鬱と電波と萌えな日記



はじめに.

 書いてる人(しのぶ)は基本的に情緒不安定な人ですので、日によって鬱な内容だったり毒電波が混入してたり下品な文章になったりすることがあります。合わないと感じましたら、読むのをお止めになることをお薦めします。

 日記内では、ゲームや漫画等のネタバレがしばしば含まれています。ネタバレ時は赤字にてその都度注意書きを加えますが、忘れることもあります。その旨予めご了承ください。


過去ログ
   1999年 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2001/6/30 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#30


 一通のメールのお陰で鬱状態から救われました。
 自分の単純っぷりに乾杯。


 諦めムードだった『りりチャ箱』ですが、秋葉原で楽勝、との情報を土方さんに教えて頂いたおかげで無事に購入することができました。改めて、どうもありがとうございます。愛してます(ぉ)。>土方さん


 約2ヶ月ぶりの秋葉原ってことで散財しまくり。

まず、同人誌。

01) JUICY FRUITS  [猫見屋/シスプリ・チェキ・姫/18禁] 
02) 12 CUTIES  [猫見屋/シスプリ・咲耶・可憐/18禁]
03) LOVELY BABY  [猫見屋/シスプリ・クスン/18禁] 
04) MOUSOUみにしあたー  [STUDIO BIG-X/さくら・シスプリ/18禁]
05) 咲耶 幼快伝  [あぶらかたぶら/シスプリ・咲耶/18禁]
06) Little Princess  [神竜騎士団/シスプリ/一般]
07) アクアリウムの魚 Ver.0  [VISTA/Kanon・佐祐理&舞/一般]
08) MINUTES NINE  [AKKAN-Bi Project/さくら/18禁]
09) 力の限りゴォーゴォー碁ー  [大阪魂/ヒカ碁・あかり×ヒカル・他/18禁]
10) 犬神  [共月亭・ぴちかぁ〜と/不明/18禁]
11) あかりちゃんが一番!  [KOALA MACHINE/ヒカ碁・三谷×あかり/18禁]
12) cu+re  [クォーターエリア/シスプリ/一般]
13) Nyan Press  [Tinker bell/ウェイトレス特集/一般] ←眠れる森のお姫様、の絵師さん
14) ふわふわふわり 2  [ふふふ☆プロジェクト/ONE/一般]
15) FHANTAS MAGORIA  [DiGiEL/なこりむ×閑丸/18禁]
16) 恋愛の教訓 IV  [LOVELESS/シスプリ・チェキ・姫/18禁]
17) TIMTIMマシン総集編  [TIMTIMマシン/ナデシコ・るり・他/18禁]
18) LOVELY  [薄荷屋/センチ総集編/一般]

それから、同人ソフト。

01) うさぎ倶楽部 SpecialDisk2  [うさぎ倶楽部/ファンディスク?/18禁]
02) 蒼彩の月  [いもむや本舗/痕CG集/18禁]

次に書籍

01) ねがぽじ公式設定資料集  [スタジオDNA]
02) ちょびっツ 2巻  [CLAMP/講談社]
03) Sister Princess 4巻・咲耶  [メディアワークス]
04) Sister Princess 11巻・四葉  [メディアワークス]
05) すべすべ  [あ〜る・こが/桃姫/富士見出版]
06) 甲子園の空に笑え  [川原泉/白泉社(文庫版)]

最後にメインディッシュ(笑)。

01) とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱  [JANIS/IVORY]





 とらいあんぐるハート3 〜 Sweet Songs Forever 〜 (JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 忍シナリオ感想・続き。

 このシナリオの終盤は実質的にノエルの一人舞台になる訳ですが、この部分は受け取る人によって評価が分かれるようで、例えば割と否定的なニュアンスで『忍シナリオのクライマックスはノエルに食われてしまった』と言う人もいるようです。確かにこのシナリオでは、終盤以降、忍はほとんど活躍の場を持ちません。しかしそれを持って、このシナリオの欠点とするのは性急なのではないかな、と私は思います。むしろ私としては、なぜ終盤に至って物語の中心がノエルに移ったのか、なぜ終盤に至って視点がノエルに移るのか、その理由を考えてみたいのです。ノエルに食われた、と言うのは簡単ですが、どうせなら、物語がノエル視点に移行することで何が生まれ得るか、と考えたほうが建設的ではないでしょうか。

 さて、ノエルが物語の主役になることに必然性があるとしたら、それはどういうものでしょう。私はこれを、次のように解釈します。すなわち、忍シナリオというのは、前半から中盤に掛けては恭也の視点から見た月村忍を描いており、終盤になってからはノエルの視点から見た月村忍を描いているのです。

 普通、物語には必ずその世界を見ている誰かが存在します。物語は、任意の一人の人物の目から見た世界である、といっても良いでしょう。例えばギャルゲーにおいては、登場するヒロインは、主人公の目から見た姿でゲーム世界に表れます。少なくともテキストが一人称で書かれている限り、主人公の目を介さずにヒロインの描写がなされることは原則的にはあり得ません。ギャルゲーのヒロインたちは、常に主人公との関係において語られる、とも言えるでしょう。とらハシリーズも勿論その例外ではない(とらハ2の知佳シナリオは例外ですが…)のですが、忍シナリオではこの法則はおそらく意図的に破壊されています。このシナリオの前半から中盤に掛けての忍は、常に、恭也の目から見た忍でした。それに対して、終盤の忍はノエルの目から見た忍です。これは非常に興味深い手法です。視点がノエルに移ることで、それまでの恭也視点では決して見ることの出来なかった、月村忍という少女のまったく別の側面が立ち現れて来るからです。

 孤独だった少女は、恭也に出逢うことで初めて子供のように笑うことができるようになり、ノエルとの別れを通じて、失われていた涙を再び取り戻します。途中から視点がノエルに移ろうとも、この物語はやっぱり、月村忍という少女のお話なのです。終盤で忍は何もしなかった、というのは正しいとは言えません。忍は、炎に包まれていくだけのノエルを前にして何もできなかったからこそ、泣くのです。

 もうひとつ。絶対に書いておかなければならないこと。
 恭也との関係において語られる忍は、気の合うクラスメートの女の子であり、また夜の一族の血を引く女の子であり、また恭也の恋人の女の子でした。ではノエルとの関係において語られる忍はどういうキャラクターでしょう? 考えてみると、このふたりの関係というのはすごく不思議な関係であるように、私には思われます。このふたりの間柄を言葉で言い表すのに、どんな言葉が最も適切なのでしょうか。主従、親友、姉妹、これらの言葉はいずれもそういう要素を確かに含んではいるものの、全体としてはおそらく違います。また、家族や大切な人という言い方では抽象的に過ぎます。もし強いて言うなら、忍とノエルの関係を言い表すのに一番近い言葉は、母娘、だと思うのですが、ただ彼女たちの関係は、例えば晴子と観鈴のような母子関係とは明らかに違います。この物語内では、基本的には忍はノエルの主人であるように見えますが、物語がノエル視点に移ってから初めて明らかになるように、忍のノエルに対する態度は、ある時は保護者のようであり、ある時は親友のようであり、また別の時は、母親に甘える娘のようでもあります。ノエルの忍に対する態度も、ある時は忍の召使であり、ある時は忍の親友のようであり、ある時は忍の娘のようであり、また別の時は忍の母親のようです。このふたりは、ある時は忍が母親でノエルが娘、別の時は忍が娘でノエルが母親、という感じに役割がころころ入れ替わります。ふたりはまったく自然に、おそらく意識すらせずに、それぞれの役割を担います。例えば、忍がそうして欲しいと思う時、ノエルは母親になります。忍もまた、その時々で、母親のようにノエルの体を労わり、母親が娘にそうするように、服を買ってあげる、という台詞が普通に出てきます。母娘、あるいはいっそ腹心の友とでも言ったら良いのでしょうか。このような関係が、他のギャルゲーの中でかつて語られたことがあったかどうか、私にはちょっと思い出せません。

 この物語は確かに忍の物語ではあるのですが、しかし例え物語の構成上という理由を付けたとしても、ノエルは忍のために存在した訳ではありません。ノエル自身は、自分の存在は忍お嬢さまのためにという意識を持っていたかもしれませんが、しかし忍の方はノエルのことを自分のための存在だなどとは微塵たりとも思っていなかったでしょう。忍にとってのノエルは、まず第一に、いつも傍にいてくれる人、ずっと一緒にいてくれる人、だったと思います。例え、表面上は主人とメイドという関係だったとしてもです。

 この美しいお話のエピローグでノエルが復活するのはまったく象徴的です。これはハッピーエンド至上主義的な考えから生まれたものではありません。このお話は“エピローグでノエルが再び目を覚ます”のではありません。そうではなくて“ノエルが目を覚まさなければお話の幕は降りない”のです。本編終盤で、忍はノエルを失わなくてはならなくなった時、初めて泣きます。ノエルは、かつて両親が死んだ時にすら涙を見せなかった忍が、自分のために泣いてくれるのを知って、初めて涙を流します。忍とノエルはそういう関係なのであって、そうであればこそ、あのエピローグは単なる気まぐれなどではありえないのです。この物語がハッピーエンドを迎えるためには、絶対に、忍の傍に恭也とノエルがいる必要があるのです。

 繰り返しになってしまいますが、終盤からエピローグに掛けてノエルの描写に力点が置かれるようになるのは、そうすることで忍とノエルとの関係をきっちり描くことができるからです。この物語の奥深さに、私はある種の感動を覚えます。

 最後に一言。
 ノエルが帰ってくるシーン。あのタイミングで『See You 〜小さな永遠〜』が流れるのは反則すぎると思うのだがどうか。


2001/6/29 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#29


 特に鬱でも躁でもない。普通の日。


 受信ゆんゆん。

 どなたか、都内で、おそらく明日中ぐらいならなんとか買えるかもしれない店があったら教えてください。いや、マジで。明日のお昼ぐらいまで待ってます。


 相手に、ほんの僅かと言えども、返信しなくちゃけいないような感覚を覚えさせたくないので参照リンクであることを明記しつつ。

 それを感じるぼくの中にも、人を感動させる何かが埋まってるんじゃないかな(らむださんの6/28)

 自分の中の何かを言い当てられる感覚っていうのは、痛い場合もあるけど、すごく気持ちいい場合もある。この場合は後者なんだけど。以前の日記のどこだったかで、私は、インターネットワールドにおいて最も不思議なことは…、みたいなことを書いたのだけど、あれはまだ十分に正確ではなかった。正確に言えば、私が不思議でしょうがないのは、誰かが私の書くものに感動らしきものをする可能性があるということ、誰かが私などに好意を持ってくれるらしいことだ。らむださんのああいう感覚は、私にとっては永遠の憧れでありまた永遠の謎でもある。これは本当に正直にそう思うのだけど、自分の中に他人の心を動かし得る要素がほんの僅かでも存在するなんて、私にはまったく考えられないし、考えたこともない。これだけ無駄に文章を書き散らしていると、たまには、私の書いたものを誉めてくれる方がいらっしゃるのだけど、これこそ私にとって一番不思議なことだ。もちろん、誉められれば嬉しいのだけど、それと同じくらい、私の中の何かは困惑をもする。うぬ、まだちゃんと形になってないのかも。うまく書けない。

 それはそれとして、6/27の日記が頭から離れないです。『内部からせりあがる質感 』とか、『曲線から囁かれるためらいがちな声に、皆さんも耳を傾けましょう 』とか。なんて甘美かつリアリティに富んだ表現。

 ああ、そういえばリルケも同じようなことを書いてたのを思い出しました。胸の話じゃないですけど。ロダン論の中の、『面』の思想。ロダンの像の面(肌を構成する曲面)にはひとつとして偶然はない、すべての面、ほんのわずかな陰影すらも、それは像の内部から来る血や肉、あるいは感情や思想の裏付けを持っている、像の内部にあるすべてが、面(表面)というひとつの形を取って表れてくる…とかなんとか。まあその、服を着ている方が色っぽいことがある、みたいなことは私も常々考えていたりします。


 忍シナリオは良いです。なんといっても他のキャラが私の名前を呼んでくれるのが最高です。特に那美さんの『…忍さん』とフィアッセの『忍ちゃん』がもう。ああ幸せ。


 とらいあんぐるハート3 〜 Sweet Songs Forever 〜 JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 忍シナリオ。

 おそらく、とらハシリーズ全編を通じて最も完成度の高いシナリオはこれでしょう。初代・さざなみ女子寮と受け継がれてきたとらハの物語は、ここに至って最も美しい花を咲かせます。ここには、初代に見られた優しく甘い恋の物語、さざなみ女子寮に見られたアットホームな雰囲気、両者に共通して見られる登場人物たちの真剣さ、全部あります。まさに、とらハの魅力が凝縮された、とらハシリーズの集大成だと言えるでしょう。

 個人的なことを付け加えるなら、忍シナリオは恋愛要素にきちんとウェイトが置かれているのが非常に好印象です。いくらか乱暴な言い方ではありますが、正直なところ、とらハ3の中で恋愛モノ(18禁描写含めて)としてまともに成立していると思われるのはこのシナリオだけです。那美シナリオ辺りは辛うじて恋愛モノと呼んでも良さそうな気もしますが、あのシナリオでは18禁描写はかなりおざなりになっている印象を私は受けます。あのシナリオでは、作者である都築氏自身が、18禁描写をどうやって物語の中に組み込もうかと迷っているように感じられるのです。初代からさざなみ女子寮、そして今作へと進むにつれて恋愛要素がどんどん薄くなってきているのについては、おそらく都築氏の志向するものが変化したのでしょうが、いずれにしても、ここで再びこのような甘いお話が体験できるというのは、初代以来のファンとしては嬉しい限りです。

 さて。抽象的な話ばっかりしていても埒が開かないので、もう少し物語に密着して見ていきましょう。

 この物語は、大きく分けると2つのパートからなります。ひとつは、前半から中盤に掛けての恋愛パート。これは言うなれば、忍と恭也の物語です。そしてもうひとつは、なんと名づけたら良いのか分かりませんが、後半以降の忍とノエルの物語です。忍シナリオは、忍と恭也の物語として始まり、徐々にふたりの関係にノエルが絡んできつつ、最終的には、この物語は忍とノエルの物語として幕を迎えます。

 まず、前半部分で私が特に書いておきたいのは、忍の正体が初めて明らかになるくだりです。以前の日記[4/1]にも書いたのですが、もう一度同じことを書きます。これに触れないのは自分の気持ちを裏切ることのような気がするので。

 いきなり身も蓋もない言い方ですが、忍が自分の正体を告白するくだりに、もうどうしようもなく心が震えちゃうんです。甘美なゾクゾク感。自分は人間とは違う、夜の一族なのだという告白。それから、わたしのことを忘れるかそれとも『誓い』を立てて一族に入るかどうかを問うくだり。同じ事を考えるような人がいるのかどうか分からないのが少々恐いのですが、私は子供の頃から、人外の一族、みたいなものにすごく憧れていまして。いや、別に自分の境遇に不満があった訳ではないのですが。少なくとも小さい頃の私はごく普通の、幸せと言えるだろう家庭に生きていましたから。一体そういう考えがどこから発生したのか今もって謎なのですが、とにかく私は、なんでか、人間以外のものになりたいと強く思っていました。人間以外の何か、例えば夜の一族とでもいったものが私を迎えに来て、さあ一緒に行こうと手招きする。私は誓い、もしくは契約をして、その一族と行動を共にする。誰にも内緒で、住み慣れた家を離れて、世界中を放浪する。子供の頃の私にとって、最も甘美な空想はそういうものでした。私は割とおしゃべりな子供で、大抵のことは親にペラペラと喋っていましたが、この空想だけは今日まで誰にも喋ったことがないです。この空想は秘密にしておかなければならない、秘密であればこそ甘美なのだから、ということを子供ながらに知っていたのかもしれません。この空想は私の成長と共に徐々に薄れてはいったのですが、今に至るまで私の中から消えることは遂になかったようです。

 とらハ3・忍シナリオをプレイしていて、忍が自分の正体を告白したときは、だから本当に驚きました。体が震えました。かつて自分が抱いていた空想が、あらゆる空想の中でも最も甘美な空想が、まったく突然に現実のものになったような錯覚を覚えました。しかもそれは、

