともお話させて頂きましたが)、私のいる世界とフィクション世界はあくまでも別物だと思っています。別の世界に生きている人間がいて、私はそれを見ているだけ。最近になって思うようになったのですが『物語を見る』という体験は、私にとってはおそらく過去の記憶を見るという行為に近いものであるようです。過去の記憶は−語弊のある言い方ですが−氷結した時間です。記憶は厳然とそこに存在していて、私たちはそれに対してなんらの働き掛けもできない。私たちがどう望もうとも記憶が変化を遂げることはあり得ません。私たちは記憶をただ眺めていることしかできない。これは、少なくとも私にとっては、ゲームをやる時の状況とほとんど同じです。ああいや、ゲームをやる時のというか、私はギャルゲーをゲームだと思っていないので、この場合は物語を見ている状況という方がより正確なのかもしれませんが。ゲームはプレイヤーの選択で色々な分岐をして、その結果として物語はいくつもの可能性を見せてくれるけれども、しかし実際問題としては、普通『瑞佳シナリオ』と言えばそれは特に断らない限り、瑞佳シナリオのハッピーエンディングを意味するのであり、栞シナリオといえばそれは特に断りのない限り、同じように、ハッピーエンディングを意味します。私たちは『○○シナリオについて』語っているつもりでいるけれども、それは実はたくさんある可能性の中の任意のひとつを抽出して語っているにすぎません。ゲームというものを、仮に、アクションとリアクションが必ずあるものとして捉えるとすれば、私たちは確かにゲームをプレイしている最中は自分の選択によって物語を動かしているのですが、ゲームがひとつの終わりを迎えた段階で、物語はその瞬間に氷結してしまうのです。いや、正確には、他の可能性のすべてが氷結してしまうのです(この辺りについてはシュレーティンガーの猫の理論とも関係するかも)。後にはたったひとつの現実(物語世界での)だけが残る。私たちがよく言う『○○シナリオ』というのは、この氷結した物語です。もう決して変わらない、過去の記憶のようなもの。私たちが『○○シナリオ』について語るとき、そこで語られる対象になっているのは『物語』です。少なくともというか、ほとんどの場合はそうです。ゲームとして語られるなら、ある人物に起こり得るあらゆる可能性(無論、元々設定された物語の範囲で起こり得る、ということ。秋子さんを攻略できないからといってそれはKanonのせいではない、とか)について語られなくてはならないはずなのに、実際には私たちが語るのは、その中のたったひとつの物語です。要するに私たちは、たくさんある物語の中のひとつ、自分が最も“受け入れられる”ひとつを選択して、それをあたかも『○○シナリオ』の全体であるかのように語っているにすぎない。横断歩道で瑞佳とすれ違わないで、ちゃんと最後に瑞佳の元に帰って来るエンディングを見て、私たちはそれを瑞佳シナリオだと受け取って、そのひとつの物語をもってして、私たちは瑞佳シナリオを語ります。それは作者の用意したトゥルーエンドなのだからといえばその通りなのですが、作者がそれを見せたかったのだとすれば、逆に考えれば他の可能性は何のためにあるのでしょうか。他の可能性を無視して、唯一のものとして物語を捉えるのだとすれば、そういうものとして受け取るのだとすれば、受け取った瞬間から、物語は“既に在ってしまったもの”になります。私たちが物語について語るとき、それは確実に“既に在ってしまったもの”なのですが、そうであればこそ、その過去に対して私たちは何の働き掛けもなし得ないのです。私たちはただ見ているだけ。別の世界で、別の人間たちが生きるのを。あるいは、生きていたのを。

 …書いているうちに理論の隙を発見した(教えるつもりはありませんが)ので、後で(何ヶ月後になるか知りませんが)補足する予定。あと、私はリルケの影響を強く受けているせいで、芸術作品(広義の意味で、人が作ったものすべて)に対して人間が外部から働き掛けができるという論にすごい抵抗を覚えるらしいです。この辺りもちゃんと絡めて語らないといけない。

 もう一個。メモ。今後まとめる予定の思考の切れ端。
 ゲームがゲームとしてプレイヤーの意思を反映したようなものであり得るためには、世界と人間、という構図は邪魔なのではないかしら。個人的にゲームの最高傑作と呼びたい Wiz#1 では、別の世界で生きる人間、というものは私はあまり感じられなくて、あれは一応分類上は Role Playing Game だけれども実際にはキャラクターたちはプレイヤーの分身であるよりはむしろ“コマ”であると思う。プレイヤーはコマを動かしコマを強くするという作業を延々と繰り返す。ところが逆説的なことに、コマを自由に動かすことによって、プレイヤーはそこに物語を感じ取る。キャラクターが無機質なコマであるからこそ、私たちはコマを通じて、あのゲームワールドに直接関与しているかのような錯覚を覚える。単純化、記号化することで却ってリアリティが生まれる。逆に言えば、複雑化すればするほど作品はいよいよ私たちの関与する余地を少なくする。キャラクターが緻密に人間として描写されていればいるほど、私たちはそのキャラクターと自分との間の断絶を意識させられる。このキャラクターと自分との間には何の接点もないのだと思わざるを得なくなる。

 物語世界に関与できない悲しみ、みたいなものを抱えてる人って意外と多いんじゃないかという気はするんだけどな。


 なんか、とらハシリーズが一通り終わって気が抜けてます。
 この2ヶ月はおそらく自分で思っていた以上に充実していたんでしょう。


 今日までの分で7月分のHTMLファイルが既に50KBを超えてます。やーそのうち絶対反動が来て鬱だ氏脳とか言い出すと踏んでるんですが、今のところまだその兆候はありませんね。つーか俺、今月は1日1KB以下、トータルで30KBを密かに目標にしてたんですが。目標値に対して-20KB. これはつまり今月はもう何も書かなくて良いということデスか兄チャマ。