 …秘密を共有してくれるなら……血を分けた仲として…
 私は、きっと一生……高町くんの……
 ……えと……
 友達でも、きょうだいでも……他のでも
 …関係はどうであれ……きっと、ずっとそばにいる…


 忍から恭也への、ひとりの女性としての告白という形を取っていて。目の前にある空想の実現は、空想を遥かに超えて甘美でした。この台詞は、告白と呼ぶにしては少々地味というか素朴なものであるかもしれませんが、私は、これほど素朴でしかも熱烈な告白を他に知りません。この、きょうだいでも友達でも他のでも、というフレーズは−言うだけ野暮かもしれませんが−どれでもいいという意味ではありません。これは、貴方とならどんな関係にだってなれるという告白であり、また、きょうだい、友達、家族、恋人、といった言葉で表し得るようなすべての関係を内包するような、まさに血の繋がりとでもいうべき関係になれる、という告白です。これはゲーム世界での出来事にすぎないのに、この場面に来るたび、私は、夢が叶ったような幸せな感覚を覚えます。

 あと、恭也が誓いを立てた後もすごいです。

 …………誓ったね
 ……もう破っちゃダメだよ


 と来て、

 ………………恭也ー………♪

 と甘えた声で抱きついてくる。誓ったね、とわざわざ確認をする辺りも素晴らしくゾクゾクくるのですが、その後、初めて恭也の名前を呼ぶ時の忍の声の甘いこと。いや、実際にはそれほど甘い声ではないのですが、クラスメイトの女の子とひとつの秘密を共有して、その子に初めて名前で呼ばれる、というのがもうどうしようもなく良いのです。

 人外との恋愛シチュエーションといえば、とらハシリーズではさくらシナリオがありますが、さくらシナリオの場合だと、付き合い始めの段階ではさくらはごく普通の後輩の女の子でした。それに対して、忍シナリオの場合は正体が先に明かされてその後で告白がきます。さくらシナリオは、既に付き合っている女の子が実は人外だった、というお話です。忍シナリオでは、最初に人外の女の子であることが明かされて、それを知った上で付き合うかどうかを選ぶことになります。私としてはもちろん、さくらの告白も大好きなのですが、それにしても忍シナリオの演出の妙には感心させられます。このシナリオの何が素晴らしいと言って、告白の状況を作るに当たって、人外という設定を最大限に上手に活用していることです。

 忍なりの人の愛し方、という辺りはもうそういうものとして受け入れるより他にないのでそれを前提に書きますが、忍は恭也に告白するに当たって、好き、とか愛してる、ではなくて、夜の一族としての自分と秘密を共有できるかどうか、をまず問います。忍が吸血鬼の一族であることを考えると、血を分け合った上でその秘密を共有する関係を求める、というのは割と自然であるような気がします。誤解を恐れずに言えば、吸血鬼の女の子が、好きな相手とひとつの血を共有することに喜びを覚えるというのは、私としては特に難なく理解できます。素で、ロマンチックだと思う。そういう発想自体がドリーマー過ぎるかもしれませんが、やっぱりロマンチックなものに私は弱いので、そういうものとして受け入れることに、抵抗は全然ないです。いずれにしろ、これは、吸血鬼の一族である忍のキャラクターを上手く活かした、たぐい稀な名場面だと思います。

 これ以降の忍と恭也の甘々っぷりについては逐一書いていくと時間が幾らあっても足りないと思われるので、はしょります。…が、特に好きな場所をひとつかふたつ。

 恭也、いつも優しいから…
 ……遠慮してたり、気をつかったり……してくれてるか
 もしれないと思って、言うんだけど
 …………その……
 いいよ………?……しても……
 ……まだ恋人って感じではないけど…
 ……友達なんだし
 ……私は…恭也のこと好きだし
 ……そうなっても……別に、いいよ……?

 しまった………もしかして私、魅力ない!?
 だ、だとしたら……今の……ナシ……

 最後の2行がすべてです。こういう台詞を言わせてしまう都築さんはまさに萌え描写の天才です。この2行で、忍の魅力は一気に200%になります。

 あと、忍シナリオ中最高の−いやむしろ最強というべきか−名台詞。

 ひとりでするの禁止ね

 これに悶えなかったら男じゃねぇ(萌叫)。なにやら勝手なこと言ってますが。

 以上、萌え方向から見た忍シナリオ感想。
 明日は、忍とノエルの物語についてちょっとだけ書きます。


2001/6/28 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#28


 忍(月村)の声って脳がとろけそうなくらい気持ちいい。はにゃ〜。


 疲れたので9時間ほど爆睡。
 が、9時間寝ても目覚まし時計が鳴るまで起きなかったのでまだ寝足りないかも。


 最近は、寝る前にゴールドベルク変奏曲をよく聴く。
 これは私にとっては鎮魂の音楽だ。弱っている魂には、この曲は本当に優しい。

 ちょっと前まではもっぱらグールド盤だったが、最近はシフ盤なんかをよく聴く。シフは、繰り返しの時に同じフレーズを1オクターブあげて弾いたりするのだけど、これがなんかとってもお洒落な印象を醸し出している。


 正しさや間違いとはまったく違う次元で書かれたものは、私の心にストレートに響く。例えばMK2さんの日記とか。そういう文章っていうのは、多分、頭を耕した結果生まれたものではなくて、反吐である場合が多いのだろうけど。

 ここに書かれているこが、おそらくとくそんさんにとって、正しいとか間違っているとかそういう問題じゃないような種類のものであるのと同じように、私のアレも正誤とは無縁のもの。

 おそらく。その人本人にとってしか正しくないようなものってあると思う。本人にとっては絶対に正しいのだけど、その正しさは本人にしか通用しない、とでもいったものが。ただどうしようもなく出てきてしまった反吐について、それは正しいとかそれは間違っているとか言われても、本人は困惑するだけだ。誰かを好きになった人に向かって、あんな人好きになっちゃダメ、なんて言ったってどうしようもない。

 時には、見て見ぬ振りをすることが優しさである場合もあります。というか、とくそんさんの6/27を読んで、まぶしさに目が眩んだ(全肯定のニュアンス)のでこんなことを書いてしまったらしいです。莫迦な私は。


 Kanonにまつわるインチキ話。秋子シナリオへの入り方。(以下、シャレの分かる人しか読まないでください)

 えーこほん。Kanonで秋子ルートへ入れないとお嘆きの貴方へ。
 まずですね、秋子さんのシナリオへは、単なるコマンド入力では入れません。あの禁断の隠しシナリオに入るためには、なによりも覚悟が問われます。漢なら戦って勝ち取れ、という製作者のメッセージです。
 で、入り方ですが。ずばり、秋子さんと戦って勝つ、です。具体的には、秋子さんが謎ジャムを持ってくる場面がありますよね。あの場面で秋子さんがジャムを取り出したら、その瞬間に瞬獄殺[弱P・弱P・→・弱K・強P]を叩きこんでください。コマンド入力のタイミングは、秋子さんが現れてから1.5秒以内です。この時、秋子さんはジャムを持っていて両手が塞がっているので、隙ができるのです。ただし、1.5秒以内にコマンドを入れられないと、反撃を食らって逆に瞬殺されますので注意です。婦女子に手を上げるなど紳士の風上にも置けぬわ、と仰る向きもありましょうが、なにしろ相手はアークデーモンです。容赦は無用です。というか下手に容赦するとこっちが死にます。遠慮なくボコってください。ちなみに、鮎シナリオで秋子さんが風邪を引きますが、あの時は一見隙があるようでいて実はちゃんと結界を張っているので、攻撃してはダメです。攻撃するとカウンターで殺されます。で、話を戻して、瞬獄殺で秋子さんをボコることに成功すると、秋子さんは貴方を『資格あり』と認めてくれて、めでたく裏シナリオへ入れます。あとは、秋子さんの機嫌を損ねないようにして(あくまで不意打ちでの勝利であることを忘れずに)無事に1月31日まで生き延びることができたら、めでたくえっちシーンとなります。

 多分、言葉だけでは信じて頂けないと思うので、証拠写真を提供しておきます。このCG目指して頑張りましょう。

 尚、この裏技は、key様非公認です。くれぐれももkey様に本件で問い合わせたりしないようにお願いします。また、本件は無保証です。この裏技を実行したことによって生じるいかなる損害についても、当方は関知致しません。あくまでも自己責任でお願いします。


 ちょっと前にシャレで作ったCGがあったのを思い出したのでつい悪ノリを。許してください。あと、証拠写真は明日の未明には消滅しますので悪しからず。


2001/6/27 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#27


 どうでもいいのだが、神咲家の双子、北斗と那美ってもしかしてウルトラマンAか。今まで気がつかない辺り、我ながら耄碌していると思うが。


 とらいあんぐるハート3 〜 Sweet Songs Forever 〜 (JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 美由希シナリオ。

 美由希シナリオとフィアッセシナリオはひとつのキーワードを共有しています。すなわち、誰にも認められないけど好きな人を守ることのできる力、です。美由希は御神の剣、フィアッセは漆黒の翼。

 この物語はラストの戦闘シーンのインパクトが非常に強いため、まるで物語全体がこのラストシーンに向かって動いていくような−つまり、修行の日々はこのためにあったという−錯覚を受けてしまうのですが、物語の中でのあの戦闘シーンの意味は、単に美由希がフィアッセを守るということだけではなくて、それを通じて美由希が自分の力を全的に受け入れ信じることができるようになる、ということでもあります。いや、むしろ物語の本当の主題はこちらでしょう。本当に重要なのは、自分の力が、誰にも認められないけど好きな人を守ることのできる力、であることを美由希が知ることです。その意味では、この物語は努力が報われる話の典型だとも言えるでしょう。私は以前の日記[3/28]の中で、美由希シナリオを『どっかで見たような話』などと評しているのですが、この言葉はおそらく“骨格が平凡”ということを意味していたのだと思います。しかし、選りにも選ってとらハシリーズで構造の凡庸さを指摘するのは我ながら怠惰だったと言わざるを得ません。とらハシリーズのすべての物語は、あの都築氏が味付けをしているのですから。本当に着目するべきは、その平凡な素材を都築氏がどう料理したか、でしょう。

 さて、改めて美由希シナリオです。この物語に一貫して流れる主題は美由希の自己受容です。私はそういう風にこの物語を読むことを好みます。そういう風に読むことで、おそらく、毎日繰り返される修行の日々を、ラストシーンに至るための単なる素材とみなさないで、それ自体に意味を見出せそうな気がするからです。

 この物語は努力が報われる話なのですが、考えてみると、美由希の努力は目的が非常に不鮮明なものでした。御神の剣は人々の平和な暮らしを影で守るための力だ、ということは美由希は知っていたかもしれません。しかし美由希にとって、守るべき対象はまったく不明瞭でです。誰かのため、などというのは抽象的すぎて目的とはなり得ません。かといってもちろん、彼女は力のための力を欲している訳でもない。美由希の修行の日々というのは、一見何気なく平和に繰り返されているようでいて、実は非常に脆い土台の上に乗っているのです。それこそ、いつ挫折してもおかしくないくらいには。実際、過去に美由希は、挫折に突き落とされかねない経験(幼い頃の剣道道場での一件)をしています。また、物語本編の中でも、美由希は一度、道を誤りかけています。彼女は、自分の修行のために恭也やフィアッセが犠牲になっていると思い込み、自分を責め、修行に没頭して体を壊しかけます。努力が報われる物語だとは言っても、そもそもフィアッセを守るべき場面まで美由希が到達できないという可能性だってあるのです。自分の努力の結果を、ひとつの形あるものとして見ることができないままに終わってしまう可能性だってあったのです。都築氏という人は、一見ほのぼのワールドを描いているようでいて、実は意外にシビアな人だと思います。とらハワールドの平和な世界は偶然性とは無縁のものです。あの世界が優しいのは、誰かがそう望んでいるからです。あの世界が平和なのは、誰かがそう望んでいるからです。作者が、ではなくて、海鳴の世界の住人たちが頑張っているからこそ、あの世界は平和なのです。とらハワールドの世界が決して無条件に平和な訳ではないことは、美由希シナリオにおいて非常に明瞭に語られています。美由希の修行の日々が基本的に平穏だったのは、ひとえに恭也がそう望んだからです。あの平和な日々は恭也が作っていたと言っても過言ではありません。恭也が美由希のために払っている努力は、ちょっと私の想像を超えたものがあります。恭也は、美由希が挫折しないように、本当に細やかな配慮をしています。好きな人を守ることのできる力を手に入れたのは美由希の努力の賜物ですが、そこまで導いたのは恭也とフィアッセです。ひとりの人間の生が、いかに多くの人たちに支えられているか。また、支えられなければならないか。余談ですが、那美シナリオの後半の主題もこれです。都築氏の描く物語が優しいと言われるのは、おそらく、都築氏が人間の弱さを知っている人だからです。弱いからこそ人は優しくあらねばならない、と都築氏は言いたいのかもしれません。

 ちょっと読み返してみるとなんか理論が破綻してる気がする。美由希の自己受容はどうしたよ俺。まあいいや。理論性を重視する人はそもそもうちの日記は読んでないだろうから。

 名場面、名台詞。

 おまえは俺の宝物なんだよ

 まさに、恭也が美由希のことをどのくらい大切に思っているかが凝縮された台詞。今でも、かつて日記[3/28]に書いたことを思う。恭也になってこの台詞を言いたい。

実のところ、美由希シナリオ終盤以降は名台詞のオンパレードなのだけど、すべて引用するのもアレなんでやめておきます。あなたの娘ですから、とかすごく好きなんだけどね。あと、あのエピローグ。個人的には、これはとらハシリーズ全編を通じて最も美しいエピローグだと思います。もう鳥肌モノ。


2001/6/26 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#26


 24日の反吐が誰かに理解されるなどとは夢にも思っていませんし、またそんな期待は最初からしていませんが、ただ、私の意図とは全然別の読まれ方をされてしまうのはちと不本意なので、短い文章で補足しておきます。

 まず、私はあの文章の中で、こころんやまひるが微笑むのは愛されたいからだ、なんて一言も書いてません。そうではなくて、彼女たちは愛されたいという切実な欲求を持たないからこそ、私の憧れなのです。

あと、無防備にえへへって笑うことができるからみんなに愛してもらえる、っていうのはそうなんですけど、要は無防備に笑えるための条件というものがあると思いまして。私はその条件を満たしていないから笑えない。では条件を満たすにはどうすれば良いか、とか考えなくちゃならないんです。

 それと、わたしがイメージする“ちいさな女の子”はおよそ観念的なものです。女の子になりたい、というのは、女の子になれば幸せになれる、ということを意味しません。そもそも私は、子供が大人よりも幸せだ、大人は子共よりも苦労している、などという考えを持っていません。子供は子供なりに悩み、子供なりに苦労しています。社会の中で生きる大人が様々な軋轢を抱えて生きているように、子供にも子供社会とでも言うべきものがあって、子供はその中で子供にしか分からない軋轢を抱えているんです。子供は悩みや苦労がないだのと言う人は、単に自分の子供時代のことを忘れてしまっているだけです。


 メモ。

 ブルータスはシーザーを殺した理由について、俺はシーザーを愛さないのではなくローマを愛したのだ、と言った。シーザーを殺し、その理由を民衆に説明したブルータスは公人だった。それに対して、マーク・アントニーは一個の私人として、友人の立場からシーザーを語った。ブルータスは理を持って語った。アントニーは情に訴えた。


 架空の誰かに向けて。

 web日記を見てるとたまに、もしかしてこの人は私のことを揶揄しているんだろうかとか思っちゃうことがあるんですが、特にリンクとか名指しとかでない限りは、意識的に、自分のことだとは思わないことにしてます。ぶっちゃけて言えば、無視です。まぁ、大半は私の自意識過剰だとは思うのだけど。

 あの、なんかその、周りのすべての人が恐いです、今。


 とらハ3美由希シナリオ。プレイは終わって要点もおそらく掴んだはずなのに全然書けない。


2001/6/25 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#25


 今、ちょっと気持ちに余裕がないです。すみませんが。


 とらいあんぐるハート3 〜 Sweet Songs Forever 〜 (JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 那美シナリオ