2001/7/8 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#8


 引用。

 メイドさんについては、ぼくは元来依存的な性格なので、自分が主人であると同時に、メイドさんの存在にべったり従属しているというのが理想です。
 ただ、そのことに全然気づいていない自分が他の少女に心惹かれて、メイドさんの前で「あの少女が〜」などと平然と話していて、メイドさんも微笑みながら聞いてくれていて、そしてやがて今までの生活から離れようとする瞬間に、初めて自分がそのメイドさんとの「当たり前」の関係の中でひたすら幸せだったことに気がついて、そのかけがえのなさをようやく知って、はっと目を見開いて振り返ると、そこにはいつものように優しく微笑むメイドさんが立っていて、というシチュエーションにウルトラ萌えです。

 らむださんの日記[7/6]より。

 なんかもう、この文章に比べたら私の書き散らしてるものなんて塵芥だと思いました。速攻でリンクに追加。


2001/7/7 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#7


 あはは。
 なんか指名を受けたらしいので、君が望むえいえそ話。

 ゲーム自体は、雑誌[PUSH#8]の紹介記事を見る限り、絵柄がもう全然好みと合わない感じだったのでパスするつもりでした。で、今回、何の期待もなくアナザーストーリーを読んでみた訳ですが。この2編のアナザーストーリーを読む限りだと、好感度かなり高いです。ていうか、萌える。めちゃ萌える。思わず、、、

◇◇◇

 フッ、まあ話のネタにちょっと読んでみるか。
 どうせプレイする時間なんてないけどな。
 (中略)
 ……ああ、まゆたん可愛いなぁ。
 …ハッ!? 俺は何を言ってるんだっ!?
  
まゆ 『そんなひとキライですぅ。私のテキさんですっ!』

 (脂汗を流しながら)………こ、これは罠だ…。アージュのカラクリだ…。
 …しかし、罠だと分かっていても…引っ掛ってしまいたい………。

◇◇◇

 などと、“萌えよ剣”なネタを展開してしまいたくなるくらいには。

 でも、このゲームってこういうお話じゃないですよね? だって、身内のお話とか聞いてると『何にも手につかない』とか『どうやら果てしなく痛々しい展開になりそうです』とか『「螺旋回廊」ですらハッピーEDがあったんだから、』とか『個人的にはこういう精神的に痛い話は好きなので』とか『とりかえしのつかないことをしてしまった…』とか、およそ“ほのぼの”から遠く離れた言葉ばっかり出てくるし(困ったなーって感じで笑いながら)。

 PUSH8月号の記事を読むと『最初から彼女がいる』なんて書いてあるので、この設定がある時点で痛い話になるのは決定しているようなものなんだけど、問題は、なんというか起伏の幅みたいなものかなぁと。このゲームの痛さ加減を決定するのは、おそらく痛い描写それ自体ではなくて、それ以前の段階での何気ない日常描写がどれだけ魅力的であるか、に掛かってくるのだろうと思う。日常が美しければ美しいほど、それが失われた時の悲しみは大きくなる。デアボリカとかねがぽじとか。雪駄さんの雑記[7/3]をそのまま信じるとすれば、このゲームはきっと相当痛いものになるだろうと予想。

 とりあえず私は製品版発売まで待ちます。今はまだ色々やりたいことがあるし、体験版のせいでリリちゃ箱や怒首領蜂が楽しめなくなっちゃったら嫌だし。あと、キングオブエゴイストたるしのぶさんとしては、一旦ゲームを始めてもしハマっちゃったら、書きたいことを全部書いてしまうまでは他人の意見はすべてシャットアウトします。つか、今までもそうだったので知ってる人は知ってるでしょうけど。本当に気に入った作品はコミュニケーションの手段にするつもりないですから。作品とふたりっきりで蜜月を楽しむのさ、ふふふ。

 理由については、雪駄さんの雑記[7/4]の後半部分に概ね同意、とだけ言っておけば足りるかと。

 結局、自分で発見したもの以上に価値のあるものなんてないですからね。私は、感想や批評や考察っていうのは、既にその作品を味わい尽くした人のためのものだと思っています。そうでない場合は、その種の文章は有害になる可能性が常にありますから。


 上記は、もちろんリンクや言及など自由にして頂いて結構(その価値があるかどうかは別として)なのですが、未プレイのゲームについてこれ以上お話を続けることは、私としては多分できないので返信は期待しないでください。


 怒首領蜂は現在冷却期間ちう。
 なので今日のプレイは1回のみ。何があっても捨てゲーはしない方向で。[面、HIT数、クリア時スコア、目標値に対する落ち]

1-1 191. 61.  371万 (-14)
1-2 139. 361.  1500万 (-500)
1-3 110. 54. 65.  3400万 (-100)
1-4 696.  7000万
1-5 840  12300万 (-200)
1-6 680  18000万 (-800)

 ちなみにまだプレイしてません。これは予想です。さてどうなるやら。
 1周目18000万、1600万落ち。おそらく1-6ボスで死亡。2周目は予想できず。


 怒首領蜂。

 予定通り1回だけプレイ。
 1-5ボスで1ミス後、2-6ボスまでノーミスノーボム。火蜂に惨殺されて終了、4.5億。
 …何をやってるんでしょうかわたしは。何もそこまでネタに走らなくてもいいのに。

一応、内容とか。

1-1 191. 61.  369万
1-2 501.  2001万
1-3 111. 65. 65.  4000万
1-4 698.  7500万 (蜂11個目落とし)
1-5 860.  13200万 (ボスで死亡)
1-6 615.  16900万 (レーザーが細いため前半繋がらず)1周トータルで約2600万落ち

2-1 193. 61. ???
2-2 493.
2-3 108. ??. ??.
2-4 687.  30400万
2-5 831.  38000万ぐらい
2-6 ???.  45000万ぐらい

2-6ボス到達時、残5ボム4. それ以降はムカツクので記憶から消去。


 とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱

 ミニシナリオ読了。
 長いけど満足。本当にもう徹底したファンサービスシナリオという感じ。

 “思い出”を主題に持ってくるのはいかなる場合でも反則だと思うです。ぜってーわざとやってるでしょ?(笑)都築さん?

 回想モードを見るに、えっちシーンは4つ[なのは/桃子たん/フィリス/忍]あるらしいが、今回は桃子たんのやつしか見られなかった。あの長いシナリオをもう1回やり直すのはイヤなので、セーブデータを拾ってきて補完。まだ見てないけど。

 ああそれにしても若かりし頃の桃子たんは反則すぎる。のた打ち回りたくなるくらい可愛い。


2001/7/6 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#6


 とらハ3話、ラスト。
 まとまった文章になりそうもない思いつき程度のネタ。以下、箇条書きで。

・フィアッセの身長っていくつぐらいなんだろうか。私の脳内イメージだと、フィアッセが恭也に抱きつくシーンは恭也の顔がフィアッセの胸に埋もれる感じになってしまうんだけど、これはあの立ち絵が生み出す錯覚で、実際にはそれほどの身長差はないだろう。あの上目遣いな立ち絵は、おそらくフィアッセが高町家の中でのお姉さん的立場にいることを暗示しているのだろうし、フィアッセのキャラクター(性格)をも非常に良く表しているので演出的には問題ないのだけど、冷静に考えてみると恭也相手にあの姿勢は不自然なはずだ。

・ティオレさんを始めとしたクリステラ・ソングスクールの面々(ゆうひ、アイリーン、他)は、おそらくもうひとつの高町家、あるいはもうひとつのさざなみ寮だったと思う。フィアッセは高町家の家族であると同時にクリステラ・ソングスクールの家族でもある。ソングスクールの人たちの間に家族的な優しい空気が流れていたであろうことはフィアッセシナリオのラストで窺い知れるのだが、今にして思えば、もしソングスクールの歌うたい達とフィアッセの日常をあのラスト以前の段階で具体的に描写していたら、あのラストは凄い説得力を持つ名場面になり得たのではないだろうか。返す返すも残念なことだ。

・レンシナリオのラストの戦い。レンが棍を持つ立ち絵はあの場面でしか使われないが、あの一回のためにわざわざ専用の立ち絵を用意する姿勢は非常に誠実だ。あと、誕生日パーティーが2種類用意されているのも非常に好印象。

・PUSH8月号によれば、『2』から見ると『1』と『3』は順に、1年後、7年後であるらしい。この時間で『3』の各キャラの年齢を算出してみると、鷹城先生・24歳、さくら・23歳、薫・25歳、ゆうひ・27歳、ということになる。もっとも『3』の物語は春先だから、実際にはあの時点では1歳若い可能性が高いのだけど。あと、まったくの余談だが、さくらが出てきたとき、どうせなら『綺堂さくら』ではなくて『相川さくら』だったら良かったのになぁと思った。

・さくらシナリオの発情期は私としては割とどうでもいいんだけど、忍の発情期はすごく好き。理由はわからないけど。

・那美さんの天然振りは、考えようによってはラストの戦いのための仕掛けだと見ることもできる。見ないけど。私はキャラクター第一主義だし。それはそれとして、那美さんの『わたしは一人じゃない』は本当に凄い。命が篭っている。那美シナリオの何が凄いって、前半の那美さんと終盤の那美さんが少しもズレを生じていない点だ。ほのぼの那美さんとシリアス那美さんは、最初から最後まで完全に同一人物であり続ける。『こんなもののために…』と激昂する那美さんも、『わたしは一人じゃない』と叫ぶ那美さんも、『みんなで笑って暮らすんだから』と叫ぶ那美さんも、間違いなく、前半で下駄箱に頭をぶつけたあの那美さんだ。そういう風に見えるぐらい、都築氏はキャラクターを徹底的に描き込んでいる。この一貫性は凄いリアリティを生み出す。

・BGMのこと。
・Song of Spring Days. 中間部の展開の仕方がすごく好み。
・Sweet Tone. 雨上がりの澄み切った空気のイメージ。
・はるひな 今にもなのはの声が聞こえてきそう。
・Sweet Songs. タイトル画面の曲だけど、とらハ3の裏テーマである“受け継がれる想い”を象徴する曲。
・想いの果て 悲しいイメージ、というのはちょっと違う。この曲の性格は、もはや悲しさすら感じなくなるほどボロボロに傷ついた心だ。
・僕は優しい歌になる 今にもフィアッセの呼び声が聞こえてきそう。
・MY DEAR もし那美さんをぎゅーって抱きしめられたらBGMはこの曲。
・遠い約束 懐かしさをイメージした曲だが、絶対に過去には戻れないゆえの悲しみ、の匂いを感じるのは私の感傷だろうか。


 一応、とらハ3話はこれで終わり。現時点で書くべきことはすべて書いた、はず。約2ヶ月続いたとらハ話にずっと付き合ってくれていた方がいたら(いるかどうか知りませんが)、ありがとうございます。自己満足文章ですが、感想を書くという行為を通じて、少なくとも私の内部ではとらハシリーズは以前の10倍の魅力を持つようになりました。私以外の誰かひとりにでも何か残せたら、と考えるのは自惚れというものかもしれませんが…いいですよね、今だけ、ちょっとくらい自惚れても。


 ところで『魔法の笛と銀のすず』は今日で開設2周年だったりします。我ながら、よく続いたものです。自分に乾杯。あと、こんな私に付き合ってくださる優しい方たちへ、心を込めて、どうもありがとうございます。


 にゃ〜。
 なんか感傷的になってます。多分、仕事疲れでへろへろだからです。俺は知らん。


2001/7/5 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#5


 ええと、今日の日記はお休みで。


 土方さんへ。

 これは多分私のことを言っているのだと思うのですが、私、全然怒ってないです。
 土方さんのご好意に甘えて、よく考えないで好き勝手に書いてしまった私が全部悪いんです。人格否定とかももちろん思いもよらないことです。ご心配をお掛けして大変申し訳なく思ってます。すみませんでした。