 那美さんの笑顔を見ているだけで幸せだ、と書く以外に、何を書くべきなのか分からないです。重要なのはこの一言だけ。海鳴の住人がみんな優しいのは今更言うまでもないのですが、このシナリオにおいて、優しさの描写は今までなかったくらい突き詰められています。とらハシリーズのキャラは、多かれ少なかれ、その優しさゆえに、時に嘘をつき、時に気持ちがすれ違ってしまうのですが、このシナリオでは本当に最初から最後まで、恭也と那美さんとの間には穏やかな空気が流れています。彼らの間には一度としてすれ違いは起きないし、彼らは大きな声を出したりすることはありません。言うまでもなく、静かな空気の中では人は大声を出す必要がないのです。大声を出さなくても、親しみを持って穏やかに話せば、気持ちは通じるのですから。

 恭也と那美さんは、出逢って以降、ほとんど何の躓きもなく仲良くなっていきます。いや、この場合、仲良くなった、という言い方すら不正確でしょう。出逢った当初の彼らをわずかに隔てていたものは、遠慮のみです。彼らは最初から優しかったし、お互いをすごく大切に思っていた。初代の真一郎と小鳥の関係がそうだったように、恭也と那美さんの関係も、友人であるか恋人であるかという“立場”の問題はほとんど意味をなしません。彼らの優しさはそういう立場とは無縁のものです。私が高校生の頃、現国の先生が言った言葉があります。『誰だって好きな人に優しいのは当たり前なんだ、でも本当の優しさっていうのはそういうのとはちょっと違うんじゃないかな』 。私は今でもこの言葉が忘れられません。そう、誰だって好きな人の前では優しいのです。でも、とらハキャラの優しさはそういうのとはおそらく違います。彼らは人間をデフォルトで信じています。彼らは初対面の人に対してさえ躊躇いなく笑顔を向けるし、初対面の人に対してさえまるで昔からの親友であるかのように思い遣りを持って接します。もちろん、最初は遠慮があるにしても、すべての都築キャラの言動の根底にあるのは、他人への無条件の好意です。そして、海鳴の住人たちがあんなにも仲がいいのは、お互いがみんなそういうキャラだからです。以前、私が書いた“とらハシリーズの優しさは恋愛以前の優しさだ”っていうのはそういう意味です。

 この物語を恋愛モノと呼ぶことに、私は抵抗を感じます。それは、とらハ3という作品に一貫して流れるテーマ“守りたいものありますか?”のせいばかりではありません。なによりも、この物語は恋愛であるにしてはあまりに美しすぎるからです。この物語は恋愛モノとしては起伏がなさすぎます。ただ、ひとりの少年とひとりの少女が出逢って、ほんの些細な誤解すら生じることなくふたりは恋人になる、なんていうのじゃ、普通に考えたらそもそも物語として成り立ちません。でも、都築氏はここで敢えて、そういうこの上なく牧歌的な物語を描いてみせます。ここで展開されるのは、既に恋愛モノであることすら放棄して、ただひたすら優しさだけを求めた世界です。何も起こらず、ただ好きな人の笑顔があるだけの、平和な、平和な世界。この物語はまったく非現実的です。でも、私のようなものが現実世界でなんとか生きていられるのは、こういう美しい世界の空気を、たまに呼吸することができるからです。私はこの物語を信じます。

 特に、名台詞とかはなし。那美さんの言葉、那美さんの仕草−凛々しいところも含めて−はすべてが愛しいので、那美さんが出てくる場面はすべて名場面だし、那美さんの言葉はすべて名台詞です。


2001/6/24 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#24


 web巡回してたら、衝撃的なSSS.MA.Pの雑記より)に出逢ってしまったので突発的に反応。

 …多分、素直に好きだと伝えても、また捨てられるに違いないっていう劣等感を持ってたんだと思う。素直に好きだって感情を表してた昔、俺に、捨てられちまったから。だからアイツは、素直になれなくて、あんな天の邪鬼になったんだ

 祐一のこの台詞を読んだ時、妙な感覚、なんというか、何かが胸にすっと入ってくるような感覚を憶えた。いや、入ってくるというよりも、元々自分の中にあった名づけようのない感覚が、この台詞によって初めて形あるものになった、というか。自分でも自覚していなかったわだかまりの元を、スッと指で押さえられたような感じ。

 もうひとつ。デジャ・ヴー。この台詞を読んだ時、妙に懐かしい心地がした。例え鬼(敵)となっても貴方の傍にいたい、というイメージが最初に出てきた。私は昔、どこかでこういうイメージに出逢ったことがある。思い出すのに少し時間が掛かったのだけど、そう、これってアリスの往年の名作、アトラク=ナクアだ。

 …あと、これって一見真琴萌えSSに見えるけど、実はそれと同じくらい天野さん萌えSSでもあるんだよな。
 祐一の台詞のすべては、

 結婚しよう。お腹の真琴の為にじゃなくて、俺たちの幸せの為に

 最後のこの台詞に収束されていく。すべての台詞が、この一言に向かって動いていたと言ってもおそらく的外れではあるまい。

 以上。突発雑記。(2001/6/24・11:30)
 やー久しぶりに、負けたと思った。実に良い気分。


 なんかダメ。憂鬱。無気力。那美さんがいないことが寂しい。なんで那美さんは海鳴の住人なんだろう。なんで私は現実世界の住人なんだろう。那美さんにさわりたい。たった一回でいい、那美さんをぎゅーって抱きしめたい。他に何もいらない。

 那美さんのことを考えている時が一番幸せだ。でも、那美さんのことを考えている時が一番不幸だ。

 寂しさから逃れるために、ゲーセンで怒首領蜂をやった。2回プレイ、約2時間ぐらい、なんとかして忘れようと、頑張ってゲームに没入しようとした。でも、没入すればするほど、心は妙に冷めていって、いよいよ虚しくなった。楽しくない。

 午後3時すぎ。虚しさから逃れるために、車を駆って日光へ行った。いろは坂からの景色は綺麗だった、と思う。初めて竜頭の滝を見た。なにも感じなかった。この景色の中には那美さんがいない。那美さんがいない世界に何の価値があるか。

 何もしたくない。私が欲しいのは那美さんの笑顔だけだ。他に価値のあるものなんてない。


 注意。以下は反吐なので読まないでください。心の中の沈殿物を少しでも吐き出して楽になろうという意図で書かれています。完全に、自分のためだけの文章です。


 ちいさな女の子になりたい、なんて思う時がある。

 こういうことを初めて意識したのは実はつい最近で、切っ掛けは、まひる(ねがぽじ)との出逢いだった。正確に言えば、私は広場まひるに出逢って初めて、自分の内にそういう願望があることを明確に自覚した。今はまひるのことは置くとして。なんで女の子になりたいかっていうと、私は可愛いものが好きだから。普通、世間の標準的な男性は可愛いものにそれほど心を動かされないように思うのだけど、これはかねてから真剣に不思議なことのひとつだった。可愛いものに心を動かされない人間の存在は、私には謎だ。でも現実問題として、大人の男性が可愛いものを愛するというのは、世間的にあまり真っ当だとは言えないらしいし、第一、絵にならなすぎる。だから、女の子になりたい。可愛いものを可愛いと言う(表明する)ことが世間的にごく自然であるような存在になりたい。可愛いものを愛することが世間的にごく自然であるような存在になりたい。じょうろで作った虹を大人に見せて、微笑んでもらえるような存在になりたい。

 私は理論武装している自分が嫌いだ。ギャルゲーをやってキャラクターに萌えている時、私はまったく無防備だ。だから、ギャルゲーをやっている時の自分は好きだ。人間を信じることのできない私は、理論武装しなければ生きられない。この残酷な世界で自分を守れるのは自分しかいない。でも、理論武装なんかしないで生きられたらどんなに素晴らしいだろうと思う。無防備にえへへって笑うことができたら、どんなに素晴らしいだろうと思う。私はいつも架空の悪意と戦っている。いつからだったか忘れてしまったけど、他人は常に私を否定する、という発想が私には染み付いている。今となっては、それが架空のものであるかどうかすら、もはや分からなくなってしまった。私の理論武装とは、つまるところ、私は生きていてもいいんだ、私は笑ってもいいんだ、と自分に言い聞かせるためのものだ。

 最近、思うことがある。私は、いわゆる“理想のタイプ”というイメージをかつて持っていたことがない。でも最近になって、私は、理想のタイプについてひとつのイメージを持つようになった。理想、というよりも、唯一の、必要にして絶対の条件というもの。私には“好きなタイプ”というものはない。ただ、もし私が誰か他人と一緒にいられることがあるとすれば、その人はどうしても理想のタイプの人でなければならない。理想のタイプ、すなわち、一日に十回、毎日、私のことを好きだと言ってくれる人。別に、好き、という言葉である必要はない。ただ、私の言葉に対して、私の仕草に対して、微笑みをもって理解をくれる人。

 もし他人がこんなことを言うのを聞いたら、私だったら、フザケルナと言うに違いないと思う。舐めてんのかコイツはと言うに違いないと思う。自分がとてつもなく阿呆なことを言っていることぐらいは分かっている。これは他人に要求して良い(ということがあるとして)範囲を遥かに超えた途方もない要求だ。でも、人間不信な私が誰かを愛することができるとすれば、そのためにはこういう経験を通過した後でなければ絶対に不可能だ、とも思う。私は、かねてから、私は人間と付き合う資格なんてない、私は人間に愛される資格なんてない、と思っていた。それは、ひとつには、他人に対する要求があまりにも大きすぎるせいだ。相手は私のことを好きだ、ということを確認した後でなければ、私はなにもできない。こんな人間は誰かに愛される資格などない。望んですらいけない。おそらくは。

 私は、こころんになりたい。あるいは、まひるになりたい。ただ、無防備にえへへって笑っているだけで、誰かに愛してもらえるような女の子になりたい。


2001/6/23 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#23


 PUSH!! 8月号

 当然のことながら、お目当てはとらハ特集。
 とりあえず、記事の方は3のレビューを書き上げるまで封印の予定なので、付録CD-ROMのこと。

 壁紙。なんかその…イタイのですが。あの下手クソな絵は誰が書いたんでしょうか? まさか都築氏じゃないですよね? 違うと言ってください。いやマジで。知佳と美由希と、あともうひとり、後ろの方にいるキャラが最初だれだか分からなかったんですが、服から察するにあれって小鳥ですよね。鬱です。あんなアダルティー小鳥は小鳥じゃない。

 デモ。MPEGムービーっていうのはちとびっくり。まあそれはともかく。クイズはまあ良いとして、ミニゲーム。晶が主役なのは別にいいけど、モグラ叩きゲームのモグラ役がレンっていうのは許せん。私にレンを叩けるわけないじゃんよー。これ企画した人は逝ってください。

 デモ。リリカルなのは。恭也がカッコイイです。現時点では他にはコメントはなし。

 ううむ。来週の土曜日は1%の可能性(新品は無理だとしても運が良ければ中古は出てるはず)に掛けて秋葉原に行こうと思ってたんだけど、なんか無理して買う必要はないような気もしてきました。デモを見ても、なんかなぁ、うわー欲しい!!って気にならないです。


 新作(PUSH!!#8から)チェキ。

・CONCERTO(SUCCUBUS) 買い決定。少女趣味全開な広告絵がかなりツボ。ひらひらフリル好きとしてこれは当然押さえておくべき。

・マイフェアエンジェル(Studio e.go!) 買い決定。第1段階【幼体期】バージョンを抱っこできないらしいのはかなり詐欺くさいが、それを差し引いてもプレイする価値はありそう。少なくとも雑誌の紹介を見る限りでは、18禁育成モノの代表であるFifthシリーズと比較しても、よりコミュニケーション志向のゲームになっているような気がする。期待。

・君が望む永遠(アージュ) 絵柄を見る限りは保留。ただし、体験版は高評価らしいので今後の状況次第か。


2001/6/22 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#22


 シスプリ考察。嘘です。

 ゲーム中の描写を見る限り、主人公が使ってるメーラーって、それぞれの妹毎に個別のフォルダ(咲耶とか四葉とか)が用意してあって、自動的に振り分けるような設定になっているんじゃなかろうか。受信トレイ等の通常フォルダ以外に12個の妹フォルダ。設定は妹の名前で判別。……あ、でもそれだと怪盗クローバーのメールが四葉フォルダに入らないか。とすると、送信元(各妹のメールアドレス)で判別して各フォルダに転送、というところか。ある意味、妹萌え者の夢かもしれませんなこれは。

 しかし、怪盗クローバーの名前でメールを出すのに、メーラーの設定そのままで送信する四葉も相当にアホな気がする。まあ、自作自演をやるためにわざわざフリーアドレスを取得するようなキャラだったら嫌すぎるけど。


 PUSH#8情報早瀬さん・6/22)。

 こ、これは…。
 とらハフリークとしては絶対に買わない訳にはいかないけど、『魅力の検証』がライターインタビューのテーマなんだとすれば、感想が書きあがるまでは読まない方が良い気がする。私が書きたいのは、とらハに関する正確なレビューではなくて、あくまで“私の目から見たとらハ”なんで。外部の視点を入れちゃうのは好ましくない。
#実は、更新されたとらハ用語辞典もまだ読んでなかったり。

 という訳で、付録CD-ROM目当てに買って記事の方は当面封印、の方向で。ちと残念だけど。

 あと、なのは。(とくそんさんの真似)


 とらいあんぐるハート JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 さくらシナリオ。

 最強萌えゲーの称号は伊達じゃないことを再認識しました。ヤバイです。今、さくらの魅力は?とか聞かれたら、『えっちなところー』とか朗らかに答えちゃいそうです。幼い外見にしてあの色っぽさは只事ではないです。あ、私が言ってるのは別に発情期のことでもなければえっちシーン自体のことでもなくてね。むしろ、そうでない時のちょっとしたしぐさとかが、妙に色っぽいんですよもう。これって絶対確信犯でしょう(→都築氏)。

 例えば、真一郎が怪我した指をさくらが舐めるエピソード。普通に怪我した指を舐めるだけでもかなり色っぽいと思うのだけど、都築氏が描くと、それに加えて“コクコクと”血を飲む描写が出てくるんです。これはもちろん、後々のさくらの正体に関する伏線としての意味もあるんでしょうけど、伏線とかなんとか以前に、この描写は反則です。

 それから、何回目のえっちシーンだったかで−というか正確にはそのちょっと前なんですけど−真一郎がさくらを抱っこしてベッドに運ぶシーンがあるんですが、ここで、抱っこされたさくらが真一郎の首にきゅっと抱きつく描写が出てくるんです。ここはテキストだけでわずか1行の、うっかりすると読み飛ばされてしまうような些細な描写なんですが、さりげなくこういう小技を効果的に使ってくるのが都築氏の凄いところです。この時のさくらは本当にまったく何にも考えてないです。もうほとんど本能とかそういうレベルで、好きな人の首に抱きついてしまったに過ぎない。でも、この時の仕草はあまりに無防備であるゆえに、却ってさくらの全幅の信頼が伝わってきます。

 もうひとつ。というかそれとは別にこのシナリオの良い点について。
 ギャルゲーというのはどんな作品にしても、もちろんとらハシリーズすら例外ではなく、多かれ少なかれ退屈な前半部というやつを通過しなければなりません。物語の導入部分はどうしてもキャラクター紹介等のイベントに費やされてしまうので、これはもう避けられないギャルゲーの宿命みたいなものとも言えるかもしれませんが、その中にあって、さくらシナリオは展開の仕方が非常に上手で、退屈を感じにくい作りになっているように思えます。要するに、トップスピードに乗るまでの時間が短いというか、物語が本編に入ったと実感できるまでの時間が他のシナリオに比べて早いのです。例えば、他のキャラのシナリオならまだみんなで過ごす日常の中にいる辺りで、さくらシナリオでは−最初は友達関係ですが−既にふたりきりの時間が始まっています。

 余談ですが、図書館でさくらとお昼を食べるエピソードは、特に色っぽい描写とかがある訳ではないものの、非常に私好みです。身も蓋もない言い方ですが、サンドイッチをパクパク食べるさくらがもうむちゃくちゃ可愛いのです。これは経験のある人にはすぐに分かってもらえると思うのですが、食事っていうのは控えめに上品に食べるぐらいならいっそ多少無作法であってもガツガツ食べてもらえるほうが、作った側としては嬉しいものです。理屈ではなく、食べ物を美味しそうに食べる人はそれだけで好印象を持たれやすいのです。こう書きながら、ついうっかりONEの茜シナリオを思い出していたりするんですが、それはともかく、このエピソードは、真一郎とさくら双方の気持ちをさりげなく近づけている、意味深いエピソードです。

 話を戻します。さくらシナリオは結果的に、恋愛物語としては他のシナリオと比べても極めて密度が高い印象を受けるのですが、どうしてこういう違いが生まれてくるのかを考えてみると、興味深いことが分かってきます。結論から先に言えば、このシナリオの密度の高さは、綺堂さくらというキャラクターの設定から来る必然なのです。
 
 ちょっと考えてみると分かるのですが、さくらという女の子は、5人のヒロインの中では、真一郎との距離が一番遠いキャラです。唯子と小鳥といづみはゲームが始まった段階で既に友達関係ですし、瞳先輩は最初こそ他人であるにしても、唯子が護身道部にいる関係で、割と自然に傍にいて同じ時間を共有することができます。さくらを除く4人のヒロインについては、不自然さをあまり感じさせずに真一郎と一緒にいさせることができるので、恋愛関係に発展させるにしても、何か切っ掛けを与えてどちらかの背中をおせばそれで事は足ります。それと比べると、さくらの場合は他人でありまた他のキャラとの接点も薄いことがあるので、一緒にいられる理由がありません。従って、さくらと真一郎の場合は、そもそも恋愛以前に友達として一緒にいる切っ掛けを用意してやる必要があるのです。また、さくらの性格から言っても他のヒロインたちと絡ませる(一緒にお昼ご飯だとか、みんなでカラオケだとか)のは難しいでしょう。

 このシナリオは、真一郎とさくらのふたりの接点が薄いので、ふたりが知り合い、友達になり、更に仲良くなっていく描写に説得力を持たせるために、小さなエピソードを積み重ねる必要があったのです。前半部分だけ順を追って見ていっても、真一郎がさくらを保健室に連れていくイベント[おそらく他人に無関心であったであろうさくらが真一郎を意識する]から始まって、図書館で鳩と戯れるさくらを真一郎が見つけるイベント[真一郎もさくらを意識するようになる]があって、立て続けに指の傷舐めイベント[いわゆる吊り橋効果?と考えるのはさすがに飛躍しすぎでしょうか]が起こります。それから少しして、ふたりは図書館で一緒に食事を取るようになるのですが、その間にも、ナンパされているさくらを助けたりと、細かなエピソードが挿入されていたりします。このシナリオが、超強力ガード不能コンボ(注.1)の存在によってインパクトの非常に強いものになっているのは周知の通りですが、それ以外にも、ふたりの気持ちが近づいていく描写が非常に丁寧に分かりやすくなされていることも、もっと注目されて良いのではないかと思います。



 恒例の名台詞大賞。

 私、わがままですから
 うっそだぁ、さくら、いー子だよ
 ……先輩が、もっといい子だから…
 私がしてほしいこと、いつもしてくれるから
 わがまま言う必要が、ないの


 これこそ、さくらシナリオ中もっとも美しい台詞だと私は思っているのですが、更に私見を付け加えるなら、これは最強の萌え台詞(注.2)であると同時に、とらハシリーズ全編に一貫して流れる優しさの表現のひとつのモデルとしても、非常に重要な台詞です。とらハシリーズの心地よさについては、普通、『萌え』や『優しさ』という風に語られることが多いように思います。もちろんそれはそれで正しい認識だとは思うのですが、しかし敢えて、私の心情をより正確に表すことのできる言葉を選択するとすれば、とらハの心地よさは、まず第一に『大事にされているという感覚』に拠ると思うのです。

 ついでに。
 さくらとは直接は関係ないのだけど、今回とらハ1を再プレイしてみて、唯一泣けたのがこのシーン(↓)でした。そのちょっと前の唯子の告白もかなり…きますが。

 たいがいにしとかねーと、
 髪の毛ひっぱりとスカートめくりと
 うわばき隠し程度じゃすまねーぞ!

 いいか、いますぐ正気にもどらねーと
 小鳥と『唯子にはないしょ』の話を楽しそうにするぞ

 おやつのいちごポッチーも
 わけてやらん!

 いっしょにごはん食べてる時に、
 おかずをとりかえっこもしてやらん!

 ほれ! はやく正気にもどらーと、
 行くぞ、最高の刑罰が!

 丸一日、何をするにも仲間はずれ!!


 プレイした人にとっては今更説明する必要はないと思いますが、それにしてもこういうテキストを書けてしまう都築氏は何物なんだろう、と感嘆せずにいられません。


(注.1)ネタバレにつき伏字
 指舐め→私がただ“先輩”って呼ぶのは先輩だけだから→見せびらかしたりセックスしたいだけならそういえばいいのに→まぶた舐め→(電話で)大好き→ワイン口移し→私がしてほしいこといつもしてくれるから→実はケモノ娘→更に発情期(爆)→エピローグ

 このコンボに耐えられる漢はいない(推測)。

(注.2)ネタバレにつき伏字
…男の人…、出る時って、きもちいいんでしょ?
…うん、すごくね
…なのに、外にしてくれようとしたの…
嬉しかった


 実はこっちの台詞の方にもっと悶えたなどとは口が裂けても言えない。発情期肯定派に勝るとも劣らないダメっぷり。



 最後に、あの賛否両論ありそうなエピローグについて。
 ちょっと思い出したので、昔、掲示板に投稿した文章を発掘してみたんですが、3年経った今読んでも基本的な考えは変わっていないので、多少の修正を施して転載してみます。

 私はあのエンディングを単純に「美しい」と感じてしまいました。ただ、仰ることは判ります。
 私も昔、似たような件で友達と話し合ったことがあります。

   「理想を言えば、恋人に看取られて死にたい」
   「でもそれは所詮エゴだし、やっぱり俺が恋人を看取るのが理想なのかもしれない」

 もちろん、こういうのはどちらが正しいとか言えるものではありませんが…。

 ただ、これは例えば RISE のトゥルーエンディングでも語られていることなのですが、ある種の恋愛関係にあっては、どうしても「特別な覚悟」ということが避けては通れない問題としてあるのでは、と思います。浩之とマルチ、浩平とみさき先輩、カナトとななこ、真一郎とさくら…etc.いずれにしても。

 翻って、真一郎とさくらについて想像してみれば、かなり若い時期に、ふたりは多分「覚悟」をしていたのではないかと思うのです。や、根拠があるわけではありませんが。いずれ、真一郎が先に死ぬことは判っている、それでも、生きている間は精一杯生きよう、120%の恋人であり続けよう、と多分ふたりは誓い合っていたのではないかと思うのです。言葉にしたかどうかはいずれにしても。そうして、何十年か生きてきた果てに、あのエピローグのふたりのような奇妙な安らかさが生まれてくるのだと思います。もしかすると真一郎以上に、さくらの方が、真一郎が近いうちに寿命で死ぬだろうことに意識的であるかもしれません。でもだからこそ、ふたりで過ごすことのできる『今』を大切にしたいから、しなければならないから、憂いを微塵も感じさせない笑顔を、さくらは老人になった真一郎に向けることができる…。


2001/6/21 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#21


 ひろーこんぱい。
 エアコン掛けっぱなしで寝たのはさすがに不味かった。でも急に冷えるなんて予想できないしなぁ。


 なんかブックマークを眺めてたら、大昔に身内に向けて発行してた『面白サイトリンク集』なるものが出てきたので、その中からひとつだけ紹介してみます。ツボにはまれば結構笑えると思います。お暇な人はどうぞ。

 道路標識の新解釈。


2001/6/20 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#20


 おかえりなさい、お兄ちゃん。(はぁと)
 ああ、ちと馴れ馴れしいかも、すいません。でも、復活なさったこと、本当に嬉しいんですよ〜。


 Books by 麻弥さんの日記にリンクを貼られてからアクセスが増えまくってます。少なくともwwwに発表している以上はリンク&言及される可能性があるのは当たり前なんですけど、気持ち的には、急にアクセスが増えると少々引きますね。うおぉって感じで。ビビる。ま、私は一応、私なりの覚悟を持ってやってますんで、当然、リンクに関しても言及に関しても制限とかする気はないです。もちろん、言及の内容如何によって、必要であれば反論はしますが。

 ただし。
 世の中、皆が皆そういう覚悟でやっている訳ではないということは忘れてしまってはいけないんじゃないか、とも思ってます。私は自分がリンク&言及される分にはいくらやられても構わないですが、自分からリンク&言及する場合には、状況に応じてやり方を変えます。例えば、相手に覚悟があるかどうか、とか。言及されたら(私に悪意がなくても)多分この人は傷ついちゃうな、と思ったら、リンクは貼らない。しつこいようですが、ある意見がキツイかどうかを判断して良いのは、私ではなくて言われる方なんで。このくらいの意見キツくないそんなことで凹むな、なんて私は絶対に言いたくない。

 あとさ。会社での人間関係なんかを観察しているとよく分かるんだけど、自分を守る覚悟、みたいなものを持っている人、そういう態度が言動に表れている人っていうのは、そうでない人に比べて、覚悟を試されるような場面に遭遇する機会自体が圧倒的に少ないものです。もっと分かりやすく言っちゃえば、イジメられても反撃できるような人間は最初からイジメの標的にはならないのです。イジメられるのは、常に、反撃できない弱い人間だけ。もう何年も前、会社で、同僚のひとりが上司にイジメられてて。それを見ながら、私や他の同僚は、俺だったらあんなこと言われたら絶対会社ヤメルな、みたいなことを言い合っていたんですが、でもこの言葉は実はナンセンスで。会社をヤメルような覚悟のある人間、反論する覚悟のある人間は、そもそもイジメはまず受けないのです。

 要するに、覚悟のある人間の基準で、すべてを測ってしまっても良いものだろうか、と私は思うんです。


 なんとなく堅めな話は終わり。


 とらいあんぐるハート、瞳シナリオについて、追記。 −ネタバレ−

 色々考えたんですが、とらハについて語るのに一番良い方法は、結局、キャラクターの魅力について語ることなんじゃないでしょうか。こと、とらハシリーズに関しては、キャラクターの魅力について語ることが、そのまま、シナリオの魅力について語ることに直結するような気がします。ていうか、はじめに人間ありき、の姿勢を崩したらしのぶじゃない。

 で、瞳ちゃんらぶらぶ、な話。
 考えれば考えるほどいよいよ分かってくるんですが、都築氏の、魅力的なキャラクターを作る才能っていうのは並々ならぬものがあるようで。よくよく思い出してみると、とらハのメインヒロイン5人の中で、前半と後半(告白後)とでのギャップが一番激しいキャラは瞳ちゃんなんですよね。前半の千堂先輩は、護身道部の主将で、学業も優秀で、いつもキリッとしてて、でも友達の前では優しくて物腰も柔らか、というおよそ完全無欠なキャラクターなんですけど、後半、真一郎と恋人同士になって以降の瞳ちゃんは、ただひたすらに可愛いキャラになっています。敢えて誤解を恐れずに言えば、護身道部主将の千堂先輩は、真一郎の前では、ひとりの弱い女の子になっているとも言えます。

 そもそも告白後の最初の台詞からして、瞳ちゃんの可愛さっぷりが炸裂しています。『わたし、わがままよ。覚悟してね 』なんて、これはもう今までの瞳ちゃんのキャラじゃないです。でもこの台詞が出てくる時、瞳ちゃんの魅力は一気に10倍に跳ね上がります。これは私見かもしれませんが、友達関係、恋人関係にあっては、わがままはひとつの親愛の表現です。私は、好きな人(loveでもlikeでも)にわがままを言われると、ああ俺信頼されてるんだなぁと思って嬉しくなってしまう人です。真一郎が告白した後、瞳ちゃんは立て続けに『わたし、わがままよ。覚悟してね 』『浮気したら殺すわよ 』とか言ってくる訳ですが、この台詞は凄いです。選りにも選って、あの瞳ちゃんの口からこういう台詞が出てくる。これらの台詞のインパクトの前では下手な告白の言葉や喜びの言葉など霞みます。私は、真一郎の立場に自分を置いて、ああ愛されてるんだなぁとしみじみ思って幸せに気持ちになれます。

 『わたし以外の女の子の前でそんな顔しちゃダメ 』と瞳ちゃんは言うのだけど、他ならぬ瞳ちゃん自身が、真一郎の前では、別人のように可愛い女の子になっている。相変わらず、護身堂部主将としての瞳ちゃんは格好良いのだけど、真一郎と一緒にいる時の瞳ちゃんはひたすら甘々なキャラです。

 あともうひとつ。瞳ちゃんと真一郎が喧嘩して、その影響で、護身道の大会で瞳ちゃんが全力を出せなくなってしまう、なんてイベントがありますが、こういうところも、都築氏のキャラクター造形の上手さが非常によく現れていると私は思います。普通に考えたら、真一郎と喧嘩したことを引きずって大会で実力が発揮できなくなる、なんてイベントは、むしろ唯子の方にこそ相応しいのではないでしょうか。ところが都築氏は、唯子シナリオの方では、逆に唯子を強いキャラクターとして描写しています。大会前を目前に控えた状況で気持ちが弱くならないようにと、真一郎に敢えて会わないようにする、なんてイベントは、むしろ本来的には瞳ちゃんのキャラクターであるはずです。

 しかしこの逆転は、本当に素晴らしい効果を生み出しています。唯子は真一郎と恋仲になることで強くなり、瞳ちゃんは真一郎と恋仲になることで弱くなる。この逆転によって、都築氏は、ふたりの魅力を最大限に引き出すことに成功しています。小鳥や唯子は最初から可愛いキャラクターです。それに対して、瞳ちゃんは可愛さが徐々に明らかになっていくキャラクターです。あるいは主人公本位な言い方をすれば、真一郎(=プレイヤー)だけが瞳ちゃんの可愛さを引きだし得、真一郎だけが瞳ちゃんの可愛さを独占できる、という風にも言えるでしょう。とらハの物語は多かれ少なかれそうなのですが、この瞳シナリオは、とりわけ、キャラクターの魅力が物語を良くしている好例であるように思われます。


 明日はいよいよ、さくらシナリオ。
 本命2キャラは最初と最後に持ってこようと最初から決めてました、実は。


2001/6/19 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#19


 最近、すのこアンテナさんからの来訪者がすごく増えてるっぽいです。ありがたや。


 週間少年ジャンプ29号。
 P.220のパーシバルがなんかむちゃくちゃ色っぽい。激萌え。


 憂鬱との戦いな日々。
 私は結局私であることをやめることはできないんだけどね。頭でそう思っても感情がついてこない、なんてことはよくあることでありまして。


 ネット上でエロ画像をまとめ落としするのに、Iriaの『リンクのインポート』『URLを展開して貼りつけ』等を使うのはもはや常識と思われますが、この小技を使えば、画像だけではなくてHTMLファイルのまとめ落としができることに最近気がつきました。今まで気がつかない辺りが我ながらアホですが、とにかく、Iriaを使えば、web日記の過去ログをまとめてダウンロードするなんてこともできる訳で、これは非常に便利です。


 聴くたびになんとなくイライラするというか、なにか自分でも分からない理由によって神経がささくれ立つ曲というのがある。ブラームスのパガニーニ変奏曲とか、ベートーヴェンのハンマークラヴィーアソナタの終楽章のフーガとか。

 なら聴かなければいいじゃないかと言われそうだがそれがまたそう単純にはいかないから厄介なので。これらの曲っていうのは、聴くたびにイライラするのにも関わらず、ついつい聴いてしまうような曲なのです。その理由を説明するのは難しいのだけど、ひとつには、これらの曲が頭に残りやすいっていうのがあるのかも。この場合、頭に残りやすいっていうのは、シンプルだからではなくて、表現があまりに強烈だからってことなんだけれども。