 詳しいことはメールの方で書いておきましたので、もし釈明のチャンスを頂けるなら、どうか読んでください。

 私が土方さんを嫌うことは絶対にありえないです。
 私にとって、土方さんはネット上で得た一番のお知り合いで、好きな人で、尊敬と憧れの対象ですから。


 追記。(2001/7/5:23:42)
 土方さんからメールのお返事が。
 結論だけ言えば、あの文章は私の[7/3]とは何の関係もないそうです。

 メールを読んだ瞬間、一気に緊張が取れて全身の力が抜けました。ああ、良かったです。本当に。
 今後とも、よしなに。>土方さん


 てな訳で、以下は本来今日の分として掲載するはずだった日記。


 …の前に別件で。
 とあるサイトで、確実に私の文章に言及していると思われるものがひとつあるのだけど、特に明記はしていないので、こっちも癪だから言及はせず。なるほど、こういうのってあまり気分の良いものじゃないですな。ま、不快感は今後の自分のための授業料だと思うことに。


 ああもう。んなくだらない話は放置して、以下、普通の日記。今日の分だけは直後にもアンカーを用意しておきます。

◆日記[7/5]その2


 止めることも重要ですが、その状況にいたった経緯を理解し、共に打破することが大事なのです。(早瀬さんの7/4)

 すいません、そこまでは考えてませんでした。
 うーちょっと敗北感。ていうか凄いっスよ、早瀬師匠。
 ちょっと特殊な関係ではあるものの、メイドさんっていうのはご主人様のパートナーな訳ですからね。だから、共に打破するっていうのはまったくその通りだと思うです。なんで気がつかなかったんだろう俺。

 あと、たまには叱ってくれないと駄目っていうの激しく同意であります師匠。さすがよく分かっていらっしゃる(笑)。
 ドジ、という辺りは、〜じゃないといけません、だと角が立ちそうなので、ちょっと書き換えて『ドジであることが望ましい』とかにしておくと良い感じかも。ちなみにしのぶ的には『メイドさんは天然ボケであることが望ましい』です。でも有能じゃなくちゃダメ。性格は天然ボケ、能力は優秀。舐めてますかもしかして。いや、自分でも疑問を感じてない訳ではないんですけどね。


 更に続く、とらハ3話。

 とらハ3は、初代はおろかさざなみ女子寮と比べても、CG、音楽共に格段の進歩を遂げている…なんてことは今更言うまでもないのですが、それに加えて今作では、テキストが著しく進歩しているのが非常に好印象です。

 例えばお花見イベント。
 『2』のそれを見ていると、ほのぼのした雰囲気を演出しようという意図は分かるし、その意図はある程度は成功しているのですが、敢えてキツイ言い方をすればそれだけで終わってしまっています。忌憚なく言えば、都築氏の苦心の跡が見えてしまうのです。推測、というよりは邪推であるかもしれませんが、あれを書いた段階では、もしかすると都築氏自身が、まだキャラクターたちの性格を十分に把握できていなかったのではないでしょうか。もし、すべてのキャラのシナリオを書き上げた後で最後にお花見イベントを書いたとしたら、もっと面白いものになったのではないかと想像してみたい気がします。

 もっともこれは当時の私には気がつかなかったことでもあります。しかし、人によってはあるいは反発を覚えるかもしれませんが、『3』のお花見イベントを見た後で『2』の同イベントを見てしまうと、いかにも野暮ったく感じてしまうのです。

 簡単に言って、『3』のお花見イベントの方がずっと自然なのです。『2』でほのぼの感を演出しようと苦労する作者の姿が丸見えだったのと比べると、『3』のお花見では、キャラクターたちは本当に楽しそうに見えます。『3』では、作者の影はまったく見えなくて、ただ、海鳴という架空の世界に生きている人間たちだけが見えるのです。

 例えば思いつくままに挙げるとして、自己紹介の途中で話が脱線して剣術流派の話になってしまうとか、恭也と忍による昔話とか、晶とレンによる漫才であるとか、こういった意味も意図もない雑談をきっちり書いてキャラクターたちの楽しい時間を具体的に演出し、しかもプレイヤーをまったく飽きさせないというのは、都築氏の日常描写の手腕が飛躍的に向上していることを意味します。

 例えば初代での『唯子と会話した』というテキストだけでも、そこに唯子と真一郎の平凡な日常があることは分かるのですが、この日常は、言ってみればプレイヤーが感じ取るものです。それに対して、『3』では日常の平凡さをそのまま具体的に描写します。『3』の日常は、プレイヤーが感じ取るものではなくて、プレイヤーの目の前に“ある(存在する)”ものです。こういう、それ自体は物語の流れの中でなんの意味も持たないような会話をきっちり書くことによって、世界は100倍もリアルになります。