 本当に不思議なのだけど、これらの曲は、聴いている時はイライラするんだけど、聴き終わった後で脳内再生すると、すごく良い曲として頭の中に残っているんです。聴いている最中は嫌な曲なのに、脳内で再生すると名曲になる。脳内再生している限り、この曲はすごく心地よく響く。だからついついCDを掛けてしまう。結局その度にイライラさせられる。またしばらくすると、この曲が懐かしくなる…。これが延々と繰り返される。


 瞳シナリオについて思いついたことがあるので、もうちょっと書こうと思ったのだけど、眠いので寝ます。ぐうてなはと。


2001/6/18 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#18


 ちと、昨日のフォロー。
 私はホモは嫌いです。男キャラ萌えはあくまで女性になったらという仮定の元で。女性視点想像とかは私にとってはあまり違和感がないんです。なぜか。まぁとは言ってもしょせん想像でしかないのですが。


 『夏想』(土方さん6/18)

 表現というのは、ただ読むだけの私たちには想像もつかないような犠牲の上に成り立っているものだ、と思う。それが真実であればあるほど、一体、書き手はそれを書くためにどれだけの切実な体験をしているのだろう、と思う。本気度において他の追随を許さない(by今木さん)文章書き、MK2さんの日記とか読んでる時も感じることがあるだけど、こういうものを書かずにいられない人間を前にするとき、不謹慎かつ失礼であることを承知のうえで、私は、うらやましさを感じてしまう。

 以下、リルケの書簡から引用。

 お手紙にありました「堪えきれぬ深さ」を持った夜こそ、おそらく私どものような人間の欲してやまないものなのです、もちろんその危険を認めないわけではありませんけれども。そういう夜こそ、最も内面的に私たちを促すところの夜かもしれません、心から最も多くの告白を奪い取ってくれる夜かもしれません、そこからのがれ出るには、創作するよりほかに抜け道がないからです。


 辞書ファイル消滅(早瀬さん6/18)ですか。

 なんとなく思ったのですが、間違って辞書が消滅した時に最初に登録する単語でその人の価値観、あるいはキャラ萌え傾向がわかる、なんてことは…たまにはあるかも。

 私も今まで何回かユーザー辞書を飛ばしてますが、いつも最初に登録する単語は、メールとかサイトアドレス以外でなら『瑞佳』『観鈴』辺りです。ちなみに、うちの辞書では『レン』と入れると『鳳蓮飛』と出ます。自慢のつもりですが全然自慢になってないかも。『美由希』『咲耶』辺りも当然登録済み。

 ONE/Kanon関連については、MS_IME一括登録ツールとかありますけど、他のギャルゲーのもあればいいのにねぇ。いや、自分で作ろうとしない辺りがダメ人間かもしれず。

 ところで、『雛困り絵』というのはなんとなく萌えシチュエーションのような気がしないでもないです(笑)。困り顔フェチとして。


 名雪、2ページ目の左下の一枚(とくそんさん6/18)

 確認してみたところ、ねこーねこーCG(謎)ですね。あれは確か真琴ルートの方で回収するんだったような。猫絡みの話題が出てきたときに。違ってたら誰かフォローしてください。嗚呼、それにしても秋子さんと名雪による「もうひとつの最重要CG」があったらどんなに良いか…(涙を流しながら)。

 佐祐理さん×舞なCGはチェキしてましたか。良き哉良き哉。


 日頃、検索で秋子さん18禁SSとか探してる私はなんかもうKanonについて語る資格はないんじゃないかという気が。ちなみに全部で5つぐらい見つかってたり。気にしてはいませんけどね。親子丼マンセー。


 とらいあんぐるハート (JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 瞳シナリオ。

 わたし以外の女の子にそんな顔しないで

 とかヤバすぎます。脳に直接攻撃を食らってくらくら〜って来てる感じ。物語としては特に平凡なものだと思うのだけど、瞳ちゃんの甘々っぷりはそれだけでこのシナリオを代替できないくらい魅力あるものにしてます。実は嫉妬深い瞳ちゃん素敵。

 ところで。考えてみると、とらハの物語ってすごく健全だなーと思うんですよ。東鳩とかONEみたいに、癒されるべき対象っていうのが、基本的にはとらハシリーズには出てこない。女の子が抱える問題を主人公が解決する過程でふたりが仲良くなっていく、という図式が、とらハシリーズではおそらく意識的に排除されているように思うのです(3のレンは例外かも)。

 とらハシリーズで語られる恋愛は非常にシンプルです。ただ、ひとりの男の子と女の子が出会って、その後、繰り返し会って同じ時間を共有することで、少しずつ仲良くなっていく。優劣の問題ではもちろんありませんが、例えばONEにおける恋愛が、お互いを切実に必要としているような関係であるとすれば、とらハの恋愛というのは、ただ好きな人と一緒にいたいという程度のものです。前者の恋愛が、必要性に基づいているものだとすれば、後者のそれは単に快不快のレベルのものだと言えるでしょう。

 私はもちろん、今もってONEがギャルゲー界の生んだもっとも美しい作品であることを信じていますが、それはそれとして、とらハのこのシンプルさは非常に好ましいです。とらハの主人公はヒロインにとって必要な存在になるのではなく、ただ、好かれる存在になるだけです。前者のような物語の方が、プレイヤー側としては感情のうねりが大きくなる(身も蓋もない言い方をすれば、泣けるということ)のですが、後者のような物語の方が、私にとっては身近なものに感じられます。

 おそらく、とらハシリーズの登場人物たちは、“好き”に理由がないのです。わたしを助けてくれるからとかわたしを守ってくれるからとか、都築キャラはそういうことを考えないんです。ただ、一緒の時間を過ごす中で、いつしか、その人の存在が心地よくなっていく。もっと一緒にいたいと思う。もっと、好きな人の笑顔を見たいと思う。好きな人に触れたい、触れられたいと思う。彼らが考えているのはただそれだけなんじゃないでしょうか。とらシリーズの恋愛には理由がない、ということは、ギャルゲーの中でのとらハの位置付けについて考えるのに、重要なことであるように思われます。

 ごめん、抽象的すぎ。瞳シナリオ及び瞳ちゃんについて全然語ってない。ていうか、どうやって語ったらいいのか誰か教えてください。だって、このシナリオって、瞳ちゃんが真一郎を好きになる理由も、真一郎が瞳ちゃんを好きになる理由もないじゃないですか。ただ、時間がふたりを近づけたっていうだけで。もちろん、それこそがこのシナリオの素晴らしいところなんですけど。

 あと一点。
 歩道橋(だと思う)の上で瞳ちゃんにキスするイベント。ここでキスしない選択をすると瞳シナリオ・ノーマルエンドに行くんですが、こちらのエンディングも非常に面白いです。このエンディングは、告白に失敗はするが友達のまま、というものなのですが、こういう展開は、女の子と恋仲になることが主目的であることが多いギャルゲー界にあって、非常に珍しい気がします。このノーマルエンドでは、瞳ちゃんと真一郎は、ほとんど本当の姉弟のように描写されます。敢えてネタバレは避けますが、まだ見ていない人がいたら(いるのか?)、一度は見ておくことを強く推奨します。これはとらハ随一の、微笑ましいエンディングですから。


2001/6/17 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#17


 今週末は怒首領蜂が絶望的に不調で鬱気味だったのだけど、なんかネットぐるぐるしてたら回復したので、ちょっとだけ。


 でもって、キスの図。うへー、こんなに小柄なんだ。(とくそんさん6/17)

 私の意思とは無関係に脳が勝手に『小柄』という単語に反応。はて、あのキスシーンて栞の小柄さがそんなに強調されてたっけと疑問に思ったので Susie で確認してみる。ふむ、言われてみれば確かに小柄かも。個人的にはもっとちっちゃくても良かったんだけどなぁ。

 そういえばちょっと思い出したんですが、もしかして舞シナリオでまだ1枚見てないCGがありませんか? 言及がないのでもしかして見落としたのかなぁと。祐一の妄想CGは、Kanonにおける最も重要なCG(←超主観的記述)ですので、非常にもったいないです…と余計なお世話なツッコミ。


 ところで、いたるさん=絵が下手、とはしばしば言われるところだけど、いたるさんの構図のセンスの良さに言及する人があまりいないのはどういう訳なんだろうとふと思ったり。キスシーンに絞ってみても、名雪(Kanon)のとか、茜(ONE)のとか、澪(ONE)のとか、澪(ONE)のとか、澪(ONE)のとか、本当に良い時は、かの小池定路さんに匹敵すると思うんだけどな。


 何回目だか忘れたけど、とある世界の記述の仕方(笑)

 基本的に『○○×△△』の場合『攻×受』の順ですが、真ん中の記号によっても意味は変わってきて、例えば『佐祐理×舞』なら肉体関係アリのカップル、『佐祐理(ハートマーク)舞』なら純愛カップル、『佐祐理&舞』なら友情、となります。

 とは言ってもこういう区分が通用するのは、多分、やおい系やショタ系等の女性による女性向けの同人誌の世界だけだと思いますが。男性向けの同人誌はここまで厳密には区別されてないことが多いです。女性向同人誌に関しては、上記の法則で当てはめていけばそのサークルがどういう傾向の本を書いているのか、カタログから簡単に判断できて便利なんですよね。エロの有無とか。

 ところで日記6/16のリンク先のチェキチェキ〜が面白いです(笑)。


 男が男キャラに萌える時。かなり御無体です。読むと後悔すること請け合いです。

 男が男キャラを好きになるって状況っていうのはやっぱり、憧れみたいなものが普通なんでしょうか。○○みたいになりたい、とか。いや、私も憧れ的に男キャラに萌えることはもちろんあるんですけど、でもそうじゃない萌え方っていうのもありまして。ていか、私的にはこっちがメインなんですけど。

 それはどういう萌え方かっていうと、自分が女性だったら〜という想像で萌えるんです。まぁその、端的に言ってしまえば、自分が女性だったら抱かれたいキャラ、ということなんですけども。ちなみに俺内部では、抱かれたいキャラのトップは、『っポイ!』の万里です。女になって、万里に耳元で愛の言葉を囁かれたいのです。あと、フォークソングなんかだと、透です。えっちの時の透くんは絶対色っぽいです。私の妄想ですが。彼がイク時の表情を間近で見たいです。あくまで女性視点でね。きっと幸せな気持ちになれるだろうなあと思います。透くんが志帆の胸に顔を埋めてるCGがありますが、あれは良いです。本気で志帆になりたいです。あんな状況で透くんの頭をなでなでできたらきっと幸せでしょう。ちみなに志帆自体には微塵たりとも萌えてません。あくまで、志帆になって透くんを愛でたいのです。

 他に萌えるキャラっていうとアズライト(デアボリカ)ぐらいかにゃ〜。私がれちこだったとして、アズライトはきっと、私のことをすごく大事に扱ってくれると思う。髪を撫でるにしても、それこそ壊れ物を扱うような感じで。キスする時も、最初のうちはいちいち『いい?』とか確認してくるかもしれぬ。で、私はその都度何度でも『うん』って答えるの。弱気なところが愛しいです彼は。

 迷惑この上ないと思うのでリンクは貼らない方向で。とりあえず男キャラ萌えは置いておいて『陽太になって美夏に踏まれたい』に関しては激しく同意であることを表明しておきます。


 ていうか、とらハはどうしたよ、俺。


2001/6/16 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#16


 みなみさんの日記[6/12]で紹介されていた、リンクについてのアンケート。[Books by MAYA]より。

 リンクについて思うところはちょっと前の日記であらかた書いてしまったので、今となっては特にコメントすべきこともないのだけど、ただ付け加えるとすれば、以前の日記[4/22][4/23]で書いたことっていうのは、あくまでもリンクを貼る側の理論なのであって、リンクされる立場としてのものではないということ。リンクされる立場からリンクについてコメントするなら、事情はまた違ってくる。簡単に言えば、貼る立場としては『相手の事情を考慮して』だし、貼られる立場としてなら『好きに貼ってください』ということになる。

 あと、特にこれだけは言っておかなくてはならないと思うのだけど、リンクというのは要するにポインタに過ぎないので、貼る貼らないは原則として自由であって良いはずだ。しかし、リンクを貼るにせよ貼らないにせよ、相手の書いた文章(表現)についてなんらかのコメントをした時点で、そのコメントすらもひとつの表現になる。いわゆる『日記読み日記』は、他人の日記を批評することを主目的としたひとつの表現なのであって、表現である以上、その内容に関しては−本人がそうしているように−別の誰かからリンクを貼られて批評される対象になり得るのだ。要するに、リンクを貼られたこと自体に関しては私たちは文句を言う権利はないのだけど、自分の文章に言及された際に、その内容に納得が行かなければ、私たちは当該内容を批判の対象としても(反論しても)良いということだ。これは絶対に混同されてはいけないことだと思う。

 あと、アンケートを終えての雑感。
 特に、中ほどにある『(2001/6/14)追記』の部分(リンク先、有里さん 6/13も含めて)とか、すごく納得。

 私はもう典型的に“ウェット”タイプだなぁ。自分の書いているものに、情報やツールとしての意味があるなんて考えたこともない。その点では、誰の役にも立たないことに対して実は密かに後ろめたさがあったりもします。けど、私の価値観としては、その誰の役にも立たないことこそが一番重要なのも確かで。

 私は、知識よりもその人が何を考えているかの方に興味があるし、その人が何を考えているかよりもどう感じたかの方に興味がある。エロゲー批評を読むたびに私が思うのはいつも同じこと。『で、結局あなたはその作品が好きなんですか? 嫌いなんですか? その作品を体験してあなたはどう感じたんですか?』ということ。これが見えないと、私はなんとなく不安になってしまう。私はだから、自分の日記には、自分が何を感じたかを書くようにしている。少なくとも私にとっては、読みたいものと書きたいものは一致しています。残念ながら、説得力を持つほどのものは書けていないけど。

 自分が何を感じたかを書いてしかも説得力を持たせられたら(できるだけ平明な文章であれば尚良し)それが理想なんですけどね。

 あと。後ろめたいとは言っても、実際問題としてはそれほど気に病んだりはしていないんですよね。私はただひっそりとwwwの片隅で文章を書く、という以上のことは望んでいないし。気に入ってもらえる人がひとりかふたりいればそれで十分。原則的には、私の日記は読者をまったく想定していないです。結局色々やってきて、私の文章に価値が生じる可能性があるとすれば、それは独り言を喋っている時だという結論に達しつつあるんです。誰かを志向している時、私の頭は全然働かない。私はもう掲示板とかチャットとかメールとかのコミュニケーション志向のツールには全然向いていない人間らしいです。ただし、コミュニケーション皆無な状態で生きるには、私は弱すぎる。web日記の良いところのひとつは、“参照リンク”を貼り合うことで、“結果として”コミュニケーションらしきものが生まれる、ところにあると思っています。必ずしも読み手を志向するような文章を書かなくても良い、というか。


 あまり関係ないのだけど、私が Readme とか日記才人に登録しないのは、営業する気がないからっていうのももちろんあるんだけど、それ以上に、うちのサイトがエロゲーのネタを頻繁に扱うからっていうのもあったりします。いかにONEやAIRの表現が素晴らしくたって、これらは外形的には結局、エロゲーという18歳未満の人間の購入を制限しているメディアなので、誰もが読むことのできるコミュニティーには入りづらいんです。


2001/6/15 (金)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#15


 とらいあんぐるハート (JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 いづみシナリオ。

 個人的には、このシナリオで一番魅力的なのはいづみではなくて真一郎だなぁというのが、今回プレイしてみての印象。いづみ萌えな人にはもちろん異論があるでしょうが。や、もちろんいづみも可愛いんですけどね。食券を貰った後真一郎を置いて速攻ダッシュするところとか(笑)。中盤の別バージョンのいづみは、あれはいづみじゃないです。ああゆう“しおらしさ”までひっくるめて萌え、っていうのはアリかもしれないけど、私的には、いづみはなによりもまず、さっぱりした性格の女の子だし、そういうところが良いのです。多分、真一郎によってもそうでしょう。男友達のような彼女、というのはあるいは言い過ぎかもしれませんが、そんな感じ。

 で。このシナリオが面白いのは、やっぱり真一郎がイイ男だからって点に尽きると思うんですよね。このシナリオの真一郎は、自分と相手の立場というやつを、すごく正確に認識していて、そこが、見ていてとっても清々しいのです。

 御剣は…俺のこと、『好き』かもしれないけど、『恋人』としては、多分見ていない…
 (中略)
 抱き合ったのも、きっと今だけ、つらいことを忘れたかったから…。
 (中略)
 …御剣の気持ちが落ち着いてきたら…、少しでも、俺のことを後悔しはじめたら…。
 俺の方からなるべく明るく、別れを切り出そう。
 …『抱き逃げ男』で、別にいい。
 こんな、つまづいて転んだみたいな一晩で、この優しくて強い女の子を縛れるなんて思わない。


 真一郎は、忍者の検定で失格になって落ち込んでいるいづみに手を差し伸べ、いづみも、真一郎の優しさに甘えます。そして、ふたりは初めて体を重ねる。でも、真一郎は自分のしていることの意味がちゃんと分かっているんですね。いづみが自分に甘えてくるのは、心の拠り所が欲しいから。だから真一郎は、自分が、いづみのためのささやかな避難所になってやろうと思うんです。それ以上は望まない。いや、望むかどうかというよりも、落ち込んだいづみを慰めることを切っ掛けとして恋人関係になってしまうことを、真一郎は良しとしないのです。もっと正確に言えば、いづみにそういう関係を要求したくない、ということでしょう。

 ……落ちてきちゃった……。
 強くて綺麗だった羽根を自分で捨てて。
 こんな俺の所に。


 だから、翌日、忍者を諦めて真一郎様のために尽くしたい、といづみに言われても、真一郎はそれを素直に喜ぶことはできません。彼はいづみの気持ちを受け入れるのですが、そこにはなにかしら落胆のようなものが感じられます。元々、自分はいづみの逃避場所を用意したつもりだった。なのに、いづみは、その逃避場所に安住しようとしてしまっている。逃避場所こそ、自分が本当にいるべき場所だと思っている。あるいは思い込もうとしている…。彼は、自分のためにいづみが変わってしまうことに、良心の呵責を感じてしまう。

 私が、真一郎を本当にカッコイイと思うのは、こういう場面です。


2001/6/14 (木)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#14


 もっちろん、2号は2番目ではありません。
 あくまでも、共に小鳥を愛でましょう、というお話です。

 小鳥の壁紙(背景が透けてみえない新しいバージョンの方が好きです)は現在うちのPCで使ってるのですが、密かにさくらバージョン壁紙への期待をも表明しておきます。

 …とか書きながら改めて見に行ってみたらなんか、さくら壁紙ができてるし。ごちそうさまです(手を合わせながら)。

 ところで、シスプリにおけるネタバレって何よ? な話。

 一応厳密に言えば、各キャラのイベント絡みの話はすべてネタバレということになるのでしょうが、実際問題としては、あの物語に起承転結とかいう高級なものはないので、いくらネタバレしようと全然問題ないと思います。というか、あれは徹頭徹尾『萌えツール』ですし、萌えツールである以上は自分で体験しなければ意味がない訳で。四葉の口癖がチェキであることを知っているのと、実際にゲーム中で、兄チャマ、チェキよっ!! と言われるのとでは大違いである、とかなんとか。

 四葉は、キッスしてくれないの?イベントがむっちゃ可愛いのデス。要チェキなのです。独り言です。はい。


 私も鬱から復活するためにレンシナリオをプレイしたことあります。あまり大きな声では言えませんが。


 古いビデオテープの中身を確認していたら、エスカレーション2 〜禁断のソナタ〜が出てきたので、懐かしさのあまり(←言い訳)じっくりと鑑賞。これってどのくらい前の作品なんだろうか。なんにせよ、今だに鑑賞に耐えるレベルなのは凄いと思う。エロシーン自体が燃え々々なのも良いし、エロシーン以外の描写なんかでも、例えばピアノコンクールの会場でアキラ君が理恵に花束を渡す演出とか、小技が実に効果的だ。言うまでもなく、こういう小技が後のエロシーンの淫靡さをいよいよ引き立てるのである。というか下手するとこっちの理恵の方を見ながら後のエッチシーンを妄想する方が萌えるかもしれぬ(笑)。

 ところで昔見た時は気がつかなかったのだけど、理恵が弾いてるピアノ曲って、シューベルトの即興曲op90-4とショパンのワルツop69-2ですな。微妙に下手だけど。

 ああそれにしても良いアニメだ。理恵と真理をセットで愛でてぇ(逝)。


 雨ばっかりな日々。

 土曜日は晴れてくれると良いのだけどな。私自身は別に用事はないんだけど、同僚、というかいつも一緒に仕事している相棒がどこかへ遊びに行くらしいので、晴れて欲しいなーと。

 本来、他人のことなんかには私は興味はないんだけど、その人のことは別なんです。その人とはここ1年ぐらいずっと一緒に仕事しているんだけど、彼は他の人と違って私に何らの期待も要求もしなくて、すごく仕事がしやすくて。私はこの通り、しょっちゅう躁と鬱が入れ替わっている人間なので、酷いときは半日ぐらい誰とも口をきかずにいることすらあるんだけど、そういう時でも彼は私を放っておいてくれて、別段気にもしないし、私が自分の世界に閉じこもっていて結果的にお互い黙りこくっていても、険悪な雰囲気になることがない。そんで、私が半日ぐらいダンマリを決め込んだ後でも、いったん会話が始まると今まで何事もなかったかのように、普通の会話が始まってしまう。その人と一緒にいると、なんか話さなきゃなんて阿呆なことに気を揉む必要がない。なんかこう、適度な距離感があって、非常に居心地が良いのです。


 バッハのフーガを連続で聴いている最中、ふと、フーガ繋がりでベートーヴェンのことが思い出されて、ベートーヴェンのハンマークラヴィーアソナタを聴いてみる。結果…玉砕。第3楽章で居眠りをこく始末。『アダージョ・ソステヌートが退屈に感じられるとしたら残念なことです。そういう人のためには作曲されていないのです 』とはロマン・ロラン先生の言葉だが、残念ながら私はこの曲を聴く資格を持っていないらしい。

 結局、この曲のなかで文句なく素晴らしいと私が思えるのは、第4楽章のラルゴの部分だけか。その後の3声のフーガは訳分からないし。それはそれとしてラルゴ。なんにつけてもここは本当に素晴らしい。ここは第4章の中では3声のフーガの前奏曲のような役割を持っているのだろうが、これは前奏曲と呼ぶにしてはあまりにドラマチックだ。

 冒頭。まず静寂の中から、ヘ音の分散オクターブによる産声があがる。変ニ音から始まる分散和音で、生まれた何かはよちよち歩きを始める。ここでの彼ははまだ自分に何ができるのか知らない。手探りで歩いている。Un poco piu vivace (徐々に活発に)と指示された音階に至って、彼は自分がもっとしっかりと歩くことができることを知る。彼は自分の内部に生命力が充ちていることを知り、興奮する。次の Allegroの部分で、彼は走り出す。が、どこに向かって走るべきか分からない彼は、すぐに(わずか5小節)立ち止まってしまう。彼は自分がどこへ向かうべきなのかを知ろうと、立ち止まり、耳をすます(8〜10小節)。やがて彼は、何かに導かれるようにして、ひとつの方向へ歩き出す(10小節・トリル後)。一歩歩む毎に、自分の進むべき道はいよいよ明確になっていき、それと共に、彼の歩みは、内から涌き出る力に急かされるようにしていよいよ加速されていく。彼はもう一瞬たりともじっとしていられない。そして、彼は遂に走り出す(フーガの開始)。彼には、もはや迷いは微塵もない。最初に走った時は Allegro(速く)だったが、今度は Allegro risoluto (速く、決然と)だ。

 …ううむ。
 見事なまでに誰の役にも立たねぇ文章だ。読んじまった人、ごめんです…と形式上謝っておきます。


2001/6/13 (水)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#13


 とらいあんぐるハート JANIS/IVORY) −ネタバレ−

 唯子シナリオ。あるいは、鷹城先生の少女時代。

 もし、とらハ3のレンシナリオに鷹城先生が出てこなかったら、おそらくとらハ1を再プレイする機会はなかったでしょう。レンのクラスの担任として鷹城先生が登場した時は、びっくりしたと共に、本当に嬉しかったものです。あの、マヨネーズドカーンの女の子が、自分の長身にコンプレックスを抱いていて真一郎に自分の気持ちを伝えることができなかった女の子が、真一郎への気持ちを吹っ切るために真一郎と小鳥をくっつけようとして逆にふたりに心配を掛けて真一郎に怒鳴られたあの女の子が、護身道大会準決勝で千堂先輩に負けて真一郎の胸でボロボロ泣いたあの女の子が、いつのまにか成長して、立派な社会人になって、中学校の先生をやっている。でも、唯子はやっぱり唯子のままで、相変わらず、真一郎と小鳥と、三人仲良くしていることも、家庭訪問イベントで明らかになります。真一郎と小鳥の存在を匂わせるような台詞が出てきた時は、懐かしくて涙が出そうになったものです。今でも仲良しのふたり、というフレーズを聞いた時、私は、ああこの女性は間違いなくあの唯子なのだ、としみじみ思ったものでした。

 で、初代の話。

 やはり、この物語が盛り上がるのは、フォーチュンリングが出てくる辺りからでしょう。幸いなことにと言うべきか、私は、白のリングか銀のリングか、の運命の2択でどちらを選ぶとどういう展開になるのかという辺りをすっかり忘れてしまっていたので、おぼろげな記憶を頼りに、不正解(白)→正解(銀)の両方を試してみることにしました。

 で、今回プレイしてみてひとつ気がついたのですが、この選択肢って、プレイヤーを物語に引き込むためのかなり巧妙な演出手段なのではないでしょうか。普通に考えれば、あの状況でプレイヤーが選択するのは白のリングになるはずです。ななかに、リングが意味するサインを教わった後でなら、プレイヤーは当然、唯子の気持ちに応えるべく、白のリングに名前を入れて唯子に返そうとするはずなのです。でも、この選択をすると、唯子と結ばれはするものの、ゲームはあっさりと終わってしまいます。ではあの2択で銀のリングを選ぶとどうなるか。2択を見た時点で今後の展開を予想できた人がいたらすごいと思うのですが、おそらく多くのプレイヤーは、ここで初めて銀のリングの意図を知ってびっくりするはずです。

 元々、真一郎から唯子への最初の告白は、真一郎の意図とはまったく無関係に生じてしまった事故でした。でも、それにも関わらず、唯子は真一郎にリングを返します。誤解なのだと知りつつも、わずかな望みに縋って、唯子は真一郎にリングを投げ返すのです。これは、言ってみれば、唯子からの精一杯の告白でした。こう考えてみると、あの白/銀の2択は、実は、唯子からの告白を受けるか、それとも事故の存在をリセットして真一郎の方から改めて告白するか、という重大な2択であることが分かります。あるいはどちらから告白しても変わらないのじゃないのかと思う人もいるかもしれませんが、こと唯子に関する限り、これは非常に重要だと思うのです。

 鷹城唯子という女の子は、自分の長身にコンプレックスを抱いていて、自分は真一郎に釣り合わないのではないかなどと余計な気を回してしまうような女の子でした。その唯子だからこそ、自分の告白を真一郎が受け入れる、のと、真一郎が自分に告白してくれる、のとでは意味が全然違うのです。なぜなら、後者の“真一郎が自分に告白してくれる”は、唯子にとって、“他の誰でもなく、自分を、真一郎が選んでくれた”ことを意味するからです。もちろん、真一郎もそのことを知っています。だからこそ、告白は俺の方からしなくちゃダメだ、と真一郎は言うのです。こういう描写こそ、都築氏の真骨頂というべきでしょう。都築作品の優しさは、優しい振る舞いであるというよりも、むしろ、相手を心から大切に思う姿勢、ではないでしょうか。

 理屈くさいレビューは以上。
 今回の名台詞。

 ふく…ぬがせて…

 どこの場面か分からない人はやり直してみましょう。この時の唯子の声は、脳がとろけそうになるほど甘いんですよもうアナタ。ある意味、唯子の甘えっぷりは小鳥以上に可愛いかもしれず。

 …文体が違う。鬱だ氏のう。


2001/6/12 (火)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#12


 日付がインチキなのは(いつものことなので)気にしないでください。


 揚雲師匠が、火蜂戦ノーミスノーボムを達成したらしい。
 人間じゃありませんな(最大級の尊敬を込めて)。


 あははっ。
 君を、小鳥をお嫁さんにしようの会、会員2号に任命するよぉ。
 1号はわたしだよぉ。
 ちなみにポテト(謎)は3号だぁ。


 …ああいかん、今なんか意識が飛んでたような気が。

 昨日の日記で叫んじまったばっかりに、恋のライバルが出現してしまった模様。でもあそこで叫ばないのは、小鳥への想い(何を言ってるんでしょう私は)を裏切るような気がするしなぁ。でもとりあえず、あの日記が切っ掛けで早瀬さんが小鳥萌え壁紙を作ろうと思ったのだとすれば、ああゆうのを書いてみるのも悪くないかもしれず。

 ところで、あの禁断・秘密の花園をご存知でしたか。素晴らしい。


 どう感じたのか、を書かなかったら私的にはレビューを書く意味はないと思っているので、そう言われるのは密かに嬉しいです。問題は感情に流されたような文章になりがちで、それゆえに読む人を限定してしまう(らしい)ことなんですが…まぁこれは地道に修行する以外にないかなとか。ああ独り言モードになっちゃってるし。すみません。

 というか、うーん。ネタバレに対して私は無頓着すぎるのかな。私もネタバレに関してはほとんど気にしない人なんですが、誰かに影響を与える可能性があるのだとすれば、ネタバレは(俺が)面倒でも注意を逐一書いたほうが良いのかも。

 ところで「jesさんのひ・み・つ」とか。
 フォークソングをやって男キャラに萌えるのは別に普通なんでは?(笑)。

 私も好きっス。透くんとか透くんとか透くんとか。あの三人の中で一番頼り甲斐がありそう。まぁみっちゃんも負けず劣らず可愛いとは思いますが。

 この話題に関してはアフターフォローできそうにないので突っ込まないでくださいね(小声)。


2001/6/11 (月)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#11


 看板【とらいあんぐるハート強化月間】に偽りアリまくりな当サイトですが、ようやく、とらハ再開しました。
 というわけで。しばらくとらハ漬け予定。


 とらいあんぐるハート (JANIS/IVORY

 小鳥シナリオ。

 絵が下手。シナリオも、あってなきが如し。同じ設定で、もし都築さん以外の人がシナリオを書いていたら、まず間違いなく駄作になっていたでしょう。3をやった時も思ったのですが、こんなチンケな話が、都築さんの手に掛かるとどうしてこれほど魅力的になってしまうんでしょうね。ああちなみに、絵の下手っぷりは余裕で脳内補完できるので、問題はなかったりします。信者として当然でしょう。画面に映っているのが、瞳先輩と小鳥の一枚絵[音楽室]であっても、私の頭の中では、特にそうしようと思わなくても、真一郎に抱っこ&スリスリされて慌てまくっている小鳥、の場面がしっかり展開されてます。ああくそー。小鳥の可愛さっぷりは犯罪じゃないのか。おのれ(謎)。

 話は変わって。
 今回、改めてプレイしてみて感じたんですが、初代はコンセプトからして恋愛物語であるはずなのに、真一郎と小鳥の関係って恋人同士には見えないんですよね。なんて言ったらいいんだろう。いわゆる、世間的な意味での恋人というモデルに彼らを当てはめるのはなんか違うんじゃないか、という気がして。彼らは一体、自分たちの関係をどう認識しているんだろうと考える時、コイツらは多分何も考えてないんじゃないかと、どうしても思われるんです。