 お花見イベントだけではなく、『3』ではこういった日常演出が至るところでなされています。特に興味深いのものとしては、レンシナリオでの晶とレンの描写が挙げられるでしょう。レンシナリオが非常に秀逸だと感じるのは、レンという一個の人間の描写の秀逸さに拠るところがもちろん大きいのですが、それ以外に、執拗なほどに繰り返されるレンと晶との日常(喧嘩)がそれ自体としてプレイヤーサービスと言えるくらい充実していながら、同時にその日常が繰り返されなければそもそも物語が成立しないようになっているという点に拠ります。レンシナリオにおいて、日常は目的であると同時に手段です。繰り返される喧嘩の日々の描写を通して、プレイヤーはレンと晶との力関係を自然にそういうものとして受け入れます。そして、これが後に重要な意味を持ってきます。あのシナリオのクライマックとも言うべきラストバトルの際、プレイヤーは既に、晶では普通にやったらレンには勝てないということを知っています。知識として知っているのではなく、目で見たものとして知っています。プレイヤーは、レンと晶との喧嘩の日々を既に何回も何回も見ているからです。晶は全力を出し切ってレンにぶつかり、遂に晶の思いはレンに届きます。まわりの人間の言葉を拒絶したレンを動かすためには、言葉だけではダメで、誰かが身を持って自分の言葉が本気であることを証明してみせる必要がありました。“レンのために”手術を受けさせようとしても、その言葉は決してレンに届くことはありません。レンが心を開くに至ったのは、自分には決して勝てないと知っているはずの晶が全力でぶつかってきたからであり、また、晶の身勝手な思いのためです。“レンのために”ではなくて、“俺のために”と晶が言う時、初めてレンは晶の言うことを聞き入れます。いや、この辺りのことはプレイした人ならもちろんみんな知っていることです。今、問題にしたいのは、この場面がそれまでのレンと晶との喧嘩の日々なくしては成立しないという点です。正確に言えば、繰り返される日常のエピソードが積み重ねられているからこそ、この場面は大きな説得力を持って私たちの心に届くのです。この手法は他に美由希シナリオでも使われていますが、こういったやり方は今までのとらハシリーズにはなかったものです。それ自体意味のなさそうな日常が、物語全体の中では必然になるという手法。これはONEやデアボリカ、最近ではねがぽじ等にも見られるやり方ですが、この手法はシナリオライターの手腕がまともに反映されるために、非常にハイリスクな手法でもあります。変わり映えしない日々を、あたかもそれ自体が目的であるように克明に描写してしかもプレイヤーを退屈させないというのは、それだけでも大変に難しいことです(退屈な前半部を我慢しなければならないゲームのなんと多いことか)。しかしそれだけに、この手法が成功した時には、物語は他の追随を許さない深みを獲得することになります。とらハシリーズは、3作目に至って遂にこの境地に届いています。とは言ってもレンシナリオと美由希シナリオだけですが、それにしても一部ながらこれだけの密度の高さを達成したのは、やはり凄いことだと言って良いでしょう。私は、とらハ3のこういうところをこそ評価したいのです。

 別の話。というか、未来の自分への宿題。メモ。
 とらハ3のテーマは『守りたいもの、ありますか?』というあのコピーに集約されていると言っても良いのですが、実はもうひとつ重要な主題があります。それは『受け継がれる思い』です。

 ちょっと思いつくままに例を挙げても、士郎から恭也へ(御神の剣とその精神)、恭也から美由希へ(御神の剣とその精神)、幼少時の那美さんから恭也へ(希望)、恭也と美由希から那美さんへ(勇気)、恭也から晶へ(常に諦めず前に向かう勇気)、更に晶からレンへ(未来へ向かう勇気)、ティオレさんからシンガーたちへ(歌と歌うたいの心)、ティオレさんからフィアッセへ(優しい歌)、フィアッセから高町家の住人へ(優しさ)、忍からノエルへ(保留)、美由希から美沙斗さんへ(保留)…と実に多彩です。

 なんでですます調なのか疑問だけど、いつかは書いてみたい。書けたら。


2001/7/4 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#4


 ボーナスの明細が来ました。
 金額自体に不満はないのですが、あと36円あればちょうどx00,000円だったのが残念です。すげぇ寸止めっぷり。


 翠たんハァハァ。
 以上、マガジン31号感想。


 昨日の似非メイドさん論について補足。

 私の知る限り、メイドさん萌えっていうのは少なくとも2通りのタイプがあるようです。ひとつは昨日書いたみたいな主体性を求めるタイプ。もうひとつは、絶対服従だからこそ萌えるっていうタイプ。無論これは単なる嗜好の問題なんですが。エロゲーとかエロ漫画等のメディアだとどっちかっていうと後者の方が多いのかな。ネット上だと前者のタイプも散見されますが。


 疲れてます。
 いや、疲れてますって言えば何を書いても許されるなんて(ほんのちょっとしか)思ってませんけど。第一、自覚があれば許されるなんてのはお子ちゃま理論だと思ってますし。


 とらいあんぐるハート3 〜 Sweet Songs Forever 〜 (JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 フィアッセシナリオ。

 フィアッセは本当に魅力的なキャラクターです。萌えるというよりは、一緒にいると心が安らぐタイプでしょうか。今作におけるフィアッセの立ち位置は、さざなみ女子寮における愛さんとおそらく同じでしょう。都築氏が愛さんについて語った、いつも一歩引いてみんなを見守っているキャラ、という言葉はそのままフィアッセにも当てはまります。違いがあるとすれば、フィアッセの方がより積極的であるというか、より世話好きであるという点でしょうか。個性派揃いの高町家にあって、フィアッセはどちらかというと際立って目立つようなキャラではないのですが、彼女がひとたびそのお姉さん振りを発揮すると、高町家の日常にはなんとも言えない優しい空気がふりまかれます。彼女のこの魅力については、例えば怪我をした恭也に対する言動などの例を挙げるだけでも十分に説明できるのですが、しかし何といってもフィアッセの魅力が満開になるのは、レン・晶ルートで物語を進めたときに見られるお誕生日パーティーの描写でしょう。レンと晶を抱きしめるフィアッセのCGがないのが私としては不思議でしょうがないのですが、それはともかく、この場面ほど、フィアッセが高町家の子供たちみんなのお姉さんであることを端的に示す場面は他にありません。『私たちも、昔、あれやってもらったね…』 レンと晶を抱きしめるフィアッセを見て、恭也と美由希は言います。ここはとらハ3全体を通して最も美しい場面のひとつに数えられるでしょう。念のために言っておけば、ここは別に物語が盛り上がる場面でもなければ緊張する場面でもありません。ごく普通の、高町家の日常です。でも、フィアッセがいることで、高町家の日常はどんなに優しい雰囲気のものになっていることでしょう。彼女はいつでも、優しさを惜しげもなく周囲にふりまくのです。