 例えば、ONEのみさき先輩の台詞の中の非常に重要なもののひとつに『わたしたち、恋人同士に見えてるかな?』っていうのがありますが、こういう感覚、周りに恋人同士であると認められたいっていう感覚は、私には結構リアルなものと映るんです。友達関係であれ恋人関係であれ、世間の多くの人は、そういった関係に、あるイメージ−憧れとでもいうか−を抱いていて、彼らの言動はしばしばそれらに沿って規定されます。そういうイメージを、自分でも体験したい、と願うのです。

 でも、とらハのコイツらはそんなこと全然考えてません。少なくとも、ゲーム中で、彼らが恋人のイメージを意識しているような描写は皆無です。おそらく、彼らにとっては、自分たちが世間的な意味で恋人であるかどうかなどどうでもいいことなんでしょう。彼らにとっては、そんなことよりも、目の前にいる大切な人が笑っているかどうかがすべてなんです。

 このシナリオは、屋上での告白という、これ以上ないくらいベタな展開があるのですが、これは普通そうであるような、恋人関係になるための儀式、的な意味をまったく持ちません。真一郎は、ただ、小鳥に自分の気持ちを伝えるために告白します。この告白は、恋人関係になるための手続きではありません。もっと君の傍にいてもいいだろうか? ぼくは君を守りたい、ぼくは君の笑顔をもっと近くで見ていたい、ぼくが君にとってそんな存在になることを許してくれるだろうか? という問い掛けです。この告白によって、真一郎と小鳥の関係は、なんら変化していません。ただ、ふたりはもっともっと仲良くなっただけです。元々、真一郎にとって小鳥は掛け替えのない存在だったのですし、小鳥にとっても真一郎は掛け替えのない存在でした。彼らは、告白によって、お互いの大切さを確認し合っただけなのです。もし彼らの関係の変化を仮に指摘するとしても、それは恋人同士になったということではなくて、『大切な人』が『一番大切な人』に変わったということに過ぎません。いや、もちろんその違いは大きなものであるとも言えるのですが、いずれにしても、真一郎と小鳥にとって、自分たちの関係を意識することは、それほど重要なことではないのではないか、と思うのです。

 …うだうだ書いたところで、個人的名場面をひとつ挙げておきたい。

 初えっち時の描写。抱かれる前に、小鳥の心臓がバクバクいってるのを真一郎がなんとか落ち着かせようとするくだり。こういうところをじっくり描くのが都築さんの素晴らしいところではないでしょうか。あと、また今度にしようか?とか真一郎に言わせてしまう辺りとか。優しさの氾濫、とでも言ったらいいのかな。あと、終わった後で、痛かったよぉって感じで小鳥が真一郎に抱きつくくだりは理性なんかふっ飛ばして転げまわりたくなります。

 そして、今回プレイしたなかで一番心に突き刺さった台詞。

 …でも、いっぱい、しようね

 あ、ごめん、さっきのなし

 真くん、声、かわいーの…。なんか、しあわせになっちゃう

 なんで一番が3つもあるんだとかいうツッコミは野暮ってもんです。台詞を確認するためにゲームを再起動しちゃったんだし。あああ、3番目の台詞、言われてぇ。あんな台詞言われたらもう死んでもいいですよマジで。小鳥好きじゃーーーーーっ!!!

 そうそう、もうひとつ言っておかなければならないことがあったのを忘れてた。
 
 お父さん(都築氏)、小鳥さんを僕にください。


2001/6/10 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#10


 平均率2巻、変ホ長調のプレリュードとフーガを聴きながら。


 本日のwebチェキ。


 年下で慕ってくれて「お兄ちゃん」と呼んでくれるなら別に妹である必要は無い(早瀬さん・6/10)

 あはは。
 結局、私たちは、続柄ではなくて(捏造された)妹の記号に萌える訳ですからね。確かに、その意味ではシスプリの彼女たちが妹であるかどうかも二次的な意味しか持たないのではないかと思います。

 まぁ、”記号に萌える”という言い回しは個人的には不正確かなという気はするんですけれども。記号っていうのは萌えの対象ではなくて、萌え感情を誘発する触媒だと思っているので。あ、これは独り言。

 ちなみに昨日のアレは、妹語りにかこつけてメイドさん語りをしたかったというのが本音です。(ぉぃ


 もう一個、Wayneさんの妹語り(6/10)。

 妹萌えな人が期待しているものは〜、のくだりはなんか頷けるです。ただ、思うのは、実際に妹がいる立場の人は、おそらく、『兄に頼る妹』というビジョンを持っていないか、あるいは持っていてもそれを『鬱陶しい』と思うかのどちらかであるような気がするんですよ。少なくとも私は、妹という言葉に何らロマンチックなイメージを感じませんし。とすると、『年下で慕ってくれて、お兄ちゃんと呼んでくれる存在』という、ギャルゲー的な妹の記号は一体どこから生まれたんだろう?なんて疑問が湧いてくるんです。メイドさん像についても事情はだいたい同じなんですが、妹であれメイドさんであれ、ギャルゲー界におけるこれらのイメージは、現実を観察した結果として出てきたものではなくて、現実を恣意的に解釈して再構成された幻(※)なんじゃないかしらん、という気がしていまして。妹について言えば『手間が掛かって鬱陶しい妹』の図が、『兄を頼る妹』という図にスリ替わってしまったのではないか、と思うのです。おそらくは、不特定多数の人間の欲望、あるいは欲求、あるいは憧れ、によって。

 結局、今や妹(ギャルゲー的な)というのは、エルフとかその辺の、架空の種族と同じなんじゃないかな、というのが私の考えでして。エルフなんて種族は実際には存在しないにも関わらず、耳が長いだのというエルフの特徴というのは、ある限定された空間でではありますが、ほとんど常識に近いものとして受け入れられています。そして、妹も、おそらく架空の種族のひとつとして、既に、限定された世界での市民権を獲得しているように思われます。さしずめ、その種族の特徴は、年下で慕ってくれてお兄ちゃんと呼んでくれる、という辺りでしょうか(笑)。

(※)
それが良いとか悪いとかを論じるのは私のスタンスではないのでノーコメントということで。


 舞登場。ちょっとぞくぞく来てしまった(とくそんさん・6/10)

 “ぞくぞく感”については、反則的に美しいBGM[少女の檻]の効果が少なからずあるのではないでしょうか、と言ってみたり。


 Sister Princess (MediaWorks)

 マイシス咲耶。咲耶・非血縁END.
 えーとその、大変言いづらいのですが、うっかり感動してしまいました。なんてこったい。私はシスプリをネタにするために買ったんであって、私自身がネタになるために買ったんじゃないのにのにのに。

 ああやっぱ俺には咲耶しかいないです。咲耶ラヴ。頭のネジが2〜3本飛んでるんじゃないか(byまほさろさん)ってのは確かにその通りなんだけど、咲耶に関してはネジが飛んでても許せてしまうんですなこれが。不思議。愛のなせる技ですか。やっぱ、あそこまでストレートに愛されると悪い気はしないです。

 今、ちょっと思ったんだけど、咲耶が他のキャラと違うのは、主体性の有無なんじゃないかな。ラブラブ光線を発射しているのは他の妹たちも同じなんだけど、他の妹が発する光線は『わたしを愛して』という意味だと思うんですよ。それに対して、咲耶が放つラブラブ光線は『あなたを愛します』なんじゃないかと。贔屓すぎですか。

 好かれる、というのはなんにせよ気持ち良いものです。咲耶マンセー。

 ところで、フーガの39小節目の[変ロ音]萌え。6度の響きってなんであんなに綺麗なんでしょう。


 E-LOGIN 7月号

 特に欲しいと思った新作はなし。絵だけで言うなら、天使たちの午後の一枚絵にはちょっと惹きつけられましたが。単にああゆうソフトタッチのイラストに弱いだけかもしれず。Canvasの広告絵とかもそうだけど。

 差し当たり、この辺りをチェキってたらなんか無性にファントムがやりたくなったけどあまり関係ない。

 追記。
 Only You−リ・クルス−の存在を忘れてました。これは絶対買い。やる時間があるかどうかはひとまず置いておいて。えろぐの裏表紙を見る限り、主人公と鴉丸はまぁ良いとして、タイガージョー様の顔がなんか妙に可愛いっぽいのが気になるのですが。女の子? ああこのゲームにおいて女キャラはおまけです。言うだけ野暮かもしれませんが。


 怒首領蜂。

 スコアアタックはストレスが溜まりまくるのでしばらく中断。色々と研究中。

・1面の最初の1万点星を取れるかどうか。Cタイプのサイドショットがかなり仇になって、丸飛行機を撃たずにザコ戦車に繋げるのがまず難しい。ここが上手くいっても、大型戦車でのレーザーHITが取れない場合が多々ある。更に、丸飛行機を壊すタイミングも計算する必要アリ。理想は、サイドショットで予め丸飛行機にダメージを与えておいて、瀕死状態にしてからザコ戦車→大型戦車(この時点では破壊できない、レーザーHITを取るだけ)→ザコ戦車→丸飛行機の順に破壊することだろうが、なんにせよ難しい。

・3面中盤74HIT繋ぎ。2番目の大型機上の砲台は、若干ゆっくり目に壊した方が後でコンボが切れにくい気がする。大型機を壊したら、そのまま真下に下がるのではなく、画面左端に移動した方が、ザコ相手のゲージ調整がやりやすい。もうちょっとで安定しそう。あと、その後のワープザコも若干ゆっくり目に破壊した方が安定度が高い。

・4面中盤の大型機1機目へのオーラ撃ちのやり方。大型機の右、メインショットが当たらないぐらいの位置で待って、自機狙いの連射弾をなるべく横方向に撃たせて、自分も横移動に近い感じで大型機に密着する。おそらくこれがベスト。

・5面。終盤の大型機×6地帯の5〜6機目のレーザーの移し変えで+1HIT。ボス戦。ビットの処理が遅れて撃ち漏らした場合、無理に中央避けをやらないこと。画面下で右に移動しながら避ける。その後、ナパームは普通に下で避ける。ボスの移動方向をきっちり把握しておけば特に危険はない。無理にくぼみに入ろうとする方が却って危険。

・6面。742HITが出る。どこで増えたのかは不明。

・2周目2面。中ボスの形態変化時、左から出てくるザコ戦車の弾は動かなければほぼ当たらない。逆に無理に動くとかなりの確率で死ぬ。要注意。

・2周目3面。最大の鬼門その1、中ボス戦。炸裂弾1回目。今まで画面右端で待って縦方向の動きで避けていたのを、画面一番下で待って横方向の動きで避けるようにする。横から来る弾より、縦方向の弾の方が弾筋を見切りやすい。レーザーは撃ちっぱなし。結局色々やってみた感じ、レーザーにしようがショットに戻して避けようが死亡率は変わらないっぽい。最大の鬼門その2、ボス戦。この時点で1000万以上の落ちがあった場合、多少のリスクを負ってでも蜂を取るべき。ここで13個目の蜂を回収するかどうかで、370万点の差が出る。あと、蜂を回収した場合、ボスのダメージ効率は当然落ちるので、4つの小型砲台は全破壊の方向で。

・2周目4面。花壇の撃ち込み稼ぎは当面は厳禁。丸砲台(5wayを撃つやつ)の弾が絡んでしまうと絶望的なので。ラストの蜂2つの回収は、急いで右に移動すると、蜂の方向に青弾が大量に絡んでくる上、ザコ戦車を撃ち漏らす恐れがあるので、却って危険。画面左端から出てくる最後の銀戦車は、外側をぐるっと回る感じで破壊する。その後、左端から一気に右へ移動。敢えて迂回することで、ザコ戦車をきっちり撃っておくことができ、かつ、丸砲台の青弾を画面中央方向に撃たせることができる。あと、蜂は、間違って左側だけ出てしまったら右の1個は諦めること。右→左の順に回収するのなら問題ないが、左→右の順だと、ザコ戦車を撃ち漏らしてかなり危険になる。

・2周目6面。右側のミサイル戦車が破壊可能弾を吐く前にダメージを与えすぎないこと。危険度はともかく、コンボが切れる。3中ボス×2地帯。炸裂弾は基本的には小さな動きで避けるが、1機目が放つ炸裂弾は左方向の移動で避け、2機目が放つ炸裂弾は右方向の移動で避ける。2機目を破壊したら、画面右下隅にいるザコ戦車を極力撃っておくこと。次。終盤の赤大型機×2の破壊順序を、右→左に変更。右を破壊するまでは特に問題ない(繋がるかどうかは別として)が、問題はその後。右の破壊が遅れた場合、無理に左を破壊しようとすると、青戦車の吐く弾が大量に襲ってきて、状況は絶望的になる。右をきっちり破壊できた場合と、破壊が遅れた場合と、2通りのパターンを作っておく必要がある。あと、もちろん、その前のレーザーザコ地帯もきっちりとパターンを作っておかないとダメ。ところで、左の大型機はちょうど良いタイミングで青戦車と重なるのでコンボが繋げられるのだが、製作者はここまで考えてデザインしたのだろうか。だとしたら凄いと思うのだが。とりあえず現状では735HITがベスト。最終的に全繋ぎができれば760HITぐらいは行くだろうか。

・2周目6面ボス。1番目。青弾3wayは特に問題なし。2番目。回転赤弾+狙い青弾は、画面左端から右にちょっとずつ移動することを心掛けて、切り返しの隙を忍耐強く待つ。大きく移動すると1ボム確定してしまう。3番目。奇数way複合(大小)弾。青弾は大きい弾の方がスピードが速いので、大きい方の弾をよく見て避ける。基本的には問題なし。4番目。魔の手裏剣。レーザーボムだと最悪3発使わされてしまうので、スプレッドボムを使う。2発で超安定。その後は1周目と同じく、中央から右への移動で、左から来る3way弾をスクロールアウトする。これで、最悪でもボム3発で発狂まで持っていける。2ボムで発狂、トドメでレーザーボム、が理想か。

 今週末は2〜30回プレイしてクリアは2回のみ。まぁ実験とか色々やってたので安定しなかったというのもあるのだが。ちなみに5.0億と4.4億。


2001/6/9 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#9


 1週間分のことをまとめて。


 しばらく気持ちが沈みまくってたのでネットから離れておりました。時々、エロ画像漁りなんかやったりはしてたけど。いつもは躁と鬱が数時間とかでころころ変わるんだけど、ここ数日はひどい時は丸一日鬱状態だったして。俺は生きてる資格なんかないんじゃないだろうかとかそういう状態。今は普通ですけど。


 ところで話は全然変わりますが。

 5/31の日記の『イタイ物みたさ〜』とかの件で、とある方にメールを頂いてしまったり、よく見たら Wayneさんにも反応されてたりとかいう事実に気が付くに至って、どうも私は自分に対する認識を改めなきゃいけないのかなぁなんてことをぼんやりと考えているんです…。もしかしたら私は自分を過小評価していたんだろうか、とか。

 しのぶは、素で、自分には価値なんかないとか、わたしが死んでも代わりはいるもの、とか考えている人なんです。新井理恵の『X−ペケ−』っていう漫画の7巻に“ひがみ”ってキャラが出てくるじゃないですか。ああいう人間は確実に存在します。あれは漫画ゆえに性格デフォルメが施されているけど、私の心の中は普段あんな感じです。ああいうのが醜いということぐらいは分かるので、努めて表に出さないように心掛けてはいますが。

 しのぶが、自分の価値というか意味を信じることができないのは、別に能力がとかそういうんじゃありません。私が、自分を生きる資格なしとみなす理由は、人間を信じられない、というただ一点に拠ります。他人の善意をデフォルトで信じられないような人間は生きてちゃダメです。迷惑千万ですから。

 まぁその、別に私が犠牲にならなければならない理由もないと思ってるので死ぬ気はありませんが。

 というか現時点では、意地でも生きてやる、絶対泣いてなんかやるもんか、とか思ってる。あくまで現時点では、だけど。


 ところで、X−ペケ−の何巻だったかで、『一発、ストーリー漫画なんか描いて、他人の痛みが分かる人ですね、とか尊敬されてみたい』なんて内容の作者コメントがありましたが、新井理恵という人は、他人の痛みが分かるという点においては、他のどの少女漫画家よりも優しい心持ちの人じゃないかなぁという気がするんですよね。優しい心持ちであることと、実際に優しくできるかどうかはまた別問題なのですが、それはまぁ実際に会ったことがある訳でもないので、わかりませんけれども。少なくとも、ああゆう、人間は本質的に“他人”なのだという視点、他人であるがゆえの“噛み合わなさ”が生み出す悲喜劇をあそこまで描けるというのは、只事ではないと思うのです。