 ただし、このシナリオに関しては、正直言って評価が難しいです。フィアッセという魅力的なキャラクターを用意していながら、彼女の魅力を更に引き出し得るような物語を描くことができなかったからです。本来ならばこのシナリオは、美由希シナリオと同じく、ただし今度はフィアッセが自分の力(黒い翼)を受け入れる物語になるはずでした。少なくとも途中までは、物語は確かにこのテーマに沿って進んでいきます。が、しかし土壇場に来て、フィアッセの黒い翼は、白い翼へと変化します。これがどうしても私には納得いかないのです。物語の流れから言えば、あの場面は黒い翼のままで良かったはずです。翼の秘密がみんなに明らかにされて以降、フィアッセの黒い翼を肯定するような台詞が色々な人の口から語られるのはプレイした人ならみんな知っていることです。まず、病室にいる皆によって。次いで、フィリス女医の台詞によって。それから、母親であるティオレさんからかつて言われた言葉として。これほどまでに、自分の翼を受け入れなさいというメッセージが繰り返された後で、翼の色が変わってしまうというのは一体どういうことなのでしょうか。一番肝心な場面で翼の色が白く変わってしまうのだとしたら、結局は黒い翼は否定されなくてはならなかったのでしょうか。私が気になるのは、翼の色が変わったことよりも、その一貫性のなさです。黒い翼が最終的に否定されなければならないものだったのだとしたら、それ以前の段階で翼が不吉なものであることをアピールするような演出が必要だったでしょうし、更に言えば、黒い翼が変化を遂げて白い翼になるのだとしたら、白い翼が意味するものはなんなのかの説明が絶対に必要であるはずです。少なくともそれまでの物語の流れをごく自然に受け継ぐなら、あの恭也救出劇の際、フィアッセは黒い翼のままで恭也を助け、それによってフィアッセはようやく今まで嫌っていた自分の翼を心から愛することができるようになる、という展開になるはずなのではないのでしょうか。ここで都築氏は一体何を書きたかったのか、私にはどうもよく分かりません。

 私が不思議でならないのは、美由希シナリオやレンシナリオであれほど密度の高い物語を書くことができた都築氏が、なぜフィアッセシナリオではこの程度の物語しか書けなかったのだろうということです。都築氏はフィアッセシナリオの出来に納得しているのでしょうか。私の本音としては、この程度で納得してもらっちゃ困る、と言いたいところです。前述のような大きな矛盾点を仮に指摘しなくとも、このシナリオでは何かが不発に終わっています。密度が薄すぎるというか、要するに、都築氏自身が、フィアッセというキャラクターを持て余しているように見えてしまうのです。

 でも、なんだかんだ言っても、私はやっぱりこのシナリオが好きです。このシナリオは確かにフィアッセと恭也の物語としては疑問の残る出来になってしまっていますが、発想を変えてこのシナリオを主役不在の物語と捉えるなら、また別のものが見えてくるからです。物語の後半に至ってティオレ・クリステラ女史が登場して以降、フィアッセの影はいよいよ薄くなってしまうのですが、逆に、ティオレさんを中心とした海鳴の住人たちの物語は却って面白くなっていきます。ティオレさんと高町家住人との再開。ティオレさんとなのはの初顔合わせ。そして、コンサートが終わってもフィアッセのことをずっと待っていたソングスクールの面々。彼らはみんな、ティオレさんから何かを受け取っています。ソングスクールの面々は歌うたいとしてティオレさんの意思を継いでいきます。高町家の住人はティオレさんの笑顔を受け取ります。フィアッセは言うまでもなく、ティオレさんの優しさを受け継いだ一人娘です。ティオレさんがいなくなった後でも、彼女の思いは彼女が愛した人たちによって受け継がれていきます。この先どれほどの時間が経とうとも、ティオレさんの笑顔、ティオレさんの歌は、形を変えて、海鳴の住人たちに、ずっと受け継がれていくのです。たとえば、ティオレさんの思いを受け継いだフィアッセが、その優しさをいつも高町家の住人たちにふりまいていたように。

 優しい歌は、いつまでも続いていきます。例え完成度の点で劣ろうとも、この作品のサブタイトルを最も美しい形で実現しているのは紛れもなくこのシナリオです。エピローグの一枚絵は、優しい歌が未来へ託されていくことを象徴しています。とらいあんぐるハートシリーズは今作を持って完結するようですが、フィアッセシナリオのエピローグこそ、とらハシリーズのフィナーレを飾るに最も相応しいものであることを、私は疑いません。
 

 ああやっと終わった。
 疲れたけど、肩の荷が降りた気分。

 さあて。
 なのは、待たせてごめんね。今行くよー。


2001/7/3 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#3


 とらハ3のセーブデータが足りず。
 現状で、那美[3]、美由希[6]、忍[3]、レン[8]で計20個。

 やむをえないので、セーブデータを別フォルダに移してからフィアッセシナリオへ。
 感想は明日。今は眠すぎて無理です。

 ところで、フィアッセシナリオには幾つかの見逃しがたい欠点があるのだけど、その欠点の中で最大のものは、エピローグでなのはが成長してしまう、ことなんではないかと。


 ネバーエンディングストーリー(1作目)で『幼心の君』を演じてた子って確かあの当時12〜13歳ぐらいだったような。記憶違いでなければ。いわゆる適齢期ってやつですか。なんの?とは聞かないでください。あの娘にベッドの中で『パパ…』とか呼ばれたいです。もちろん成長は不可ってことでひとつ。


 つまり、メイドさんってのは、自分自身は確固たる一人の人間であるわけだけれども、その立場上、彼女はそのご主人様の意思によって「のみ」動かなければならないわけだ。[土方さんの7/3]

 メイドさんというのは、不特定多数の人間の憧れがひとつの形を取った架空の種族なので、そのイメージは当然、人によってある程度の幅を持つと考えられるのですがと前置きをしてから。

 私が抱いている理想のメイドさん像はもしかすると土方さんが抱いているそれとは違っているかもしれなくて、メイドさんの行動は基本的にはご主人様の生活習慣に従って規定されはするものの、仕事はあくまで彼女の主体的な意思によって行われる、というのが私のイメージです。