 あと、ついでに。私は嘲笑が大嫌いなんですが、新井理恵の漫画は全然気にならないんですよ。それはなんでかっていうと、この人の嘲笑は、半ば以上が自分に向けられているものだからなんです。新井理恵という人は涙を流しながら自分を嘲笑っているように見える、瞬間が、漫画を読んでいるとたまにあります。単に私の妄想かもしれないけど。

 ちなみに、涙を流しながら自分を嘲笑する、状態を更に突き抜けると、川原泉作品になります。


 バッハの平均率クラヴィーア曲集[2巻]にハマリ中。

 バッハ音楽の素敵なところは、いつも落ち着いているところだと思う。彼は決して大声を出したりヒステリックに喚いたりしない。彼は自分を信じている。自分の言葉の価値を信じているから、殊更に大袈裟な態度でモノを主張したりしない。人間というやつは自分の価値に不安を抱いていると声が不自然に大きくなったりするものだけど、そういう態度はバッハには無縁のものだ。彼はただ、自分の信じる何物かを、淡々と語る。彼の音楽には、自信に満ちた人間にだけ可能な落ち着きがある。


 モーツァルト。

 わたしは人に親愛の情を示したいと思う時、モーツァルトを一曲弾くことにしている…とは、ピアニストのエトヴィン・フィッシャーの言葉だが、モーツァルト音楽は確かにそういう性格の音楽だろう。

 以前からなんとなく思っていたのだが、もし言葉の通じない宇宙人がいたとして、地球人が相手に友好的であることを伝えるには、モーツァルトの音楽を聴かせれば良い。それですべて通じるだろう。

 もちろん私は真面目です。


 仕事中に突然、キン肉マンのことが気になってあれこれ考えていたんですが、さすがに古すぎるため断片的にしか覚えていない。以下、間違い探し。ちょっと嘘。

 7人の悪魔超人のメンバーは?
 とりあえずバッファローマン。それとなんかバネ男みたいなのがいたはず。スプリングマンだっけかな?あとは、ミイラ男。ブロッケンJrと戦った奴。あと、ロビンと戦った半魚人みたいなのがいたような。ここまでで4人。あとは誰だっけ?マウンテンは悪魔超人だったっけ?それとも悪魔騎士の方だったかな。そういえばアリゲーターとかいう奴がいたような。ブラックホールは悪魔超人だったろうか?なんとなく違うような気がする。思い出せん。

 7人の悪魔騎士のメンバーは?
 ボスの名前が既に思い出せない。なんかむっちゃ硬い奴だったような記憶はあるんだが。あと、スネブロックでキン肉ドライバーを封じたりとか。とりあえず、サンシャインとかアシュラマンとかがいたな。あと、ザ・ニンジャとか。あとは…誰だ?

 …などというようなことを延々と考えていたのですが、正解はこちら。
 やーインターネットって本当に便利ですわ(笑)。

 ところで、ザ・ニンジャの必殺技で、リングのロープを敵の体に絡めるやつ、ありますよね?
 コタツを裏返しにして、4本の足にゴムヒモを巻いて仮のリングを作って、妹のバービーを使ってあの技を再現したことがあるのは私だけですか? いやなんでもないです。こっちの話。我ながら小学生の考えることは分かりません。


 好意に応じることができない(能力的に)というのは絶望的にキツイな、と思う今日この頃。


 空を飛ぶ夢を見た。もちろん自力で。
 どうして、体験したことがないにも関わらずあれほどリアルな夢が起こり得るのだろう。いや、厳密に言えば体験したことがないのだからリアルかどうかなんて確かめる術はないのだけど、ただ、地面を蹴って、あっという間に地上が遠くなっていき街の建物がミニチュアに見える感覚は、(変な言い方だが)妙に現実的だった。


 他人は他人。私は私。まずはこの辺りから。


 っポイ! 18巻 [やまざき貴子/白泉社/花とゆめ]

 昭さんを抱きたいです。意味的には抱っこじゃなくて18禁の方なんだけど、邪な気持ちではないです。肉体的な欲求というやり、精神的な欲求。我ながら自信ないですが、そういうことってあり得ないですかね。私はあり得ると思うんだけど。

 や、特になんか刺激的なコマがあるって訳じゃないんですが。唐突にそう思った。


 もしかして、まだ鬱状態から回復していないのかも。
 なんかキーボードを叩かずにいられない。読む人の迷惑顧みず。


 積みゲーに、どびでばいん[アボパ]を追加。
 本命はリリチャ箱の予約だったのだが、近所のショップでは土曜日時点で既に予約が締切られてしまった模様。とらハ3マンセーな人としては、発売日に買えない(と思われる)のはツライ。


 シスプリをやっていて思ったのだけど、今やギャルゲーにおける『妹』というのは、現実の妹とはまったく別の存在なのではないだろうか。ギャルゲー界におけるメイドさんがそうであるように。

 メイドさんというのは本来は家政婦とほぼ同義のはずなんだけど、メイド萌え者で、メイドさん=家政婦、だと思っている人はおそらくいない。メイドさんは家政婦を兼ねるが、家政婦はメイドさんを兼ねない。家事全般がそつなくこなせればメイドであるかといえばそれはもう絶対に違うのだ。メイドさんは、ご主人様の気持ちが読める人でなければならない。ご主人様が独りでいたい時には、それを察してそっとしておく気遣いが必要だし、逆にご主人様が話相手を必要とする時には、やはりそれを察して傍にいるぐらいの気遣いができなくてはならない。今夜は独りでいることに耐えられそうにないのだ(byラインハルト様)などとご主人様に言わせてしまうようではお話にならない。そこまで言わなければ分からないような鈍感な人は、メイドさんにはなれない。メイドさんは職業ではない。職業だったら、スキルを身につければ原則的には誰でもなれる。しかし、メイドさんを決定付けるものは、まず第一に、なごみ…いやもとい思い遣りや気遣いといった資質だ。メイドさんというのは、特別な資質を備えた人だけがなれる『存在』だ。メイドさんというのは、職業であるよりはむしろ種族である。

 …いい感じに胡散臭くなってきましたね。

 で、妹の話。
 普通、現実世界で『妹』という語が使われる時、ほとんどの場合、それは単に続柄を示す言葉であるにすぎない。しかし、妹萌え者にとって、『妹』という言葉は続柄などをまったく意味しない。むしろ、妹萌え者にとって、『妹』という語が喚起するイメージは、年下の、自分を慕ってくれる可愛い少女、みたいな感じになる。してみれば、妹萌えと言う人に対して、『妹なんてそんな良いものじゃない』等と意見するのはまったくもって的外れであることになる。『妹』という語に抱いているイメージが180度違うのだから、そもそも両者は比較の対象にはなり得ないのだ。

 シスプリに出てくる妹は、あれは妹ではない。少なくとも、続柄としての妹は最小の意味合いしかない。彼女たちは『妹』という種族だ。多くの人が見た妹の夢の、もっとも魅力的なエッセンスを抽出して作られたのが、世のギャルゲーに出てくる妹キャラであり、またシスプリの妹たちだ。彼女たちは、親を同じくする兄より後に生まれた子供だから妹なのではない。妹という種族の特徴を備えているから妹なのだ。これを逆にしてはいけない。


 言葉っていうやつは面白いもので、あるいは厄介なもので、言葉自体に意味があろうがなかろうが、ひとたび言葉が発せられれば、その言葉はなんらかの意味を帯びてしまう。『萌え』という言葉の意味、あるいは定義について、誰にでも分かるように説明できる人はいない。でも、例えば『乃絵美たん萌えー』とあれば、それを読んだ人は、発言者の心理状態を、自分の経験を参照することで理解できてしまう。少なくとも、萌えという言葉がぴったりくるような感情の動きを経験してさえいれば。

 『萌え』という言葉は実のところスラングに過ぎない。2ch用語の『がいしゅつ』と同じだ。『がいしゅつ』なんて言葉は存在しない。でも、ある限定された空間では、『がいしゅつ』と言えば意味が通じてしまう。


2001/6/3 (日)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#3


 今日ってみさき先輩の誕生日だったんですね。
 keyさんに指摘されるまで気がつかなかったです。

 改めて考えてみると、私、キャラの誕生日とかほとんど知らないんですよ。それほど興味がないらしい。瑞佳と秋子さんは確か9月だったっけ?とかそんな程度。


 巡回ルートHTMLファイルを更新。
 日記系サイトを10箇所ほど追加。こことかこことか色々。


 webチェキ。

 こことあと身内の幾人か、とりあえず反応があった限りにおいては、誰も後悔していない模様。
 むー。俺様、修行が足らん。<違います

 相手を引かせるぐらいのものを書いてみたいのだが、そうなるとやっぱり18禁にするしかないのか!? しかし小心者としては18禁モノは抵抗がなぁ。私もここの人とかここの人ぐらい突き抜けられれば…。


 蜂。2周目3面で以下略。


 なんか、AK1さん家のリンクから人が大量に流れ込んできてる模様。
 とりあえず落ち着くまでトップにアナウンスを置いてみる。


 洗濯が終わるまであと30分ぐらい。それまでつらつらと。


 男の子は物が好き、女の子は人が好き、とはよく言ったもので。小学生の男の子にとって、ガンダムは単なるロボットアニメに過ぎません。少なくとも私はそうでした。ところで。ガンダム(初代)で語られるヒューマンドラマの面白さが小学生に理解できないからといって、それはガンダムのせいではありませんよね。単に、需要と供給が一致しなかっただけ。

 作品と人との関係は一対一以外はあり得ないはずなんです本来。つまり、受け取った本人がどう感じたかがすべて。万人に共通する名作だの駄作なんてものがあるはずがないんです。作品の…えーとなんて言ったら良いんだろう、特徴というか属性というか、とにかく、作品に備わっている特質とでも言ったものと作品から受け取った感情とはまったく別々のものですし、また別々に語られねばならないものです。こんな当たり前のことを言うのはさすがに我ながらバカバカしいのですが。

 人は安易に名作だの失敗作だのという言葉を使ってしまうのだけど、名作とか失敗作っていう言葉は、作品に貼りついた何物かではありません。それは、ある人が馬鹿と言われたからってその人が本当に馬鹿だとは限らないというのと同じこと。単なる感想に過ぎない。あるいは、より私好みの言い方をすれば、対象に名前を付けるという個人的な経験でしかない。その個人的経験をあたかも普遍的なものであるかのように語ろうとする姿勢は、はっきり言っていかがわしいです。

 ある作品を名作と呼ぶとしても、それは『その人個人にとっての』名作であるに過ぎない。同様に、ある作品を駄作と呼ぶとしても、それは『その人個人にとっての』駄作であるに過ぎない。どうして、ある作品が名作だとか駄作だとかという議論が成り立ってしまうのか、あるいは、成り立つなどと思えるのか、本気で分かりません。

 …なんてことを、2chの某議論を読んでて思った。

 あと、ついでに言っておくと、議論をする人たちは、議論の意義について問われると、『自分のスタンスを確認するための手段としての議論』とか、版で押したように同じことを言うんですが、別に、自分のスタンスを確認するためだけだったら、相手の発言の矛盾点やら理論の隙やらを突っつく必要はないと思うんですが。そもそもたかが素人に、一部の隙もない理論なんて構築できるとも思えないし。結局は勝ち負けなのよね、なんだかんだ言っても。私が、『議論という名目のディベート』とかいう皮肉表現を使うのはそういう意味です。

 第一、相手を攻撃するほどに自分の意見を重要なものだと思うのなら、掲示板なんぞで管巻いてないで、自分でwebページを作ってそこで発表するべきでしょう。発言がどんどん流されていく掲示板と、固定URLを持つHTMLで発言するのとでは、プレッシャーの度合いがまるで違います。どんな偉そうなことを書いても掲示板はしょせん掲示板です。まして匿名なら尚のこと。


2001/6/2 (土)
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-06.htm#2


 蜂。
 今日は5時間ぐらい。何回やっても2-3中ボスもしくは2-3ボスで止められてしまう。もう本気で疲れてきた。スコアアタックがなんでストレスが溜まるかって、1回ミスしたらその瞬間に、そのプレイが無意味になっちゃうからなんだよね。1ミスした時点でもうハイスコアを出す可能性はゼロになっちゃう訳だから。

 あー虹野さんが傍にいてくれたらなぁ。約束したじゃない! 6億出すまで頑張るって約束したじゃない! とか詰ってくれそうなのに。なんてこと考えてるんだ俺は。


 今日のwebチェキ。

 とくそんさんへ私信。
 ええと、なんか30%増しで後悔させてしまったようで。だから言ったのに〜。申し訳ないです。でもああいうノリもしのぶの芸風なのでこればっかりは諦めてご寛恕頂くしか。(^^ゞ

 今思ったけど、芸風ってのもなかなかに、良くも悪くも便利な言葉かも。


 Sister Princess (MediaWorks)

 まさかのセカンドプレイ。
 どうでもいーですが、あのOPはやっぱり新手の精神攻撃だと思いマス。もっともシスプリのOPはセンチのそれと違って最後まで見られないって程じゃないんだけど。あと何回か見れば慣れちゃいそうな予感はある。少なくとも『お兄様』と『兄チャマ』の2つは確実に脳内麻薬出てるし。

 で、セカンドプレイ。
 マイシスター四葉、そのまま四葉狙いで。

 …ああ、咲耶かわいいなぁ。あと、お姫様抱っこ(花穂・お泊りイベント)マンセー。…あれ?
 咲耶に浮気したい誘惑と戦いつつ、合間にセーブとロードを駆使して白雪とか花穂を摘み食い(違)したりしたのでちと時間が掛かったけど、なんとか四葉・非血縁ENDまでたどり着けました。

 四葉はあの健康的なところがすごく良いです。四葉自身がそうなのもあるし、あと、プレイヤー側から見ても邪な妄想が湧きにくい。これが花穂とか春歌なんかだと、普通に喋ってる場面を見てるだけでも、もう、あんなこと(18禁)したいだのこんなこと(18禁)したいだのと妄想が湧いてきて、微妙に落ち着かなかったりするんですが、四葉に関してはそういう方向に想像力が働かない。

 四葉は典型的な小犬系でしょう。尻尾をパタパタ振ってまとわりついてくるタイプ。で、こっちは、まとわりつかれるたびに、またかよコイツはとか思うんだけど、やっぱり悪い気はしないのでついつい抱っこしちゃう。抱っこしちゃうと、相手はますますはしゃぐので、ああやっぱり可愛いなぁコイツめと思っちゃう。そんな感じ。ちなみに実家でプードルを飼ってた頃のことを思い出しながら書いてます。

 そういえば猫も犬も、なんでご主人様の顔を嘗めようとするんでしょうかね。そういう習性? まぁいずれにしても、抱っこしてて顔を嘗められるのはなかなかに気持ち良いものなのですが。衛生上どうなのかはさておき。

 あと、現時点での各キャラの印象など軽く。

可憐 興味なし。
花穂 苛めたい。この子を見てると、シスプリが18禁じゃないのが本気で悔やまれます。色々教えたいのに。
衛 興味なし。
咲耶 本命。相対的にこの子が一番普通に見える。よって、この子と一緒にいるのが一番落ち着くと思う。
雛子 妹というより娘という感じ。どうせなら、パパ、とか言って欲しい。この子も18禁シナリオ希望。
鞠絵 ほとんど会ってないのでよくわからん。
白雪 ゲームをやってから俺内部評価が急上昇したキャラ。次回はこの子狙いでやる予定。
鈴凛 興味なし。
千影 興味なし。
春歌 18禁シナリオ希望。なんか尽くしてくれそうじゃないですかクックック。
四葉 まとわりつかれたら、きっと幸せ。
亞里亞 逝ってよし。


文責 しのぶ sersui@bay.wind.ne.jp



トップページへ戻る