 自分の仕事と自分という一個の人間とを分けて考える人はもうメイドさんたる資格を致命的に欠くというか、私のイメージするところでは、本当のメイドさんというのは、一個の人間として欲することと自分のするべき仕事とが一致している種族のことで。だから、メイドさんはご主人様に仕えることで自由を失うのではなく、むしろご主人様に仕えている時こそが自然な状態なんです。

 ご主人様とメイドさんとの理想の関係は主従ではあっても“絶対服従”ではないと思うんです。メイドさんはご主人様の命令に従う存在なのではなく、ご主人様の身の回りの世話をする存在なのであって、だから逆にメイドさんを一個の人間として尊重し気遣うことのできない人はご主人様たる資格を持たないのです。

 メイドさんとご主人様の関係は、信頼関係を土台にしたひとつの人間関係なのであって、だからメイドさんはご主人様の言葉に絶対服従する必要はないのだし、また絶対服従してしまうようなメイドさんは私は欲しくないです。

 例えばご主人様がお酒をがぶ飲みしてたとします。そんな時、ご主人様の言う通りにお酒をどんどん飲ませてしまうようでは、メイドさんとしては失格です。本当のメイドさんだったら、これ以上はお体に障りますから、と言って適度なところでお酒を引き上げてしまわなければダメなんです。

 ああええと、まぁこういう考え方もありますよってことで。もっとも私がメイドさんに一番に期待するものは、私を裏切らない&私を大事にしてくれる、って辺りなんで、実は縛られるイメージと大差ないのかも。

 とらハ3の忍とノエルの関係が、今のところ私の理想像に一番近いのかな、なんて最近は考えてたりします。ELYSIONのディアナもかなりヤバイんですけどアレはちと被虐趣味くさいかも。いや、あれはあれで好きなんですが。


 あとついでもうひとつ書いてみると。
 鬼畜陵辱系のゲームをやる人と恋愛ゲームしかやらない人とではどっちが健全なんだろうなぁなんてことを私はたまに考えるのですが、これって割と考え方によって違ってくるような気がして。例えば、鬼畜系ゲームをやっている人たちはそれがフィクションであり一時の娯楽であることを明確に自覚している(はず)分だけ、恋愛系ゲームをやる人よりも余程健全なんじゃないか、なんて思うんです。のめり込んじゃったらどっちもヤバイんですけど、どちらかというと、現実生活にまで尾を引く可能性が高いのはおそらく恋愛系のゲームの方なので、娯楽と割り切れるかどうかという意味においては、本当にヤバイのは恋愛系にハマる人の方なんじゃないんだろうか、とか。いわゆる“鍵っ子”とか。


2001/7/2 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#2


 らむださんへの私信。

 返信、どうもありがとうございます。
 6/30 の文章全体が、私には、何か途方もない贈り物であるように思われます。私は多分、誰かにああいう言葉を言って欲しくて今日まで日記を書きつづけてたんです。

 私にとって、言葉というのは常に誤解されるものでした。幼少の頃から、言葉が正しく伝わらないことはずっと悩みの種でした。私が喋る言葉はいつも誤解されて、大抵は誤解を解く機会すら与えられないものでした。言葉を使うというのは、自分が見た世界を表現するということで、それはおそらく自分を表現することと同義です。言葉が正しく伝わらないというのは、言ってみれば、自分という人間が正しく伝わらないということです。自分の言葉は理解されない、は、自分は理解されない、と同義です。

 幼少時からずっと続いてきた苦い経験から、いつしか私は諦めることを覚えました。私は今もって、独り言以外の言葉を喋ることができません。言葉というものは伝わらないもの、常に相手に恣意的に解釈されてしまうものでしたから、誤解されてしまうぐらいなら、いっそ相手なんていない方が良かったのです。

 言葉が好意的に受け取ってもらえるとか、自分が思いもしなかった意味を受け手が汲んでくれる、なんていう経験を私は多分したことがありません。少なくともインターネット環境を手に入れるまでは。私にとって、インターネット環境との出逢いはひとつのカルチャーショックでした。そこには、自分の言葉を好意的に読んでくれる人がいたからです。自分の言葉が好意的に受け取られる、というのは当時の私にとって大きな驚きであり、また喜びでもありました。

 でも、元来他人から好意を受けることに慣れていない私は、だんだんとその状況に拒否反応を起こすようになってきて。時間が経つにつれて、好意的な反応をされても、この人もきっと私のことを誤解しているんだとか、この人が私の何を知っているというんだろうとか考えてしまうようになっていったんです。元々、私にとっては誤解される状態こそが“自然”だったので、好意を持って受け取られるというのは言ってみれば“不自然”な状態でした。

 私はその不自然な状態を理解することに努めはしましたが、結局それは徒労だったようです。自分が好意を持たれることが信じられない私は、挙句の果てにとんでもない嘘を考え出しました。すなわち、私のことを誉める誰かは、単に同情心から誉めているか、さもなくば余程見る目がない人なんだろう、と。この嘘はすごくもっともらしいと思えました。ここ1〜2年は、その時々で程度の差はあっても、だいたいそんなことをいつも考えていたと思います。なるべく表に出さないようにはしていましたが。

 私は何かを期待して文章を書いたことは一度もありません。いや、正確に言うと、自分が本当に期待しているものがなんなのか、私自身にすら分かっていなかったのです。

 らむださんの日記[6/30]は、私にとって本当に驚きでした。自分の真っ暗闇な心の中に光が射し込んできたような気がしました。多分、私が本当に誰かに言って欲しかったのは、“わたしは勝手にあなたに好意を持っているんだ”、“わたしは勝手にあなたの言葉から何かを汲み取っているのだ”という言葉だったんです。今まで私に好意を持ってくれた人も、意識的かどうかはさておき、多分みんなそうだったのだろうと今にして思います。ただ、それはあまりに当たり前のことだったからわざわざ言明する人はいなかったんでしょう。いや、私も薄々はそうなのかもしれないとは思っていたんです。でも、それを認められなかった。誰かに、その当たり前の言葉を言って欲しかったんです。

 らむださんの日記を読んで、私はようやく、誰かが私の文章から何かを汲み取ることがあり得ることを知りました。いや、知ったのではないです。現時点では、知ったと言えるだけの経験がないですから。ただ、らむださんがお書きになった『言葉がどこまでも広がっていく感覚』というものを、信じてみたいという気持ちになったんです。これは、私のうちでわずかに認識が変わっただけのことではあります。しかしそのわずかな違いは、私にとっては暗闇に一条の光が差し込んできたと言えるぐらい、意味のあるものです。

 最後に。
 私が今心配するのは、らむださんがこれを読んで戸惑いを覚えないだろうかということなのですが、念のため、私はらむださんの文章から勝手に何かを受け取って、勝手に好意を持っていて、その自分の気持ちを肯定したい、ということを書いて筆を置きます。改めて、ご好意に感謝します。

 追記。
 『星の王子さま』は、初めて読んで以来約10年、ずっと私のバイブルでした。もちろん今もです。この物語の話題が出ていてそれが好意的であったりすると、それだけでなんとなく嬉しかったりします。




 色々考えたのですが、とらハ3・レンシナリオの感想はやっぱり書かないことにします。

 レンが感じる寂しさはそのまま私の寂しさです。レンが覚える憤りはそのまま私の憤りです。レンがして欲しいことはそのまま私がして欲しいことです。レンが流す涙はそのまま私の涙です。レンの幸せはそのまま私の幸せです。レンの言葉はすべてそのまま私の言葉です。

 これがすべてです。他に言うべき言葉はありません。


 象牙の塔は、劇場版をイメージしていました。1作目の、あの輝く塔。まあエンデさんにとっては劇場版の話題を出されるなど身の毛もよだつ思いなのでしょうけど(裁判で負けてるしねぇ)、映画の一作目はビジュアル的には相当な出来映えだったと思います。

 あと、原作は厚いですけど、意外と読みやすいです。中学生の頃の私でも6時間ぐらいで全部読めましたし。

 …それはそうと。幼心の君、超萌え。(ぼそっ


 澪としてました[早瀬さん/とくそんさん]…ていうのは割とポピュラーなネタだと思ってたんですが実はそうでもなかった? あれ?

 ちなみにあれはわざとです。
 正確に言うと、たまたま一発変換でアレがでたので面白いからそのまま放置したんです。

 んと、あと私は美緒には全然萌えないので、しのぶ補正が掛かるのはむしろ上月さん家のチビ犬のほうだったり。限りなくどうでもいー話ですが。あと、IMEはこの程度のお馬鹿変換はしょっちゅうのような気が。『しのぶ』を『死乃部』とか変換しやがった時はさすがに殺意が芽生えましたね。(笑顔)


2001/7/1 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-07.htm#1


 6月の日記はトータルで125KBでした。過去最高記録。今までは多くても80KBぐらいだったのだけど。よっぽど腹に溜まってたものが…あった訳では多分なくて、とらハレビューもどきを書いてたせいでしょう。

 そういえば来訪者数がやっと通常値に戻りました。良いことです。まあうちはアクセスカウンターは一切つけてないので、あくまでアクセスログを見ての推測ですけど。人によって色々な意見はありましょうが、私見ではアクセスカウンターは百害あって一理なしの代物だと思ってます。以前にもちょこっと書いたけど、増えれば無駄なプレッシャー、減れば微妙に落ち込んで…なんて最悪ですから。ここ(日記)は自分の好きなことを好きなだけ喋る場所なので、他人の目を嫌でも意識してしまうカウンターなんてない方が良いのです。


 webチェキ。

 早瀬さんの6/30.

 あああわたしってばなんてことを(那美さん風味)。
 トップページしか見てなかったので、29日の分を完全に澪としてました。

 ともあれ、大怪我とかしなくて良かったです。ホントに。


 行きたいところなど(うしとらさんの日記)…に便乗して私もつらつらと書いてみましょう。ただし私の場合は、行きたいところというか住んでみたいところというか、テーマをわざとぼかして『憧れの場所』みたいな感じでいってみようかと。今回はフィクション限定で。

 1位。というより選考対象外

・フランスとスイスの国境にある小さな村 [とんがり帽子のメモル]

 2位以下は順不同で。

・高町家 [とらハ3]
・さざなみ女子寮 [とらハ2]
・風芽丘学園 [とらはシリーズ]
・サンタ・マリア島 [ELYSION]
・ラピュタ [天空の城ラピュタ]
・アルムの山小屋 [アルプスの少女ハイジ]
・6500万年前のゴンドワナ大陸 [GONDWANA/やまざき貴子]
・象牙の塔 [はてしない物語]
・ようことサキさんが住んでいる渋谷 [ようこそようこ]
・エル・グランド [YU-NO]

 すぐに思いつくのはこのくらいかしらん。住みたいところのトップは高町家。一度行ってみたいところのトップはラピュタ。


 webチェキ。その2.

 最近忙しくて2ch関係の巡回をあんまりやってない(とらハ絡みの板は別として)のですが、とりあえずここ1〜2週間で特に面白かったスレッドを2つほど。

 銀英のラインハルトのねーちゃんのエロ [半角板より]
 美奈萌とまひるの午後のティーラウンジ [エロゲネタ板より]

 どちらも、元ネタを知ってればむっちゃ面白いです。個人的に2chの優良スレッドに認定。


 ねがぽじ公式設定資料集を読んで

 あのー。
 香澄END.ってあれGoodEndingでしたか?

 あのラストシーンって、[以下、核心部分に触れるネタバレ]
 季節はずれの雪が振るベランダで、香澄は白い羽根とまひるの笑顔の幻を見て、我知らず空中に足を踏み出してしまった…
 という話じゃなかったの? 私の読み間違い?

 後で確認してみる必要アリ。


 とらハ3、レンシナリオ読了。

 感想はもしかしたら書かないかも。
 このシナリオは色々とシャレにならなさすぎる。この物語の中には、私の悲しみとか悔しさとか、喜びとか幸せとか、全部あるんだもの。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



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